彼は誰時に滲む灯火   作:moco(もこ)

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後編は予約投稿がうまくいけば本日の11時頃を予定しています。


前編

 

 ──肌にまとわりつく重い空気。何度も近くをかすめた砲弾が空を切る音が、耳の奥でまだこだましている。

 肉が焼けるような匂いと、火薬、そして煙が混ざりあった空気が鼻について。生きているのか、死んでいるのかすら曖昧だった意識が、はっきりとしてきた。

 右眼はすでに血が入り込み、見ることもままならない。霞んだ視界で、辺りをなんともなしに見る。

 ──戦闘の、残り火が。至るところで、ちろちろとこの海上において、燃え上がっていた。

 

『──海域の制圧を確認』

 

 どんな時も声の調子が変わらない今回の旗艦を務める彼女の声が無線に乗る。ゆっくりと、彼女の方を振り返った。その彼女も、衣服は焼け焦げ、艤装は損傷がないところを見つけるのが難しいほどひしゃげていた。

 ゆっくりと首を巡らし、辺りを見渡す。

 ──人影らしい人影は。敵を含め、彼女以外見当たらなかった。

 

「──」

 

 海風に乗って自身に語りかける声。ああ、またか。何度も何度も。戦っている間も、終わった後も。海に出れば聞こえる呼び声。それを振り切るように、かたく目を閉じて。

 

『──これより。艦隊、帰投します』

 

 今日も今日とて。生き延びたこの身は、ただただ淡々と。任務を、こなしていく、それだけだ。

 

 

 新たに切り開かれた海域。それに伴い押し上げられた前線を維持すべく、連合艦隊の中枢を担うこの呉鎮守府では新たに作成された山のような書類を処理していかねばならなかった。

 作戦から帰って来て傷を癒したと思ったら、今度はこの膨大な事務処理である。いくら不知火が秘書艦を担っているからといって、人使いが荒すぎはしないだろうか。最も、忙しい方が色々なことを忘れられるのでこちらとしては願ったり叶ったりなのだけれども。

 だから、その日もいつも通り。提督に上げるべき書類を執務室へと持って行き、指示を仰いでまた仕事へと戻る。その繰り返しが続くのだと思っていた。

 

「──お前は、今日でクビだ」

 

 扉を開けた瞬間。つまらなさそうに頬杖をつきながらこちらに視線を向けた、この小憎らしい男が口を開くまでは。

 

 

「──は?」

「はっ、お前だけだぜ、俺にそんなあからさまに敵意を向けてくんのはよ」

「……おっしゃっている意味が、わかりませんが」

 

 呉鎮守府、連合艦隊司令長官執務室内。こちらを小馬鹿にしたような態度をとっているこの男は、残念ながらこの不知火の上司、呉鎮守府の提督だ。提督、とは艦娘を運用する適性があり、かつ作戦指揮をとることが出来る人間の総称である。だから、総じてみな提督と艦娘達から呼ばれるものの、階級はまた別のところにあった。

 こいつの階級は連合艦隊司令長官。最前線における戦闘の責任者が、この目の前で不遜に笑っているこの男なのだった。

 

「左遷、島流し、解雇。これくらい言えばわかるか?」

「……」

「お前使えねぇから。クビ」

 

 日本各所にある鎮守府の中でも、ここ、呉は最前線を支える重要な拠点だ。空母から戦艦まで、貴重な艦種は大抵がここで統括され、あらゆる作戦は基本的に呉が中心となって指揮を取る。そんな戦線を支える重要な鎮守府の提督は有能ではあるが性格が悪く、艦娘をモノとしか扱わないことで有名で、ほとんどの艦娘から嫌われていた。

 

「……不知火の仕事に落ち度でも?」

「んにゃ?仕事は完璧だけどよ。いい加減その無愛想なツラ見飽きたんだわ」

「……」

「あとお前よ、検査結果で過同調出てんだろ。俺の横に爆弾は置きたくないんでね」

 

 過同調とは、艦艇の神々と同調しすぎる現象のことだ。艦娘とは艦艇の神々の分け御霊を閉じ込めた霊珠、艦魄(かんぱく)から力を引き出すことが出来る少女達のことを指す。基本的に艦娘は艦艇の知識、経験を艦魄から得て戦うのだが、艦魄と同調しすぎると自身が何者であるかを見失い、下手をすると廃人になる可能性があり、その傾向を過同調と呼んでいた。

 

「問題ありません」

「八十五パーセントは問題大ありだ。中等度じゃねぇか」

 

 通常の艦娘の同調率は五十から六十パーセントほど。これより上は過同調とされ、七十から軽度、八十から中等度、九十からは高度過同調と区分される。一般的に過同調は時間さえかければ徐々に回復されるとされているが、最前線ではそういったことも難しい。自身の検査結果は優先順位の低い書類の一番下に入れといたのだが、目ざとく見つけられたようだった。

 

「特に、日常生活にも戦闘にも問題ありませんが」

「は!お前よぉ、酔ってるやつの酔ってないほど信じられねぇもんはねぇんだ、知ってるか?」

「さぁ。不知火はお酒を飲みませんので」

 

 持ってきた書類を机の上に置く。それを受け取って、ペラペラと確認しながら提督が続けた。

 

「ま、そんなことはどうでもいい。今日付けでお前は秘書艦を解任、所属も三日後から別んとこだ」

「……」

「わりぃな、壊れた道具に興味はねぇ。ああ、そうだな、そういえばお前」

 

 そこで言葉を切って、こちらをつまらなさそうに見ながら。

 

「初陣の後からすでに軽度過同調だったっけな?」

 

『──二度も目の前で。私を助けようとするあなたが轟沈する姿を見るなんて、ごめんよ』

 

 なんの気なしに続けられた言葉に、知らず知らずのうちに眉間に皺が寄る。それを、面白そうに見つめながら書類を脇に置き。

 

「今までご苦労さん」

 

 どかっと椅子にふんぞり返りながら。そう、彼は告げてきたのであった。

 

 

 呉鎮守府工廠内。前線への補給を担う次の船団護衛作戦に備えて多くの人が慌ただしく作業をしている中、その一角に声をかける。

 

「おい、野分の艤装調整はどうなってる」

「あー、後少しで終わる」

 

 油と煤にまみれた男が疲労をその顔に滲ませながら答えた。

 

「なるべく早くな、次の出撃まで時間がない」

「ったくここは陽炎型にも俺達にも優しくねぇよなぁ」

 

 首元のタオルで汗を拭いながら男がぼやいた。その作業を手伝いながら他の男がそれに答える。

 

「全くだな。陽炎型も夕雲型も。駆逐艦ってのを考慮しても使い方が荒すぎるぜ」

「だな、顔を覚える前に入れ替わることもザラだしよ」

「あーあー、やめろや辛気臭ぇ。俺達はあの娘らのために全力を尽くすだけ、だ、っとぉ!」

 

 よっしゃ、終わり!とその男が声を上げ、隣にいた男がそれと同時に拳を突き合わせる。達成感と共にその場にへたりこんだ二人に、飲み物を渡した。それを一気にあおって一人が話を続けた。

 

「そーいやよ、お前陽炎型の一番艦見たことあるか?」

「ん?そういやねぇな、色々見てきてはいるけど」

「だよなぁ。まぁ仕方ないのかね、陽炎型の一番艦って元々なーんかパッとしないよなぁ」

 

 それはつかの間の休憩におけるたわいもない話題。特に意味はない、座り込んでいる二人の後ろで、つい自身の眉を吊り上げたところで二人は特に気づくことなく話を続ける。

 

「そーだなぁ。二番艦のが人気あるよな、一番艦が沈没した後は不知火型って名前改められてるしよ」

「はは、いつの時代も出来た下がいると上は大変だなぁ」

「……そうか?」

 

 突如不機嫌そうに声をあげた自身に驚いて、二人が振り返った。

 

「俺は、アレがそんな弱い艦娘だとは、思わないんだがな」

「なんだお前、見たことあんのか?」

「……まァな。……陽炎、いい名前だよな」

 

 よく晴れて、日差しが強く、風がないときに現れるゆらめき、陽炎。確かに砲撃の成績は話にならなかったが、アイツの目には他の奴らにはない、力強い輝きがあった。あれは、カタログスペックだけでは評価されない強さ。なにも出来ず見送ってしまった自身の歯がゆさと共に吐き捨てる。

 

「どいつもこいつも、見る目ねぇよなぁ」

 

