メカエリチャンがデレたり色々考えたりサーヴァント達とわちゃわちゃする話。
友人にプロット考えてもらって、それを元に書きました。
ベッタベタな内容ですが、基本に忠実な感じになったと思います。
「今だ、メカエリチャン! ロケットパンチ!」
「いいでしょう。メカエリパーンチ!」
背後からの指示により、私の腕から発射された鋼鉄の拳が、ウェアウルフの頭部を殴りつけ、そのまま吹き飛ばしました。
塵となって消える獣の姿。同時に、深い森の風景が靄のかかるように分解されていきます。
後に残るのは無機質な壁に囲まれた広い部屋のみ。シミュレーションルームの一室です。
私は引き戻した腕の具合を確かめながら、静かに排気しました。
ひとまず次の利用者が控えているので退室し、廊下を並んで歩きながら、率直な感情を告げます。
「……訓練の必要性は認めましょう。おまえから言い出したのも評価点です。しかし、あの体たらくは何ですか。最後はよかったとしても、いくら単騎とはいえ、こうも苦戦したのは指示の甘さが招いた結果だと理解していますか?」
「あはは……ごめん。ちょっともたついちゃってたよね」
「私はサーヴァントですが、同時にメカでもあります。人間の肉体を持つ者と同じ扱いをする必要はありません。今後、私を乗りこなすのであれば、もう少し遠慮や躊躇を取り払うべきでしょう」
「うん。気をつけます」
全くもって頼りないパイロット候補ですが、将来性があるのも確かです。
小言を口にするのも程々にしましょう。
「よろしい。では、別室にて今後の運用についての意見を――」
そう続けたところで、向かいから言い争うような声が聞こえてきました。
騒がしいものです。いえ、そもそもこのカルデアには相当な数のサーヴァントがいるのですから、多少は目をつむるべきところでしょうが……何もわざわざ廊下ですることではないのでは?
などとこちらが考えている横で、私のパイロット候補は何とも言えない表情を浮かべていました。
会話の主に当てがある、という様子ですね。
「まさか、一度ならず宝物庫に忍び込んだ盗人……不届き者を目にするとは思いませんでした。というか以前は言い損ねてましたが、何故船がサーフボードなぞに変わっているのですか。人の船を足蹴にして心は痛まないのですか」
「だ~か~ら~、盗んだんじゃなくて借りてるんだって! あ、いや、違う違う、これはプリドゥエンじゃなくて似て非なる宝具だし! だいたい父上、プリドゥエンなんてここに来て使ってるの見たことねーしさー、別にちょっとくらい使っても問題ないんじゃね? 道具だって死蔵されるより使われた方が本望だろ?」
「ほほう。いったいどんな言い訳が飛び出してくるのかと思えば、随分堂々とした自己正当化ですね。よほど命が惜しくないと見える。やはりこれは宝具を開帳するしか……」
「待った父上、それ死ぬヤツ! 死ぬヤツだから!」
近づいてきたのは、水着姿のサーヴァント二名でした。何故水着、という疑問は差し置いておきます。それを言ったら私もジャンル:メカで、カルデア内では圧倒的少数派になってしまいますし。
アルトリア・ペンドラゴンと、モードレッド。
問題は、どうも前方の両者が不穏な空気を醸し出しているということです。
「英霊なんですから食らっても問題ないでしょう! まずは一発お仕置きです!」
……アルトリアが水鉄砲を構えましたね。
ケルトと並んで円卓は脳筋だと噂で聞きましたが、事実でしたか。
「エクスシュート!」
「うおっ!? 危ねえ!?」
放たれた水流を、ギリギリでモードレッドが躱します。
そこで気づきました。ちょうど直線上にいたので、私に当たる軌道ですね。
もっとも、この身体は防水機能完備。対ショック機能も十全。水に濡れたところで、多少不快にはなりますが何の問題もありません。ありませんが、進んで濡れたいわけでもないですからすぐに回避――
「メカエリチャン!」
――しようとした私を、抱き留める人影。
噴かしかけたブーストを急停止、僅かに崩れたバランスを脚部スタビライザーで安定させます。視界が覆われた直後、痛みに耐えるような呻き声が正面から聞こえました。
それからゆっくりと離れた影――少しばかり私より背が高いパイロット候補が、こちらを見下ろし、健気に笑って言うのです。
「平気? 濡れなかった?」
馬鹿ですか、という言葉は、何故か出ませんでした。
人心回路が不自然なノイズを検知しています。頬の装甲が熱を持ち、排熱が追いつきません。そんな不調の原因がわからず、私はしばしフリーズしてしまいました。
「マスター! 大丈夫ですか!?」
「おいちょっと服の下見せてみろ! ……いや何照れてんだ、緊急事態! おっ、ちょい赤くなってるけど骨とかには異常なさそうだな」
「申し訳ありません。つい頭に血が上ってしまい……お仕置きはシミュレーションルームですべきでしたね。ひとまずこの場は私達にお任せください。マスターは医務室へ。メカエリチャン、申し訳ありませんがマスターを頼みます」
「医務室ならオレが……あ、いや、何でもないです。モップと雑巾取ってきまーす!」
シャツを着直し、平気なのにと言い張るパイロット候補を医務室に連れていきます。
先ほどモードレッドが言っていた通り、アルトリアが加減していたらしいのもあって肉体的不備はないとのこと。びしょ濡れなのでシャワーを浴びてくるというパイロット候補と別れ、私は単独で廊下を移動していました。特に行き先を決めたのでもなく、あてどない彷徨です。
必要ないのに私を庇ったことも疑問ですが――あの不調は、いったい何だったのでしょうか。
