if 殺人鬼二人
ある日の紅魔館。
時刻は逢魔が時を迎え、魔が騒ぎ出す時間。夜に潜在的な恐怖を覚える多くの人間は家という殻に籠り安穏と恐怖が過ぎ去るのを待つ時間であるが、この屋敷は違った。
多くの妖精メイドが屋敷の出入りを繰り返し、館内は天上に設置された黄金の輝きを放つシャンデリアとソレに照らされる赤一色の床、壁、天井により毒々しい色彩を放つ。
館内の空気は完全に、外の世界で言う所の『出勤ラッシュ』に近いものになっていた。
何故ならここは、人でありながら悪魔に仕える者、人でありながら魔を退ける退魔一族の末裔、魔との
この日が沈むこの時間は、魔の血と、退魔の血が騒ぐ時。
そんな紅い館のエントランスにて、ある二人の男がにらみ合っていた。
一人は黒髪の青年。黒い燕尾服を着用し、ナイフを思わせるような蒼い輝きを放つ目。そして、右手には一振りのナイフが握られていた。
もう一人は黒髪の男と同じ燕尾服を見に纏った白髪の青年。微笑を浮かべている事と鋭い目付き以外はほとんど無表情な黒髪の青年とは対照的に、ニヤリと食えぬ笑いを浮かべ、左手に己の血で形作った巨大な爪を構え、そして右手には黒髪の青年と同じく一振りのナイフが握られていた。
「……おい」
第三者がいれば息が詰まりそうな沈黙の中、白髪の青年が先に声をかけた。
「何だそのしけた面は。せっかくこうして現実と幻想の垣根を越えて会いに来てやったのによぉ」
「俺は会いに来てほしいなんて一言も言ってないけどな。完全に殺した後も出て来るなんて、いや、単にアイツが仕損じただけか?」
「ソレはテメエもだろうがこら殺人鬼。死にぞこない同士で、しかも野郎二人でこんな趣味の悪ぃ館にいたくなんかねえわ」
「ソレは此方の台詞だよ。せっかく殺り甲斐のある心地のいい夜を迎えそうな時だってのに、よりにもよっていの一番にお前の面なんざ拝む事になろうとはね」
これがご主人様だったら何兆倍も眼福だったんだが、と半分冗談めかして言う黒髪の青年。対して白髪の青年は小ばかにするように鼻で笑う。
「相変わらずだなテメエは。真祖の姫を17分割した次はお嬢様にご執心かよ。やっぱオメエの方がよっぽど化け物だぜ!」
まだ自分が目の前の男と繋がっていた時の事を思い出し、犬歯をむき出しにしながら悪態を付く白髪の青年。
ソレに対して黒髪の青年は変わらず抑揚のない応酬で応える。
「ソレは俺じゃない前の志貴の事だろう。ソレに、化け物云々についてはお前にだけは言われる筋合いはないよ。拒死性肉体だけでも面倒なのに、その上点を突いてやった後も出て来ると来た」
割に合わない事この上ない、と肩をすくめて付け足す黒髪の青年
よく言うぜ、とソレに対して白髪の男は悪態を吐く。
この男の前に、物理的な耐久力など何の意味も成さない事を、白髪の青年はよく理解していた。まだ吸血鬼分が抜けてなかった頃に味わった、何もかもを、その意味すらも殺し尽くす理不尽さを、白髪の青年は鮮明に覚えていた。
今もこうして無機質に己を睨み付ける、蒼い眼を。
「……黙ってろやこら! ソレに俺がこうして化けて出てくるのは千パーセントお前の技量不足だって思うんだよ。博麗の巫女の腕ぶった切ったり、あのロリ鬼の中身バラシ尽くした割には全然殺せてねえって言うしな。クハハッ、殺人鬼自称してる割に幻想郷に来てから誰も殺せてねえとか傑作だぜ!!」
挑発する白髪の青年の言葉に、黒髪の青年の眉間の皺が僅かに寄る。
前の“志貴”ならともかく、曲がりなりにも七夜を名乗る“志貴”である彼にとって今の発言は琴線に触れたようだった。
「下手なのは自覚してるがね。お前に言われちゃ、いよいよおしまいだな」
一息つき、黒髪の青年はナイフを握りなおす。
