それは天然の洞窟ではなく、明らかに人工的に作られた空間であった。
大地を貫く縦穴は狭く、その断面はほぼ正方形であり、壁面はコンクリートで固められている。本来は排気口か、エレベーターでも取り付ける予定があったのか。
そこを降りていく。
重力に身を任せながら、
不敵に闇の底を見下ろし、壁面に手を当てながら降りる。
そして、十数秒。
勇次郎の瞳孔が絞られる。
闇色の筒の中でその底を捉え、口角から牙のような犬歯がのぞく。
蹴撃、
壁面を蹴り反対方向にベクトルをかける。
硬いコンクリートの壁面に背中からぶち当たり、体を丸めて肩、背中、腰部を順に壁面に這わせる。
そして地面と接触。
つま先から地面に降りて体を横倒しに、そして膝側面、大腿部、再び腰部、背筋、肩甲骨へと順に接地させていく。
重力分散型着地。
パラシュート降下技術の一つであり、足から順番に、転がるように体を接地させていくことで荷重を分散させる着地法。
勇次郎は壁面を利用することで、着地の前段階からそれを開始する。
勇次郎の判断力と感性の前では、L字状の空間はなだらかな坂道とほぼ同義。
肉体の中で丸みを帯びた部分だけを、壁面から床に、床から更に進行方向へと連続的に荷重をかけていく。
下へと向かうベクトルは横向きになり、体を転がす力へと変換される。
だん、
と最後にひときわ大きな音がした時、勇次郎は何事もなかったかのように、暗闇の中に直立していた。
勇次郎の前方には通路が伸びている。
その奥には明かりが見える。
通路の壁面に据えられた蛍光灯が、灰色の光を放っている。
勇次郎が歩みを進める。
悠然と、花道を進むレスラーのように堂々とした足取りで。
落ちてきた縦穴の上で大勢が騒いでいたが、それも次第に遠くなっていき、やがて消えた。
通路は広く、そして長く長く続いていた。
一定間隔で灯される蛍光灯が、勇次郎の体に複雑な印影を刻む。
――
何か。
通路の奥から、聞こえてくる。
それはドルルマンの声。
あの独特な、生ゴムを通して話すようなくぐもった声だ。
――とは
――
――おかしいとは、思わなかったかね?
勇次郎はその声を聞いているのかいないのか、ただ黙々と歩き続けるのみ。
その声は通路の奥から響くのか、あるいはどこか虚空から霊体の声のように響くのか、それすらも曖昧である。
――あの時、
――なぜ私の肉体が、1527日と4時間後に完成する、と言ったのか。
――私の実年齢は、112歳。
――しかし、あの時、
――わたしが、そのような老人に見えたかね?
――
――そう、完成していたのだよ、
――すでに私は、黄金の肉を、
――不死の肉体を、手に入れていた。
――では、私の肉体は、
――何をもって、完全となるのか?
それは空気の震えであったのか。
あるいは勇次郎の脳内に、何らかの方法で送り込まれた言葉なのか。
――私は、極微小のユニット群により、
――ブロック細工のように、自在に操れる肉体を考案した。
――すべてのユニットが、あるときは硬質に、あるときは柔軟に結びつき、
――思考回路や、内燃機関までも模倣する、万能の肉。
――そして私は、生物として強さ、頑健さを求めるため、
――より比重の大きな原子を、その素材として求めた。
――原子価を操作し、
――導電素と非導電素によってユニットを形成し、
――あらゆる分子的な連結を可能とする、
――万能の肉を。
視界が開ける。
巨大な部屋である、旅客機が丸ごとひとつ収まりそうなほど。
中央に立つのは、ドルルマン=フォグ
床から幾つものチューブが伸び、肩や背中に接続されている。
半透明のチューブの中を、コロイド状の液体が送り込まれている。
その部屋はまばゆい光に満ちている。
見渡す限りを貴金属の輝きが埋めている。
それは、あるいは古代の遺物。
足の踏み場もないほどの、金の盃、金の指輪、首飾り、ティアラ、
ずらりと並べられた木製の人形が着るのは、黄金の鎧、黄金のデスマスク
