彼は誰時に滲む灯火   作:moco(もこ)

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一部不快な人物と結構な殴り合い等があります。注意してください。


後編

 

「──チェックメイトです」

 

 訓練海域の海上にて。不格好に尻餅をついて青ざめている壱番に連装砲を突きつけ、淡々と宣言する。

 ここに来て数週間が経った。訓練を重ね、艦娘としての戦い方を一通り身に付けた壱番の訓練はより実戦的なものへと移行していた。

 駆逐艦に襲撃された時の回避行動訓練。空母は近づかれれば負けだ。いくら空母瑞鶴が高速艦とはいえ、それは変わらない。だから常に護衛艦と共に行動をすることが大事になる。

 今日は陽炎と不知火、壱番で擬似的にそういった状況を作り出し、対処法を考える訓練だった。壱番の護衛をどっちがやるか、という時に不知火は一航戦の護衛を何度かしたことがあるからと護衛側につこうとしたら、壱番が突如食ってかかってきたのだ。

 護衛してたってことは、弱点もそれだけわかってるんでしょう、なら不知火さんが襲撃側をしてください。私は一航戦になんか負けないと妙な対抗心を燃やしているようだった。だから、何か勘違いをしているその様子から目を覚まさせてやろうと完膚なきまでに叩きのめしてやった。

 陽炎が目くらましに張った煙幕に自ら突っ込み、壱番に向かって一直線に駆け抜け、そして今に至る。

 

「ちょっと!あんた、何考えてんの!?」

 

 その様子を唖然と見ていた陽炎が、慌ててこちらへ駆け寄る。

 

「何って。実戦のようにお相手しただけですが。候補生だからと手を抜くのは失礼でしょう」

「煙幕に突っ込んでったら敵からのめくら撃ちであんたがボロボロになるでしょうが!!通常戦闘で相手しなさいよ!!」

「これが不知火の通常です」

 

 艦娘の戦い方は生き延びることを第一としている。敵が張った煙幕へと突っ込んでいくのは逆に自身に砲撃を集中させる悪手とされているが、知ったことではない。定石で戦場は生き延びられない。

 

「空母瑞鶴は高速艦ですので。近づいた方が確実に仕留められます」

「実際の戦闘だったら敵に囲まれてあんたが沈む可能性が高くなるじゃない!!」

「沈められる前に沈めるだけです」

 

 そう答えると、陽炎は絶句してこちらを見返してきた。何も間違っていない。ずっと、自分はこういう戦い方をしてきた。

 

「沈められなかったら、その時までです」

「……あんった、ねぇ!」

「何か、落ち度でも?」

「本気で言ってんの?」

 

 胸倉を掴んでこちらを睨みつける陽炎を、冷めた目で見返した。陽炎はぎり、と掴む力を強めながら、それでも怒りをなんとか抑えつつ吐き捨てた。

 

「悪いけど。あんたの戦い方も、その目も。私、大っ嫌いだわ」

「そうですか、奇遇ですね。不知火も正直あなたのその目、嫌いです」

 

 お互いにお互いが嫌いというのだから、これも一種の両想いだろう。好都合だ、今後一切つっかからないでほしい。

 

「……あの!!」

 

 しばらく二人で睨みあっていたら、急に壱番が声を上げた。どうやら立ち直ったようで、しっかりと海に立ちながらこちらに話しかけてきた。

 

「……私がいけないんです。対抗心だけいっぱしに燃やして、この有り様なんですから。頭が冷えました」

「……」

「もっと、ちゃんと自分の力量と向き合ってやるべきことをやります。……もう一度、お願いします」

 

 真正面から殺気をぶつけてやったというのに。この娘は、思ったより芯が強く、素直で賢いようだった。しっかりと頭を下げた壱番を黙って見ていたら、隣の陽炎がいつもより低い声で、

 

「じゃあ、攻守交代ね」

 

 と告げた。それに黙って応じて、配置につく。

 陽炎はぐるぐると肩を回して何かを確認しながらこちらを、不知火を真っ直ぐ見据え。

 

「それじゃあ。──はじめ!!」

 

 その掛け声と共に。こちらへと真っ直ぐに突っ込んできた。

 ある程度予想ができていたこちらも、主機を一杯まで叩き込んで突っ込む。

 

「え、ちょっと!?」

 

 素っ頓狂な壱番の声をゴングの鐘代わりにして。お互いその勢いのままに相手を力の限り殴り飛ばした。

 

「第二ラウンドよ!」

「望むところです!!」

 

 お互いに遠くへと吹っ飛ばされ、海水を思いっきり被りながら体勢を立て直して吠えてまた正面からぶつかる。唖然とこちらを見ている壱番など、最早お互いの視界に入っていなかった。

 

「あんたのそのなにもかも諦めてる目!ほんっと気に食わない!」

「うるさい!ろくに砲撃も当てられないへっぽこが!」

 

 そう言って思いっきり左頬をぶん殴った。艤装を背負っている状態では普段よりも肉弾戦のダメージは通らない、砲撃から守ってくれる結界が展開しているからだ。だからこそ喧嘩はより苛烈になっていく。

 たたらを踏みつつなんとかそこで踏ん張った陽炎は、今度はこちらの胸元に掴みかかってきた。

 

「知ってるわよ!私が弱いのも!練度不足なのも!だから余計に気に食わない!!」

 

 そう言いながら陽炎が膝を腹に叩き込んできた。思わず息が詰まる。結界を展開しているということは、すなわちその防御力でもって相手を殴りにいっているようなものである。例えていうなら盾でぶん殴るようなものだ。砲撃ほどの威力はないとは言え、続けていけばダメージは蓄積していく。

 

「あんたは強いのに!一体どこ見てんのよ!!」

「なに、が!」

「死にたがりと一緒に組むなんて真っ平ごめんだっての、よ!!」

 

 陽炎のパンチが綺麗に頬に入り、吹っ飛ばされた。水飛沫をあげつつ受け身をとって、体勢を整える。

 イライラする、本当に。元来自身は頭に血が上りやすいのだ。もはや正常な思考などどこかへ消し飛び、こちらに掴みかかろうと寄ってきていた陽炎に起き上がり様に殴りかかった。

 

「いっ!?」

 

 急所を狙うだとかそんな冷静な攻撃ではない。ただ、そこにいるこいつが気に食わない。こいつの存在を倒さねばならぬという一種の怒りに任せた攻撃は、陽炎の足元をすくうには十分だった。

 

「うるさい!前線にろくに出たこともないやつが綺麗事を並べるな!!」

 

 もはや自身が何を言っているのか、それすらもあやふやだった。ただただ怒りを言葉として放出しながら殴りかかる。

 

「何がわかるのよ!仲間が!目の前で沈んでいくのをただひたすら見送るしかできないのを!!戦場の現実を知らないくせに!」

 

 次に沈むのは誰だろうか。いつから他人と距離を置くようになっただろう。いつから、この心はなにも感じなくなっただろう。これでいい、こうしなければならない。生の実感などいらない。ただ、淡々となすべきことをなすだけだ。そうしなければ。

 

『──二度も目の前で。私を助けようとするあなたが轟沈する姿を見るなんて、ごめんよ』

 

 生き残ってしまった不知火は。殺してしまった仲間達は。

 

「──やっと、捕まえた」

 

 海上で倒れこんだ陽炎に馬乗りになってさらに殴りかかろうとしたところで。ぐいっと胸元を引き寄せられ、目と目が至近距離で合った。

 

「なん、」

「いつもすました顔してて気に食わなかったのよ。そっちが本性でしょう」

 

 気に食わない。弱いくせに。

 

「確かに私は仲間が死ぬところなんて見たこともなければ、そんな最前線で戦ったこともないわよ。でもね、これだけは言ってやる」

 

 自身が弱いとわかっているのに、衰えを見せないその瞳の輝きが。気に、くわない。

 

「──あんたを守っていった仲間を侮辱すんのも大概にしろ!!」

 

 額が、割れるのではないかというほどの衝撃。頭突きを食らわされたのだと理解した瞬間、意識が薄れゆく。

 腹が立った。こんなやつに。こんな、弱くて口だけはでかいやつに、そしてそんなやつにのされる自分に。なにもかもが気に食わないなか、最後の力を振り絞ってそいつにもう一発拳を叩き込んで。そして、気を失った。

 

 

「壱番の教育に悪いなぁ……」

 

 壱番が執務室に駆け込んできて、慌てて金剛を訓練海域へと向かわせ二人を引き上げ、医務室にぶち込んだところでようやく一息をついた。

 

「そういう問題デスかー?」

「いやまぁ、それだけでもないですけど」

 

 想定の範囲内と言えば範囲内。幾度となく死線をくぐりぬけてきた不知火と、前線に出ることもなく平穏で退屈な、ある意味艦娘としてもどかしい日々を送ってきた陽炎。性格もさることながら、その経歴すら真逆なのだ、ぶつかるだろうとは思っていた。砲撃訓練でのじゃれあい程度ではなく、このくらい派手にまたやるだろうなと。ただこんなに早いとは思わなかった、しかも壱番の訓練をほっぽり出してまでおっぱじめるとは。

 

「……いい傾向かも知れませんヨー?」

「そうですか?」

「自分の心をさらけ出してる証拠デース。実際書類でも問題行動は一切起こしたことがないと書かれてマシタ。戦い方に難ありとは書かれてマスが」

 

 艦隊決戦時の攻撃的すぎる行動に問題あり、とは書かれていたが、確かに普段の素行に関しては特筆されるようなことはなかった。そう考えれば変化があるのはいいことかもしれないが、こちらの心労も考えて欲しい。無理か、無理だな。頭を抱えたところでぽつりと金剛が言葉をこぼした。

 

「同型艦の声は、いい意味でも悪い意味でもよく響きマスからネー」

「……」

「それに、あの二人は根っこが似てる気がしマース」

「あー」

「だから余計に反発するんじゃないデスかー?」

「まー、それはね……思いました」

 

 どちらも、いい艦娘だ。芯となる揺るぎない信念を持っている。我々が愛してやまない、駆逐艦としての誇り。ただ、それに対する行動が異なるだけ。

 

「……こればっかりは、私じゃどうしようもないんですよね。なんたって私は所詮他人事ですから」

 

 どんなに艦娘の死を悼んでも。どんなに彼女達を勝たせるために死力を尽くし、指揮を取ったとしても、この身はただただ、この執務室で座しているのみ。その命を賭して海を駆け巡る彼女達の苦悩をわかってやるなど、傲慢だ。

 

「ヘーイ!テートクまで暗くなってどーするんデスかー!!」

「……おっと」

 

 ざわり、と右手のあいつが調子づいてきたところで、金剛の声に意識を引き戻される。と、同時に自身の霊力でそいつを押さえつけてやった。あーやだやだ、油断も隙もあったもんじゃない。心に影りを見せればすーぐに乗っ取ろうとしてくるんだから。

 

「……はー、やんなりますよ。こんな時に応援依頼が来るんですから。陽炎と不知火、セットで名指し」

「でも安全海域での船団護衛デショー?そのくらいなら大丈夫じゃないデスかー?」

「安全、ね」

 

