グラップラー刃牙 BLOOD & BODY   作:MUMU

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第12話

 

 

 

 

――どこから、話したものだろうか。

そう、あれは確か1960年、アメリカのMIT、マサチューセッツ工科大学でのことだよ。

 

私はまだ学生で、進路を決めかねていた。様々なものに興味を持ち、読書と研究が止められぬ時期だった。

だが私のことなど、この話においてはどうでもいい。

 

その頃、学生の間には妙な噂が流れていた。

教員棟のはずれ、老朽化した第四書庫に、宇宙人が出るという噂だ。

 

私は別に、信じてなどいなかったが……、

 

ある日、夜中遅くまで数学の問題に取り組んでいて、気がつけば既に零時を回っていた。

そして、その第四書庫の蔵書を参照したくなったのだよ。

 

夜中の学舎は暗く、窓からは街の灯も見えなかった。

科学万能の思想に染まり、幽霊や宇宙人など恐れない私でも、さすがに気味が悪かったものだよ。

なにしろ、MITは当時ですら100年に迫る歴史を持っていたからね……。

 

その時間に学生が残っていると、教員がうるさいものでね、私は暗がりの中で、カンテラ一つを頼りに書庫に踏み込んだ。

 

そこで、あの男に出会ったのだ。

 

その男は、不気味だった。

大男、では無かったな。

むしろ痩せ衰えていた。眼は深く落ち窪み、顔には影が濃く、頭髪はおろか顔面すべての体毛が抜け落ちていた。

明らかに、何か重病を患っていた。

 

その男は暗がりの中、私と同じくカンテラ一つで読書にふけっていた。

 

私が挨拶をすると――。

 

 

 

 

その男はのっそりと視線を上げ、アルバートを見遣る。

 

「……何かの研究かね?」

 

若かりしアルバート・ペインはその体毛のない顔に多少驚いたものの、驚くことが失礼に当たらないかと思い直し、そっけなく答える。

 

「チョット……解けない問題があるんです。あなたは教員ですか?」

「いや」

 

何でもないことのように、そう答える。

 

――無断侵入?

――こんな時間に?

――泥棒?

――誰か人を

 

「心配しなくてもいい……。学長の許可は取っている」

 

――なんだ

――しかし、ならば何故ここに

 

「ふむ、解けない問題が、あると言ったね」

「はあ……」

「どんな問題かね?」

 

その質問に、アルバートは少し戸惑う。

何しろすでに天才と評されているアルバートである。その時に取り組んでいたものも数学上の重要な問題であり、きわめて難しく抽象的な問題である。説明するだけでも生半可な事ではないし、ようやく解法の取っ掛かりが掴めるまで二ヶ月もかかったのだ。

 

「ええと……連続体仮説に関する問題で……」

 

アルバートは、この妙な男になぜこんな問題を話しているのだろう、という漠然とした疑問を抱きながら、

しかし、なぜか話をやめることができず、そのまましばらく説明を続けた。

 

だが全て話し終わる前に、その男は手を上げ、話を止めた。

 

「つまり……君の言いたいことは、……だね?」

 

「……っ、そ、そうです。その証明に関する諸問題の一つを検討中で…」

「ならば……といった手法で……から導き出してみたまえ。……という結論が得られるだろう」

「……!」

 

 

 

 

その時の私の驚きを、想像できるだろうか?

私の至ったであろう結論よりも、もっとずっと高度で深遠な結論を、その男は示してみせたのだ。

それは一種の計算的手法。

その分野における数多くの局面で応用が可能であり、

まるで荒れ野に高速道路が引かれるように、

数多くの問題を一気に解決する可能性を秘めていた。

 

その証明法こそは、強制法(Forcing)。

その二年後。1962年にポール・コーエンという数学者によって開発され、その功績によって65年にフィールズ賞を受賞した手法と、ほぼ同じものだったのだよ。

 

なに、なぜ私がそれを発表しなかったか、だって?

