グラップラー刃牙 BLOOD & BODY   作:MUMU

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第6話

 

 

 

 

勇次郎の手掌が空気を引き裂く。

大気の壁を、空間の密度を突き破る掌打。

 

書文の足が高速で踏み変えられ、瞬時に体を水平移動させる。

脇腹をかすめる一撃が黒のカンフー着を引き裂く。

体の近くで何かが爆発したような圧が生まれる。

 

「ッッッシイィッ!!!」

 

続けざま高速の手刀が三日月を描いて天地を裂く。

破局の勢いを宿す手刀が足元のコンクリートをえぐり取る。

書文の足が影を曳いてその斬線を逃れる。

 

漂ッ

五指が金釘と変じた貫手、勇次郎の首元を狙い疾る。

 

彭ッ!!

勇次郎の足が破城槌となって前方を射抜く。

それは書文の腹部を直撃、

その瞬間。両腋を締めた構えとなって書文から重量が消える。

霧影を残し、粉塵をわずかにその場に、書文は遥か後方へと飛ぶ。

 

消力(シャオリー)。

インパクトの瞬間に腹筋を剛直させているため、完全なそれではないが。

しかし、直線的な打撃を自身の跳躍によって相殺していた。

 

「キサマ――」

 

今、はっきりと分かった。

あの腹筋の感覚。この男は――。

 

本来の勇次郎であれば、相手がどのような手段によって強くなろうと、そんなことは雑事。

構いはせぬ。ただ打ち砕くのみ。

 

しかし、解せない。

勇次郎の純然たる闘争心が、その疑念によって濁される。

それが何より、苛立たしい。

 

「――何故、そんなことをしたッッ!!」

 

ぎり、と、金属片をも噛み千切りそうな咬合力で歯噛みしつつ、勇次郎が問う。

 

「――武術家が、強くなろうとすること、

それに何の不思議が」

「巫山戯るなアアアアアアッッッッ!!!!」

 

常人なら魂を砕かれるほどの憤怒を込めて、勇次郎の怒号が放たれる。

 

「キサマはそんな刹那的な人間だったのかッ!!

愚かなッ!

まるで餓鬼のようなッッッ!!」

 

勇次郎は、その怒りの感情の由来に困惑していたのやも知れぬ。

何故こんなに腹立たしいのか、

かつて自分の息子が、ステロイドにより身を滅ぼしそうになった時でさえ、こんな感情は抱かなかった。

この感覚は、そう。

 

「美麗なる彫刻を宝石で飾り立てるが如き愚行ッ!

キサマの歩んできた武はッ! 人生はッ!

そのような姿を完成とするつもりかアアッ!!!!!」

 

いずれ完成するはずだった、至高の芸術。

それが歪な形に「成ろうと」している。

それが何よりも、腹立たしいのだ――。

 

そのカンフー着の、腹部の布が裂けている。

そこに見えているのは、頑健なる腹筋。

そして、

腹部を埋め尽くす、無数の縫い痕。

 

「その通りだ――強き人よ」

 

ぬらり、と水面の魚影のごとく、書文が接近している。

遠く離れていたかに見えたその姿が、今は勇次郎に鼻も触れんばかり――。

勇次郎は怒りを全身に漲らせたまま、その手掌を。

腰を、胴体を「きる」ことによって生まれる掌打を、仁王立ちのまま受けんとする。

 

書文の掌が勇次郎を射抜き、

その肉が打ち鳴らされる衝撃が、

光となって一面にはじけた。

 

 

 

 

 

 

「これは……?」

 

郭海皇が何やら指示を出し、用意させたものは、それは端的に言えば蚕(かいこ)である。

知識として知るものよりもずっと黒ずんでおり、木箱の中をもそもそと動きまわっている。

 

「封尸蚕(フースーシン)と言われる蚕じゃな……。

もはや育てておる養蚕家もほとんどおらぬが……」

 

郭海皇は、暗い未来を予知するかのように慎重に話していた。

何か恐ろしい物の入った箱を開けようとするかのような、

刃の森を歩むかのような。

 

「絹……蚕の生産は、最も古い説では紀元前6000年頃にまで遡るという。

言うまでもなく、シルクの原産は古代中国じゃ。

そのほとんどは服飾に使われたが――。

この封尸蚕は、おもに死体の縫合に使われておった」

「死体に……」

 

その突飛な言葉に、さしもの龍書文も眉をひそめる。

 

「そう、深手を負って死んだ兵士を葬る時、

その傷を繕い、あるいは千切れた四肢を縫い合わせるために使われた。

それより転じ……生者への簡単な外科手術にも使われたという」

 

どこか、遠回しな物言いである。

この胡乱げな昔話の果てに、郭海皇は何を伝えようとしているのか。

 

「時に書文、お主の理想とする肉体」

「はい」

「……その最大の障害は何か、分かっておるな」

「勿論です――」

 

書文は己の腹部に手を当て、

その部位の熱を確かめ、

静かに言う。

 

「……内臓。

生命を保つための、この腸(はらわた)こそが――」

 

