女所帯なのに、ひな祭りで男一人はつらそう。
※pixivにも投稿しました。
は? 海風は持ってねぇっつってんだろいい加減にしろ。
今日、3月3日は桃の節句──俗にいう“ひな祭り”の日である。
女の子の健やかなる成長と無病息災を祈る日本の伝統行事。雛人形や桃の花を飾り、縁起物の食物を口にし、たくさんの愛と祝福の中で未来を馳せる。その歴史はおよそ1000年前にも遡るといわれ、長い時間を過ぎてなお守られ続けてきた、日本の由緒ある文化の一つだ。
しかし、今はその話はどうでもいい。大事なのは女の子……そう、女の子が主役の行事であるという一点のみ。
「楽しんでいるようだな」
鎮守府の中庭では、駆逐艦たちが楽しそうに走り回っていた。
歓声を上げ、まだまだ冷たい風にも負けず、制服の上に羽織っただけの和服をはためかせ、桃の造花の付いた枝を片手にチャンバラごっこ。ひな祭りだからといつもより元気にはしゃいでいる。
中庭だけではない。耳を澄ませてみれば、音の外れた様々な歌が鎮守府のそこかしこから聞こえてくる。ひな祭りのよく聞くあの歌から、邦楽洋楽、四季折々のテーマ曲と枚挙に暇がない。執務室にいたときも聞こえてきたのだから相当のものだ。
今の鎮守府はひな祭り一色。軍属とはいえ、艦娘とてうら若き乙女の端くれ。決して無関係な行事ではないのである。
「……何やら色々勘違いしているようだが」
その様子を、提督は中庭ベンチから眺めていた。
苦笑を浮かべ、思わずといった風にポツリと内心が漏れ出す。若きあの日に見た慎ましやかな様子とは一転、ここでは文字通りお祭りのような盛り上がりをしている。本当はそんな騒ぐような行事ではないはずなのだが……。
とはいえ、まぁ、それはそれ。本人たちが楽しんでいるのならばそれに越したことはないし、男の提督が口を突っ込むのは野暮というもの。だからこのどんちゃん騒ぎにも何も言わない。
提督は空気の読めるクールな男なのだ。
「提督、お休み中ですか?」
と、背もたれにもたれ掛かって呆けていると、ちょこちょことベンチに駆け寄ってくる影が一つ。
「ああ、海風か」
「はい!」
名前を呼ぶと、満面の笑みと共に返事が戻って来た。
いい返事だ。何時もより声も弾んでいる。
海風もひな祭りを楽しんでいるのだろう。よく見れば和服こそ着ていないものの、その手には梅の枝が握られている。海風に合わせて微かに揺れる小さな花が、何とも可愛らしい。
提督は背筋を正し、話を聞く姿勢を作る。
「一人か。姉妹たちは?」
「江風は……確か、遊戯室で遊んでいるはずです。山風は先程まで一緒でしたが、白露姉さんたちに連れられて間宮さんのところに」
「なるほど」
間宮では今、特別メニューを出しているから、目当てはきっとそれだろうと提督は当たりをつけた。
以前、試作品を見せてもらったが、春と女の子をイメージした淡い桃色の美しいパフェで、その見事な出来栄えに、甘い物が得意でない舌を若干恨めしく思ったのはまだ記憶に新しい。
「提督も珍しくお一人なのですね」
「まぁ、今日はな……」
海風はクスクスとからかうように笑う。
対して、提督の言葉尻はため息が混ざったように萎んでいく。
気分が上がっている海風は、それに気づかない。
「それで、お前は間宮に行かなくてよかったのか?」
誤魔化すように、提督は話題を逸らした。
「いえ、海風も行きます。用事があったので一旦別れましたが、それももう済みましたので──あっ、そうです!」
ポンッと手を合わせる音が鳴る。
少しだけ、嫌な予感がして提督の眉が震える。話題の選択を間違えた気がしてならない。
「提督もご一緒しませんか?」
「……お前たちと同じ席にか?」
「はい! その方がきっと山風も白露姉さんたちも喜ぶと思います!」
やはりか、と苦々しく口元が歪んだ。
こういう時の勘ほど本当によく当たるものだから忌々しい。
「大丈夫です! 甘い物だけじゃなくて、あられもちゃんと用意してあるそうですから!」
提督の表情から嫌そうな色を読み取った海風だが、残念ながらそこではないのだ。
「せっかくのひな祭りなのに、お一人ではつまらないですよ?」
──さぁ、一緒に遊びましょう!
