「真名解放……『終末幻想・少女降臨』!」
私たちから一斉に放たれた槍──『偽・大神宣言』──が、殲滅対象のシャドウサーヴァントへと降り注ぐ。更に宝具発動と同時に展開された固有結界が、敵シャドウサーヴァントを包囲した。この結界は、魔術や魔力に類する、正しき生命ならざる存在を否定する。
「────」
宝具を受けたシャドウサーヴァントは、音もなく消滅していった。
「戦闘、終了。敵性存在を排除しました、マスター」
「了解。おつかれさま、スルーズ」
敵性存在の消滅を確認すると、マスターが私をねぎらうべく駆け寄って来た。
「いえ、この程度の敵、私たちワルキューレであれば倒せて当然ですから。……それより、マスター」
「ん?何?」
「呼吸が乱れているようですが、しっかり休息を取っているのですか?」
「いやぁ、ここのところ忙しくて……」
「非効率的です。あなたは英霊ではなく、人間なのですから。自己管理は、戦士の基本事項です」
このマスターは、誰かが止めないと、無理をやめない。だからこそ、時々はこうやって言わないといけない。
「うぅ……返す言葉もございません……」
マスターが、シュンと項垂れる。一応、反省はしているようだ。
「わかっていただけたのなら結構です。……まぁ、作戦指揮は悪くありませんでしたから」
「ホントに? よかった〜、スルーズにそう言ってもらえて! ……そうだ、とっておきのお菓子があるんだけど、戻ったら一緒に食べない?」
「私と、ですか……?……まぁ、マスターが望むなら、私はやぶさかではありませんが……」
「じゃあ決まり! 実はこの前エミヤに差し入れってことで貰ってさ〜……」
……無理をしていないか見張るために、マスターから目を離さないようにする必要がある。なので、今何故か私の気分が上向いたのは、向こうから私が見張る名目を提示してくれてちょうど良かったからに違いない。
▽
「……」
「……」
ペラ、ペラ、と本のページを捲る音だけが、私とマスターの間に流れる。地下に図書室が出来て以来、私も少しずつ読書というものをするようになったが、最近はこうして、マスターの部屋に来て読書をすることが多くなった。
別に読書なんて1人で出来るのだが、読んだ本の感想や考察を誰かと言い合うことは、内容のより深い理解に繋がる。その点で、マスターは私には無い観点からの意見を言ってくれるため、話し相手として最適である。
そして、読んだ内容を忘れぬうちに話せるのが望ましい。なので、マスターの部屋で読書すれば、すぐに話すことが出来るため大変合理的である。
これらの理由により、私はよくマスターの部屋に来るようになった。……あとは、恋愛小説を読むときに、マスターが近くに居ると、何故か登場人物の心情が理解しやすい、などの理由もあるが、これは些細な要因であり、関係ない。
「……」
ふと、顔を上げると、私と同じ様に読書に勤しむマスターの姿が目に入った。
……ページを捲る指は、私よりも太いけれど長くて綺麗だ。読書に耽る表情は、戦闘中と同じくらい真剣な面持ちで、少しだけドキッとしてしまう。……睫毛も長いし、瞳も見ていると吸い込まれそうな蒼色で……。……瞳?
「……俺の顔になんか付いてる?」
「ひゃいっ?! ……コホン、いえ、なんでもありません。お気になさらず」
「そ、そう? ならいいけど……」
いつの間にか、私の視線に気が付いたマスターとバッチリ目が合っていた。心中の動揺を悟られないように、なんとか平静を装う。
……不思議だ。何故、ただ目が合っただけなのに、胸が高鳴って、思考をこんなにも乱すのだろう?
