グラップラー刃牙 BLOOD & BODY   作:MUMU

21 / 25
第21話

ドルルマンは、脇腹を押さえ、汗を浮かべ。

口元を噛み締めながら、地面についた自分の痕跡を。

自分の移動により刻まれた、大地の深い溝を見つめている。

 

「――馬鹿な」

 

生命科学の範疇を超越しつつある科学者も、

物理法則すら超越したその現象に、焦りの色を見せる。

その目が、思考と狼狽の混ざった色に濁る。

 

――なぜ、たかだか100キロ前後のこの男に。

――私が動かされる。

――しかも、相当に緩和させているとはいえ、痛みまで。

 

「すっ……」

 

加藤清澄が、

そしてすべての観客が、数秒ほど遅れて歓声を上げる。

手を突き上げて叫ぶ。

手を叩いて賞賛する。

 

「すげえ!! すげェぜ、さすがオーガだ!!」

「おおおォォッッ!!」

「オーーーガッッ!!」

「オーガッ! オーガッッ!!」

「――さっ、さすがじゃ勇次郎。やはり地力でも、ドルルマンにダメージが通りおるぞ!!」

 

無数の試合を見てきた徳川老人ですら、そのように理解せざるを得ない。

 

「……」

 

だが、寂海王だけは、今の「現象」を測りかねていた。

 

「武」の世界に、魔法はない。

 

格闘家とは、徹底したリアリストでなければならない。

確かに、郭海皇――

あの人物の技はもはや魔法の近似にしか見えぬ。

しかしそれとても、技術の延長なことには間違いがない。

周囲が浮足立つ中、寂海王だけは、今の攻防をじっと思い返していた。

 

――あれは

――ドルルマンの拳が勇次郎氏の体にめりこんだ

――そう、先ほどと同じ、

――拳があたってから回避するかのような、わずかに遅れて見えるような回避。

――そして、体を反転させ、

――回転しつつ脇腹に回し打ち、そこまでは分かる。

 

気になることは、打撃の一瞬。勇次郎の体がピタリと静止したように見えたこと。

 

その勇次郎が踏み込む。

ゆっくりと大股に、

右足を左前に、回転しつつ左足を右後方に、

千鳥足を踏むように、めちゃくちゃな足取りで進む。

 

「――く」

 

ドルルマンも初めて腰を深く落とす。

脚を前後に開き、地に足を、文字通りめり込ませながら構える。

硬い赤土で固められた芝に、ドルルマンが超重量の足を沈ませる。

その安定性、

鉄杭を打ち込んだ砲台のごとく。

腰だめに構えた右正拳。

勇次郎が倒れかかるように迫る。

 

右拳が放たれる。

 

大木すらなぎ倒す威力を秘めた正拳が、勇次郎に触れ、

一瞬、確かにその顔面を撃ちぬくかに見え、

勇次郎の体がずるりと粘性を持って動く。

体が右下方に流れる。

流体のように下方に回避している。

空気に焦げるような臭いが生まれ、

勇次郎の体がぐるりと回転。

ドルルマンに一瞬だけ背中が見える。

一回転以上もの回転を伴う、酔漢の踏み込み。

胴回しとともに裏拳が、ドルルマンの腹部に、

触れ。

勇次郎の全身が剛直し――。

 

――呑ッッッッ!!!!

 

「――ガッッ!」

 

一瞬、全員がそれを認識する。

800キロを超えるはずのドルルマンの体が。

その両足が、地を離れている。

巨砲が、城が、戦艦が浮くかの如き眺め、

 

ずん、と重厚な音とともに着地。

そして右膝が地に付く。

 

腹部に生まれた信じがたい衝撃。

口の端から体液が流れ落ちる。

 

「――そんな、ことが」

 

それは、おそらくはドルルマン自身すら想定していなかった、明確なダメージ。

その痛みに、未知なる衝撃に、百年を生きた老科学者が震える声を漏らす。

 

「あ、あれは……」

 

寂海王が、二度目となる不可思議な打撃を見て、今度こそ正体を見極めようと思考を巡らす。

 

――剛直だ。

――確かに打撃の際、勇次郎氏が全身の筋肉を固めていた。

――寸勁か、

――あるいは、剛体術

――いや、そうか、あれは……

 

「……そうか、ビリヤードです」

 

ふいに、そんな言葉をつぶやく。

そのあまりにも唐突な単語に、徳川老人らが寂のほうへと振り向く。

 

「ど、どういうことじゃ??」

「勇次郎氏の打撃の正体です。

徳川さん、日本には剛体術と呼ばれる概念があるそうですね?」

「うむ……近代空手に概念としてのみある言葉……だそうじゃがの」

 

