グラップラー刃牙 BLOOD & BODY   作:MUMU

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第1話

 

 

 

 

BLOOD & BODY

 

 

 

 

砂漠の果てに太陽が昇り、

世界は蜃気楼の中に溶けていく。

 

米国、ネバダ州。

 

どこまでも平坦極まる大地が続くブラックロック砂漠。

夏の日中は摂氏50度を超え、冬の夜間にはマイナス40度を下回ることも珍しくはない。虚無にして厳格なる土地。

アマチュアロケットの打ち上げと、ジェットエンジンカーの世界記録が競われることで名のある場所ではあるが、生命の存在を拒むかのようにその気候は厳しく、植生は荒地としか形容のしようがない。

そのような人の版図の域外をゆるゆると進み、その奥まった場所。

 

そこに、唐突に出現する球体がある。

多角形のパネルを組み合わせた、サッカーボールのような多面体ドーム。

レイドームと呼ばれるレーダーアンテナ保護用のドームである。

 

これこそは米国NSA《国家安全保障局》により運営される通信傍受システム。

世界を飛び交う電波の全て、情報の全てを網羅的に収集し、

それらを分析、分類する高度盗聴システム。通称エシュロンシステムである。

米国も、その存在を公的には認めていない極秘機関。

情報を掌握し、軍事を支配し、経済を蹂躙する。

先鋭諸国のエゴの体現であり、人の猜疑心の具現化とも言えようか。それは千耳万目の怪物か、八面六臂の神か――。

 

その中には300テラ・フロップスのスパコンが組まれ、電子機器を冷やすために過剰にエアコンが動いている。

無数のモニターが設置された管制室では、インカムを装着した職員が休むことなく情報を取捨選別していた。

 

その管制室、駐在員のためのソファに座し、前のテーブルに両足を乗せている男がいる。

他の局員はその人物の方から目をそむけ、寒々しい館内で額に汗を浮かべ、その人物を刺激せぬように黙々と仕事を続けている。

男は足に黒いカンフーシューズを履き、同じく黒いカンフー着という軽装。

蓬髪は波打つようにざわめき、

わずかに笑うように引き歪めた口元は、犬歯をむき出す肉食獣の獰猛さを感じさせる。

 

そこに、通路の奥から現れる人物がある。

短く切り詰めた白髪、口元を装飾する白鬚、そして両頬に斜めに走る古傷の痕。

彼の名は米国海軍大佐、ゲリー・ストライダム。

ベトナム、アフガンと歴任した武勇の将であり、現在は米軍のマーシャルアーツ・インストラクターなどを務める人物である。

その右手には銀色のアタッシュケースを握っている。

 

「――君ぐらいのものだよ」

 

彼はカンフー着の男の対面に座り、口元で手を組み合わせて静かに語りだす。

 

「軍人でもなく。

ましてや米国人ですらない……」

「それでありながら、このステーツが誇る最高機密の内部に、易易と」「おい…」

 

目の前の人物が、ゆっくりと上体を起こす、その僅かな所作にすら、闇色の気配を引き連れるような迫力がある。

 

「それは褒めてるのか、それとも恨み事かい……」

「……も、もちろん褒めているのだよ。ユージロー」

 

このカンフー着の男こそは、範馬勇次郎。

 

地上最強の生物、オーガなどの二つ名で呼ばれ、その戦闘力は大国の軍事力に匹敵するとも言われる。あらゆる格闘家の頂点であり、宗教の創始者や歴史の偉人にすら例えられるカリスマ。

最強であり最凶、暴虐の限りであり暴威の極み。

 

そんな彼と友人関係を成立させている人物、それがゲリー・ストライダムである。

 

「今日は何故、こんなところへ……?」

 

範馬勇次郎が米国・ネバダ州、リグ・テストラム通信基地に現れたとの報を受けたのが74分前。

勇次郎の監視役であり補佐役でもあるストライダムが、ハリアーによりこの基地に駆けつけたのが3分前である。

 

「……おう」

 

勇次郎は、彼には珍しく、なにか言い澱む風だった。

言葉を探しているのか、どこから話したものかと思案しているのか。

 

「ふむ……酒でもどうかな」

 

ストライダムが銀色のアタッシュケースをテーブルに置き、指紋認証に静脈血管認証をパスする。そんな複雑なロック機構を解除し、開ける。中から白い冷気が流れ出る。

そこにはまるでハンドベルか、俗な例えならば骨付き肉のようなラインのリシャール・ヘネシーのボトル。

そして二人分のブランデーグラス、保冷剤に包まれた氷は南極の棚氷から切り出したものだ。

他にベルギー産の葉巻、スイス産のチーズ。長崎産のカラスミ。

なぜか、小さなトランプや花札まで入っている。

ストライダムはボトルの口を切ろうと、そこを片手で握り――。

 

「……倒しとかにゃならねえ、奴がいる」

「――!」

 

その歴戦の勇士が、範馬勇次郎の言葉に動揺を見せる。

ぴしり、と、全身の筋肉の震えが指先に集約され、ヘネシーのガラス蓋がひび割れる。

ストライダムは顔を伏せ、ヒビの走ったガラス蓋を慎重に取り除く。

タンブラーを並べ、ブランデーを注ぐ。

下に向けた顔に冷や汗が流れる。

同時に頬が紅潮する。

 

(な――)

 

(なんという羨ましい男だッッ!!)

