「キラくん、大丈夫かなぁ」
武装したアルテミスの兵により、出入り口が封鎖されたクラックスの艦内で、そう呟いたハリーは体育座りをしながら空中を漂っている。
「とりあえず、パスワードはアイツしか外せないんだ。悪いようにはされないと思うぞ?」
「けど、あたしたちは最悪だけどね」
ぶーたれてそう言うハリーの気持ちはもっともだったが、自業自得とも言えた。
キラがヒダルフに連れていかれた後、ラリーを含むクラックスのクルー達は、整備していたメビウスと一緒にクラックスに押し込められて、アークエンジェルとは別の港に追いやられた。
しかも邪魔だと言わんばかりにアークエンジェルの避難民も一緒に押し付けられてだ。
「わざわざここまでするかね?」
「それほど手に入れたいんでしょーねー、モビルスーツの技術」
「権力欲に溺れた軍人さんは困ったもんですね」
くっだらないわーというハリーの言葉に、クルーの全員が頷く。本当ならば、ヒダルフ辺りにでも銃を一発撃ってもらって、手当たり次第の手段で反抗し、なんとか誤魔化すつもりだったが、当事者であるキラが名乗りを上げてしまった以上、こちらはどうすることもできなかった。
「素直なんですよ。心が薄汚れてるよりはよっぽどいいです」
リークの言葉は、クルー全員の本心でもあった。憎しみが憎しみを呼ぶこんな戦争だ。心が汚れていくのは仕方がないことでもある。そんな中でも、キラのように正しいことを正しいと信じられる素直さは貴重だ。
そして、避難民がこちらに押し付けられたのは幸運だった。これならば、キラがコーディネーターであることはバレはしないだろう。アークエンジェルの誰かが口を滑らさなければ、だが。
ラリーは物言わぬ置物になってしまった愛機を見上げる。自分にできること、その範囲の狭さに、彼は人知れず落胆していた。
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「艦長!」
ラリーはアルテミスに向かうことが決まった時、誰にも言わずに一人でドレイクに具申をしに行ったのだ。アルテミスに潜む危険性を示唆するために。
「ラリー、お前の予感は当たるが、今回ばかりはどうにもならん」
ドレイクは困ったように眉間をペン先で突っつきながら、ラリーの言葉をやんわりと受けている。
「けど、ユーラシア直轄のアルテミスですよ?下手を打つと、アークエンジェルもストライクも取り上げられてしまいますよ!」
「だが、アークエンジェルにも我々にも補給は必要だ。生きるためには水がいる。アルテミスを逃せば、我々は水に飢えながら大海を進まねばならない」
そう、ドレイクが気にする問題はそこだ。
アルテミスでの補給を諦めれば、圧倒的な水不足がアークエンジェルのクルーを苦しめることになる。飲料水の制限は、クルーやパイロットに想像を絶するストレスを与えることになる。ドレイクやクラックスのクルーはそれを何度も経験してきた。
それに、ザフトがG兵器を導入してきた以上、武器弾薬の補給も必要不可欠だろう。
ドレイクはそう言って、鋭い視線でラリーを見つめる。
「私には、アークエンジェルのクルーがそれに耐えられるとは思えん。それとも、何か腹案があるのか?ラリー」
ドレイクの言葉に、ラリーは何も言えなかった。アルテミス以外に、今後補給を受けられる場所は月しかない。現実的に直近で水の補給を受けるのは不可能だ。そう、正規の方法ならだが。
ユニウスセブンの残骸から水を取りましょうなど、ラリーは口が裂けても言えなかった。まだアルテミスという希望がある以上、非道徳的な真似はしてはならない。
それに、自分たちというイレギュラーがある以上、どのようにに転ぶかもわからなかった。
ラリーはすごすごと下がり、敬礼をして艦長室を後にしようとした。
「そうだな。とにかく、今は打てる手を打つしかあるまい。いざという場合に備えてな。その時は、お前が指揮を取るんだぞ?ラリー」
ドレイクはラリーの背中にそう言った。
振り返るが、彼はラリーを見ずにアルテミスに入港する手続きに戻る。彼はいつもそうだ。基本的な指針は示すが、それが頓挫した時の予防線を張るのも非常に上手い。誰もが気付かない場所に最後の手綱を張り巡らせることが異様に巧みなのだ。
「好きに暴れろ。いつもそうやって、我々は生き延びてきたのだからな」
アルテミスへの書類をさばきながら、彼はニヤリとほくそ笑む。危険な橋を渡るたび、彼らは強くなって生き残ってきたのだ。
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ドレイク級宇宙護衛艦であるクラックスのモビルアーマーハンガーは船外に設けられていて、それを整備するだけでも少し大きな規模の船外作業となる。
酸素がある艦の港に入っている以上、ハンガーの整備にはうってつけの環境で、整備班がわらわらとハンガーの整備に勤しみ、暇を持て余した避難民たちが、物珍しいのかそれを見学していた。
