グラップラー刃牙 BLOOD & BODY   作:MUMU

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第22話

 

 

それは天然の洞窟ではなく、明らかに人工的に作られた空間であった。

大地を貫く縦穴は狭く、その断面はほぼ正方形であり、壁面はコンクリートで固められている。本来は排気口か、エレベーターでも取り付ける予定があったのか。

 

そこを降りていく。

重力に身を任せながら、

不敵に闇の底を見下ろし、壁面に手を当てながら降りる。

 

そして、十数秒。

 

勇次郎の瞳孔が絞られる。

闇色の筒の中でその底を捉え、口角から牙のような犬歯がのぞく。

 

蹴撃、

壁面を蹴り反対方向にベクトルをかける。

硬いコンクリートの壁面に背中からぶち当たり、体を丸めて肩、背中、腰部を順に壁面に這わせる。

そして地面と接触。

つま先から地面に降りて体を横倒しに、そして膝側面、大腿部、再び腰部、背筋、肩甲骨へと順に接地させていく。

 

重力分散型着地。

 

パラシュート降下技術の一つであり、足から順番に、転がるように体を接地させていくことで荷重を分散させる着地法。

勇次郎は壁面を利用することで、着地の前段階からそれを開始する。

勇次郎の判断力と感性の前では、L字状の空間はなだらかな坂道とほぼ同義。

肉体の中で丸みを帯びた部分だけを、壁面から床に、床から更に進行方向へと連続的に荷重をかけていく。

下へと向かうベクトルは横向きになり、体を転がす力へと変換される。

 

だん、

と最後にひときわ大きな音がした時、勇次郎は何事もなかったかのように、暗闇の中に直立していた。

 

勇次郎の前方には通路が伸びている。

 

その奥には明かりが見える。

通路の壁面に据えられた蛍光灯が、灰色の光を放っている。

 

勇次郎が歩みを進める。

悠然と、花道を進むレスラーのように堂々とした足取りで。

落ちてきた縦穴の上で大勢が騒いでいたが、それも次第に遠くなっていき、やがて消えた。

 

通路は広く、そして長く長く続いていた。

一定間隔で灯される蛍光灯が、勇次郎の体に複雑な印影を刻む。

 

――

 

何か。

通路の奥から、聞こえてくる。

 

それはドルルマンの声。

あの独特な、生ゴムを通して話すようなくぐもった声だ。

 

――とは

 

――

 

――おかしいとは、思わなかったかね?

 

勇次郎はその声を聞いているのかいないのか、ただ黙々と歩き続けるのみ。

その声は通路の奥から響くのか、あるいはどこか虚空から霊体の声のように響くのか、それすらも曖昧である。

 

――あの時、

 

――なぜ私の肉体が、1527日と4時間後に完成する、と言ったのか。

 

――私の実年齢は、112歳。

 

――しかし、あの時、

 

――わたしが、そのような老人に見えたかね?

 

――

 

――そう、完成していたのだよ、

 

――すでに私は、黄金の肉を、

 

――不死の肉体を、手に入れていた。

 

――では、私の肉体は、

 

――何をもって、完全となるのか?

 

それは空気の震えであったのか。

あるいは勇次郎の脳内に、何らかの方法で送り込まれた言葉なのか。

 

――私は、極微小のユニット群により、

 

――ブロック細工のように、自在に操れる肉体を考案した。

 

――すべてのユニットが、あるときは硬質に、あるときは柔軟に結びつき、

 

――思考回路や、内燃機関までも模倣する、万能の肉。

 

――そして私は、生物として強さ、頑健さを求めるため、

 

――より比重の大きな原子を、その素材として求めた。

 

――原子価を操作し、

 

――導電素と非導電素によってユニットを形成し、

 

――あらゆる分子的な連結を可能とする、

 

――万能の肉を。

 

視界が開ける。

 

巨大な部屋である、旅客機が丸ごとひとつ収まりそうなほど。

中央に立つのは、ドルルマン=フォグ

床から幾つものチューブが伸び、肩や背中に接続されている。

半透明のチューブの中を、コロイド状の液体が送り込まれている。

 

その部屋はまばゆい光に満ちている。

見渡す限りを貴金属の輝きが埋めている。

 

それは、あるいは古代の遺物。

足の踏み場もないほどの、金の盃、金の指輪、首飾り、ティアラ、

ずらりと並べられた木製の人形が着るのは、黄金の鎧、黄金のデスマスク

捧げ持つのは宝石の嵌めこまれた槍、着こむのはエメラルドと金の板が編み込まれた鎧、

そして無造作に散らばる金の延べ板。

 

