「無理してたんだろうにな…」
カトルの隣で、同情的な思いを抱く青山の言葉が、同様の光景を見守っている者達皆の思いを的確に代弁する。
バトルキャンプの中でZEXISのパイロット達にあてがわれた部屋は幾つもあるが、その部屋には大きく分けて2種類のパイロット達がいた。今すぐにでも猛ダッシュが可能な体力を残している者と、事情があって完全に枯渇してしまった者だ。
日本の夏は、暑い。もし昼だけならまだ救いはあったろう。しかし、そもそもこの国の暑さは熱気であり、温度に加え強烈な程の湿度を含む。これが昼に猛暑、夜には熱帯夜という縞模様を構成し、連日連夜国民と入国者を苦しめるのだ。
多少天候の影響は受けるものの、「本格的な夏」と呼ばれる期間中ほぼ切れ目なく高温多湿の日々が続く。勿論人々もこれに対抗し、涼を求めコンビニと自動販売機になけなしの小遣いを貢ぐ。安価、ないしは無料でクーラーの恩恵に預かれる場所は、どこも大盛況だ。
但し、この国で冷房の効いた室内を必要としているのは、何も善良な一般市民だけではない。過酷な訓練を乗り越えてきた戦士にも同様の休息環境が必要なのだと、カトル達の見守る室内の惨状が無言で語りかけてくる。
詰め襟を開き制服の中に籠もった熱気を外に出しながら、アスランが氷入りのコーヒーをストローで吸い上げていた。顔は紅潮し、流れ落ちる汗が彼の不調ぶりを無言で語る様が痛々しい。
「…設定温度、誰かいじってません? さっきより室温、上がってる気がするんですけど…」
同じくザフトの制服に苦戦を強いられているシンが、半ば独り言のように呟いた。
勿論、誰も設定温度を変えてなどいない。しかし、体が火照りから解放されたと実感できないが故に、ついそう錯覚してしまうのだろう。
カトルが日本の環境に即日適応できるのは、こちらの世界にあるコロニーとキラ達の世界にあるコロニーの差ではなく、単にカトル自身が地球の砂漠地帯で過ごした経験を持っているからだ。そのカトルでも、この国の夏を月単位で体感しながらパトロールと出撃を繰り返すのは少々辛いと感じてしまう。
シン達は、よくやっているのだ。バトルキャンプへの移動後、シフトに従ってMSでのパトロールをこなしてくれるZEUTH組の善意に感謝こそすれ、この惨憺たる有様を叱責するような輩など、この基地には一人もいなかった。
額に濡れたタオルを乗せ、椅子の背もたれに上体を委ねているルナマリアが、皆の代わりに答えてやる。
「わかってるでしょ、シン。今は、午後2時をまわったばっかりで、とっても日が高いから、滑走路と建物がちょうどジリジリ日に焼かれてるとこな訳。さっきより建物があったまってる。ほーんと、それだけよ」
「なら、下げればいいじゃないか。全然涼しくないって、この部屋」
「5分前に2度下げたばかりだろう」
しきりにぐずるシンへ、とうとうアスランが軽く苛立ちを示す。
「だけど…」涼しくならないと言いたげな口を尖らせ、シンは言葉を飲み込んだ。
「下げてもいいんだぜ。冷えてきたら、また上げればいいだけの事なんだから」
コスモクラッシャー隊のナオトが、壁面に取りつけられている温度調節パネルに手を伸ばした。
設定温度は、26度。ブラインドを下げた南向きの窓が一面を占める2階の一室では、余り低い室温とは言えない。
「ありがとう」暖かな仲間の配慮に、キラが礼を述べた。ストローから口を離し、スポーツ・ドリンクの入っていたコップをテーブルに置く。「気温が高いだけならいいんだけど、この湿度は結構きついね。熱くても乾ききった砂漠地帯より、日本では体調管理が難しいよ。凄いな。日本の人達も、ここを拠点に活動できる人達も」
「そんな。褒められる程のものでもないけどな」