捧げ持つのは宝石の嵌めこまれた槍、着こむのはエメラルドと金の板が編み込まれた鎧、
そして無造作に散らばる金の延べ板。
そして部屋の四隅には、山のように積まれた金貨。
家がひとつ、丸ごと隠れるほどの、巨大な金貨の山がそびえている。
煉瓦のような純金のインゴットが、壁を築くほどに積み上げられ、
黄金の輝きが、部屋を満たしている――
「かつて1530年頃――、
インカ帝国へと攻め入ったスペイン軍は、アタワルパという王を囚え、幽閉した。
兵力において劣るスペイン軍は、アタワルパ王を傀儡とすることで、インカ帝国を牛耳ろうと考えたわけだが……」
ドルルマンの声は冷静さを取り戻している。
揺るぎなき自信に満ち、すべてを見通す森の大樹のような、威風堂々たる態度である。
「アタワルパ王はひとつの提案をした。もし私を開放してくれるなら、大広間をいっぱいにするほどの黄金を与えてやると。
スペイン軍を率いるフランシスコ・ピサロは半信半疑であったが、その申し出はすみやかに履行され、またたくまに部屋いっぱいの黄金が集められたという――」
「……」
「――しかし皮肉なことに、その黄金の山がピサロの欲望を励起させてしまった。そのクアルト・デル・レスカテ(身代金の部屋)にもまるで満足せず、結局はインカ帝国のすべてを破壊し尽くしてしまった――」
無造作に金貨の山を拾い上げ、がらがらと重たげな音をたてて指の間からこぼす。
その眺めはまさに黄金の海。
見渡す全てが黄金に輝き、乱反射する光が眼前を満たす。
あらゆる時代、あらゆる形態の装飾品、金貨、そして地金、
黄金にかぎらず、宝石やプラチナ、芸術品としての価値が地金の価値を上回るものも少なくはない。
その眺めは龍の巣穴か、海賊の聖域か――。
「黄金とは価値の象徴であり、欲望の度量でもある。より大きな欲望を持つものが、多くの黄金を独占する。それもまた一つの道理であり、帰結。
――私の欲望は、それなりに巨大と言えるようだ」
「はっ、周りくどいことを――」
勇次郎が吐き捨てるように言う。
「キサマの肉体が、黄金で出来ていると言いたいだけだろう」
「その通りだ」
どっ、
そんな重厚な足音がする。
ドルルマンの外見はさほど変化していない。
しかし、勇次郎へと歩みを進めるその一歩が、強化コンクリートの床を踏みしめるその足音が、先ほどとは比較にならないほどの重量感を備えている。
「通常の人間ならば、私程度の体格で体重は120キロ前後。この体を、19.30の比重を持つ金に置き変えるために、大変な苦労があったのだよ」
ドルルマンは過去の艱難辛苦を偲ぶというよりは、ごく淡々と、何かの義務であるかのように語る。
「私の開発した黄金の肉。万能性を持つマイクロユニットは、純度の高い黄金から40:1の割合で生成される。この体を完成させるためには、技術力や発想力よりも、何よりも時間が必要だった。経済学も私の専門とはいえ、極秘裏にこれだけの金を集めるのは容易ではなかったのだよ。
私が収集した金は現在の流通レートで約50億ドル……生成できたユニットは……」
その背中から、肩から、全てのチューブが抜け落ち、
コロイド状の金が、泥となって地面に撒かれる。
「約2300キロ……というところか」
「はっ……やけに饒舌になったじゃねェか」
勇次郎はあえて悠々と歩を進める。
「今まではスカスカだった、ってことか」
「少し違うな――まだ有機細胞の占める部分が多かったのだよ。黄金の肉の純度を高めるほどに、通常の生命活動は不要になっていく。
私はもはやリンゴをかじる必要もないし、
今は呼吸も、排泄も、眠りも――勝利に打ち震えるような感動も、遠ざかる――」
右腕を。
不自然に膨れているのは以前と変わらないが、もっとずっと確かな重量感を備え、必殺の威力を秘めた右腕を、高々と構え、
勇次郎が無言にて気迫を充実させ、無意識下のレベルで身構え、
ドルルマンの手が、
ゆっくりと動き、
勇次郎の脇腹に、
触れる。
「――へっ」
