(これまでのあらすじ)海辺でのバカンスを目論む強欲なる灰都第七図書館長、<赤衣>のエニアリスに下見を命じられた隻腕剣士と隻眼詩人はヴォダク海沿岸の雄大なる砂浜地帯へと向かう。しかしそこには昏き海の底より這いずり出でた五芒星暗黒軟体生物の眷属、<ゴボセ=スタの魔>が潜んでいて……
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「……冷えてきたな」吊るしかけられた濃緑のフォロゼ外套の色彩をより深く染め抜くほどに染み込んだ魔の体液が滴るのを睨みながら、普段は脱ぐことのない巻皮鎧を放り出し、半身に刻まれた呪わしき入れ墨も露わなグリンザールは云った。「日の射す間は灼熱となるこの地は、しかし夜の間は反するように冷気に覆われるという。神話において、それはプギジュを海の底へと追いやった<ロエム・アゥスの双子>の力の残滓と云うが……」
「聞いてねえ、知らねえ、興味もねえ」ゼウドは吐き捨てるように云って薪を焚火に放り込み、立ち上がって海水まみれのロードトック式外套を広げる。砂浜を覆う夜闇の中で焚火に照らされたその髪と肌はけざやかに輝いていたが、一方で彼の眼はうんざりと昏い海のように淀んでいた。「それより、エニアリスにはどう説明すんだよ」
「うむ……」ゼウドの苛立ちを隠さぬ問いに、グリンザールはらしくなく唸って、少し悩むような仕草をする。「もはや、急を要する事態だ。正直に伝えるしかあるまい」「はぁ?」ゼウドは唖然としたような声を上げた。「正気かよ、云った所で日差しにやられたと思われるかサボッたかと疑われるだけだぜ、あんなデカいヒトデ……」「<ゴボセ=スタの魔>だ。【ハルコ=プギジュ】と暗き海の底で渡り合いし【ゴボセ=スタ】の……」「だからデカいヒトデだろうが」
グリンザールの訂正を遮って呆れ果てたと言わんばかりに溜息を吐き、ゼウドは海へと視線を向けた。その先にあったかの呪わしき<ゴボセ=スタの魔>の遺骸はとうに流され、その影も形も消え失せている。「……いっそ黙ってンのはどうだ? あんなバケモノヒトデ、早々出てこねえだろ」「そうもいかん」ゼウドの提案を退けてグリンザールは首を横に振る。
「<ゴボセ=スタの魔>は元より群成す者。おそらくこの周囲にも十や二十では効かん数が居るだろう。俺達が今こうして無事で在るのも、奴らが夕暮れ前の僅かな間しか活動しない故。万一遭遇がもう少し早ければ、俺たちは疾うに奴らの一部となり果てていただろうよ」火に照らされ、幽鬼の如き重々しさを纏いグリンザールは云った。だがゼウドはますます機嫌を損ね、星の瞬く天を仰ぐ。
「あぁ、この
「イヤーハハハ! こいつは傑作だ! もはや与太にしか聞こえぬ現実を、よりにもよってお前が釈明しようてか? これ以上ない笑い話になりそうだぜ! まぁ確かに、お前の一種の詩的感覚は時に詩人たるこの俺をも上回るが――――」ゼウドは歯切れの悪い隻腕剣士の言を鼻で笑い、そしてその悪辣なる弁舌で以って彼の愚かさを嘲ったが、その最中で浜に浮いた冷風を浴び体を震わせると、無事だった僅かな布をかき集めグリンザールに背を向けて横になった。「…………道中なんて言わず、今のうちから考えとくのをお勧めするぜ、竜の仔」
それきりゼウドは黙して語ることなく、その場には薪の弾ける音と繰り返される潮の満ち引き、そして眉間に皺を寄せたグリンザールが残された。揺れる炎に照らされた隻腕剣士もまた、しばらくの間黙りこくり難しい顔でゼウドの背を見つめていたが…………その内額に手をやって、かの強欲にして悪辣なる図書館長に向ける詭弁の内容を誂え始める。
彼の姿を天より見下ろし笑う暗黒の星々が地平線へと去るまでは、どうやら、まだ当分かかりそうであった。
【嘲る五芒】 了