子供の頃、僕は魔王を倒して勇者になるんだと思っていた。
少しだけ大人になって現実を見始めても、どこか心の奥では魔王を倒す夢を見ていたんだと思う。
無難に冒険者になったのは十五の時。
この世界はここ千年の間、魔王によって支配されていた。
ダンジョンには魔人が巣くい、街の外は魔物だらけ。
冒険者はいつか魔王を倒そうと腕を磨き、今日も明日も冒険に向かう。
魔王を倒す前にまずは腕磨きだ。装備を整えよう。今日の晩飯の用意だ。
いつしかそれが習慣になっていて、当たり前になっていて、魔王と戦うという目的は薄れていく。
だから、誰も考えていなかったのだ。
───魔王が倒されるなんて。
千年にも及ぶ魔王の支配は唐突に、突然に、なんの前触れもなく終わる事になる。
僕の知らない、どこかの街のどこかの勇者が魔王を倒した。
これで世界は平和になる。
ダンジョンの魔人も魔界に帰り、街の外の魔物達も次第に消えていった。
世界はお祭り騒ぎ。平和な世界に祝福を。
勇者も、王様も、王族も、村人も、商人も、鍜治屋も、冒険者も───
ただ平和を喜んで、後先考えずに飲み明かす。
そんなお祭り騒ぎが収束し始めた頃、冒険者達は気が付いたのだ。
───僕達は、これから何をして生きていくんだろう。
☆ ☆ ☆
「……ここの宝箱もか」
とあるダンジョンの跡地で、僕は空になった宝箱を開けてその場に座り込んだ。
魔人が居なくなった今、各地のダンジョンと呼ばれていた場所は危険がなくなってただの洞窟になっている。
そして魔人が残していった宝箱はなんの危険もなく開かれ、今やこの世界に中身のある宝箱の方が珍しい状態だ。
「ミミックも居ないから宝箱を開ける事に関して何の躊躇もなくなったけど、同じ考えで皆が宝箱を漁るからなぁ……」
魔王が倒され、僕達冒険者は実質的に職を失った事になる。
魔王が倒されるまで、冒険者達は命を賭けてダンジョンを探検していた。
本来ダンジョンは罠や魔物達で危険が付き物である。そこで命を落とす者や、体の一部を失う者も沢山いた。
僕もそんな中の一人で、ダンジョンに設置されていた罠で一度手足を失っている。
魔法で意のままに動くキカイという技術で今こうして五体満足のようにダンジョンを歩いているが、僕の身体は一部分本来の身体ではない。
そんな危険なダンジョンも、魔王が倒された今となってはただの洞窟だ。
魔人も居なければ魔物もいない。宝箱は全部空。冒険者がダンジョンに来ても何も得る者はないだろう。
それじゃ何をするのか。僕達冒険者は冒険しか出来ない。
今こうして僕がダンジョン跡で宝を探しているように、他の冒険者もその多くがゴミを漁るようにダンジョンの跡に向かっては空の宝箱を開くのだ。
「……もう、ダメだ。お腹が空いた」
自慢の剣を杖にしながら、僕はやっとの思いでダンジョン跡から出て行く。
この剣で何人か魔人も倒したし、魔物も沢山倒した。
初めて潜ったダンジョンで開いた宝箱でこの剣を手に入れてから、もう何年経っただろう。
そんな自分の宝物も、今は背負うと重いだけの荷物だ。こうして杖にする事にしか使えない。
だって、斬るべき魔物も魔人も───魔王も、もうこの世界には居ないのだから。
視界が揺らぐ。
僕は遂に倒れて、冷たい地面に横たわった。
田舎の母親の顔が頭に浮かんできて、自分の死を悟る。
何処かで魔人に殺されたり、魔王に挑んで死ぬならともかくだ。
こんな所で野垂れ死ぬ為に冒険者になった訳じゃない。
僕以外の冒険者も、きっと同じ事を思っているだろう。
でも、僕達はただ勇者になれなかっただけなんだ。
物語の主人公のような存在になれなかった、そこら辺の何処にでも居る冒険者の一人。