 戦況というものは刻一刻と変化していく。陽炎が一人でここにいた時はこの航路は安全と言い切っても良かったかも知れない。だが、今はあの頃とは少し状況が違う。

 上が戦線の押し上げに躍起になっているのだ。実際つい最近一部海域を切り開くことに成功したと報告されている。生活圏が広がれば国民は喜び、士気も上がる。だが、事はそんな簡単ではないのだ。その戦線を維持し続けるためには、押し上げた前線にそれ相応の物資を供給し続けなければならない。物資がなければ戦い続けることも、破損を修復することもままならない。そのため、タンカーや補給艦を安全に前線に届けるには今まで以上に多くの艦娘を護衛につけなければならないのだ、なぜならば前線への補給線は敵からの攻撃を最も受けやすく、最も危険な航路となるわけだから。

 今現在、前線が押し上がったことにより新たな補給線が構築され、そこに護衛を割いている影響で内部の守りが薄くなっている。

 

「……ダメ元で水中探信儀と爆雷装備を具申したんですがね、却下されました。護衛ごときで大袈裟な、と」

「そんなに慎重になる必要があるんデスかー?」

「あるかもしれないし、ないかもしれない。向こうはないと判断したようですね」

 

 資源が常に逼迫している現在の状況では、数少ない電探、水探などはほとんど前線の連合艦隊に回されるため、護衛に回されることはほぼない。わかった上で言ってみたものの、まぁ結果はご覧の通り。ならば装備を持参すれば良いではないか、と問われれば、こんなド僻地の貧乏泊地では新たに艤装の開発をする資源余裕なんてないし、必要最低限をうまーくやりくりしているのが現状なんですよ、と答えざるを得ない。おのれ、空母候補生など寄越しおって、ボーキバカにならないんだぞ訓練用の艦載機でも。今後も候補生の受け入れをしなければならないのなら、もっと資源寄越せとせっつかねば。

 閑話休題。これは長年前線にいた自分の勘だ。深海棲艦は日々成長している。無作為に襲ってきていた最初の頃とは異なり、まるで人と人で争っているかのような駆け引きまで生じているのだ。

 だから、自分なら。敵が前線にご執心だと考えたらまずやることは。

 

「……潜水艦による通商破壊戦」

「……」

「潜水艦ってのは厄介です。潜って息をひそめれば見つけるのは至難の技。攻撃を受けて反撃しても倒したかどうかもわかりにくい。切り開かれた補給線の防衛を強化した分、他の脆弱になった補給線を叩くなら今なんですよ。実際今回の船団護衛だって船団規模に対して護衛に当たっている艦娘が少なすぎる」

 

 一部海域にはお粗末ながら敵潜水艦の襲撃を抑制するための機雷堰が設置されているが、残念ながらこの南方は重要な資源輸送航路が通っているというのになにも対策がなされてない。しっかりした敵潜水艦阻止帯を構築することができれば、安全海域は言葉の通り安全となり、理論上は商船の単独航行も可能になり運行能率も上がると思うのだけれど。そこは人間、勝っているときはこの気運に乗れと言わんばかりに足元が疎かになるのである。上は前線での勝ち負けしか見ていない、残念ながら。

 補給線はすなわち生命線であるというのに、どうにも軽視されているようには前々から思っていた。補給を担う商船がどんどんやられてしまえば船が足らなくなり、補給がままならなくなる。そうなればおのずと艦娘の艤装の開発、修繕にも手が回らなくなるというのに。商船被害が増えるとどうなるかといえば、やれもっと商船を造れだ、艦娘への開発資源ももっと増やせだと民需と軍需の資源の奪い合いという名の対立構造が完成するわけである。商船はなにも戦争における補給だけを担うわけではない、国民の生活の糧も送り届ける大事な船なのだ。国民の生活水準が低下するということは、国力の低下、ないし船や艦娘の艤装開発力の低下に繋がり、ジリ貧になって結局戦線を下げざるを得なくなるのに。

 

「でも今までは商船被害はそこまで上がってないデスヨー?」

「その発想がいけないんですよー。今大丈夫だから今後も大丈夫?なんだその穴だらけの理論は」

 

 実際この考え方が横行しているのも事実である。だから、明日雨が降るかもしれないから傘を持とう、と私が言ったところで、大多数は天気予報は晴れと言っているのだから傘などいらぬ、という風に意見を固めてしまうのだ。組織とはそういうものだ、めんどくさいことに。現在の日本国海上護衛の責任者である横須賀鎮守府の提督には心底同情する。彼は少ない手持ちでよくやっている。前線を担当している呉のあいつは海上護衛に理解がある方だとは思うが、矢面に立ってあいつと艦娘や資源の取り合いをするのは辛いだろう。最後に見かけた時やや胃薬が増えているようだったが元気だろうか。

 

「潜水艦による通商破壊戦だけならまだいいですよ?どうします?すでに敵潜水艦が何回も偵察をこなしていて、敵艦隊が防衛の穴をついて侵入していたら」

「さすがに考えすぎじゃないデスかー?」

「提督のお仕事は考えることでーす、ちくしょーめー。それにねぇ」

 

 そう言いながら左手で右腕を抑える。嫌な予感がするのだ。

 

「……こいつがね。いつもより騒ぐんですよね」

 

 宴の始まりだとでも言いたげに。楽しそうにこいつが嗤っているときは、大なり小なり。嫌なことが、起こるのだ。

 

 

 船団護衛の応援依頼。不知火と二人して執務室に呼び出され、概要の説明を受けた後、あ、陽炎はちょっと残って、と提督に引き止められた。

 

「これ、持ってってください。かさばらないし」

「……なんで?」

 

 それは、基本的には艦娘が所持することがないもの。確かにかさばらないが、それをわざわざ持って行く必要性は私にはわからなかった。

 

「なに、お守りです」

 

 そう言ってちょっとおどけた後。真面目なトーンで提督は話を続けた。

 

「護衛指揮官っていっつも不足してましてね。今回の指揮をとる提督に対して兵術的なものに不安があるんですよねぇ。ちょっと癖がありそうな感じですし」

 

 商船学校出身で大編隊の指揮経験もないみたいなので、と続けられ、あまりその意味を理解できずに首を捻っていると提督が補足してくれた。

 

「商船学校出身の人は商船の安否を第一としがちです。攻撃を食らうと反撃は二の次で商船の救助を優先する人が多いですね。……だから、まぁなんというか。いざって時の指揮に不安があるんです」

 

 提督にしては少々歯切れが悪い。そもそも、今回は安全海域での船団護衛だ。それなのに提督の言い方はまるで攻撃を受けるのを前提とするかのようなものであった。

 

「……生きて帰してくださいね」

「……そこは生きて帰ってきてください、じゃない?」

「いえ、合ってますよ」

 

 提督は表情こそ穏やかだったけれど。目が、笑ってなかった。冗談を言っている雰囲気ではない。だけれども、安全航路における船団護衛に行く私にかけるにしてはあまりにも仰々しい物言いだった。死にたがりのあいつの面倒もよろしく、と念を押すほどの。

 さすがに付き合いも長くなってきた、だからわかる。普段どこかとぼけたところがある人だけれど、こういう時は、何かある。

 提督へと体を向け、真っ正面からその瞳を見つめる。

 

「ねぇ提督」

「はい、なんですか」

「私は私のやれることは全力でやる。それが平穏な海での哨戒でも、安全航路における船団護衛でも。それが、私が艦娘であるための誇り」

 

 胸元の少々くたびれたリボンを握りしめながらはっきりと言う。私が憧れたあの人。同じ艦艇の艦娘として。同じ志を受け取ったこの身は、常にあの人に恥じぬよう、自身に恥じぬよう全力を尽くすだけ。それが、私の生き様だ。

 

「言われなくてもやるわよ。だから」

 

 自身が一般的な駆逐艦娘より実戦経験もなければ、砲撃も下の下もいいところだというのは自覚している。頑張っているなんて、言い訳はしない。私は、私の弱さを言い訳にしない。だから。

 

「提督も、やれることはやってよね」

 

 足らない部分は補う。使えるものは使う。私は、弱さを自覚した上で最善を尽くす、それだけだ。

 

「……今回は、向こうの管轄なんですけど」

「なんの話?私は心がけの話をしただけよ」

 

 提督が何を言いたいのかはわからない。はっきりと言わないのはきっと不確定要素だから。それでも。提督の、私の予感は、当たるような気がする。なんとなく私も胸がざわつくのだ。だから、これは提督が私にかけた保険と同じ。私は提督に保険をかける。

 

「……そうですねぇ」

 

 提督はしばらくこちらをじっと見つめると。ふ、と表情を緩めながら。

 

「……ちょっと。ここに来て腑抜けていたかも、しれませんね」

 

 そう、目を細めて、ぽつりと呟いた。

 

 

 大規模船団の護衛任務。後一時間もしたらここを出発し、最寄りの南方資源航路の主要中継地点である泊地にて船団と合流する。船団はそのまま門司港へと移動し、半分は本土、半分は前線へと資源を運ぶ。今回は合流地点から門司港までの護衛を担うのだが、よりにもよってあいつとセットで任務に臨まねばならない事実が、少なからず心を重くした。

 なんとなく一人になりたくて、桟橋から海を望んでいた。今日はよく晴れたいい天気だった。波に日差しが乱反射してキラキラと輝き、少しの眩しさに目を細めた。波は少し高めかもしれない。護衛任務は夜から昼にかけて行う予定だが、予報で明日も快晴であると言っていたので天候面で苦労することはないだろう。

 

「聞きたいことがあるんですけど」

 

 目を閉じてさざ波の音に耳を傾けていたら、砂浜を踏みしめる足音が後ろから聞こえてきて。声を、かけられた。

 

「一航戦の、加賀って人。知ってますか」

 

 振り返れば壱番が、いつもより若干硬い表情でそこに立っていた。

 

「……ええ。呉での最後の出撃は、彼女とでしたよ」

 

 今現在加賀は日本に一人しかいない。と、なればあの人だろう、と寡黙な彼女を脳裏に描きそう答えると、壱番はそのまま黙り込んでしまった。思えば以前一航戦のことをこぼした時も様子がおかしかった。

 

「知り合いですか」

 

 出撃までの暇つぶし。気分を紛らわせるにはちょうどいいと、こちらから話を振ってみた。

 

「……あの人、私のいとこなんです」

 

 似てない。それを聞いてぱっと思ったのがそれだった。まぁいとこ程度なら似てなくて当たり前か、姉妹艦と言われてもその実血縁関係すらなあいつと不知火よりかはなにか通じるところはあるのかもしれないけれど。

 

「そうですか。心配しなくても彼女はちゃんと生きてますから安心してください」

「……彼女、は?」

「……」

 

 墓穴を掘った。これ以上深く言及する必要もあるまいと沈黙を保っていると、徐に壱番が口を開いた。

 

「不知火さんとあの人って、ちょっと似てます」

 

