とある変テコな酒場にて

1 / 1
居酒屋葉紅

 午前零時に差し掛かろうというところ。車両の中はがらんどうだ。最終電車の2つ前、少し古びた様子のそれに、彼は重い足取りで乗り込んだ。

 ガスの抜ける音、扉が閉まる。電車が動き出す前に、彼は端っこの席に座ろうとした。ガツンとぶつかり、ギターケースの存在を思い出す。

 軋む音を立てながら電車が動き出した。彼は手すりに掴まりながら、ギターケースを下ろし壁に立てた。ふーーっ……と長く息を吐き、座席に座る。

 ベルトのせいか肩に鈍い痛みがあった。凝ってもいたので、彼は腕を回しつつ肩をもんでみる。一向に良くならないので、諦めて腕をおろした。

 

「高校のとき、こんな重かったっけ……」

 

 小さく口の中で呟く。向かいに座っていた酒に酔った大学生の目線に気づき、彼は視線を落とした。

 スマホを取り出し画面を点ける。Twitterを開き、「ライブ終了! 今日も楽しんでくれてありがとう!」と打ち込む。「俺も楽しかった!」と書いてから、すぐに消した。そのままツイートボタンをタップして、スマホの電源を落とす。

 画面の暗いスマホを持ったまま壁に頭を預け、窓の外を見た。黒いビルがゆっくりと流れていく。深夜になっても未だに、ビルには灯りが点いていた。

 暗闇に輝く窓の光は、ビルが吐く息のようだ。夜の繁華街はまだ酔い始めたばかり。看板が気ままに踊り、ネオンがのたうち回る。信号機は、赤青赤青と飽きずに何度も繰り返す。車が赤い光の尾を引き駆けて行く。大通りはまるで血管だ。車という赤血球達が、運んでいくのは一体何か。

 彼は強く目を閉じた。そのまま顔を窓から背け、車両の中に視線を戻す。向かいの大学生はいつの間にか眠りに付いていた。ガタンガタンと鉄のぶつかる音が繰り返す。窓ガラス一枚で、外の喧騒も社畜の吐息も聞こえない。無機質な箱の中、彼はただ靴跡に汚れた床を見続けた。

 

+-+-+-+-+-+-+-+-+-+

 

 気づけば彼は、最寄り駅の改札に立っていた。見慣れた夜の街の光景。高層ビルが遠くに見える、都会の住宅地だ。いつもの大通りで帰ろうとして、やめた。彼は静かに帰りたかったのである。

 殆ど通ったこともない路地を歩く。車の音は住宅の奥から、薄く聞こえてくるだけだ。静かな空間に、ほっと息をつく。ただ逃げているだけだと、心の底では分かっていたが、彼に首を振る気力は残っていなかった。

 ふと、暖かい光が見えた。黄色がかった電球の光が、木の板に乱反射している。見覚えのない建物に、彼は眉をひそめた。暖簾がかかっていて、そこに店の名前が書いてあった。

 

「居酒屋……はくれ……? ようこう……? 読めないな」

 

 居酒屋の後に、植物の「葉」に、くれないや紅色の「紅」と並んでいる。紅葉の二文字を入れ替えた形だ。

 

「こんな所に居酒屋があったのか……」

 

 彼は普段、居酒屋で飲むことがなかった。まずほとんど酒を飲まないし、たまに飲むのも、少し無理をして、洒落たバーに通っていた。

 だから今も、彼は気にせず通り過ぎようとした。しかしそこで彼の腹が鳴った。思えば、朝食を軽くとってから、今まで何も食べていなかったのである。

 いつもと違うことをしたい気分だった。少なくとも、彼はそう考えていた。

 

 暖簾をくぐり、横開きの引き戸を開ける。店の中から、蒸気を含んだぬるい風が、芳しい香りと共に、ふわっと流れ出てきた。

 居酒屋の店主が、彼の姿を見て声をかけた。

 

「いらっしゃい。カウンターしかないけど、大丈夫?」

「はい」

 

 短く答えながら、彼は店内を眺める。他に客は居なかった。きれいに清掃されているが、新品臭さはない。寧ろ机には年季が入っていた。

 次に彼は、店主を見た。長身の若い女性だ。髪は肩に揃えており、声も中性的な印象を受ける。

 誘導されるまま、彼は席に座った。木の軋む音が、静かに響く。

 