僕等一人一人がそれぞれ主人公の目には映らないような、そんな下らない存在。
何のために生まれてきたんだろう。
───僕達は、これからどうすれば良いんだ。
「お腹が空いているの?」
目を閉じて己の運命を呪っていると、唐突にそんな声が聞こえてくる。
目を開けば、そこにはどこか透明感のある女の子が立っていた。
透き通るような銀髪を腰まで伸ばしたその少女は、これまた透き通るような水色の瞳の片目で僕を見下ろしている。
こんな町外れに居るのが不思議な綺麗な服装。靴はヒールだし、どう考えてもダンジョンに向かう冒険者でも旅人でもなさそうだ。
それじゃ、彼女は何なのか。
「……君は?」
気怠い身体を何とか持ち上げて、僕は彼女に問い掛ける。
「私は私よ。そして、あなたはあなた」
クルクルと回りながら、彼女はその銀色の髪を靡かせてそんな訳の分からない事を言った。
前髪で少し隠れていたが、彼女は右眼を隠す眼帯をしている。
その幼い容姿には似合わないが、彼女も僕と同じで身体の一部を失っているのか。それとも何かのファッションか。
気にはなったが、この危険
「いや、僕は僕だけど……」
そんな事より気になったのは、彼女がクルクルと回りながら向かって行く先の光景である。
今僕が居るのは王都から少し離れた洞窟のダンジョンだ。
魔王が倒されるまで魔人が支配していて、魔物も沢山いた地域である。
確かに魔王は倒されたが、ここはまだ人の手の届いていない未開の地。人っ子一人住んでいない森にある洞窟の入り口の筈だ。
───それなのに。
「なんだ、これ」
僕の目の前には、木で出来た一軒の建物が建っている。
建物の上部には見慣れない文字の看板。窓ガラスから見える建物の中は沢山の机と椅子が並べられていた。
いや、そんな事はどうでも良い。
「ここは珈琲屋よ」
「こーひーや……? いや、そういう事じゃなくて」
どうしてこんな建物がここにある。
僕が数刻前にこのダンジョン───もとい洞窟に入る前には、こんな建物は存在していなかった。
「ここにこんな建物あったっけ?」
「なかったわ」
僕がそんな疑問を口にすると、銀髪の少女は平然とそんな答えを返してくる。ますます意味が分からなかった。
「なんで?!」
「ここに現れた……と言うべきかしら。出現した? 召喚した? なんでも良いわ! とにかく入りましょ」
どうも事情をはぐらかされ、僕はキカイの手を引っ張られて無理矢理建物の中に連れていかれる。
突然この場所に現れたとは思えない程しっかりとした建物だ。
近付いて確認すると、建築士の腕の良さが伺える。
こんな建物が突然現れた事に、やはり驚きが隠せなかった。
「好きな席に座ってちょうだい!」
少女は元気にはみかみながらそう言うと、建物の奥に向かっていく。
周りを見渡すと、建物の中は外から見た通り沢山の机と椅子が並んでいた。
それと、剣とか王冠とか───よく見かける物やよく分からない物が店のあちこちに沢山置かれている。
置物としては数が多い。それに関しては店というより展示店のような印象を受けた。
しかしカウンターもあるし、ここは酒場みたいな場所なのだろう。何か食事を出すお店の雰囲気を感じる。
ただ、僕の他に客がいる様子もない。こんな場所にあるお店に他に客が居たらそれはそれで怖いが。
せっかくだからと、僕はカウンター席に座って彼女を待つ事にした。
お腹が減っていたのは事実だし、空白でこのまま王都に帰るだけの体力が残っているかというと微妙である。
お金は銅貨十枚だけしか持っていないが、一食分なら大丈夫の筈。職を失った元冒険者の全財産だが、やはり命には変えられない。
もしかしたら既に白昼夢でも見ているのではないかと疑問に思った。目を擦ってみると、どうも建物の壁が透けて見える気がする。