白髪の青年もナイフを握る力をより一層強めた。
「いいぜ。そこまで宣うのなら、今度こそ後腐れないように殺してやる。二度と帰ってこれないよう懇切丁寧徹底的に
「ぎゃはは、そりゃあいい! こんな出来の悪い可愛くないくっそムカつく親切な弟分を持てて、お兄ちゃんは幸せ者だぜ」
「……」
「……」
『殺す』
暫しの沈黙の後、両者から同時に発せられた言葉が、死合開始のゴングとなった。
黒髪の青年の姿が消える。いや、動いた。
蜘蛛を思わせる低姿勢、大凡人間がまともに動けるとは思えぬような体勢から、一気に人間の限界と言える最高速へと達する。
あたかも空間を扱う蜘蛛のような動きを前にして、白髪の男は笑みを深めながら、己に接近してくる黒髪の青年に対して血刀や魔術の雷撃を弾幕のように放つ。
しかし、そのどれもが悉く躱され、一瞬にして蜘蛛の接近を許してしまった。
ちっ、と舌打ちした白髪の青年はカウンターに右手のナイフで切り付けようとするが、寸での所で相手のナイフに弾かれた。元よりナイフ裁きでこの稀代の殺人鬼に敵うと思っていなかった白髪の青年は、メイド長から頂いたお下がりのナイフをあっさりと放棄し、己の首筋へ向かうナイフを寸での所で鬼の爪で受け止める。
その瞬間、二人の足下に魔術式の陣が展開される。
ニヤリと笑う白髪の青年の口元を一瞥した黒髪の青年はすぐに白髪の青年の腹を蹴り飛ばし、その反動で魔術の攻撃範囲から一瞬で逃れた。元より力で勝る混血の爪とまともに鍔競り合う腹は持ち合わせていなかったようで、その動きには一陣の乱れもない。
「志貴ぃ!」
「四季ぃ!」
お互い、同じ発音の名前を呼び合い、両者は再びにらみ合う。
紅と蒼の、魔と退魔の瞳が交差する。
「せっかく司書様の知恵も借りて普段から執事業に精を出す先輩執事にサプライズしてやるっていうのに!! ソレをナイフの一振りで台無しにしやがって!! 少しは嬉しい表情の一つでも浮かべろや!!」
「そのサプライズに営業妨害してくる後輩執事が何処にいる!? せっかく吸血鬼分が抜けたってのに、残った知識でやる事がソレか! つくづく救いようのない脳みそをしているな貴様っ!」
互いに罵倒し合いながら、二人はこのメインホール中を駆け回る。
ナイフと血刀が剣戟による火花があちこちで散る、迸る雷が蜘蛛を襲うが避けられる、混血の身体にまたナイフの切り傷が出来上がるが、そこから更に新しい血刀が精製される。
混血の宗主の末裔たる白髪の青年こと遠野四季と、退魔の一族の末裔たる黒髪の青年こと七夜志貴の夜は、こうして幕を開けたのであった。
故に、二人は気付かなかった。
今こうして殺し合っている二人が放つモノとは比べ物にならないくらいの、デカイ殺気が近づきつつある事に。
互いに殺す事に夢中であったがため、その存在の介入に気付かなかった。
――――メイド秘技『殺人ドール』
ただ単に高速のナイフが広範囲に大量にばら撒かれるだけの、単純なスペルカード。
互いを殺す事に意識が向かっていた二人は突然の奇襲に対処する事ができず、そのままナイフの弾幕に押しつぶされていった。
「それで、何か弁明はあるかしら? ねえ、七夜、四季?」
損壊した器物が散乱する紅魔館のエントランスの端っこにて、七夜と四季の二人は腕を組むメイド長の前で正座をさせられていた。
二人して着用していた燕尾服はボロボロになり、その舌には幾重にも包帯が巻かれていた。七夜の体術を極めていた七夜はともかくとして、特に四季の方は最初から避け切る事はできないと判断して魔術をぶつけて相殺しようという脳筋戦法で対処しようしたが、結果はご覧の有様であった。
「相変わらず下手な捌き方だ。見ていて苛立って仕方ない」
