アイドルの世界に転生したようです。   作:朝霞リョウマ

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久しぶりに良太郎不在です。


Lesson172 Be forced!! 4

 

 

 

「ふふふーん、ふふふーん」

 

「………………」

 

 衣装への着替えを終え、椅子に座って待機をしながら、視線は何となく楓さんに吸い寄せられていた。先ほどからずっと団扇にサインをし続けている彼女だが、その作業量とは裏腹にとても楽しそうに鼻歌を歌っていた。

 

 そんな楓さんの後姿を見ながら、私は事務所で流れている噂の話を思い出した。

 

 

 

 ――そーいえばさ、楓さんのこと、事務所でチョー噂になってたよね?

 

 

 

 私がそれを知ったきっかけは、良太郎さんとりんさんが常務のところへ行き、さらに志希さんも居なくなった後に発せられた莉嘉のそんな一言。

 

 曰く『高垣楓が常務から直々に言い渡された大きな仕事を断った』とのこと。

 

 なんでも、常務は今日ここの仕事を別のアイドルに任せて楓さんに別の大きな仕事をさせようとしていたらしいのだが、楓さんはそれを一蹴したらしいのだ。

 

 一体どういう経緯で、そして一体どういう状況でそんなことになったのかは分からない。ただ、楓さんも楓さんなりに常務に対抗しようとしていた、ということなのだろうか。

 

 同じ事務所に在籍する『周藤良太郎と同格』の存在、と考えればそれも可能なのかもしれないが……。

 

「……あっ!」

 

「「「っ!」」」

 

 突然大声を出した楓さんに、私たち三人は思わず身構え――。

 

 

 

「どの柔軟剤を使うかは、私の自由なんじゃい(じゅうなんざい)

 

「「「………………」」」

 

 

 

 ――そのまま一気に脱力した。

 

「やっと思い付いたわ~」

 

 どうやらサインを書きながらそれをずっと考えていたらしく、まるで喉に刺さっていた魚の小骨が取れたかのような爽快感を醸し出す楓さん。失礼と分かっていながらも思わずため息を吐かざるを得なかった。

 

「……え、えっと、本番前だっていうのに、凄いリラックスしてますね……!」

 

 健気にも「流石楓さん……!」と好意的に解釈しようとしている卯月。しかし「流石にそれは無理があるよ」と未央と二人で首を横に振った。

 

 

 

 

 

 

 それが起きたのは、私たちがステージでエボレボ(できたて Evo! Revo! Generation!)を披露し終え、お客さんの歓声を浴びながら舞台裏に戻って来たときのことだった。

 

 自分たちのステージの成功に三人でハイタッチを決め、プロデューサーからも「良いステージでした」という評価を貰っていると、スタッフの一人が慌てた様子で駆け寄って来た。

 

「すみません! 手を貸してもらえますか!?」

 

 なんでも、先ほど楓さんがサインを書いていた団扇を配布する予定だったらしいのだが、配布場所にファンが大勢詰めかけてしまったらしいのだ。関係者以外立ち入り禁止区域を遮る幕の隙間から外を覗いてみると、確かに大勢のファンがごった返していた。テレビで見るような暴言飛び交う混乱とまではいかないが、少々ピリついた空気が流れているのは感じ取れた。

 

「整理券などは……?」

 

 プロデューサーがスタッフに尋ねると、彼は「配布済みです」と頷いた。

 

「ですが、団扇の数が少ないんじゃないかと思ったファンの方が詰めかけてしまって……」

 

 それでこの有様と。

 

 ふと、以前言っていた良太郎さんの言葉を思い出し――。

 

 

 

『アイドルのイベントに混乱は付き物だからねぇ。物販に並ぶ深夜組がいたり、始発組が駅構内を全力で走ったり……』

 

 

 

 ――たけど、色々とマズいので思い出すのを止める。

 

 しかし、このままでは確かに混乱が大きくなって思わぬアクシデントの元になる可能性が高い。

 

「分かりました、私も列の整理に……」

 

 そう言ってプロデューサーが頷いたそのとき、表のファンのどよめきが聞こえてきた。

 

 慌ててみんなで再び外を覗くと、そこには楽屋にいたときと同じ私服姿の楓さんがファンの前に立っていた。

 

 当然の高垣楓の登場に当然ファンたちはざわつき、スタッフも慌てて「まだ列の整理が出来ていないので……!」と楓さんを止めようとするが、逆に楓さんはそれを笑顔で制する。

 

 そして拡声器を使って、ファンのみんなに呼びかけ始めた。

 

『みなさーんっ。ちゃんと並ばないと危ないですよー? 団扇、沢山用意したので『押さない』『駆けない』『喋らない』の、()()()を守って並んでくださーいっ』

 

