隣のほうから来ました   作:にせラビア

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LEVEL:20 過ちと償い

「冷静に考えると、これはちょっと無謀だったかもしれないわね」

 

延々と続く階段を見ながらチルノが呟いた。

 

地底魔城――ホルキア大陸の中央付近にある死火山を地下深く掘り進む形で作られており、かつての大戦時には魔王ハドラーの居城でもあった場所である。

ここはその地底魔城へと続く螺旋階段。死火山の火口に向けて下っていくように階段が設置されており、その奥底には、地底魔城へ抜けるための地下迷宮への洞窟があるはずである。

あえてはず、という表現をしたのは、というのも火口への道は底が見えないほどに深く、空から差し込む陽光のおかげでどうにか奥へ――おそらくあれが地底魔城へと続く洞窟へ通じているのだろう――と繋がる横穴が確認できる程度だ。

本来ならば、この大陸はおろかデルムリン島の外に出たことすら皆無と言っていいチルノが、如何に知識があろうとも土地勘のない彼女がこの場所まで迷うことなく無事に着くことなど、普通なら出来るはずもない。

だが、サイトロの魔法によって地理を把握することの可能な彼女には問題はなかった。

そして、この長く続く階段を下りて行き、地底魔城へと潜入。余計な敵と出会うことなくヒュンケルと接触して説得した後に、速やかに退散――これがチルノが今から実施しようとしている行動予定である。

 

「敵陣へ単騎で潜入工作。そういう作品は好きだけれど、実際にやるとなると、想像以上に神経をすり減らしそう……」

「ピィ!!」

「ふふ、ごめんごめん。一人じゃなかったわね」

 

足元から聞こえてきた抗議の声を耳にして、チルノは軽い調子で謝る。その言葉に満足したようにスラリンがぴょんと軽く飛び跳ねて自己の存在を主張した。彼もまた、チルノの単騎潜入に無理を言って着いてきていたのだ。離れていた期間で寂しさが募ったのか、スラリンは何かにつけて彼女と一緒にいたがる。

 

「いい、スラリン。もう一度おさらいよ」

 

スラリンに言い聞かせるように、それでいて自分でも確認する意味を込めて口にする。

 

「私たちはこれから、不死騎団の居城である地底魔城へと侵入します。その時はインビジの魔法を使用して姿を隠すから、警護しているはずの不死騎団のモンスターたちにはまず見つからない。安心して」

「ピィ」

「まず目指すは、隠し部屋にある魂の貝殻ね。あれがあれば、バルトスのメッセージをヒュンケルに届けることができる。彼の説得をするのに最重要のアイテムだから第一に確保ね」

「ピィ……?」

 

疑問の声がスラリンから上がる。最初に聞いていた話では、潜入してヒュンケルに直接会って話を聞くということだったはずだ。それがここにきて隠し部屋やら魂の貝殻など、聞いたこともない単語が飛び出してくるの。だがそんなスラリンの疑問に気付くことなく、チルノは次に続く。

 

「あと、ハドラーが地底魔城に来るはずだから、鉢合わせになる可能性があるの。ヒュンケルは、お父さんの教えもあるから私は殺さないだろうけれど、ハドラーは要注意。絶対に合わないようにしないと」

「ピィピィ!」

「え、どうしてそんなことまで知っているのか? ……って? ああ、そっか。スラリンは知らないんだっけ」

 

チルノはスラリンを掬い上げるようにして両手の上に持ち、視線を自身の顔と同じ高さまで合わせると、声を潜めて言う。

 

「実は、私にはちょっとした秘密があってね。未来のことを良く知っているの。だから、これは未来の知識。確実な知識じゃないけれどね」

「ピィ~……?」

「うんうん、すぐに信じられないのは当然だから。だから、道すがら話してあげるわ。ヒュンケルの過去に何があったのかを。それを本人と答え合わせすれば、証明になるでしょう?」

 

二人の歩幅が違う上に、道には高低差もある。スライムの移動方法でこの階段を突破するのは辛いだろうと思ったチルノはスラリンを肩に乗せる。スラリンも肩に乗るのは慣れたものか、自身の体をうまく動かしてそう簡単には落ちないようにしがみ付いている。

 

「それじゃあ、行くわよ」

「ピィ」

 

そう言うと螺旋階段を降りていく。気の遠くなりそうなくらい段数の多い階段だ。おかげで、途中でスラリンを相手に事情を説明する時間はお釣りが来るくらいたっぷりとある。

 

「早速だけど、ヒュンケルのことについて教えてあげる」

 

さて何から話したものかと思うが、結論を言ってしまった方が話も早いだろうと考えて、チルノはそう切り出した。

 

「ヒュンケルはね、モンスターに育てられたの」

「ピッ!? ピィピィ!」

「そう、私やダイと同じね。でも彼の場合、拾われたのはハドラーが暴れていた時期で、拾ったのは旧魔王軍最強のモンスターだった地獄の騎士バルトス」

 

余談ながら、アバンがハドラーを倒したのは十五年前だが、ハドラーの地上侵攻が開始されたのは二十一年前である。つまりヒュンケルは、六年間魔王の膝元にいたことになる。

 

「普通は許されることじゃないけれど、バルトスは魔王の元へ通じる門を守る守護者でもあったから、人間の子供を育てることも例外的に許されたの。ヒュンケルは地底魔城で数年間暮らしてきたわ。モンスターに囲まれて育って、バルトスが親として情を注いでくれた」

「ピィ~……」

 

まさにダイと似た境遇である。話を聞いていたスラリンは驚き、もらい泣きとばかりに涙を流していた。

 

「でも、スラリンも知っての通りハドラーはアバン先生に倒された。不死族はハドラーの魔法力で作られたモンスターだから、ハドラーが死ねば存在を維持できずに朽ち果ててしまう」

「ピ!?」

「ヒュンケルからしてみれば、アバン先生は勇者なんかじゃないの……自分の父親を殺した相手だもの。それがアバン先生を憎む理由。正義のためにハドラーを倒したとしても、彼には絶対に許せるものじゃない。そして、正義そのものを憎むようになった」