 

 

 

 

 

「ぐウッ!!」

 

踏みしめた足が、コンクリートの地面をえぐっている。

不動の構えにて受けた勇次郎を、わずか数センチではあるが、無理矢理に押している。

その掌打はまさに魔の領域。

勇次郎の完全とすら呼べる肉体に、その奥に確かに打撃の手応えを――。

 

瞬時に引き、さらにもう一打を打たんとする。

 

「ちいいィッッ!」

 

勇次郎が動く。

右回し蹴り、空間が上下に引き裂かれるかのように暴風をまとった蹴り。

 

書文という名の煙が後方に逃げる。

高速の足捌きと体重が消えるかのような歩法。

 

するりと逃れた書文がワゴン車に背中を付けて止まる。

 

「ッッガアアアアアッ!!」

 

八つ脚の獣が襲い来るかのような、

巨大な影の怪物と化した勇次郎が襲い掛かる。

その影は龍と交差する。

一瞬で勇次郎の奥側に踏み足を入れた書文が、するりと影の奥へと抜けて位置を入れ替え。

そして高速で体を反転。

腹筋が固められる、息が吐かれる。

体の回る勢いのままに、肘から先が完全に消滅。

各関節部で加速を加えた掌打がポケットから抜かれ、勇次郎という名の影を撃ちぬく。

 

それは眼には見えぬ流れ。

勇次郎の背中を撃ちぬく掌打がその奥の車体へと連なり。

巨大な力が波となって車体を伝播し、

硝子を伝い、鋼鉄を流れ、

そして反対側の扉へと収束し、

その蝶番や閂を爆散させ、

反対側のドアが、まるで車内で爆圧が生まれたかの如く弾け、

空気の壁を押し破りながら、翔ぶ。

 

そしてコンクリートに激突し、けたたましく啼く――。

 

 

 

 

 

 

人間が物を投擲したり、拳による打撃を放つ時、

最も強い力を生み出す筋肉は上腕筋でもなく、肩の筋肉でもない。

 

腹直筋。

 

そして周囲に連続する腹部の筋肉。

つまりは腰。

 

腰を「きる」動作こそ、人間の投擲力、打撃力の基本。

野球で語るならば優れたピッチャーとは、すなわち腰の生み出す力を、

いかにスムーズに手の先へと連絡できるかにかかっている。

 

「しかし、この腹筋というのが曲者……」

 

郭海皇は、ゆっくりと語る。

 

「腹部には言うまでもなく、多数の臓器が格納されておる。

胃の腑に、膵臓、肝臓、そして腸。

これらは、鍛えるなどという行為と無縁――。

非常に柔らかく、複雑な形状。

臓器だけではない、それが機能するために……、

数リットルにも及ぶ体液を、常に蓄えておる。

そう、まるで水袋のようにじゃ――」

 

人間は、その腹部に水を抱えて生きている。

それは常日頃、誰も意識することのないほど自然なこと。

 

「――しかし、こと打撃という点においては、これは明らかな邪魔者」

 

容器の中に水を注いだものをご想像いただきたい。

容器を動かそうとすれば、その中の水は、ワンテンポ遅れて動く。

外殻に対して、中身の水の粘性が高いためである。

 

そしてコップを急に止めれば、中の水の揺らぎが、コップの内部で不安定に暴れまわる。

慣性の法則。

子供でも知る原理が、人体においても当然のごとく当てはまる。

 

「これこそが、武術と生命活動との乖離」

 

「内臓の複雑な挙動こそが、拳を鈍らせる」

 

「それを克服するために、我々格闘家は、まず腹筋の鍛錬を基本とする」

 

腹筋を鋼のように分厚く、硬くすること。

腹筋を絞り、臓器を肋骨の中へと格納してしまうこと。

そうして長い時間を掛け、格闘家は理想の体へと近づく。

 

「……しかし、おぬしのように、腰を「きる」ことを基本とする武術家には、その理想ははるかに遠い」

「……その通りです」

 

「硬く、しなやかに、内臓の余分な動きで力を乱されず、

しかし内臓の働きを妨げず。

そのような肉体は、まさに至難の業じゃろう……」

「……」

 

「一つだけ、方法はある。

25年を待たずとも、その肉体を顕現させる業が。

しかし、この業は、寿命を縮めるどころではない――

本来ならば、誰にも教えることのなかった禁忌……」

 

龍書文は、すでに気づいていた。

あの封尸蚕という蚕、死体の縫合に使われたという絹糸。

それが意味することを、郭海皇が、己に授けようとしている技を、あるいは業を。

 

必要な時が来れば、自分はそれを使うべきなのだろう。

いや、いずれ必ず必要な時が来るのだろう。

だからこそ、海皇が今、目の前にいて。

 

あのような、悲しげな眼をしているのだから。

 

「縫い合わせることじゃ」

 

 

 

 

 

 

「網の目のように臓腑を縫い合わせ、

一塊の肉としてしまうことじゃ――」

 

 

 

 

 

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