「それ避難訓練だよー!?」

 

『あらぁ? それじゃあ、お喋りはオッケーでーすっ』

 

 そんなやり取りに、ファンから笑い声があふれ始める。それまでピリついていた空気が一気に弛緩していくのが分かった。

 

「凄い……」

 

 これが、トップアイドルがファンに与える影響力……ってことでいいのかな……。

 

 

 

 そんな騒動の後、私たちも何かお手伝いをしたいということで、ファンのみんなへの団扇の手渡しをお手伝いすることになったのだが……。

 

「………………えっ」

 

 私が受け持つ列に、団扇を貰いに来た一人の女性。室内だというのに大きなサングラス、そして『I(ハート)KAEDE』と書かれたTシャツ姿の女性に、何処か見覚えがあった。

 

 

 

 ――というか、ウチの事務所の常務その人だった。

 

 

 

「……え、えっと……ど、どうしたんですか、常――」

 

「私は常務ではない」

 

「いや、何処からどう見ても常――」

 

「私は何処にでもいる高垣楓ファンの一人だ」

 

「いや、だから――」

 

「名前は……そう、葛木(くずき)メディア」

 

「時間無いんだからネタの重ね掛けやめてくれませんかね?」

 

 この人、良太郎さんと別ベクトルで面倒くさいぞ!?

 

 何とか取り繕おうとしているが、いくらメイクを薄くして髪型を少し弄っていたとしても、見紛うこと無き常務だった。

 

 状況の理解は全く追いついていないが、とりあえずこの列に並んでいるということは楓さんのサイン入り団扇を貰いに来たということでいいのだろう。

 

 団扇を手渡すと、彼女は「ありがとう」と言って受け取ってくれた。

 

「先ほどの君たちのステージも、素晴らしかった。今後の活躍に期待しているよ」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 しかも前座の私に対する応援も欠かさない出来たファンっぷりである。

 

 しっかりと握手を交わしてから彼女は颯爽と、それこそ一会社の重役らしくその場を立ち去って行った。スーツ姿ならば様になっただろうが、恰好がそこら辺にいるアイドルファンと全く同じなので色々と締まらなかった。

 

 

 

 

 

 

「……っていうことがあったんだけど……」

 

「……えぇ……?」

 

「……えっと……」

 

 無事に全員に団扇を渡し終えてステージ裏に戻って来たのだが、つい先ほどあったらしい出来事をしぶりんから聞いて思わず頬が引き攣った。隣で一緒に聞いていたしまむーもコメントに困っていた。

 

「……えっと、ちょっと待って待って。百歩譲って常務が楓さんのファンだとするよ?」

 

 自分で言いながらその前提も色々とおかしかったが、この際置いておく。

 

「じゃあなんで、常務は楓さんに別の仕事を持ってきたの? それだけファンなら、今日ここのステージは楓さんにとって大事なところだって知ってるはずなのに……」

 

「……だよね」

 

「ど、どういうことなんでしょう……?」

 

 当然しぶりんとしまむーに分かるわけがないと分かりつつも、疑問に抱かずを得ない。

 

「三人とも、どうしたの?」

 

「か、楓さん……!?」

 

 私たち三人が首を傾げていると、楓さんがそう声をかけてきた。既にステージ衣装に着替えた楓さんは、肩を大きく出した緑色のドレスを身に纏っていた。

 

「……楓さん、常務の話を蹴ったっていう噂は本当なんですか?」

 

 意を決した様子で、しぶりんが直接楓さんに問いかけた。

 

「え?」

 

「事務所で噂になってるんです。楓さんが常務から持ち掛けられた大きな仕事を断って、今日ここのイベントに来たって……」

 

「……そんな噂になってたの……」

 

 楓さんは少し困ったように頬に手を当てた。

 

「確かに、このイベントじゃなくて別の大きな仕事に行くように言われたわ」

 

「だったらどうして常務は……!」

 

「でも、私は仕事を断っていないわ」

 

「……えっ?」

 

 

 

「だって、美城常務の方からその仕事を取り下げてくれたんだもの」

 

「「「……え、えええぇぇぇ!?」」」

 

 

 

 ――どうだ、君にとっても悪い話ではないだろう?

 

 ――折角ですが、その話、お受けできません。

 

 ――何故だ? こんな小さな仕事より、大きな成果を出せる仕事だぞ?

 

 ――お仕事に大きいも小さいもありません。今回のライブは私にとって大切な場所でのお仕事です。

 

 ――何……? 大切な場所……?