そして部屋の四隅には、山のように積まれた金貨。

家がひとつ、丸ごと隠れるほどの、巨大な金貨の山がそびえている。

 

煉瓦のような純金のインゴットが、壁を築くほどに積み上げられ、

黄金の輝きが、部屋を満たしている――

 

「かつて1530年頃――、

インカ帝国へと攻め入ったスペイン軍は、アタワルパという王を囚え、幽閉した。

兵力において劣るスペイン軍は、アタワルパ王を傀儡とすることで、インカ帝国を牛耳ろうと考えたわけだが……」

 

ドルルマンの声は冷静さを取り戻している。

揺るぎなき自信に満ち、すべてを見通す森の大樹のような、威風堂々たる態度である。

 

「アタワルパ王はひとつの提案をした。もし私を開放してくれるなら、大広間をいっぱいにするほどの黄金を与えてやると。

スペイン軍を率いるフランシスコ・ピサロは半信半疑であったが、その申し出はすみやかに履行され、またたくまに部屋いっぱいの黄金が集められたという――」

 

「……」

 

「――しかし皮肉なことに、その黄金の山がピサロの欲望を励起させてしまった。そのクアルト・デル・レスカテ(身代金の部屋)にもまるで満足せず、結局はインカ帝国のすべてを破壊し尽くしてしまった――」

 

無造作に金貨の山を拾い上げ、がらがらと重たげな音をたてて指の間からこぼす。

その眺めはまさに黄金の海。

見渡す全てが黄金に輝き、乱反射する光が眼前を満たす。

あらゆる時代、あらゆる形態の装飾品、金貨、そして地金、

黄金にかぎらず、宝石やプラチナ、芸術品としての価値が地金の価値を上回るものも少なくはない。

その眺めは龍の巣穴か、海賊の聖域か――。

 

「黄金とは価値の象徴であり、欲望の度量でもある。より大きな欲望を持つものが、多くの黄金を独占する。それもまた一つの道理であり、帰結。

――私の欲望は、それなりに巨大と言えるようだ」

 

「はっ、周りくどいことを――」

 

勇次郎が吐き捨てるように言う。

 

「キサマの肉体が、黄金で出来ていると言いたいだけだろう」

「その通りだ」

 

どっ、

そんな重厚な足音がする。

ドルルマンの外見はさほど変化していない。

しかし、勇次郎へと歩みを進めるその一歩が、強化コンクリートの床を踏みしめるその足音が、先ほどとは比較にならないほどの重量感を備えている。

 

「通常の人間ならば、私程度の体格で体重は120キロ前後。この体を、19.30の比重を持つ金に置き変えるために、大変な苦労があったのだよ」

 

ドルルマンは過去の艱難辛苦を偲ぶというよりは、ごく淡々と、何かの義務であるかのように語る。

 

「私の開発した黄金の肉。万能性を持つマイクロユニットは、純度の高い黄金から40:1の割合で生成される。この体を完成させるためには、技術力や発想力よりも、何よりも時間が必要だった。経済学も私の専門とはいえ、極秘裏にこれだけの金を集めるのは容易ではなかったのだよ。

私が収集した金は現在の流通レートで約50億ドル……生成できたユニットは……」

 

その背中から、肩から、全てのチューブが抜け落ち、

コロイド状の金が、泥となって地面に撒かれる。

 

「約2300キロ……というところか」

「はっ……やけに饒舌になったじゃねェか」

 

勇次郎はあえて悠々と歩を進める。

 

「今まではスカスカだった、ってことか」

「少し違うな――まだ有機細胞の占める部分が多かったのだよ。黄金の肉の純度を高めるほどに、通常の生命活動は不要になっていく。

私はもはやリンゴをかじる必要もないし、

今は呼吸も、排泄も、眠りも――勝利に打ち震えるような感動も、遠ざかる――」

 

右腕を。

不自然に膨れているのは以前と変わらないが、もっとずっと確かな重量感を備え、必殺の威力を秘めた右腕を、高々と構え、

 

勇次郎が無言にて気迫を充実させ、無意識下のレベルで身構え、

 

ドルルマンの手が、

ゆっくりと動き、

 

勇次郎の脇腹に、

 

触れる。

 

「――へっ」

 

勇次郎は、頭を軽くもたげてつぶやく。

 

「――バレたか」

 

