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「私は、文花帖に気を取られていました」
竜巻で一見月 椪子と名乗った不可思議な少女を吹き飛ばしたが、それでも私の気は晴れなかった。それ程に彼女に対する怒りが蓄積していたわけではない。心に黒い靄がかかったままで、それを払うに至らなかった。
苦々しさや焦りが、顔にも出ていたのだろう、こちらを窺う椛の表情は硬い。直前に私が背後を取られたということもあり、かなり警戒の度合いを引き上げているようだ。
「危険度もそこまでだから、良い感じのネタにできると思って。それでもおかしいんです、椛は
一瞬の出来事だった。ほんの少しの間、人間なら指を軽く振る程度の動きしかできない程に僅かな時間だけ椪子から意識が逸れた。次の瞬間に、私は翼を弄られていた。
椛の動体視力でも追い切れない程の、爆発的な速度。もしそれが彼女の有する状態変化能力の恩恵の1つで、尚且つさしたる代償を払うこともなく行使できる安易な
「これは、中々どうして洒落にならない」
「上に報告してきます。あれを野放しにしておくのは、我々天狗にとっても良くないことですから」
急ぎ飛び立とうとした椛。自分では対処が困難であると判断し、すぐ大天狗へ情報を伝えに向かう姿勢は評価に値するが、私はそれを制止した。そして、瞳に訝しげな色を浮かべた彼女にある1つの案を提示する。その案が、彼女にとって受け入れ難いことは私も承知の上であった。
「いえ。もう少し、様子を見ましょう」
「なっ、文様。こんな時にまで新聞のネタの確保に動かないで……ッ」
皆まで言いかけて、椛は咄嗟に口を噤んだ。どうやら私が伊達や酔狂で静観を決め込んでいるわけではないと理解してくれたらしい。普段は私の顔を見るなりわんわんきゃんきゃんと吠え突っかかってくる喧しい犬っころだけど、ここぞという時ではちゃんと私の考えを読み取ってくれる。案外椛とは仲良くやれるかも……いや、彼女の平時の態度が軟化しない限りは望み薄か。
「彼女の危険度、その底が見えないんです。泳がせても良いかどうかすら判別がつかない現状では、少しでも多くの情報を得るために、『泳がせておかざるを得ない』」
例えそれが、結果として幻想郷に損害を与えたとしても、だ。あの異能が完全なる未知のベールに包まれている間に矛を交えたら、どんな
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正直ひどいと思った。
私がいったい何をしたと言うんだろう。そこに山があったから登る、そこに羽があったから触る。この自然の摂理に怒るだなんて人とじゃない。羽生えてても、見た目が人っぽいんだったら、中身もそれっぽくてくれないと困る。
だいたいこう見えても私、実は臆病。飛行機の類には乗れない。でも今、私はこの身一つでお空の旅をしています。どうしてでしょう。しかも高速回転中です。私は人です。駒ではありません。ていうかそろそろ限界。吐く――。
◇◇◇◇◇◇◇◇
夢を見ていた。とても幸せ、――じゃない夢。私が洗濯機の中で洗濯されているような、およそ普通に生きている限り体験し得ないような夢。自分が夢を見ていることくらい、私くらいになれば分かるんだけど、どうしてか中々醒めてくれないの。
いつもなら覚めろと念じれば起きれるのに……。
「――大丈夫? ほら、あんた、生きてるんでしょ?」
ゆっさゆっさ。
「んー、妖怪にでも襲われたのかしら……」
ゆっさゆっさ。
っは!
「こ、ここはっ――」
「っわ」
目覚めたらそこは、温もりの世界でした。
「ちょっと離れなさい。急に飛び起きるからびっくりしたじゃない」
「え?」
周りを見渡すと、純和風な部屋が見えた。
そして目の前には、紅と白の巫女服を着たお姉さんが。
「なんだか分からないけど、大丈夫そうね。あんた、神社の境内で倒れてたのよ? 大方荒っぽい妖怪にでも襲われたんでしょうけど。特徴言ってくれれば、私がこらめしとくから」
「え、あの、はい」
話が見えない。
「とにかくまずは元気にならなきゃね。そのためには食べるのが一番! あんたも食べるでしょ? 魔理沙が帰ってきたらお昼ご飯にしましょ」
なんだか分からないけどいい人そう。思えば私、初めて優しくされたかもしれない。
「おっす! 戻ったぜ!」
「お、帰ってきたわね」
開いた扉の方には、黒と白の魔法使いのような恰好した人がいた。
「お、なんだそいつ」
「ああ、それはね――」
とっても仲が良さそう。少し、羨ましい。
「なるほどな。まあ食ってけよ。今日は大量だしな!」
活発に笑うのを見てると、なんだか私も笑ってしまう。
「で、お前の名前は? 何て呼んでいいか分からんのもな?」
「えっと、私の名前は椪子」
「そうかそうか、私は魔理沙。そしてこっちのぐうたらが霊夢だ」
「ちょっと、魔理沙。そういうことを初対面の子に言うんじゃないの」
「でも本当のことだろ?」
「……まったく」
温かい。本当に、温かい。
「お、おい、なんで泣いてるんだ?」
「え、ちょっと、あんたのせいじゃ」
「私かよ!?」
めいいっぱいに首を振る。
「お腹が空いただけなの!」
私はめいいっぱいの笑顔を作った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
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「ご飯ありがとう! こんな美味しい物食べたの始めて……研究室の保存食とは比べ物にならないわ。霊夢さんウチの専属コックにどうです?」