人間とは違う、鼓動も血液の巡りもない人心回路の奥が、微かに温かくなったような――不明です。思考を走らせても、解決は難しいと判断しました。
「……これは、知り得る者を探すべきでしょう」
そうして私は行動を開始しました。
まずは、思い当たる人物の許へ。
■
私もまだ召喚されて日の浅い身、カルデアのサーヴァント全員を把握しているわけではありませんが、殊更興味を引く者は優先的に記憶しています。中でも、ある意味では私に近く、かつエリザベート・バートリー本人ではない……という希少な存在に心当たりがありました。
フランケンシュタイン。
人につくられしもの――被造物という点で、共感できる部分があるのではないかと私は考えました。
本来ならば彼女はバーサーカー、理性はあれど基本的に会話が成り立ちませんが、聞いたところによると、ごく最近霊基に手を加えた結果、セイバーにクラスチェンジしたとか、ついでに喋れるようになったとか。……率直に言って意味がわかりませんね。
ですが、そうなっていなければ相談相手として成立しなかったのですから、前向きに捉えた方がいいのでしょう。
サーヴァントにはそれぞれ、カルデアにマイルームが与えられています。複数人の共同で使用されている部屋もあるようですが、基本的には一人につき一室。私も例外ではなく、ちゃんと割り当ててもらいました。
広く無機質な廊下には、ずらりと扉が並んでいます。どれもほとんど同じ見た目なので、表札のようなものがなければ目的の人物を探し出すのは不可能でしょう。印刷しただろう味気ない名札だったり、手書きのやたら達筆な名札だったり、こうして眺めてみるとなかなか個性が出ているものです。
少し歩き、フランケンシュタインの部屋を見つけました。
カルデアの建材は私の体重、パワーに耐える強度を持っているようですが、ノックは優しく。万一加減を間違えて破壊してしまおうものなら、それこそエリザベート・バートリーに笑われかねません。
はーい、とのんきな声が返ってきました。
「失礼します。フランケンシュタインはいらっしゃいますか?」
「おー。おきゃくさんだ。わたしはここでーす。あとわたしのことはふらんでいいよー」
室内には椅子に座ったゆるい感じの水着姿の少女と、中央に鎮座する巨大な鎧がいました。
少女がフランケンシュタイン……フランで間違いないとして、その鎧は、チャールズ・バベッジ卿でしたか。
「機械仕掛けの少女――メカエリチャンと言ったか。ヴィクターの娘に何用か」
「ええ、彼女とお話しできればと思って来たのだけど……この部屋、少々寒くありませんか?」
「さむくはないぞー。すずしくしてるだけなのです。ばべっじせんせーがいるとむしむししちゃうので、えあこんにがんばってもらってます」
妙に風の音がすると思えば、エアコンがフル稼働状態。冷房を効かせっぱなしだからか、廊下と比べて随分気温差があります。私は暑さ寒さといった感覚をデータ的にしか処理していないので、別に室温がいくら低かろうと支障ないのですが、例えばパイロット候補がここに来たら、肌寒く感じるでしょう。
と、それはどうでもよいのです。
「私はフランと会話をしに来ました。お時間はありまして?」
「だいじょぶじょぶー。きょうはおへやでぐでーっとしてるよていだったし。てきとーにすわってください」
「そう。では――いえ、着席はしないでおきます」
椅子を破壊するわけにもいきませんので。
私は彼女の近くまで移動し、直立の姿勢を保ちます。
「まずは自己紹介を。私はアルターエゴ、メイガス・エイジス・エリザベート・チャンネル。長いのでバベッジ卿が呼んだ通り、メカエリチャンで結構です。外見上はエリザベート・バートリーに近いよう思えるかもしれませんが、あのポンコツサーヴァントとは一切関係ありませんので」
「なるほどー。わたしはふらんけんしゅたいんのかいぶつ、みずぎばーじょんなのでせいばーです。よろよろー。こちらはばべっじせんせー、きょうはじょうききかんのおはなしきいてました」
「うむ。蒸気機関で特定人物の消臭ができないかと相談を受けていた」
「消臭?」
「ばんばんじゅうげきしてるから、かやくとしょうえんくさいひとがいるのです。あとたばこ」
「そうですか、硝煙……念のため聞きますが、私は火薬臭くないですか?」
「かやくっぽくはないけど、なんかちょっとあいあんなかんじ?」
「それなら問題ないですね。この鋼鉄の身体に恥じる部分はありませんから」
スカートミサイルといいロケットパンチといい、噴射炎を浴びているものですから、若干懸念していたのです。
まあ、そもそも私に嗅覚は存在しないのですが。他者がどう感じるかは別の話ですし……これもどうでもよいですね。本題に入りましょう。
「ところで、フラン」
「んー?」
「パイロット候補……マスターのことは、どう思っているのです」
「ますたーは、やさしいひと! わたしをよくあまやかしてくれます」
「それ以外にはないのですか? 例えば、共にいると胸の辺りに不調を感じるとか、頬の排熱が追いつかないとか」
「といわれましても、ちょっとおぼえないですなー。ばーさーかーのわたしてきには、ますたーはいわゆるいいひとだけど、なつのわたしはなにごともほどほどなので。ますたーへのきもちもほどほどです。たぶん」
「たぶんって」
「そもそもわたし、じんぞうにんげんなので。めかえりちゃんとおなじかんじにはならないとおもわれます」
……もしや。
今更ですが、相談相手を間違えたのでは?