 あの娘は。遠い地で、元気にやっているだろうか。願わくば、その輝きが衰えていないことを祈りたい。自身が惚れ込んだ艦娘の悪評にむしゃくしゃしつつ、手元の缶を思いっきり煽った。

 

 

「……っくし!」

「風邪ですか?」

「いや、そんなことはないはずなんだけど…」

 

 首を捻りながら鼻をこする。

 

「誰かが噂してるのかな」

「えー?金剛さんかな……前回のギンバイ邪魔したし、また作戦練ってるのかも」

「……あの人戦艦ですよね?」

「ここでは艦種は関係ないわ。取るか、取られるか。それだけの関係よ」

 

 候補生の訓練を試験的に任せる。そう上から言われてやってきた娘は、五航戦、空母瑞鶴候補の一人だった。まだ艦娘ではないので空母候補生壱番と数字で呼ばれている。

 空母の母たる鳳翔さんから直々に教えてもらえる機会を得られるなんて、幸運な娘ですねぇと提督がボヤいていたけれど、試験的にここにひとりでやってきたこの娘の不安は強いだろう。だから艦種に関わらず目にかけていたのだけれど、最近はここのゆるゆるな実態を知って緊張も解れてきたようだった。現に今も、ものすごい呆れたような顔をこちらに向けている。

 ちなみにギンバイとは食べ物や嗜好品をくすねる行為のことである。金剛さん達がやってきて、そういえばそんなこともやったっけなぁと候補生時代を懐かしんだものだ。ギンバイは駆逐艦娘の専売特許。何を隠そうこの私、候補生時代のその腕前は一、二を争っていたのだ。だからこそ久々のその攻防には心が踊った。

 

「……」

「ま、力の抜きどころを学ぶのも大事よ。それじゃー海に出ますか」

「う」

「今日はちょっと波が高いわね」

 

 波の高さに怖じ気づいている壱番に笑いかける。この子はまだ、艤装を装着してから一度しか海に出たことがなかった。あの時はそりゃもう見ていられないほどのへっぴり腰だった。そりゃそうだ、知識があっても身体は海のことを全然知らないのだから。海は、どれほど向き合っても全てを理解することなどできないほど色々な表情を見せる。時に穏やかに迎え入れ、時に海の底へと飲み込もうと襲ってくる。それでも、私は、海が、艦娘であることが好きだった。

 

「大丈夫!海は怖いけど……楽しいわよ!」

 

 例えこの身が。役立たずという烙印を押され、辺境の地へと追いやられたとしても。駆逐艦としての、艦娘としての誇りを忘れたことなど、一度もなかった。

 

 

 不知火が出て行って数刻後。書類を確認しながら判子を押していき、思わず悪態をつく。

 

「作戦線がちいと延びすぎてんなァ、やっぱ」

 

 最初からこうなることはわかっていた。わかっていても上の命令には従わねばならない。どうにかこうにか新たに海域を切り開いたものの、今度はその前線を維持するための物資輸送航路を強化しなければいけないのだ。

 物資を送り届けなければ戦線の維持などできるわけもなく、さらに言えば新たに延びたこの補給線は敵地に最も近く、被害を受けやすい航路なのだ。まずはこの補給線の安全性を確保しなければ話にならない。この補給線を断たれればたちまちに戦局は傾き、また前線を下げなければならなくなるのだから。

 

「……横鎮のアイツの胃にそろそろ穴が開くな」

 

 現横須賀鎮守府提督は、海上護衛総司令部の長官を兼ねている。艦娘も装備も護衛に回すには圧倒的に足りない。頼むから、せめて完全なる安全海域の確保のために機雷敷設線か電探哨戒網を南方資源航路にだけでも構築してくれ、そうしたら商船も護衛なしで航海できるんだ、と毎回横鎮のアイツに泣きつかれているわけだが。アイツの言うことは最もだ。護衛に回せる艦娘などおらん、と言われれば、じゃあ商船だけでも安全に航海できるようにして補給船の回転率を上げよう、となるのは自然だ。

 俺はアイツ言うことを理解しているし、なるべくそうなるよう協力はしているのだが。上がうんともすんとも言わなければこちらもなにもできない。そして、前線担当のこちらとしては、せっかく押し上げた前線を下げることになるのもアホらしい。上の攻めろ攻めろといった意見と、横鎮のアイツの意見のギリギリのバランスのところまで前線を押し上げた、つもりだ。それでも今回の戦果のおかげで海上護衛問題はより深刻になるだろう。前線物資輸送航路の強化により、確実に他の海上交通線は今までより脆弱になるのだから。

 

「あー、中間管理職ってのはつらいね。早く上にいきたいもんだ」

 

 シュボ、とライターで煙草に火をつけ、それをくゆらせながらぼやく。そして、商船被害報告書を手に取った。

 

「……まだそこまで顕著じゃねぇが」

 

 少しずつ。商船被害が増えているように思う。大多数はこれを見ても問題なかろうと結論を出すだろうが。

 華々しい戦果をあげる前線の連合艦隊は、それこそ国民の希望の光だ。我々は深海棲艦に勝ち続けていると上は国民に示したい。だから、もっと勝て、とせっついてくる。目先の戦果を欲しがる。それと比例して、資源の補給を担う民間の商船被害や海上護衛問題などの地味な部分は軽視されがちになってくる。

 人は問題が浮上しなければ、そこを見ようとは中々しないものだ。商船被害がそこまで出ていない今では、ほら、これだったら商船の護衛もいらないではないか、と結論づける。大打撃を受けたとなれば、時すでに遅しとなるにも関わらず。

 悪循環だ。艦娘は艦娘で、護衛に回されるのはいわゆる前線を張るにはつらい落ちこぼれか旧型ばかりであるから、増々護衛を嫌がる。実際戦果らしい戦果もあげられないつまらない任務であるし、その重要性を解いたところで中々その士気は上がらないものだ。それに最新型を護衛に回そうとすれば上が連合艦隊の艦娘を護衛に回すとは一体どういう了見だ、とつばを飛ばしながら怒鳴り込んでくるのだ。

 正直に言おう、まともな感覚じゃこんな役職、やってられねぇ。

 

「あー……次の秘書艦も決めねぇと」

 

 ため息をつきながら書類を机に放ってどかっと椅子に深く座る。久々に仕事が出来るやつだった。実戦も、書類業務も。これで愛想さえあれば完璧だったんだがな。まぁもう過ぎたことだ。次は誰にするか……出来ることなら横鎮の大淀、かっぱらいたいとこだが。まァ無理だな、アイツ心労で死んじまうわ。

 

「長門はこっちに戻して……加賀は佐世保に回すか、そろそろアレもやべぇな、精神病棟にぶち込むのはもったいなさすぎる。貴重な艦種になればなるほど適性保持者は少ねぇってのによ……」

 

 艦娘は戦争の道具だ。そう思わねばこんなクソみたいな仕事やってらんねぇ。それでも、俺には俺の信念がある。

 艦娘は道具だが、俺は道具を雑に扱うやつは死ぬほど嫌いだ。限られた資源を大切に扱えないものに死地は切り抜けられない。一時期一部の提督間で捨て艦戦法、いわゆる艦娘を囮とした戦法が流行ったが、胸糞悪過ぎて軍規に新たに捨て艦戦法を禁止する旨を追加させた。

 駆逐艦だろうがなんだろうが、全ては貴重な戦力であり、また無駄に浪費する余力なぞ今の俺達にはない。敗戦は即ち人類の滅亡を意味する。これは人と人の争いではないのだ、和平交渉もクソもない。だから、確実に勝ち続ける。そのためにも、有能な奴らを潰してたまるか。

 

「さて、吉とでるか、凶とでるか」

 

 机の引き出しから一枚の紙切れを引き出してそいつのデータを見る。陽炎型のネームシップにして落ちこぼれ。なぜその方向に砲弾が飛ぶ、というくらい理解不能なほど砲撃が下手くそで、早々に見切りをつけられた問題児。自身は会ったことなどなかったか、なんの因果かソイツが配置されている泊地には今、アイツがいる。

 

「……同型艦は、同型艦を呼ぶ、ってな」

 

 海に呼ばれる。艦娘が轟沈した海域に同型艦をやると、その艦娘も轟沈しやすい。まだ確証は得られていない段階だが、最前線に立っているこの身は嫌というほどそれを理解していた。たまに話題に出るこの現象を誰が最初に言い始めたのか、海に呼ばれる、などとなんとも無駄にロマンチックな隠語が確立されつつあった。

