――なぜだ
――私に、与えてくれてもいいだろう
――なぜだ、
――私にも、不死を、不滅を
――悠久の刻を
「完全なる不老不死、無敵の肉体、その向こうには何があるのか――」
「何も」
「何もなかったのだよ」
「私は、黄金の肉で自らを置き換えた瞬間、それに気づいた」
「気づいてしまったのだよ……」
ドルルマンの声は、奇妙な憂いを帯びていた。
この世の不条理を嘆く思想家のような。
世界の終りを見通した預言者のような、
あるいは、もっとずっと魯鈍で、浅ましい嘆き。
それは、ドルルマン自身ですらそうは認められなかったかも知れぬが、
ある意味では、愚者の悔恨にも近いものだった。
「無敵とは孤独――」
「不死身とは孤独――」
「そして最強とは、どこにも行けない、ということ――」
ドルルマンが、腕を大きく振り上げる。
瞬間的にそれを加速、超重量の釣り鐘の如き威力が勇次郎を襲う。
「だから私は!」
地面がやすやすと爆裂する。
強化コンクリートを薄氷のように割り、土と石片を巻き上げる。
粉塵の中で勇次郎の体が回転する。
胴回りの回転力が足の先へと伝播し、
爪先で神域の威力を備えてドルルマンの顔面を打つ!
光が弾ける。
人口皮膜の内側で顔面に亀裂を生みながら、ドルルマンはなおも踏みとどまる。
「友である富豪を手にかけた!! 彼に『この場所』は耐えられぬ!!」
「そして私は!」
「人類を『この場所』に到達させまいとしたのだよ!!!」
ドルルマンの黄金の腕が背後に振りかぶられ、
壮絶な乱打となって前方を面的に覆う。
「人類に不死身など不要だ!」
「最強など要らぬ!」
打。
殴。
撃。
そして超重量の体当たりが重なりあう。
勇次郎は回避し、あるいは迎撃する。
全身が燃えたぎるように熱い。
限界を振り切っている反射神経の前に、予備動作の大きい乱打は意味を成さない。
「私が揺るぎない世界最強となって!!」
「『この場所』を独占するべきなのだよ!!」
音。
圧。
大気の震え。
「私だけが!!」
「科学者である私だけが!!」
「この永遠という虚無に、最強という孤独に耐えられる!!!!」
――ゴッッ!!
ドルルマンの腕と、勇次郎の腕が正面からぶつかる。
重量差にしておよそ20倍。
しかし。
指から上腕へ、上腕から肘へと。
亀裂が走るのは、
ドルルマンの腕。
「――そして、君もだ」
その手を、どこか陶然とした目で見つめ、ドルルマンが語る。
「……何だと?」
勇次郎が、初めて彼の言葉に反応するかのように、問い返す。
ドルルマンは、ひびわれた腕で、己の右目を指し示して言う。
「私の眼球……これは特別製でね……」
「電子顕微鏡並みの解像度を持ち、赤外線や電磁波すらも見ることができる……」
「君の肉体も、よく見える」
「……およそ、常人の常在菌とは思えぬ凶悪な細菌が、巣食っていることも、分かるよ」
「……ちっ」
勇次郎は、短く舌打ちをする。
「それに、これまでの戦闘……およそ、人間業とは思えない」
「肉体が頑健である、というだけではもはや説明しきれない」
「気づいているのかね、君もまた、人としての条理を踏み越えようとしていることに」
言葉が途切れかける刹那、勇次郎の脚が疾る。