 彼女も自分も口数が多い方ではないので、そう言われればそうかもしれない。あまり話す機会もなかったので、実際のところはわからないが。ただ。

 

「だから聞くんですけど」

 

 呉での最後の戦い。帰投時に交わした言葉と、あの目。彼女は。

 

「不知火さんも、私のことバカにしてるんですか」

 

 こちら側の人間だろうなと。そういう、確信があった。

 

「……ひとまず不知火のことは置いておいても。加賀さんは他人を見下すような人ではありませんよ」

「嘘よ。私はっきり聞いたんだから」

「なにをですか」

 

 そこで、一呼吸置いてから。吐き捨てるように壱番はこう続けた。

 

「私とあなたを一緒にしないで。ここは、あなたが来るような場所ではないのだからって」

 

 ああ。その言葉と、あの時の彼女の言葉が。点と点が、線で繋がった。あれは、この子のことか。

 なるほど、彼女の思惑通り壱番は勘違いしたらしい。ただし、彼女の予想を上回る反骨精神によって壱番はここに来てしまったわけだけれど。

 加賀さんの思惑を理解した上で、あの会話はこの子には伝えない方がいいと判断し、無難に言葉を濁す。

 

「……状況がわかりかねますので、なんとも言えませんが。少なくとも不知火はバカにしてません」

「そう?ならなんでそんなに私と距離を取るんですか?私のこと信用してないんじゃないですか?」

 

 やりにくい。というか、これは加賀さんに対する怒りの余波を自身が食らっているような。このやりづらさ、何かに似ていると思っていたら、脳裏にあいつが浮かんだ。ああ、うん。暑苦しいところ、そっくりだ。

 こういう性分です、とお茶を濁していたら、遠くから提督が声をかけてきた。

 

「そろそろ準備した方がいいですよー」

「……そうですね」

 

 これ幸いとばかりに無理矢理話を打ち切る。壱番はまだ何か言いたそうだったが、振り返ってとどめとばかりに、

 

「不知火はあまり彼女と交流がありませんでしたので。お力になれず、すみません」

 

 とつけ加えて、砂浜を後にした。

 

 

 合流地点の泊地に赴くと、なんともひどいものだった。今回の指揮を取る提督に挨拶を、と思って伺えば、腹は出て顔には脂がのったいかにもタヌキ親父、という風貌の彼は酒で酔っぱらっているようだった。

 その第一印象からして最悪だったのだが、今回は提督が船団の一隻に乗って指揮を取るというのについぞ船団会議をすることもなく、最後まで酒盛りを楽しんでいたのだからうんざりだ。

 彼が連れてきた駆逐艦娘の二人も、居心地悪そうに彼にお酌をしていた。かわいそうに。

 艦娘は基本的に提督に逆らうことができない。古来より提督の重要な役割として、自身の霊力を艦娘に分け与えることで一時的に改式、改二式艤装を背負えるようにするということがあげられる。改式艤装はそのままでは人の身に負担が大きすぎるのだ。それなので、提督に逆らえば常に戦場において上位艤装を解除され、そのまま海の底へと沈む可能性を秘めていた。実際提督もこいつのようにピンキリであるから、そういった脅しを使うやつもいるという。

 そして、なにより。人間より遥かに強大な力を有する艦娘達をまとめるための、提督が有する最大の力。強制命令執行権。これを使われれば、艤装を背負っている状態の艦娘はどんなに感情的に納得がいかなくても体がそれに従ってしまう。そういう術式が、艦魄に組みこまれているのだ。これは艦娘の人権問題として度々話題に上がる事なのだが、最終的に統率を失えば組織が瓦解する、我々も極力使わないよう心がける、という曖昧なコメントで逃げているようだった。

 そんなわけで、上司によって今後の艦娘生活にも雲泥の差が出るわけだ。艦娘は人であると主張されながら、その実戦争の道具として扱われる。だから、呉の提督の態度はある意味正しい。性格は悪かったが、道具としては大切に扱っているのも皆理解しているため、誰も逆らわない。強制命令執行権もほとんど使わない、そんなものを使わずともあいつは理詰めで艦娘を黙らせる。有能には、違いなかった。

 思わぬところで前の上司の有能さ、職場環境のよさを再認識しつつ、夜になったので出港した。護衛は不知火、陽炎とあの二人だけであった。船団規模としては少なすぎるが、どうせ安全航路、と色々ケチったのだろう。

 夜はほとんど何も見えない。航行灯を頼りに慎重に進んでゆく。船団護衛において最も警戒すべき敵は潜水艦であるが、対潜装備を持参していないこちらとしては目視確認するしかない。そして仮に見つけたとしても潜水艦に有効な爆雷を装備していないので、逃してしまう可能性も大きい。闇夜に紛れて奴らが息を潜めて近寄って来たとして、この肉眼で捉えられるとは思えない。それでもこちらとしては安全航路だし、対策もできないしと気を抜くことは出来ない。常に最悪の事態を想定しろ。死ぬその瞬間まで、思考を止めるな、考えることを放棄すれば死ぬぞ。俺はお前らが死のうがなんとも思わねぇが無駄死にしたやつは墓石に罵倒してやる。そう常に小煩い男の下にずっといたのだ、嫌でも慎重になる。

 自身の不安とは裏腹に船団は悠々と航海を続けた。そして、水平線の向こう側が微かに白み始めた頃。日が登れば幾分か楽になるな、とホッとした瞬間、それが、見えた。反射的に無線に怒鳴りつける。

 

『こちら不知火!左舷雷跡!!』

 

 海面に伸びる白い筋。八本の魚雷が、船団に襲いかかろうとしていた。間に合わない、このルートは確実に何本か当たる。魚雷の航跡の延長線上から自身を逸らしつつ、焼け石に水程度に魚雷の進行方向へと砲弾を叩き込んでいく。

 

「──くそ!!」

 

 数本信管鋭敏により手前で起爆、数本不発、そして。そのうちの五本が三隻の補給艦へ当たり、爆発音と共に火柱が上がる。

 敵は、どこだ。魚雷の来た先を見据え、無線に怒鳴りつける。

 

『反撃指示を!』

『こっちは救助で忙しい!勝手にしろ!!』

 

 冗談だろう、これが今回の指揮官なのか。舌打ちをして雷跡から敵を辿る。主機を最大戦速まで叩き込むと、同側面の船団後方を護衛していた陽炎が合流してきた。

 

『二隻以上の敵潜がいる!!』

『護衛はどーすんの!?』

『あっちの二人に任せる!!』

 

 無線機にお互い怒鳴り合いながら連携を取る。反対側や前方、後方からは攻撃が確認されていないようなので、そのまま反対側についていた二人に引き続き護衛及び救助をしてもらうことにした。

 潜水艦が急速潜行をしてしまえば対潜装備のないこちらは手も足も出ない。それでもみすみす見逃しては駆逐艦の名折れだ。雷跡は少なくとも二方向から来ていた。陽炎に一方の雷跡の方向を伝え、自身は別の雷跡を追っていたら──見つけた。

 潜水艦カ級。やつが、悠々と潜望鏡を出しながら遊弋しているのを捉えた。こちらが蜂の巣をつついたかのように慌てふためいているその様子を見て楽しんでいるかのようだった。

 

「──なめられたものね」

 

 主機を一杯まで叩き込んでそいつに急接近する。そいつが慌てて潜望鏡引っ込めるよりも早く、こちらがそれを鷲掴んだ。ここまでコケにしておいて、生きて帰れると思うな。

 

「沈め!!!」

 

 あらん限りの力で海面上にそいつを引っ張りあげながら、ありったけの弾を叩き込んでやる。確実に、息の根を止めるように。連続弾による分厚い砲煙が晴れ、バラバラになったそれを確認して手元の潜望鏡を海底へと放った。

 

『ダメ!みつかんない!!』

 

 こちらが一体仕留めている間に先の方まで足を運んだ陽炎が悲鳴をあげた。

 それもそうだ、そもそも今仕留めたこいつが例外なのであって、本来潜水艦とは一撃必殺の魚雷を放ったらすぐに潜航してその場を離脱するものである。海面に上がってこない限り、水中探信儀を持たないこちらはその居場所を割り出すことなど困難なのだ。

 

『確実に二隻はいた。逃げられましたね』

『どーすんのよ!?』

『どうするもこうするも……』

 

 居場所がわからないなら船団と合流して護衛に戻る方がいいだろう。先の体たらくでは今回の指揮を取っている提督は役には立たないであろうが、それでも今回の任務はあの提督率いる船団の護衛だ。無線を開いて提督に報告をする。

 

『こちら駆逐艦不知火。敵潜水艦一撃沈するも、最低一隻以上の潜水艦を逃しています』

 

 しばらく経っても返答がなかったため、仕方なくこれからの行動を淡々と報告した。

 

『これより陽炎と共にそちらと合流して、護衛任務へと戻ります』

 

 そして、船団へと戻ろうとしたところで。

 

『──ならん』

 

 ようやくそいつが発した言葉を。理解するのに、時間がかかってしまった。

 

『──今、なんと?』

『ならんと言った。まだ敵が潜んでいるのだろう、こちらは既に三隻沈められている。これ以上物資や商船を失うわけにはいかん』

『お言葉ですが、我々の装備では敵潜水艦を探し出すのは困難です。そちらに合流して護衛力を高めたほうがよいのでは』

『なに、もっと簡単なことだ』

 

 無線越しの、ねっとりとしたそいつの声が妙に鼻につく。嫌な予感がした。

 

『陽炎、不知火は救難信号を出しながら当船団と反対方向へと舵をとってもらう』

『……』

『いいかね、この物資は前線維持に必要なのだ。これ以上失うわけにはいかん。わかるな?』

 

 ──囮となれ。そう、こいつは指示を飛ばして来たのだ。

 

『なに、貴公らの速力をもってすれば敵潜水艦の魚雷をかわすなど造作もないことだろう』

『……こちらの潜水艦は、偵察部隊の可能性もあります。敵艦隊と遭遇する場合も』

『それなら尚更貴公らに引きつけてもらわねば。こちらは小回りのきかない大船団なのだから』

 

 話には聞いたことがある。捨て艦戦法。艦娘を囮につかい、その間に危険海域を抜ける戦法。確か、すでに軍規で禁止となったはずだが。

 

『いやぁ勇敢な艦娘さん達だ!貴公らの行動、大いに感謝する。その地点なら南方の泊地から救援部隊も駆けつけてくれよう』

 

 清々しいほどのクズだ。なるほど、自分は今まで中々に上司運が良かったと見える。今の提督も書類業務に関しては文句を言いたいところだが、このように理不尽に権力をかざすことはなかった。ぎり、と奥歯を噛み締めていると。

 

『──了解。これより陽炎、不知火両名は救難信号を発しながら南に針路をとります』

 

 不意に。冷静な陽炎の声が、無線へと乗った。

 

「なっ」

『そうかそうか!いやー、私としてはこんな方法は心苦しいのだが。頼みこまれたとあっては仕方がない!』

 

 しかもこの後に及んで捨て艦戦法を提案したのは自身ではないとまでの念押しだ、なんなのだこいつは。

 