 不知火は前線で活躍しすぎた。さすが陽炎型、と言ったところだ。だが、雪風、艦艇の頃からあらゆる死線を乗り越えてきた幸運艦の艦娘であり天才のアイツとは異なり、アイツは秀才型で精神面にも問題ありだ。現に雪風は同調率に問題がないのに対して不知火はここ最近顕著に悪化していた。

 陽炎型、夕雲型はその性能面からどうしても早く実戦に出せとせっつかれやすい。有能すぎるのだ、他の駆逐艦に比べてその性能が。だからこそ、沈んでいくのもこの二つが多い。

 不知火は、前線で活躍しすぎた。……この、陽炎型、夕雲型が多く轟沈していった海域で。

 

「……何が聞こえるんだろうなァ?ま、興味ねぇがよ。さて、賽は投げてやったぜ。どうなることやら」

 

 同型艦は、同型艦を呼ぶ。あちら側にいようが、こちら側にいようが。なれば。

 

「見ものだな、オイ」

 

 灰皿に煙草を押し付け。あくびを噛み殺しながら執務室を後にした。

 

 

 所属の変更を言い渡されてから、三日の猶予。短すぎると思ったものだが、実際に自身の身辺整理を始めてみればものの二時間も要さなかった。それもそうか、ここにはものが無さすぎる。給与をつぎ込む暇もなければ、特に趣味らしい趣味もなかった、しいて言えば読書くらいか。数冊の本を鞄に突っ込んで一息をつく。

 

「呉の海は、性に合っていたのですが」

 

 どんなに凄惨な戦場に赴いていても、ここに帰ってくれば穏やかな瀬戸内海がいつでも迎え入れてくれた。その静けさが気に入っていた。だが、その日々もあと数日で終わりだ。実感が湧かない。いや、そもそも。

 

「……生きている、実感すら」

 

 もう、久しくない気がする。まぁ、そんなもの。どうでもいいか。

 

「──」

 

 どうせなら。いっそ、この身を使い潰してくれれば。次の配属先の詳細は知らないが、鎮守府ですらなく泊地、それも戦術的重要性もさほどないところだと聞いた。そんなところで。なにを、すればいいのだろう。

 ひとつ、ため息をついて自室を後にする。

 

「……あ」

 

 自室から出ると、雪風とばったり出くわした。確か作戦を終えて帰って来たばかりのはずだ。

 

「これからお風呂ですか」

「は、はい!」

「そうですか。無事でなによりです、おかえりなさい」

 

 くしゃり、と頭をなでると、どこかくすぐったそうに雪風は体を揺らした。元々人付き合いがいい方ではないのだが、どうしてか雪風だけは構いたくなる何かがあった。同型艦としての親近感からかもしれない。

 

「ああ、そうだ。雪風」

「はい?」

「転籍することになりました。秘書艦も今日で解任です」

 

 せめて雪風くらいには言っておこうと事実を淡々と告げると、雪風は一瞬固まって泣きそうな顔になる。それが心苦しくあるものの、命令なので逆らうこともできない。

 

「陽炎型の同期は、もうあなただけでしたから。さみしくなります」

「……」

「ああ、そうだ。一度、聞いてみたかったことがあるんです」

 

 ゆっくりと、頭をなで続けながら。何でもないことのように言葉を続ける。それは、自身と同様に多くの同胞が沈んで行った海域で活躍する奇跡の駆逐艦に対して。

 

「海に。呼ばれたことはありますか、雪風」

 

 この身は、既に狂っているのかと。一度、尋ねてみたかった。

 海に出れば、聞こえる。敵のその姿がダブる。共に戦場を駆け抜けた同胞に。そんな自身は、もう狂っているのかと。最後に、聞いてみたかった。

 

「……」

「……あり、ます」

「そう、ですか」

 

 最後に、くしゃっとひと撫でして。

 

「少し、気が楽になりました」

 

 そう、表情筋が死んでいると提督をして言わしめた自身の表情を、できるだけ緩めながら泣きじゃくる雪風の涙を拭ってやった。

 

「しら、ぬい、さぁん……!」

「すみません。無責任かもしれませんが、達者で」

 

 この子に何もしてやれない自身の不甲斐なさを感じながら。せめて、その涙が収まるまでは傍にいようと、思った。

 

 

「さんきゅーな、ねーちゃん!」

「いえ、仕事ですから」

 

 目的地へ行くついでに補給艦の護衛もやってこい、とは相変わらずちゃっかりしてる男だ。性格は悪いが仕事は合理的かつ効率的だったから辛うじて彼の秘書艦をやっていられたところはある。必要最低限の会話で仕事を回せたのである意味相性は良かったのかもしれない、嫌いなことには変わりないが。

 お、いつものねーちゃんじゃねぇのかぁ、艦娘さんはどいつもこいつも別嬪さんだなぁ、と朗らかに話かけられたものの、どう返せばいいか一瞬迷い、結局よろしくお願いします、という無難な挨拶を済ませた。温暖な気候ゆえか、補給艦にいるどの人も陽気で気さくだった。

 この補給艦は荷下ろしを終えた後、しばしの休憩を経て帰路に着く。その際にはここの泊地の艦娘が護衛に当たるはずだが、それらしき影は見当たらなかった。とにもかくにもここの提督に挨拶をしなければ始まらない。補給艦の船員に執務室がどこにあるか尋ねて教えてもらい、連れてってやろうか?という申し出を手を煩わせるわけにはいかないからと断って歩き出す。ああ、工廠の場所も聞けばよかったか、艤装をとっとと下ろしたいがまぁいい、提督についでに場所を尋ねればいいだけだ。

 

「……静かなところですね」

 

 誰に言うでもなく一人呟く。この角を曲がれば提督の執務室だったと記憶しているが、ひとっこひとりすれ違わなかった。それほど規模の大きい泊地でもないし、あまりここに在留している人達はいないのかもしれない。

 扉を前にしてコンコン、と静かにノックをすると、はーい、どーぞーと間延びした声が中から聞こえてきた。

 

「失礼します」

 

 扉を開けると、まさに煎餅を口へと放り込もうとしていた、おそらくここの泊地の提督と思わしき人物と目が合った。

 歳は、二十代後半から三十代前半くらいであろうか。南方の少々高い気温にも関わらず、長袖の制服をしっかり着込み、おまけに右手には白い革手袋まではめているのは中々好感度が高い。衣服の乱れは風紀の乱れ、左手につままれている煎餅は見なかったことにしましょう。

 若い見た目に反して真っ白な前髪から覗く薄茶色の目がぱちくりと瞬かれたのを見届けてから言葉を続けた。

 

「本日こちらに着任致しました、陽炎型駆逐艦二番艦、不知火と申します」

「……」

「ご指導ご鞭撻、よろしくです」

 

 はじめが肝心であるから、きちんとした敬礼と共に無難な常套句を添える。それをぱち、ぱちと目を瞬かせながら聞いていた提督の言葉を待つ。しばらくして、ゆっくりと首を傾げながら提督が口を開いた。

 

「……え、聞いてません」

「は?」

 

 思わずドスの利いた声が出てしまった。いや、でもその返答はさすがに予想外なのですが。

 

「あれ?もしかしてこれかな?あれー?」

 

 気の抜ける声と共に、提督が執務机に乱雑に積まれていた書類の束をひっくり返し始めた。と、共に崩れる山。巻き起こる雪崩。思わずひく、と顔が引きつった。

 

「あらー」

「……」

「あ、待ってください違うんです!うちの秘書艦が少しここを離れてまして、ええ。いつもはこんなにひどくはですね」

 

 あわあわと言い訳を並べる提督を、無言で見返す。押し黙る両者。

 

「……」

「ええと」

「……」

「……とりあえず、ご飯でも食べます?」

 

 帰りたい。着いて早々、そう思った。

 

 

「いやいやいやこんなこともあろうかと空き部屋はきちんと用意してありますからあ!そう艤装!艤装降ろさないとですね!工廠はここです!そろそろご飯も出来ますから今日はそれ食べてゆっくりしてください!で、えー、明日!明日はそう!ヒトヒトマルマルにこちらに来ていただければ!多分、そのくらいまでには!こちらも色々と把握しますので!!」

 

 と、矢継ぎ早に巻くし立てあげられ、冷ややかな視線を提督に送りながらも執務室を後にした。苦手なタイプだ、多分。自分が割ときっちりと仕事をこなすタイプなので、ああいった杜撰な仕事を見ているとイラっとする。

 ため息混じりに工廠へと向かい、そこの、どうやら周りからおやっさんと呼ばれている最高責任者に艤装を預ける。それを見て、彼がしかめっ面をした。

 