 

これがヒュンケルの憎しみの正体である。どんなに立派な理由があろうとも、親を殺した相手を許すことなど出来ない。おそらく誰しもが当たり前のように持っている感情だろう。

スラリンもそれを理解しているのか、あまりに衝撃的な事実を聞いたためか、しばらくの間は何も言うことなく呆然としていたが、やがて何かに気付くと口を開いた。

 

「……ピィ? ピィピィ!?」

「え? そのヒュンケルがどうしてアバン先生の弟子になったのか?」

 

なるほど、良いところを突いてくるものだと思わずチルノは感心する。

 

「勇者が来たから、魔王城は上を下への大騒ぎ。ヒュンケルは城の一室で隠れているように言いつけられたの。でも魔王の断末魔が聞こえてきて、たまらず飛び出した。そこで見たのは父の崩れゆく姿と、そしてヒュンケルを見つけたアバン先生」

「ピィ……」

「うん、そう。その状況を見て、ヒュンケルはアバン先生こそが父親の仇と思ったの。先生に師事したのも、力をつけて復讐を果たすため……」

「ピィィィ!」

 

今度こそスラリンは大粒の涙を流した。なんという悲しい過去だと言わんばかりだ。こうやって共感して人のためになくことが出来るスラリンはとてもいい子だと思い、チルノは涙を止めるようにスラリンを二度三度と優しく撫でる。

 

「でもね、実はヒュンケルは知らないことがあるの」

「ピ?」

「一つは、アバン先生はバルトスを倒したけれど、命までは奪っていないこと。そしてもう一つは、バルトスの命を奪ったのはハドラーであるということ」

「ピィ!?」

「バルトスはアバン先生と戦ったけれど、力でも心でも負けを認めてヒュンケルの事を頼んで門を通したの。そしてハドラーは敗れたものの、バーンの魔力によって生かされた。そして、魔王の所へ勇者をおめおめと通してしまった役に立たない門番を殺した」

 

スラリンは再び言葉を失った。それが本当ならば、今のヒュンケルとは一体何なのだろうか。偽りの事実によって恩師を憎み、怨敵であるはずの存在の下に付き、今は弟弟子たちと殺し合いをしようとしている。もしもこのまますれ違ったままだったらば、それはあまりにも壮絶すぎる。

 

「これが、ヒュンケルに秘められた過去よ……どうだった?」

「ピ……ィ……」

 

蚊の鳴くような本当に小さな声を上げるスラリンを見るに、受けたショックは相当なものだろう。これ以上スラリンを泣かすことのないように、チルノはせめて少しでも希望の持てる話をすることにした。

 

「安心して、スラリン。口でどう言ってもヒュンケルはアバン先生のことを慕っているのよ」

「ピ?」

「復讐心で押し込めていたけれど、心の奥底では感謝や憧れがあったの。だって、相手はあのアバン先生よ? そんな氷のように冷たい心だって溶かすに決まってるじゃない」

「ピィ……」

 

共に過ごした期間は短いとはいえ、その人柄はスラリンもよく知っている。確かにあの人ならばやってのけるのではないかという謎の信頼感がそこにはあった。

 

「でも、さっきも言ったようにヒュンケルの復讐心はそれを享受することを許さなかった。そのせいでヒュンケルは、闇の闘気と光の闘気の両方の力を秘めることになったの。相反するはずの力を併せ持った最強の戦士と言っていい」

 

暗黒闘気の本質は悪の心。憎悪の心でその力を増幅させていたが、そのせいで相反する正義のエネルギーもまた強く輝く。光の闘気が輝きを増せば増すほど、ヒュンケルは本心から目を逸らし、闇の闘気を活性化させる。悲しいイタチごっこだ。

 

「ヒュンケルは、本当は正義の心を持っているの。それも、暗黒闘気になんか負けないくらいの強い心をね」

 

そう言いながら先ほどのヒュンケルとの戦いを思い返す。手下のアンデッドたちを嗾ける割には、共闘して戦うわけでもない。わざわざ姿を現し、正面から挑んでくる。戦闘中にしても、ダイが魔法剣を発動させる一瞬を待っていたりと甘さが目立つ。

それはきっと、ヒュンケルの心の奥底に眠る正義の心が影響しているのだろう。同門を殺すことを良しとせず、なんだかんだと理由を付けて引き延ばしてしまうのではないか。チルノにはそんな風に思えて仕方がなかった。

 

「だから、私たちが助けてあげましょう。そのための大事な役目をこれからするの。スラリンにも協力してもらうわよ。わかった?」

「ピィィ!」

 

強い意気込みを感じさせる鳴き声で、そう返事が返ってくる。それに満足しながら、チルノはスラリンにもう一言だけ付け加えた。

 

「ああ、そうだスラリン」

「ピィ?」

「今更かもしれないけれど、私が未来について知っていることは他言無用。絶対に秘密にしてね。わかった?」

「ピィ!」

 

アバンが実は生存していることは、スラリンも知っている――というか、デルムリン島でチルノのための特訓としてあれだけ暴れ回っていたのだ。島に住むモンスターならば誰だって知っている。なおブラスが全員に他言しないように厳命を下していたのだ。

だがこの秘密は二人だけの秘密だ。そう考えて、スラリンは上機嫌となる。実際は、ブラスとアバンも知っているのだが、言わぬが花というやつである。

 

「さて、話も一段落したところで都合よく到着したわね」

 

そう言いながらチルノが足を止める。その目の前には、地底魔城へと続く洞窟がぽっかりと口を開けていた。ここからは無用なお喋りは厳禁だ。

足音すら立てぬようにゆっくりと歩くと、チルノは入口である横穴近くに背中をつけて、半身だけ出すようにしてそっと覗き込む。

 

――いる。

 

少し見ただけでも、見張りのアンデッドの姿が何匹か見て取れる。螺旋階段までは随分あっさりと通ることが出来たが、これ以上は流石にフリーパスというわけには行かないようだ。

