曙を除く満潮達が部屋から立ち去って一段落してから早数秒、大和が俺へ如何にも困惑してるかのように首を傾げてきた。
「それで提督。そこにいる曙さんを残らせたのは、何か理由でもあるんですか?」
「……? ああ、そうだったな」
(忘れてたな。……やっぱり一ヶ月前より、大和達以外の艦娘に余り関心が持てなくなっているのか)
俺が先程まで主に危害を与えられていた艦娘達を前にして、何故あれほど冷静にいられたのか。
正直な話、心が冷めきっていたからだった。確かに憎悪や怒りが沸々と湧き出てきていたが、それ以上に最早どうでも良いと言う感情が、さっさと会話を終わらせたいと言う気持ちが先行したのだ。
この一ヶ月。陰口や悪口、無視、暴力という自分に害を為していたものから隔離された時間を過ごしてきた。
入院中は静かに本を読んだり、主治医や看護師、リハビリで一緒になった人達と談笑したり、ストレスでそれどころじゃなかった好きなゲームを久々に嗜んだりという穏やかな時間を過ごしてきたのだ。
だからだろうか。ここに戻ってきて早々、何故自分からこのような場所に来てるのだろうと思い始めている。
人の温かみに触れて、人と話す楽しさを思い出した今の自分にとって、ここはもうどうでも良い存在に成り下がっていた。艦娘達のことだけを考えて悩みに悩んだ毎日が今思うと馬鹿馬鹿しく思えても来ている。そういう何もかも擲(なげう)って奔走していた、あの頃の苦悩に満ちた自分を否定するような考え方が心に浸食してきているのかもしれない。
今まで篭っていたのだ。横須賀鎮守府という小さな世界に。最初からこうしておけば良かったのだ。月に数回は鎮守府から街へ特に理由がなくとも繰り出して、自分が話しかけても無視せずに話してくれる相手を見つけておけば、あそこまで精神的に追い詰められずに済んだし、状況も悪化しなかったんだ。冷静に考えてみればこうして色んなことが浮かんでくる。理由があれだとしても、こういう考え方が生まれたのは鎮守府から一旦出たからだ。
(……心に余裕があったら鈴谷にも当たらなかったと思うしな)
突き落とされる前に、俺は一度鈴谷という艦娘に胸ぐらを掴んで怒鳴り返したことがあった。それまでは日記に書く形で気分を転換し、どうにか一回も艦娘達へ反抗的な態度をしてこなかったのだが、その時に初めて艦娘に対して怒鳴るという反抗的な態度をとってしまった。
気分は最悪だった。何故なら、その時まで耐えて耐えて耐え忍んできたという過去の自分の行動の全てを無駄にしてしまったのだ。それに、鈴谷はあの時に初めて俺へ反抗的な態度をとってきた艦娘だ。前科があるわけではなく、何か熊野のことについて気に障ることを言ってしまった俺の失言が原因で怒らせてしまったのだというのに、俺は鈴谷の胸ぐらを掴んでこれまでの鬱憤をぶつけてしまった。鬱憤の主因は他にあるのに、関わってない鈴谷に怒鳴った最低野郎なのだ。
だから今でも悔やんでいる。あの時の俺の心にまだ余裕があったらと。
(鈴谷には謝りたい。そして熊野にも)
しかし、それはたらればに過ぎない。今を生きているんだ。過去に生きるのは以ての他だ。
であれば、
「──……今できることをしないと」
「提督?」
「ああ。いや……それで曙。そんなに怯えなくて良い。残らせたのは俺の疑問に答えて欲しいからだ」
曙を除く執務室で提督に謝った五人は出ていき、次に提督は未だに提督から話を振って貰えずにおどおどしている曙に漸く口を開いた。
「……っ、はい。でも、あの」
「謝るのは後で良い。質問に答えてくれ」
「……はい」
「何故俺に謝ろうと思ったんだ。簡潔に答えてくれ。余計なことは言わなくて良い」
「……それは、その……金剛に……──」
(金剛? また金剛か……)
「提督が書いた日記だと見せられたからです……」
「……っ!」
「それで……読み進めていくうちに、私達が送っていた生活が改善されていた事とか、色々と辻褄が合っていって……」
「ま、待て。曙。日記、だと? 日記ってもしかしてこれぐらいの大きさの紺色のノートのことか」
「は……はい」
「──」
(嘘……だろ。あれを、艦娘達に見られたってのか)
「あの……提督。日記とは」
「……大和。後でそのことは話す。曙ちょっと待っててくれ」
そこで急いで自分の机の引き出しを開けて、高級な紅茶カップを取りだし、その下の隠し棚を開ける。
「……ない」
(……ここに隠してあった筈の日記がないということは、曙が言ってることは本当なのか)
「……!」
——ダァン
「……!」
「っ……!」
思わず、ノートを探していた両手で強く机を叩いて八つ当たりしてしまった。それまで静かだった執務室に大きく響いた強打音に大和は瞠目し、曙は驚いて体を跳ねさせる。