「これおしぼりね。ご注文は何です?」

「ここに来たのは初めてだから、お勧めとか、メニューの紹介とかしてくれますか?」

「ん、ウチはちょっと特殊なんだ。後ろにかけてあるけど」

 

 振り向くと、木の札が横に並んでいて、そこにメニューが書かれていた。

 

「ビール、日本酒……。紅茶鍋? ……豚の紅茶煮……紅茶?」

「そ、紅茶料理ってのを、その、やらせてもらってます」

「へぇ……。あ、普通のもあるんですね」

「紅茶料理だけで、全部メニューは作れなくて……」

「あとは……ウーパールーパー!?」

「あ、いや、ごめん! 片付け忘れてた!」

 

 店主がカウンターから出て、慌てた様子で木の札を隠す。

 

「いや、その、こういうのやればお客さん引っ張ってこれないかなって」

「むしろ引きそう」

「だ、だよね、ドン引きだよね」

「あー、いや、苦労してるんですね?」

「……うん。まあ人並みにはね? でも、ありがたい事に常連さんも多いし。それより、お勧めは無難に紅茶鍋かな。でもちょっとつまみたいくらいなら、豚の紅茶煮」

「……じゃあ、お鍋で」

「はーい。あんまりお酒に合わないけど」

「居酒屋に来といてアレですけど……酒を飲む気分でもないので」

「お酒、苦手?」

「嫌いじゃないですけど、あまり飲まないってだけで」

「私もー」

「えぇ……?」

「ホント、何で居酒屋やってんだろうね?」

 

 苦笑しながら、店主は準備を始めた。

 

「えぇっと……」

「……ごめん。今の忘れて? 冗談だから。それより、それ、ギター?」

「あ、あぁ、そうです。ちょっとバンドやったりしてて」

「へぇ……もしかしてライブ帰りだったり?」

「そうですね」

「どんな感じだった?」

「……え?」

「ライブ、どんな感じだった?」

「あ、あぁ……まあ、楽しかったです。盛り上がりましたし」

「そりゃ良かった。私もライブよく行ったりするからなー今度行こうかなー」

「今度って……」

「今度あなたのライブに行こうかなーって。次はいつ?」

「次……」

 

 脇に置いていた、ギターケースが倒れた。

 

「うわっ、びっくりした……ちょ、大丈夫?」

「あー……はい、大丈夫です」

 

 彼は軽くギターケースを開けて、中を確認してから頷いた。

 今度は荷物で固定して、倒れないようにしながら立て掛ける。

 

「危ないなぁ。商売道具でしょ? それ」

「はい」

「気をつけないと。次、ライブ中止とかなったら、私行けないじゃん」

「……はい」

 

 彼は頷いた。それから暫く、沈黙が続いた。

 鍋の煮込む音が周期的に繰り返される。湯気に舞い上がる香りが、彼の鼻を掠めた。菜箸の鍋を叩く音が軽やかに響く。

 彼は手持ち無沙汰になり、スマホを取り出した。ツイッターを開く。通知はゼロだ。

 店主は包丁を取り出し、まな板の上で切り始めた。今度は刃先とまな板が、トントンと音を鳴らす。

 スマホをしまった。 

 

「すみません。嘘です」

「……え? 何、突然に」

「嘘つきました。次、もうライブ無いかもしれません」

「どういうこと?」

「解散ですよ。カイサン」

「バンド、解散したの?」

「まだしてないですけど、もしかしたら」

 

 店主は一つ頭を掻くと、彼の顔を見た。

 

「……そりゃまた何で? 音楽性の違い?」

「それもありますけど……一番は皆の事情というか……」

「ふーん?」

「ドラムは店継がなきゃ行けないし……ベースは何かやりたい事見つけたらしいし……ボーカルは結婚するって」

「結婚? めでたいじゃん」

「でもそいつ三股っすよ」

「よし死刑だね」

「その上で安定した職探したいとか、片腹痛しですよ。腹筋崩壊焼肉定食」

「何それ」

 

 店主は声を殺して笑う。

 彼は鍋から立ち上る湯気を眺めた。白いそれは天井にぶつかると、排気口に吸い込まれていった。

 