 

「スラリン……」

 

相方のスライムに小声でそう告げると、スラリンはチルノの服の中に潜り込んだ。

 

「……【インビジ】」

 

続いて透明化の魔法を唱えると、チルノの姿が忽然と消える。それどころか、チルノに密着しているはずのスラリンの姿もない。

これは、透明化の魔法の裏技のようなものだ。術者に対して肌と肌とを密着させるくらい近ければ魔法の影響を受けることが出来る。武器や鎧のように、装備や装飾品扱いとして魔法が機能しているのだ。

そうでなければ、術者の肉体のみが消えて衣服のみが見えたままという、なんとも奇妙な光景になってしまう。そんな魔法など誰も欲しくはないだろう。

スラリンの場合は、隙間ないくらいに密着しているために魔法の影響を受けることが出来た。

とはいえスライムの軟体が肌にぴったりと密着する感触を常に感じ続けるのだ。ラバースーツのような、体の線が丸わかりになる格好をしていたらこんな感じなのだろうか?

胸元の一部だけとはいえ、ぴっちりと締め上げられているようだ。おまけにスライムの軟体は人肌よりもひんやりしているらしく、その感覚に思わずチルノは身をよじる。

 

「あんまり動かないでね」

 

下手に動かれると、擦れた刺激で透明化の集中が解けてしまいそうに感じて、チルノはスラリンにそうお願いする。スラリンは何も返事をしなかったが、多分理解してくれたと思い、足音を殺して洞窟内へと入っていった。

 

 

 

敵が生命力を感知するのではなくて、本当に良かった。

ミイラ男の目の前を通り過ぎながら、チルノは心の底からそう思う。洞窟の中は不死騎団の根拠地となっているのだ。当然、さながらアンデッドの見本市のように、多種多様なモンスターが存在していた。

そのモンスターたちが、地下迷宮を徘徊している。

――いや、ただ徘徊しているだけのように見えるが、これでも警備をしているのだろう。アンデッドモンスターらしく無感情で好き勝手に動き回っているために、そう感じるのだろう。自我が希薄というか、古いゲームの粗雑なAIというか、とにかく行動が雑なのである。

 

そんなモンスターたちの様子を観察しつつも、迷宮の奥へと進んでいく。

そういえば、あまりにも当たり前に受け止めていたために気付かなかったが、地下迷宮に明かりが灯っていることにチルノは気づいた。まさか不死騎団の兵隊にも明かりが必要なのだろうか? そんな間の抜けた想像をしてしまい、思わず顔がにやける。

真っ暗な闇夜にて、カンテラや松明を片手に徘徊するゾンビやスケルトンの群れというシュールな光景を想像してしまい、危うく集中を切らしそうになったのはチルノだけの秘密である。

普通に考えれば、ヒュンケルのために灯されているのだろう。光の差し込まないはずの地下迷宮だというのに、明かりがあるおかげで視界には苦労しない。

 

目指すは、本来の歴史にてマァムが捕まっていた牢屋である。

迷宮はかつての魔王の居城の名に恥じない複雑な構造をしている。普通であれば、幾ら透明化の魔法があろうとも道順が分からずに迷い続けていただろう。

だが、チルノはかつてこの魔城を踏破した当の本人(アバン)から道順を聞いているのだ。話を聞いただけの記憶頼りといえども、着実に目的地へと近づいていく。

そうして何体ものモンスターをやり過ごして、ついにチルノは地下牢まで辿り着いた。

 

「多分、ここ……でいいのよね……」

 

自身の記憶を確認しつつも、どこか不安げに呟いた。

牢屋と思しき場所だが、周囲にモンスターの姿はない。牢屋の中には人影はなく、誰も捕まえていない牢屋を番するのも無駄と思っているのだろう。ついでに言えば、どの牢にも鍵が掛かっていない。

潜入する側からしてみればありがたいことこの上ないのだが、警備という点で考えるとこれで良いのかと他人事ながら少しだけ不安になる。

 

「あった、これね」

 

その牢屋の一つを覗き込み、お目当ての通気口を見つける。もはや古い記憶のため間違っていないか不安ではあったが、どうやら思い違いではなかったようだ。

さて、ここに潜り込むわけだが……

 

「スラリン、出てきてもらえる?」

「ピィ……?」

「ん……っ……」

 

チルノの声に、スラリンが胸元から這い出てくる。体の上を擦りながら移動する感触に少しだけ色っぽい声を上げつつも、どうにか平静を装ってスライムが出てくるまでの時間を耐える。そんなチルノの苦労など知らず、スラリンは呑気に出てくると定位置となった肩の上へと移動した。

 

「これからあなたに重要な役割をお願いします」

「ピッ!」

 

重要な役割と聞いて、スラリンは珍しく体を強張らせた。

もしも手足があったのならば、きっとそれはそれは見事な敬礼でもしていたのではないだろうか。そう思わせるほど、見事な姿勢だ。

そんなスラリンの姿を見ながら、チルノは天井近くの四角い小さな穴を指差す。

 

「今からこの通気口に入るんだけど、私に先行して途中に危険がないかの確認と隠し部屋がないか調べてほしいの」

「ピ~……」

 

重要な役割と聞いて、やらされることは退屈な偵察である。期待していた分だけ落胆も大きいようで、あからさまに不満の声を上げる。だがその程度はチルノも予想していた反応だ。

 

「もしもこの中で迷ったり、引っかかって出られなくなったら、ここで死んじゃうかもしれない……だからスラリン、私の命はあなたに預けるわ」

 

そのため、わざと大袈裟に表現することでスラリンの使命感を煽る。

そもそもスラリンは無理を言ってこの旅についてきたのだ。チルノからしてみれば、今までのように話し相手になってくれているだけでもありがたいのだが、役目がそれだけでは本人(スラリン)も納得しないだろう。多少なりとも活躍の場がなければ、きっと不満の一つも出るはずだ。