「はい、まずは珈琲よ。お腹が空いてるでしょ? 何か食べたい物はあるかしら」
そんな事を考えていると、さっきの銀髪の少女が店の奥から出て来て黒茶色の液体が入ったマグカップをカウンターのテーブルに置きながらそう言った。
その、どうも濁った泥水に見える液体は温められていたのか湯気が上がっている。
なんだコレは。
明らかに酒ではないし、果汁のジュースでもない。茶には似ているが、濁り過ぎだ。どうみても泥水である。
「……あら? どうかしたの?」
「これは何だ……。こーひー?」
僕はその濁った水を半目で見ながら呟いた。確かに腹が減って倒れた所ではあるけど、温めた泥水を啜る程弱ってはいない。
「珈琲よ。とにかく飲んで貰えば分かるわ! とっても美味しいのよ!」
少女は屈託のない笑顔でそういう。どうも嘘を付いているようには見えないが、やはり目の前の液体はどう見ても泥水だ。
ただ、これを飲むまでその笑顔のまま固まっているんじゃないかという程に少女は僕をジッと見詰めている。
僕は覚悟を決めて、ソレを飲む事にした。もうどうとでもなれ───
「───美味い」
ただ、口に入れた瞬間に広がるコクに僕は目を見開いてコップの中の液体を二度見する。
見た目はどう見ても泥水だ。
しかし、苦味の奥に広がるコクは決して味わう時に不快には思えず、ただ喉の奥を洗い流して行く。
お酒ともジュースとも違い、少しずつ味って飲みたくなる飲み物だ。
「……これは、一体?」
「あら、この世界には珈琲がないのね」
僕の反応を見て、少女は不思議そうに首を傾ける。その言葉に少し違和感を感じたのは、魔王を倒した勇者の事を思い出したからだ。
件の勇者は異世界から来たという話を聞いた事がある。
この世界ではない別の世界。
そんな物がある事は信じられないが、もしかしたら───
「もしかして、君が勇者様なのか? 異世界から来たっていう」
「違うわよ」
───違うんかい。
転けそうになった。少女は真顔で首を横に傾けている。
「私はね、このお店と世界を旅して色々な人の話を聞いているの!」
僕も何が何だか分からずに唸っていたからか、彼女はそうやって自分の事情を話してくれた。
世界というのは、この世界の事なのだろうか。このお店が移動が出来るお店で、行商人のように世界を旅している。
そんな所かとも思ったけれど、このお店が移動する光景を想像出来なくて僕は首を横に振った。
それに、さっきの「この世界にはこーひーがない」という言葉もある。
「……世界っていうのは、この世界以外の世界の事?」
「そうよ! 世界は沢山あって、ここもその一つなの。私はそんな沢山の世界の色々な場所で色々な人の話を聞くのが趣味なの」
笑顔でそう言う彼女は、お店の中でクルクル回って飾ってある置物の所まで歩いて行った。
手招きに従ってついて行くと、目の前には何か大きな生き物の鱗のような物が置いてある。
その横には赤色に光る紅玉も置いてあった。近くには片手で持てそうな剣とか、盾とか。
「例えばこの紅玉は、火を吐くドラゴンの体内にあったお宝なの。この剣を使っていたハンターという人は、三人の仲間と協力してドラゴンを倒したのよ!」
まるでおとぎ話の英雄だ。何もない僕には届かないような、英雄の話。
「それは、さぞ凄い話なんだろうね。それこそ、魔王を倒した勇者みたいな」
「でもね! その世界で火を吐くドラゴンは沢山いるし、凄いと言われる事はあっても世界を救った事にもならないの」
彼女の話を聞いて僕は唖然とする。
ドラゴンを倒しても世界の一つも救えない世界。なら、その世界では何をしたら勇者のように物語の主人公になれるのだろうか。
