※
――ドルルマン・フォグ
なぜ、彼が史上最強であるか、と聞かれるのかね?
それは当然のことだろう。
あらゆる生物の中で、肉体的には脆弱であるはずの我々が、
なぜ、霊長類の頂点として我が物顔で振る舞うのか。
それはもちろん、知恵あるがため。
思考、習得、記録、継承、作成、応用、協力、集団、国家……
あらゆる脳内活動こそが、我々を星の頂点へと押し上げた。
それは歴史が証明している。
すなわち、最高の頭脳こそ、最強であることを。
――フォン・ドルマン。
彼こそは。
人類史上、最高の頭脳の持ち主だった。
ならば彼こそが、史上最強である、と言えるだろう?
しかし、だ。
そう、トクガワさん。
あなたの知るとおり、彼は既に死んでいる。
1957年……骨腫瘍、または膵臓癌だと言われている。
原因は、かのマンハッタン計画。
その原爆実験によるものとも言われているが……。
彼は全身を癌に侵され、苦痛に身悶える中で、いくつかの精神的な革命が起こったと聞いている。
いわく、それまで信仰に熱心でなかった彼が、急に洗礼を受けたいと言い出し、
生まれ故郷の司祭を呼び寄せたとか。
あるいは物理学や工学、経済学などが専門だった彼が、
病の床で薬学や生理学に関心を持ち、書物を幾つも取り寄せたとか……。
……
……科学に殉じた者の、憐れむべき晩年。
そんな印象だな。
だが。
彼は、死んではいなかった。
その10年もあとに、学生時代の私とすれ違い。
そして現代、再び現れたのだ、「最強」を名乗って――。
しかも、あの姿……。
生きていれば110歳に迫る老人。とてもそうは見えなかった。
彼の肉体に、一体何が起こったのか。
彼が一体、何を見つけ出したのか。
興味は尽きない。
トクガワさん、あなたも聞いてるだろう。
世界の表に裏に、様々な組織が、ドルルマンの肉を求めて動いている。
彼はおそらく、手に入れたのだ。
老いることのない、頑健無比なる肉を。
地球の歴史において、誰も到達したことのない肉体を。
「史上最強」の称号を――。
※
戦況――。
これを戦況と言って良いならば、それは膠着状態に陥っていた。
アサルトライフルを構えた集団が、森を歩いている。
なだらかな丘陵地帯には民家が点在しているが、今は誰も住むものはない。
この一帯、100エーカーあまりの範囲にもはや民間人はいない。
その中央にある富豪の屋敷を中心として、すべて接収されるか、
あるいは何かしらの危険を覚えて街を出ている。
そして家々の影に、木立の奥に隠れるように在る大型トレーラー。
あるいは迷彩布に覆われた、陣幕のような野外テント。
その後部からは大型ケーブルがいくつも這い出し、手近な送電線へとよじ登っている。
「おい、またトレーラーが……あれはどこの」
「もう気にするな、放っておけ」
集団は往く。
極めて訓練された一団である。
密集陣形で素早く移動しているのに、その移動は川に映る魚影のように音を伴わないものだ。
「……おい、知ってるか? この戦場に、出るって噂」
「知ってるよ、俺たちはその化け物を捕獲に行くんだろ?」
「そうじゃねえよ、各国軍の無線傍聴で、時々不穏なワードが……宇宙人だとか、グレイだとか……」
「Tpyc(臆病者)かよお前……何を馬鹿な」
「そこ、静かにしろ」
先頭を歩く者が静かに言い、
それきり全員が沈黙する。
眼前に直径1メートルほどの水たまりがある。
一団は道の果てに視線をあわせたまま、無造作に水たまりを跨ぎ超えて進む。
そして彼らが去る。
しばらくは葉ずれの音だけが流れる。
水たまりの表面にさざ波が立つ。
がっ、と水面より踊り出る影、
それは人間の腕である。白蛇のような腕が地面を掴み、そして水中から影を釣り出す。
その水たまりは電柱がすっぽり入るほど深い。
迷彩を兼ねた水張りの塹壕である。
中から踊り出るのはウッドランドの迷彩服を肘までまくり上げた兵士。
頭髪はもちろん顔も手足も体毛というものがなく、