「うるっせぇ!! テメエみたいな気色悪い体術こちとら持ってねえんだよ!!」
「お前の生き汚さと面倒臭さに比べれば何倍もマシだと思うがね」
「お前にだけは言われたくねえぞソレっ……!!」
見下ろしてくる咲夜を余所に、正座したまま二人はまた一色触発の火花を散らす。
自分が除け者にされたからか、それとも未だに懲りない二人に対して苛立ったのか、咲夜は組んだ腕をプルプルと震わせ、やがて爆発した。
「だからやめなさいと言っているでしょう!? また串刺しにされたいのかしら!?」
咲夜の剣幕に2人は渋々と互いを睨みながらも口喧嘩をやめ、咲夜の方に向き直る。そんな二人に呆れかえった咲夜は一旦、溜息を吐いて己の昂った感情を押さえつけ、続けた。
「多数のメイド妖精たちから、貴方達が暴れているから助けてくれ、と言われて来たけど、もう何回目だと思っているのかしら? 従者達を管理するのもメイド長の役目とはいえ、こうも頻繁だとやっていられないわ」
再び、溜息を吐いて眼下の二人を見下ろす咲夜。普段の蒼穹の瞳は今や真紅に染まっており、怒りと呆れが混じった表情だった。
「それで、今度の経緯は何かしら? 妖精メイドたちから聞いた限りでは、急に大きな魔術結界が発動したと思ったら突然消えて、気が付いたら突然殺し合い始めて手が付けられなかったっていう話なのだけれど。なに? 私に対する嫌がらせかしら? そうなのかしら? ねえ!?」
背後にかの『王の財宝』のごとく空中にナイフの弾幕を大量展開して待機させながら、静かな怒気を放つ咲夜に対し、四季と七夜は揃って肩眉を上げた。
やがて七夜は待て待て、と両手を上げて降参の意を示す。
脚を震わせつつも、先に口を開いたのは四季だった。
「ま、待ってくれメイド長! これには一応訳がある」
「そうだ、こいつが悪いという」
「あぁん!?」
シュパパッ!
再び火花を散らす二人の足下に、数十本のナイフが突き刺さる。ソレを見た二人は、お互いに掴みかかる前に止まった。
「発言を許した覚えはないわ。私はどうしてこうなったかを聞いているのだけれど?」
何ならナイフの本数をもっと増やしてもいいのよ?、と脅す咲夜。それがハッタリでも何でもないことを理解した四季と七夜は、エントランスの階段を上った先にある方を指さした。
そこには大きな魔術結界の跡が存在していた。
「分かったから落ちついてくれ。そろそろ執事業務の時間だと思い立って部屋を出た所にあそこでコイツと出くわしてたんだ」
「そう、それで?」
「如何にも何かあるぞ、っていう感じの気色悪い笑みを浮かべていたんでな、何かよからぬ事を企んでるっていうのが一瞬で見て取れたんで、念のため淨眼で周囲を見渡してみたんだ」
四季が続けた。
「うんでよ、せっかく淨眼でも視えにくい引っかかったら丸焦げサプライズの魔術結界を用意してやったっていうのに、コイツ妙に疑い深いのか、淨眼で視えない事を確認しても未だに警戒して動きやがねえんだ」
「……それで?」
「俺がお前如きマシラ並の単細胞の手に乗っかってやるか、と思いつつ再度淨眼で集中して視たら俺のすぐ一歩手前に結界がある事に気付いた」
「そしたら、コイツ。何も言わずにナイフを取り出しやがって、その結界を殺そうとしやがった。せっかく司書様から借りた知恵と蛇の知識捻りだして作った不可視の魔術結界をそう易々と消されたら溜まったもんじゃねえ」
「そんな事情知るか。そしたらコイツは俺のナイフが結界の死に触れる前にヤケになって結界を暴発させやがった。あやうく丸焦げになりそうだったが、ギリギリ発動した魔術を結界ごと殺して、ついでにと他の結界も探し当てて殺してやった、最初は視え辛かったが、段々慣れて視えるようになってきてな、存外楽勝だった」
