※劇場版後、一年が経過しています。
三月、それは春の息吹を感じる季節。
三月、それはお世話になった先輩に別れを告げる季節。
三月、それは満開の桜が舞い散る季節――
「でも、ついに私たちも卒業か……」
「この一年、色々あったねぇ」
「あはは、なんかおばあちゃんみたいだね」
そう談笑しながら、控室として使っていた教室から講堂へ向かうのは静真高校三年、
「でもやっぱりすごいなぁスクールアイドルって。あんなおっきな講堂に、お客さん満員だったもん!」
「
卒業ライブは二部構成で行われた。第一部は一般公開され、あの「Aqours」メンバーが三人も卒業するということもあって、決して狭くはない静真の講堂は文字通り満員御礼の大盛況だった。
「六人でやった部活動紹介はちょうど一年くらい前だっけ」
「あれは部活動説明会だったし、そもそもああいう空気苦手なんだよなぁ」
私たちは、懐かしいね、と笑いあい、そして自然と足が止まった。校舎の外からは運動部の威勢のいい掛け声が聞こえてくる。
「……終わっちゃったんだね」
沈黙に耐えかねた曜ちゃんがポツリとつぶやいた。
「……曜ちゃん、それは言わない約束でしょ?」
「ごめん……」
曜ちゃんを
「まあまあ梨子ちゃん。実際今日が私たちの最後のライブだったわけだし、曜ちゃんがそう思っちゃうのも仕方ないよ」
「千歌ちゃんまで……」
少し苦笑いを浮かべた千歌ちゃんが私たちの間に割って入った。
卒業ライブの第二部はアフターパーティ形式で部外者完全非公開。スクールアイドル部の在校生が、卒業生に歌やダンスを贈る形で行われる。つまり、私たち三年生のスクールアイドル活動は、先ほど終わった第一部で本当に幕を閉じたと言ってもいい。
「でもね、私、ちょっと嬉しいんだ」
でも、その湿っぽい空気を吹き飛ばすように、千歌ちゃんは晴れやかな顔でまっすぐ廊下の先を見つめていた。そのまなざしは、あたかもそこに何かを見つけたかのようだった。
「……嬉しい?」
私は少し遅れて、答え合わせをするかのようにそう尋ねる。
「うん。私ね、やっと
きっと千歌ちゃんの目には、その視線の先には、ずっと背中を追い続けてきた先輩の姿が見えているのだろう。つらいことや悲しいこと、嬉しいことや楽しいこと、酸いも甘いもいっぱい教えてくれた先輩の、その後ろ姿が。やっと、追いついた。そんな気持ちがにじみ出ているのが、傍から見ている私にも伝わってくる。
「……千歌ちゃんの言うこと、わかる気がする」
続けて口を開いたのは曜ちゃんだった。
「去年は、いてもたってもいられなくて、このままずっと一緒にいたい! って思った時もあったけど、
曜ちゃんもつられて千歌ちゃんの見るその視線の先を見つめる。
「あはは、ほんとだね」
「……ちょっと、遅すぎたかな」
二人は見つめあって、互いにばつが悪そうな顔をしている。私はそんな二人を見て、あぁ、やっぱりあの三人には敵わないな、と小さくひとりごちた。
「……もう、二人とも。早く講堂に行くわよ。みんなを待たせてるんだから」
悔しかった私は、わざといたずらっぽく笑って見せ、二人を追い抜く。
「あ、梨子ちゃん待ってよ…!」
千歌ちゃんと曜ちゃんが慌てて追いかけてくる。私はそんな二人に追いつかれないよう、まっすぐ廊下の先を見つめながら講堂へと走るのだった。
◆
第二部は、第一部に勝るとも劣らない盛り上がりを見せた。静真と統合したことによって、六人だった部員は新学期とともにその数を増やし(その全員がステージに立つわけではないにしろ)、一年生はお世話になった三年生へ精一杯のパフォーマンスを披露した。対する二年生は、最上級生となる準備ができていることを伝えようと、その成長を見せつけた。
そして迎えた大トリ。
「それでは、最後の登壇者となりました。
今日一番の大きな声援とともにルビィちゃんがステージの中央に立つ。
「お、みら僕かな」
「君の瞳を巡る冒険かもよ?」
「え、CYaRon!の曲じゃないの?」
青と白を基調にした、バリアジャケットを思わせるようなロングコート。懐かしい衣装を見た私たちが小さな声で応酬する。