 

 ――ですから……。

 

 ――ちょっと待ちたまえ。

 

 ――えっ。

 

 ――……しまった……日付を間違えている……!?

 

 ――……え、えっと……。

 

 ――……い、いいだろう。こちらの仕事は別のアイドルに任せるとして、君はそちらの仕事に全力で取り組みたまえ。うむ、ファンを大事にするのも大切だからなっ!

 

 

 

「……ということなの」

 

「「「え、えぇ~……?」」」

 

 楓さんの口から明かされた衝撃の真相に、思わず脱力してしまった。何だろうか、この常務から段々と滲み始めたポンコツ具合は……。

 

「か、楓さんの大切なステージの方を優先してくれるなんて、優しいんですね、常務さん!」

 

「……でも、だったらどうして、こんな……」

 

 しぶりんはそこで言葉を区切ったが、言いたいことは分かった。

 

 ならどうして、常務は今回の改変を進めているのだろうか。アイドルのファンの気持ちを分かっているし、何よりファンを想うアイドルの想いすら汲んでくれている。

 

 なのに、どうして……!?

 

「……私も、今回の美城常務の改変に手放しで賛成しているわけじゃないわ」

 

 きっと私たちが何に対して燻っているのかを悟ってくれた楓さんが口を開いた。

 

「デビューが延期になったり、普段と違う仕事を強いられたり、頑張って来たユニットを解散させられたり……それでも――」

 

 

 

 ――ファンのことを蔑ろにしない人に、悪い人はいないと思うの。

 

 

 

「勿論、だからといってアイドルのみんなを蔑ろにするのはよくないわ。私だってそこには反対。でも、事務所の中の騒動ばかりに気を取られてたら、逆に私たちがファンのみんなのことを忘れちゃうわ」

 

「「「………………」」」

 

 

 

「だから……これが本当の、内輪(団扇)揉めっ」

 

 

 

「「「………………」」」

 

 数行前とは全く別の沈黙に私たち三人は包まれた。い、イイハナシダッタノニナー……。

 

 「いってきまーす」と明るく手を振りながらステージへと向かう楓さんの背中を見送りながら、私たちは先ほどの話を振り返る。

 

「……どうしてここで団扇だったんでしょうか……」

 

「ヤメテしまむー、もうちょっとなんだからシリアス継続して」

 

 私たちは、かれんとかみやんの話を聞いて、常務に対して憤りを感じた。でも、楓さんの話を聞いて、それがよく分からなくなった。

 

「……多分違う」

 

 

 

 ――きっと、どっちも正しいんだよ。

 

 

 

 しぶりんはそう言った。

 

「だから……私たちは私たちの道を進もう。どっちも間違ってないなら、私たちの道の方が()()()()()()()()んだって、証明してみせよう」

 

「……うんっ!」

 

「はいっ!」

 

 舞台裏から楓さんのステージを眺めながら、私たちは決意する。

 

 

 

 美城常務、貴女の改変は、もしかしたら正しいのかもしれないけど……私たちの方がもっともっと凄いんだってこと、見せつけてやる!

 

 

 




・「どの柔軟剤を使うかは、私の自由なんじゃい(じゅうなんざい)
アニメ15話でブツブツと「柔軟剤……柔軟剤……」と呟いていた楓さん。
駄洒落を考えていたようにも見えますが、実は本当に柔軟剤を買うのを忘れないようにしてただけかもしれませんね(楓さんならありそう)

・『物販を並ぶ深夜組がいたり、始発組が駅構内を全力で走ったり……』
作者? 自分、物販にはそれほど執着しない派なので……(基本的にパンフしか買わない)
そもそも楓さんグッズが少ないのg(ry

・『押さない』『駆けない』『喋らない』
なにやら5th静岡公演後の愛野駅にて粋な計らいがあったそうで。

・――というか、ウチの事務所の常務その人だった。
感想でモロバレしてたけど、まぁこうなるよね(開き直り)

・葛木メディア
「くれぐれも聖杯の事は任せるわ~佐々木~!」

・「だって、美城常務の方からその仕事を取り下げてくれたんだもの」
・――……しまった……日付を間違えている……!?
美城常務、ここで痛恨のミスっ!



 美城常務? あぁ、この小説だと当然ネタキャラだから(無慈悲)

 美城常務の行動が不安定なようにも見えますが、Lesson167の常務の発言と合わせて考えていただければ、それが一貫していることが分かってもらえるかと。

 そんなわけで、長く続いたアニメ十五話編ようやく終了です。次回からウサミン回およびなつきち回が始まるわけですが、番外編を挟ませていただきます。最近多いけど気にしない。

 それでは次週、人によってはさいたまスーパーアリーナでお会いしましょう!

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