ましてこれから向かう先は通気口だ。内部は狭くて細長くて、先の見通しがまるで効かない。方向転換すら満足にできないだろう。だが、小さく軟体生物であるスライムにとってみれば得意なフィールドに違いない。

 

「ピィィ!!」

 

再びやる気満々の様子を見せるスラリンの姿に満足しつつ、チルノは手を伸ばして先にスラリンを通気口の中へと誘導する。そうしてスラリンが内部に完全に入るのを確認してから、彼女もまた通気口へとよじ登ると潜り込んでいく。

 

――テレポが使えることは黙っておきましょう。

 

洞窟などから瞬時に脱出する魔法のことを今だけは頭の片隅に追いやりながら、意気揚々と先を進むスラリンの後に続いた。

 

 

 

通気口の内部は言わずもがな狭く、かび臭い。どういう仕掛けになっているのか不明だが、うっすらと明かりも見える。ただ、蝋燭などはないのだから、外からの弱い光がなんとか差し込んでいるのだろう。

 

「こういうときだけは、自分が小柄だったことを感謝するわねぇ……」

「ピ?」

 

誰に向けてでもなく、チルノはそう呟いた。

通気口に潜るのは、本来の歴史ではマァムの役目だった。その際には通気口の内部を進むのに苦戦しながら「もうちょっとダイエットしといた方が良かったかな……?」という台詞を口にするのだが、同じ道を通っているはずのチルノは特に引っかかることなく進めている。

意味のないことだと頭では理解しているのだが、今にもはち切れんばかりに豊満なマァムの肉体と自分の体を比較してしまい、こっそりと落ち込む。

 

「いや、別に悔しくなんてないし」

「ピィィ……」

 

強がりやらなんやらの感情が程よくブレンドされた言葉を口にしつつ、そのままズリズリと通気口の内部を四つん這いになって進んでいく。閉所恐怖症でなくてよかったと心から思う、稀有な瞬間でもあった。

 

「ピッ! ピィィ!!」

 

やがて、先行していたスラリンが大声で叫んだ。チルノもそちらを見ると、強めの光がうっすらと輝いているのが見える。

どうやらお目当ての物は見つかったようだ。

二人は急いでそこまで進み、積み重なった拳ほどの石を取り除いて内部を覗き込む。

 

「あったわ、隠し部屋……」

 

中は本当に狭い空間だった。四方を石壁で囲まれて、唯一の出入り口は通気口のみ。そして室内には古ぼけた宝箱だけがぽつんと置かれている。なんとも寂しい部屋である。

 

「ピィ?」

「ええ、そうよ。これがお目当ての宝物」

 

スラリンの言葉に頷きながら宝箱の前に立ち、ゆっくりと開ける。その中には、小綺麗な装飾の施された長方形の箱が収められていた。

それを手に取り、箱を開ける。その中に入っている物こそが、チルノの探し求めていたアイテムである。

 

「魂の貝殻……ようやく見つけたわね……」

 

中に入っている白い貝殻を見つめながら心の声を吐露する。

――魂の貝殻。死にゆく者の魂の声を封じ込めるというマジックアイテムである。

チルノはそれを耳に当てて、中に残されているメッセージを確認する。そこには彼女の知る知識の通り、ヒュンケルの父――地獄の騎士バルトスの、今まで世に出ることのなかった遺言が収められていた。

 

「スラリンも聞いてみる?」

 

魂の貝殻を差し出すと、相棒のスライムも興味があったらしく耳――と思しき場所――を当ててメッセージを聞き始めた。

なぜこんな隠された、誰も見つけられないような場所に魂の貝殻というマジックアイテムがあるのか。そもそも誰がこんなアイテムを用意したのか。などの疑問は残るが、それらは棚に上げておく。どうせ考えても答えは出ないのだ。

 

とりあえずチルノは、再び通気口を通って戻らなければならない事実にそっとため息を吐いた。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「ハァッ……ハァッ……」

 

地底魔城の最奥、玉座の間。かつてのハドラーが座していた場所だが、今はヒュンケルが座っている。本来ならば王が自らの権勢を誇り、悠々と座するはずの場所である。

だが現在腰かけている男は、荒い息を吐きながら、自身の傷の手当てを行っている最中であった。

ダイとの戦いにおいて後れを取ってしまった。まさか本当にアバンストラッシュを使うなどとは、想像してもいなかった。その慢心した結果がこの傷だ。こんなものは笑い話にもならない。

薬草と包帯を手に治療を進めながら、ヒュンケルは先の戦いを振り返り自省していた。

 

「クソッ……何故だ……!!」

 

痛みと苛立ちから語気荒く毒づく。何故こんなに苛立つのか、自分でも理解できずに困惑している。それが原因で思うように手当も進まず、それがさらに苛立ちを加速させる。

自分でも使えない空裂斬を習得しており、それどころかアバンストラッシュまでをも使いこなす。それは、自分は実現することのできなかった刀殺法の完全習得を後輩に先を越されたという焦り。それが苛立ちの正体であった。

純粋な剣士としての腕前ならば、まだ自分の方が上だ。それは先の打ち合いでも確認している。しかしそんなものは大した慰めにもならない。師の教えを完全に学ぶことが出来ずにいたことをまざまざと突きつけられたように、深層心理がそう訴えている。

――もっとも、今のヒュンケルでは決して認めないだろう。今もこうして一人で治療を行っているのが、その証拠の一つだ。

不死身のアンデッドを擁する不死騎士団にも――数は少なく使えるランクも低級ではあるが――回復呪文を使えるモンスターは存在する。そのモンスターに回復呪文を唱えさせれば自分で手当てをするよりもよほど早く確実に治る。

だが、対象がいくら物言わぬ不死者たちとはいえ、傷つき情けない姿を人目に晒したくないという思いがその考えを邪魔する。

 

「はぁ……」

 

遅々として進まぬ行為に嫌気が差し、ヒュンケルは一度作業の手を休めると、椅子に体を投げ出した。油断しきったようなそんな姿勢のまま、誰もいない玉座の間にて虚空へと視線を投げる。