「メカエリチャンよ。察するに何がしかの懸念があるようだが、ヴィクターの娘はこの調子だ。参考にするのは困難だと告げておく」
「そのようですね……」
「汝の懸念の内容は想像しかできんが、そちらを知らぬ者より、知る者の方が会話の対象には相応しかろう。プロフェッサー……は論外として、刑部姫はどうか」
バベッジ卿の提案は一理あります。
大変、大変不本意ですが――心底気が進まないのですが。
これからもサーヴァントとして十全な活動をするために、不調の原因は解明、排除せねばなりません。
怠惰さで言えばエリザベートに劣る女であっても、相談相手として見るならば、会話が成立し、それなりの理性と常識を持っているという点で役に立つ可能性も否定できないでしょう。バーサーカーよりはマシ、程度ですが。
「お二人とも、手間をかけました。今回はこれで失礼します」
「承知した。次へ往くといい」
「よくわからないけどがんばれー。またきてねー」
尻尾を周囲にぶつけないよう気をつけながら反転すると、私を送る二人の声が聞こえました。
扉が開いた時、胴体を百八十度回して振り返ります。人懐こい笑顔で手を振るフランにスカートをつまんで一礼し、退室。
……行きますか。
ながーいしっぽが廊下に消えてったのを見送って、わたしは手を下ろす。
バベッジせんせーとはちがう感じでカッコイイ人……人? まあ同じサーヴァントだし、カラダが鉄とかささいなことだと思う。結局何の話に来たのかはなぞだったけど、新人さんだし、ちょっと親近感ある気もするし、なかよくしたいな。
ぷしゅー、とバベッジせんせーが顔らしいところから蒸気をふいたところで、閉まりかけた扉がなぜかまた開いた。おじゃまするよー、なんてかるい声。
「やあやあフランちゃん、今日もかわいいねえ! パパが来たよ! 歓迎して!」
「おはよーぱぱ。きょうもうさんくさい」
「んー、それはヴィラン的には褒め言葉だ。もっと言ってくれたまえ」
「ぱぱくさい」
「ふぐぅっ!?」
あ、よろめいた。
「そ、それはギャルめいた省略かな? チョベリバー、とかみたいに、パパ胡散臭いの略だよネ?」
「けっこーにおう。たばことしょうえんくさい」
「ぬぉ、おぉぉぉぅ……娘に言われると殊の外効くぅ……い、いやだってアラフィフだし! ダンディな演出には煙草不可欠だし! 硝煙の匂いはもう仕方ないかなあ!」
パパはおしゃべりでなかなかににぎやかだ。
たまに……わりとうっとうしいけど、まあきらいじゃない。
わたしといる時はあんまり悪だくみもしないので、マスターのためにもなってるはず。
「私だって傷つくんだからネ?」
「貴様はそこまで繊細なタイプではないだろう」
「おっと手厳しい。……そうそう、先ほど珍しい子とすれ違ったよ。この部屋にいたのかね?」
「めかえりちゃんならさっきまでいたよー」
「ふうむ。そうかそうか。いったい何を話していたのか、よければパパに教えてくれないかな?」
む。ちょっぴりよくない気配。
こういう顔のパパは、たいてい悪いことをかんがえてる。
だから、わたしが言うべきことはひとつ。
にっこりえがおで、
「ないしょー」
「えぇー!? もしやパパだけ仲間外れ!?」
「うん」
「酷い! お願いだからパパも仲間に入れてほしいなあ!」
「くさくなくなったらかんがえる」
「ぐぉぉあぁ……何度言われてもつらい……くそう、こうしちゃいられん、今すぐ消臭してくるからねえ!」
ぴゅーっと飛んでいったパパ。これでしばらくもどってこないんじゃないかな。
わたしは立ち上がって、ベッドのちかくにおいてある発電機の端子をつかんだ。ガルバニズムで魔力をびりびりーっと電気に変える。エネルギーのむだづかいはダメだけど、じぶんでちょっとがんばるぶんにはありかなって。
うん、これでよし。
椅子にすわりなおして、一息。つめたい風がきもちいい。
「ばべっじせんせー、おはなしのつづききかせて」
「うむ。……しかしよかったのか? プロフェッサーに、我への相談内容を伝えればよかっただろう」
「そうするときっとぱぱはちょうしにのるので、まだまだひみつです」
ちゃんとできたら、その時は。
パパも仲間に入れてあげようと思うのです。
■
書庫を近くする場所に、その部屋はありました。
雑なボールペンで『刑部姫』と書かれた名札。扉は固く閉ざされています。
正直ここから反転して立ち去りたいところですが、バベッジ卿の助言に正しさがあったことも理解しているので、私は意を決しました。
