ドンファンとジャンヌがカーナ軍に参入してから数日。マハール城下の広場にてヨヨは優雅にグラスを傾けていた。
「これは素晴らしいわね」
ヨヨはグラスに入った透き通った水を見つめる。王族であるヨヨは、単なる水ひとつ取っても最高級の物しか口にしたことがない。しかし、そんなヨヨからしてもマハールの水は格別に美味しく感じる物であった。
「さすがはオレルス一と言われるマハールの水ですな。儂も長いこと王宮勤めをしておりましたが、マハールより質が良い水は他に知りませぬからな」
何しろ平和な時代に行われていた社交界では、他の国家がワインを出す中でマハールだけは水を出していたほどですからな、とはマテライトの弁だ。それを聞いてヨヨは大きく頷いた。
「水がこれほど美味しい物だとは知らなかったわ。常にこれが飲めるならワインなどいらないかもしれないわね」
ワイン好きであり、王族として贅を尽くしてきたヨヨにここまで言わせるマハールの水の素晴らしさは驚愕に値しよう。しかし、とヨヨは不満げな表情で言う。
「しくじったわ。マハールの水がこれほどのものだと知っていれば、もう少し別の末路を与えてやったものを」
「剣を振るう間も無く洪水に呑まれるのは、十分屈辱的な末路だと思いますが」
そう言うビュウにヨヨは尚も不満げに首を振った。
「この国の水に溺れるのは、ベロスの蛮人どもにはいささか恵まれすぎた最期よ」
ヨヨは再び水を口に運ぶと苦笑しているビュウに尋ねた。
「レスタットの行方は掴めたの?」
「はっ。どうやら、カビカビ宮殿を占拠したようです」
マハール城下は解放したものの、占領指揮官であったレスタットは未だに生存している。カーナ軍としてはここで討ち取りたい場面であった。
「カビカビ宮殿? ずいぶん珍妙な名前の宮殿ね」
「まぁ、マハール王宮のことなんですがね」
「は? 王宮にそんな名前が着いているの?」
「マハール王宮は内部まで豊富な水が流れており、カビ臭い匂いがするらしく、民の間で広まった名だそうです」
名前の由来を聞いてヨヨは呆れ顔になった。
「マハールの民はよくもまぁそんな名を口にできたわね。王宮への侮辱ととらえられて不敬罪になってもおかしくないでしょうに」
「そこはまぁ、王室が寛容だったのでしょうね」
カーナで同じようなことがあれば、まず間違いなく不敬罪である。少なくともヨヨはそうする。
「しかし、王宮に籠ったですって? 面倒ね。居城ごと消し飛ばしてやろうと思っていたのに」
ヨヨに宿るアレキサンダーの力を使えば、どんな要塞に籠ろうが一瞬で消し飛ばすことができる。しかし王宮となるとそうもいかない。カーナ軍にはマハール人も多数参加しているというのに、まさか彼らの王宮を消滅させるわけにもいくまい。
「恐らくは、あちらもヨヨ様の御力を警戒しての行動でしょう。王宮内での戦闘となれば、宮殿を崩壊させかねないヨヨ様の神竜召喚は迂闊に使えなくなりますからね」
「全く、小賢しい頭だけは回る奴らね」
やれやれ、とヨヨが肩を竦めていると、彼女らのところに焦った様子で駆け寄ってくる人影があった。
「陛下! ビュウ殿、マテライト殿!」
「グンソーよ、どうしたんじゃそんなに慌てて」
血相を変えて走ってきたのは、カーナ軍所属でこのマハール出身者でもあるグンソーであった。彼は息を切らしながらも「こ、こちらを」とマテライトに手紙らしき物を手渡した。怪訝な様子でそれを受け取ったマテライトだったが、それを読み進めるうちに眉を潜めたかと思えばどんどんと表情を険しくしていき、最終的には深く溜め息を吐いた。その様子を見てヨヨが尋ねた。
「何事かしら?」
「一言で言うならば辞表、ですな」
それだけでヨヨは大体の内容を察した。誰が書いたのかまで含めて。
「ふむ。書いたのはタイチョー。内容は独断でレスタットの下へ行く事への謝罪、上官であるマテライトに責を負わせない為のカーナ軍からの脱退、及びカーナ軍人ではない自身を助ける必要性の無意味さ、ぐらいかしら?」
「さすがはヨヨ様、そこまでお分かりになりますか」
「この場面で辞表となったらそのくらいしか無いでしょう」
ヨヨからすれば、復讐に燃える人間が独断で行動する程度は想定の範囲内である。律儀に辞表を用意するあたりは生真面目なタイチョーらしいが。
(ふむ)
ヨヨは少し考えてから、マテライトに手紙をこちらに渡すように促した。当然マテライトが拒否するわけもなく、ヨヨに手紙を渡し。
『フレイムゲイズ』
──ヨヨは炎魔法を発動させると、一瞬で手紙を跡形もなく燃やし尽くした。
「まぁ! 私としたことが、目障りな羽虫に向けて魔法を放ったら、
わざとらしく芝居がかった素振りで尋ねてくる主君に、マテライトはニヤリと笑みを浮かべながら答えた。
「それがヨヨ様、儂も歳でしてなぁ。さっき確かに読んだはずなのですが、どうにもさっぱり内容を思い出せんのです」
「まぁ、それは困ったわね。こうなったら手紙を書いた本人から聞き出すしかないわね」
いかにも困っているような表情でそう言いながら、ヨヨはビュウに目線をやった。
「ねえビュウ、あの手紙の差出人は誰だったかしら? どこにいるかわかる?」
「確か、タイチョー殿ではなかったですか? 今はマハール王宮にいらっしゃるはずですが」
「あぁ、そうだったわね! では、私たちもマハール王宮に向かいましょう!」
ヨヨはそう言い終えると、作った笑みではなく、いつも浮かべている不敵な笑みに戻る。
「ビュウ、カーナ軍全軍に通達なさい」
「はっ」
グラスに残っていた水を飲み干すと、カーナ女王は命令を下した
「総員、戦竜に騎乗せよ。ベロスの蛮人どもを