『──では、健闘を祈るよ』

 

 怒りが最高潮に達した時。無情にも、無線は打ち切られた。

 

「何考えてんですか!!!」

 

 近くまで戻って来ていた陽炎に、行き場のないこの怒りの矛先を向けるのはしごく当然の流れだった。

 

「あんな指揮じゃ護衛何人つけても変わんないわよ」

「そういう問題じゃ」

「そういう問題よ。それにあのままじゃ強制命令執行権使ってたわよ、あのオヤジ」

 

 強制命令執行権が発動すると、自身の思惑通りに体が動かなくなる。それこそ、囮となって敵を殲滅し尽くせとでも命令されれば、生き残ることは二の次で敵を倒し切るまで体は動く。それは自身の限界を引き上げると同時に生き残る可能性を極端に下げることを意味していた。だから陽炎の言っていることも理解できる。理解は、できても。海上に二人残され、救難信号を打ったところで直近の泊地まで何キロだ。敵は、潜水艦だけなのか。先行部隊だったらどうする、敵駆逐、巡洋艦が入り込んでいたら。いくらこの足が早いとて。

 

「あのままあっちの護衛したって、いたずらに船を沈めるだけだと思う」

「……」

「潜水艦は魚雷撃たれないと察知できないし。潜水艦だけならいいわよ、巡洋艦とか入りこんでたらいい餌じゃない」

 

 こいつは、実戦経験もほとんどないというのに。敵が潜水艦だけであるという楽観的判断から、先ほどの応答をしたわけではないようだった。むしろ。

 

「──あの補給船には、人々の生活の糧が載ってる」

 

 安全海域の護衛しかしてきていないというのに。誰もが、護衛など地味な落ちこぼれのするものだと思っている中で、こいつは。

 

「届けなきゃいけない。沈めさせない。あいつが気に食わないとか関係ない。この場合、囮が一番効率的だと思う」

 

 何よりも補給船の重要性を理解して。その上であんなことを言ったのだ。頭に血が上り、思わず掴みかかる。

 

「死にたがりはどっちだ!!!」

 

 ふざけるな、本当に。ろくに敵と戦ったこともないくせに、力量もないくせに平気で囮になるという。これが死にたがりでなくてなんなのだ。

 額を突き合わせて怒鳴りつけているというのに。

 

「こっち、ようやく見たわね」

 

 なんなのだ、その態度は。なぜ笑っていられる。腹が立つ、本当に、こいつは。

 

「ああよかった。あんたが、ただの死にたがりじゃなくて」

 

 なんなんだ。

 

「私一人じゃ絶対死ぬわ。私弱いもん」

「なに、」

「だから、あんたが私を守るの」

「……は、ぁ?」

 

 何をわけのわからぬことを、と呆気に取られていると、陽炎はよいしょ、とこちらの身を引っぺがした。そして。

 

「向こう側ばっか見てんじゃないわよ、私が死ぬでしょうが。ちゃんと、生きている私の方も見ろ」

 

 ああ、またこの目だ。

 

「──私は、死なない」

 

 彼は誰時。誰が誰だかその輪郭でもってでしかわからない薄暗い夜明けにおいて。

 その、彼は誰時の、海上において。

 

「──あんたも、死なせない」

 

 煌々と、その瞳に命の灯火を宿し。

 めちゃくちゃなことを、こいつは言っているはずなのに。なぜか、何も言い返せず。ただただ、その瞳から目を逸らすことが、できなかった。

 

 

「アンタんとこの艦娘から緊急通信来たわよ」

「そうですか」

 

 某泊地にて。うちの泊地に最も近く、あまり他の提督との交友関係を持っていない私の中では比較的交流があるここの提督たる彼女が、無線通信士が受信した内容をまとめた簡素な報告書をこちらに寄越してきた。いつもはのんびりとした空気が漂うここの泊地が急に慌ただしくなる。

 

「アンタの読み、当たりすぎて怖いわ。なに?神託でも下ったわけ?」

「うーん、そんな神々しい神様とは縁がないですねぇ」

「は?」

「ただの戯言ですよ」

 

 陽炎達がここを出発したのを見計らってこそこそとやってきた私は、ちょっくらいいですか、姉さんや、と色々彼女に頼み込んだわけである。

 

「色々無理言ってすみませんね」

「ホントよね。これでなんもなかったら上等なお酒せびってやろうと思ってたのに」

 

 こちらの方が規模が大きく、補給艦がよく経由していく泊地とはいえ。艦娘の数はやはり限られたものであるし、その中でなんとかやりくりしている彼女の元に急に訪れてあれ貸せこれ貸せと言ったのだ。むしろそんな程度でいいのかと言いたい。その気前のよさは女性でありながらも中々男前であると言いたい。

 

「顔、怖いけど。何か気になるの?」

「いやー、まぁ色々ありますけど。……なんでうちの陽炎が緊急通信出したのかなって。今回の旗艦にはお飾りとはいえ提督が乗っているじゃないですか」

「使えないから勝手に信号出したんじゃない?」

「それにしたってあっちの提督がだんまりなのはおかしくないですか」

「死んだんじゃない?」

「補給艦三隻轟沈、とはありますけどその旨の記載はないですね。あと行動もおかしい。この距離なら反転せずそのまま目的の港に向かった方が早い」

 

 敵潜水艦の攻撃により被害発生。当船団直ちに反転し、最寄りの港に避難す。敵本隊が侵入している可能性あり、至急救援を求む。かいつまんでその内容を言えばこんなところだ。

 

「他の敵潜部隊が待ち構えているかもしれませんが、反転の方が愚策でしょう。それに夜が明ければ見つかる可能性が高まるので敵潜も慎重になる、夜よりかは安全だ。今までの研究で深海棲艦が無線を傍受していることが証明されているじゃないですか。これでは、まるで」

「囮みたい?」

「……」

 

 思わず指先に力が入ってしまい、報告書にシワがよった。黙ってこちらを見ていた彼女にそれを返し、言葉を続ける。

 

「うちとここの哨戒強化は任せます。執務室の特殊無線機借りますね、私はこっちに集中しますので」

「……潜水艦以外も、いると思う?」

 

 どうだろう。私だったら航路沿いの各所に潜水艦部隊を配置して、商船を攻撃したら直ちに離脱するような作戦をとる。

 ただ、相手は深海棲艦だ。やつらには恐怖心というものがない。ただただ、目の前にある船を、艦娘を海底へと引きずり込むために予想を遥かに上回る思い切りのいい行動をすることがある。

 だから。もし、偵察部隊が大船団の存在に気づいたら。もし、敵本隊がいたとしてその報告を元に、ろくに反撃もできぬ船団に牙を向いたら。しかも、今回は陽炎が囮になっている可能性すらあるのだ。常に最悪の場合を想定して事に望まねばならない。外れてくれた方がいいのだ、この身が笑いものになるだけならいくらでも甘んじて受けよう。だから、今はあえて、力強く。

 

「いますね。絶対」

 

 そう、答えた。

 

 

「潮が辛うじて近くにいるわね」

「駆逐艦一人、ですか」

「まぁその他の救援はもっと時間かかるし……吉報と捉えましょ」

 

 たまたま出発した泊地所属の綾波型駆逐艦、潮が哨戒任務で少し沖に出ていたらしく、取り急ぎこちらに向かうとの事だったが、お互いこのスピードで航行を続けてうまく出会えたとして一時間半程度。もしもの場合は焼け石に水程度の戦力だが、いないよりはマシだと思いたい。南へと最大戦速で進みながら陽炎との会話を続ける。

 

「敵本隊とぶつかる最悪の事態を想定して。私が絶対やっちゃダメなことだけ教えて」

「……砲撃はしなくていいです」

「ぐっ」

「外しようのない距離なら撃っていいですよ、まず無理でしょうけど」

「ぐぬぬ」

 

 自覚はしているのか陽炎が黙り込む。自尊心は傷つけているかもしれないが、言っておかないと。こちらとしては誤射でもされたらたまらない。

 

「足は絶対止めない。止めたら死ぬと思ってください」

「おっけ」

「倒すことに躍起にならない」

「それ、あんたが言う?」

「陽炎がやったら死にます。不知火は中々死なないですね、残念ながら」

「……」

 

 死にたがり死にたがりとこちらのことを言うものだから、意趣返しのつもりで言ったのだが、それを聞いて陽炎が黙り込んでしまった。それに構わずに続ける。

 

「ああ、それと。怖気づいたらとっとと逃げてください」

「はぁ!?」

「──深海棲艦の艦隊との交戦は初めてでしょう」

 

 初陣における普通の艦娘の行動パターンは二種類に分かれる。初めての戦いに高揚して突っ走るか、怖気づいて身動きが取れなくなるか。先ほどの奇襲ではそこそこ動けていたが、しっかりとした交戦下でまともに動けると期待するほど自身は楽天家ではなかった。

 

「絶対イヤ」

 

 まぁ、返事は案の定という感じだが。

 

「いい?あんたが私を守んのよ。私が逃げる時は相手を殲滅できた時かあんたが死んだ時だから」

「……最初から人に頼るとは、見上げた駆逐魂ですね」

「そうじゃない」

 

 そこで初めて陽炎の方へと視線を向ける。彼女は、こちらをまっすぐに見ていた。

 

「あんたは私が守るの」

「……あなたに守られるほど弱くありません」

「知ってる、むしろ足を引っ張るだろうこともね」

「じゃあ」

「それでも。一人でやれることなんて、限られるでしょ」

 

 何が言いたい。自分が弱いとわかっていながらこの横柄な態度はなんなのだ。バカなのか、いやバカなんだろう。

 

「うまく私を使いなさいよね、私が死なないように。私はあんたが死なないよう見張っててあげる」

 

 何様だ、本当に。その態度、その目にイラつくと同時に。胸の奥底が、微かに。ちりりと焦げるような、気がした。

 

 

 鳳翔さんが弓を引き絞り、艦載機達が空へと放たれる。彼らの行く末を見送っている彼女に付き添いながら、自身は周囲の警戒をしつつ無線で彼女に話しかけた。

 

『ここの提督、相変わらず無茶振りしますね』

『そうね。わざわざ来てくれてありがとう、曙ちゃん』

『あ、いえ、私じゃなくて。鳳翔さんを残してここを空っぽにしたことを言ったつもりだったんですけど』

『そうは言っても、うちは艦娘が少ないですし。私は低速艦なので、今回はお呼びではないですから』

 

 落ち着いた声で鳳翔さんがそう続けた。彼女と話す機会はあまりないけれど。慌てるとか、するんだろうか。救難信号が届いた旨をうちの提督から伝えられた時も、ただ静かに指示に従って哨戒任務についた彼女のそんな様子はちょっと想像できない。

 

『そもそもあの娘も連れてったのは……どうなんですか』

『金剛さんがついていますから』

『……』

『潮ちゃんも。今度、そちらにお礼をしないといけませんね』

 

 別にそんなものはいらないのだけれど。渦中の、いつも鬱陶しく絡んでくる駆逐艦娘を思い浮かべる。あれ、殺しても死ぬようなタマには見えないけど。でも、この海において絶対などないということは嫌でもわかっていた。