打撃の際、人間の体はエネルギーを伝えようとすると同時に、打撃によるショックを吸収しようとする。

手首、肘、肩、

そして全身の肉と関節が緩衝材となり、打撃を吸収する。

それに逆らい、インパクトの瞬間、関節を固め、全身の肉を硬化させることによって、伝えるエネルギーを最大にする。

それが剛体術の概念である。

 

「その極限がビリヤードなのです。徳川さん、ビリヤードの的球に、手球を真正面から当てた場合、どうなりますか?」

「そ、そりゃあ勿論、的球が吹っ飛んでいくし、手球は……あっ」

「そうです、手球はその場に静止する。ほぼ完璧に正面を捉えた場合、手球は自分の持つ運動エネルギーをすべて使い切り、その場に止まるのです」

「な、なるほどのォ……

そういえば打撃の時、勇次郎の体が固まったように見えたが……」

「そうです、インパクトの際に全身を固めて、体重をすべて打撃に乗せているのです」

 

――だが、

――それでは半分だ

 

そうだ、たとえ剛体術でも、ドルルマンの超重量を吹き飛ばすほどの威力は得られない。

何かもっと、根本的に、

強烈な加速度を生み出している要素があるはず。

 

戦況は傾きつつあった。

ドルルマンは勇次郎の手足を払おうと身をかわし、あるいは迫り来る手足を撃ち落とそうとする。

しかし勇次郎の動きはまるで紙人形のごとし、

打撃をずるり、とすり抜けてその内側に踏み込み、腹部に肘を。

爆発の如き衝撃。

体が浮く。光が弾ける。

打撃の音が城門にぶち当たる破城槌の如く。

反吐を吐きながら後退するドルルマンにさらに追いすがる。

不可思議な打撃にドルルマンがはっきりと焦りの色を浮かべる。

この漢は、ドルルマンにすら理解しがたい打撃を放つ。

 

ならば、その体を掴んで引き裂いてやろうと、

手を開き、その太い十指を突き出す。

 

勇次郎が身をかわしつつ深く踏み足を入れ、手の甲に、下腕部に側頭部をつけるように滑りこむ。

体を回す。

腕に沿って回転しながら踏み込む。

踵が地をえぐる。

そして上腕部をドルルマンの顔に押し当て。

超打撃が、弾ける。

 

豪。

 

全身に爆薬を仕込んでいるかのような、音と衝撃。

その眺めに、ジャックも、加藤清澄も息を呑む。

そして。

 

「――そうか」

 

寂海王が、ようやく理解したという顔で声を放つ。

 

「分かったのか――?」

 

ジャックが呟く。

寂海王はうなずき、短く断言する。

 

「信じがたい技術です。あれはまさに、ハンマー投げの原理」

「はっ……ハンマー投げ??」

 

またもや唐突な言葉である。加藤清澄が頓狂な声を上げる。

 

「人間の体が生み出せる、最も鋭い加速。それは疾走や跳躍ではない、踵を軸とした回転なのです」

 

東洋に、超人と呼ばれる男がいる。

ルーマニア人のやり投げ選手を母に、東洋の鉄人と言われたハンマー投げの選手を父に持つ、伝説的な日本人選手。

おもに腕力に任せて強引に投げる競技と言われがちなハンマー投げにおいて、その選手の体格は187センチ97キロ、比較的小柄な方とされている。

だが、その100メートルスプリントは十秒台。誰にも真似のできぬ瞬発力と、高度な技術により裏打ちされた高速スピンにより、数多くの優勝歴を残している。

 

「し、知っとるぞ、その選手は確か……」

 

徳川老人が言いかけようとするが、寂海王は己の考えに没入しているかのように、構わず言葉を続ける。

 

「7.26キロものハンマーを80メートル以上も投げる競技です。

投擲の瞬間、ハンマーが有している力は実に400キロ以上。

遠心力により外側に吹き飛ぼうとするハンマーを、強烈な背筋力と腕力によって引きつけつつ、的確なタイミングで投げるのです。

このとき、ハンマーの初速は秒速30メートル近くにまで達するといいます」

「う、うむ……」

「踵を軸に回転することにより、人間はそれほどの力をハンマーに乗せることができるのです。それは最大で3500から4000ニュートン。体重の4倍と言われています。そしてもちろん、範馬勇次郎氏の身体能力、筋力は、ゴールドメダリストを超越する。

そして、その衝撃力を受け止めるために、拳をダイヤモンドのように強く握り固めている――」

「じゃ、じゃあよ、まさか、あの酔拳は――」

 