そう誘うように海風は提督に手を伸ばした。混じりっ気のない、善意だけを携えて。
けれど、提督はその手を取らず、やんわりと押し返した。
「遠慮させてもらう。ひな祭り
きっぱりと言い切った。
拒否され、ショックを受けそうになった海風だが、間髪入れずに続けられた言葉に首を傾げる。
「だから……ですか?」
「ああ。ひな祭りは女の子の行事、主役は花も恥らう君たちのような少女だ。ならば男である私が、君たちと同じように参加できるはずもあるまい」
ましてや成人男性。
まだ子供の頃ならばいざ知らず、流石に20も後半になって共に騒ごうとは気恥ずかしさもあって到底思えない。
「……あっ、そういえば。失念していました」
「そういうことだ。これは間宮のみに限らんが、今はひな祭りアレンジの特別改装中だろう? 言葉にし難いが……空気というのか? 正直居づらくて堪らん」
提督にひな祭り自体の苦手意識はない。
しかし、自分を除く周りの全てが、自分が除け者である行事に挙って参加している状況は、提督に居たたまれなさと疎外感を抱かせるには十分だった。
「誘ってもらって悪いが、今日は私のことは気にしないでおいてくれ」
海風の他にも誘ってくれた艦娘はいた。そして同じ理由で断り、みな肩を落として立ち去っていく。懐いてくれているのに、それに応えられないことは心苦しいが、こればかりはどうしようもないのだ。
「……」
「……」
「…………」
「…………?」
だからきっと海風も、と構えていたが、海風からのアクションが何もない。
動くどころか喋る気配すらない。怪訝そうに海風に目を向けると、海風はジーッと提督を見つめていた。手を丸め、口元へ添えて思案顔である。
「どうした海風?」
「……」
「海風?」
すると。
「提督は──!」
「うぉっ!?」
急に鼻がくっつきそうになるまで詰め寄られた。
「つまり、提督はひな祭りに参加したことがないと?」
「あ、ああ。姉妹もいないし、遠目から見るくらいで機会は無かったが……」
そう返答すると、顔を離してまた黙って提督を凝視しだした。深く何かを考え込んでいる様子だが、水色の瞳からは何も読み取ることができない。
「う、海風……?」
「──提督。海風は用事ができましたので、これにて失礼します」
クルリと背を向けて、海風は駆け足で何処かへ走っていってしまった。
「あ、おっ、待っ……!」
反射的に立ち上がって掛けた提督の静止も、突然のことで大きく張り上げた訳ではないため、海風の耳には届かなかったようだ。
「なん……だったんだ……?」
呆然と立ち尽くす提督は、海風の不思議な行動に疑問符を頭に浮かべるばかりだ。
一体、何が何やら……提督は、脱力したようにベンチへ再び座り込む。背もたれに深く沈み込むその姿は、先程までより一層無気力なようにも見えるのだった。
「──ハァァ〜……」
大きく吐き出したため息は、ほんのりと温かみを持った風に連れ去られていった。
向かう先は、永遠と広がる陽気な青空。その遥か彼方へ──。
◇◆◇◆◇◆◇
休憩を終え、執務室に戻った提督は、またも呆気に取られた。
「あ、おかえりなさい提督」
何かの作業をしていた海風が手を止め、小道具らしきものを置いて出迎えてくれる。
それはいい。出入り自由な執務室だ、海風がいたところで何も問題はない。
問題なのは、応接用のソファと机が部屋の隅に寄せられ、代わりに鎮座している見覚えのない物々──。
「……なんだこれは?」
「見ての通り、縁台と屏風です!」
そう自信満々、胸を張って答える海風。
違うそうじゃない。そんなことを聞きたいのではない。どうして今日に限って、こうも的外れことしか答えないのか。
「今日のために用意しておいた物を拝借してきました」
今日のため──なるほど。
無地の紅桔梗色の生布が掛けられ、その上に同色の座布団が並んで2枚敷かれた縁台。
その後ろに広げられた、乳白色の壁紙に桜の花の散り様が繊細かつ鮮明に描かれた屏風。
ひな祭りの雰囲気作りには確かに使えそうだ、実に風情がある。使えそうだが、しかし何故それを執務室に持ってきたのかが分からない。
海風は話を聞いていたのだろうか?