その脳裏に浮かぶのは、かつてこの城にて父バルトスと過ごした日々の記憶である。そんな懐かしい記憶に少しだけ浸りながら、ふと何かの気配に気づき、ヒュンケルは視線を部屋へと走らせた。

 

「……貴様! いつの間に!?」

 

そこにいたのはチルノである。突然現れた少女の姿にヒュンケルは驚きを隠しきれない。この部屋には確かに誰もいなかったはずだ。それが何故こうして部屋にいるのか。魔剣士は傷の痛みすら忘れて、身構えようとする。

 

「お邪魔だったかしら……?」

 

今の状況を客観的に見れば、あまり人に見られたくはない状況なのだろう。そのくらいはチルノにだってわかる。少々バツの悪い表情を浮かべて、ヒュンケルを見ていた。

対するヒュンケルは、忌々しそうにチルノを見ていたものの、やがて吐き捨てるように言った。

 

「例え敵でも女は殺すな――それが武人としての最低限の礼儀だと父から教わった。貴様が何のつもりで、どうやってここに来たのかは知らんが、とっとと失せろ」

 

その言葉を聞きながら、チルノは一人納得する。父の教えにより女を殺さないと理由を付けて、逃がそうとする。本来ならば、不死騎団の拠点にノコノコとやってきた不審者など、有無を言わさずに殺してしまえばいいのだ。

やはり、ヒュンケルの奥底に眠っている本質は善なのだ。そう確信しながら、口を開いた。

 

「そういうわけにも、行かないのよ」

「なに……?」

 

瞬間、ヒュンケルの闘気が膨れ上がる。すぐ傍に立てかけていた鎧の魔剣の柄へと手を掛け、何時でも抜けるとばかりに戦闘態勢を見せた。鎧の魔剣は、主の意思に呼応するように鈍く光ってみせる。ダイの魔法剣に壊されたはずのそれは、いつの間にか元の形を取り戻しつつあった。

 

「それは、オレとやり合う。そう受け取っていいんだな?」

「そうじゃなくて……」

 

やはりどこか苛立ちはあるようだ。目の前の男の短慮な様子を嘆きつつ、チルノは言葉を続ける。

 

「あなたがどうしてアバン先生を憎むのか、その理由を聞きに来たのよ」

「ククク……こいつは驚いた。まさかそんなことのためにわざわざ、この城の奥まで来たというのか!?」

「いいえ」

 

嘲笑うかのような態度のヒュンケルに対して、チルノは冷静に首を横に振って否定する。

 

「その理由はもう分かったから。このアイテムのおかげでね」

 

そう言いながら手にしていた箱を掲げ、中身を見せる。そうすることでヒュンケルの目にも、箱の中に収められた白い貝殻の姿がはっきりと見えた。

 

「それは……!!」

「魂の貝殻。あなたも知っているでしょう?」

 

どうやら魂の貝殻はある程度名の通ったマジックアイテムらしい。本来の歴史にてマァムが見ただけで使い方が分かったように。今のようにヒュンケルが知っているのもその証拠といえるだろう。

箱の中身を見て少しだけ驚いた様子を見せたものの、再び魔剣士は不適な笑みを浮かべる。

 

「そんなものを見せてどうするつもりだ? まさかアバンの最期の言葉が入っているから聞け、とでも言うんじゃあるまいな?」

「ここに入っているのは、とある地獄の騎士の遺言よ」

「……ッ!?」

「バルトス……あなたのお父さん……」

「と……父さんの……!?」

 

はたして誰のメッセージが封じ込まれているのか。それを知った途端にヒュンケルの様子が一変する。すぐさま玉座から立ち上がり、鎧の魔剣を手にすることすら忘れて急ぎ足にチルノへと近づく。

 

「よこせっ!!」

 

チルノの差し出した貝殻を待ちきれないといった様に強引に奪い取ると、すぐさま己の耳へと当てた。瞳を閉じて、貝殻から聞こえてくる声にのみ耳を傾けるべく集中している。

じっと黙ったままのヒュンケルの姿は、この瞬間だけを見ればとても絵になっていた。思わずチルノが見惚れてしまうほどだ。だがそんな静かな時間もやがて終わりを告げる。

 

「そん……な……っ……そんな……馬鹿な……」

 

それまで閉じていた眼をカッと見開くと、まるで足元が崩れたように覚束ない様子で体中をワナワナと震えさせる。

 

「それでは……父の生命を奪ったのはハドラーだったというのか……!? そして……アバンはオレが父の仇と恨んでいることを知りつつ……オレを見守ってくれていたというのか……!?」

 

手に持った貝殻を見つめながら、自分で口にした言葉が信じられないといったようにヒュンケルは呟く。やり場のない思いだけが彼の体内を駆け巡り、冷静な判断力を失わせていた。

 

「うそだ……こんなもの! まやかしに決まっている!!」

 

そうして発露した感情をぶつける相手として、彼は手にした貝殻を床へと強く叩きつけた。だが貝殻は、仮にもマジックアイテムであるためか壊れることなく、コロコロと床の上を転がる。

 

「だったら、もう一人が残した言葉を見てみる?」

 

混乱したヒュンケルへ向けて、続いてチルノは道具袋から取り出した手帳を見せる。

 

「これには、アバン先生があなたに遺した言葉が書いてあるのよ」

「何ッ!?」

「前に出会ったときにも、マァムが同じことを言っていたのだけれど……忘れちゃった?」

 

まるで初耳だと言わんばかりの反応を見せたヒュンケルへと、チルノは少しだけ呆れたようにして言う。

確かにあの時はヒュンケルにとっても色々と衝撃的なことが立て続けに起きていたため、忘れてしまったとしても分からなくはないのだが……同じアバンに学んだ者同士、このくらいは覚えていて欲しかったと密かに願う。

 

「読んでみる? もしかしたら真実を知ることが出来るかもしれない。でも、真実を知ることで今以上に苦しむかもしれない」

「それに……何が書いてあるというのだ……?」

「私は知らない。というか、私たちは誰も知らない。何が書いてあるのか、一目たりとも見ていないもの。知っているのはアバン先生だけ」

 

