夢の中の世界。
これを見ているのは、彼女。
おやすみなさいくらいは言わせて欲しいから。
これは、少しだけ。
一緒にいた最後の時間の、記録。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
夢を見ている事は、妙な浮遊感が教えてくれた。己が知る最後よりも幼い少女がいたのも、夢である事実の一端を推していた。
あ、かわいい。
そんな感想が出た。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
ここがどこなのか、今がいつなのかはわからなかった。
ただ、度々揺れる、震える視界と、どこか悲しい空がそこにあるのを知っていた。
私はここを、知っていた。
それでも、今がいつなのかはわかりたくなかった。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
漂ううちに、会いたかったヒトの背中を見た。
その二人を、少女が不思議そうに眺めていた。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
大きな揺れがあった。
金の髪を持つ青年が、苦しそうに蹲っているのが見えた。
隣に寄りそう女の子もまた、苦しそうな顔をしていた。泣いていたのかもしれない。
夢の終わりが近いことを悟った。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
金の髪を持つ青年が、機竜の発着所を見つめている。
胸に手を当てて、まるでそこに何かがあるかのように、それを握り締めていた。
女の子はまだ、泣いていた。
欲しいものがあると、自動人形が呟いた。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
夢の中だというのに、その鐘の熱が伝わった。
鳴らされるために生まれた鐘。響き渡るために創造された夢。
大きな揺れが来る前の事だった。
何度繰り返しても、やっぱり、大きな揺れは来てしまう。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
叫び声が響いた。鐘の音ではない。金切り声が広がった。
夢だから。夢故に。手を伸ばしても、祈りを込めても、何も変わらない。
ただ、ずっと。IFにすら満たない、過去の事実が繰り返される。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
敵が来た。つい最近、敵ではなくなったヒト達。彼女にとっては終ぞ、敵だった人たち。
祈る声は届かなかった。彼らにも事情があり、彼らにも過ちがあった。
それでもなお、傷つけられてもなお、
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
夢は揺れ続ける。まだ鐘は鳴らない。響かない。だってまだ、世界の想像は終えられていない。
"ソレ"はまるで波のように、金の髪を持つ青年を蝕んだ。
"ソレ"に食まれる前に、金の髪を持つ青年は肉を捨て、鋼鉄の身体を選んだ。
少年は青年に、そして青年が正義になる瞬間だった。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
知るはずのない記憶は、彼女が見ているモノ。大切で、大切な、終わりのクロニクル。その冒頭詩。
だからこれが、始まりを終わらせ、終わりを始めた──初めの言葉。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
新しい世界を、御願い。
幼い彼女がソレをどう理解したのか──わかりきったことではあったけれど。
結局、
幼い彼女には、要求に聞こえたのだろうことは、すぐにわかったから。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
暗闇が彼女を支配した。
暗い世界だった。黒い世界だった。どちらにせよ、光の無い世界だった。
"ソレ"すらも活動をやめた世界で、それでも彼女は在り続けた。
光が現れるまで、ずっと。悲しいくらいに。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
外は光に溢れていた。
緑があり、風があり、草木があり、水があり、なにより空があった。
明るく、暖かい空。光の降る空。
けれど、そこは新世界ではなかった。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
夢は続く。息苦しい世界で、夢を見続けている。
暗く、狭く、苦しいセカイは、でも、ある時。
一人の客を得た。それは私にとっても、懐かしい人だった。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
腕を失った一人が、それから何度も来た。
懐かしい顔だ。自らが懐かしむのもおかしな話だと、笑った。
そうして、幾度と夢に足を踏み入れるうちに、一人は、
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
訪れは微睡を生んだ。それは幸か不幸か、気付きにもつながった。
疼きの一つだった。けれど、それがとても大事で、危険であることを彼女は知っていた。
微睡むままに、周囲を探り始めた彼女に嘆息した。
必ずやり遂げる頑張り屋さん──言葉だけが反響する。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
彼女の要求は、果てがある事を知らなかった。
我儘だったわけではない。要求に"果て"があることを、知らなかっただけ。
彼女は鐘が欲しいと言った。彼女は鐘を鳴らしてみたいと言った。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
ならば叶えたいと思うようになった。
夢にまで伝わってくる。自らの甲板にある鐘を。どこまでも遠く響く、鐘の音を。
それが目的だった。目的になった。
目的が手段になり、報酬が目的になり、手段が報酬になった。しりとり遊びの癖が出た。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
入れ替わる事を褒められた。
彼女は嬉しかった。伝わってくる。暖かい感情が。撫でられることが好きだった。
彼女がそれが欲しいと願った。今度こそ、叶えたいと願った。
そのための手段は、私の記憶とほとんど変わらない少女が持ってきた。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
少女は"ワタシ"を抱いていた。機竜と、女性になった女の子も一緒だった。
"ワタシ"は瞳を閉じていた。それでも、彼女は"ワタシ"を憶えていてくれた。
"ワタシ"だけでなく、全員。私達が覚えていたように、彼女もずっと。
彼女はずっと、憶えていてくれた。
"自動人形は、ありがとうございます、言った。"
世界が揺れ動くのを感じた。
夢が起き上がるのを感じた。
どこかで誰かが叫んでいる。
胸を押さえて、叫んでいる。私にはそれがわかった。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
幼い彼女には難しい言葉だった。未熟な彼女では言葉が足りなかった。
過去に囚われた女性では言葉を持ち得なかった。正義の味方は、救う術を勘違いしていた
