「……あれ……?」
「お」
ベッドの上でスヤスヤと寝息を立てていた眠り姫が、どうやら目を覚ましたようだ。文学系美女の寝顔を眺めるというハイパー役得タイムは終わりを迎えてしまったようだ。次の機会をお楽しみにしたい。
「……え……私……?」
ベッドの上で体を起こしながら困惑した表情を浮かべる文香ちゃん。まぁ本人的にはつい先ほどまでステージに立つ準備をしていたつもりなのだろうから、自分がいきなりベッドで寝ている今の状況に追いつけていないのだろう。
「気分はどう? 気持ち悪くない?」
「す、周藤さん……? えっと……は、はい……」
そもそも何故俺がここにいるのかが分かっていない文香ちゃんは、質問に答えながらも首を傾げていた。
「あの、私、どうして……」
「覚えてない?」
「……私の出番が近づいてきて……橘さんと一緒にステージの裏で待機してて……それで……」
口に出していく内に段々と思い出してきたようで、少し良くなっていた顔色が再びサァッと青ざめ始めた。
「っ、わ、私、その……も、もう大丈夫です! 今すぐ……」
「今すぐ、君は横にならなきゃね」
ベッドから降りようとした文香ちゃんの肩を押さえる。そのまま軽くトンッと押すと、彼女の体は再びベッドの上に倒れこんだ。
「で、でも……!」
「大丈夫……ほら」
チョイチョイと壁に設置されているモニターを指さす。
「あれは……渋谷さんたち……?」
そこに映っているのは、文香ちゃんの代わりにステージに立つことになった凛ちゃんと奈緒ちゃんと加蓮ちゃん。
『Triad Primus』のデビュー曲『
「うんうん、いい感じだ」
始まってすぐは少しだけ緊張の影が見えていたけど、それも歌っていく内に鳴りを潜め、今ではステージに立っていることを楽しんでいるように見える。『ステージを楽しむ』というのは、誰もが口にするがなかなか難しい。それが出来るのは……彼女たちが
……とっくの昔に、自分の翼で羽ばたいてたんだなぁ。
「もしかして、私の代わりに……?」
「……まぁ、こういうハプニングは別に珍しいことじゃないさ。例えば――」
「えっと、鷺沢さんの調子が悪くなったと聞いたんですけど……」
「――シンデレラプロジェクトの美波ちゃんは、折角俺が無理しないでってアドバイスしたのに本番前に色々やりすぎた結果、熱出してステージに立てなくなったこともあったし」
「はぐぅっ!?」
「おや?」
何やら可愛らしい呻き声が救護室の入り口から聞こえてきたのでそちらに視線を向けると、何故か美波ちゃんがプルプルとステージ衣装のままその場に蹲っていた。
「どうしたの美波ちゃん、君も体調不良? それともステージが終わって気が抜けちゃった?」
とりあえず、衣装のままで床に座り込むのはあんまりよろしくないんじゃないかな。
「い、いえ……鷺沢さんが倒れたと聞いて、心配になって様子を見に来たんです……」
「あれ、君たち知り合いだったの?」
「はい、アーニャちゃん経由で……」
成程、そっちの繋がりね。
「そ、それで、あの……先ほどは一体、何の話を……?」
「ん? あぁ、大したことじゃないよ。夏フェスのときの美波ちゃんみたいに、アイドルが直前になって体調不良になるハプニングは珍しいわけじゃないよっていう話をしてただけだから。ましてや緊張を誤魔化そうとして余計なことをし続けた美波ちゃんと違って、文香ちゃんはただ緊張してしまっただけだからマシだよって言おうとしてたんだ」
「かはぁっ!?」
再びその場で膝から崩れ落ちた美波ちゃん。
うん、二回目はわざと言ったけど……なんだろう、涙目になって床に手をつく美波ちゃんを見てると……こう、少しだけゾクゾクする。
「まぁそれは置いておいて」
「……い、いいんですか……?」
俺と美波ちゃんの間で視線を彷徨わせながらオロオロする文香ちゃん。美波ちゃんも「うぅ……そうですよ……私が悪いんですよ……」と呟きながら立ち上がったのを横目で見つつ、文香ちゃんのベッドの横に置いてあるパイプ椅子に座り直す。
「もしかして文香ちゃんはスケジュールが狂ったことに対して罪悪感を抱いてるかもしれないけど、今は深く気にしなくていい。本当にこれはしょうがないことだ」
体調管理もアイドルの仕事とはいえ、これは文香ちゃんの性格と気持ちの問題だ。それを管理出来るようになってしまうと、それはもうディストピアの誕生である。アンチスパイラルかな?