……これをわからないまま放置して置くのは良くない。そう判断し、私は持っていた本を閉じると、マスターの方に向き直った。
「……マスター。貴方に相談したいことがあります」
「ん、何? そんなに改まって」
マスターも、読んでいた本を一旦閉じて、私に相対してくれる。
「……理由は不明なのですが、最近、私の中の、心の動き、と言いましょうか、それが貴方に共鳴して止まないのです」
「心の、動き?」
「ええ、そうです。これは、合理とは真逆のプログラムであり、ワルキューレとしての私にとっては致命的な問題となる可能性があります。よって、この問題について、より詳しく知る必要があると判断しました。……ですから、マスター」
私はそう言うと、マスターとの距離を詰め、肩が触れ合いそうなくらいまで近くに寄った。
「貴方の近くに居ると、このバグが頻繁に発生するようです。ですので、この原因を理解するべく、もう少しだけお付き合い願えますか、マスター?」
「……ん、いいよ」
もしも拒否されたらどうしよう、なんて不安は、マスターの柔らかい微笑みに掻き消された。
……あぁ、また鼓動が早くなった。
「……どう? 何かわかった?」
「……いえ、まだ何も。ですので、もう少しだけ、このままで……」
▽
「…………」
「む、無言は怖いって……痛い痛い痛い!」
キツめにマスターの腕に巻いた包帯を締める。
戦闘で無茶をして怪我を作って帰って来たと聞いて、私は全速力でマスターのもとへと駆けつけた。幸いにして大事には至らなかったものの、マスターはそれなりに手当てが必要な程度には負傷していたので、こうして私が手当てをしている次第だ。
「マスター、貴方という人は自分の立場をわかっているのですか? 人間でありながら、最前線に立ち続けるということの危険性を把握しているのですか? ……戦闘中の自分の安全の確保を最優先でしていただけないのなら、私は戦闘への同行を拒否します。わかりましたか?」
「……ごめん」
「……わかっていただけたのなら結構です」
多分きっとこの先も、この人は何度も無茶をして、何度もこうして傷付くのだろう。何度もこうして、生きる為に戦うのだろう。戦い続けることは、戦士としてはあるべき姿なのだろう。その姿こそ、私たちワルキューレが求める戦士像だ。
けれども、どうしてか私は、それを止めたいと思ってしまった。傷付かないで欲しいと願ってしまった。
こんな覚束ない感情は、ワルキューレとしてのプログラムの範疇外だ。ノイズに過ぎない。……早く、冷静な思考を取り戻さないと。
「……それでは、しばらく安静にしてください」
治療を終え、速やかにマスターのもとから離れようとすると、マスターが私の服の裾を掴んで、私を引き止めた。
「……ありがとう、スルーズ。いつも心配してくれて。……これからも、頼りにしてるね」
「……何故私なのですか。貴方が契約したのは『ワルキューレ』で、『私』ではない。『私たち』は、全てを共有できる同一の存在なのだから、他の個体でも問題ない筈です」
私がそう言うと、マスターはこちらの目を見て言い返して来た。
「でも俺にとっては、オルトリンデ もヒルトもスルーズも、全員違う存在だよ。いくら共有しようが、俺にとっては変わりない。……俺が話したいのは『ワルキューレ』じゃなくて、『スルーズ』、キミだよ」
「……あぁもうマスター、貴方という人は。軽率な言動は控えて欲しいと言ったのに……」
……私のときめく心の動きなんて、貴方に伝わりやしないんだろう。伝わっていたら、こんなこと言ってくれない筈だから。
……私には、このうるさい鼓動や熱いくらいの体温が、どうしてなのかわからない。
でも意味なんて知らないし、要らない。
だって、貴方が近づくと、このバグが発生する。それさえわかっていれば、十分なのだから。
「わっ、スルーズ?!」
突然私に抱き締められ、マスターが驚きの声を上げる。でもそんなこと、今は構わない。
「……感情なんて、恋なんて、所詮は心のバグです。非合理的な代物です。……でも、私は……それでも、貴方と共鳴して、いたい……!……駄目、でしょうか……?」
心臓が飛び出るんじゃないか、ってくらいうるさく動いているのがわかる。断頭台の上で刑の執行を待つ囚人というのは、こんな気分なんだろうか。
マスターが返事代わりに抱きしめ返してくれるまでは、一瞬だった気もするし、永遠とも言えるような長い時間だった気もする。
「駄目じゃない……駄目じゃないよ。……俺も、もっとスルーズと一緒にいたい」
マスターの言葉が、じんわりと胸に溶けていって、なんだかぽかぽかと暖かくなってきた。多分この出来事は共有されても、この感覚は共有されない。これは『ワルキューレ』ではなく『スルーズ』だけのものだ。
「……私がこんなことになったのは、マスター、貴方の所為です。……ですから、もうずっと、終わりの時まで、付き合ってもらいますから」
その時が来たら、私は『スルーズ』ではなく『ワルキューレ』として、貴方を戦士として扱わなければならないのかもしれない。
でも私は、そうしたくないと、貴方を人間として最後まで扱いたいと思う。
だって、貴方が一緒にいたいと、もっと話していたいと言ってくれたのは、この『私』なのだから。この暖かさを感じることができるのは、『私』だけなのだから。
この選択は、辛く苦しいものになるかもしれない。けれど、きっと大丈夫だ。
何故なら、私が読んだ本にこうあったから。
『恋する乙女に敵はいない』
▽
「……もーいい?そろそろ腕が疲れてきたんだけど……」
「いえ、まだです。まだ十分ではありません」
「……まだ、わからないの?」
「いえ、それはもう大丈夫です。……とてもよく、わかりましたから」