その場で、間違いを正せる者は一人もいなかった。もし、あの場に私がいたとして。
それでも、彼女を止める事は、停める事は出来なかったと思う。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
大丈夫、と言った。彼女が言った。
それは、自らの
すべてが等しいという事が、全てが無価値であるという事と同義であると、彼女は知っていたはずだから。
それでも、声が反響していた。新しい世界を、御願い。その言葉が。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
夢が起き上がる。夢が咆哮を上げる。
夢が自らの目的のために、戦闘態勢を取る。
パズルのピースが埋まっていく。誰も、誰も。
誰も、パズルが裏側である事を口に出さないままに、夢が──ノアが、心を宿す。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
千を超える時間を。果ての見えない暗闇の中を。
ただひたすらに待ち続けたノアの、ようやく掴んだ一筋の光。
ノアが産声を上げる。だって、彼女は今生まれたのだから。
Low-Gにおいて、初めて。今ここに、彼女は生まれたのだ。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
目覚めなさい、と彼女は言った。
敵が来ています、と彼女は言った。
システムにおける、機体の名称が書き換えられる。設計時のものへと。
ノアから──
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
全てを等価値にする事に、彼女は気付いていた。
だからこそ、彼女はプラスの概念創造に執心した。
等価値から、全てを生み出す。それが新たに設定された──設定した目的。
違う。それは手段だ。目的は、新世界で鐘を鳴らす事だから。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
悲しいことをしようとしている。
あの頃のように、空が悲しい。
もう──もう、違うのだと諭すことはできない。
夢だから。だってこれは、もう、終わった事だから。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
「ありがとうございます、詩乃様。ノアと一緒に居ていただいて。──以上」
崩れていく。
夢が崩れていく。
ノアの夢見た世界が──ではない。ノアの心に会った、古い殻が、だ。
まず、一人の男に砕かれた。その男は、ようやくそこへ
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
砕かれていく。
夢が砕かれていく。
身体を起こした夢が──ではない。その体にまとわりついていた過去が、だ。
次に、概念核を持つ者たち。そして、概念核たちに、剥がされた。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
剥がされていく。
夢が剥がされていく。
産声を上げた夢が──ではない。その身を覆っていた虚勢が、だ。
そして、持たざる者たち。ノアから見れば、あまりにも小さい者たちに、阻まれた。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
阻まれていく。
目的が阻まれていく。
取り違えた目的が。手段になるはずだった目的が。
二人に、阻まれる。またも。"前"も、"今"も。でも、それでよかった。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
良かったのだと思う。
最後に、良いものが見れた。
正義の味方は──泣きそうになった子の、標となった。
女の子も、正義の味方も、しっかり──自分になれたのだから。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
そして、ようやく──時がきた。
解放の時。
全竜解放。その時が来たのを、夢が薄れていくのを、感じた。
長かった──あなたが、一番。そうでしょう?
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
一人の客が。あの時の男性が。そして今いる彼が。
少女が、守った。守れた。少女の義父もまた──未来を繋ぐことが出来た。
紡ぐ。繋ぐ。各国のUCATが、自らの誇りと自らの歴史を並べて叫ぶ。
Tes. Tes. Tes. ──
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
お世話になった家族に。
世話をかけてしまった、皆さんに。
そして、そして──ようやく歩き出せた、あの子に。
全てをやり遂げた、頑張り屋さんの……あなたに。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
レヴァイアサンへと本体が移ってしまったノアは、夢の中で一人、ゆっくりと歩いていた。
歩いていた。歩んでいた。ボロボロになった翼を使わずに、足で。
進むことは、もう、叶ってはいなかったけれど。
それでもノアは、レヴァイアサンへ反抗する。そしてそれを味方するものもあった。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
それは脱ぎ捨てた殻。それは崩れていった過去。それは剥がされた記憶。
でも、それでも、それらは、だって。
ずっとずっと、ずっと。ノアと共にあったものなのだ。
有り難う。ノアは、自分を守ってくれた白の機竜と武神に、そう言った。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
ノアは歩き出す。壊れていくことも厭わない。
歩く。歩く。足を前に出す。
ノアだけが出来る事。ノアだけが持っているものを。
ノアの要求。やりたかったこと。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
少女がようやく、己のあるべき位置を見つけた。
そう。そうよ、命刻。私たちは──あなたが、憶えていてくれる。
だから、お願い。
新しい世界を、みんなと一緒に。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
ノアが少しずつ階段を上っていく。
一段、また一段と昇るたびに、ぼろぼろと部品が零れ落ちていく。
でも、やめない。
ノアは──鐘突き堂へ、上っていく。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
世界が概念で満たされていく。
白い、美しい光。
創造ではなく、改変だ。
偉いわ──自分で気づくことが出来たのね。
"自動人形は、ありがとうございます、と言った。"
「有り難う御座います」
「詩乃様、ありがとうございます。そばにいてくれて」
以上、と言わなかったのは何故だろうか。
この言葉は、記憶のどこにあるのだろうか。
"ノアは、ありがとうございます、と言った。"
概念核創造施設内包型航空艦SSS-X0ノア、ノア内第八位Arch型自動人形0号。
十年前から再起動し、本日。
己に課した為すべきことをクリア。停止していた時計を動かし、次の状況に移ります。
──以上。
"ノアは、ありがとうございます、と言った。"
ありがとう、ノア。
新しい世界を、ありがとう。
そして。
おやすみなさい──。
"おやすみなさいませ。詩乃様。"