「こっちは、魔物同士を戦わせるバトルの勝者に送られる記念品よ!」
次に彼女が見せてくれたのは、八つの小さなメダルのような物。
その近くには赤と白のボールとトロフィーが置いてあった。
「魔物同士を戦わせる……?」
「そうよ。その世界では、人と魔物は共に協力しながら生きているの。そして魔物同士を戦わせるバトルがその世界では流行っていて、とある地域では八人の選ばれた強者を倒すとこのバッチが貰えるの! そうしたら、全国から集まった同じ強者とバトルしてその中の頂点を目指すのよ! 楽しそうだったわ」
その話もまた、物語の主人公のよう。
「素敵なお話だね」
「そうね。とっても! だから、私はあなたの話も聞きたいわ」
両手を広げて、彼女はそんな事を言った。
「僕の……話?」
「そう。あなたのお話」
屈託のない、透明感のある笑顔で彼女はそう言う。
まるでおとぎ話を親から聞かされる子供のように、彼女はまだかまだかと僕の口から語られる物語を楽しみにしていた。
彼女は色々な世界で色々な人の話を聞いてきたという。
それはきっと物語の主人公のような成功談。目を輝かせて聞く事が出来る完成された物語だ。
だけど僕には何もない。
僕は魔王を倒した勇者でもない。勇者の仲間でもないし敵でもない。勇者と共に冒険をした事もなければ、勇者の顔だって知らない。
言ってしまえばこの世界に居ても居なくても良い存在だろう。そんな僕に、誰かに話せるような物語なんてなかった。
「どうかしたの?」
「……ないんだよ、僕には。この世界に生まれたけど、この世界の物語を話せるような人生じゃなかったんだ。僕は、とてもつまらない人間なんだよ」
俯いて、吐き捨てるようにそう言う。
知っていたけど、認めたくなかった事だ。心のどこかでその事を呪っていたんだと思う。
子供の頃、僕は魔王を倒して勇者になるんだと思っていた。
でも勇者は僕の知らない所で倒されて、僕は枯れ果てたダンジョンで宝箱を探っている。
話せるような物語なんて、持っていない。
「ここにあるのはね、色々な人のお宝なの」
唐突に、彼女はそんな事を言った。そして、近くに置いてあった金色の玉を持ち上げる。
確かに、お宝のようだ。
「これはね、魔物同士を戦わせる世界で変なおじさんにもらった金の玉よ。おじさんはね『それは おじさんの きんのたま!』『おじさんの きんのたま だからね!』と言っていたわ」
「危ない奴じゃないか」
ダメだよ女の子がそんな変質者に近付いちゃ。
「あとコレ。これはドラゴンを狩る世界でもらったのだけど」
そう言って彼女が取ってきたのは、風呂敷に包まれた黒い物体である。今度はなんだ。
「もえないゴミだそうよ」
「なんでそんな物を貰ったんだ」
ここにあるのは全部宝なんじゃないのか。
「これは魔物のイラストが描かれたカード、これは壊れたプラモデル、これはお菓子のおまけ、これはえっちな本。それからこれは───」
店の周りを歩き回りながら、彼女は楽しげに色々な物を僕に見せる。
ただ、そのどれもが宝なのかゴミなのか分からない物だった。それでも彼女は、目をキラキラとさせて一つ一つ丁寧に紹介してくれる。
「……これは?」
その中で、僕はとある物に目を引かれて説明を求めた。
お店の端っこに置いてある箱から伸びる何本もの糸。その糸の先にはそれぞれ、様々な色の球体がくっ付いている。
球体はそれなりの大きさで、細い糸がそれを支えているとは思えなかった。球体が浮いているようにも見える。
透明な物もあるのだけど、中に何かが入っているようには見えない。
試しに触ってみると、それはユラユラと揺れて沢山の球体がぶつかり合って、またそれらもユラユラと揺れた。