「なんだぁ?呉じゃこんな艤装で戦ってんのか?ほぼ初期設定じゃねぇか」

「ええ、まぁ。すぐ壊れて修理中は代替のものを回されますので、呉の艦娘の装備は下手に個々にカスタマイズせず、艦娘が艤装に合わせる方法をとっています」

「けっ、艤装技師としちゃ面白くねぇ話だ」

 

 効率、効率って……あいつとは昔から考えが合わねぇ、と苦虫を噛み潰したかのような顔でそう続けた彼に問いかける。

 

「呉の提督とお知り合いですか」

「ああ?まぁ腐れ縁だなぁ、昔から気が合わねぇけどな」

 

 こんな僻地にいる艤装技師と連合艦隊司令長官が知り合いであるというのも、なんともおかしな話だが。彼は嘘をついている様子でもなかった。

 

「ここじゃ新しく開発に回す資源もあんまねーしよ、何より俺のプライドってもんがある。お前用にカスタマイズさせてもらうぞ」

「どうぞ、不知火に拒否権はありませんので」

 

 郷に入りては郷に従え。特にこの設定が気に入っているわけでもないので自由にしてもらって構わないと告げてそこを後にした。

 確か、食堂はこちらだっただろうか。食堂に近づくにつれ、食欲を刺激するいい匂いが鼻腔をくすぐった。今日は和食なのだろうか、出汁のいい香りがする。

 カラカラと引き戸を開け、辺りを見回すとカウンターにいた女性が声をかけてきた。

 

「あら。新人さんですか」

「本日こちらに着任しました、駆逐艦の不知火と申します」

「あら」

「よろしくです」

 

 トレイはそこ、ここで食事をお出ししますね、と説明を受け、カチャカチャと準備をしていたらその女性が言葉を続けた。

 

「私は、航空母艦の鳳翔と申します」

「……はい?」

 

 その言葉に思わず固まる。なんだ、ここでは艦娘が炊事まで担当するのか。料理などしたことがないぞ、と考えていたら顔に出ていたのか、彼女がくすくすと笑いながら続けた。

 

「私は、もう引退した身なので。ここでお料理を出させてもらっているんですよ」

「……はぁ」

「お口に合うと、いいのだけれど」

 

 そう言ってこちらに渡して来た食事は、控えめに言っても呉の食堂で出されるものより遥かに美味しそうだった。ありがとうございます、と受け取って、空いている席を探す。スタッフや艦娘と思わしき人達がちらほらと見えた。そのうちの一人と目が合う。

 

「見ない顔ね、曙んとこの泊地の新人さん?」

 

 本当に誰も自分のことを把握していないらしい。内心ため息をつきながら先ほどから何度も繰り返している自己紹介をその人の側のテーブルにトレイを置きながらした。

 

「本日こちらに着任しました、陽炎型駆逐艦二番艦の不知火と言います」

「……」

「よろしく」

 

 何度も繰り返して若干うんざりしていたので、挨拶もぞんざいになる。どうせこいつは駆逐艦だろう、文句を言われたら訂正すればいいと席に座ると。

 

「え、嘘!陽炎型!?わーやっと会えた!」

 

 ガタン!と椅子を鳴らしてこちらへと勢いよく歩み寄ってきたその人にびっくりして思わず顔を見返す。瞳をキラッキラさせながらこちらに身を乗り出してきたそいつにたじろいでいると、そんなこちらの様子に構うことなくそいつが話を続けた。

 

「私以外の陽炎型見るの初めて!あ、そう、名前、名前よね!陽炎よ!陽炎型ネームシップ!よろしくね!」

「は、はぁ」

 

 なにが嬉しいのか興奮気味にそう続ける彼女に相槌を打っていると、急に陽炎、と名乗りをあげたそいつが素っ頓狂な声を上げた。

 

「あ、もう時間だ!ごめんなさーい鳳翔さん!後で残り食べるからー!!」

「わかりました。はい、これはお腹が空いたら食べてね」

「こ、これは……!」

「おにぎりよ。大したものじゃないけれど……あまり時間がなさそうだったから、用意しておいたの」

「鳳翔さん……!好き!ありがとうございます!!」

 

 そうして慌ただしくおにぎりが入った風呂敷を受け取り、立ち去ろうとしたところで。

 

「またねー!!」

 

 と、元気よくこちらに声をかけ、そして走り去って行った。

 ……嵐のようなやつ。テンションの高さにうんざりしていたら、なんで訓練後なのにあの人あんなに元気なの……と近くで伸びていたもう一人の艦娘と思わしき女の子が呻き声をあげた。全くだ、と思いながらこちらにも挨拶をすべきかと思ったところで、その娘が力尽きた。……食事の半ばにして気を失っている。そっとしておこう。やれやれ、ようやく静かにご飯が食べられる。そう思った瞬間。

 

「ヘーイ!鳳翔!アイムホーム!ハングリーネー!!」

 

 ガラピッシャーン!と引き戸をけたたましく開きながら、別の女性が現れた。

 ……ここには、まともな艦娘はいないのか。その騒音をBGMに、うんざりとした顔で食事をかきこんだ。

 

 

 書類が見つからない。元来こういった事務処理は苦手なのだ、だから最前線にいる頃は全部秘書艦たる金剛に丸投げをしていた。実を言うと金剛もそこまで書類業務は得意ではないのだが、必要最低限だけおさえて後はごめん任せた、てへぺろ、で他の人に押し付けて切り抜けてきたわけである。うん、まぁ軍から嫌われてる理由の一つは間違いなくそれでしょう。でもしょうがないじゃない、人間苦手なもののひとつやふたつまぁもっとありますけど、愛嬌ってもんですよ。

 そんなわけで該当書類を探し当てるのを諦めた私は、軍の回線であいつに繋いでもらったのである。こんな辺境で干されてる私に何かを押しつけてくるやつなど、あいつしかいないのだから。

 

『何考えてんです?』

『わりぃな、邪魔だからそこに左遷した』

 

 この不遜な態度、相変わらずである。曲がりなりにもこちらはこいつより結構年上なのだからもう少し敬って欲しいところである。

 

『候補生の面倒見てんだ、駆逐が一人増えたところで変わんねぇだろ』

『いや大分違うでしょ……もっと早めに言ってくれません?』

『二週間前には書面が届いてるはずだが?』

『……』

『あいっかわらずクソみてぇな仕事っぷりだな、オイ』

『失礼な。金剛が不在だから書類がすこーし滞っているだけです』

『クソ暇な泊地でなんの書類が滞る』

『い、色々です、色々』

 

 いかん、向こうに押されているぞ。私がこいつのことが嫌いな理由に全ての仕事においてそつがないこともあげられる。え?嫉妬じゃないですよ?揚げ足取りたいのに取れなくてムカつくなんて思ってません。

 

『戦うしか能がねぇくせにんなところに引きこもりやがって。いい迷惑だ、前線に出てきたらどうだ』

『無理ですよ、戦いの最中盛大に足引っ張って欲しいんですか?』

『は、ごめん被る。俺は自分の懐に爆弾は抱えない主義でね、なァ、深海提督?』

『その悪口も久々ですね……』

 

 この見た目と、一回やらかしたこともあってついたあだ名。実際右手には深海棲艦の穢れがいるので全くの間違いでもない。艦隊決戦一回くらいなら問題なくこなせるくらいにはこいつを御せるようにはなったが、前線で戦い続けるのはさすがにリスクが大きすぎる、だからこの泊地へと流れついたのだ。

 その言葉に反応したのかどうなのか。自身の意志に反して右手がひく、と動く。それを拳を握りしめることで黙らせながら会話を続けた。

 

『気に食わねぇ、なにもかも。お前のやることなすこと、全部だ』

『……』

『厄介な神さん連れ戻したのは評価してやるけどよ。俺ぁお前が大っ嫌いだ』

『そうですか。私もあなたが大っ嫌いです』

 

 大っ嫌いなら放っておけばいいものを。それができないのは、残念ながら互いに互いの能力だけは認めているからだ。

 

『働け、俺の駒として。それが戦う力があるくせにそれを捨てたお前のなすべき贖罪だ』

『知ったこっちゃないですけど。なにが目的です』

『なに、話はシンプルだ。妹の面倒を見るのは、姉が適任だろ?』

 

 その言葉に思わずムッとする。言わんとしていることはわかった。彼女、先ほどここを訪れた不知火は陽炎型二番艦であり、そしてこの泊地には陽炎型一番艦が、いる。

 