胡乱気な眼差しを向けられながら、それでもチルノは毅然とした態度で言う。書いてあることは、予想できなくはない。だがそれはあくまで一般常識から見たアバンが書くであろう内容だ。実際には、想像もつかない事柄が書かれているかもしれないのだ。

だからチルノは内容をぼかしながら、それでもヒュンケルが興味を惹くような言い回しをすることで、少しだけ相手を誘導する。ヒュンケル自身に選ばせるために。

 

「もう一度言うわ。私たちは誓って中に何が書いてあるのかは読んでいない。それに、これを読むか読まないかはあなたの自由……どうする?」

 

そう言いながら目的のページを開いて手帳を差し出すが、ヒュンケルは迷ったままだった。やがて、しばらく逡巡をしてから決心したように手帳を手に取るものの、それでもページを捲ることはなかった。しばしの間、何もしない時間が流れる。先に音を上げたのはチルノだった。

 

「少しじっとしていて……」

「何をする気だ!?」

 

そうしている時間が惜しいとばかりに、チルノはヒュンケルの様子を見かねて手を向ける。突然の行動に驚き警戒の声を上げるが、少女は構うことなく魔法を発動させた。

 

「【リジェネ】」

 

柔らかな光がヒュンケルを包み込み、その傷をゆっくりと癒していく。ケアルのように、魔法の力で一気に回復させるのはあまり好ましくないだろう。ヒュンケルの心と同様に、いきなりではなく時間を掛けた方が良い場合もある。そう考えての判断だ。

手当の途中の傷口をこのまま放置しておくのも、彼女には限界だったということもある。傷ついたままのヒュンケルの姿をこれ以上見ていたくなかったのだ。

 

「む、これは……?」

「サービスよ。痛くちゃ落ち着いて読めないと思って。それと、私は部屋の隅で後ろでも向いているから。こうすれば少しは読みやすくなるでしょう?」

 

自らの痛みが少しずつ引いていき、傷がゆっくりと治っていく様子にヒュンケルは困惑する。そうしているうちにチルノは部屋の隅へと移動して、壁の方を向く。それはヒュンケルの方を決して見ていないという意思表示だ。

 

「チッ……」

 

舌打ちをしつつも、ヒュンケルはその様子を見てようやく手帳のページを捲った。読み始めたことはチルノにも気配で何となく伝わった。再び無言の時間が流れ、部屋の中にはページを捲る音が時折聞こえてくるだけだ。

手記に何が書いてあるのか。手記を読んでヒュンケルが何を思ったのか。それはチルノにも窺い知ることはできない。

さて、何時までこのまま壁を眺めていればいいのだろうか。そんなことを考え始めたところで、不意に室内に鈴の音が鳴り響いた。

 

「ヒュンケルさま」

「……どうしたモルグ?」

 

現れたのは高価そうなジャケットに身を包んだ腐った死体である。腐った死体とはいうものの、その立ち振る舞いからは自我と高い知能が見受けられる。手には鈴を持ち、執事然とした佇まいを見せていた。

不死騎団に所属するモンスターにして、ヒュンケルに使える執事――モルグという名のモンスターである。

 

「たった今、悪魔の目玉より通告がありまして……まもなく魔軍司令ハドラーさまがお見えになるとか……」

「ほう……」

 

その報告を聞き、手にしていた手記をパタンと音を立てて強く閉じた。

 

「わかった、オレが出向く。それと、貴様はこの部屋にいろ。オレが戻ってくるまでは決して外へは出るな」

「ハドラーと共闘して私を殺すの?」

「フン……馬鹿なことを言うな……」

 

少しだけ振り向いてそう言ったチルノに対して、ヒュンケルは鼻で笑いながら相手にせずに部屋の外へ向けて歩いていく。後ろ姿を見ているだけであったが、チルノにはその姿が先ほどまでの復讐の妄念に取りつかれていた状態とはどこか違うように感じられた。

 

 

 

「これはこれは、魔軍司令閣下」

 

ザボエラと配下のアークデーモンたちを引き連れ、ハドラーが地底魔城を進んでいたところをヒュンケルは出迎える。だが、出迎えるとは言ってもその姿は腕組みをしたまま、行く手を遮るように通路の真ん中で仁王立ちをしているのだ。出迎えの恰好とはお世辞にも言えない。

 

「何用かは知りませんが、わざわざおいでになるとは。魔軍司令というのはよほど暇な仕事なのですかな」

 

誰が見ても明らかにそれとわかる挑発の言葉である。それを聞きながらハドラーは忌々しそうに奥歯を噛みしめるが、激情に駆られることはなかった。

 

「……戦場視察というところだ。大魔王様の命によりダイ抹殺をお前に任せたものの、心配になってな……」

「なるほど、つまりはオレの事が信頼できずに出向いてきたというわけか」

「ヒュンケル貴様! なんという……」

「黙れザボエラ!!」

 

ヒュンケルの態度を注意しようとするが、ヒュンケルはそれをも切って捨てた。

 

「クロコダインにすり寄ったかと思えば、次はハドラーか?」

「なんじゃと貴様!! 言わせておけば……!!」

「クロコダインが敗れたのは貴様の余計な入れ知恵のせいだろう。再び小賢しい策を弄することの出来んように、その舌を切り捨ててやろうか?」

 

そう言うとマントの下から鎧の魔剣を見せつける。それを見ただけで、ザボエラの勢いが弱くなった。呪文を操るザボエラに取って、呪文無効化の力を持つ鎧の魔剣は不倶戴天の存在だ。もしも鎧を纏われて力に訴えられたらどうなるかは想像に難くなかった。

 

「そしてハドラー、お前もだ」

 

ザボエラが押し黙ったのを見ると、続いてハドラーの方を向く。その瞳は、上司であるはずのハドラーに対する憎悪がはっきりと向けられている。

 