赤子のような丸っこい顔にはつぶらとも言える目鼻立ち。
かつてテレビを騒がせた銀色の宇宙人、
確かにそのような印象もある。
集音マイクにつながるカナル型イヤホンを外し、かるく頭を振る。
彼の名はノムラ。
またの名はガイアとも呼ばれ、自衛隊における第1空挺団最精鋭部隊の班長を務める男である。
過去には米国大統領の警備や、海外派兵された自衛隊部隊に一人の死者をも出さず守りきったとも伝えられる、伝説的人物。
一部ではオーガと肩を並べるとも言われた存在だが、格闘能力については兎も角――、
防衛、
潜入、
工作、
諜報、
そして指揮。
それら軍人としての総合力においては、彼以上の者など果たして存在しうるかどうか――。
「えーと今の連中……装備はAK100のカスタム、ロシア人かなあ……。カフカースの訛りが一人いて、歩き方は露骨にGRUのスペツナズ……重心から見て空手にキックボクシングの経験が少々……と」
耐水性のメモにさらさらと記録していく。
その姿には潜入工作員としての卒のなさは感じられるものの、伝説の傭兵と呼ばれるほどの気迫は影を潜めている。
「ふう、これでG8全部いるじゃないか、どうなってるんだろう……」
この、人口1000人にも満たない片田舎の町。
そこには機動トレーラーや仮設テントなどがそこかしこに配されている。
米国、ロシア、EU、中東、アジア、
西側、東側、テロリストと対テロ部隊、それに暗黒街の私兵たち。
それらが全て、あのドルルマン・フォグを狙っているというのか。
「日本は完全に出遅れたなあ……。
情報は集まってるのに肝心のドルルマンの正体を誰も知らないなんて……」
冗談ではなく、これらの戦力が一堂に会すれば、それだけで世界大戦の引き金にすらなりうる。
なぜ外交問題にならないのか、
報道すらされていないのか。
どうやらかなり大規模に箝口令が敷かれているようだが、各国政府はどこまで本気なのか。
ドルルマンを中心として、にわかに巻き起こったこの異常事態。
ようやっと事態を察知した日本政府は、事の次第がわからぬままに、ともかくも秘匿戦力であるガイアを送り込むことを決断。
しかしドルルマンへの接触は見送られており、ノムラは一人この戦場で、展開している各国部隊の情報を収集していた。
腰のポケットから小型の電子端末を取り出す。
カバーを本のように開けば、4インチの液晶に走る曲線、
この付近の地形図である。
そこには数百もの輝点が点在している。
衛星監視システム、広範囲索敵レーダーに電子感知、音響探知、それに加えてガイア自身が設置して回ったビーコン類、
それら全ての情報は一度日本へと転送され、電算処理されてこの端末へと送信されている。
数多くの組織が入り乱れるこの場所で、
展開するほとんど全ての部隊を把握しているのはガイアと、それを指揮する日本政府のみであった。
惜しむらくは、日本にその情報をどう活用するか、というプランが皆無なことである。
「うーん、台湾マフィアも動いたって情報があったけど……。
どうも来てないみたいだなあ、何か妨害があったのかな」
その白い指が動き、画面に何かを入力していく。
「今のロシア人たちも登録……っと。多分ムリだと思うけど…」
あの屋敷に、ドルルマンが立てこもり始めて何日が経過したのか――。
その間、ほとんど3時間と空けずに様々な勢力が侵入を試みた。
ある勢力はガスグレネードを投入しての一斉突撃。
ある者は遠距離からの狙撃。
大型車両で邸内に直接突入したものもいた。
だが結果は全滅。
ボディアーマーで武装した機動部隊は五体を砕かれ、
200m先から銃把を構えた狙撃兵は、スコープがドルルマンを捉えるより早く眉間に石を打ち込まれた。
ナイフや、何かの投擲武器ではない、
そこらに転がっていた小石を打ち込まれたのだ。
投擲だけであれば、あるいはガイアにも似たようなことは可能。
だが、狙撃兵の気配に気づき、
先手を打つなどということは軍人の常識にはない。
