グラップラー刃牙 BLOOD & BODY   作:MUMU

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第2話

※

 

 

この男は、俺に興味が無い。

 

範馬勇次郎。

その人格の中心にあるのは、地上最強の生物を自負する圧倒的なまでのエゴイズム。

世界に自分より強いものの存在を認めず、自分が世界の中心であると信じて疑わず。

あらゆる思想を、経済を、政治すらをも凌駕する腕力。

 

そして、それは現時点までにおいて真実であった。

生まれ落ちた時から、

幼少期も、少年期も、

戦場に在った時も、

そして現在までも、

範馬勇次郎の姿を認識した時、人は瞬時に畏れ、服従する。

仮にそのように意識せずとも、心の奥底では屈服せずにはいられない。

全ての人間が、獣が、あるいは無生物すらも、

だから、範馬勇次郎は最初の数瞬、それが理解できなかった。

 

屈服ではない。

ごく稀にいる敵対者でもない。

そして、気づいていなかったわけでもない。

この男は、俺に対して何の感情も持っていない。

そんなことが。

『ありえるわけがない』

それが勇次郎の世界の常識。物理法則そのもの。

 

「……なるほど」

 

隠然とした殺気をその内面にたぎらせ、それは抜き身の刃物のような剣呑な空気となって周囲の景色を歪める。

 

「はじめて見たぜ……」

 

その大男をじっくりと眺め、勇次郎は吐き捨てるように言った。

 

 

 

 

 

 

「――キサマ、宇宙人だな」

 

 

 

 

※

 

 

 

 

「…………」

 

米国海軍大佐、ゲリー・ストライダムはその回想での一言を聞き。

顔にじっとりと汗を浮かべていた。

サウナで熱されるかのような大粒の汗。

内臓の病に耐えるかのような押し黙った表情。

ぽたり、ぽたりとガラステーブルに汗が滴る。

その右手は低いテーブルの下に伸び、迷彩柄のズボンの上から腿をつかんでいる。

全身の力を指先だけに込め、その腿の肉を捩りあげる。

 

抓(つね)り。

 

大血管が数多く走行する腿。

その肉の中には多数の神経も内包されている。

殴ることも、蹴ることも有効ではない分厚い肉が集まる場所。

しかし、抓りには紛れもない弱点。

関節を極めたプロレスラーが。

絞め技で相手を捉えた柔道家が、

この反則技じみた腿の抓りにより、勝利を投げ出してまで技を解いてしまうことは周知の事実――。

 

ぎりりり、と、腿の肉を千切らんばかりの全力でそこを締め上げる。

肉は赤紫に変色し、一部は黒に近くなっている。

 

(た……ッ)

(耐えるのだッ)

(ユージローは冗談を言うような人間では)

(……無いとはいえないが)

(少なくとも、荒唐無稽な話で人をからかう男ではないッ)

(これは真実なのだッッ!)

(ユージローは、本気でその不気味な大男を宇宙人と思ったのだッッ)

 

「な…なぜ……そのように」

 

 

 

※

 

 

 

「なぜ……そのように思うのかな?」

 

その大男が声を発する。いや、勇次郎とさほど身長差があるわけでもないが、この男は最後まで名前を名乗らず、また勇次郎も問わなかったため、便宜上そのように呼ぶべきだろう。

 

「キサマの肉は鍛錬の末ではない」

 

勇次郎が言う。

 

「しかし肥満体でもない。その腕の肉、腹の肉、詰まっているのは脂肪なのか、筋繊維なのか、判然とせぬ。

地球人の皮をかぶった別の生物、そう考えることが至極妥当ッ」

「ふむ……だが私はれっきとした地球人だよ」

「ならば、なぜ俺に無関心でいられる」

 

ざり、と足を肩幅に開き、その大男に相対する。熊手のように構えた右手を軽く体のそばに広げ、前方への攻撃の気配をにじませる。

勇次郎の問いには、言葉には、それがいつ攻撃に転じるとも知れない剣ヶ峰の気配がある。

 

「野生の獣が炎に無関心でいられぬように、生物が落雷の音に反応せずにいられぬようにッ!!

俺をその目で見たなら、肌で感じたなら。怯え、警戒、敵意……いずれかの反応を抱くはずだッッ」

 

おそろしく傲慢な問いではある、

しかし、範馬勇次郎のエゴに満ちた言葉には一寸のブレもない。

 

「……その問いの答えはシンプルだな」

 

大男が軽く手を広げる。

 

「君を恐れる必要がないからだ。私が、世界で最も強いのだから」

 

瞬間。

 

世界の温度が、数度下がる。

 

「――ほう……」

 

牙を剥く。

勇次郎の眼球から光が失せる。

その表情を形容するなら、それは笑い。

両の唇を耳のあたりまで引き裂き、犬歯を歯肉まで覗かせる。

笑いとは、肉食獣が獲物を食らわんとする表情に似ており、時として怒りよりも攻撃的なものを表出する表情である。

 