「しかし、まぁどうしたもんかなぁ」
ラリーは避難民や整備班クルーで賑わうクラックスのハンガーデッキを眺めながら一人で呟いた。
自分は、SEEDの外の世界からやってきた存在だ。ヘリオポリスの件や、アルテミス、そしてこの先に待つ戦いについての流れや、知識は持っているつもりだ。
だが、この世界に来て、それが明確に役立ったことは無かった。
一介の地球軍のパイロットでしかないラリーには、戦いやその結末を知っていても、それを止める手段も権力も無かった。いっそ、目が覚めたら高官にでもなっていられたらと何度思ったことか。
悲劇的な結末になるとわかっていても、パイロットでしかない自分には何もできない。それに赴く戦友を救うことも叶わずに、何人もを見送ってきた。
自分にできることは、せいぜいそんな絶望的な戦いに対して、覚悟を決めることくらいしかない。それがラリーの本質的な強さだった。
突然訪れた絶望の中でも、ラリーは覚悟を持って戦うことができた。それが戦場での冷静な判断や決断力に直結している。
嫌と言っても、戦わなければならない。
そんな状況でラリーは生きてきた。
未来を知りながら、それを変える力を持たずに、ただ流れに沿うことしかできない。
ならば、生き残ろう。
戦いの中で、多くの戦友の死を目の当たりにして、ラリーは次第にそう考えるようになった。たとえ苦しくても、悲しくても、絶望の中にあったとしても、生き残るために戦う。
生きて、生き延びて、使命を果たすと。
「ねぇ、軍人さん」
ふと、声をかけられてラリーは声の主の方へ顔をあげる。そこに居たのは、赤髪を揺らす少女だった。
「どうしてあの子を庇ったの?」
物語のキーマンでもあるフレイ・アルスターは、ラリーと同じように宙を漂いながら疑念に満ちた目でそう言った。
「はぁ?」
「あの子よ!キラ・ヤマト!コーディネーターの!貴方、地球軍なんでしょ?なんでコーディネーターを庇ったりするのよ。あそこであの子を突き出してれば…」
とぼけるラリーに、フレイは苛立ったようにまくし立てた。
そもそもフレイは、アークエンジェルにいるボーイフレンドのサイや、友人であるミリアリアと引き離された今の状況に不満を持っていたし、何よりコーディネーターを庇うように立ち回ったクラックスのクルーに囲まれて居心地が凄く悪い。
感情的に語るフレイに、ラリーは深々とため息を吐いた。
「お前さん、やっぱりバカだな」
突然投げつけられた言葉に、フレイは呆気に取られた。ラリーは気だるげにしていた体を宙に漂いながら整えて、フレイを見つめる。
「フレイ・アルスター。あんたにとって敵って何だ?」
その目は、フレイの全てを見透かしているようだった。ラリーの深い眼に魅入られ、フレイの体は無意識に強張る。だが、彼女の頑なな考えは変わらなかった。
「それは、プラントに住むコーディネーターが…」
その答えに、ラリーは興味なさげに目を細める。
「そこからそもそも違うんだよ。俺たちの敵はコーディネーターじゃない。プラントだ」
「けど!コーディネーターさえ居なければ、戦争なんて」
「起こってたさ。コーディネーターが存在しなくて、プラントに住むのがナチュラルだったとしても」
この世界に身を置き、この世界を知れば知るほど、その事実が浮き彫りになってくる。事も無げに言うラリーを、フレイは信じられないものを見るような目で見つめる。
その視線に気づいたラリーは、改めてフレイを見た。
「たしかに、コーディネーターが生まれてから、人種的な差別や偏見は根強くなったかもしれない。けれど戦争ってのは、もっとどす黒いモノから生まれてくる。人種差別だとか、至上主義とか、そんなものは戦うための大義名分で、誰かが言い出したものに過ぎん」
人種差別、経済の不振、そして不特定多数による扇動。そのどれかだけでは条件が足りないとも言える。三つの全てが揃い、尚且つそこに政治的な思惑や権力が絡んだ時に、戦争の火種ができる。
「散々地球におんぶに抱っこで、やっとプラントという宇宙の生活圏ができたっていうのに、今度は自由や独立と来たもんだ。それがたまたま、住人がコーディネーターだったって話だ。ナチュラル同士だったとしても、こんな戦争は起こってた。まったく、もっとゆっくりと事を進められんもんかね」
戦場で戦えば、コーディネーターの能力の高さを目の当たりにするものの、彼らが人工的に生み出された存在だからという理由で、憎しみだとか殺意だとかが沸くことはない。そんな思想で戦うのはナチュラル主義者くらいだ。
生き残るため、愛するものを守るため、大切な人を殺された憎しみを晴らすため。そして戦友を守るため。戦場で戦う兵士というのは得てしてそんな存在が多い。
「嘘よ…だってお父様はコーディネーターが…」
フレイが吐き出すようにそう呟いた時、アルテミスが揺れた。
「お、おいなんだってんだよ…!」
避難民の誰かが叫んだ。
この揺れをラリーは予見している。彼は揺れに戸惑うフレイを気にせずに、一人クラックスのブリッジへ急いだ。