「さぁさぁ、こちらへどうぞ」
「待て、その前に説明を……っ!」
「まぁまぁ、それは後で話しますので!」
未だ混乱する提督は、背中を押されて縁台の前に案内される。
訳のわからぬまま、どうぞお座り下さいと示された向かって左側の座布団に腰を下ろした。
「あっ、座布団に胡座でお願いします」
座り方まで指定されるのか。
言われるままに、靴を脱いで胡座で座る。
「では、これを」
懐から棒のようなものを取り出し、海風は丁寧に両手でそれをそっと差し出す。
受け取ったのは、先が開かないようにゴム紐で固定された黒色の扇子だった。
「これ、は……?」
扇子に落とした視線を上げるけれど、すでに海風は他の作業に移っていて聞けそうになかった。あくせくしながら準備が忙しいと零しているのが耳に入ってくる。
(何故こんなものを?)
推理しようにも、如何せん情報が少なすぎる。
おまけに、整理のつかないうちに事態がどんどん進められていく。
力み過ぎて固くなった目頭を揉む。きっと眉間には深い渓谷が築かれていることだろう。
そしてこの怒涛の勢いに、提督は一度流されるだけ流されればいいかと、もう半ば諦めの境地に達していた。
「はい! 海風も準備が整いました!」
考えるのを止め、手元の扇子を回してしばらく遊んでいると、海風が声を掛けながら提督の前に立った。
「ああ」
顔を上げると、提督は海風の準備とは着替えのことだと理解した。
指定のセーラー型の制服を脱ぎ去り、神風型が着ている着物を身にまとっている。ただ羽織るだけじゃなく、しっかりと着こなしてだ。
海風はその場で、クルリと身体を回して見せてくれる。
「よく似合っている」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
色合いからして、朝風のものだろう。
色素の薄い御髪と、柔らかでありつつも凛々しさを芯に持つ海風の雰囲気と見事に調和している。
「よい、しょっ……と」
提督からの感想を聞いて、海風は空いている座布団へ。
正座で背筋を伸ばし、着物の袖口からの淡黄色の扇子を取り出して広げる。
「提督はその扇子を立てるように、両手で下の方を持ってください」
「こうか?」
「はい、完璧です」
並ぶ提督と海風。
片や閉じた扇子を持ち、片や開いた扇子を持つ。
座り込み、次の指示が飛ばないところを見ると、これで完成ということなのだろうか。
「……終わったか?」
確認に問いかける。
海風は満足そうに頷く。
「はい」
「そうか。なら──」
ここまでやってもピンとこないのは、やはりこれまで触れてこなかったからか。
提督が説明を要求すると、海風は優しく微笑んだ。
「提督と海風は、“お内裏様”と“お雛様”です」
「……なに?」
提督の脳裏に、階段状の台座に並べられた人形たち。そしてその最上段に据え置かれる一対の人形が浮かび上がった。
「お内裏様とお雛様です」
穏やかな声色で同じ言葉を繰り返され、提督の中で点と点がようやく繋がった。
「……ああ、そういうことか」
つまり、自分たちは今、生き雛なのだと。
背後の屏風も、縁台で賄った台座も、雛人形の役に準ずるために必要な飾り付け。手に渡された扇子は、おそらく笏の代わりなのだろう。
「これなら、
そして提督は漠然と気付く。
海風が執務室にこのような舞台を作ってくれたのは、自分のためなのだと。
ゆっくりと、提督は手元に目線を落とす。
海風もそれに合わせて、前を向き、そっと目を閉じる。
「気を……遣わせてしまったな」
「お気になさらないでください。海風がしたかったからしただけですので」
申し訳なさそうな提督に対し、海風は変わらず言葉を続ける。
「ひな祭りは女の子のお祭り。だからといって提督だけが一歩引いて、除け者みたいになってしまうのはとても寂しいことです」
提督が中庭のベンチで所在なさげにしていた姿を見て──。
そうなっていた理由を知って──。
海風は提督も気兼ねなく参加して、ひな祭りを楽しむにはどうしたらいいかを考えていた。
居たたまれなさも、気恥ずかしさも、疎外感も感じさせないためには、何をすればいいのか。
「艦隊のみんなは、思い思いにひな祭りを過ごしています。お祭りのように、好き勝手に遊び回っています。言うなれば、名前だけ借りているような感じだと海風は思っています」
そして思いついたのが、執務室での生き雛親王飾りだった。
「だったら一つくらい、提督がひな祭りの主役になれる場所があっても良いと思いませんか?」
海風の言葉が、何度も何度も反芻される。
「主役……私が……」