「しいて言うならこれは『大人側』の問題だ」
「大人……では、私は子どもなのですか……?」
「……うん」
「良太郎さん、今視線が文香ちゃんの顔から下に向きませんでした?」
べ、別に『この胸で子どもはねぇな』とか思ってないよ?
「子どもというか、被保護者とか……俺とか舞さんとかが勝手に言ってるだけだけどね」
「……福山舞さんが、ですか……?」
「そっちじゃなく」
彼女にはあんな風にならずに素直なまま成長してもらいたい。名前が同じだからなんて下らない理由であんなことになってしまったら不憫でしょうがない。
文香ちゃんが美波ちゃんから『今から十五年ほど前に日高舞という伝説のアイドルがいた』という説明を受けている間、壁のモニターでは凛ちゃんたちがステージを降りるところだった。
話しながらでたまに余所見もしてたが、特に目立ったミスもなく、初ステージは成功と言っても問題ないだろう。反省点を指摘するのはまた後日だ。
次にステージに上がるのは……プロジェクトクローネの顔と言っても過言ではない五人……『LiPPS』の『Tulip』だ。
イントロが流れ始め、彼女たちの登場と同時に一気に沸き立つ観客席。先程よりも黄色い声が多い辺り、彼女たちの女性人気の高さが窺える。
「……彼女たちが終われば、次は橘さん。そして……文香ちゃん、君だ」
「………………」
「無理しなくてもいい。でも、これだけは知っていてほしい」
自身の膝の上に置かれていた文香ちゃんの手にそっと触れる。
「君の歌を聴くために来た観客がここにもいる。……君の歌を、聞かせてほしい」
「……はい」
「それじゃあ、まず顔を上げて」
「……はい」
「髪を整えて」
「はい」
「にっこり笑って」
「……こ、こうですか?」
「そこで胸を寄せて」
「はい……はい?」
「……良太郎さん?」
軽いジョークだよジョーク。
ジト目で俺を睨みながら、何故か自身が少しだけ胸を寄せるポーズをする美波ちゃん。そんな俺たちを見てクスクスと笑う文香ちゃん。
……どうやら、彼女は歌えそうだ。
「……とまぁ、そんな経緯です」
「……そうか」
文香ちゃんに付き添って舞台裏に戻ってくると、丁度美城さんが武内さんに事情の説明を求めているところだったので、武内さんから俺にバトンタッチ。
舞台裏にも設置されているモニターには、やや表情は固いもののしっかりと自分の持ち歌である『Bright Blue』を歌い上げる文香ちゃんの姿が映っている。ややメンタルやフィジカルに難がある彼女であるが、美城さんが見込んだアイドルとしての素質は間違いなかったようだ。
「武内さんの判断は間違ってないですし、それは俺が提言したことでもあります。寧ろ咎められるとしたら、他事務所の俺で……」
「……いや、君も彼も咎めるつもりはない。今回の一件は、君が言うように段階を跳ばしすぎた私の責任だ。……すまなかった」
いつもより少し強く眉根を寄せながら、美城さんは謝罪の言葉を口にした。
「……ただ、間違っていたのはそれだけだ。私は、私の理想とするアイドルは……『Project:Krone』は間違っていない」
そう言って俺に視線を向けてくる美城さん。その表情は既にいつもの屹然としたもので……それでいて、同意を求める子どものそれにも見えた。
「………………」
俺はその問いかけに答えず、モニターへと視線を戻す。歌い終わった文香ちゃんが深く一礼をすると、歓声が沸き上がった。ここにまた一人、アイドルの誕生だ。
この後はクローネメンバーによるMCが入り……その後は、いよいよ彼女たちの全体曲。
「……それを決めるのが誰か……貴女も知っているでしょう?」
――決めるのはいつだって、それを受け止めるファンのみんなだ。
その曲はシンデレラプロジェクトの『GOIN'!!!』のようにファンを盛り上げる曲ではない。
それはファンに
そこに立っているアイドルたちがどういう存在なのかを知らしめるための曲。
例えそこにどんな事情が孕んでいたとしても……彼女たちは選ばれた『お姫様』で。
その曲は彼女たちが選ばれた存在であることを示すためもの。
冠されたその名は――。
――『
さて、今回の事の顛末という名のオチを語ることにしよう。
初お披露目となったクローネの『Absolute』は、見事にファンたちを魅了し尽くして大成功に終わった。曲が終わった直後の一瞬の静寂からの大歓声は、裏で見てた俺たちにも直接振動となって届いたほどである。