『そっちの都合で陽炎をここに追いやっておいて。ムシがよすぎませんかね』

『はん、知らねーよ、陽炎の配置は俺がここに着任する前だ。文句は無能な前任にいいな』

『ほーぅ?うちの陽炎がちゃんとできる子だってわかってるかのような口振りですね?』

『さてね。ああ、だがよ』

 

 私はこいつのことが嫌いである。だが、そうであったとして認めざるを得ない。

 

『どっかの物語の正統派主人公みたいなツラしやがって。気に食わねぇんだよ、精々うちのじゃじゃ馬に振り回されな』

 

 こいつは人を見る目があるのだ、艦娘をモノとしか見ていない癖に。初見での雰囲気、与えられたデータ、そういったものを頼りに何よりもうまく艦娘を使っていく。戦いに飢えた艦娘には手綱を握れる艦娘を。一歩前へ踏み出せない艦娘には、優しく背中を押してあげられる艦娘を。とにかく、人と人を繋ぐのが、うまい。それがなおさら腹立たしい。だからこそ、ここにあの娘を放り込んだことにも意味があるのだろう。

 私はあの娘のことをなにも知らない。書類まだ見つからないし。だけれども、結局はこいつの手のひらの上でうまーく転がされるのだろうと思うと、もう、ほんとにムカつく。ムカつくので精々嫌味を言ってやるのだ。

 

『それは、悪人面であるあなたの僻みでは』

『俺はハードボイルドなだけだ』

『……はっ』

『やんのか、コラ』

『いえいえ、お仕事頑張ってくださいね、ハードボイルド提督ブフォ!』

『テメェ、潰す』

『どうぞどうぞ、間宮の羊羮用意してお待ちしてますよ、来れるもんなら来てみやがれってんです、多忙な呉のハードボイルドさん』

 

 そう言って相手の返答もろくに待たずに電話を切ってやった。ああ愉快愉快、いつも口では負けることが多いけれど、久々におちょくってやれた。どうせいつもあいつの手で転がされるし、それが悪い方向へと行くこともまずないけれど。それでも私はあいつが大っ嫌いなのだ。

 

「ヘーイ!ただい……部屋が!!汚い!!デース!!!」

 

 バッターン!と勢いよく執務室の扉を開けるなり、我が泊地の秘書艦、金剛が叫んだ。

 

「え、いつもより綺麗じゃないですか!?あ、おかえりなさい!ほら、見て見て私頑張りましたよ!ほら書類も」

 

 このように一箇所にまとまっております、と指し示そうとして勢い余って書類の山を崩してしまった。ドサー!!と勢いよく書類が床へと舞い散る。

 

「アー!!」

「あー」

 

 ぽりぽりと頭をかいていたら、もー!と金剛が怒りながらそれを拾い始めたので手伝った。

 

「あとさっき見かけたんデスが、あの無愛想なコ、誰デスか?話すタイミングを見失ってしまいマシタ」

「あー、うちに転籍になった娘だそうで」

「Pardon?」

「まだその書類見つからないんですけど、多分それのどこかに……」

 

 えへへ、と金剛が手元にかき集めていた書類を指差す。真顔でこちらを見返す金剛。とりあえずウィンクしておいた。

 

「……テートク」

「はい?」

「Get away from here. 邪魔デース、片付け終わるまでお外に待機しててくだサーイ」

 

 あ、これ割と本気でキレてる。親指でくいっと出ていけとジェスチャーする金剛に従って、すごすごと部屋を出る。バタン!と勢いよく扉が閉められたので、仕方なく扉の隣に座りこんでのの字をかきながらいじけることにした。

 

「だって、書類って見てると眠くなるんですもん……捨てないだけ進歩したと思いませんか……」

「むしろ捨てるのが論外だったんデース!!」

 

 思いっきり中にいた金剛に聞かれていた。

 

 

「同調率八十五パーセント!?普通もう廃人ですよ!!」

 

 ようやっと金剛の手によって掘り起こされた書類に目を通して、思わず素っ頓狂な声を上げた。

 

「そんなに悪いんデスか?」

「そりゃーもう。軽度過同調の初期から生の実感の喪失、症状が進んでくると感情起伏が少なくなって、最後は自失ってのが基本パターンなんですけど。八十五は普通に自失レベルです」

 

 分類的には九十から高度としているが、高度はもう戻れない、という意味での区分だ。この娘の値はそういった意味でもギリギリだ。

 

「そうは見えなかったデスけどネー?」

「元々感情起伏が少ない娘なんですかね、これを見ると。見落とされてたかな……いや、隠してたか」

 

 前線での心理状況というものは特殊だ。多くの敵を屠り、仲間が沈んでいくのを見ていると感覚が狂ってくる。人としての心が摩耗していくのだ。その日常からの感覚の逸脱を調整する意味でも同調率はシビアに管理しているはずなのだ、あいつなら。モノを粗末に扱うことを嫌う、あいつなら。

 それがここまで見過ごされているのは、自分はまだ大丈夫であると誤魔化していたか、あるいは、狂ってると自覚した上で。

 彼女の経歴まで読み進めたところで、ぽつりと言葉をこぼした。

 

「……ああ、初陣もひどいもんだ」

 

 行方不明艦隊の捜索。行方不明艦を見つけるも敵の罠にかかり、彼女以外は全て轟沈。その後、命からがら逃げ帰った彼女の情報により敵は掃討されたようだけれど。初陣と呼ぶには、あまりに惨い。

 

「昔っから、陽炎型は扱いが雑なんですよ。性能に任せた運用ばっかするんですから」

「……陽炎は、ここでのほほんとしてますけどネー」

「そう!それも許せない!」

 

 ここぞとばかりに今までの憤りを拳にのせて机を思いっきり叩く。金剛が書類を整理してくれたので雪崩が起こることはなかった。

 

「せっかく艦娘という生身の人と!コミュニケーションが取れるのに!!上は艦娘の性能しか見ないから歴代の陽炎もこういう不遇な扱いになる!私は!それが悲しい!!」

「テ、テートク、ちょっと、calm down……」

「やってられっか!」

 

 うがー!と頭を掻きむしる。それを見て、呆れ半分、意外そうな顔半分で金剛がこちらを見据える。

 

「そこまで陽炎のこと買ってたのは、ちょっと意外デース」

「そうですか?いやー、まぁね、どの陽炎にも言えるんですけど、性能はちょっとポンコツなところがあるんですけどね」

 

 陽炎という名をもらっていても、そのひとりひとりは違う人であるのに、面白いくらい共通する項目。これがある意味陽炎の適性条件なのかもしれない。

 

『──駆逐艦は、私の誇り!』

 

 あれはどの代の陽炎だったか。あの娘は歴代の陽炎の中でも比較的前線で活躍していた。あの、目。そうだ、今の陽炎も、その前も。陽炎という名前を受け継ぐ者の目には。

 

「いい目をね、するんです」

 

 燃え上がるような。命の煌めきが、その目に宿っているのだ。

 

「ああいう娘がいるだけで艦隊の士気も上がるんですよ。上にはそれがわからんのです……」

「アー、ほら、間宮の羊羹買ってきましたヨー?元気出してくだサーイ」

「わぁい」

 

 机にだらーんと突っ伏して、声だけで歓喜を示せば金剛は苦笑いをこぼした。

 

「……でも、わかる気がしマース」

「んー?」

「ここに、ひとり。敵もほとんど現れなければ、やることもほとんどないこの場所に居続けて」

 

 そう言いながら金剛は執務室の一角に備え付けてある本棚に近づき、そこにしまわれている一冊を取り出した。それは、日焼けと手垢で少々くたびれた日誌。陽炎がひとりここで奮闘していた(あかし)

 

「腐らずにあれだけまっすぐでいられるのは、ある意味才能ですネー」

「でしょー?」

 

 一日も、サボることなく。事細かに記される、陽炎の航跡。それだけではない、ここには船団護衛の教本、その他戦術書。安全海域と謳われているこの泊地にいる限り必要のなさそうな本が、少ないながらも並べられいて。そしてどの本にも読み込まれた跡がついているのだ。

 誰も咎める者もいない中。ただひたすら、愚直にこの泊地を任された艦娘として仕事を全うし、常に前を見続けていた彼女の生き様。それが、この現提督執務室に色濃く残っていた。

 

「ほーんと。皆、見る目ないんですから」

 

 頬杖をついてため息と共に吐き捨てる。それは、奇しくも呉のとある艤装技師がこぼした苦言と、全く同じ内容であった。

 

