魔理沙は最近地蔵や祠、神社に手を合わせるがその度に少女が同じように手を合わせる姿が想起される。
何も考えずに祈った。
この幻想郷に教会があったのなら、私の祈りは日曜日の朝に通い詰めるようなそれに似ていた。不安や痛みを感じるわけでもない。
ただ、何時からか地蔵や祠を見かけると立ち止まっては手を合わせたりなんぞするようになった。
その度にふと、あいつのことを思い出しては自分の行為に、自分の心に耳を傾けるきっかけとなる。人間の弱さをこのような自分でも持っていたのかと嘲笑したりするのだ。
「大変熱心で信心深い」
森に入るとどうも守矢神社のことを思い出して振り返ってしまう。何か忘れ物をしたような顔をしてなるべく誰も居ない時に手を合わせた。気が向かないときには暫く建物を眺めて満足した。
じわりと汗が吹き出した。
部屋に入ったとき、夏の癖に妙にひんやりとしていると思ったのは間違いだったか。つるつるとした感触を指の腹に感じて、熱を発しているのは畳ではなく私だと思い直した。
「いや」
汗を拭う。
目の前の早苗が微笑んだが、私は目を伏せた。
「私は信仰なんぞしてない」
「何が違うんです?魔理沙さんは森に入る度にここへ来ては手を合わせていくじゃないですか」
「そうか、なら」
暑さのせいにしておきたい。
この頭が回らないこと。
「信者じゃないってことにしてくれ。信仰はしてる。外の世界じゃ神の存在を信じるだけで信仰してることになるらしいからな」
「残念ですね」
そうは言いながらも早苗は笑った。
そう言われるのが分かっていたのか、それともやはり信心深いことには変わりないと思っているのか。
しかし、私の心持ちとしては、笑うようなことでもなく、石を投げ続けた行為を咎められた気分だった。
「博麗神社では手は合わせないのですか?」
「博麗神社は……私にとって神社というより霊夢の家だからな」
「確かに」
言っておきながらしかし、それも違うだろうと思った。私が手を合わせるのは年寄り臭くなってきただけのことだ。いつか死ぬのだ、と意識するからなんだ。
霊夢と一緒に森を歩くとき、霊夢が地蔵や祠を見つけて無意識に歩み寄っては手を合わせる姿を見て、それはなんだ、と思った。霊夢の祈りはいつか死ぬということを恐れ行う行為ではないと、私は分かっていたからそれはなんだ、と言った。
「祈りよ」
霊夢は言った。
「別に何も考えてなんかいないわよ」
それきり何も言わずにまた歩き始める霊夢を見てそうか、ともそうなんだな、とも言えなかった。私が今まで霊夢に抱いてきた気持ちが、霊夢の祈りに似ていると思ったのはその時だった。
博麗神社で手を合わせないのは、私が祈るべきものが他にあるからではないだろうか。
「死ぬのは怖いですか」
唐突に聞かれた。
いつの間にか暑さが和らいでいる。気分を変えるためか、早苗が冷たい麦茶を硝子茶碗に淹れて持ってきた。珍しく私はほとんど黙っているし、早苗は聖母のように微笑み続けた。
「怖いだろ、普通」
「ええ。ですから宗教があるんです」
渡された茶碗を包むように持った。
「綺麗だな、これ」
「私も好きです」
早苗が自分の硝子茶碗を手に取って言った。短く終わった会話だが、なんとなく印象に残る。
微笑んだままの早苗の斜めを向いた顔が、硝子茶碗よりも美しかった。人間が死ぬのを恐れたから宗教がある。祈りはその宗教より長い歴史を持っている。
「魔理沙さんが手を合わせるのは死を恐れるようになったからでしょう。神奈子様や諏訪子様を信仰してるわけじゃない。里の人も“恐れ”で信仰してるだけですよ」
分かったようなことを、と言う。
ええ、まあ。早苗はそれだけ言った。
「私は元々怖かったんだ」
「ええ」
またそんな返事をした。
返事というより、そうですね、私もそうですからと言っているようにも感じられた。
硝子茶碗の麦茶を一気に呷って飲み込む。冷たくて気持ちいい。滲んだ汗を拭って立ち上がった。
「ていうことで、私は信者にはならないからな」
「ええ」
私は微笑んだ。
守矢神社を出て夕日を浴びた。空を飛んでいくのは気持ちいい。早苗にはああ言ったが、信者になるのも悪くないと思った。教会がないのなら、神社で祈ればいい。
霊夢のように祈ったりは出来ないが。
けれど、霊夢も何も考えずに祈っているわけではないと思う。無意識に恐れを抱いている。敬意を持っている。
何も考えずに祈るなんて、嘘だ。
見下ろした神社に霊夢の姿が見えた。私は言い様のない気持ちを抱くことになる。祠に手を合わせる霊夢の横顔が今日の早苗の顔と重なった。
「なあ、霊夢」
降りかかった声に霊夢が上を向いた。
「魔理沙」
驚いたような声で霊夢が答える。
「森を歩こう」
霊夢はほんの少しの思案顔のあと、ほんのり頬を綻ばせ頷いた。
「何にでも手を合わせたりしたら駄目よ」
「それは霊夢も」
「あら、私のは」
私の行為が信仰ならば、霊夢のは祈りだ。
「祈りよ」