勿論クローネだけでなく、シンデレラプロジェクトのみんなも大成功と言っていい結果であり、それを聞きに来た武内さんに対し美城さんが「……私の口から言うまでもないだろう」と返したほどだ。これでシンデレラプロジェクトの一次審査は無事に突破となり……いよいよ、次は『シンデレラの舞踏会』になる。
公演終了後、舞台裏のスタッフに交じってアイドルたちを出迎えたところ、俺に気づいたみりあちゃんが莉嘉ちゃんを伴って突撃してきて「何か頑張ったご褒美ちょーだい!」とねだってきた。そしてこんなこともあろうかと頼んでおいた『身内特権! 必殺翠屋デリバリー!』によって恭也が届けてくれたシュークリームを全員に振舞った。あらかじめ桃子さんたちに話をつけ、さらに前日の仕込みを手伝った甲斐があるというものだ。
そしてそのまま打ち上げへ……と普段ならばいくところだが、生憎未成年が多い彼女たちをこれ以上拘束するわけにはいかない、というかそんなことをしようとするスタッフは俺が許さない。なので打ち上げは後日となり……アイドルのみんなは、そのまま帰路に付くことになった。
「……ふふっ、二人ともグッスリですね」
「疲れたんだろうね」
家が同じ方向で知り合いだからという理由で、俺は凛ちゃんとみりあちゃんと文香ちゃんの送迎を申し出た。そして助手席に凛ちゃん、後部座席にみりあちゃんと文香ちゃんを乗せたのだが、出発して早々みりあちゃんが文香ちゃんの膝を枕にして眠ってしまい、凛ちゃんも気が付けば寝息を立てていた。
「文香ちゃんは大丈夫?」
「はい……今日は本当にありがとうございます」
「なんのなんの。女の子を乗せて車を走らせるとか男の本懐で……」
「……今日の全部に、です」
「……そうだね、その感謝の言葉は素直に受け取っておくよ」
その後はしばらく車内には沈黙が流れる。けれどすぐに文香ちゃんの家に着いたため、その沈黙も終わる。
「今日はお疲れさま、文香ちゃん」
「お疲れ様です……周藤さん」
起こさないようにみりあちゃんをそっと膝から下して車から降りる文香ちゃん。俺もハザードを点けて車を停め、外に出て彼女を見送る。
「……お、見て見て文香ちゃん。満月」
やたら明るいと思ったら、見上げたそこには丸く光るお月様。
「………………」
そんな月を見上げながら、文香ちゃんは腕を月に伸ばしていた。大人っぽい雰囲気の彼女にしては子どもっぽいその仕草が、何故だかとても神秘的に感じた。
「……
こんな文学美少女と二人で満月を見上げるシチュエーションに一人静かに感動していると、文香ちゃんに名前で呼ばれた。何気に初めてのことである。
「なに?」
「……あの」
「『意を決した少女は口を開く』……」
「こんにちわー! 文香さーん!」
「っ! ……いらっしゃい、はやてちゃん」
「いやーこの間のライブ、凄かったです! 招待してくれてありがとうございました! ……ん? 何ですか、それ」
「これは……その……」
「……はっ!? まさか文香さんの自作小説!?」
「……少しだけ気になった小説の一文を、書き出しただけですよ」
――この気持ちは、きっと恋じゃない。
――だって。
――叶わないと知っていても……こんなに心が温かいのだから。
・『Trancing Pulse』
トラプリの初ユニット曲。アニメで初めて聞いた時の衝撃は今も忘れられない。
……あの衣装、デレステでも3Dモデルあったらよかったのに……。
・アンチスパイラル
ディストピアで思いついたのがコレかフレッシュプリキュアのアレだった。
・「私の責任だ。……すまなかった」
ここの常務は自分の非をちゃんと認められるいい子。
・『Absolute』
クローネ全体のオリジナル曲。相変わらず作者のネーミングセンスが(ry
なお似たような曲は元々あるけど、これしか思いつかなかったんや……!
・『身内特権! 必殺翠屋デリバリー!』
※Lesson06ぶり二度目
・この気持ちは、きっと恋じゃない。
実は最初はガチ告白させる予定だったのですが……そのあと色々とマズいことにしかならない展開しか思いつかなかったので没に。
ふみふみガチ告白未遂。実は良太郎の相手は、こういう大人しい子の方がいいのかもしてない。
……さてと。いよいよこの時が来ましたね……来ちゃいました。第五章最大の山場です。
次回『島村卯月』編スタート。
『どうでもいい小話』
フェス限奈緒 & 月末加蓮
無事お迎え完了!
また後日ツイッターにてお迎え記念短編を上げますので、そちらもよろしくお願いします。