勇次郎は、頭を軽くもたげてつぶやく。
「――バレたか」
次の瞬間。
勇次郎の体が超高速で弾かれる。
一瞬で高速列車のごとき速度まで加速される肉体。
その体は縦回転しながら吹き飛び、
金貨の山を波を蹴立てて吹き散らし、
どばあん、とコンクリートの壁に激突する。
細かくひび割れた壁面から、石辺がパラパラとこぼれ。
「ガッ……」
勇次郎の口から、濁った声が漏れる。
――あの驚異的な回避。
ドルルマンの腕にそって回転するような動き。
回転を利用した加速と打撃。
それらに共通することは、
カウンター技、ということ。
素人であるがための直線的な打撃、
顔面という王道的な狙い。
それゆえに浸け込む隙があった。
しかし、ドルルマン=フォグ
地上最「知」なるもの。
その原理に、対応に、いつまでも気づかぬはずはない。
異端の回避には、異端の戦術。
回避されるのならば、体に直接触れてから攻撃すれば良い。
打撃が回避されるなら、投げれば良い。
ドルルマンの圧倒的なまでのパワーあればこそ可能な技。
いや、もはや技とすら呼べぬ。
極大のパワーで、超越の肉体で、ただ虫をはたくように破壊するのみ
ドルルマンが跳ぶ。
2トンを超す巨体で、かるく十数メートルを滞空する。
金貨の山の頂で、壁に縫い付けられたような姿勢の勇次郎へと。
そして重量数百キロの右足が伸ばされ、その胸を撃ち抜く――
かと思われた瞬間。その脚が胸部にすいと触れ。
――
番ッッッッ!!!
勇次郎の肉体が、コンクリート壁に10センチほども押し込まれる。
巨大な強化コンクリートの壁が一気にひび割れ、破砕の波が広がり。
確実な手応えがドルルマンの脚に伝わり、
がっ、
ドルルマンの手が勇次郎の頭部を掴み、ぶんと腕を振る。
一瞬後には勇次郎の体は高々と放り投げられる。
天井までの高さは約30メートル。この巨大な部屋の中で、勇次郎の肉体が奇妙な浮遊感を持って宙を舞うかに見え。
ざんっ
ドルルマンが金貨の山の中に腕を突き刺す。
鈍色に光る古代のコインの山。そのはるか奥に腕を付き入れ、
そして引き抜かれるとき、周囲のコインが水のようにざざざと音を立てて盛り上がる。
それは車。
どのような道楽で作られたのか、
どのような経緯を経てドルルマンの手に渡ったのか
ボディのほとんどを24金で造られたリンカーン・コンチネンタルが金貨の山より引きぬかれ、
内部にぎっちりと詰まっていた金貨が、指輪が、宝剣が、装身具が、インゴッドがその重量で窓を割りつつ流れ出し。
その黄金の塊が力任せに投擲される。
内部にまで黄金を充填させ、もはやどれほどの重量に達しているのかも分からぬ車体が、空中で勇次郎をとらえ、
金貨を光の粒となって撒き散らしながら壁に激突する。
――ッッッッッ!!!!!!
空間全体を震わすほどの轟音。
リンカーンがドルルマンに腹を向け、コンクリートにめり込み、
その下部ではフロント部分が床を向き、数センチ浮いて止まっている。
あらゆる場所から黄金が滝のように流れている。
大股で、半ば跳躍するような歩みでドルルマンが往く。
ばん、と、音速の壁がやすやすと引き裂かれる音。
壁面にめり込むリンカーンに、破滅的な勢いを乗せた右正拳が叩き込まれる。
豪。
くもの巣状に走る亀裂が更に広がり、石片と土と黄金が散らばり、
金貨が床を転がり、離れた場所で黄金の鎧が倒れ。
リンカーンの車体がくの字に圧し曲がって更に奥へと押し込まれる。
24金製のリンカーンとはいえ、当然その下回り部分はスチール製。
そこへ二撃、三撃。
やがて雨のような乱打へ。
ドライブシャフトが切断され、
配管が圧し潰され、
フレームがねじ曲げられ、
エンジンオイルが噴き出し、
アンダーカバープレートが易易と引き剥がされる。
内部の宝飾品が変形した状態で飛び出し、
周囲の壁面ががらがらと崩れて、なおも止まらぬ。
艦砲射撃のごとき威力を載せた一撃が、その重厚なる轟音が、
無限に折り重なるように響き渡る――。
※