「そしたら、俺は『チッ、今日も失敗か』っていう具合で勘弁してやろうとしたらこの野郎、『お前ホント救いようのないアホだなあ』というような眼つきで鼻で笑いやがった」
「事実その通りだろ。そしたらあんたを待たせる訳にもいかなかったし、さっさとコイツを放ってあんたに仕事を仰ぎに行こうとしたんだが、眠気覚ましにもなりやしない不快な面をこれ見よがしに拝ませてくるもんだから」
「うんで、お互い苛立って冒頭の罵り合いが始まったんだが、そうしてる内に司書様の知恵や使いたくもない蛇の知識使ってまでコイツに無駄な労力割こうとする自分に腹が立ってきてな。そしたら殊更苛立ってきたから」
『だから、面倒になって殺すことにした』
最後の台詞は、二人同時だった。
昂る苛立ちを抑えつつ、咲夜は腕を組みながら静かに二人の言う事を頭の中で何度も反復し、やがて。
「第三メイド隊、用意は出来たかしら?」
『は、はい!!』
咲夜がそう言うと同時、妖精メイドの部隊が様々な荷物を持って、七夜と四季の前に置いた。
それぞれ『ゴタッシャデ、ナナヤサン』、『ツヨクイキテ、シキサン』と、意味の分からない言葉を放ち、七夜と四季は悪い予感を感じながら、顔を見合わせ、再び咲夜の方を見上げた。
「あ、あの~咲夜メイド長ぉ? この荷物は一体何でございましょーかー?」
恐る恐る、といった風にあざとい丁寧語で咲夜に聞く四季。
「口で言わないと分からないかしら? その荷物を持って、ここから出て行きなさい。今まで貴方達がこの屋敷に与えた損害額の清算と、および貴方達の間で決着が付くまでここには入れないわ。それと―――」
咲夜はポケットから、カードの束を出し、ソレを広げて四季に見せつける。
「これは没収させてもらうわ」
「なッ、それはッ!?」
ソレを見せつけられた四季は突如として狼狽える。
そのカードに映っていたのは、とある少女の似顔絵だった。赤ちゃんの頃、大体7歳くらいの頃、そして最も記憶に新しい16歳くらいの頃の、少女の似顔絵が描かれていたのだ。赤ん坊の頃を除いて、これらの似顔の共通点としてあるのは皆『黒いロングヘアーの少女』であった。
「うわ……」
隣にいた七夜も思わずドン引きする。
――――コイツまだ妹に御執心だったのか……。
しかも、その似顔絵のクオリティーは半端なものではなかった。正直そのまま写真でも撮ったのかと、ドン引きするくらいには。
そんな風に呆れながらメイド長に必死に懇願する惨めな兄貴分を七夜はじっと見つめた。
「お、おいそれだけはやめろ!! お願いです返せこのアマ下さい!! 何か月かけて描いたと思ってやがる!?」
「アナタ、この絵見てる時ろくに仕事捗らないじゃない。妹愛は結構だけれど、あまりにも度が過ぎれば仕事にも支障が出るわ。今の内に慣れておきなさい」
「慣れるかぁ!! 分かった、この通り反省してる! お嬢様に誓って反省します! だから秋葉(の似顔絵カード)を返してくださいこの鬼! 悪魔! メイド長!」
最早懺悔なのか懇願なのか罵倒なのか分からない滅茶苦茶な懇願を繰り返す四季。
よくまあここまでプライドを捨てられるもんだと、七夜はある意味四季に関心していた。ソレは周囲の妖精メイドも同じ心である。
「五月蠅いわね。今まで散々迷惑をかけてくれた罰よ。だから……
さっさとここから出て行けこのダメ殺人鬼ども!!」
そんなメイド長の溜まりに溜まった怒号が吐き出されたと同時、二人の執事兼殺人鬼は紅魔館の門の外へ追い出された。
途方に暮れる四季。
そんな中、四季に背を向けて「参ったね、どうも」、と満月をバックに肩を竦める七夜に四季はなんとなく苛立ち、その背中を蹴飛ばした。