できるわけがないだろう。

私にだって、プライドがあるのだ……。

 

私が数ヶ月かかって取り組んでいた問題。

その遥か遠くにある解決法。

 

それを、あの男は。

書庫から私を追い払うためだけに、示してみせたのだよ。

 

その時、私はようやく気づいたのだ。

宇宙人が出る、というあの荒唐無稽な噂の真実と、この男の正体を。

 

かつて、天才の中の天才、と評された男がいた。

 

かの忌まわしきマンハッタン計画。その中心であったプリンストン高等研究所。そこに招聘されたメンバーの一人。

同僚であったアインシュタインやヘルマン・ワイルらが、彼こそ本当の天才だと評していた人物だよ。

 

そのあまりに異常を極める天才ぶりから、「悪魔の頭脳」とか、「宇宙人」などと呼ばれた人物……。

 

ドルルマン・フォグ? 

それは偽名だろう。

 

そう、本当の名は、

 

 

 

 

――フォン・ドルマン。

 

 

 

 

 

 

 

 

やや日が高くなり、森に差し込む光を量を増している。

風はやや涼しく、土は湿り気を帯びていた。

 

手首をさすりながら、ジャック・ハンマーが呟く。

 

「フウ……ひどい目にあったゼ」

 

あの後、

しきりにジャックを薦めてくるピクルに、勇次郎がこんな薬臭い肉が食えるかと撥ねつけると、一気に意気消沈してしまい、鎖も解いてしまった。

どうやら、ピクルもこの獲物を持て余していたようだ。

 

「……」

 

ジャックは、ふと傍らを見る。

少し離れた場所で自然石に腰掛け、範馬勇次郎が空を見上げている。

 

その風貌。

体つき、皮膚や眼球。

 

その姿は、さながら森林の奥に座す遺跡のようであった。

かつて栄華を誇った勇壮なる宮殿が、数え切れぬ歳月の果てに風化し、わずかに栄華の名残を留めるのみ。

石を積んだ城壁は半壊し、居並ぶ彫像は朽ち果て、その中に分け入れば、無数に穿たれた穴から陽光が差し込む、

銀は錆び、金は盗まれ、あとはただ獣の巣となるのみ。

そのようなイメージが連想される。

 

それは滅び。

永遠に続く王国のようであった勇次郎の肉体が、その永劫を失おうとしている。

 

「オ……オーガ」

 

ジャックは、彼の父親であり、ある時は憎むべき宿敵、ある時は尊敬すら抱いたこの地上最強の男の、そのような変わりぶりが信じられなかった。

 

「ハッ……なんて顔してやがる」

 

勇次郎はわずかに皮肉げな笑いを浮かべ、退屈そうに言う。

 

「……ぐ、具合が悪いのか?」

「大したことはねェよ」

 

ジャックの目から見ても、それが相当な業病であることは見て取れた。

確かに、今は症状がゆるやかになっている。

それは闘争によるものか、ある程度は抗体ができたのか。

あるいは何かしら免疫力を高める要因があったのか。

 

しかし、その肉体が闘病により激しく損耗しているのも事実――。

 

機銃掃射で穴だらけにされた車や、

海水を浴びせられたロボットを見るような感覚。

すなわち、生きて動いている事自体が奇跡的な――。

 

「クッ……」

 

ジャックは目をつむり、何かを噛み潰すような顔で腿を握りしめる。

そして不意に目を見開き、泡を飛ばしながら叫ぶ。

 

「オーガッッ! 俺、いい薬を持って――!」「いやそれはいい」

 

ぴしゃりと跳ねのけ、勇次郎がゆっくりと立ち上がる。

 

「それより、お前らどうしてフランスなんかにいやがる?」

 

声帯が焼けているかのように声が枯れている。肺から空気がもれるかのように、低い風鳴りの音が混ざっている。

 

「あ、アア……ピクルが貨物船に紛れてフランスに渡ったという情報が入って……。俺はその消息を追ってきたんだ。探すのが大変だったが、俺はまず港で――」

「つまり、最後は返り討ちにされたわけだ」

「ウ……そ、そうだ」

 

ピクルはというと、石のくぼみにたまった赤い液体を指ですくい、赤ん坊のようにぴちゃぴちゃと舐めている。

 

「どうやらワインに興味をもったようだ……ああやって、どこからかブドウを盗んできては、酒を作っている」

 