 

『……いい天気ですね』

『ええ、本当に。遠くまで見渡せて、航空母艦としてはありがたいですね』

 

 本当にいい天気だ。どこまでも続く青い空を見上げながら。この空の下、あいつが必死になって戦っているのかもしれないと思うと、なんだかこの快晴すら恨めしく感じた。

 

 

 何事もなければいい。そう祈れば祈るほど、それを嘲笑うかのように自身に降りかかる災厄。

 

「──ここはパーティー会場かっての!!」

 

 不知火に言われた通り、絶対に当たる距離において。自身に食らいつこうと飛びかかってきた駆逐艦ロ級に主砲をぶっ放しながら舵を切る。入れ食いだった。怖気づく暇すらなかった。距離を取ろうとする暇もなく、駆逐艦ロ級の集団がこちらに襲いかかってきたのだ。

 

「、の、やろ!!」

 

 視界の奥で蠢く深海棲艦の群れからチカ、チカと光が見え、思い切り左へと転回する。虫の羽音のようなものが耳に届くと同時に、自身の航跡を追うように次々と水柱が立ちのぼる。右へ左へと舵を切って、敵の砲弾の嵐を切り抜ける。止まるな、止まれば、死ぬ。

 

『──怖気づいたらとっとと逃げてください』

 

 うるさい。そうやって、人をバカにして。そうやって、人を遠ざけて自身を犠牲にして守ろうとする。わかりづらいのよ、あんた。今、この瞬間まで。ずっと単なる嫌な奴なのだと思っていた。

 仲間が目の前で死ぬだとか、来る日も来る日も生きるか死ぬかの瀬戸際で戦い続けるだとか。どれほどの絶望があいつの心に巣食っているかなんて、私は知らない、わかるなんて言う資格なんかない。それでも。

 

『煙幕を展帳する!!斉Z (右百八十度一斉回頭)!!』

 

 左から右へ。最大戦速で背中の煙幕発生装置から黒煙を上げて奥にいる深海棲艦の群れから私が見えなくなるように視界を塞ぎながら駆け巡るあいつと一瞬目があった。──ほら。

 ねぇ、死にたがり。死にたがりのくせに、その瞳の奥で微かに燃えているその焔は、なんなのよ。

 もう一匹飛びかかってきたロ級に砲弾をくれてやる。倒したものの、そいつが最期に放った砲弾が艤装をかすめ、艤装の破片が頬を切り裂き血飛沫があがる。燃えるかのようだ、きっと、ここから私の命の炎がこぼれ落ちている。呼吸は浅くなり、頭に血が上って、視界は狭まる。それでも、あいつの言葉に従って身体は舵を切っていた。

 

『損傷と残弾は!?』

『アームの連装砲イカれた!手元の主砲残弾はまだ結構あるけど魚雷はもう一斉射分だけ!!』

 

 ロ級の大群が突っ込んで来た時に思わず魚雷を撃ち込んでしまった。今思えばもっと使うべき相手がいた、軽巡洋艦ヘ級、雷巡チ級。ロ級が襲いくるその奥で虎視眈々とこちらの命を狙っていたより狂暴な海の魔物達。

 

『雷巡一、軽巡一、駆逐多数撃沈。魚雷ゼロ、魚雷発射管も壊れましたがまぁいいでしょう。残弾わずか。弾、もらえませんか』

『最大戦速で突っ走ってんのにどーやって!?』

『弾倉を左手で持って。腕をのばしてください』

 

 何言ってるかぜんっぜんわからない。そもそも頭が働かない。海に大切な砲弾を落としたらどうする、だとか冷静だったら突っ込むべきことは色々あれど、言われるままにヤケクソ気味に指示に従う。すると。

 

「──貰います」

 

 深海棲艦の咆哮や、荒れ狂うの波の音の中で。妙にクリアに不知火の声が耳に届いた。不知火はそのままパシ、と着脱式の弾倉を右手で掴んで私を追い抜き左へと離脱していく。

 

『……衝突したらどーすんのよこのバカァアアアアアア!!!』

『しません、これくらいで』

 

 主機を一瞬一杯まで叩き込んだのだろう、速度を調整しながら私と横並びになる頃には既に不知火は砲弾のセットを終えていた。なんだ、新手の手品か。

 

『……はっきり言っていいですか』

『あによ』

『潮が来たところでこれを切り抜けられるとは思えません』

『なら他の救援が来るまで粘ればいい』

『……』

『あんた死んだら私も死ぬからね』

『……だから、人に頼るのは』

『だから最後まで生きる努力しなさいよ。私のために』

 

 こっちを見ろ。こうやって何度も呼びかけてやらないとこいつは危なっかしくてしょうがない。

 死んでいった仲間達。殺してしまった仲間達。生き残り続けることへの罪悪感。戦場で生き残れば生き残るほど、人は戦場での死を望む。理屈ではない、感情が悲鳴をあげる。

 私はその苦しみを知らない。一回交戦したところでこの有様だ、不知火のように最前線で戦い続ける能力だってないだろう。

 それでも。それでも、私はこいつに死んでほしくない。だって、こいつ、めちゃくちゃいい奴なんだ。ずっとこっちを生かすように動いている。こんなに弱っちくて、態度も偉そうで本気の殴り合いをするほどに嫌いな私を、守ろうとしている。いくら戦闘でいっぱいいっぱいだとはいっても、そのくらいは私にだってわかる。

 たまに視界の端に捉えたその戦い方はやっぱり死にたがりと言わざるを得ないほど自身を省みないものだったけれど。先ほど彼女の瞳の奥に捉えた焔。あれは、駆逐艦娘の魂だ。なにがなんでも仲間を、僚艦を守る、見捨てないという。まだ消えてない、そして私はその光を消したくない。だから。

 

『あんたが、私を生かすの』

 

 私は、何が何でも生き残る。最後まで諦めない、絶対に。こいつが救った仲間の一人となってやる。こいつの、心を。殺してなど、やるものか。

 突如、背後から咆哮が上がる。最大戦速を保ったまま首だけひねって後方を確認すると、煙幕を突き抜けて二体の軽巡洋艦ヘ級が飛び出してきた。

 厄介だ。軽巡は足も早いし手数も多い。駆逐と軽巡でサシでやり合うのは少々分が悪い。ヘ級達が砲をこちらに向けるのを視界に捉えて面舵一杯まで舵を切る。

 

「でっ!?」

 

 至近弾による衝撃。自身の真後ろに着弾した砲弾により、つんのめりそうになる。

 ──足を止めたら、死ぬ!戦い始めてから常に自身に言い聞かせている言葉を脳内で叫び、足に力を込めて転覆をどうにか免れる。そしてそのまま取り舵一杯。敵に捕捉されるな、ただこの身が朽ちるその瞬間まで、走り回れ!!

 

『魚雷を、当ててもらえると助かるんですが!!』

『あんな足が早いのにどーやって当てろってのよ!?』

『接近してください!できる限り!!』

『死ぬんだけど!?』

『死なせない!いいから!!当てることだけ考えろ!!』

 

 視線をヘ級へと向ける。視線が、合った。ぞくりと悪寒が背中を駆け巡る。目と呼んでいいのかわからないその虚ろな空洞。その、奥の闇が、こちらを亡き者にしようとずっとこちらを追っている。

 

「──だぁあああああ!もぉおおお!!」

 

 瞬間、何かがキレた。それはそうだ、今までの接敵経験は良くて駆逐艦ロ級一体程度。それが団体さんいらっしゃいとわんさか現れ、さらに今まで見たこともなかった人型の深海棲艦まで襲いかかってくるのだ。これで平常心を保てという方が無理だ。

 ──初陣における艦娘の行動は二つに大別される。恐怖心に負け、動けなくなるか。初陣で気分が高揚し、好戦的になるか。

 高揚する間もなく、ただただ目の前のことを処理するのに必死だった私は、表面上は平常心を保っているかのようだったが。この瞬間、自身は後者へと傾き、思考が、とんだ。

 言われた通りに舵を切り、ヘ級と真正面から向き合いそのまま突っ込んでいく。魚雷の次発装填装置から発射準備完了を知らせる機械音が鳴る。この身が落ちこぼれと烙印を押されようとも、この身は、陽炎型駆逐艦のネームシップ。戦闘中でも魚雷の装填が出来る自身の性能を、ここで活かさずどこで活かす。

 真っ直ぐに相手を見据え、気持ちばかりに舵を右に左に切って相手に捕捉されないよう、かつ、最速で突っ込んでいく。

 

『──死なせない!』

 

 あんたがそう言うんなら、私は死なないんでしょ。残念ながら、私にはこの絶望的な状況をひっくり返す頭脳もなければ、力もない。だから。

 

『──当てることだけ考えろ!!』

 

 私には、あんたを信じて全力を尽くすくらいしか、できないんだから!!

 魚雷射程距離に入る。まだだ。もっと。二体いるうちの一体のヘ級の主砲が、こちらを捉える。死が明確にイメージされ、心がすくみあがる。魚雷を発射して、即離脱したくなる。

 ──冗談じゃない。ここで怖気づいて全部外すようなことがあれば、私は私を許せない。ここで逃げたら駆逐艦じゃない。何より。

 

「──ぁあああ!!!」

 

 死なせないと言ったあいつを信じきれなかった自身を許せなくなる!

 恐怖心をかなぐり捨てて、さらに前へ。瞬間。こちらにぴたりと狙いをつけていたへ級から小さな爆発が起こる。そして、砲弾は狙いを外して自身の遥か後方へと落ちた。

 相変わらず、嫌味なくらいにいい腕をしている。思わず、こんな時だってのに笑ってしまった。全てがゆっくりに感じる。神経が研ぎすまされている。ヘ級二体の猛攻でそこら中に水柱が乱立し、海水を何度も被りながら、破片をその身に受けながら。

 

「──てぇえ!!!」

 

 真っ直ぐに敵を見据え。相手の動く先へと、魚雷を射出した。四条の雷跡がヘ級へと伸びる。慌てて回避行動に移したところで遅い。より自身に近かったヘ級のど真ん中へと、魚雷は突っ込んでゆき、轟音と共に炎が立ちのぼった。一本は逸れ、残りの二本がもう一体へと伸びてゆく。少しこちらから距離があったためか、もう一体のヘ級は回避行動により一本を回避した。もう一本がそいつを捉えようとしたところで、咆哮と共に急加速をされてすんでのところを交わされてしまった。体勢を崩しながらも、ヘ級は勝ち誇るかのように嗤った。

 もう、魚雷はない。主砲の砲弾は残っていても、私の腕じゃあ。悔しさで奥歯を噛み締めながら回頭をして回避行動に移ろうとしたら。

 

『──上出来です』

 

 今まであんなにこの淡々とした声がムカついてムカついてしょうがなかったのに。この瞬間とても頼もしく聞こえてしまったのだから、私も調子がいいわよね、と、どこか他人事のように思った。