それがトリガーとなり、二人はまた紅魔館の庭で殺し合いを始めるのだが、再び怒気を発して飛んできた咲夜によって紅魔館の敷地内から完全に追い出されたのであった。
◇
「アハハハッ、何それ面白い!」
「ホントねお姉さまッ!!」
二人が追い出されてから暫くして、キッチンで咲夜から先ほどの騒ぎを聞いたこの屋敷の主、幼い女の子の姿をした吸血鬼のレミリア・スカーレットとその妹であるフランドール・スカーレットは腹を抱えて笑っていた。
「笑い事ではありません。はぁ……」
七夜が幻想入りして直後の時と同じくらいの心労を抱えながら、咲夜は二人に目覚めの紅茶を振舞っていた。彼女の主であるレミリアと妹のフランは棺から目覚めていの一番にそんな二人の執事の面白おかしい話を聞いて上機嫌だった。
「あはっ、本当に面白いよね、お兄様たちって……」
バカにするように言うのではなく、心の底から幸せそうな笑みでそう言うフランの姿に咲夜の心労は幾ばか和らいだ。依然として胃がキリキリする事に変わりはないが。
「それにしても、お互いはそんなに子供っぽい訳でも、馬鹿でもないどころかむしろ頭が切れるのに、どうしてあんなに喧嘩するのでしょうね……。七夜に至っては普通の人間に比べて異常に達観しているレベルなのに」
「この間なんか、宴会で二人が着流し着てる所を魔理沙から『お前らお揃いだなぁ』って言われてそれで殺し合いに発展したもんね」
「その次はお互い違う出で立ちで宴会に出ようとして同じ燕尾服を着て、『俺と同じ服着て来るんじゃねえ!』とか言い合ってまた殺り合ったわね」
「その前は確か――――」
遠野四季、という男が幻想入りしてきてから、紅魔館はまた変わった。
ある日の事である、咲夜と共に人里に買い出しに出かけていた七夜は、紅魔館へ帰る途中、突然「懐かしい気配がする」と言い出し、咲夜の言い付けを無視してその気配がする方向へ走ったのだ。
倒れていたのは、七夜と同じ年くらいの、着流しを着た白髪の青年であった。
その後、なんやかんやあって、その白髪の青年――――遠野四季はこの紅魔館の執事となった。
しかし、やって来たのは、咲夜にとっては七夜が幻想入りして直後以来の心労の連続だった。七夜も自分との時を過ごして多少大人しくなったが、この遠野四季という男が紅魔館の日常に介入してきた事で、幻想入りした直後と同等かそれ以上に七夜が暴れるようになった。
とにかく、遠野四季という男が絡むと、七夜志貴という男は普段から見せている飄々とした態度や常に相手を小ばかにするような、そんな堂々余裕とした言動を一変させる。
――――まるで、悪友、いや、久しぶりにあった兄弟との喧嘩を楽しんでいるかのように。
ギリッ。
いつの間にか歯ぎしりをしていた咲夜。
(馬鹿みたい……)
あの二人の執事の殺し合いを止めに行く度に、咲夜は自分の仕事を妨害させられる事に対する怒り以外の感情を抱いている事を、自覚していた。
あの二人が心底から嫌いあうように、楽しそうに殺し合う所を見る度に、咲夜は自分の中にある胸焼けを感じていた。
――――何なの、あの男は。
――――七夜に、あんな顔をさせるなんて。
――――私には、一度もそんな顔を向けなかったのに。
そんな醜い感情が、湧き上がってくる。
咲夜はふと、自分のメイド服の胸ポケットを覗く。大切に持っていた筈の七ッ夜は、そこには入っていない。
あの日、記憶を取り戻した七夜に、咲夜は七ッ夜と共に、自らの想いを告げた。
『俺はアイツじゃない』
だの
『俺は所詮、真夏の溶け残り。冬に積もり、今日まで無惨に溶け残った真夏の雪に過ぎない。あの日君が出会った七夜志貴は、もうこの世にいないんだよ』