ルビィちゃんは、袖で待機する一年生からハンドマイクを受け取ると、小さくお辞儀をした。
「よっ、新部長!」
「ルビィちゃん頑張るビィ~!」
大トリともあって、
「三年生の皆さん、ご卒業おめでとうございます」
凛とした声が、講堂に響き渡った。
「まずは、この卒業ライブの企画に賛同していただき、また、参加していただきありがとうございました」
大きな拍手が鳴り、私たち三年生が各方面に軽く会釈をする。全員着席したことを確認するとルビィちゃんは続けた。
「この卒業ライブは、私のわがままから始まりました。どうしても、この場で披露したい曲があって、部員全員にお願いをして、そして実現させることができました。部員のみんな、私のわがままに付き合ってくれて、本当にありがとう」
また大きな拍手。普段なら『ルビィちゃん先輩』と半分からかわれているような、後輩たちとはそんな間柄のルビィちゃんだけど、今日は誰一人として茶化すものはいなかった。
「な、なんかルビィちゃん、雰囲気違くない…?」
「し、新部長だから張り切ってるのかな…?」
いつになく
「私、黒澤ルビィからはただ一曲贈らせていただきます。ですが、心を込めて、精一杯の思いを込めて歌います」
そしてルビィちゃんはハンドマイクを袖にいた一年生に返し、ポジションを確認する。準備が整い、一呼吸置いてから曲名を告げた。
「聞いてください、サクラバイバイ」
軽快なドラムの入りから始まり、シンセサイザーのイントロが流れる。瞬間、千歌ちゃんと曜ちゃんは――もちろん私も――すべてを理解したかのように目を見開き、二人は唇をかみしめた。目尻にはどんどん涙がたまっていく。
「はは、そっか、この曲か」
「こりゃルビィちゃんには一本取られましたなぁ」
震える声で絞り出したのは、せめてもの抵抗だった。まだイントロの途中だというのに、溢れる涙は止まらない。
そして迎えるラスサビ。ルビィちゃんがダンスを止めてまっすぐ二人を見つめる。その透き通った
曜ちゃんはもうルビィちゃんを直視できないでいた。ぐちゃぐちゃになった自分の顔を、決意を固めた後輩に見せるわけにはいかないと両手で覆い隠し、下を向いて嗚咽を漏らしている。千歌ちゃんは対照的にしっかりとルビィちゃんを見つめ返していた。大好きな後輩の勇姿を一瞬たりとも見逃すまいと、とめどなく零れる涙をぬぐうことも、瞬きすらも忘れて。
「――……」
歌い終わったルビィちゃんがゆっくりとステージから降りて、私たちの目の前に立つ。声を殺して泣いている曜ちゃんと、優しい微笑みを浮かべる千歌ちゃん。そしてその二人を強く、美しく輝く瞳でしっかりと見つめるルビィちゃん。その時間は無限にも思えるほどゆっくりと、そして静かに流れていた。
「千歌ちゃん、曜ちゃん。こんなルビィと、二年間も同じユニットで活動してくれて本当にありがとう」
ヘッドセットを外したルビィちゃんの声が、講堂内に木霊する。周囲からもすすり泣く声がかすかに聞こえていた。
「何もできなかったルビィに手を差し伸べてくれてありがとう。勇気が出なくて泣いてた時にそっと背中を押してくれてありがとう。うまくいかなくて悩んでた時に夜遅くまで相談に乗ってくれてありがとう」
「ゔっ、ルビィぢゃん…!」
曜ちゃんは椅子から崩れ落ち、ルビィちゃんに這い寄った。ルビィちゃんの小さな手を強く握りしめる。ルビィちゃんも膝を折り、両手で曜ちゃんの手を優しく包み込んだ。
「曜ちゃんと一緒に衣装を作ったことも、千歌ちゃんと一緒に歌詞を考えたことも、三人で一生懸命振付を考えたことも、全部全部ルビィの大切な宝物です」
「……うん」
千歌ちゃんは膝の上でこぶしを作っていた。きつく握っているせいか、その白い手が余計に白む。でも、その淡く赤みがかった瞳は、眼前に立つ仲間をしっかり見据え、小さく頷いた。
「ルビィの大切なものは、ずっとここにあります。絶対に消えたりなんかしません。だから、最後にこの言葉を贈りたいと思います」
――卒業、おめでとう。
三月、それは春の息吹を感じる季節。
三月、それはお世話になった先輩に別れを告げる季節。
三月、それは満開のサクラが舞い散る季節――