提督は強く、音が鳴るほど強く扇子を握りしめる。
自分とは縁遠かった行事で、自分が主役になれる場所。本当は自分も参加したかったとか、そんなことは微塵も考えてはいなかったが、仲間外れのようで気落ちしていたのは事実だ。
だからこうして、海風が
「はい。提督が主役で、相方が海風です」
くすぐったいような、いまいち明瞭としない実感を、提督は感慨深く噛みしめる。寄っていた眉間のシワも、もうきれいに消え去った。
言葉もなく静かに。胸中には安らぎにも似た感情が湧き、自然と口角も緩んでいく。
「どうでしょうか? やはり、勝手なことをしてご迷惑でしたか?」
そんなことは──と海風の方を向けば、海風は扇子で鼻先より下をすっぽりと見えないように隠して、提督のことを窺っていた。
「それとも──お雛様が海風では不満でしょうか?」
提督は、すぐには何も答えなかった。
そうは言うものの、心配そうでも不安そうでもなかったからだ。むしろ、どこかイタズラっぽさすら感じられる。
何かを引き出したいような、何かを望んでいるような──そんな思惑が、容易く想像できる。
「……いや」
だから提督はその意図を汲む。
きっと、扇子に隠された海風と今の自分は、同じ表情を浮かべているのだろうと考えながら。
「いいや、そんなことはない。とても……とても、光栄なことだ。ありがとう海風」
そう告げると、海風は扇子を下ろした。
扇子の後にはまるで、春の訪れを知らせるような、少し紅く染まった晴れやかな花が一輪咲いていた。
「なら、良かったです」
見つめ合い、微笑み合う。
二人だけの世界、二人だけの時間。外から流れる雑音も、今ばかりは耳に入ってこない。
そして、僅かばかりの時間を楽しむと、海風は正面に向き直り、大きく息を吸い込んで歌い始めた。
「────♪」
それは、今日この鎮守府で一番歌われている歌だった。
ゆったりとした曲調に沿い、海風は音程を揺らしていく。
提督も、この歌ならば知っている。
だから、せっかくならば──。
「────♪」
「────♫」
3節目から、海風に合わせて提督も歌い出す。
高く凛とした歌声に、重低音の深く響く歌声が混ざる。
まさか一緒に歌い出すと思っていなかったのか、驚いたように頭を振るった海風に、提督は片目を閉じて目くばせを送った。
「────♫」
執務室にて行われた、お内裏様とお雛様の二重唱。
お内裏様は感謝と嬉しさを込めるように、お雛様はご機嫌に身体を揺らして感情を露わにするようにして歌を紡いでいく。
観客はいない。けれど、それこそが正しい形であるかのようで、ある種の美しさすらあった。
旋律は交わり、2番、3番、そして終番へ。
最後の一節を歌い切り、二人だけの世界はこれにて閉幕を迎えたのだった。
「……」
「……」
心地よい余韻に浸る提督と海風。
楽しさだけでなく、歌い終わりによる一抹の寂寥感さえ染み入るようだ。
スゥーッと息を吸う音がする。だが今度は詩が口ずさまれることなく、ただ吐き出される。
「──さて、それでは提督、お茶にしましょうか」
座布団から降りた海風は、執務室の横に併設されている給湯室へと足を向けた。
「お茶請けはあられでいいですか?」
「いや、お茶はいらない」
それを止めるように、提督もまた縁台から腰を上げた。
「間宮へ行こう。元々、そこでお茶をする予定だったんだろう?」
「え? でも、提督は……」
「構わんさ。たぶん、もう大丈夫だ」
自分は、必ずしも除け者になるわけでない。
それが分かったからこそ、きっと数刻前ほど疎外感に苛まれることもないだろう。
「それに礼もしたい。そうだな、期間限定のパフェを奢ろう」
「いいんですかっ!?」
「問題ない」
「なら、えぇっと、その、お言葉に甘えて……えへへ」
そして、提督は海風の手を取り、執務室を後にした。
無人になった室内を窓より差し込む陽気が照らし、残された屏風と縁台を安らかに包み込む。
初めて踏み込んだ一歩。扉を開いて導く光。
その痕跡を、せめて微かにでも残しておきたいと差し伸べているかのごとく、優しい温もりだ。
きっと、その望みは叶うことだろう。
来年も、再来年もその先も──。
「あっ、そういえば、提督は海風の他にもお誘いを受けて、断られたのではありませんでしたか?」
「むっ……そういえば、そうだった……仕方ない、誠心誠意謝罪するとしよう」
「海風は別日でも構いませんが」
「いや、自分で言ったことは反故にはしない。行こう」
──世界は、祝福に満ちている。
ひな祭りってこんな居たたまれなさとか感じないやろ?
まぁ、女多:男1の状況になったことないけど。