だのと捻くれた理屈をつけてきたが、それでも咲夜は伝えたのだ。自分が今惹かれているのは昔会った七夜志貴ではなく、この幻想郷で出会った、馬鹿で、捻くれていて、けれど少しだけ優しい、そんな貴方なのだと。
自分の想いを真摯に告げた。
それに対する七夜の返事がどうであったかは、ここでは語らないようにしておく。
――――なのに、あの男は……。
咲夜は遠野四季という男の美点を、多少なりとも知っている。
同じ館で働く従者としての情だって抱いている。
けれど、その一点だけ、気に食わないのだ。
「あー、まあ、何だ、咲夜」
己の主の呼び声に、咲夜の意識は再び現実に戻った。
「今回ばかりは私も止めはしない。面白いとはいえ、最近度が過ぎているようだしね。あの二人には、少々お灸が必要だろう」
「お姉さまの嘘つき。本当はお兄様たちが幻想郷で何を仕出かすかが楽しみなだけのくせに」
「あらバレた?」
「うん、バレバレ。だって私もそうだもん!」
太陽のような無邪気な笑顔でそう答えるフラン、レミリアも、咲夜もつられて笑う。
「という事で咲夜」
「はい、お嬢様」
「あの二人をいつ連れ戻すかはお前に任せる。だが、出来るだけ早めにしておけよ。何を仕出かすか分からん二人だしな。それに、パチェもお前も、
「ッ!?」
言われて、咲夜は少々赤面して俯いてしまった。
あまりにもの羞恥。自分の主には全てお見通しのようであった。
七夜をあの男に取られた気がして、寂しく感じている事。あの混血の男に対する嫉妬の感情を、見抜かれていたのだ。
◇
「あ~、ざみぃ」
氷の湖の畔で、四季は焚火に手を近づけてあったまっていた。
自業自得とはいえ、まさか愛しの妹の力作似顔絵すらも没収されてしまうとは、少々やり過ぎてしまったかと四季は反省した。
ふと、星空を見上げていた。
――――小せえ頃、よく秋葉や志貴、翡翠と一緒に眺めたっけなあ。オレと志貴があれは何座だの何星雲だのと言い合ってる内に喧嘩になり、秋葉がおろおろしている所を翡翠が止めて二人そろって説教されてたっけか。
そんな日常が、ほんの少しだけ、戻ってくるとは今じゃあ考えられなかった。
遠野志貴によって、ロアの18代目の転生体こと遠野四季は、直死の魔眼で点を突かれて、完全に消滅した筈だった。
だが、遠野四季は何故か生きていた。
遠野志貴が無意識の内にかつての親友に手心を加えたのか、それとも四季の魂とロアの魂がまだ完全に混ざり切ってなくて、遠野志貴が突いた点がたまたまロアの魂のみのものだったかもしれない。
まあ、過程はともかく、遠野四季は生きていたのだ。
秋葉や琥珀、翡翠に謝り、志貴に自分を殺してくれた礼を言う機会も与えられずに、この幻想郷に来てしまった。
その先で会った、もう一人の志貴。
本人曰く、遠野志貴の燃えカス、真祖の姫のために己の残り少ない命を燃やし尽くした殺人貴の成れの果て――――七夜志貴。
後悔のない人生を歩み切った弟分に対する誇らしさ。今この幻想の地にて生きる弟分はもうほとんど別人である事は理解している。
それでも、懐かしかった。
あの日、遠野の屋敷にやってきたばかりの七夜志貴。そこに手を差し伸べ、親友となった自分。
まさか、今度は自分が差し伸べられる側になるとは思いもしなかったが。
紅魔館での日々は悪くなかった。
可愛くない弟分がいるのが玉に瑕だが、それでも四季は第二の人生を謳歌していた。
「クシュンッ、ああ、くそ、こんな時に志貴の奴は何処にいきやがった」
先ほどまで共に行動していた弟分の事を思い出す。
ふむ、状況から考えるに、我慢できなくなって獲物を探しに行ったか。ソレは残念だ。この幻想郷で殺しを行えば間違いなく御法度。
奴は博麗の巫女を始めとしたこの幻想郷の人外魔境どもにものの数秒で駆逐されるであろう。