 体勢を崩したヘ級へと砲弾の嵐が降り注ぐ。数回の炸裂音と共に炎が上がり、ヘ級はその身を海の底へと沈めた。

 

「……は、ぁ!」

 

 集中状態が切れた瞬間、息が乱れた。傷だらけの身体が悲鳴を上げ、思わずよろめきそうになる。

 確か、これでめぼしい人型艦は、やった、はず。そう思って、一瞬気を抜いたのがまずかった。

 

『──速度を落とすな!!!』

 

 不知火の怒号に反射的に主機を一杯に叩き込む。その、瞬間。天まで登るかのような水柱が、至近距離で発生し、吹っ飛ばされる。海面に叩きつけられ、一瞬息が止まった。海面から顔を上げれば、血が視界を赤く染め、頭から出血していることを知った。どうにか立ち上がろうとして、思うようにいかずに膝をつく。

 ──止まれば、死ぬ。死んで、たまるか。

 その思いだけでもう一度気合いを入れて立ち上がり、主機を動かす。……まっずい、なんか主機から変な音してる。思うように、加速も出来ない。

 朦朧とした意識と、霞む視界の中。砲弾が飛んできた方へと首を巡らす。

 先ほど不知火が張った煙幕が晴れかけていた。その、微かにけぶる煙の向こう側から。長い黒髪をたなびかせ、両腕の巨大な砲塔をこちらに向けながら、その青く光る双眸を楽しげに細めながら。ああ、やんなる。一瞬援軍かと見間違うほど、実際のその姿は教本に描かれるどれよりも人間らしい(・・・・・)、そいつは。

 

「戦艦、ル級」

 

 後方に控え、満を持して現れたのか。そいつが先頭に立って咆哮をあげた瞬間、呼応するかのように周りの駆逐艦ロ級達が蠢いた。

 

『──逃げろ!!』

 

 やってるっつーの。ダメだ、どっか壊れてる。速度が出ないどころか、徐々に減速を始める自身の主機が嫌になる。

 ──駆逐艦は速度が命。高速で駆け回り、そして自慢の魚雷で敵を一撃必殺で屠る。速度もでない、魚雷もない。相手は、戦艦。決定打を、与えることが、できない。逃げ切れない。

 このままじゃ、まずい。絶対に死ぬものかと闘志を燃やしても、この主機は言うことを聞いてくれない。救援は、あとどのくらいでくる。どのくらい粘れば活路が見える。

 不意に、がし、と左腕をつかまれ、ものすごい勢いで手をひかれ、つんのめりそうになった。

 

「あんた、何して」

「そんな速度じゃいい的だ!!」

 

 こちらを振り返りもせずに不知火が叫ぶ。曳航により速度が上がり、そのおかげか、あるいはあいつが下手くそなせいか、ル級の次弾はあらぬ方向へと落ちた。しかし、その姿は徐々に大きくなる。こちらに、近づいている。

 

「……っ!」

 

 速度が出ない分、運動によって砲弾を交わしていく。不知火が舵を切ったことにより、その横顔が見えた。顔から、水滴がほとばしる。それは、海水ではなく、汗だった。こんな不利な状況で、全力で私を曳航している。

 

「──」

 

 置いてって。その一言を、発することができなかった。命が惜しいのではない。ここで私を見捨てたら、こいつの心が折れる。だって、そうだろう。あんなに自身の生死に頓着しないかのような態度だったのに。こんな足手まといを、嫌いな私の命を必死に守ろうとしているのだから。

 ああ、こいつも駆逐艦だ。最後まで、仲間を見捨てない。それは、駆逐艦娘が駆逐艦娘たる魂の中核。そうか、こんな状況で。何度も何度も仲間の命を、零してきたのだ、こいつは。

 嫌になる。弱っちい自分が。こいつの力になりたくて、でもどうしたって足を引っ張ってしまう自分が。

 ──嫌だ。こいつが死ぬのは、こいつの心が死ぬのは。本当に私は私のやれることをやったのか?こんな、ところで。諦めて、いいのか。嫌だ、嫌だ。私は、まだ。諦めたくない──!!

 ぎゅっと不知火の手を力強く握り返したその時。空を舞う艦載機が発する爆音とそれとも異なる轟音、そして。

 

『──いい天気だ』

 

 今まで、無線で聞いた覚えのない声が、耳に届いた。それが誰の声なのか理解する前に、戦艦ル級の前後に大きな水柱が並び立つ。夾叉弾(きょうさだん)。それは、お前を捉えたぞ、という死への秒読み。

 

『Yes!遠くまで見通せてー、絶好の、砲撃日和デース!』

 

 戦場においてもこの人はこのテンションなのか、とどこか他人事のように耳に飛び込む彼女の声と、戦艦ル級より上がる爆発を同時に捉えた。

 

『──そこはこの主砲の射程内だ。失せろ』

 

 その言葉と共に、次々と正確無比に深海棲艦達へと弾着する砲弾の嵐。艦隊決戦における旗艦との意識、視界共有を利用した提督の直接指揮。下手なやつがやればそれこそ艦娘の性能を大幅に下げると言われ、この時代ほとんどやっている人がいない中。確実に、自身の上司は戦艦金剛の性能を最大限まで引き出していた。

 そして、崩れ落ちる戦艦ル級を中心とした頭上にて飛び交う艦載機のうちの一機の影が、一瞬私に落ちた。

 

『いっけぇー!!』

 

 これまた聞き覚えのある声と共に、艦上爆撃機が次々と深海棲艦へと襲いかかる。夢でも見ているのだろうか。私を曳航しながら、不知火が無線機へと叫んだ。

 

『壱番!?なんでここにいるんですか!?』

『実地訓練デース!』

『私の独断と偏見でそこに行かせてまーす!!』

『上にバレると怒られるから黙っててください、ね!!』

『隠しててすみません!今、助けます!』

 

 ああ、なるほどなぁ。提督は、私との約束を守ってくれたわけだ。潮はあっちの提督から借りた規則破りのカモフラージュかな。まさか、まだ候補生の壱番まで引き連れてくるとは思わなかったけれど。

 そこからは圧倒的だった。中核をなすル級が早々に倒されたことにより統率を失った深海棲艦達はほうほうの体で逃げ惑う。そこに、無慈悲な戦艦の砲弾と艦載機の攻撃の嵐。自身の周りで轟音が鳴り響く。それは、私なんかの主砲が発するものとは比べものにならないほどの砲撃音。頼もしい、戦艦の35.6 cm砲弾の、音。ああ、すごいなぁ。こうやって圧倒的な火力を初めて目の当たりにして。そんな場合ではないというのに、感動してしまった。

 ──駆逐艦は、目。駆逐艦は、盾。戦場において、主役になることはほとんどない。それでも、私は駆逐艦であることを誇りに思う。

 

『──敵の掃討を確認』

 

 私が命を賭して守るべき頼もしい仲間達。私が魂を燃やして守れば守った分、彼女達は、戦艦は、空母は、こうして応えてくれる。それを、目の当たりにして。込み上げるものがあった。

 私は、今回守れたのだろうか。人々の血となり、肉となる大事な資源を載せた船を。結構な数の深海棲艦を引きつけたと思うけど、まさかやられてないでしょうね。

 まぁ、いいか。とりあえず、こいつも、私も生きてるし。

 

『艦隊、速やかに、帰投せよ』

 

 ちゃんと、私も約束、守れたわよね、提督。安心すると同時に不知火の腕から自身の手はすり抜け、その場に崩れ落ちる。薄れる意識の中、最後に視界に映った、珍しく動揺を見せたそいつに心の中で声をかけた。

 ──別に、死なないから。そんな顔すんじゃないわよ、バカ。

 

 

 出血は派手に見えるけど、そこまでひどくないわ。応急処置もよかったわね、と最寄りの泊地の当直医師がコメントを残して去り、医務室にて陽炎と二人取り残される。さほど大きな怪我を負わなかった自分は別室にて簡易治療を済ませ、その後ここを訪れた。近くにあった丸椅子を手で引いて黙って座る。陽炎は、まだ目を覚ましていないようだった。

 艦娘の治療方法は二種類ある。医務室内に張られた特殊結界内にて自身の自然治癒能力を高め、時間をかけて治療を行う通称入渠。そして、高速修復剤という薬物を用いて即座に健康体へと回復させる方法。後者は前線においてよく使われるが、乱用すれば艦娘の自己治癒能力を低下させ、打たれ弱い体にしてしまうデメリットがあるのと、希少なのもあってか余程のことがなければ使われることはない。幸い、思ったほどのダメージがなかった陽炎は前者が適応され、この医務室にて静かに眠っていた。

 

「……」

 

 普段あれだけうるさいこいつが静かに眠っているというのがどうにも落ち着かない。本当に、こいつは生きているのか。死んでいるんじゃないだろうかと一瞬不安になるも、ゆっくりと胸が上下しているのを確認してホッとする。

 私は死なない、と豪語したくせにこの有り様はなんだ。死んでいなければとりあえずオッケーとでも思っているのか。ル級の至近弾に吹っ飛ばされたこいつを見た瞬間は肝が冷えた。

 はぁ、と細く長くため息をつきながら膝を抱え込んでそこに顔をうずめる。静寂が落ち着かなくて、こいつが寝ているのをいいことに一人で好き勝手呟くことにした。

 

「……不知火は。仲間を見捨てたことが、あるんですよ」

 

 何度入渠をしても。高速修復剤を投与しても消えることのない、左手の傷。臆病者の、烙印。

 

「もっと、うまくやれたかもしれない。彼女を救う選択肢があったかもしれない。……ずっと、後悔しているんです」

 

 あのとき艦魄から流れ込んできたこの()の悲痛な叫びが脳裏にずっとこびりついていて、離れない。

 

「だから、他の人を沈ませるくらいなら自分が沈んでやろうと、がむしゃらにやってきたのに。どういうわけか、ここまで生き延びてしまいました。……もう、同期はほとんど、沈んでしまったのに」

 

 どんなに手を伸ばしても。どれほど死力を尽くしても。一人、また一人と消えてゆく。

 いつしか、自身の手から零れ落ちる命を直視することが怖くなって。ただただ、目の前の敵を殲滅することに注力するようになった。仲間を、見ないようにしてきた。

 だって、そうだろう。昨日隣で笑っていた子が、明日にはいない。心を交わせば交わすほど、喪失感で胸にぽっかりと穴が開く。だから、仲間なんて。友と呼べる存在なんて、いらないのだ。だって、そうだろう。次は自分の番だ。自分が、海底へと沈む番。そうでなければならない。生き残ってしまっては申し訳が立たない。それなのに。

 

「……なん、で」

 

 自分ばかりが生き残るのか。幸運なものか、これは、きっと死んでいった仲間達の運を吸い取るいわば呪いだ。

 なぜ、自分ばかりが生き残る。仲間を見捨て、誰も助けることができない、無力な、自分ばかりが。

 

「──それはね」

 

 自身の膝に顔をうずめ。自問自答するように紡いでいた一人言に、返答があった。

思わずがば、と顔を上げる。

 