「俺も、大学生なんで勉強しないと」

「へぇ。大学行きながらバンドは大変だ」

 

 まあ、私大学行った事ないけど、と店主は口籠る。

 

「まあ、そんな事情で解散秒読みなんです」

「んー、聞く限りしょうがない感じだね。それは」

「しょうがないんですよねー」

 

 はぁ、とため息をついた。

 

「それにまあ、正直盛り上がってもいませんし。客も減ってますし。今日のライブとか音割れひどかったですし。いつか起こることだった気がしてます」

 

 二人は黙った。またグツグツと煮えた音が空気を流れる。沈黙を破るように、店主は手を叩いた。

 

「じゃあさ、ほら、ここで一曲弾いてみてよ」

「え」

「まだ出来るまで時間かかるし。ここでラストライブ的な……駄目かな? 何なら鍋無料にするよ? 見物料?」

「いやお代は払いますけど……そうですね。じゃあ何か、弾き語りましょうか」

「よっし……って、歌えるの?」

「ギター兼ボーカルというか、まあ、そんな感じです」

 

 ケースからギターを取り出し、首にかける。

 一つ息を吐き、ピックが弦を鳴らした。

 

+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+

 

「……っとまあ、こんな感じです」

「おぉ……」

 

 店主は目を丸くしながら、彼を見ていた。

 

「えーっと」

「あ、ごめん。そうだね。いや、すごい!」

「すごい?」

「そう、何かすごい! ……ごめん私、語彙力なくて」

「いや、ご静聴ありがとうございました」

 

 彼は一つお辞儀をして、またギターをケースにしまった。

 店主は皿に盛り付けた紅茶鍋と白米のよそわれた茶碗を、彼の眼の前に置く。

 

「ごめん。思わず聞き取れてて、ちょっと煮過ぎちゃったかもしれない。新しく作る?」

「いや大丈夫です。これくらいが好きなんで」

 

 彼は橋で大根を挟んだ。汁が染みたそれは、崩れるように割れる。

 

「見ればわかると思うけど、野菜ベースのお鍋です。白菜、大根、人参、お葱、白滝とお豆腐。団子みたいなのは鶏つくね。ご飯はサービスね」

「ありがとうございます」

 

 スープをスプーンですくい、啜る。

 

「あ、おいしい」

「おぉ、ありがと」

「塩味でも紅茶って意外と美味しいんですね。お茶漬けっぽい?」

「そうそう。今回使ったのヌワラエリヤの茶葉だから、緑茶っぽい味なんだ。ミディアムグロウンティーだから渋みは抑えてると思うんだけど」

「茶葉も凝ってるんですね」

「まあ流石にねー」

 

 彼はつくねを口に運んだ。肉汁が滲み出て、茶の香りと混ざり合う。

 そらからまた暫く、彼は黙々と鍋をつついた。徐々に白米の山も低くなっていく。店主は洗い物を始めていた。

 

「そういえばさ、紅茶の花言葉って、知ってる?」

「紅茶に花言葉です?」

「まあ、紅茶というか『茶の木』の花言葉だけど。一つは『純愛』」

「あー、ありがちですね」

「もう一つは、『追憶』」

「へぇ……」

 

 数拍の間を置いて、彼はスプーンで汁を啜った。

 

「……私さ、本当は、喫茶店の店主とかやってみたかったんだよね」

 

 どう答えていいか分からず、彼はまた汁を啜った。出汁と紅茶の香りが、鼻腔に広がる。

 

「父さんがやってた居酒屋、継ぐことになっちゃったけど」

「お父さんのお店なんですか、ここ」

「元ね。急に倒れちゃってさ……お手伝いしてた私が継ぐことにしたんだ。お父さんはやらなくていい……って言ってたんだけど、ここが好きなお客さんもいるし。段々減ってきちゃってるけど」

「……なるほど」

 

 また彼はスプーンに口をつけた。

 

「君の歌聞いてさー、なんか店閉じて喫茶店始めてもいいかなーって、思っちゃった」

「えぇ……俺の歌で?」

「ほら、『前に進まなきゃー』『生きなきゃー』って思っちゃうじゃん」

「あー……」

 