本当は自分の手で殺してやりたかったが、まあそこは仕方がない。あの殺し合いジャンキーにとっては幸せなくたばり方だろう。
「ぎゃはは、テメエの死に様を見られないのは残ね―ぶべらッ!?」
思わず昂揚した口走った台詞はしかし、四季の顔面に投げつけられて来たナニカによって遮られてしまう。
混血の四季は大した痛みを感じなかったが、顔面に飛んできたソレを手に取った四季は不機嫌そうに、暗闇の奥にいる下手人を見つめる。
「何だ、飲まんのかコーヒー」
「あぁ?」
影に言われて、四季はふと投げつけられた物体を見つめる。
……聞いた事もないメーカーの、缶コーヒーであった。
呆然とする四季を余所に、影……七夜は背中合わせにするように座る。手には自分の分の、これまた聞いた事がないメーカーの勘コーヒーが握られていた。
「……おめえ、これ何処で手に入れたよ?」
「物好きの混血が開いている店でな。ただで譲ってもらった。部屋の冷蔵庫に入れていたのを思い出して、一旦紅魔館に忍び込んで取って来た」
「そうかよ」
コイツにしてはやけに気が利くじゃねえ、と缶を開けて一口飲み。
「マズッ!?」
四季は吐き出した。
おかしい、缶コーヒーとはこれほどまでにマズイ代物だっただろうか。もしや志貴の奴が俺に外れを寄越したわけではあるまいな、と背中合わせに座っている七夜の方へ振り向く四季。
「……不味いな」
七夜も、四季ほどではないにせよ、少々顔を歪めていた。
「おい志貴。コーヒーってこんな不味かったか!? それともオレの舌がおかしくなっちまったのかこれ?」
「後者だろうよ」
即答する七夜。あぁ?、と訝しむ四季。
「考えてもみろ、俺達はいつもあのメイド長が入れた紅茶や珈琲を頂いてる。そして俺達もあの領域には及ばないにせよ、メイド長から仕込まれている」
「……あぁ、そうか」
言われて納得する四季。
あのメイド長の紅茶や珈琲をいつも飲み、そして自分達もそのメイド長から入れ方を仕込まれていたら、そうなれば無駄に舌も肥えてくるものだろう。
二人の舌のレベルに缶コーヒーが追い付かなくなってしまったのである。
「それにしてもよぉ……」
缶コーヒーの味を楽しめなくなってしまった悲しみ、センチメンタルな気分を誤魔化すため四季は話題を変える事にした。
「お前、メイド長の事どうすんの?」
「……うん?」
「とぼけんな。ありゃあ完全に、その、アレだろ。殺ししか取り柄のないオマエの何処に惹かれたのか知らねえけどさァ……」
「さてな、そういうのは本来アイツの役目だ。俺に言われても知らないよ」
何も思うことなく、あっけらかんと言ってのける七夜。
この朴念仁が、向こうの志貴の余計な所だけは受け継いでやがる、と四季は内心で悪態を付く。
だが、まあ。
「まあ、見ている分にゃあ楽しいけどな! 俺とお前と殺り合っている時のあの女の顔、傑作ったらありゃあしねえ! ぎゃはは!」
「ソレに巻き込まれる此方の身にもなって欲しいがな。おかげでそろってこの様だ。いい加減大人しくて殺されて欲しいね、まったく」
「んだとコラ殺人鬼っ! こちとら数か月かけてせっせと描いた秋葉(の似顔絵)没収されてんだぞ!! テメエの方がよっぽどマシじゃねえか!」
「営業妨害してきた分際で戯言言うな! 大体貴様まだ秋葉を諦めてなかったのか! 何だあの絵のクオリティーは!? 俺でも引くぞ!」
「テメエこら!! 俺の妹愛を理解できてねえってか!? あー秋葉会いてーな秋葉……あれから結構立ってるし、もっと綺麗になってるんだろうなあ。相変わらずナイチチに悩まされてるだろうけれど、そこも含めてああ可愛い可愛い可愛い我が妹よ!!」