次の瞬間。

勇次郎の体が超高速で弾かれる。

一瞬で高速列車のごとき速度まで加速される肉体。

その体は縦回転しながら吹き飛び、

金貨の山を波を蹴立てて吹き散らし、

どばあん、とコンクリートの壁に激突する。

 

細かくひび割れた壁面から、石辺がパラパラとこぼれ。

 

「ガッ……」

 

勇次郎の口から、濁った声が漏れる。

 

――あの驚異的な回避。

ドルルマンの腕にそって回転するような動き。

回転を利用した加速と打撃。

 

それらに共通することは、

カウンター技、ということ。

 

素人であるがための直線的な打撃、

顔面という王道的な狙い。

それゆえに浸け込む隙があった。

 

しかし、ドルルマン=フォグ

地上最「知」なるもの。

その原理に、対応に、いつまでも気づかぬはずはない。

 

異端の回避には、異端の戦術。

回避されるのならば、体に直接触れてから攻撃すれば良い。

打撃が回避されるなら、投げれば良い。

ドルルマンの圧倒的なまでのパワーあればこそ可能な技。

いや、もはや技とすら呼べぬ。

極大のパワーで、超越の肉体で、ただ虫をはたくように破壊するのみ

 

ドルルマンが跳ぶ。

2トンを超す巨体で、かるく十数メートルを滞空する。

金貨の山の頂で、壁に縫い付けられたような姿勢の勇次郎へと。

そして重量数百キロの右足が伸ばされ、その胸を撃ち抜く――

 

かと思われた瞬間。その脚が胸部にすいと触れ。

 

――

 

番ッッッッ!!!

 

勇次郎の肉体が、コンクリート壁に10センチほども押し込まれる。

巨大な強化コンクリートの壁が一気にひび割れ、破砕の波が広がり。

確実な手応えがドルルマンの脚に伝わり、

 

がっ、

ドルルマンの手が勇次郎の頭部を掴み、ぶんと腕を振る。

一瞬後には勇次郎の体は高々と放り投げられる。

天井までの高さは約30メートル。この巨大な部屋の中で、勇次郎の肉体が奇妙な浮遊感を持って宙を舞うかに見え。

 

ざんっ

ドルルマンが金貨の山の中に腕を突き刺す。

鈍色に光る古代のコインの山。そのはるか奥に腕を付き入れ、

そして引き抜かれるとき、周囲のコインが水のようにざざざと音を立てて盛り上がる。

 

それは車。

 

どのような道楽で作られたのか、

どのような経緯を経てドルルマンの手に渡ったのか

ボディのほとんどを24金で造られたリンカーン・コンチネンタルが金貨の山より引きぬかれ、

内部にぎっちりと詰まっていた金貨が、指輪が、宝剣が、装身具が、インゴッドがその重量で窓を割りつつ流れ出し。

 

その黄金の塊が力任せに投擲される。

内部にまで黄金を充填させ、もはやどれほどの重量に達しているのかも分からぬ車体が、空中で勇次郎をとらえ、

金貨を光の粒となって撒き散らしながら壁に激突する。

 

――ッッッッッ!!!!!!

 

空間全体を震わすほどの轟音。

リンカーンがドルルマンに腹を向け、コンクリートにめり込み、

その下部ではフロント部分が床を向き、数センチ浮いて止まっている。

あらゆる場所から黄金が滝のように流れている。

 

大股で、半ば跳躍するような歩みでドルルマンが往く。

ばん、と、音速の壁がやすやすと引き裂かれる音。

壁面にめり込むリンカーンに、破滅的な勢いを乗せた右正拳が叩き込まれる。

豪。

くもの巣状に走る亀裂が更に広がり、石片と土と黄金が散らばり、

金貨が床を転がり、離れた場所で黄金の鎧が倒れ。

リンカーンの車体がくの字に圧し曲がって更に奥へと押し込まれる。

 

24金製のリンカーンとはいえ、当然その下回り部分はスチール製。

そこへ二撃、三撃。

やがて雨のような乱打へ。

 

ドライブシャフトが切断され、

 

配管が圧し潰され、

 

フレームがねじ曲げられ、

 

エンジンオイルが噴き出し、

 

アンダーカバープレートが易易と引き剥がされる。

 

内部の宝飾品が変形した状態で飛び出し、

周囲の壁面ががらがらと崩れて、なおも止まらぬ。

艦砲射撃のごとき威力を載せた一撃が、その重厚なる轟音が、

無限に折り重なるように響き渡る――。

 

 

 

 

 

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