 

勇次郎に見られぬように隠した顔には、興奮と高揚と、

そしてわずかな嫉妬の色が見える。

 

(ユージローに挑まれるなどと! 世界中のどんな美女に求愛されるより光栄なことだ……ッ!)

 

範馬勇次郎。

極めて好戦的な人物ではある。

しかし、その実力が宇宙のごとく肥大を続け、もはやこの世に彼の相手ができる人間、いや、生物などほとんど存在しなくなって久しい。

その彼が、このように誰か特定の人物を追い求めるなど、驚嘆に値する。

何としても、その男の名を聞き出さねばならない。

ストライダムはただ、そのことだけを考えていた。

 

(ユージローのことだ、私ががっついて質問すれば、面白がって教えようとはしないだろう)

(この基地に現れたということはッ)

(その人物を探すために米軍の力が必要なのか!)

(ならばッッ! 利用されるだけに終わることだけは避けねばッ!)

(慎重に、ゆっくりと情報を引き出さねばッ!)

 

「あれは……」

「そいつの名前はッッ!?」

 

口を開いた瞬間、引いた弓を放つように言葉が出た。

 

「あっ」

 

慌てて口を抑え、赤面して小さくなる。

ユージローはというと、一瞬だけ面食らったように目を大きくした後、くっくっと息を引きながら笑う。

 

「くく……がっつくんじゃねえよストライダム」

「も、申し訳ない……」

「話してやるさ、あれは……」

 

 

 

 

 

 

200☓年、フランス

パリ・サンジェルマン大通り

 

高級ブランドと古風なカフェが同居するこの通りを歩いているのは、範馬勇次郎。

品格を備えた老紳士や、ファッションの先端を極めし若者たち、そして老獪さと洗練を併せ持つような、隙一つない店構えの服飾店が並ぶ大通りである。

彼がどのような用件でこの道を歩いていたのか、

それは大した問題ではないし、おそらく彼自身も覚えていないだろう。

 

その彼から斜め後方に、大通りを静かに進む黒のシトロエンDS。

そのカナブンのように平たく黒いボディーラインは、街路樹の陰に埋もれてしまいそうなほど静かだった。

 

「いたぞ、ターゲットだ」

「日系人にしては大きいな……」

 

その中で、数人の男たちが言葉を交わす。

 

「格闘技の達人だってよ」

「人の皮を被ったゴリラじゃなかったか」

「どちらでもいい」

「こないだのハリウッド映画みたいなやつか」

「ああ、なんだっけ、あの……」

「ベスト・キッドだろ」

 

言いながらも、その手の中で大口径のショットシェルが銃把に装填され、あるいは大型拳銃のグリップがスライドされる。

 

「ジャッキー・チェンの出てたやつか?」

「それじゃねえよ」

「どちらでもいい」

「動きが素早いらしい、大口径のショットガンで足を止めてから、大型拳銃の十字砲火で仕留める」

「人間相手に大げさだな」

「相手を人間だと思うな、ルノーR35戦車と思え、だとよ」

「依頼主はよほど気がちいせえのかな」

「日本のアニメの見過ぎなんだろ」

「……どちらでもいい」

 

石畳の歩道を歩く勇次郎。

街路には古いパリの町並み、美しく飾られたショーウインドウ、人の流れは緩やかで、観光客が時折立ち止まって写真を撮っている他に、その流れを止めるものもない。日はまだ高く、わずかに暑い。

 

そっと、寄り添うにように黒のシトロエンDSが勇次郎に追いつき、

そのドアが勢い良く開かれ、中からショットガンを構えた黒服の男たちが飛び出――。

 

瞬間。

 

開け放とうとしたドアに凄まじい衝撃がぶつかる。鉄製のドアが強烈な勢いで締まり、ハンバーガーからはみ出したレタスのように複数の男たちを縫い止める。

 

「GYAAAAAAAAA!!!」

「AAAAAAAAA!!!」

 

声を超越した絶叫、ショットガンが腕ごとちぎれて吹き飛ぶ。

そのドアに機関銃の如き乱打が飛ぶ、一撃が岩をも砕く威力と重さ。

鉄板が月面のようにクレーターに埋め尽くされ、車体の骨組みが歪む。

硝子が破片となって吹き飛ぶ。

 

「何だ!? ターゲットの反げ」

 

奥側の席にいた男が反撃、と言いかけた瞬間、

勇次郎の腕がその顔面を掴む。

数人の男の体を縫い、金属のような腕が伸び、男の顔面を掴んでいる。

 