「……いつから、起きて」

「あんたが話し始める少し前くらい?」

 

 身を起こそうとしてよろける陽炎を、慌てて支えた。まだ、ちょっと血が足らないなぁとぼやきながら、陽炎が続ける。

 

「それはね。あんたが仲間を守ろうとするのと同じくらい、仲間があんたを守ろうとしていたからよ」

 

 そう言って、ほれ、とこちらの手を取って自身の胸へと導く。

 

「な、にして」

「生きてるわよ」

 

 とっと、と緩やかな胸の鼓動が伝う。それは、確かにここに命があるのだという証拠。

 

「あんたが、私を守ったの」

 

 何度も何度も自身の手から零れ落ちた。渇望してやまなかった、仲間の、命。

 

「……不知火は、なにも」

「あんな必死に曳航しといてよく言うわよ」

 

 呆れるように言い放つ陽炎に対して押し黙る。違う、そうじゃない。あれは救援が間に合わなかったらなにも意味のない行動だった。どうかしていたのだ。

 

「なーんか、色々グダグダ理由つけて自分責めてそうな顔ね」

「……」

「図星でしょ。よくよく見たらあんたってわかりやすいわ」

 

 こいつは一々人の感情に敏感だ。そんなところも気に障ったのだ。人が、せっかく奥の方にしまいこんでいた感情を、引っ掻き回して。

 

「……あのさ、誤解してたわ。あんた無愛想だし目つき悪いし口を開けばバカにしてくるし、嫌な奴だと思ってたのよ」

 

 そして歯に衣着せぬこの物言い。イライラしたって仕方がないではないか。

 

「でもさ、そうじゃないのよね。あんた、誰よりも優しいわ。だから先頭に立って率先して傷ついてる」

「……」

「人の分まで、傷つこうとする」

 

 勝手に、ペラペラと。こちらのことを分かっているかのように語りかけるこいつに。瞳のその奥に、常に命の灯火を燃やし続けるこいつが、眩しくて眩しくて。

 

「でもね、一人じゃそんなの抱えきれないわよ」

 

 自身が欲しくてやまないそれを持っているこいつを。見ていて、イライラするのは仕方がないじゃないか。

 陽炎はよいせ、とこちらの身を引き寄せ、あやすかのように抱きしめた。こちらは立っていたため、軽く彼女に覆いかぶさるかのような体勢になる。

 

「まー、ね。私は頼りないけど。ほら、金剛さんとか、鳳翔さんとか。頼りになる人周りにいっぱいいるし。壱番も中々肝が座ってるわ、あれは将来大物になるわね」

「……」

「あとほら。なんていうの?一応私ネームシップだし?おねーちゃんだし?戦闘では足引っ張ってるけど、愚痴くらいは聞けるわよ、うん」

 

 彼女を潰さないよう、左手をベッドについて、右手で背中を支えてバランスをとる。自身の顔は、彼女の肩口にうずめた。

 

「だからさぁ。一人で生きてかなくて、いいんだって。無理だってそんなの。寂しくて死ぬわよ」

「……くせに」

「んー?」

「……弱い、くせに。偉そうに」

 

 彼女の背中に回す手に力を込めて。背中の服ごと、かき抱く。

 

「偉いもん。おねーちゃんだからね」

「……」

「妹は素直に甘えとくもんよー」

「うる、さい」

 

 人の気もしらないで。愚痴くらいは聞く?ありすぎて困る。

 

「……砲撃はもっと練習してください」

「う。すみません……」

「大体、死にたがりって、本当に人のこと言えるんですか。魚雷のときもあそこまで距離詰めるとか」

「いやあれ元々不知火がそうしろって言っ」

「うるさい」

「あ、はい」

 

 人の気も知らないで。自身の手から、こいつの手がこぼれ落ちた時。一体、こっちがどんな気分だったかも知らないで。

 

「……勝手に」

「うん?」

「……勝手に、先に。……死なないで」

 

 責任を取って貰おう。仲間を失う恐怖を。自身が心惹かれる存在を失う恐怖を思い出させたこいつに。人の温もりという優しさに、こんなにも自身は飢えていたのだと自覚させたこいつに。

 

「……うん」

 

 先に死ぬことなど許さない。こんなの、なにも確約のない口先だけの約束だ。それでも。

 

「まっかせて」

 

 なにも根拠のない、その力強い言葉に。自身が救われたように思えたのも、確かだった。

 

 

 深海棲艦との交戦から数日後。防衛ラインの内部に大規模な敵艦隊の侵入を許したとして、てんやわんやの騒ぎだったのも落ち着いてきた頃。私はまた例の彼女のところへと赴いていた。艤装技師としての資格も所有している彼女は、その日その長い黒髪をゆるく結わえたつなぎ姿で出迎えてくれた。こう言ってはなんだが、提督の制服なんかより数倍は似合っている。顔にも出ていたようで、私もこっち本職にしたかったけど、担ぎあげられちゃったからさーと笑いかけられた。

 

「以前は曙と潮を貸していただき助かりました」

「いいわよ、そのくらい。これで海上交通線の防衛に関して見直しが入ればいいんだけどねー」

「そうですねぇ。でも今回の件でようやっと海上護衛総司令部で敵潜専門部隊が発足するらしいですよ」

「へぇ」

「水探と爆雷もちょっと融通して貰えたそうです。最後涙声で何言ってるか分かんなかったですけど」

 

 今回の件で海上護衛に対する問題が浮き彫りになり、微々たるものだが海上護衛総司令部の意見が通った、ありがとうありがとうと嗚咽混じりの電話が横須賀よりうちにかかってきた。うん、今度胃に優しい贈り物でもしてあげよう、不憫かつ健気なその姿にちょっと同情した。

 

「呉のアイツも前線で艦娘が走り回ってクソうるさい中、水探なぞ使えたもんじゃねぇ、護衛にでも回せってナイスパスしたそうで」

「連合艦隊司令長官殿はホント、嫌味なくらい仕事ができるわねー」

「本当にね!!!」

「アンタ、本当にあの人のこと嫌いよね……」

「ええ!!!」

 

 握り拳と共に力強く答えると、彼女は机に頬杖をつきながら呆れたように続けた。

 

「わざわざそれ、直接言いに来たわけじゃないでしょう?」

「おっと。そうでした」

 

 ぽん、と手を叩いて電話を指差す。

 

「面白いもの見せてあげますから。電話貸してください」

「どうぞ?」

 

 設定を弄って相手が何を言っているのかスピーカー越しに彼女に聞こえるようにして、とある野郎に電話をかけた。

 

『あー、どーもどーも。この度は大変な事になりましたねぇ』

『全くですな、損害が補給艦三隻だけ、というのは不幸中の幸いです』

『そーですねー』

 

 当たり障りのないことを話しながら、彼女に目配せをする。声の主が誰かわかった途端、椅子の背もたれ越しにこちらを覗きこんでいた彼女は、お、という表情をして、ニヤニヤとこちらの動向を見守り始めた。

 

『いやー貴殿の艦娘は実に勇敢ですな』

『はぁ』

『私の制止を振り切って囮を買って出てくれまして。お陰様でその後は無事に到着することができましたからな』

『ほほぉー?』

 

 艦娘の発言権というものは、なきに等しい。上司である提督がそれは赤だと言ったらどんなに青くても赤。だから、真実がどこにあっても、それを握りつぶされることがほとんどである。そしてコイツは残念ながら私より階級が上なため、これはあれか、こういう筋書きだから黙ってろってことか。ほほぉ。なめられたもんだ。ゴソゴソと胸ポケットから例のブツを取り出して──スイッチを入れた。

 

『──ザ、ザザ……陽炎、不知火は救難信号を出しながら当船団と反対方向へと舵をとってもらう』

『……は?』

『これ、あなたの声ですよねぇ?言ってること違くないですかぁー?』

 

『──提督も、やれることはやってよね』

 

 本当に腑抜けたものだ。陽炎にはっぱをかけられなければ、こんな小細工程度しかできなかったのだから。音声を自動的に検知して録音を開始・停止するタイプのI Cレコーダー。おやっさんの魔改造により耐衝撃性・防水性もバッチリ。数々の艤装開発の影にこの人ありと謳われたおやっさんの実力をなめるなよ。

 陽炎があの真剣な目で私にやれることはやれと言わなければ、このままこの証拠ごと彼女らを海の底へと沈めてしまっていたはずだ。全く艦娘にはいつも驚かされる。いつだって目が離せなくなる。その、生き様に。惹かれてしまう。

 

『なっ、なぜそれを!!!』

『ほーんと、嫌になりますよねぇ。彼女達は自分の命をかけて我々のために戦ってくれているのに、やれセクハラだ、やれ捨て艦だ。……反吐が出る』

 

 あの娘達が生き残ったのは、仲間のために最後まで諦めず、必死に戦ったから。だから、ここからは私の戦いだ。

 

『残念ですが捨て艦戦法は軍規違反です、報告させていただきますね』

『……はっ!階級が下のお前の意見なぞ、いくらでも──』

『何か勘違いしてないか』

 

 あの頃に比べ、自身が振りかざせる力など微々たるものだ。それでも使えるものは使う。プライドなどいらない。

 

『もうこの話は連合艦隊司令長官に通してある』

『な、に?』

『彼は私の古くからの友人でしてね。知ってます?捨て艦戦法禁止したの彼なんですよ』

『は、へ?』

『ああ、それと。あなたが囮に使った駆逐艦不知火ですけど。彼女、彼のお気に入りでして』

 

 いつもこき使われているのだ。たまには使わせてもらう。それくらいの貸しは、こっちにだってあるだろう。

 不知火をこちらに寄こしたのは使い潰すには惜しい道具だから。まだ、利用価値があるから。秘書艦にまでしていたのだ、大体普通のクビならここには送るまい。お互いにお互いが嫌いではあるが、その一方でその利用価値は十分に理解しているのだ。

 

『──降格くらいで、済めばいいですね?』

 

 そう言って、一方的に通話を切ってやった。あー、スッキリした。

 

「アンタの人脈、謎よねー」

「……それで済ませてくれるところ、好きですよ」

「軽々しくそんな事言ってると、アンタのステディがまーた拗ねるわよ」

「ぬ」

 

 それはよろしくない。拗ねてる姿もまぁ可愛らしいものだけれど、こじらせると厄介なのだ。気をつけよう。

 

「あたしめんどくさそうなこと嫌いなの。つつかなければお互い幸せでしょ?あたしはこの田舎でのんびり提督業やるくらいが合ってんのよ」

「やー、お隣さんが理解ある方でありがたいことです」

「でしょ。でもスカッとしたわ!アイツ嫌いだったのよねぇ、階級だけは上だから毎回うちに寄る度に好き勝手しててさぁ」

「でしょうねぇ。下にしか強く出られない、典型的な小物でしたねー」

「あのツラ見なくて済むようになるとかサイコー。いいお酒入ったんだけど、持ってく?お釣りが出るわ」

「今回頑張った子はほとんど未成年だからなぁ。甘味のが喜びます」

「……アンタ、ホント思考の中心が艦娘ねぇ」

 

 感心半分、呆れ半分。そんな彼女に笑いかけながら。

 

「性分ですから」

 

 そう、言った。

 

 

 あの戦いから数週間が経った。陽炎はすでにピンピンとしており、やっぱ同型艦からの指導が一番わかりやすい!とこちらを訓練に連れ回す次第である。最近は、砲撃もほんの少しだけまともになってきたように思う。及第点はまだまだ出せないけれど。

 空母候補生壱番、否、五航戦、正規空母瑞鶴は無事技能試験をパスし、正式な艦娘となった。次の配属が決まるまで詰め込めることは詰め込む!とこちらも訓練付き合って下さい!と最近暑苦しい。

 そして、そんな中。どうやら、この泊地が候補生の訓練所としてやっていけそうであると上から判断されたのか、次は駆逐艦候補生二人がやって来ることとなった。先日の件で海上護衛に関する指導も強化するよう通達も来ており、こちらとて専門ではないというのに船団護衛の教本だなんだまで送りつけられ、全くもっていい迷惑である。

 ちょっとこういうの苦手だから!右に同じデース!とさらりと指導要綱の作成を押し付けられたので、日々の訓練の合間にまとめ、追加資料諸々を抱えて執務室を訪れた。

 

「提督、以前提出した指導要綱の第一案についてなんですが」

「……えっ」

 

 優雅に金剛さんとのティータイムとしけこんでいた提督がその言葉に固まる。……よもや、読んでいないなどでは、あるまいな?