ドルルマンは片膝を立ててそれを受け止める。
「寒さへの耐性なら、毛皮を持つ生物より強く」
勇次郎の右前蹴り。
全身を硬化させて耐える。
体内の一部に亀裂が生まれる。
「免疫力ならワニやゴキブリよりも強い」
咆哮とともに捻れを伴う右の紐切り。ドルルマンの頬が大きく削られる。
「放射線ですら、君を脅かすことはできないかも知れぬ」
勇次郎のすさまじいまでの連撃が、一つ一つに破壊の神を宿す技が、その黄金の肉を削ぎ、砕き、圧倒していく。
「そして、寿命――」
ドルルマンが人口皮膜の下で片頬をゆがめ、奇妙に嗤う。
「君は、あるいは時の流れにすら、勝ってしまうのかも――」
がしり、と。
勇次郎の蹴り足を捕まえる。
その瞬間。勇次郎が掴まれた脚を軸に回転。
もう片方の足が鞭のようなしなりを見せて飛び。ドルルマンの手首に激突。
すでに亀裂の入っていた手が、ガラス細工のように弾ける。
「俺を」
勇次郎は、怒気を、
内部から湧き上がるような怒気を、黒ぐろとした吐息に乗せて、吐き出す。
「憐れむか、ドルルマン」
「涙ぐましいことだ」
圧倒されているはずのドルルマンが、不意に冷ややかさを見せてそう告げる。
「強敵を探し、東奔西走」
「君の息子……だったか。明らかに君より数段弱い彼を、暖かく見守り、成長を待つ」
「黙れ」
「そこまでするほど、耐え難いのかね――
最強という名の、孤独が」
「黙れ!!!!」
大地を爆裂させながらの直蹴り。
ドルルマンの黄金の肉に沈み込み。その右腰部を、爆散させるように吹き飛ばす。
大きくバランスを崩したドルルマンが、どさりとその場に尻餅をつく。
「俺が戦いを求め、強者を求めるのは、餓えからではない」
「では……?」
「そんなことを、考えたこともねェ」
皮肉げな笑いを浮かべ、勇次郎はそのように答える。
「生きていることに、戦うことに、理由など必要ない」
「……」
「キサマが最強になりえなかったのは、俺のほうがより、強いから――」
「……」
「最強の座に、永遠の座に座るには、キサマは弱かった。それだけのことだ――」
「……ああ」
ドルルマンは、何かを深く安堵するかのように。
ゆっくりと、息を吐いた。
「そうだよ、分かっていたさ……」
「私は、孤独や永遠に耐えられるほど、強くなかっただけだ」
「無敵の肉を得ても、私の心まで、無敵になれたわけではない」
「所詮、生まれついての強者とは、違うのだな……」
ドルルマンは、範馬勇次郎を見上げる。
その高みを見つめる眼差しは、疲れきったような、あるいはもう十分に戦った、という充足のようなものが浮かんでいた。
「君ならば、あるいは耐えられるかも知れぬ」
「最強であることの重責に、無敵であることの無頼に」
「長い時間を、我ら力なき者の希望として、生きていくことも――」
「――だが」
がち、と、ドルルマン頬の内側で、小さな音がする。
即座にそれは発動する。
この巨大な地下空間の天蓋、その四隅に四角い穴があき、灰色の柱が降りてくる。
どおお、と振動とも轟音ともつかない震えが地下を満たす。
さしも勇次郎も、その異変に目を見張る。
「――これはッ!」
「――この液体が何か分かるかね?