「刑部姫、いるのですか? 入りますよ」
……声をかけましたが、一向に扉の開く気配がありません。
彼女が外出している可能性は皆無ですから、つまりこれは居留守でしょう。いい度胸です。
「警告します。一〇秒以内に開錠しなければ、遺憾ですが扉を破壊します。カウント――」
「わあああ待って待ってさすがにストップ! そんなことしたら各方面に怒られるでしょ!?」
慌てて出てきた刑部姫により、無事ドアがスライドして開きました。
「やはりいましたか。来客には迅速に対応すべきでしょう。相変わらずのぐうたらぶりですね」
「別に[[rb:姫 > わたし]]が何してようと勝手ですー。というかそっかー、あんた召喚されてたんだっけ……すっかり忘れてたっていうか、忘れたかったっていうか……」
「戯言はいいので、中に入れなさい」
「あっ、ちょ、押し入ろうとするとかあんたの方が非常識じゃ、お、重っ、わかってたけど全然びくともしない! 筋力EがAに勝てるわけないのは知ってたけど!」
パイロット候補のマイルームは比較的シンプルな、有り体に言えば些か無機質な内装でしたが、刑部姫の部屋はまるで別物です。姫路城天守閣と同様、所狭しと数々のアイテムが並べられており、中央にはこたつが備え付けられています。明らかに室内が本来の広さを上回っているのですが……陣地作成の要領で拡張しましたね。さすがに許可は取っているとしても、随分な魔改造を施したようです。
板張りの床上を歩くと、木板がミシッと音を立てて割れました。後ろから「あ゛ーっ!!」と叫びが聞こえましたが、脆い建材を使用しているのが原因です。フローリングではなく鉄板にすればいいのに。
「そ、そもそもあんた何しに来たの? いや、まさか姫のワンダフル引きこもりライフを破壊しに……?」
「なるほど。それも悪くありませんね。前々からおまえの性根は叩き直すべきだと考えていましたし」
「……えーと、姫ちょっと用事思い出したので」
「待ちなさい」
逃げ出しかけた刑部姫の襟元を掴んで止めました。
ぐえっと鳥を絞めたような鳴き声が出ましたが、死にはしないでしょう。
「大変不本意ではありますが、今回はおまえの力を借りに来ました」
「あんたが? 姫に?」
「はい」
「人心回路がショートでもした?」
「近からずとも遠からじですね」
「ふうん。ま、そういうことなら無理に追い出すこともないか。本音を言えば今すぐ帰ってほしいんだけど……私じゃ強制的に叩き出せないし」
不満そうな口調ながらもさっさとこたつに入ってくつろぐ辺り、こういった強引なやり口に多少慣れているのかもしれません。
こちらとしては都合が良いので、私も刑部姫の正面に座りました。さらに床板が破滅的な音を立て、若干座高も下がりましたが、些末なことだと判断します。パイロット候補相手ならともかく、刑部姫だとあまり罪悪感が湧かないものですから。
「あとで床直さなきゃ……。で、結局何用なの?」
「曲がりなりにもおまえは私の開発者、と言えなくもない存在です。であれば、僅かなりとも私の仕様について理解しているのではないかと思いまして」
「仕様、仕様ねえ……わかってるだろうけど、あんたはチェイテの守護神像を改造したもので、ついでに言えば姫が通販で買った改造キットでぱぱぱーっとアレでコレしたものなわけですよ」
「ええ。それが何か」
「どうしてこうなったのか姫にもわかってないんだから、仕様なんて知ってるはずないじゃん」
「………………」
「あっその冷たい目は引きこもりには結構刺さるヤツ! やめてちょっとつらい!」
案の定使えない姫ですね。
「というか、技術的な話をしたいならそれこそあのおヒゲのダンディーな腹黒サーヴァントに聞くべきじゃないの?」
「プロフェッサー……ジェームズ・モリアーティであれば確かに技術面での会話は成立するでしょうが、ああいった手合いはそもそも会話をすること自体が危険です。私の個人的な問題で、結果的にパイロット候補に迷惑をかけ得る状況を作りたくはありません」
「んー、まあそれもそっか。じゃあ結局、姫にどうしてほしいのさ」
「仕様書の類はないのですか?」
「組み立て説明書はあったけど、それも姫路城に置いてきちゃったし」
「記憶の端に引っかかっている程度でも構いません。不具合の対処法について、心当たりがあれば」
「不具合って?」