「やかましい!! そんなに言うのならスキマ妖怪にでも頼んで会いにいけばいいだろう!というか行ってください帰ってくるなそして死ね!!」
「何言ってやがるテメエも道ずれだこら!! 秋葉の前に引きずり出して説教地獄味合わせてやる。つーわけで一回殺されてくねえか? 秋葉の所まで連れてくから」
「御免被る。第一、お前が会いに行ったところで殺されるだけだろう。既に存在しない上に過去に反転した混血なぞ当主の手で葬られるのがオチだ。という訳でオマエだけ潔く殺されてこい」
「いいやお前が死ね!」
「貴様が死ね」
「お前が――」「貴様が――」
そこから数十分くらい罵り合った二人はさすがに疲れたのか、息を荒げながら再び焚火の前で向かい合って座った。
「まあ、冗談抜きにしてよ、心配なんだわ本当に……」
「……」
急に真剣になり始めた四季の言葉を、七夜は黙って聞く・
「……秋葉、お前……じゃない方の志貴のことが……クソっ、何か納得いかねえ!」
「一人で悶えてないで続けろ」
「るせぇ、それでな、志貴の奴、出て行っちまっただろう? 真祖の姫追ってよ。となると、あの屋敷にはヒスコハと秋葉の三人しかいねえんじゃねえのか? 勿論、志貴の事だ。秋葉達に何も言わずに行くわけねえけどよ……いや、どうだろうか……」
「……」
悩み続ける四季の言葉に、七夜は空を見上げた。
遠野志貴だった時の記憶は、既に取り戻している。だが、所詮は赤の他人の記憶だ。
勿論、遠野志貴が秋葉たちと別れた時の記憶も……。
だが、ソレを四季に言うつもりはなかった。どうでもいいというのもあるが、自分が遠野志貴の記憶を持っている事を知らない筈がない四季が聞いてこないという事は、そういう事なのだろう。
四季とて理解はしているのだ。
所詮、自分も目の前にいる義弟と同じような存在なのだと。
帰る事など許されない亡霊なのだと。
「ああもうやめだやめだ! 今はどうやってあの屋敷に帰るかを考えるぞ!? テメエも何か考えろ!」
「……存外、早く帰れるんじゃないのか?」
「馬鹿! オメエはそうかも知れねえがこっちは違ぇんだよ。こちとら散々お前の事であのメイド長からかって来たからな、ぜってぇただじゃ帰らしてくれねえ……」
「自業自得だ戯け。それに、それもおそらくないだろう?」
頭を抱えて割と本気で悩む四季に対し、事もなく言ってのける七夜。
七夜とて、上司からの、咲夜からの好意に応えなかった訳ではない。むしろ、応えてなかったら今もこうして執事などやっていない。
自らを呼びだしたモノを殺すだけの存在でしかない筈の七夜が、紅魔館に居続けている事。それが七夜の、咲夜からの想いに対する遠回しの回答なのだから。
故に――――
「お前、ノーレッジとはどうなんだ?」
誰かさんが、誰かさんに抱いている好意だって、ちゃんと理解できている。
「あぁ、司書様か? ケっ、ありゃあ単にオレの知識に目を付けてるだけに過ぎねえよ。それも俺じゃねえ、『蛇』の知識をな」
「クク、ハハハハ」
あからさまな四季の回答に、七夜は思わず笑いをかみ殺す。
蛇の知識が欲しいだけなら、魔法なり何なり使って読み取ればいいものを、あの魔女は未だにそれをしていない。
四季の中にある、ロアの知識を、態々四季の口から聞いているのだ。知識はあってもそれの理解には乏しい四季は必死に頭を振り絞ってあの紫もやしに伝えているようだが、その時の彼女は存外楽しそうなのだ。
「あんたも大概だな、兄弟」
「お前に言われたくねえよ、兄弟」
背中合わせの七夜からは見えないが、おそらく必死に照れを隠そうとしているであろう四季は、誤魔化すように缶の中に残ったコーヒーを飲み干し、ただ一言呟いた。
――――ああ、糞不味い。
以上、遠野四季を書きたくなっただけの番外編でした。