あの日記は当時の俺の心境を書き殴ったものだ。余り書かないようにしていたが、所々彼女達に対して悪口を残してしまっているページもある。何より、あれは俺の精神安定剤の一つとしての役割を担っていた。己を鼓舞し、反抗心にまみれた行動を出さないように、艦娘一人一人を出来るだけ観察し良いところを書きまくり、「自分にはこういう態度だが、実は優しく、純粋で良い子なんだ」と、所謂心を安定させるための自己暗示の材料としても使っていた。
言うなれば俺にとって負の遺産なのだ。日記らしいことは書いているが、心が潰れそうで夜が眠れなかった時に無意識に書いてしまった数々の誹謗中傷が残っている筈。
当時の俺の心境を書きなぐった負の遺産としても、何より彼女達へふと書いてしまった誹謗中傷を見られれば、彼女達を傷付かせてしまうので見られたくなかった。
(見られたく……なかったのに)
……しかし見られてしまった今、何故かこれまで押さえつけてきた醜い心の一部分が膨張してきている。
文字のなかでも期待するように自己暗示を掛ける程いつも折れそうだった弱かった自分を。
彼女達の苦悩を解決も出来ず、ただ無視や暴力を受けただけで易々と誹謗中傷を日記に記してしまった醜かった自分を。
彼女達にだけは──知ってほしくなかった。
「…………曙」
「は、はいっ」
「……質問に答えてくれてありがとう。もういい。退室して良いぞ」
「……え?」
「良いから。早く出ていってくれ」
「で、でも……まだ私は」
「出ろ」
「………………は、い」
このまま曙と一緒に居ると息が、胸が羞恥心や自虐にまみれた心で苦しくなる。いや、大和達以外のあの日記の内容を知ってしまっている全ての艦娘が今、この近くに大勢居ると思うと、気が狂いそうだ。
着任して初めて強めに言ってしまったためか、顔を見るからに俯かせて、とぼとぼと扉へ向かう曙。
その後ろ姿を見て、ハッとした。
(いや、何曙に当たってんだ……曙も、他の艦娘達も、今回の件の主因らしい金剛も関係ないじゃねえか。あんな日記を書いてしまった俺にそもそもの原因がある。だから、俺は)
強めに退出を促してしまったことを後悔し、それまでの怒りに似た何かが、段々と罪悪感へと変貌を遂げて
「……や、やっぱり待ってくれ曙」
気付けば、呼び止めていた。
「……!」
ドアノブに手をかけつつあったその小柄な背中へ声をかけると、分かりやすくピクリとさせて、直ぐ様今度は瞠目させた顔を振り向かせてくる。
「……」
ここは単に先程のことを謝っても意味がない気がする。ここは、一歩踏み出そう。
「……お前に、実質初の命令を下したいと思う」
「──」
言葉に詰まった。そんな顔だ。
「講堂に皆を集めろ。大至急だ」
「え……あ、は、はいっ」
「頼むぞ」
「……はいっ!」
曙は依然として緊張していたが、先程までのような重い、重い何かが心身にのし掛かった暗い雰囲気は感じられなかった。
今は、そう。
「──必ず……!」
若干遠慮しながらも、敬礼して見せた曙の肩にのし掛かっていた何かが消えていたような気がした。
「はあ……」
急ぎ足で出ていく曙を見送り、思わず椅子に腰を下ろす。
(何やってんだろうな……)
身を仰いで、そう思ってしまった。
「提督は……優しいですね」
そんな俺と、それまでの一部始終を見守っていた大和が口火を切る。
「ただ謝罪を求めるだけではなく、挽回出来る機会を与えていました……その最たる例が先程の曙とのやり取りでしょう」
「……」
(俺は優しいのか)
「私は……正直、提督の立場であれば即刻解体も選択していたでしょう。謝らせる口も、その態度も取らせず、ただはね除けるだけで……」
「……」
(いや、違う。俺はただ、お前に)
「提督のその強さは、どこから来ているのですか……?」
(艦娘達に)
「提督……」
(皆に)
──認められたい、信じてほしいだけなんだ。
「……曙から伝言です。講堂に全員集合完了とのことです。提督」
あれから30分後。一人で待っていた執務室に大和が入室し、そう告げてきた。
「……ああ。じゃあ行こうか。大和」
「はい。行きましょう」
俺はそれに少しにこやかに答えると大和も同様に答えてくれる。
正直、緊張がままらなくてここ30分ずっと黙考していたが、いつも通りお淑やかな綺麗な笑顔を浮かべてくれた大和のお陰で、少し気が楽になった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
横須賀鎮守府 講堂
鎮守府内に設けられた大きなかまくら屋根の建造物は、さながら小中校に設置されている体育館を連想させる。
