グラップラー刃牙 BLOOD & BODY   作:MUMU

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第6話

 

※

 

 

 

勇次郎の手掌が空気を引き裂く。

大気の壁を、空間の密度を突き破る掌打。

 

書文の足が高速で踏み変えられ、瞬時に体を水平移動させる。

脇腹をかすめる一撃が黒のカンフー着を引き裂く。

体の近くで何かが爆発したような圧が生まれる。

 

「ッッッシイィッ!!!」

 

続けざま高速の手刀が三日月を描いて天地を裂く。

破局の勢いを宿す手刀が足元のコンクリートをえぐり取る。

書文の足が影を曳いてその斬線を逃れる。

 

漂ッ

五指が金釘と変じた貫手、勇次郎の首元を狙い疾る。

 

彭ッ!!

勇次郎の足が破城槌となって前方を射抜く。

それは書文の腹部を直撃、

その瞬間。両腋を締めた構えとなって書文から重量が消える。

霧影を残し、粉塵をわずかにその場に、書文は遥か後方へと飛ぶ。

 

消力(シャオリー)。

インパクトの瞬間に腹筋を剛直させているため、完全なそれではないが。

しかし、直線的な打撃を自身の跳躍によって相殺していた。

 

「キサマ――」

 

今、はっきりと分かった。

あの腹筋の感覚。この男は――。

 

本来の勇次郎であれば、相手がどのような手段によって強くなろうと、そんなことは雑事。

構いはせぬ。ただ打ち砕くのみ。

 

しかし、解せない。

勇次郎の純然たる闘争心が、その疑念によって濁される。

それが何より、苛立たしい。

 

「――何故、そんなことをしたッッ!!」

 

ぎり、と、金属片をも噛み千切りそうな咬合力で歯噛みしつつ、勇次郎が問う。

 

「――武術家が、強くなろうとすること、

それに何の不思議が」

「巫山戯るなアアアアアアッッッッ!!!!」

 

常人なら魂を砕かれるほどの憤怒を込めて、勇次郎の怒号が放たれる。

 

「キサマはそんな刹那的な人間だったのかッ!!

愚かなッ!

まるで餓鬼のようなッッッ!!」

 

勇次郎は、その怒りの感情の由来に困惑していたのやも知れぬ。

何故こんなに腹立たしいのか、

かつて自分の息子が、ステロイドにより身を滅ぼしそうになった時でさえ、こんな感情は抱かなかった。

この感覚は、そう。

 

「美麗なる彫刻を宝石で飾り立てるが如き愚行ッ!

キサマの歩んできた武はッ! 人生はッ!

そのような姿を完成とするつもりかアアッ!!!!!」

 

いずれ完成するはずだった、至高の芸術。

それが歪な形に「成ろうと」している。

それが何よりも、腹立たしいのだ――。

 

そのカンフー着の、腹部の布が裂けている。

そこに見えているのは、頑健なる腹筋。

そして、

腹部を埋め尽くす、無数の縫い痕。

 

「その通りだ――強き人よ」

 

ぬらり、と水面の魚影のごとく、書文が接近している。

遠く離れていたかに見えたその姿が、今は勇次郎に鼻も触れんばかり――。

勇次郎は怒りを全身に漲らせたまま、その手掌を。

腰を、胴体を「きる」ことによって生まれる掌打を、仁王立ちのまま受けんとする。

 

書文の掌が勇次郎を射抜き、

その肉が打ち鳴らされる衝撃が、

光となって一面にはじけた。

 

 

 

※

 

 

 

「これは……?」

 

郭海皇が何やら指示を出し、用意させたものは、それは端的に言えば蚕(かいこ)である。

知識として知るものよりもずっと黒ずんでおり、木箱の中をもそもそと動きまわっている。

 

「封尸蚕(フースーシン)と言われる蚕じゃな……。

もはや育てておる養蚕家もほとんどおらぬが……」

 

郭海皇は、暗い未来を予知するかのように慎重に話していた。

何か恐ろしい物の入った箱を開けようとするかのような、

刃の森を歩むかのような。

 

「絹……蚕の生産は、最も古い説では紀元前6000年頃にまで遡るという。

言うまでもなく、シルクの原産は古代中国じゃ。

そのほとんどは服飾に使われたが――。

この封尸蚕は、おもに死体の縫合に使われておった」

「死体に……」

 

その突飛な言葉に、さしもの龍書文も眉をひそめる。

 

「そう、深手を負って死んだ兵士を葬る時、

その傷を繕い、あるいは千切れた四肢を縫い合わせるために使われた。

それより転じ……生者への簡単な外科手術にも使われたという」

 

どこか、遠回しな物言いである。

この胡乱げな昔話の果てに、郭海皇は何を伝えようとしているのか。

 

「時に書文、お主の理想とする肉体」

「はい」

「……その最大の障害は何か、分かっておるな」

「勿論です――」

 

書文は己の腹部に手を当て、

その部位の熱を確かめ、

静かに言う。

 

「……内臓。

生命を保つための、この腸(はらわた)こそが――」

 