「生命力、という意味でね」

「あん……?」

「そもそも、強いとは何かね? 人類は、他者との比較や、物体への影響度でしかその答えを出せなかった」

「……」

「本当に強い人間というのはね……、生物として死から遠い者のことだよ」

 

語る大男の言葉は、長大なる洞窟の果てから響くかのように低く沈んでいる。人間の発声器官とはどこか異なるかのような、声帯が生ゴムに包まれているかのような重低音の響きである。

周囲では裏返しにされた高級車が黒煙を上げているが、

不思議と、悲鳴を上げる者はいなくなっていた。

街を行く誰もが、何か歴史的な場面に立ち会っているかのように、棒立ちになって成り行きを見つめている。

その二人の奇妙な雰囲気に、周囲の誰もが飲み込まれるかのような――。

 

「……例えば、寒さへの耐性ならば、毛皮を持つ生物のほうが強い。

免疫機構ならばワニやゴキブリの方がはるかに優れている。

放射能への耐性ならば人間は微生物にすら劣る。

寿命ならゾウガメ……いや、樫や杉のような植物の方が遥かに上だろう……。

彼らは人間よりも、遥かに死から遠い……」

「つまり、キサマはそれらの上を行くというのかッ!

ワニよりも病に強く、巨齢樹よりも長命であるとッッ!」

「あと4年かかる……」

 

ふいに、大男が4本の指を立てて言う。

 

「今から4年後……。正確には1527日と4時間後……、私は、私の理想とする肉体に到達する。

その場所では老いも病もなく、精神を脅かす苦悩もない。

過度な幸福すら無い。安定だけが永遠に続く世界だよ……。

その肉体が完成するまで、私は誰と戦う気もないし、

また、その必要もない。

誰と比べる必要もないし、誰かを排除する必要もない。

君に興味を持たなかったのは、そういう理由だ――」

「――」

 

刹那、

腰の高さにあった勇次郎の拳が、すべての筋肉の剛直と、加速を終えていた勇次郎の右拳が天を目がけて疾る。

時間にして0.4秒の打拳。

それは、人間の反応速度の限界を凌駕する。

0.5秒の壁を突破する時、人間がその攻撃を見極め、考慮し、反応を返す時間を上回る。

それは回避不可能、防御不可能の攻撃。

その一瞬、勇次郎の理性や寛容さというものを、瞬発的な苛立ちと怒りが塗り潰していた。

大男の言葉の真偽など考慮していなかった。

一瞬で、一撃でその顎を打ち砕き、そのまま拳を脳天まで突き上げることに迷いはなく――。

 

ばちいっ、と、大気の弾けるような音がする。

稲妻が駆け抜けるような衝撃。

シャンゼリゼ大通りを戦慄の気が駆け抜ける。

離れた場所で街路樹から小鳥が落ちる。

まるで羽ばたくことを忘れたかのように、泡を吹いて鳥が地面をのたうつ。

 

勇次郎が瞠目する。

 

顎を直撃するはずだった一撃が、わずかに逸れ、頬をかすめて耳の下に抜けている。

そして、拳には皮膚に触れた感触しか残っていない。

あのタイミングで完全に回避するならば、反応速度はおよそ0.34から0.37秒。

拳を繰り出す前に「意」を見せてはいなかった。

では、なぜこいつは回避できた――。

 

「――いいだろう」

 

拳をおさめ、勇次郎は目の前の大男に、

初めて相手を認めるかの如く、静かに言う。

 

「キサマの言葉を信じてもいい。

――しかし、最強の肉体を手にした後、キサマはどうする」

「私の肉体が完成した瞬間、私は私の考える手段をもって、全世界に私の最強を宣言する。

そして、その後、永遠にすべての挑戦者に勝ち続ける。

永遠に、だ」

「……」

 

ざり、と男に背を向け、勇次郎は集まっていた野次馬や、駆けつけてはいたものの二人の会話に全く入り込めなかった警官隊を無視し、

そのまま、歩み去っていく。

 

「フン……楽しみにしとくぜ」

 

 

 

 

※

 

 

 

 

 

 

「……ううむ」

 

ストライダム大佐は深く考えこむ姿になり、

 

「なんとも不思議な話だな、オーガよ……」

「……」

「しかし、君らしくもない……」

 

ストライダムの視線が、テーブルの上辺から範馬勇次郎の口元へと睨めあげるように動く。

 

「相手の肉体が完成するのを待つなどと……」

「……」

「その男の言葉が、あるいは君との戦闘を避けるための舌先三寸だった、という可能性が……」

 

その鼻先に陰が落ちる。

瞬刻の後、ストライダムの眼前にゴムの匂いがよぎる。

 

轟。

 

耳を聾する音。

直上より振り下ろされたカンフーシューズの踵がガラステーブルを直撃する。

テーブルの天板を支えるのは、コの字型にカーブした2本のスチール脚。

それが歪み、ひずみ、ストローの袋のようにくしゃくしゃになっている。

天板は水平を保ったままにその高さを半減させている。

そして天板のガラスは、

割れていない。

特殊な強化ガラスではない、ごく一般的な強度のガラスであるはずの天板は砕けず、

そこを通して力を四脚に伝え、そのことごとくを歪曲せしめたのか。

 

「疑りが過ぎるぜストライダム……」

 

勇次郎の眼に、それだけで生物を殺傷せしめるほどの怒気が宿る。

 

「俺がそんな可能性を論じに、ここに来たとでも……」

「い、いや、もちろんそんなわけはないな。うむ」

 

慌てて立ち上がり、管制官たちの座るコンソールの方へと移動する。

 

「さ、察するにこういうことだろう?