そこの使用用途は多岐に渡るが、主に使われる目的と言えば、早朝に行う集会や作戦会議、来賓を招いての食事会の会場として使用される。
最近までは荒れに荒れていたので来賓は来なく、専ら集会のみに使用されているのだが、今日は久々の集会となる。
一月前までは早朝に集会をここで毎日行っていたのだが、集会を執り仕切る鎮守府内の最高指揮官である提督が階段から落ちてしまい、入院してしまったので必然的に早朝での集会は行われず仕舞いでいたのだ。
しかし今日久々に提督が復帰するとのことで、何時もより遅くの時間帯に集会が行われることになっている。
なので講堂には既に全ての艦娘が整列して、提督を待っていた。尤も、大体が顔を俯かせているが。
不気味なほど静かだ。度々会話が聞こえるが、内容は全て仲間の体調の心配だった。体調というよりは心の方だろうが。
駆逐艦や潜水艦達は今にも泣きそうで、軽巡や重巡達の大半はとても緊張した面持ちで、空母と戦艦達は平静を装っているが何処か落ち着かない様子だ。
そして私も、一筋の汗を滴らせるくらいの緊張と、やはり罪悪感の波に揉まれながら、提督が立つと思われるステージ上を見据えていた。
「……」
「…………あ、あの。北上先輩」
重い空気が講堂内に充満しているなかで、隣から話しかけてきた子が居た。
「……んー? どうしたの」
話しかけてきたのは一週間前にここに異動してきた新入りの吹雪だった。
「……い、いえ。あの、どうしてこんなに空気が……その重いというか、なんというか」
「…………そっか。まあ配属されて一週間じゃね。というか、聞いても誰も答えてくれなかったんでしょ?」
「は、はい。……何かあったんですか?」
「……そーだねぇ。うん。あったね。……それはもう、酷いどころの話じゃないね。……皆も──そして私も」
「……はい?」
「……この鎮守府は……本当に腐ってたんだよね。いや、今もかな……」
「……北上先輩?」
怪訝そうな顔で聞いてくる吹雪に、「……まあ後で、ね」と集会後に何があったのかを教えることにしてその場は凌いだ。あのままでは周囲に聞き耳立てている子が居たし、何より吹雪とは逆方向の私の隣に居る大井っちが今にも泣きそうな顔をしていたからだ。
釈然としない吹雪に対して、私はもう一言付け加えた。
「ただね……これだけは言えるよ」
「……?」
「──私たちが、最低だってこと」
「……え?」
「……っ」
隣で奥歯を噛み締め、片手で手を振った大井を横目に
(ごめんね。大井っち。でもここで言っておかないと、ダメな気がしたんだよ)
私は心でそう思った。
「……」
「……」
「…………熊野」
「なんですか、鈴谷」
「……手、握ってくれないかな」
「……」
「そうじゃないと、私……」
「……良いですわよ。繋ぎましょう」
「……ありがとう」
「……赤城さん。大丈夫?」
「……っ。は、はい。加賀さんこそ大丈夫、ですか?」
「……ええ。私は、ね」
(……でも赤城さん。あなた、震えてるじゃないの)
「……そろそろですね。陸奥」
「……翔鶴。そうね」
「……」
「ねえ翔鶴」
「何ですか?」
「……提督、こんな大勢の前で大丈夫なのかしら。体力的な面じゃないけど……こう、精神的な面で」
「……それは分かりません。でもお見舞いでお邪魔した時は普段と変わらないご様子でしたので」
「……そうなの」
「──大丈夫だ」
「え? 」
「……どうして? 武蔵」
「提督の隣には大和が居る。それに、提督自身も強い男だ」
「……そうね」
「……」
──艦娘達が様々な思いを巡らせていると遂にその時がくる。
ガチャ
「「「──!」」」
突如、講堂の扉が開き、皆はそれに反応し注目する。
「提、督……」
艦娘の誰かが呆然と呟く。
瞠目させた視線達の先には純白の制服と軍帽を着こなし、涼しい表情を浮かべる提督の姿があった。
「……」
今後、登場するとしたらどの艦娘が良い?(参考程度)
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球磨
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空母ヲ級
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ビスマルク(Bismarck)
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瑞鳳
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俺