魔法殺しの物語、その断片   作:いくらう

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雨音、憂鬱

「今ぁ思うと、ロヅメイグは良かった」「突然どうした、ゼウドよ」ざあざあと言う雨音と淀んだ空の元、ニナゼアの大樹の元で雨宿りする中あまりに唐突に云い出した隻眼詩人の言に、訝しむような視線を彼の横に座り込んだ隻腕剣士は向けた。

 

「雨が降らないんだぜ、あそこは。流れ流れて行くだけで、俺達にはとんと無縁だった」グリンザールへとその隻眼を向ける事も無く、空を見上げるように呟くゼウド。「雨は嫌いか?」グリンザールがそんなゼウドに問うと、詩人は歯を見せて笑った。

 

「大嫌いさ! 湿気るし、濡れるし、何より、誰も俺の詩を聞きに来なくなる! ああ雨雲よ、その意固地なる面の皮を恥じて、すぐに貴き陽に頭を下げたまえ!」云って、ゼウドは東方弦楽器ナーバルドを一度かき鳴らす。グリンザールはその音色を無視して、神妙な面持ちで呟いた。

 

「確かに、濡れるのは俺も歓迎し難い。書や式の材が痛む」「捨てちまえよ、あんなガラクタ」「エニアリスが喜ぶ品だが」「本気にすんなよ」辛辣な隻腕剣士の視線に肩を竦めると、ゼウドは再びナーバルドをかき鳴らした。しかし、ざばざばと言う水の音に阻まれ、平時程の音色が響く事は無い。

 

 その音色を聞いたゼウドは一度ナーバルドの表面を拳で小突くと、溜息を吐いてそれを背の大袋へと仕舞い入れる。そして、胡坐をかいた膝に肘を突き、うんざりとした口調で呟いた。「早く止まないもんかねえ。連日こう雨だと、俺のナーバルドが湿気って音が変わっちまう」

 

「雨の女神にでも祈ってみるかね?」「女神だって?」グリンザールの言葉に、珍しくゼウドは食いついた。その反応に、グリンザールは雨への憂鬱がそうさせたか、あるいは女神と言う点に惹かれたか判断はつかなかったものの、それを意図的に意識の脇に置きその知啓を詳らかにし始める。

 

「ベネトナシュ。泣き叫ぶもの、涙の女神。転じて、豪雨をつかさどるもの。歓迎されぬ雨は、全て彼女の落涙であると云う。そして、雨が止むときは彼女が泣き止んだ時と言われているそうだ」「へえ」グリンザールの言にどこか驚いたような顔でゼウドが笑う。「何だよ、期待してたモンの千倍はロマンチックじゃねえか」「ぬかせ」

 

「……ともかく、彼女の悲しみを晴らす事が出来ればたちどころに雨は止むとラバイアの伝承にはある。試してみるか、ゼウドよ」「……ハ! 悪くねえ。その喧嘩買ってやるよ。ここのまま胡坐かいてるよりは、余程健康的だぜ」

 

 にべも無く云ったグリンザールの姿を、自身への挑戦と受け取ったか。隻眼詩人ゼウドはナーバルドを再び袋から出して構え、本格的な演奏の準備に入る。少し緩んだ弦を調整し口に水を含んでのどを潤した後、彼は降り注ぐ雨音にも負けぬよう、良く通る声で口上を述べた。

 

「ああ、いとおしの涙の女神! 我が名はゼウド! 遥かなる地の底、灰都ロヅメイグより来たった詩人! 汝の涙に一曲捧げたいが故、どうかしばしの間ご清聴願いたい!」彼はナーバルドの弦の上で踊るように指を滑らせ、腹に力を籠め陽気な、しかし退廃的な彼好みの詩を謡おうとした。

 

 瞬間、雨がざっと強くなった。

 

「………………」一節目を諳んじ様とした姿勢のまま、固まったゼウド。それを見たグリンザールは溜息交じりにつぶやく。「……ベネトナシュへの祈祷は、常に女性によって行われる。彼女は多くの場合、男神とのいざこざによって涙を流すからだ。だがまさか、ここまで拒絶されるというのは興味深いな。先ほど『頭を下げろ』と云ったのが良くなかったか」

 

「………………白けちまった」そう云って、不貞腐れたゼウドは肩を落とし、次いで腰を落として再び大樹へと寄りかかった。そして気分を紛らわせようと煙草に火をつけようとしたが、湿気った煙草はそれに応えず、火を灯す事は終ぞなかった。

 

 


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