よく見れば、同じように上部が凹んだ石が数個放置されている。

どこから調達してくるのか、いろいろな品種のブドウが置かれ、動物から隠そうとするかのように手折った枝葉がかぶせられ、そのままひたすら放っておく。

おそろしく原始的で非効率だが、ピクルは割と楽しげに作業してるのだそうだ。

 

ワインと言ってもそれは分類上、そのカテゴリに入るというだけのこと。

原始的な製法には原始的な味。かなり酸味が強く、アルコールも弱い粗末な酒である。

しかし指を舐めるピクルの顔は真っ赤に染まり、ひどく上機嫌に見えた。

 

「……あいつ、酒は弱ェのか?」

「イヤ……おそらく古代人だからだろう。アルコールを分解する酵素を持ってないんだ。だから少量でも酔っ払う」

「なるほどね……

さて、それじゃ俺も、森を出るか」

「エ……?」

 

その唐突な発言に、ジャックもしばし困惑する。

 

「オ、オーガ、どこへ……?」

「酒でも飲みに行くか、と思ってよ」

 

首をコキリと鳴らし、勇次郎は乾いた声で答える。

やや焦った様子で、ジャックがそれに異を唱える。

 

「びょ、病気なんだろう……? 安静にした方がイイ。酒なら俺が取ってきて……」

「ハッ、そりゃ違うな」

 

違う、という言葉でジャックの動作が一瞬、止まる。

 

「俺は、病気なんかじゃねえ」

「……!?」

 

それはいかなる意味で言っているのか、

判断しかねて、二の句が継げない。

 

「もちろん、さまざまな病原菌に侵され、内臓は爛れ、筋肉は腐り、血液までもが膿んでいる。

俺の体も、かなりの部分が破壊された」

「…………」

「しかし、それを言うなら人間の体など、常に猛烈な早さで細胞が破壊されている。肉も骨も、体液もだ」

「代謝……?」

 

わずかに首肯する勇次郎。

 

「詰まるところ、生きることとは破壊と創造」

 

「破壊に偏ることもある、創造に重きをおく時期もある」

 

「だがそれは自然の摂理での上! 破壊に見合う創造があれば帳尻は合う」

 

「不自然なる物質を摂取し、いたずらに破壊を止めようとすること」

 

「苦痛に怯え、自然な回復力を信じぬこと」

 

「病というなら、それこそが病というものだッッ!」

 

――

 

その言葉を聞いたジャック・ハンマーは。

何か大きなものを見上げるかのように、近寄りがたき聖域から押しのけられるように、

数歩下がって瞠目する。

 

(――な、なんて)

(なんて大きいんだッ……)

 

(とてつもない劇症だったはずだッ)

(生死の境を彷徨ったかも知れぬのに)

(それでもまだ、自然なこと、と受け止めるのか――!)

 

勇次郎はジャックを振り返ることもせず、森の中を歩み去っていく。

ジャックはしばし迷った後、かなり遅れて後に続いた――。

 

 

 

 

 

……なに、

酒を買いに来たわけじゃねえのかい?

 

あん?

 

……その時の話を聞きてえだって?

はっ、言ってもどうせ信じやしねえ。

 

だが、まあいい。

いくらでも語ってやるさ。

 

そう、話は1864年まで遡る。

わしの爺さんの爺さんの……もう何代前かも分からねえご先祖様の代さ、その年はワインの当たり年だった。

その年に、どっかの貴族が金を出してな、

道楽で拵えたもんがある。

 

高さ3メートル。直径5メートルのワイン樽……。

アラブから運んだオークの巨木。その胴部をまるごとくり抜いて作ったもんだ。

当時は中身より、樽のほうがはるかに高価だったよ。

 

なに?

そんなでけえ樽に、ワインを詰める意味があんのか?

 

あるわきゃねえ、ただの道楽さ。

当時は4樽あったらしいが、売りさばいたり、戦争で燃えちまったりで、わしの爺さんの代には、一つだけになってたな。

 

その頃には、もう売り物だなんて感じじゃねえさ。

守り神だ。

地下のカーヴ(貯蔵庫)の奥で、ただじっと眠ってたんだよ。

 

ごくごく稀に、売ってくれと言ってくるやつもいたがね。

すべて断ってたよ。冗談じゃねえってな。

 

だが、なぜだろうな。

あの日本人には――。

 

 

 

 

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