加藤清澄の顔面が驚愕に固まる。

そう、あの酔拳は見せ掛けの動きではない。

あの揺れるような動き、

よろめくような回転、

ドルルマンの拳を受けて、

あるいは足をもつれさせて転ぶような動きの、回転。

 

それがすべて、

 

加速、

 

だとしたら。

全ての動きが、一連の加速動作として組み込まれているとしたら。

 

「……それだけでは、ありません」

 

視界の先で、ドルルマンが大きくのけぞる。

体液を吐いて飛ぶ。

驚愕に強張る顔を勇次郎の拳が覆う。

そして爆圧と見まごうほどの衝撃の伝播。

 

「加速の間、勇次郎氏の肉体は恐ろしいまでの柔軟性を見せている。関節がなくなるどころか、骨すらも溶けるほどの」

 

ドルルマンが踏みとどまる。

眼から虹彩が消え、激烈な憤怒が宿る。

右腕のシルエットがかき消える。

銃撃のごとき右拳が疾る。

 

拳は勇次郎にめり込み、肉を歪ませ、

ずるり、と

勇次郎の体が流れ、拳にそって回転。

そして一撃が――。

 

「信じがたい――そんな回避が現実にありうるとは」

「お、おい、どーゆうことだよ、説明してくれよ」

 

加藤清澄が声を荒げる。

寂海王はそちらに視線をやり。

 

「――あくまで、推測の話ですが」

 

と前置いて話す。

 

「あれは正確には回避ではない。ドルルマンの拳は間違いなく勇次郎氏に接触している。

紙一重というわけではない。

拳が勇次郎氏の顔面を捉え、撃ち抜かんとする瞬間に致命傷だけを避けているのです」

「どっ……どーいうことだ???」

「あれは反射です」

 

人間が、危険を察知してから動き出し、回避を終える時間はおよそ0.5秒。

それは、ゼロから反応しているためである。

視覚や聴覚で危険を察し、その回避法を考え、行動に移す。

この考える、という時間こそが最大のタイムラグを生む。

しかし、人体にはもっと素早い反応がある。

 

それが反射。

 

熱い器に手が触れた時、人間は瞬間的に身を引く。

その反応は脳を経由しない。

指先で伝わった反応が、過剰な電気信号となって腕全体に伝播し、

すべての筋肉を瞬間的に縮めることによって、「手を引く」という「結果」を引き出す。

 

「ボクシングの世界においても、パンチを受けた瞬間に反射的に首の関節をこわばらせ、頭を後方に引いて脳の揺れを抑えることでダメージが軽減する。そのような反射的な防御が存在すると言われています。

歴代のチャンプの中でもごく数人の、特異な反応速度を持つ選手。

それも、人生の絶頂期とも言えるほんの一時期、パンチを受けてから体が反応した、そのような証言が見られます。

つまり、勇次郎氏のあの回避は」

「――?」

「感覚の全てを皮膚に集中させ、拳が当たる位置、角度、それに対する適切な体の動き、

それらを全て、無意識下にインプットしているのです!」

「なっ!?」

 

右頬に正拳。

全身が左側に流れようとする反射に染まる。

ずるり。

振り抜かれる刹那の瞬間。

拳の側面へと、

体が流れる。

その動きは流体の如く。

回転。

その体捌きは長腕を振るう投石機のごとく。

握。

その握りは鋼鉄球のごとく。

 

回避、加速、そして打撃。

どれ一つとっても人間業ではない。

その神技の三重奏が、ドルルマンの黄金の肉すらも――動かす。

 

「もしドルルマンがプロの格闘家であれば、こうはいかなかった」

 

その推測が確信へと深まるに連れ、寂海王の語り口は熱を帯びていく。

 

「ジャッジとして格闘家を研究したようですが、しょせんは素人。

その打撃は速いものの直線的、

狙う場所も胸部や頭部など、分かりやすい急所ばかり。

ならばこそ、あのような、

側面に回り込むような回避が成立するのです。

もっとも、勇次郎氏以外がやろうとしても、頭を吹き飛ばされて終わりでしょうが……」

「つ、つまり、打撃をある程度受けて、その上で回避しとるのか?」

「そうです。肉体的なダメージも皆無ではない。それでもなお、目で見て回避するよりは早いと判断した」

「信じられんことするのォ……」

「しかも、回避によって体が流れることすらも加速の一部に取り入れている」

 

語る寂海王もまた、自分の言葉が信じられないという顔である。

今の攻防は、人智を超えた技術の結晶。

普段の勇次郎の戦い方ではない。

 