 スプーンから手を離した。スプーンの柄が鍋の縁をつつつっと滑り、汁の中に沈んでしまう。

 

「ここでダラダラやってるの、バカみたいに思えて来ちゃって。別にお客さんが大事じゃないとか言ってないんだけど、私を大事にしてもいいんじゃないかって」

 

 店主は洗い終わったコップを、棚にしまっていく。

 

「あー、もう。忘れてたんだけどなー。明日には店閉じちゃうかなー。君のせいだからなーこれ。責任とってよ?」

「責任って……」

 

 店主は意地悪気な笑みを浮かべた。

 

「君の歌のせいなんだよ? それだけ私は感動したの」

 

 真っ直ぐに見つめられて、思わず彼は目をそらした。そのまま視線を落とす。鍋に沈んだスプーンが目に入る。水面が照明と彼の顔を映した。

 

「でもその歌、俺の歌ですよ? バンドのじゃなくて」

「へー? 自作なの」

「ずーっとうじうじしている野郎の歌です。それは。なんならバンドも解散しようとしてますし。そんな奴が歌っちまった歌です」

「なにそれ。感動した私が馬鹿みたいじゃない」

「……ごめんなさい」

 

 水面の顔が、ゆらゆらと揺れる。

 鍋を見つめたままの彼に、店主はため息をついた。

 

「少なくとも、バンドの解散イコール後退じゃ無いと思うんだけど」

「え?」

 

 彼は思わず店主の顔を見た。

 

「今の状況を捨てて、新しい道に進んでいくんでしょ? それは確実に前進じゃない?」

「……そうですかね?」

「何もかも前進だよ。そうじゃなきゃ、やってられないでしょ。別に解散したからと言って音楽やめなきゃいけない訳じゃないし。生きてる限り、なんならまたバンド組めばいいだろうし……これ、下げていい?」

「……あ、どうぞ」

 

 店主は空になった茶碗を受け取ると、流し台に置いた。蛇口から水を出し、茶碗に満たす。

 彼はまた鍋に視線を戻した。水面はくっきりと彼の表情を反射している。その顔がおかしくって、彼は笑いを漏らした。

 

 彼は鍋に直接口をつけて、残った汁を一気に飲み干した。

 

「ちょっと、火傷するよ!?」

「大丈夫です! もう冷めてるんで!」

 

 彼は財布から千円札を取り出すと、カウンターに叩きつけるように置いた。

 

「これお代です! お釣りは要らないです! 美味しかったですご馳走さま!」

「え、え?」

 

 困惑する店主をよそに、彼はギターケースと荷物を急いで肩にかけると、慌ただしく店の外に出た。

 冬の風は透き通っていて、寒さを伴い彼の鼻孔を突き刺す。口から漏れる吐息は白く変わった。紅茶の香りが、排気ガスを含んだ街の空気に掻き消される。

 彼は夜街を走りながら、スマホを取り出した。

 耳元から発信音が鳴る。

 

「……あ、Kage? ……ああ、遅くにすまん。ちょっと明日話があるんだけど……そう、集まれないか?」

 

 ゆさゆさと重そうにしながら、それでも彼は走る。隣の車道を、赤いランプの軌跡を描きながら、車が通り過ぎて行った。目の前の横断歩道の青信号が、点滅する。そのリズムよりも速く足を動かし、ギリギリで渡りきった。走りながら電話で喋っているせいか、随分と息が切れていた。酒に酔ったように、彼の顔は真っ赤だった。喉の奥から血の味がする。

 血の味がした。

 

+-+-+-+-+-+-+-+-+-+

 

 解散の話は、意外とあっさりと終わった。

 メンバー全員が、何となく察していたのだった。

 

 後日、彼はまた同じ時間、同じ道を訪ねた。「居酒屋葉紅」は、もう無くなっていた。看板は外され、シャッターが下ろされていた。あの夜が夢だったかのように。

 経営困難で潰れてしまったのか、本当に夢の出来事だったのか。

 

「カフェ……いや、喫茶店だったかな?」

 

 そんな理由だったら良いなと、彼はひとりごちる。

 夜闇に電車の音が響いた。ガタンゴトンと繰り返されるそれは、いつしか遠く、小さくなっていった。

 

 


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。