 

「待って待って!読んだ!読みました!あれ!?どこやった!?」

「ヘーイ、それはこっちの山にあるは……あれー??」

 

 ガッサガッサと書類が辺りに散らかる。新たな業務が増えた関係で、今まで一山だった書類の山は二山、三山と増え。そのうちの一つが雪崩を起こした瞬間。ぶちっと、何かが切れるような音がした。

 持ってきた書類を執務机にバサッと放り投げる。書類はひらひらと宙を舞い、ただでさえ汚かった執務机が更にぐちゃぐちゃになる。知ったことか。

 

「前々から。一言申し上げたかったのですが」

「は、はい」

 

 引きつっている提督の顔を真っ正面から見据え、つかつかと机に歩み寄る。そして。

 

 ──ダァン!!!

 

「わひゃ!」

「Wow!?」

 

 思いっきり右手のひらを机に叩きつけ、今までの鬱憤と共に二人を睨みつけた。

 

「……落ち度まみれの、あなた達の仕事。いい加減我慢なりません」

 

 机に散らかっている書類をかき集め、パラパラとチェックしていく。

 

「……し、不知火さん?」

「なんなんですか、この優先順位すら考慮されていない分け方。必要事項の記載漏れ。金剛さんは字が汚い」

「名誉毀損デース!」

「黙れ」

 

 ええ、ええ、もういいです。今まで遠慮していた不知火がバカでした。郷に入りては郷に従え?クソ喰らえです。

 

「不知火は、上司の杜撰な仕事のせいで自身の業務が滞るのが我慢なりません」

「えっと」

「業務改革です」

「つまり?」

「お二人が、きちんとまともな書類業務を行えるよう。不知火が補佐して差し上げましょう」

 

 そう言って、手早くざっと分類を済ませた書類を机に投げ置き、二人を見据える。

 

「……」

「……」

「左が最重要書類のうち不備があるものです。さぁ早く」

「えっと」

「直せ」

 

 その日。一日中執務室から提督の啜り泣くような声と、秘書艦の呻き声が上がり。こうして、秘書艦補佐、不知火が誕生したのであった。

 

 

「佐世保に配属になりました」

 

 ようやっと指導要綱もまとまりかけた頃。業務の合間に、気分転換にと桟橋まで来てなんともなしに海を眺めていたら、後ろから声をかけられた。なんだかデジャヴを感じる。

 

「加賀さんも今、佐世保にいるみたい」

「そうですか」

 

 正式に艦娘となったその日。瑞鶴さん、と呼んだら眉をひそめられ、なんか、今まで番号で呼び捨てされてたからすごい気持ち悪いです……と散々なことを言われた。そうは言われても通常の鎮守府では駆逐艦にとって戦艦、空母、巡洋艦は上司のようなものであり、こう呼ぶのが普通だ。それが艦娘になるということです、とそのままゴリ押ししてやった。ちょっと面白かったからという気持ちが、なきにしもあらずではあるが。

 

「……あの。すみませんでした」

「どれがでしょう」

「……思い当たる節が不知火さんにとってたくさんあることを、とりあえず謝っておきます」

「理由がわからないのにとりあえず謝るのは得策とは言えませんね」

「ぐっ」

 

 あの日から。罪悪感が、なくなったわけではないけれど。それでも、幾分か心が軽くなったのも事実だった。きっと、この罪悪感が消えることはないだろう。そう簡単に人の心は出来ていない。後悔だって、ずっとし続ける。

 

「……やっぱり不知火さんは加賀さんと全然似てません」

「そうですか」

 

 仲間を失う怖さだって、消えるわけではない。自分は、どうしたって心の弱い臆病者なのだ。それでも。今、目の前にいる人達を。自分に笑いかけ、色々な形で支えてくれる人達を、遠ざけるのはやめようと思った。

 

「……あの船団護衛に行く前の会話のことで。……八つ当たりして、すみませんでした」

 

 自覚はあったのか、とは思ったものの、ここでまたおちょくると話が進まなさそうなので黙って続きを待った。

 

「小さい頃から、結構可愛がられていると思ってたから。だから、あの人の口からああいう言葉が出てくると思ってなくて」

「……」

「だから、その。あの人のことが絡むと、ついカッとなっちゃうっていうか。あの時、不知火さんとあの人がなんかダブって見えて。……すみませんでした」

 

 珍しく殊勝な態度で頭を下げる彼女に。ふと以前加賀さんと交わした言葉をまた思い出した。

 

「……加賀さんには内緒にしてて欲しいのですが」

「え?」

「加賀さんがあなたに対して言ったあの言葉は。決してあなたをバカにしたわけじゃ、ないんですよ」

 

 今からすることは、十中八九余計なお世話というやつだ。あの時は黙っておこうと思ったけれど、気が変わった。これも何かの縁だろう。

 

「最後に彼女と一緒に戦った帰りです。彼女にしては珍しいことに、よく喋っていました」

 

 彼女の相棒たる一航戦の赤城さんは過同調の弊害で戦線を早々に離脱し。そして、最後の戦いに至るまで多くの仲間を失った。赤城さんはきっと戻ってくるわ、と言い続け、信じてはいるようだったけど、彼女ももう限界が近かったのだろう。最後の戦いが終わり、帰投中、何かを吐き出すかのように一方的にこちらに語りかけてきたのだ。

 

「いとこがいる。優秀で、優しい子だ。小さい頃からよく面倒を見ていて、どうにもほっとけない」

「……」

「その子が艦娘になると言う。呉に候補生としてその子が招集された時に、偶々すれ違った。キラキラした目で私も空母になるのだと、言われたと。……冗談じゃないと思った、と」

 

 そこで言葉を切る。瑞鶴さんは、その言葉に思わず顔をこわばらせた。

 

「空母なんて、なるものではない。数が少なく酷使されがちな空母になんて、あの子をさせてたまるか。私は自分が一航戦であることに誇りを持っている。艦娘として戦うことに迷いはない、それでも。……大切な人が苦しむ姿を見るのは、もう、こりごりだ、と」

「……」

「これらの考えの元に、あの発言があったのではないかと」

「……そん、なの」

「勝手ですか?あなたにとっては勝手でしょうね。でも、加賀さんの気持ちも分かりますよ、不知火は。……彼女は長らく相棒を失っていますから」

 

 だから、あの時。ああ、この人と自分は似ているなと思ったのだから。人を拒絶することで心を守ろうとするその姿勢が、似ていると。

 

「……」

「……ひとつ、アドバイスをしましょう」

「え?」

「頭突きは、結構効きました」

「……は?」

「人と喧嘩をしたのは思えば陽炎が初めてです。不知火は優等生ですので」

「……」

「あの時は本当に鬱陶しいやつだと思ったものですが。……まぁ、自分の殻に閉じこもっていた不知火にはちょうどよかったです」

 

 これはお節介だ。加賀さんにとってはいい迷惑だろう、この子にとってもむしろマイナスになるようなアドバイスかもしれない。それでも、互いに互いを想っているというのにすれ違いっぱなしというのは、見ているこちらとしてはなんともアホらしい。精々引っ掻き回されればいい。

 

「……不知火さん、Mなの?」

「失礼ですね、不知火はどちらかと言えばSです。これから存分にお返ししますよ」

「……陽炎さんも、大変ねぇ」

「さて。なんのことでしょうか」

 

 わざとらしく肩をすくめれば、くすり、と笑われた。

 

「……話してくれてありがとうございます」

「いえ。ただの気まぐれですから」

「お世話になりました。邪魔しちゃ悪いからそろそろ行きますね」

「……」

「不知火さんも、もっと素直になったらどうですか」

「あなたにだけは言われたくないですね」

 

 そうむすっとした顔で言ってやると、彼女はそれには答えず、笑って桟橋から去っていった。……なんだか最後にやりこめられたようで面白くない。

 そして、彼女と入れ違いに。

 

「あれ?不知火?」

 

 哨戒任務から帰ってきた陽炎が、桟橋に上がってきた。素直、素直か。

 

「なに?わざわざ待っててくれたの?なーんて」

「そうですが」

「……お、おぅ」

「なんですかその反応」

「し、不知火が……素直すぎて戸惑ってる」

 

 ほれ見たことか。

 

「そうですか、じゃあもう二度とやりません」

「わー!わー!待った!待った!!すごく嬉しい!!」

 

 くるりと陽炎に背を向けて帰ろうとしたら、後ろから飛びつかれ思わずよろける。最近わかったことだが、陽炎はスキンシップが多い。それを嫌とは思わないが、元々こういったものに慣れていないので少々戸惑う。なんとか彼女を支えきると、えへへ、と笑いながら彼女がこちらの肩に顔をのせて喋り出した。

 

「私お迎えしてもらえるの、すっごく好きなんだ。ずっと一人だったからさ、初めてお迎えしてもらったとき、ああ、帰ってきたなーって。ここが、帰ってくる場所なんだなーって、ホッとしてさ」

 

 平和ボケめ、と今までずっと小馬鹿にしていたけれど。彼女は彼女でここで孤独に戦っていたのだ、そんなことはおくびにも出さないけれど。こいつにだって抱えているものの一つや二つ、あるんだろう。まだ、自分はなにも陽炎のことを知らないのだ。陽炎だって、自分のことを全然知らないだろう、そうやって自分は人と距離をとって今まで生きてきたのだから。だから。

 

「陽炎」

「んー?」

「……おかえりなさい」

 

 陽炎が、こちらに歩み寄ってくれたように。

 

「……へへっ。たーだいま!」

 

 今度は、こっちが。陽炎から貰ったものを、少しずつ返していけたらと。そう、思う。

 

─終─

 


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