 

 

※

 

 

 

「ぐウッ!!」

 

踏みしめた足が、コンクリートの地面をえぐっている。

不動の構えにて受けた勇次郎を、わずか数センチではあるが、無理矢理に押している。

その掌打はまさに魔の領域。

勇次郎の完全とすら呼べる肉体に、その奥に確かに打撃の手応えを――。

 

瞬時に引き、さらにもう一打を打たんとする。

 

「ちいいィッッ!」

 

勇次郎が動く。

右回し蹴り、空間が上下に引き裂かれるかのように暴風をまとった蹴り。

 

書文という名の煙が後方に逃げる。

高速の足捌きと体重が消えるかのような歩法。

 

するりと逃れた書文がワゴン車に背中を付けて止まる。

 

「ッッガアアアアアッ!!」

 

八つ脚の獣が襲い来るかのような、

巨大な影の怪物と化した勇次郎が襲い掛かる。

その影は龍と交差する。

一瞬で勇次郎の奥側に踏み足を入れた書文が、するりと影の奥へと抜けて位置を入れ替え。

そして高速で体を反転。

腹筋が固められる、息が吐かれる。

体の回る勢いのままに、肘から先が完全に消滅。

各関節部で加速を加えた掌打がポケットから抜かれ、勇次郎という名の影を撃ちぬく。

 

それは眼には見えぬ流れ。

勇次郎の背中を撃ちぬく掌打がその奥の車体へと連なり。

巨大な力が波となって車体を伝播し、

硝子を伝い、鋼鉄を流れ、

そして反対側の扉へと収束し、

その蝶番や閂を爆散させ、

反対側のドアが、まるで車内で爆圧が生まれたかの如く弾け、

空気の壁を押し破りながら、翔ぶ。

 

そしてコンクリートに激突し、けたたましく啼く――。

 

 

 

※

 

 

 

人間が物を投擲したり、拳による打撃を放つ時、

最も強い力を生み出す筋肉は上腕筋でもなく、肩の筋肉でもない。

 

腹直筋。

 

そして周囲に連続する腹部の筋肉。

つまりは腰。

 

腰を「きる」動作こそ、人間の投擲力、打撃力の基本。

野球で語るならば優れたピッチャーとは、すなわち腰の生み出す力を、

いかにスムーズに手の先へと連絡できるかにかかっている。

 

「しかし、この腹筋というのが曲者……」

 

郭海皇は、ゆっくりと語る。

 

「腹部には言うまでもなく、多数の臓器が格納されておる。

胃の腑に、膵臓、肝臓、そして腸。

これらは、鍛えるなどという行為と無縁――。

非常に柔らかく、複雑な形状。

臓器だけではない、それが機能するために……、

数リットルにも及ぶ体液を、常に蓄えておる。

そう、まるで水袋のようにじゃ――」

 

人間は、その腹部に水を抱えて生きている。

それは常日頃、誰も意識することのないほど自然なこと。

 

「――しかし、こと打撃という点においては、これは明らかな邪魔者」

 

容器の中に水を注いだものをご想像いただきたい。

容器を動かそうとすれば、その中の水は、ワンテンポ遅れて動く。

外殻に対して、中身の水の粘性が高いためである。

 

そしてコップを急に止めれば、中の水の揺らぎが、コップの内部で不安定に暴れまわる。

慣性の法則。

子供でも知る原理が、人体においても当然のごとく当てはまる。

 

「これこそが、武術と生命活動との乖離」

 

「内臓の複雑な挙動こそが、拳を鈍らせる」

 

「それを克服するために、我々格闘家は、まず腹筋の鍛錬を基本とする」

 

腹筋を鋼のように分厚く、硬くすること。

腹筋を絞り、臓器を肋骨の中へと格納してしまうこと。

そうして長い時間を掛け、格闘家は理想の体へと近づく。

 

「……しかし、おぬしのように、腰を「きる」ことを基本とする武術家には、その理想ははるかに遠い」

「……その通りです」

 

「硬く、しなやかに、内臓の余分な動きで力を乱されず、

しかし内臓の働きを妨げず。

そのような肉体は、まさに至難の業じゃろう……」

「……」

 

「一つだけ、方法はある。

25年を待たずとも、その肉体を顕現させる業が。

しかし、この業は、寿命を縮めるどころではない――

本来ならば、誰にも教えることのなかった禁忌……」

 

龍書文は、すでに気づいていた。

あの封尸蚕という蚕、死体の縫合に使われたという絹糸。

それが意味することを、郭海皇が、己に授けようとしている技を、あるいは業を。

 

必要な時が来れば、自分はそれを使うべきなのだろう。

いや、いずれ必ず必要な時が来るのだろう。

だからこそ、海皇が今、目の前にいて。

 

あのような、悲しげな眼をしているのだから。

 

「縫い合わせることじゃ」

 

 

 

 

 

 

「網の目のように臓腑を縫い合わせ、

一塊の肉としてしまうことじゃ――」

 

 

 

※

 

 

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