「人心回路のノイズと、排熱機構の不備です。ああ、そういえば炉心にも不調が見られましたね」
「……いきなり爆発とかしないよね?」
「私を何だと思っているのですか。仮に自爆するにしても、もっと派手な場面を選択します」
みかんを頬張りつつ大袈裟に身を引いた刑部姫を睨んでから、私はここまでの経緯を話しました。
水着サーヴァント二人の小競り合いを見かけたこと。パイロット候補に水鉄砲の射撃から庇われたこと。
そして、
「パイロット候補に『大丈夫? 濡れなかった?』と問われた瞬間でした。不調が出たのは」
「うわー、そのシチュ姫だったらかなりクるかも……ん? んん?」
「どうしました。何か気づきましたか」
「……えーと、不調に気づいたのは、マスターちゃんに庇われて、心配された直後なんだよね?」
「はい」
「症状は、人心回路のノイズ、頬の排熱不備、ついでに炉心のちょっとした熱暴走と」
「そうですね」
「………………えー。まさか、マジで?」
何ですか。
その有り得ないものを目の当たりにしたような表情は。
さらにそこから「いやいや」とか「ないない」とか一人頭を抱えて呟く刑部姫に、だんだん苛立ちが募ってきました。
「……どうやらおまえにもわからないようですね。失礼しました。床の修理について、請求が必要でしたら私のところに見積もりを持ってきなさい。チェイテの予算から補填します」
「え、あ、そ、そう。帰ってくれるなら助かるけど……床は自分で直すからいいです。うん、ホントもういいんで」
立ち上がり、一応これ以上床板を踏み抜かないよう気をつけて退室します。
次訪れるのは、彼女を矯正する時でしょう。ええ。確実に仕留めます。
さて――どうしましょうか。
嵐のような暴虐が去っていって、ほっと一安心。
いやだって、メカエリチャンってばマスターちゃんと比べて全然甘やかしてくれないし、むしろ当たりきついし、怖いし……チェイテピラミッド姫路城ではまあやらかした自覚もあるので、その辺も含めてあんまり関わりたくない相手なんだけど。
とはいえ、それは向こうも同じかもしれない。引きこもりたい姫とはまた違った意味だとしても、いい感情を持ってないのは間違いない。ああ、そう考えると今回の件は、なかなか珍しいことだったのかな。姫の力を借りに来た、だなんて。
「うーん……悪いこと、しちゃったかも?」
ちょっとだけ。ちょっぴり。
罪悪感っていうのか、微妙にズレてる気もするけど。
何せ、あんな突拍子もない相談をされるとは思ってなかったわけで。
「そういう、ことだよねえ……」
こたつの天板に突っ伏して息を吐く。
彼女の身体は鋼鉄だけど、サーヴァント、心持つ存在でもある。人心回路は人間の精神に近しいものだし、炉心は心臓みたいなパーツ。頬が熱くなるのも、気持ちが乱れるのも、ヒトだったら割とよく感じる情動だ。
例えば、姫だって。
それがメカエリチャンと同様の感情かといえば、頷き難いところもあるけれど。
……試しに、さっき聞いたシチュエーションをちょっと姫と置き換えてみる。
飛んでくる水鉄砲。咄嗟に庇われる私。水流の痛みに耐えながら「大丈夫? 濡れなかった?」と心配する言葉を優しく投げかけてくれるマスターちゃん。
「……あー! あー! やばいこれやばい!」
少女漫画か! 王子様的なアレか!
しかも絶対マスターちゃん意識してやってないし! 素! 素に決まってる!
もう、そういうとこだぞー! マスターちゃんホントずるい! 姫知ってるし!
恥ずかしさとかこそばゆさとか色々入り混じって大変なことになって、思わず引っ繰り返って転げまわった。勢い余って放ってあった本に後頭部をぶつけて超悶える。痛い。何やってんだ自分的な気恥ずかしさも相まって二重に痛い。
しばらく患部を押さえて、ゆっくり起き上がる。危うく眼鏡を割るところだった。
落ち着いて考えよう。
次にあの鋼鉄魔嬢がいったいどこへ行くのかはわからないけど、まあ、もし当てがなくて、どーしようもなくなって、こっちまた戻ってきちゃったら困るし?
そうでなくても、ひょんなことで鉢合わせした時、ぎこちないままなのもどうかなーって感じだし?
とりあえず、参考になりそうな初心者用、恋愛ものの少女漫画を何冊か見繕っておこうと思う姫なのでした。
あ、その前にもう一個みかん食べよっと。皮むきむきしてー、白いの軽く剥いでー、一粒ぱくっと。
……めっちゃすっぱ――――!