「~~~~~~ッッッ!!!」

 

極限の恐怖を感じた一瞬後、ぎしりと頭蓋が鳴る、コーラを開けるような音がして体液が指の間にはじける。

腕を抜く。

勇次郎は腕を振って血を払い落とす、ようやく通行人から悲鳴が上がる。

そしてドアに爆発するような衝撃、黒い影が車体に突き刺さる。

重機の力を一点に集約させたような威力の蹴りが、鉄製のドアをすぼめたカサのように錐状に変形させ車体にねじ込む。車の正面から見たならば、勇次郎の足が腿のあたりまで埋まっている。

襲撃を仕掛けようとした男たちが綯い交ぜになってミキシングされる。

襲撃者が何人いたのか、それももはや分からないほど車内は血と肉に塗れている。

 

「MEEEEEEEEERD!!」

 

スラングを叫びつつ運転席の男がアクセルを踏み込む。

だがその瞬間、すでに4つのタイヤは地を離れて車体の傾きは70度を超えていた。金属のように硬化した勇次郎の腕がすでに振り切られ、空転するタイヤが直上を向く。

車体を大きく持ち上げてひっくり返す力技、だがそれを周囲で見た人間は、後に語っていた。

あの男は、数人を載せたシトロエンDSを放り投げたのだ、と。

さすがにそれほどの膂力が人間にあるわけはない。そのはずである、が――。

だが、見ていた人間にそうと思わせるほど勇次郎の力は凄まじかった。

そして裏返しになった高級車に勇次郎の足がかかり、中の人間にどのような暴虐が加えられるのか、という時。

 

「――ッ!」

 

勇次郎の顔が上げられる。

血と狂騒の時間によって面相が凶悪さを帯びている。瞳孔は広がって闇色の光にぎらつく。

目元から口の端にかけて筋肉が引き歪み、紙を歪めるような深いシワが寄る。

だがその口は何かを疑問に思うかのように丸くすぼめられ、目はあらぬ方に向けられている。

 

その先には古風なカフェが店を構えている。

腰を抜かしてへたり込む男。

携帯で警察を呼ぼうとしている男は、勇次郎が振り向いたために硬直している。

椅子もテーブルもなぎ倒しながら後退する男もいる。

 

その中に、どこかの食料品店の紙袋を抱え、背を向けて歩み去ろうとする男がいた。

 

「――おい」

 

その背中に、勇次郎の声が飛ぶ。

周囲の騒音がぴしりと止まる、泣きわめいたり悲鳴を上げることを許さない、場を支配する勇次郎の低い声。

その男が止まり、ゆっくりと振り向く。

 

その人物に対し、多くの者が抱く第一印象は「不気味な大男」であろう。

 

身長は197~198センチ

体重は125キロ前後

頭は禿げ上がっており、髭はおろか眉毛すら皆無。

その皮膚は妙にぶよぶよと白くだぶついている。

まるで肉のマスクをかぶっているかのような、という形容が誰かの脳裏に浮かぶ。

手足は長く、丸太のように太い。

だが、その露出している手も含め、妙に肉が余っている印象があり、さりとて肥満体という腹ではない。

灰色のワイシャツと茶色のズボンというスタイルだったが、服の下に毛布でも巻いているのでは、とすら思う不自然な手足の太さだった。

顔つきは物静かそうな、というよりは表情というものが希薄である。

体毛がなく皮が余りがちなその顔は幼児のような、あるいは老人のようにも見える。

 

「キサマ……」

 

そう言葉を発した勇次郎は、しかし、二の句を放つのに数瞬の間逡巡する。

経験が無かった。

このような男に出会ったことはない。

それ以前に、存在するとも思っていなかった。

 

あの喧騒、どこぞの殺し屋の襲撃と、それを撃退したことをこいつは無視した。

いや、無関心だった。

それは別に構わぬ。

 

だが、

 

この男は。

 

 

 

 

 

 

「くっくっく……初めてだったのさ、そんなやつに出会うのはな」

 

勇次郎は、まるで楽しい記憶を語るかのようにそう語っていた。

 

ヘネシーの注がれたブランデーグラスが口元に運ばれる。

その手の動きが円を描いている。

口元でスナップを利かせる一瞬。

その中身が、一塊の水滴のような形状となって宙を舞う。

橙色の水球が口元に滑りこみ、食道壁いっぱいに広がりつつ重力によって落ちていき、そして胃の中にどしんと落ちる。

胃の中でブランデーの香気が爆発的に吹き上がり、揮発したアルコールが胃から遡上し、鼻筋を通ってふうと噴き出される。

 

「な……何が、かね?」

「俺にだよ」

 

勇次郎は、今ではその驚愕すら楽しむかのように、ゆっくりと言う。

 

「その男は、俺に興味がなかった」

 

 

 

 

 

 

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