「それは風船ね。とても伸縮性のあるゴムで出来ていて、中に空気よりも軽い気体を入れて膨らませるとそうやって独りでに浮くの!」
「へぇ……凄い。何に使うの?」
「何にも使えないわ」
真顔で言う彼女の言葉に、僕は再び転びそうになる。
「ガラクタじゃないか……」
「そうとも言うわね」
僕の言葉を否定せずに、しかし彼女はくしゃっとした笑みでその風船という物を指で突いた。
もっと鋭い物───例えば剣とかで突けば簡単に穴が開いて割れてしまいそうなガラクタ。
何に使うかすら分からないそれが、何でここに置いてあるのかも僕は分からない。
「風船もそうだけど、ここにある物は全部、誰かにとってはただのガラクタよ」
でもね、と。彼女はこう続けた。
「でもね、誰かにとってはとっても大切なお宝なの。友情であったり、愛であったり、希望であったり、夢であったり」
それは物体としての意味なのか。
「ここにある物はね、誰かにとってのガラクタで、誰かにとっての宝物なの!」
お店の中全体を見渡すように、彼女はクルクルと回ってそう語る。
「あなたが大事そうに背負っている剣と同じよ」
そう言って彼女はピタリと止まり、カウンターに戻った。
「僕の剣?」
「そう。とても素敵なお宝じゃない?」
「魔王が居なくなって魔人も魔物も居ないこの世界じゃ、こんなのはただの鉄の塊だよ」
確かに、宝場を開けてこの剣を手に入れた時はそれはもう喜んだとは思う。
だけど、こうなってしまったら宝の持ち腐れというか。この剣だってただのガラクタだ。
「あなたにとって、その剣はガラクタなのかしら? 他の誰でもない。あなたにとってよ?」
「え?」
彼女のそんな言葉に、僕は固まってしまう。
だって、そうとは言い切れないから。
「もしそうなら、売ってしまえば良いのよ。そしたら、ご飯を食べられるじゃない」
それが出来なかったから、僕は今日ダンジョンの出口で倒れていたんだ。
この剣は僕にとって───
「で、でも! 僕には何もないんだ……。何の色のない、ただの一般人。そこにある風船の方が、カラフルで僕なんかよりもよっぽど価値がある……」
「透明色」
ボソリと、彼女はそう呟く。
「何もない色」
言いながら、彼女は近くにあった風船を一つ手に取った。
その風船には色がない。中身まで透けて見える、透明な風船。
「でも、この風船は何色にだってなる事が出来るのよ」
彼女はその風船を他の風船の前に向ける。するとカラフルな風船が透けて見えて、まるで透明な風船に色が付いたように見えた。
「透明って素敵じゃない?」
「何が言いたいんだい……」
ただ、彼女が言いたい事が分からない。僕はそんなに感受性が豊かではないから。
「むぅ」
これまでの態度からは珍しく口を尖らせる彼女は、僕が飲み干した珈琲が入っていたマグカップを手にとって背を向ける。
怒らせてしまったのだろうか。
「珈琲はね、コーヒー豆という物から作るのだけど。全く同じ豆を使っても……入れる人や入れ方で凄く味が変わるの」
ただ、そういう事ではなかったらしくて。
彼女は僕におかわりの珈琲を渡しながらそう言った。
「へぇ……」
「これはね、さっきと同じ豆を使っているのよ」
飲んでみて、と。彼女は僕にマグカップを向ける。
特に何も考える事なく、僕はソレを口に含んで驚いた。本当に味が全く違ったから。
「これと同じ豆を使ってもっと美味しい珈琲を作る事も出来るし、美味しくない珈琲を作る事も出来るわ。全く同じ豆でも、条件によってどんな珈琲にもなるの。……あなたも同じよ」
ふと、彼女は静かな笑みでそう言った。
「僕も……?」
「そう。あなたも珈琲の豆なのよ。まだあなたの味は決まってないわ。それなのに、自分には何もないなんていうのは勿体無いとおもうの」