■
困りましたね。
あんなぐうたら姫でも多少は当てに……いえ、そんな期待はしていませんでしたが。
ともあれ当てが外れたのは確かです。フラン、刑部姫と来て、さらに別の相談相手となると、すぐには思いつきません。
「ふむ……」
召喚されて日が浅い身ですから、さほど多くのサーヴァントと顔合わせをしていないので、こういう時に悩みますね。例えば食事が不要なので、あまり食堂にも用がありません。シミュレーションルームはよく利用しますが、現状はほぼパイロット候補との訓練で、誰かとコンビネーションを発揮する段階に辿り着いていませんし。大抵他のサーヴァントともすれ違い様に軽い挨拶を交わす程度。必要以上のコミュニケーションを試みることもないと考えていましたが、これからはもう少し積極的に動くべきでしょうか。
立ち止まり、記憶領域を洗っていると、ある人物に思い当たりました。
以前、一つの頼まれ事を受けた相手です。それだけをもって知り合いというには関係性が薄い気もしますが、完全な初対面よりかは遙かに良いでしょう。どうせ他の候補もいません。カルデアのルームマップを参照しながら移動します。
該当の部屋を見つけ、ぴっちりと閉まった扉をノックすると、程なく中から開き、ルームの主が姿を現しました。
「あら。珍しい客ね」
「先日以来ですね、メルトリリス。今日は……その、相談があって来たのです」
「ふうん。貴方が相談事? しかも私に? まあいいけど。とりあえず入れば?」
案内されて踏み込んだ室内は、刑部姫と比べれば随分物が少なく見えます。もっとも、あの引きこもりより乱雑な部屋などそうあるものでもないのですが。
ベッドにはよくパイロット候補やマシュと一緒にいる獣……フォウの姿をしたぬいぐるみなどが置いてあります。壁際の棚には、相当な数の人形――いえ、フィギュアでしたか。刑部姫と同じようなものも散見されますが、大半はカルデアにいるサーヴァントを象っています。中には、小さな私とも言うべき人形も鎮座していました。
そう、以前の頼まれ事がそれです。1/10スケール超合金メカエリチャン。直接私が作成したわけではないですが、モデリングのために大量の写真を撮り、ダ・ヴィンチを始めとしたサーヴァント技術班に依頼、製造した、カルデア産の独占販売製品となっています。いえ、別に大手を振って販売していないのですけど、メルトリリス以外にも施設内で何人か所持しているという話は聞いています。
この部屋にあるのは、中でも最初の一体。完成品を私が手ずから渡しました。
自分の人形を作られるのは不思議な感覚ですが、守護神像としての造形美を評価されていると言ってよいでしょうから悪い気はしません。ロケットパンチ、デスカッター、スカートフレア、チャームサイト、ソニックシャワー、さらにはブラストヴォイスの演出も疑似的に再現可能な、制作側のこだわりを感じる出来栄え。完成品を目にした際は、思わずスタッフを褒め称えたほどです。重量だけは1/10どころではないのが若干引っかかりを覚えますが。
「残念ながら貴方用の椅子はないのよね。頻繁に来るつもりなら特注でもする?」
「いえ、気遣いは不要です。直立のままで構いません」
「そう? 私は立ってると喋りにくいから座るわね」
凶器のようなヒール込みの彼女は、私より随分背が高く、お互い直立だとメルトリリスが見下ろす姿勢になってしまいます。
彼女がベッドに腰を下ろすと、今度は逆に私の方が若干見下ろす形になりました。
「それで、相談事というのは何なのかしら。そもそも私の他に適切な相手がいるのではなくて?」
「……既に二人ほど確認しました」
「なら私は三番手ってわけ。別に貴方と深い関わりがあったわけでもないけど、そう聞くとちょっと癪ね」
「あなたという選択肢の優先度が下がっていたのは謝罪します。ですが、現状ではあなた以外に頼れる者がいないのです」
正直に言うと、彼女は微かに目を見開きました。
棘の踵を床にカンと打ちつけ、物珍しげな表情で頷き、
「まあ、貴方の造形については私も認めるところだし。ええ。超合金ロボめいて武装てんこ盛りなのがいいのよね。殺意しか感じないガン積みっぷりなのに守護神って設定がまたスーパーロボット的っていうか。某神にも悪魔にもなれるアレを彷彿とさせる、正に鉄の城って様相が素晴らしいわ」
「若干複雑ですが賛美されていると解釈しましょう。ありがとうございます」
「そういうわけだから、話してみなさい。一応同じアルターエゴのよしみで、答えられることなら答えてあげる」
続きを促され、私は言葉を選びながら話しました。
刑部姫の時よりも詳しく、各場面の子細な状況描写も含めて説明します。これまでの、私の口頭による情景伝達に不備があった可能性も否めませんので。諸々の効果音や演出も挿入しましたから、再現度はかなり高いはずです。
「いや、そこまでやれとは言ってないんだけど」
「しかし、効果音を省くと再現性が二割ほど下がりますよ?」
下がってもいいと言われたので、途中からは簡略化しました。
ついでに、フランと刑部姫からのコメントも聞きたがったので伝えます。
一通り語り終えると、彼女は何故か唇の端をにやりと上げていました。
「……へえ、そういうコト。まさか私にこの手の話が舞い込んでくるなんてね」
「何か判明したのですか?」
「ま、だいたいのところはね。ちょっとこれからいくつか質問するわ。正直に答えて」
「わかりました」