「褒められて悪い気はしないけど、その申し出は無しよ。まあ取り敢えず、お粗末様でした」
「はは、照れてやんの」
椪子は感動していた。
人間からの温情など、真の意味で存在するはずがないと考えていた。13歳で大学院を卒業するような椪子の世界でも、彼女の頭脳と思想は異端だった。
故に同業からの嫉妬や悪意、更には世論からの排斥に生涯晒されて続けており、それが椪子が夢の世界に傾倒する一端にもなった。
だから椪子は改めて再確認したのだ。
『理想郷マジドリームパラダイス』――と。
「それにしてもその風貌……お前外の世界の人間だろ? 時々来るんだよ」
「そうそう。そんな痛々しいなりの奴はあんまり居ないけど、菫子の例もあるし。そのマントといいアンタもオカルトがどうとかって類かしら?」
オカルト――椪子からすれば子供騙し。
不可解な現象とは夢の中において全てが成り立つもの。そしてその夢は自分によってメカニズムがほぼほぼ解析されている。
所詮は凡人が幻想から生み出した空想だ。
「そんな化石みたいなもん研究しても仕方ないよ。それにこのマントは私の敬愛する『オカザキ』をリスペクトしたもの。変なのと一緒くたにしないで欲しいね!」
「そ、それは悪かったな。ただその事は菫子の前では言うなよ? いいな?」
このヤケにアホっぽい少女は菫子とあまり相性がよろしくないかもしれないという、魔理沙の直感だった。
一方で霊夢は興味なさげにお茶を啜り――『オカザキ』というワードに若干眉を顰める。どこかで聞いた事があるような気がする。
「そうだ」
椪子がポン、と手を叩く。
「お礼しなきゃいけないね。何か渡せればいいんだけど……私このマント以外には何も持ってないし……」
「別に気持ちだけでいいわよ。幻想郷にやってきたばかりの無一文から施しを受けるほど、私は落ちぶれてないわ」
「そうは言っても――――あ、忘れてた。ここ夢の世界だったわね!」
不可解な言葉に霊夢と魔理沙は首を傾げる。
そんな二人を尻目に椪子は境内から小石を拾うと、手に包み念を送る。数秒後、掌の上には――小粒の金。
霊夢の目の色が変わった。
「どうかな? もしよければ――」
「私と手を組みましょう椪子。貴女と私が組めば幻想郷に敵はないわ!」
霊夢の悪癖だ。
困惑する椪子を他所に霊夢は彼女の手をがっちり掴む。一方の魔理沙は「敵って誰だよ」なんて思いながら面白そうにその光景を眺めた。
そして――
(幻想郷っていうの? ここ)
椪子は理想郷の正式名称を知った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
〇
場面変わって、此処は狭間の世界。
鮮やかな手並みで結界の修復を終え、再び例の人物に目を戻した紫は、またも頭を抱える羽目になっていた。
これはまずい。一瞬でも気を抜いた私が愚かだった。
取るに足らないドジっ子?有り得ない。
そもそも、隔絶されている筈の世界に割り込んで来るような輩が、マトモなはずが無かったのだ。
椛は、確かにあの娘を処分しようとした。少々性急に過ぎる気がしないでも無いが、ソレはまぁ良い。きっちり警告はしていたみたいだし、そもそも外来人を保護する規則など存在しない。
問題は、その後。
私には、視えた。
何の抵抗もできずに切断されるかのようにみえた少女は、斬られる瞬間に身体を軟体化させた。そして、斬撃を何事も無かったかのように素通しさせたのだ。
それだけには留まらない。続く頭上からの剣戟に対し、今度は頭部を硬化。あの椛の刀を、弾き返した。
恐らく、あの娘の能力は形態変化と言ったところでしょう。状況に応じ、瞬時に身体の状態を変えることが出来る。
これは、椛には荷が重いわね。表情にも、無自覚でしょうけど恐れが混じり始めている。
及び腰になった犬っころほど呆気ないものはない。
斬撃をすり抜けたそのままに腕に絡みつかれ、呑み込まれていく…………
え?助けないのか?
何言っているの。椛のヒーローは私じゃないわ。
ほら──
◇◇◇◇◇◇◇◇
正直に言おう。私はまだあの娘を甘く見ていたみたい。
椛の手に負えないのはすぐに分かっていた。けれど、相棒の危機を察し、跳ぶような勢いで駆けつけようとしている存在がいる以上、あの場は問題ないと思っていた。
実際、最初は良かったのだ。
間一髪、助けに入った文は、椛と共に飛翔。そして、油断なく眼下を見据える。
そして、ここは流石というべきなのでしょう。状況を優位とみるや、あの娘との会話を試みてくれた。
私としても、少しでも情報が欲しいところだったので非常にありがたい。
──そして、一言半句漏らさぬよう全神経を集中させていた私の耳に、身の毛もよだつ発言が届く。
『理想郷の検体諸君──』
「……藍」
想像以上に、硬い声が出てしまった。
いけない、落ち着かなければ。私は統率者。ブレイン。常に余裕の振る舞いを見せ、皆を導かなければならない。
「ここに」
数秒の間も無く顕現し、膝を付くのは、私の式にして、最高の部下。
誰よりも信頼できる配下だからこそ下す、危険度未知数、高難度の指令。
「……この娘を洗いなさい。出来る手は全て使っていいわ」
藍に隙間からの映像を見せる。かの少女の異常性には直ぐに気づいてくれたようで、小さく目を見開いた。
「……この者は」
絞り出すように藍が呟く。
私は一瞬悩んだ末……言葉を紡いだ。
「……侵略者の可能性があるわ」
その言葉は、静かな空間にはっきりと響き渡った──