 

 ヒトヒトマルマル。言われた通りに提督の執務室を訪れる。どうぞ、と言われ扉を開けばそこには先客がすでにいた。同じ陽炎型駆逐艦にしてネームシップ、陽炎。こちらを振り返った彼女から提督に視線を移すと、その隣には昨日食堂で騒いでいた女性が控えていた。彼女がもしかして秘書艦なのだろうか。

 提督はこちらの存在を確認すると、静かに話し始めた。

 

「書類、確認しました。いやはやお見苦しいところを見せまして申し訳ありません」

「……いえ」

「それと紹介が遅れました、こちらがうちの秘書艦、戦艦金剛です」

「よろしくお願いしマース!」

 

 屈託のない笑顔で金剛、と呼ばれた女性が挨拶をしてきた。戦艦金剛、といえば始まりの四隻のうちの一角であったはずだが。まさかこんな僻地で始まりの四隻のうちの二隻に会うとは。

 始まりの四隻。人類が深海棲艦に有効な打撃を与えられず、徐々に生活圏を奪われていた頃に颯爽と現れた四人の艦娘。歴史にその名を刻みながらも、実際にその艦娘を見た人はほとんどおらず、都市伝説となりつつあるその人達が、戦艦金剛と航空母艦鳳翔が、ここにいる。なんだか不思議な感じではある、興味はそれほどないが。

 

「よろしくお願いします。駆逐艦、不知火です」

 

 敬礼と共に挨拶を返す。それを見て、Wow、綺麗な敬礼ですネーと金剛さんが感想を漏らした。

 

「まー見ての通りなんにもない泊地なんですがね、ここ。ちょうどよかったです、あなたにも手伝ってもらいたいことがあるんですよ」

 

 えーと、と言いながら引き出しを漁ろうとしている提督に金剛さんがスッと書面を手渡す。それを受け取ってあー、これこれ、とのんびりと提督がお礼を言った。

 ……秘書艦とは、介護職だっただろうか。

 

「まだ会ったことはないかも知れませんが。こちらでは試験的に候補生の受け入れを始めたんです。五航戦瑞鶴候補、空母候補生壱番。彼女の面倒を見てあげて欲しいんです」

「……お言葉ですが。艦種が違う不知火に適しているとは思えませんが」

「そんなことはないですよ、艦隊運動における連携とか、航行技術だとか、魚雷の回避運動だとか。やれることはいっぱいあります」

「……」

「呉では駆逐艦はヒエラルキーの最下層みたいなところがあるでしょうから、やりづらいかもしれませんね。でもあそこはあそこ、ここはここ」

 

 さらっと言ってくれる。あちらのいかにも海軍らしい上下関係に慣れきったこの身では、いかに候補生とは言え空母に気安く話しかけるのは中々抵抗がある。

 別に差別をされているわけではない、あそこでのあれは区別だ。戦艦や空母はその人数も少なく、戦術の要たる艦種であるからその責任も重い。そういった期待を背負って戦線を押し広げる彼女らと、その彼女達を必死に守り、彼女らが戦い続けるための物資を確保するための補給艦護衛任務などを担う駆逐艦。どちらも大事であることはわかった上で、それでも駆逐艦娘達は尊敬の念をもって彼女達と接するのだ。

 

「ていうかぶっちゃけここ艦娘ほとんどいないんですよ、空母なんて鳳翔さんだけですよ、鳳翔さんに任せっぱなしじゃ美味しいご飯が食べられないじゃないですか!!」

「それは困る!!」

「そうでしょう!」

 

 ……人が真面目にその候補生への接し方を考えているというのに。なにやら話題がどんどんゆるい方向へとずれてきた。ヒートアップする提督と陽炎を冷ややかな目で見るも当人達は気づいてないようだった。

 

「まーそんなわけでね、金剛にも陽炎にも、もちろん鳳翔さんにももう訓練を任せてはいるんですけど。そのローテーションに不知火も入ってもらいたくてですね」

「……ご命令とあらば」

 

 どうせこんな泊地ではやることもあるまい。のどかな海を哨戒し続けるよりかは幾分気が紛れそうだし、そもそもこの人は上司であるわけだから断るなどもっての他だ。

 

「堅いなぁ。陽炎とは大違い」

「別に同型艦だから似てるってわけでもないでしょ、そもそも他人だし」

「ま、そーなんですけどね。それじゃ、今日のお願いでーす」

 

 でれでれでれ〜と下手くそなドラムロールを口で鳴らしながらじゃん!と一枚の紙と共ににこやかに提督が告げる。

 

「おやっさんから標的用の深海棲艦の模型が出来上がったとの話があったので。今日は陽炎と不知火の二人でそれを使った砲撃訓練を行ってもらいまーす」

「え゛……?」

 

 その言葉に陽炎が怯んだ。

 

「……ぎょ、魚雷じゃダメ?」

「だめです」

「ほ、ほら。候補生は空母よ?私達の砲撃データなんていらないんじゃない?」

「今後駆逐艦候補生の受け入れも検討中なので。あと模型の耐久性見るのに艦載機なんか一々使ってらんないです、貧乏泊地の資源難なめないでください」

「資源調達頑張るから!」

「そういう問題じゃありませーん」

 

 なにをそんなに慌てることがあるのだろうか。必死に食らいつく陽炎をのらりくらりと交わしながら、提督はこちらに笑いかけてきた。

 

「やってくれますよね?」

「はい」

「さすが不知火、どっかのお姉ちゃんとは違って聞き分けがいいですねー」

「ぐ、ぐぬぬ!」

「妹艦はやるって言ってますが、ネームシップ陽炎さんはいかがですかー?」

「バカにすんじゃないわよ!!やってやるわ!!」

 

 ちょろいやつ、とそのやりとりを見て思っていたら、ギャーギャーと騒ぐ陽炎の傍ら、提督がいやー陽炎は扱いやすくて好きですよ、とぼそりと呟いたのが聞こえた。

 ……この人、割と腹の中は真っ黒なのかもしれない。さすが提督、どいつもこいつも癖が強くて嫌になる。表情を変えずに黙っていたら、こちらに気づいた提督がにこり、と笑いかけてきた。

 ……食えない人だ。

 

 

『じゃー動くタイプと動かないタイプ、両方の模型で撃ってもらうからよ』

『……』

『ちゃんと当てろよ』

『わかってるわよ!』

 

 艤装を背負い、海上にて波に揺られながら件の模型を見据える。呉では割とリアルな深海棲艦の模型を使っていたけれど。あれは、なんだ。案山子にしか見えない。

 

『それじゃ、陽炎からな。目標、敵深海棲艦。撃ち方始め』

 

 ごちゃごちゃとなにやら揉めていたようだが、おやっさんがそう指示を飛ばすと陽炎は渋々と肩口に装備している12.7 cm連装砲のアームを調整して……調整して……。

 

「……早くしてくれませんか」

「ちょっと待って心の準備が」

「は?」

「あ、いや。……え、ええい!!なるようになれ!!!」

 

 気合いと共に陽炎の連装砲が火を吹いた。どどど、と水柱が派手に乱立する。……標的から大分離れた、見当違いな場所に。

 

「……へったくそですね」

「知ってるわよ!!だから嫌だったの!!」

 

 魚雷は当たるもん!!と何やら言い訳をしている陽炎を呆れながら見返し、スッと右腕と共に自身の12.7 cm連装砲のアームを動かす。

 

 ──ダ、ダァン!!

 

「ノールック!?」

「動いてない的なんだからこれくらい普通です」

「やだ!私の知ってる普通じゃない!!」

 

 

 その様子を、少し離れた所から見ている二人がいた。

 

「やーうまいな、不知火は」

「陽炎が下手すぎるだけじゃないデスかー?」

「それをさっぴいてもいい腕してますよー」

 

 なるほどなー、前線に出ずっぱりになるわけだ、と一人納得する。そつなくなんでもこなせる器用なタイプなのだろう。

 

「……なんか、また言い合いしてますヨー?」

「えー?」

 

 

「偏差考えてるんですか!?」

「失礼ね!ちゃんと照準動かしてるでしょ!」

「的を追ってるだけじゃないですか!バカなんですか!?」

「あ」

「バカなんでしょう!?」

「いや理論ではわかるのよわかってはいるんだけどこの主砲を握るとついつい力が入っちゃ」

 

 ──ダァン!!