「マスターに庇われた時、どう思った?」
「不要なことを何故、と」
「人心回路のノイズとか、頬が熱くなるようなことって他にあった?」
「ありませんね」
「貴方はそれを不調だと言ったけれど、その不調についてはどう感じた?」
「対策すべき問題だと。再現性があるのなら確認したいところでしたが、一過性のものにしろ放置してはおけません」
「あー……質問変えるわ。その感覚は、嫌だった?」
む。
言われてみれば――
「嫌では、なかったですね」
「そう。やっぱり」
「やっぱり、とは……貴方は、この不調の原因に心当たりが?」
「おそらくね。でも、私じゃ根本的な解決はしてあげられないわ」
「ではどうすべきだと……?」
「マスターのところへ行きなさい。で、素直に聞けばいいのよ。どうして庇ってくれたのか、って」
私には、彼女の提案の意味は理解できません。
できません、が……不思議と、的外れな指摘だとは思いませんでした。
確かに盲点ではあったのです。庇われたことに対する私自身の思考はある程度突き詰めましたが、パイロット候補の意図については疑問に感じていても言及していなかった。それは原因を探るにあたっての、明確な瑕疵です。
「助言、感謝します」
「別に? いい暇潰しにはなったわ」
別れを告げ、私は再び廊下を行きます。
真っ直ぐ。パイロット候補のいるだろう場所へと。
ベッドの上に、そのまま身体を投げ出した。もちろん仰向け。うつ伏せだと膝の棘が思いっきり刺さるし、人並みに眠るには難儀なパーツ。けれどこれが、私の誇るべき肉体でもある。
先ほど部屋を出ていった彼女も、あの鋼鉄の身体を誇っていた。同じアルターエゴのよしみ、なんて心にもないことを言ったけど、本当に共感しているのはそういうところだ。
他人と違うことが、人は苦しいのだという。
それが自分には理解できない。できなかった。できないと思っていた。
私は人を愛するものではなく、人に恋をするものだから。誰だっていいわけじゃないけれど、相手の事情なんて関係ない。何を言われたって、考えてたってどうでもいい。愛が与えられるものならば、恋は自ら与えるものだ。見返りを求めること自体がおかしい。そんなのは要らない。与えて、与えて、与えて――器から水が溢れるほど与えたって構わない。私はただ注ぐだけ。それが恋ってものでしょう?
……とか、ね。
そんな思いは今もあまり変わらないけれど。
私は知っている。自分が他人とは違うことを。棘の脚。刃物のヒール。触れるもの全てを溶かす毒。袖に隠れた指も不感。この身体は、ヒトと触れ合うようにはできてない。相手は傷つけて、自分は何も感じない。そういう怪物なんだってことを。
そしてそれでも、触れることを厭わない人達が――馬鹿で、我慢強い誰かさんがこの世界にはいることを。
「さて、あの子は上手くやれるのかしら」
アルターエゴ歴もサーヴァント歴もこっちの方が長いんだから、あの子呼びでも問題ないでしょ。
実際、彼女はほとんど生まれたての子供みたいなもの。話を聞く限り、思考や言動は真っ当な大人のそれだけど、情緒という一点だけは、誰がどう見ても恋愛クソザコ感ある刑部姫以下ってところよね。
だから、まあ。
幼い少女みたいな相手に、目くじら立てるつもりもないし。
というか別にマスターがどうなろうが知ったこっちゃないし。
私に随分ちょっかい出してきた癖に節操なさ過ぎない? とか思ってないし。
どうせお人好しの延長みたいなものだ。勝手にすればいい。それで誰が彼に惹かれようが、振り回されようが、私の感情は何一つ揺らがない。
つまりこれは、お気に入りのフィギュアをコレクションしてるのが自分だけじゃないってわかって、なんかちょっと釈然としないような、コレクター的にオンリーワンじゃないのが微妙に悔しいみたいな、そういう気持ちだってこと。
……だとしても腹立つわね。
「はぁ……ばーか」
届くはずない文句を天井に投げつける。
今度彼のところに行ったら、痺れて立てなくなるまで膝に座ってやろうと、そう心に決めた。
■
あ、と微かな驚きを表す声が正面から聞こえました。
パイロット候補のマイルームに向かう途中のことです。探していた当人がいました。
「シャワーはもう浴び終えたのですか」
「うん。軽く流すだけだしそんな時間はかからないって」
「では何故外に出ているのです。念のため自室で安静にしておくべきでしょう」
「怪我したわけじゃないんだから……さっきまで、マシュとダ・ヴィンチちゃんに説明してたんだ。アルトリアさんとモーさんの件」
それは然るべき話ですね。
些細とはいえ、カルデア内での小競り合いですし。
「罰則でも課せられたのですか?」
「周辺の掃除と、あとは反省文代わりのレポートだって。モーさんが頭抱えてたよ。こういう時アグラヴェインがいればなー! とか」
「いたとしてどうにもならないでしょうに」
「円卓は蛮族と戦うのが主な仕事だったらしいから……」
領主代行の身からしてみれば、一定以上の立場の者は書類仕事もできて当然でしょう。
あるいは水着でない方ならもう少しまともな可能性もありますね。どちらにしろ粗野な印象は拭えませんが。
「メカエリチャンはどうしてたの?」
「幾人かのサーヴァントと親交を深めていました」
「そっか。すごくいいことだと思う。カルデアには来てもらったばっかりだし、正直少し心配してたんだ」
「心外ですね。私が問題を起こすとでも?」