「オレの事を疑うのであれば、それ相応の覚悟は出来ているのだろうな? それとも、そんな心配をする必要もないように息の根を止めてやろうか?」

「……くっ……わかった……お前のその言葉遣いは、抑えきれぬ闘争心の表れと受け取ろう……」

 

ハドラーの知るヒュンケルとは明らかに違う態度に困惑しつつも、不承不承頷いた。

そもそもヒュンケルのダイ討伐はバーンの勅命である。魔軍司令の立場でそれに異議を唱えるのは、組織のトップの決定に反論するに等しい。魔王軍にてそれは妙手とは言い難い。その事実に気付き、ハドラーは鉾を収めた。

 

「帰るぞ!!」

「ハ、ハドラーさま!? よろしいので!?」

 

ザボエラも取り巻きのアークデーモンもがハドラーの行動に驚くが、ハドラーはそれ以上何も言わず、今まで来た道を戻る。その姿に他の者たちも仕方なし続いていく。

 

「モルグ! 魔軍司令殿はもうお帰りになるようだ! 見送ってやれ!!」

 

その後ろ姿を眺めながら、ヒュンケルは配下の執事役モンスターに命令を下した。モルグはその命令に従いどこからともなく現れると、ハドラーたちの後を追っていった。

モルグは見張り役だ。帰ったように見せかけて、何か余計な小細工でもされてはたまらない。そう考えたヒュンケルの放った監視の目である。

 

――今はこれでいい。本当ならば今すぐにでも息の根を止めてやりたいが、その前にしなければならないことがある。

 

地底魔城通路の薄暗い闇の向こうに消えた怨敵を睨みながら、どこかすっきりとした頭でそう考えていた。

 

 

 

チルノが玉座の間で待っていると、やがてヒュンケルが戻ってきた。果たしてハドラーたちとどのようなことを話したのか、それはチルノにもわからないことだ。思わずチルノはヒュンケルを見つめる。

 

「フン、そんなに不安そうな表情をするな。ハドラーならとっとと追い返しただけだ」

 

知らず知らずのうちにそんな顔をしていたのだろう。ヒュンケルはチルノを一瞥するなりそう言うと、再び玉座へと戻る。

 

「……三日後だ」

「え?」

「三日後、太陽が最も高く昇ったときに地底魔城へと来い。その時こそ、改めて決着をつけよう。そう、ダイたちに伝えておけ」

「どういうこと?」

 

何の説明もなしに突然こう言われては、誰であろうとも困惑するだろう。チルノもその例に漏れず、ヒュンケルが何を言いたいのかわからず真意を尋ねる。

 

「別に、大した意味はない。魔王軍を相手に戦っている貴様らにとって、オレを倒す絶好の機会だとでも思えばいい」

 

だがヒュンケルは取り合うことなく、瞳を伏せて冷たさを感じられる様子でそう言うだけだった。どうしたものかと悩むチルノに、ヒュンケルは念を押すように言った。

 

「わかったか、チルノ?」

「……ええ、わかったわ」

 

その言葉で、ヒュンケルの願いがなんとなくわかった気がした。おそらくは……そう考えて、チルノはそれ以上の問答を止めて素直に頷く。

そして道具袋から調合した薬草を幾つか取り出すと、ヒュンケルへと投げつける。目を伏せているはずなのにヒュンケルはそれを事もなさげに片手で受け止めて見せた。

 

「この薬草も渡しておくわ。普通のよりもよく効くはずだから、使って」

「なんのつもりだ?」

「怪我のせいで満足に戦えなかった、なんて言い訳はお互いしたくないでしょう?」

 

ため息交じりに薬草を眺めているが、すぐに投げ捨てたりしないところを見ると、どうやらある程度の信頼はされているようだ。

 

「それと先生の手記は置いていくわ。三日後、受け取りに来るから大切に持っていてね」

 

そこまで言うとチルノはヒュンケルから踵を返し、部屋から出て行った。

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■

 

 

 

「ヒュンケルにそんな過去が……」

 

再び数刻後。

野営地へと戻ったチルノは、ヒュンケルの過去――父を失ったこと。アバンに師事した理由。そして、その全てが小さなボタンの掛け違えから起こっていた真実――をダイたちへと話し終えた。その話を聞いた一行は重い空気となり皆が積極的に口を開こうとはしなかった。それぞれが報われぬ彼のことを思い、それ以上の何かを言うことを拒んでいるようである。

それでもいつまでも黙っているわけにもいかない。仲間たちはポツリポツリと口を開き始めた。

 

「おれ、なんとなく気持ちが分かるよ……ヒュンケルはひょっとしたら、おれの未来の姿だったのかもしれない……」

「そうね。私も、似たような感想を持ったわ」

 

ダイの言葉にチルノが同意する。二人はヒュンケルに近い立場のため、共感できる部分は多々ある。

 

「挙句、魔王軍の幹部に拾われて悪の剣士に仲間入りか……なんとも報われねぇよなぁ……」

 

ポップもまた呟いた。どこか空虚に感じるそれは、ヒュンケルをどう思っていいのか分からないという気持ちが潜んでいる。

 

「でも、そこまで誤解が解けたのなら、私たちが敵対する意味なんてないじゃない!」

 

今までの話と仲間たちの胸の内を聞いたマァムは、思いが爆発したように言う。

 

「マァム?」

「私たちは一緒にやり直せるはずよ! チルノ、どうしてヒュンケルを一緒に連れてきてくれなかったの!?」

「落ち着いてマァム。ヒュンケルの気持ちだってあるんだから」

 

今までの話が事実だとすれば、彼女の言う通り争い合う理由などどこにもない。共に魔王軍と戦うことが出来るはずだ。そう主張するマァムの言葉も決して間違いではない。だがそんなマァムをチルノは必死で落ち着かせようとする。幸いにもヒュンケルの気持ち、というキーワードに効果があったらしく、マァムはまだ不服そうではあるが落ち着いてくれた。

 