それは、勇次郎が強者であるため。

世界において、範馬勇次郎にあらざる全てがあまりにも弱いため。

 

だから、技を使わぬ。

だから、奇策を用いない。

 

(――では、今のドルルマンは)

(勇次郎氏が、技を使うほどの相手だと認識した、ということか)

(確かに、ピクルに対して合気を見せたことはあった……)

 

拳。

裏拳。

肘。

上腕側撃。

 

その全てが、光の炸裂を伴ってドルルマンを圧倒する。

 

「――ガアアアァッッ!!!!!」

 

ドルルマンが叫ぶ、腕を振り上げ、掴みかかろうとする老科学者の懐へ、身を低くして潜り込む。

そして両拳を突き出し、腹部に当て。

回転を、踏み込みを、全身の剛直を。

その瞬間、勇次郎の肉体は二列の破城槌へと変わり――

 

弩ッッッ!!!

 

一瞬、ドルルマンの背中が風船のように膨らんで見える。

拳が背後へ抜けるほどの強烈な双拳併打。

膝が落ちる。

ドルルマンがくずおれる。

数百キロもの荷重を載せた拳が、さしもドルルマンの肉体すら滅ぼさんとしている。

 

想像すらしていなかった衝撃と痛みに、ドルルマンの顔から体から、体液が流れている。

それは果たして汗か、涎か、それともそれに類似する何か人工的な成分なのか。

 

「――フン」

 

勇次郎とても万全な姿、というわけではない。

その頬にはヤスリを掛けた材木のように、痛々しい裂傷が刻まれている。

胴にも顔にも、内出血の青痣が浮き出ている。

骨や内臓すらも無傷ではあるまい。

ドルルマンの拳を、接触によって感知するあの回避。

常人ならば回避するどころではない。

そのまま、接触部分だけを削ぎ落とされるほどの打撃だったのだ。

 

だが、いま立っているのは勇次郎。

膝を屈したのはドルルマン。

誰にでも分かる、シンプルにして絶対の図式。

 

頭がより高い位置にある方が、勝者――。

 

加藤清澄が、周囲に確認するかのように言葉を放つ。

 

――勝ったのか?

 

一瞬、観衆もそれを信じかけた。

勇次郎が、言葉を放つ。

 

「――もういいだろう」

 

空気が弛緩し始める。

安堵と賞賛の入り混じった気配。

今にも全員が両手を突き上げ、腹の底からの叫びをあげようとした刹那――。

 

勇次郎の言葉が、それを止める。

 

「――そろそろ」

 

 

 

 

 

「本気を見せろ」

 

 

 

 

 

(――!!)

 

驚愕したのは、もちろん寂海王だけではあるまい。

 

――まさか。

――まだ、これ以上が、あるというのか。

 

「すべてを出し切っている者の眼じゃねェ」

 

体からゆらりと熱気を上げつつ、勇次郎が歩く。

 

「まだ何か、あるんだろう?」

「ふ……」

 

ドルルマンは、奇妙に引き歪んだような顔で勇次郎を見て、

ゆらりと煙のように立ち上がり、

一瞬、口角を少しだけ左右に引き上げ、口の端を奇妙に歪める。

寂海王は、かなり後になって、

あれは、ほとんど表情すら失ったドルルマンが見せた、皮肉げな笑いだったのだと理解する。

 

次の瞬間。

ドルルマンが、片足を上げる。

 

「――何だ?」

 

疑念の呟きを漏らすのは加藤清澄である。

恐ろしいまでの柔軟性、というよりは、関節が球体ででもあるかのように、見事に真上に跳ね上がった足、

その脚が、瞬間。世界から消失する。

 

――嚴ッッッッ!!!!

 

「――ヒッ」

「――うわァッ!!」

 

その途轍もない轟音に、観客は瞬間的に手で体をガードしようとする。

まさに弾速の如き勢いで振り下ろされる脚。

そしてドルルマンの脚は、まさに鉄塊そのもの。

それがどれほどの威力を生んだものか。

もうもうと土煙が上がっている。

 

それが晴れる頃。

ドルルマンは、あの不気味な大男の姿はどこにも見えない。

 

そこは庭園の中央付近。

石畳の道に囲まれた、小さな正方形の芝に、巨大な大穴が空いている。

それは地下に存在する空洞のようだった。

ドルルマンが蹴り足の振り下ろしにより、地下空間の天板を突き破ったということか。そしてそこに逃れたと。

 

「――フン」

 

その穴は、底も見えない。

何やら風のうなりのようなものが聞こえるが、中の様子は窺えない。

 

 

 

 

勇次郎は一秒の間も置かず、

その闇の中へと、身を躍らせた。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。