「そこは心配してないけど……みんなと仲良くやっていければ、それが一番だしさ」
しばらく、とりとめのない会話が続きました。
私はずっと、彼の話を聞くばかりでした。訓練の所感。昨日あったこと。チェイテピラミッド姫路城の記憶。どうでもよさげな出来事を、楽しそうに語るのです。
いえ。
きっと本当に、楽しかったのでしょう。
私と出会うより前、パイロット候補は過酷な戦いに身を投じていたようです。その記録は直に映像などで閲覧したわけではなく、ダ・ヴィンチを始めとしたカルデアのスタッフが外部用に作成した資料で知ったのみですが――経験の割に、彼はとても素直な性根をしていると感じます。
様々なサーヴァント、それこそ私を含めた数多くの英霊と接しながら。神霊、反英雄、怪物や化生の類にも恐れず、斜めに見ず、正面から向き合う。パイロット候補以外のマスターを知らぬ私でも、それが希少な気質、人が当たり前に持ち、けれど呆気なく手放すような善性から来るものだと、理解しています。
そんな彼の在り方を好ましく、心地良く思うのです。
だからこそ。
私は、パイロット候補にとって不足ないサーヴァントでなければいけません。
「……おまえに、一つ問います」
会話を遮りそう私が言うと、パイロット候補は首を傾げつつも頷きました。
メルトリリスの提案を思い返し、簡潔に。
「あの時。アルトリアの射撃から、私を何故庇ったのですか」
「え? 何故って言われても……」
「この鉄の身体に直撃したところで、支障はありません。ついでに言えば防水機能もついています。おまえのしたことに意味はなかった。不要な助けでした。なのにわざわざ身を挺し、軽いとはいえ負傷するとは……理解できません」
「そう言われちゃうと、まあ確かに余計なお世話だったのかもしれないけど……でも、咄嗟に動いちゃったから。あんまりちゃんとした理由はないんだ。それに――」
「それに?」
「男としては、女の子を守るのは、本能みたいなものだしね」
思考に。
強烈なノイズが走りました。
炉心が不規則に脈動しています。人心回路の乱れを検知。現状分析がまとまりません。頬の温度上昇も確認。排熱が追いつかない。あつくて、すこし、くらくらする――。
これは、同じ症状です。
パイロット候補の行動。言動。何がトリガーに? わかりません。わからない。このノイズパターンは参照できるサンプルが存在しません。ならばいったい、どう処理すれば。
困惑する私の内部で、不意にエリザ粒子が活性化しました。
全身からチェレンコフめいた青白い光が漏れ出し、思わずパイロット候補が一歩引いたのが見えました。
――ヌ――!
遠くから聞こえる、幻聴のような声。
それが何かを確かめるため、意識を集中します。
――子イヌ――!
私の記憶領域に、覚えのない光景が展開されました。
とりとめのない景色。会話。チェイテ城を、ピラミッドを、姫路城を歩き、駆け、登る人の背中。
これは……エリザベート・バートリーの記憶?
彼女が目で追いかけている人間を、私は知っています。
そして、その人に対し彼女が抱く感情――機械の身でこんな形容をするのは不本意ですが、甘く、ふわふわした何かも。
知っているような気がするのです。
それは。
それはきっと――
「……だ、大丈夫? なんかメルトダウンしそうな勢いだったけど」
「問題ありません。少々トラブルが発生しましたが、自己解決したので」
チェレンコフ光が治まり、不安半分心配半分で寄ってきた彼に返答します。
果たして先ほどの現象はエリザ粒子が引き起こしたものなのか。いずれ解決すべき問題ですが、今でなくても良いと判断しました。
アイカメラのシャッターを落とし、思考します。
私の人格は、エリザベート・バートリーをモデルにしています。しかしだからといって、彼女と同じような振る舞いをするわけではありません。あくまでオリジナルの人格はベースに過ぎず、不本意ですが微妙に似た親戚のようなものです。私は私自身を機械と認識していますし、パイロット候補のような人間とも、一般的な英霊とも違うことを理解しています。
ですが、こと精神という点で見れば、そう差はないのかもしれないと。
思わなくはない。ないのです。
恋。あるいは愛。データベースにはある単語ですが……実感として持つ情動データではありません。
他者を好ましく感じることと、何が違うのでしょうか。
不明です。そして不明であることは、未熟さの証明とも言えます。
ならば私は――知りたいとも、思うのです。
エリザベート・バートリーではなく、この自分が、メカエリチャンが抱く感情というものを。
「……メカエリチャン?」
名前を呼ばれ、アイカメラのシャッターを開きました。
それから私は、その手をそっと掴みます。鋼鉄の自分と比べれば、細く、弱く、柔らかい手。
加減は上々です。握り潰さないよう、優しいタッチで。
再び炉心の挙動が跳ねました。けれどそれを、もう私は不備と判定しません。
機械にはあるまじき揺らぎだとしても、揺らぎを含めての私なのだと。
そのように、自己診断することにしました。
「それより、体調に問題ないのでしたら、再度訓練を行いましょう。コンビネーションの改善は急務です」
「待って、自分で歩けるって」
「抱きかかえた方がいいですか?」
「さすがにそれは恥ずかしいかな……」
「では、このままで」
誰ともすれ違うことがなくて、よかった。
私の表情は、きっと緩んでいたでしょうから。