生け捕りを目的として、手段を選んでいるから、
――それだけではあるまい。
やはり、あのドルルマンというファイターは特別。
異常、異様、あるいは超常――。
ガイアは妄念を振り払うかのように、頭を振る。
「あのロシア人たちもダメだろうなあ……今から行くっぽいけど…」
と、その視線が画面の右上に動く。
そこは地形図の片隅。
何もない、空白である。
なぜそこに、急に意識が向けられたのか。
「……あれ? ここって」
ガイアははたと思い至る。そこにはブラジリアン・マフィアの私設部隊か何かが潜伏していたはずだ。
その輝点が今、ふいに消えたのだ。
ガイアの注目していた地形図の空白。
その南側の一体で、いくつかの輝点が消える。
「!?」
同時に3つ。
そして数秒後、さらに南側の数カ所で輝点が消える。
「なんだ? 電波妨害?」
だが、それでこんな部分的な消え方をするはずがない。
カメラを操作する。
地面に倒れる黒スーツの男たち。
大砲でも打ち込まれたかのように大穴の空いたトレーラー。
飴細工のようにへしゃげた大型火器。
地面に転がる硬化プラスチック製のヘルメット。
「その人物」が大口を開け、激情のままにそれを噛み砕く。
「――これは!」
ジャック・ハンマー。
地上最強の生物、範馬勇次郎の息子であり、ドラッグによって無類の筋力と凶暴性を発現させるファイター。
再び地形図に戻す。
今度は20以上の輝点がごっそりと消えている。
――1人じゃない。
ノムラの指がせわしなく動き、その一帯の全ての監視カメラを分割表示させる。
もう一人はすぐに見つかった。
ピクル。
恐竜期最強の漢。
大樹を蹴って水平方向に跳躍し、平均190センチの機動部隊をダース単位でなぎ倒していく。
伸ばす足先で装甲盾が簡単に砕かれ、兵士たちを数人まとめて石壁に叩きつけ、瞬時に昏倒させていく。
――なぜ、この二人が一緒に行動しているのか。
その疑問は、しかし検討しているヒマもない。
もう一人、誰かがいる。
だが、その姿を見つけられない。
画面の中、数百キロの軍用バイクが空中で回転している。
数十人の兵士に守られた機動トレーラーや兵員輸送車両が、瞬時に鉄塊と変わる。
まるで内側から破裂するような眺め。
兵士たちは透明な巨人に殴られるかのように、一瞬で弾き飛ばされて立ち木や土塀に激突して昏倒。
兵士が地面にくずおれる瞬間、すでに別の画面で何かの破壊が始まっている。
石も鉄も紙細工のように粉砕されていく。
重量物が賽子のように転がされる。
恐ろしく速い。
1コマでも画面に映っているのかどうかも分からない。
「これは――」
地形図に戻す。
図の中央にはドルルマンの立てこもる屋敷。
ジャック、ピクル、それに姿の見えない何者かは、北東から南下しつつ、広範囲の部隊を殲滅しながら降りてきている。
ジャックは西に大きく回り、ピクルはやや南寄りに動いている。数十もの輝点の消滅によって、かろうじてノムラはその動きを知る。
そして最も動きの早い個体、それが真っ直ぐドルルマンの屋敷に向かっている。その中間地点にあるのは、
現在、ノムラのいるポイント。
「――う」
ノムラは森の奥を見つめる。
そして自分の内側へと意識を向ける。
そこに潜む最強の軍人を待つ。
――二重人格。
それこそが最強の軍人と恐れられるガイアと、物静かな自衛隊員とを結ぶもの。
ノムラ自身には感知もできず、いつ出てくるのかは誰にもわからない。
だが、アンゴラで、ルワンダで、イラクで、
そのガイアという人格が、彼の窮地を救ってきた。
無敵の人格。
超人の意識。
――それが。
(――出てくるか)
ノムラは深く息を吸い――。
――――
――
――
……
……
……
…………
「あれ?」
ノムラは自分の両手を見つめ、
顔をぺたぺたと触る。
「……あ、エーと、出てきたくない感じ?」
次の瞬間、ノムラは垂直立ちのままでぽんと跳躍し、
深さ4メートルの水たまりに、そのままどぼんと飛び込んだ。
※