「じゃあマァムに質問。あなたがとある理由があってロモスの人たちを大量に虐殺しました。その後、その理由は全てが間違いだということが分かりました……そうなったときにマァムは自分を許せる? 遺された人たちに『あれは間違いだったからまた一緒にやって行こう』って笑顔で言える?」

「それは……」

「極端な言い方だったかもしれないけれど、そういうことよ……」

 

チルノ本人の言うように、それはとても極端な説明であった。だがそれでも説得力は強かったらしい。そう言われてしまえば確かに、彼女の主張も身勝手な言い分に聞こえてくる。ヒュンケルを救い出したいという気持ちに逸るあまり、大事なことを見落としていたことを彼女は自省する。

 

「何らかの落としどころを見つけねぇと、背負った罪の重さで潰れるかもしれねぇってことか」

 

端的に表したポップの表現に、チルノは頷いた。

 

「私たちが出来ることは、彼にこれ以上の罪を犯させないことくらいだと思う。彼の罪を裁く権利がある人間がいるとすれば、それはきっと私たちではないわ」

 

そう言いながらチルノはレオナのことを思い出す。デルムリン島で出会ったときには髪も短く、まだ少女の面影を残していた。だが本来の歴史通りに成長していれば、髪も伸びて大人びた姿へと成長しているはずである。ヒュンケルの処遇については、彼女に任せるのがやはり順当なのだろうと考える。

 

「それともう一つ。ヒュンケルから言われたことがあるの」

 

そう前置きしてから、地底魔城を去る前に言われたことを三人に伝えた。

 

「決闘だと!?」

 

内容を聞いた途端、ポップが叫ぶ。その言葉も納得だろう。まさかそんな展開になっているとは考えもしていなかったからだ。

 

「どうして……どうして争わなきゃいけないの……」

 

マァムも嘆いていた。彼女からしてみれば争う理由はないとわかっているのに、その相手から戦いの約束を持ち掛けられているのだ。悲しんでも仕方ないだろう。

ダイはというと、驚きながらもどこか期待に満ちたような顔もしている。戦士としての本能が刺激されているのだろうか。

 

「多分これは、ヒュンケルなりのケジメだと思うの。自分でも分かっていて、でも吹っ切るために必要な儀式っていうか……」

 

三者三様の反応を見せた仲間たちに、チルノは自分の考えを述べる。その言葉に最初に反応を見せたのはポップだった。

 

「うーん、どうにも信じられねえなぁ……ロモスの時っていう前例があるからな。またぞろ罠でも仕掛けられてんじゃねえのか?」

「用心するに越したことはないけれど、少なくともヒュンケルからはそういう態度は見えなかったわ」

「……ダイはどうするの? ヒュンケルの決闘を受ける?」

「ああ。おれ、決闘を受けるよ。そうすることがヒュンケルのためにもなる。なんとなくわかるんだ」

 

心配そうにダイへと尋ねるマァムであったが、ダイはそんな心配など微塵も見せずに了承の意を口にした。その様子にポップも一瞬訝しむが、すぐに楽観的な思考に切り替わってしまった。

 

「まあ、魔法剣ならなんとかなるってことは分かってるんだ。だったら負けはないだろうな」

「うーん……それもどこまで通じるかしらね……」

 

ダイのその様子を心配していたのはチルノも同じだった。彼女は弟を諫めるべく、少しだけ待ったをかける。

 

「魔法剣を初めて見たっていう動揺もあって、最初は上手くいった。でも、二回目はそう通じるものじゃないと思うの」

「うん。ヒュンケルもおれが魔法剣を使えるってことはもう理解しているからね。どんなに威力があっても、避けられちゃ話にならない。剣だけでも勝てるようにならなくちゃ!」

 

だがチルノの言葉をダイはあっさりと肯定して見せた。単純な剣術の腕前ではヒュンケルに届いていないことは、直接戦ったダイが一番よく理解していたようだ。

先の戦いにて、魔法剣は確かにヒュンケルの鎧をも砕くほどの破壊力を見せた。だがダイの言葉通り、当たらなければ意味はない。今の実力差のままであれば、魔法剣といえどもいなされて無効化されるであろうことをヒシヒシと感じていたのだ。

この弟の発言には、姉も驚かされるばかりだった。

 

「ごめん、ダイ。正直驚いた。まさかちゃんと考えていたなんて……」

「ええーっ……酷いよ姉ちゃん……」

 

ダイが姉をジト目で睨む。

 

「ごめんごめん。お詫びに、以前から考えてた良いことを教えてあげるから」

「……いいことって?」

 

直感でしかないが、ダイは何となく嫌な雰囲気を感じつつも姉に尋ねる。

 

「見てみたくない? ライデインとアバンストラッシュを組み合わせた必殺技」

 

チルノの言葉に、仲間の三人が絶句した。

 

 




ゾンビ系を取りまとめているモンスターの名前が死体安置所(モルグ)というエスプリ効いた命名が地味に好き。
(別の説もあるようですが、こっちの説の方が納得できるので好き)

1話前の話。
後から気付いたのですが、パプニカに着いたら魔王軍との戦いの真っ最中でそこにダイたちが乱入。混戦の中でレオナたちと再会して……みたいな展開もアリだったんですね。それはそれで面白そうだなぁって思いました。
(でも、書いてる人間がロモスで一旦リソース使いきっているので、気付いてもやらなかった可能性が高そう。もう少し後にバランが控えているのでそこまでは低カロリー進行で行きたい……(不安しかない))

スラリンに説明している部分って、みんな知ってますよね……もっと簡略化できると自覚しつつ書く私。そして隙あらば無自覚エロを見せるスライム。今回は肌にピッタリ張り付く役目。

ヒュンケルがハドラーたちに噛みつきました。真実を知った今ならあの場で殺し合いを始めても良かったんでしょうけどね。その前に優先すべきことがあったようです(多分狙いはバレバレだよなぁ……)
でもハドラー相手に感情が抑えきれないのとかあってあんな感じに……

感想でも指摘されましたが、恋愛フラグが上手いこと育ってないんですよね……別に絶対ではないんでしょうけれど。うーん……人の心って難しいですね。

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