透明な風船を突きながら、少女は僕をその水色の片目で見詰める。
僕は豆なんて言われてもよく分からないが、彼女が言いたい事は少しだけ分かった。
「ねぇ、あなたのお話を聞かせて?」
そうして彼女は、くしゃっとした笑みでそう聞いてくる。
僕の話。
背中の剣を手にとって、僕は「つまらない話だけど、良いかな?」と断りを入れた。
彼女は「勿論よ」と笑顔で返してくれる。
そんな彼女に、僕は自分の話をゆっくりと話した。面白い話ではなかったかもしれない。
ソレこそ、人によってはガラクタのようなお話。でも僕にとってそれは宝物だったんだと思う。
手足を失った話、この剣を手に入れた時の話、とある魔物を倒した話、魔人を倒した話。いつか魔王を倒して勇者になるんだと、意気込んでいた青年のつまらない話。
きっとこの世界ではありふれた話だけど、彼女はその話を楽しそうに聴いてくれた。
「とっても面白かったわ」
「ありがとう。僕はそろそろ行くよ。……その、代金はいくらかな?」
お腹も空いているけど、今は早く何処かに進みたい。
王都に戻ったら冒険者をやめてそれから───
「そうねー、ならその剣を貰おうかしら」
そんな事を考えていると、少女は飲み物二杯の代金に僕の宝物を要求してくる。流石にビックリして僕は目を見開いた。
「え、コレ……?」
「えぇ。その代わり、ここにあるお宝をどれか持ち帰って良いわ。そうやって、色々な人のお宝やお話を集めたいの」
洋服を強請る子供のような表情で、少女は僕を上目遣いで見上げる。
特に断る理由はなかった。
僕の宝物は、もう彼女に全て話したのだから。だったら、この剣と一緒に持って行ってもらってもらっても何の問題もない。
「それじゃ、コレを貰おうかな」
交換してもらう宝物を選んで、それを指差しながら僕は彼女に剣を手渡す。彼女は少し驚いた表情で「コレで良いの?」と首を横に傾けた。
僕が選んだのは、透明な風船。
何色でもない、でも何色になる事もできる素敵なお宝だと思う。
「うん。コレで良いよ。僕もこの風船みたいに、何か色になれたら良いなって思えたから」
「ふふ、素敵な答えね。それじゃ、少しだけサービスするわ!」
そう言って少女はトタトタと音を立てて店の奥まで向かい、直ぐに植木鉢を持って戻ってきた。
「これは?」
何かの植物だろうか? 木にも見える。
「コーヒーの木。これを育てると、珈琲の豆が取れるの。あなたが、あなただけの味を出せるように」
「同じ豆でも、入れる人と入れ方で味が変わる……だっけ?」
「そうよ。そして、豆も作る人と作り方で味が変わるわ。あなただけの珈琲がどんな味になるのか、とても楽しみね」
そう言って彼女は僕から剣を受け取った。
僕の宝物。僕の物語。
「またここに来た人に、僕の話もしてくれるといいな」
「えぇ、勿論よ。色々な人に話すわ」
それを聞いて安心して、僕は透明な風船と植木鉢だけを持ってお店を出る。
「な……」
ふと振り返ると、お店は無くなっていた。夢だったんじゃないかと思ったけど、風船も植木鉢も僕は持ったまま。
背中の剣は無くなっている。
「不思議な体験だったな……」
どこか透明感のある少女とお店。そこで見聞きしたお宝と物語。
そのどれもが、人にとってはガラクタで人にとっては宝物だった。
僕の物語は誰かにとってガラクタで、誰かにとって宝物になるだろうか。
そんな事を考えながら、僕は歩いて行く。
「いらっしゃいませ」
いつの日か。珈琲という飲み物が王都で流行って、僕は世界を旅しながら珈琲を入れるバリスタになったのはまた別の話だ。
今日もどこかで、透明な風船が空を舞う。
今度はあなたの入れてくれた珈琲を飲ませてくれませんか?