今日がその、大男の言う「1527日と4時間後」に当たるのだな?

その男が何らかのデモンストレーションを行うとすれば、それはどこかの情報ネットワークに乗る可能性がある、と。

それをキャッチするために、ステーツのエシュロン・システムを……」

「分かってんならさっさとやらねえか」

 

静かに、しかし生物に反駁を許さぬ声で勇次郎が命じる。

 

「――き、君、今この時間、何か格闘技がらみのイベントが行われていないか調べてくれ」

「イ、イエス、サー。検索いたします」

 

管制官たちは背後を振り返ることすらできない。

緊張のあまり腋が汗だくになり、背筋は鉄筋でも通されたかのように反り返って硬直している。

皮膚に感じる恐怖、それに屈服することには重々しい畏怖と、そして暗澹とした幸福があった。己がロボットにされたかのような、無条件かつ絶対の服従。

 

「大佐ッ、現在フランスのリヨンにおいて、IDKWという団体主催の異種格闘技トーナメントの決勝が行われております!」

「――それだッ!」

 

それは欧州全土で興行を行う巨大格闘技団体である。

フランスにて発達した格闘技サバットを始め、柔道、プロレス、ムエタイなど様々な選手を招き、大規模なトーナメントを行なっているようだ。

 

「テレビ中継はされているか!?」

「仏国内のケーブル放送で……大丈夫です、モニターに出します」

 

眼前に広がるモニター群のうち、中央付近の3×3が連動し、ひとつの映像を映し出す。

大西洋を越えて傍受しているためにややノイズが走っているが、中央に団体のロゴが描かれた四角いリング。セコンドに指示を受ける二人の選手が映し出される。

視界の端では、他のモニターにも同じ会場の映像が映し出されている。一体全体アメリカはどのような技術を生み出したのか、現在電波には乗っていない別のカメラのアングル、それらまでも全て傍受し、同時に映し出す。

 

「この男はッ!」

 

選手の一人に目を留め、ストライダムが叫ぶ。

 

「ミゲル・エンコントス! 北氷洋の巨艦かッ! 従軍経験者でコマンドサンボの達人だな! K-1を始め世界中の選手権を荒らしまわった猛者だ! こいつに壊された選手は20人ではきかない、なるほど、この男なら……」

「ハハハハハハハ!!!

    ハハハハハハハ!!」

 

突如として、勇次郎がけたたましく哄笑する。

 

「詳しいんだなストライダム……、そんなゴミみたいな男まで覚えてるとはよお……」

「……ち、違うのか」

 

では……と、もう一人の選手について観察する。

別のモニターには、すでに管制官によって選手のデータが弾き出されている。

 

「ふうむ、ヴィクトル・サンドニオ。

52歳、アルゼンチンのスラム街出身で、選手として30年近く活動しているベテラン……。

驚くほどのタフネスを誇り、故障などは一度もなし、だが成績は振るわず、大きな大会での優勝歴は一つもなし……」

 

なるほど、とストライダムは思う。

勇次郎の話にあった大男が、肉体の完成まで格闘技界に潜み、じっと爪を研ぎつつ実力を隠していたとすれば、この選手のような経歴になっても不思議はない。

 

今日、この時に肉体が完成するとすれば、それまでうだつの上がらないロートルだった男が、歴戦のチャンプをKOして世界に挑戦状を叩きつける。

実に華々しい演出だ。

 

「なるほど……この」

「もう片方のデブだとか言わねえよなあ、ハハハハハハハハハ!」

 

相好を崩すというレベルではなく、表情筋をねじ切るほどの勢いで哂う勇次郎。

 

「こ、これも違うのか……。で、ではこの大会ではなかったのだな」

「くく……。よく見ろよ、もう一人いるじゃねえか」

「もう一人……?」

 

改めてモニターを見る。

音声に注目すると、今は試合開始前のセレモニーの最中だった。互いの国歌がバックに流れる中、選手たちはコーナーポストを向いてシャドーを行ったり、セコンドと打ち合わせたりで集中力を高めている。

 

そしてリング中央に集まり。団体のロゴ入りシャツを着たジャッジが、反則やリングカウントを指示する。

その審判は、異様に体が大きく。

そして服の内側が筋肉なのか脂肪なのか判然としない、妙にぶよぶよとした質感が感じられた。

ジャッジの名前が字幕に表示される。

 

「ドルルマン=フォグ」

 

その名を呟いた勇次郎は、どこか満足気に、片頬を歪めて笑った。

 

「この男だ」

「え~~~~~ッッ!!?」

 

 

※

 

 

 

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