 

 今度は、動いている的に対して。陽炎を黙らせるように模型に撃ち込んでやった。

 

「……」

「砲弾は、相手の動く先に置いてやるんです」

「……」

「それができないのなら、ゼロ距離砲撃をおすすめしますが」

「ば、ばばばかにすんじゃないわよ!」

 

 

「おもしろいなー」

「趣味悪いですヨー?」

「やだな、陽炎の砲撃がじゃないですよ」

 

 ムキになって言い合っている二人を指差しながら、言葉を続ける。

 

「あの娘があんなに声荒げてるの初めて見ました。やっぱ、同型艦同士ってなんかあるんですかねー?」

 

 相性が、いいのか、悪いのか。とにもかくにも今までろくに表情を変えることのなかった不知火がああも煽られている姿は中々に面白い。ついでに言うと、陽炎も。

 

「いい刺激になればいいですねぇ、お互いに。いやー助かりますよ、私教えるの苦手で」

 

 一回旗艦との視界共有を利用して砲撃を当てる感覚を身につけてもらおうとしたことがあったのだが、今の動きなに?と聞かれる度にえ、誤差を修正しただけです、と返していたらもういいと断られてしまったのだ。

 

「あとやっぱ駆逐の主砲は撃ってて楽しくないんですよねー。戦艦が一番!願わくば生きているうちに大和の主砲とか撃ってみたいですねー!」

「……浮気デース」

「え、これは違」

「浮気デース」

「……安心してください、こんな辺境の泊地に大和なんて来るわけないじゃないですか」

「……それもそうですネー」

「でしょー。はい、仲直りー」

 

 むすっとしている金剛の両手をとって軽く上下に振る。

 

「……喧嘩はしてないデース」

「でもちょっと本気で妬いたでしょう」

「……」

「あなただけですよ」

「……そういうところ!!デース!!」

「あだぁ!?」

 

 金剛からなぜか頭突きをされたその時。海の上では取っ組みあいの喧嘩が始まろうとしていた。

 

 

「あなたなんで艦娘なれたんですか!?」

「失礼ね!?砲撃以外はそこそこよ!!」

「ネームシップの名が聞いて呆れますね!」

「……言ったわね?」

 

 急激に陽炎の声のトーンが落ちる。瞬間、反射的に顔の位置をずらすと、頬を陽炎の拳が勢いよくかすめた。

 

「売られた喧嘩は!買わなきゃ駆逐艦の名折れよ!!」

「初手外しておいてどの口が!!」

「当たるまでぶん殴れば問題ない!!」

「上等です!!」

 

 

「わはー、駆逐艦同士の喧嘩見るのひっさびさ、あいてて……」

 

 顎をさすりながら海上での乱闘をのほほんと眺める。駆逐艦が多く所属する鎮守府では別に珍しくもない光景。火事と喧嘩は江戸の華、ならぬ駆逐の華。仲間の、自身の誇りを傷つけられっぱなし、舐められっぱなしは許せないのが彼女らの性分だ。喧嘩を見かければ戦艦や空母などは面白そうにそれを囃し立て、やんややんやと盛り上がる。それが鎮守府における一種のエンターテイメントとなっていた。

 小さな体に秘めたる大きな闘志。僚艦を命がけで守り、時に強大な敵に怯むことなく立ち向かう彼女達は他の艦種よりも短い命であることが常であるからこそ。その生き様に皆魅せられるのだ。

 

「どっちに賭けマスかー?ワタシは不知火デース」

「えー?そうだなぁ」

 

 しかしこうして見るとやっぱり陽炎も駆逐艦なんだなぁという気持ちと。割とあの子、血の気多いなぁという不知火に対する新たな見解を得つつ。

 

「共倒れに一票ですかね」

 

 きれいに陽炎の右ストレートが入ったのを見届けながら、のんびりと答えるのであった。

 

 

「……いっつ」

 

 口の中が切れて鉄の味が広がる。喧嘩なぞ、いつぶりだろう。いや、そもそもまともに喧嘩なんてしたことすらなかったかもしれない。気づけば同期はもう雪風だけで。まともにぶつかりあえる娘なんていなかったのだから。

 陽炎との掴み合いの喧嘩は、結局最後は二人同時にのびる形で終わりとなった。航行安定装置のおかげで大破さえしなければ海上でのびようが沈まず海にプカプカと浮けるわけだが、先に意識を回復した陽炎に晴れやかな顔でいやーいいパンチだったわ、と引き起こされた時はなにをしているんだ、自分は、とさすがに我に返った。

 駆逐艦は喧嘩っ早い。だけれども、一度決着をつければお互い後腐れなし、というのが常だった。陽炎も多分に漏れず、改善しなきゃなーとは思ってたのよねぇ、今までは自分で試行錯誤するしかなかったから勉強になった、ありがとうとお礼まで言われてしまった。

 

「……」

 

 ぐいっと口の端を左手で拭えば、白い手袋に微かに血の赤がついた。

 ……イライラ、する。そもそもがあわないのだ、あんな能天気な娘と。能力がないのも、こんな泊地で平和ボケしているのも。……前線が、戦争がどういったものであるのか、まるで知らない無邪気なあの態度が。イライラする。

 自室に戻るため、宿舎へと通ずる縁側を歩いていると。

 

「──」

 

 不意に。呼ばれた、気がした。目を閉じて、左手のあの傷がある場所を手袋越しに右手で握りしめる。

 

「……どこにいても。逃げられるわけでもないのに」

 

 一体、自分はここで、なにをしているのだろう。そう、ここに来てから何度も自身に投げかけている質問を、また繰り返すのだった。

 

 

 ここに来てからごたごたしていて中々日課の訓練ができずにいた。基礎体力は日々の鍛錬がものをいう、最近どうにもイライラするのはこういった日課をこなせずに生活リズムが狂っていたのもあるかもしれない。

 動きやすい服を身につけて外に出る。まだ日が登ってから時間がそんなに経っていないこの時間帯は、少し肌寒かった。まだここの土地勘も掴めていないから、適当に島をぐるっとジョギングでもして体を温めるか、と考えながら外に出ると、そこには先客がいた。

 

「……あ。ええ、と」

「陽炎型駆逐艦二番艦、不知火と申します」

「空母候補生、壱番です。よろしくお願いします」

「はい、よろしくです。自主訓練ですか」

「まぁ、そんな感じです」

 

 何度か見かけたことはあったが、まだ直接訓練を担当したことがなかったので実際に言葉を交わしたのはこれが初めてだった。候補生ということもあってか、ちょっと気後れした様子だった。わざわざこれ以上関わる必要もあるまい、と、ここを離れようとして彼女の先でストレッチをしている人物をみつけ、微かに顔をしかめる。朝から見たくはない顔だった。

 

「あの人より早く起きようって、最近チャレンジしてるんですけど。これでもだめかー」

 

 隣でぼそりと呟く壱番。よくよく見れば、ストレッチをしている彼女、陽炎はどうやら一通りウォームアップを終えた後であるようだった。陽炎がこちらに気づいて声をかけてくる。

 

「はよっ!壱番、不知火!一緒に走るー?」

 

 朝から元気なことだ。そのテンションの高さが少し鬱陶しい。彼女に答えずに黙っていると、隣にいた壱番が元気よく声を上げた。

 

「いいですよ、競争しましょう。私が勝ったらお昼のおかず一個もらいますからね!」

「おっ、いいわね!乗ったわ!!」

 

 壱番も負けん気が強いのか、そう陽炎に吹っかけて隣へ走り寄り、簡単な柔軟を始めた。それを横目に、陽炎が視線であんたは?と聞いてくる。

 

「……不知火は、一人でここを周りたいので」

「そっかそっか。まぁ歩けるとこは入り組んでないから迷うこともないし。でも気をつけなよー」

 

 そう言って陽炎はひらりと手を振って自身もまた柔軟を再開した。もう少し絡んでくるかと思ったが、予想外に引き際がよかった。好都合だ。そのまま、黙ってそこを後にした。

 

 

「まだまだ後輩には負けないわよー!」

「……、ぜ、ぜぇ」

 

 肩で息をしてまともに答えられない壱番の横で勝ち誇る。ここに来てからも一日もサボらず基礎体力の訓練を続けてきたのだ、早々に負けてなんかやるもんか、という意地と共に壱番をボッコボコにしてやった。

 

「は、っげほ!……体力なら自信あったの、に」

「ふふん、これが現役艦娘と候補生の差よ。ま、航行とかで体力つくし。海に出続けたら嫌でも体幹鍛えられるわよ」

 