セメントだよ。
私が調合した超早固性のポルドランドセメントだ。この空間容量であってもわずか8時間で完全に凝固する。近郊に隠された20以上のタンクから、極めて迅速にこの部屋に流れ込んでくる。
そして、この土地の土壌は比較的柔らかくてね……。
ローヌ川に通じる地下水脈が、砂岩層などが深く重層的に存在している。
この空間は、セメントの重量により自動的に沈降していく設計になっているのだよ。
そして地下で砕け、数十のセメント塊となって、自重により最大千メートルほども沈降する。地下の岩盤の一部となってしまえば、もはや見つけ出し、掘り出すことは容易ではない。おそらく現行の技術では不可能だろう」
ドルルマンは何でもない事のように淡々と語り、わずかに顎を反らせて余裕ありげに嗤う。
「私はしばらく地下で眠るとしよう。そう、誰かが私を掘り起こすまで、百年ほどね」
そのセメントはすでに足首にまで達している。一体どこにそれだけのタンクを設置していたのか。本当にこの地下空間を埋め尽くさんとする勢いでセメントの柱が流れ落ちている。
「――オーガ!!」
その時。地下空間の入り口に人影が現れる。
ようやくあの縦穴を降りきり、地下に駆けつけたのはジャック・ハンマー。
「――お仲間が来たようだな。さて、君はもうこの部屋から退散したまえ。君たちならあの縦穴を登れるだろう」
「キ、サマ――」
勇次郎は、
その顔面に、縦横に血管が走っている。
噛み締められた臼歯群が、鉄板すら引きちぎる強さで噛み合わされ、ぎちぎちと鳴る。
その怒りの形相は、もはや人語にて形容するのが不可能なほど。
「逃げる気、かッ……!」
「逃げるのではない、これもまた勝負の形だよ」
「そう、長生き比べなら、まだ私の方に分がありそうだ」
「百年後、君がまだ生きていたら、会いに行くかな――」
「それでいいのかッッ!! キサマはッッッ!!!!」
へたり込み、脚を液状のセメントに埋めたドルルマンに、勇次郎が言葉を投げる。
「キサマは――」
一瞬の沈黙の後、勇次郎が声を張る。
「まだ、成長の余地があるはず!! キサマはまだ格闘家としては未熟!
修練を積むか、キサマであれば賢しさをもって武を読み解けば――」
「……」
「認めんぞ、こんな形で俺の前から消えることなど――!!」
――
「……ふむ、分かるぞ。
今、君は実に「らしくない」発言をしているな」
ドルルマンは、何とも言えぬ玄妙な目で勇次郎を見て、そう言う。
「君はもっと、本能的で、無頼で、叙情と無縁な人間だと思っていた。
この場から私が失せることを許すぐらいなら、今すぐ止めを刺すぐらいのことは、すると思っていたのだが」
「……」
「……お、オーガ……?」
その様子を背後から見ているジャックは、その勇次郎の気配に、
これまでジャックが見てきたものとはどこか違う、
おそらくは、ジャックも、他の誰も、見たことがないような姿の勇次郎が、そこにいる。
それを見るのが危ぶまれるような感覚に、
一歩たりとも、歩を進められずにいた。
すでに、立っているものは膝の高さまで、
座っているドルルマンは、腰までがセメントに埋まっている。
セメントの流れ落ちる音の洪水、
その中で、ドルルマンの言葉は続く。
「光栄だ」
「一介の科学者である私が、君ほどの男に、そこまで言わせるとはな」
「最強である君から「技巧」を引き出し、無頼である君から「惜別」を引き出せた」
「……そして、自分よりも強い相手にすら打ち克つ」
「君の、本当の強さを、引き出せたのだな……」
……
……
……
「だが、私は、もう疲れてしまったよ……」
がく、
床がわずかに傾く。
ついに、この立方体の地下空間自体が、どこか破滅的な音を立てて傾斜を始めた。
傾斜はやがて、沈降に移行するだろう。
そうなればもはやこの地下室が、数十億ドルの金塊が、そして世界最高の頭脳が、地の底に消えるのにわずかの時間もかかるまい。
「……」
ドルルマンは、ふいに視線を上げ。
範馬勇次郎に、世界最強の生物に、じっと視線を注ぐ。
憂いと悔恨と、寂寞を込めた眼を向けて、
短い一言を、呟いた。
「――すまない」
「――クッ……」
勇次郎は、ジャックに背を向け、腿までをセメントに埋めたまま。
――咆哮する
膨大な空気を一気に声に変えて。
声を超越した震えを放つ。
それは、地下の隅々にまで
あるいは、大地を突き抜け、岩に染み入り、
世界の隅々にまで、届くかに思われた――。