 壱番はまだようやくまともな航行ができるようになったレベルだ。これからの伸びしろを考えたらむしろ末恐ろしい。私、最初からこんな体力なかったしなー、ガッツもあるし、いい空母になるに違いない。負けん気の強さも個人的には好感が持てた。

 

「ほら、奢りよ」

「ありがとう、ございます」

 

 予め準備していたクーラーボックスの中の缶ジュースを壱番に放る。壱番はそれを片手でキャッチして一気に煽った。

 

「はー、早起きも勝てないし」

「なに?あんたそんなの競ってたの?」

「負けるの、嫌いなんです」

「そのガッツは認めるけど……それを言ったらもっと恐ろしい人がいるわよ」

「誰ですか」

「鳳翔さん」

「ああー……」

 

 本当に、いつ寝ていつ起きてるんだろう。鳳翔さんが来てから、ご飯は美味しいし気づけば家事を済ませてくれているしと至れり尽くせりなのだけれど、本気でいつ休んでいるのか気になるところである。お店を持つのが夢だったから。ちょっと違うけど、私のやりたいことをやっているだけよ、とにこにこと言われてしまえばなにも言えない。だからせめてもとお手伝いなりなんなりをするのである。多分、ここにいる人達で鳳翔さんに頭が上がる人なんていないんじゃなかろうか。

 

「鳳翔さんは別格なので……」

「その言い方は引っかかるけど、まぁわかるわ……」

「実際鳳翔さんに教えてもらえるの、私、すごい役得だと思ってます」

「そうなの?」

「はい。なんていうか、教えてくれるひとつひとつに大事なことがいっぱい詰まってるんですよね」

 

 そう言ってぐいっと缶をまた壱番が呷った。鳳翔さんの射や艦載機の扱いを見る事はあれど、鳳翔さん以外の空母を見たことがなかったので空母視点からの話は中々に興味深い。

 

「艦載機乗りの妖精さんの熟練度おかしいくらいに高いし……新入りの妖精さんもすぐ懐くし」

 

 妖精さん、とは艤装の調整や開発、出撃の際は戦闘の手伝いをしてくれる神仏の類い、と定義されている。工廠の奥には必ず小さな鳥居が設置されており、そこを行き来しているようなのだが、大抵の妖精さんは一箇所の工廠に居ついてお気に入りの艤装技師や艦娘を手伝ってくれている。

 私も結構懐かれている方だと自負しているけれど、鳳翔さんには負ける。工廠に現れた瞬間一斉に妖精さん達が彼女にまとわりつく姿は中々にすごい。鳳翔さんは鳳翔さんで妖精さんひとりひとりに声をかけて丁寧に対応しているし。あれに敵う日が来るとは思えなかった。あと地味に金剛さんも好かれてるのが納得いかない。あんなに扱いが雑なのに。

 

「なんていうか……性能とかじゃなくて。この人には一生敵いそうもないなって、理解しちゃうというか」

「へぇ〜」

「まぁ、だからこそ学べるところは多いです。チャンスは、活かさないと」

 

 そう言って空になった缶をぺき、と軽く握り潰す。

 

「……絶対に、見返してやるんだから」

 

 そして、おそらく無意識にこぼしたであろう壱番の発言を耳にとらえて。思わず聞き返してしまった。

 

「誰を?」

「あ。……ええ、と」

 

 壱番はハッとなって言葉を濁した。聞かれたくないことだったかな。人との距離感が近い自覚はあるけれど、さすがに踏み込んで欲しくないところに踏み込むほどデリカシーに欠けてはいないと思っているので、無理には聞くまいと黙って残りのジュースを煽る。しばらくすると、壱番が口を開いた。

 

「……陽炎さんは。なんで、艦娘になったんですか?」

「ん?適性があったからだけど」

「いや、そうじゃなくて」

「あはは、ごめん冗談よ」

 

 艦娘適性があるものはその意志に関わらず国に登録される。最終的に艦娘になるかどうかは本人の意志に委ねられるとされているけれど、実際のところは希少な艦種になればなるほど有無を言わさず、といった感じだ。だから中には戦うのを嫌がっている娘もいる。最も、そういう娘は候補生時代に適性難あり、と大体弾かれてしまうけど。

 だから、壱番が聞きたいのは私が戦場へと赴く理由なのだろう。

 

「純粋に憧れたからかなぁ」

「憧れ、ですか」

「うん。ちっちゃい頃ね、船に乗ってる時に護衛していた艦娘と話す機会があったのよ」

 

 そう言って過去を思い出す。

 

『ねーねー、お化け、こわくないの?』

『お化け?』

『深海棲艦のことじゃない?』

『ああ』

 

 ちっちゃい頃に読んでいた絵本。それは、深海棲艦と艦娘の戦いをモチーフにした童話だった。子供向けに話がアレンジされているとはいえ、深海棲艦はおどろおどろしく描かれ恐怖を煽り、そして艦娘はそれを打ち倒すヒーローのように描かれていた。深海棲艦はとても怖かったけど、同時に艦娘には強く憧れた。正義のヒーローとはまさにこれだと思った。だから、本物の彼女らを前にして興奮して話しかけたのだ。

 

『怖いわよー』

 

 それなのに、そうのんびりと返してきた艦娘はあまりにも絵本の艦娘と異なっていて。思わず噛みついてしまったのだ。

 

『……にせものだ!』

『え、偽物って』

『だって、かんむすは、ゆうかんだって本にかいてあったもん!弱虫なおねーちゃんは、にせもの!』

『あら』

『言うわねー、この子』

 

 今更ながら、護衛任務中で気を張っている中、あんなにけちょんけちょんに罵ったのに笑っていたあの人は中々に懐が広いように思う。そして、そんな罵声に彼女は真摯に答えてくれたのだ。

 

『ね、おチビちゃん。死ぬのって怖い?』

『……こわい』

『お父さんとお母さん、友達が死んじゃうのは?』

『やだ!ダメ!!』

『素直でいい子ねー』

『なんでそんなイジワル言うの!』

『ごめんごめん、でもね、私も一緒なのよ』

 

 顔はよく思い出せないけれど。彼女の目は、よく覚えていた。深海棲艦を、死ぬのが怖いと言い。家族が、友人が死ぬのは嫌と言った、彼女の、目。

 

『勇敢ってのは怖くないってことじゃないのよ』

『……どういうこと?』

『深海棲艦は怖い。死ぬのは怖い。怖いことばっかりね、それでも』

 

 怖い、と素直に口にする彼女。その内容は、難しくてよくわからないことも多かったけれども。

 

『仲間や家族が死ぬのはもっと怖いの。だから、いっちばん怖いものから大切なものを守るために私はここにいるのよ』

 

 それでも、そう語る彼女の力強い眼差しは、子供ながらに綺麗だ、と思った。

 

『……よくわかんない!』

『ありゃ。難しすぎたか』

『陽炎、そろそろ持ち場に戻るわよ』

『はいはい、っと。……ねぇ!』

 

 そう言って、かげろう、と呼ばれた彼女は首元のリボンをするりと解いてそれを風に乗せた。思えばよくキャッチできたものだ、あれが私の手に収まらなければかっこ悪いどころの話ではないだろうに。それでも。

 

『あんた、いい艦娘になれる気がするわ!海で待ってるわよ!!』

 

 あの笑顔に。あの言葉に勇気づけられた。艦娘ってやっぱり凄い!と、憧れたのだ。

 

「まーまさかあの人と同じ艦艇の艦娘になるとは思わなかったけど」

「え?」

「いやびっくりよね。こんなことってあるのねー」

 

 同じ艦艇の艦娘は同じ場所には配属されない。どういう原理かは未だに解明されてないが、一緒にいると艤装が不具合を起こすのだ。だから、彼女と会うことはもう二度とないけれど。もしかしたら、彼女はもうこの世にいないのかもしれないけれど。それでもいい。私は、あのとき。確かに彼女の意志を受け取ったのだから。

 

「今を全力で生きて大切なもののために戦っているその姿にね、憧れたのよ」

 

 まぁ予想外の自身のへっぽこさにこんなところまで飛ばされてしまったけれど。それでも変わらない。この海を、大切な人達を守るという点で私は自身が艦娘であることに誇りを持っている。

 

「……私も」

「ん?」

 

 物思いに耽っていると、徐に壱番が口を開き、意識を引き戻された。壱番は手元の少しへこんだ缶を睨みつけながら。

 

「私も、そう。……憧れて、目指したんです」

 

 そう言ったきり。その後の言葉を続けることは、なかった。

 

 

 

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