独立国側の日本代表として、赤木が喜色で頭を掻く。
「ホント。こんな事、いずれみんなも慣れるわよ」新しい濡れタオルを持って来たいぶきが、ただ突っ立っている赤木をさも邪魔そうに小突いて避けさせ、「はい」とキラ達参っている者達一人一人に渡してゆく。
そのいぶきに、ゼロが問うた。
「向こうの部屋の様子は?」
「こっちと大して変わらないわ」空になったプラスチック製の籠を掲げて見せ、他の部屋でも濡れタオルが入り用だった事を暗に告げる。「SMSの人達も、成分無調整なこの酷暑にだいぶ体力を取られているみたい。でも、予報では来週から少し空気が入れ替わるそうだから、楽になるんじゃないかしら」
「来週には、の条件付きでか」
「そうなるわね」と、いぶきがやや表情を曇らせる。
「出撃メンバーの変更は、避けられませんね」
ぽそりと呟くカトルに、「やむをえまい」とゼロも肯定した。
「それにしても流石ですね。みんなが暑くて参っているのに、厚いマントとその仮面。僕なら付けていられませんよ」
真実、敬意を払ってカトルはゼロの怪しげな服装を褒め称えたつもりだった。ロジャーさえネクタイとスーツを時折うっとおしげに扱っているというのに、顔を覆い尽くした黒い仮面と、背中を蒸し器にでもしそうな厚手の黒いマントを、ゼロは今も身につけている。
鍛錬によって鍛えた体力だけで続けられる質のものでない事は、隣の部屋で部下共々氷の世話になっているオズマ少佐を見れば明らかだ。
「私とて日本育ちだ。こちらの日本でも、頭と体が覚えた事を実践しているだけの事」
「つまり、氷水を入れたバケツが必須という事だ」
タイミングを逃さず、ここでC・Cがツッコミを入れた。
「お前は黙っていろ! そう言うお前とて、冷たいドリンクは欠かせまい」
「ああ。私が倒れたら、お前の氷水をわざわざ他の者に用意させる事になるからな。途中で休憩し手を入れるのは楽しいが、一日7回もやるのはなかなか厳しいのだぞ」
「た…、大変ね。筋トレにはなりそうだけど」
その「大変」の方がゼロを指すのか、或いはC・Cを指すかが定かでないまま、取り敢えず葵が同情する。
「来週か。ま、目と鼻の先じゃねぇか。何にもない事を祈ってるうち、気がつきゃその来週かもしれないぜ。それに幸い、うちには優秀なパイロットは沢山いるし。問題はないだろ。な」
努めて明るく、デュオが仲間達の空気を変えようとする。
勿論、この暑さ程度で士気が下がるZEXISではないと全員が承知してはいる。出身も様々なパイロット達は、集中力やモチベーション維持に向いていると感じる環境がそれぞれに異なるからだ。
出撃するタイミング、戦場となる場所、地形、それらによって、同じパイロットが戦うにしても、戦果にはばらつきが出てしまう。それは適性という避けようのないものに縛られている為で、海中戦に苦手意識のある者が陸上戦で見せる巧みさを海中で発揮できない事と理由は同じだ。
真夏の日本に戸惑うパイロットがいる一方、例年と変わらぬ故郷の気候を全身で実感し、むしろモチベーションの上がる日本人パイロットもいる。竜馬達ゲッターチームやダイ・ガードのメイン・パイロットである赤木、トライダーG7を操るワッ太、そして紅蓮弐式のカレンがそうだ。中には、SMS所属のクランのように過酷な環境で戦闘する事に充実感を覚える手練れまでいる。
勿論クランの場合は、遺伝子操作によって肉体を強化されたゼントラーディならではの離れ業と見る事もできるが、ジロンやアポロ、シモンといったタフなナチュラルがいる事を考慮するなら、仲間の頼もしさに心躍る事こそあれ、戦果を疑問視する理由は生まれようもなかった。
戦術的視野に立つと、SMSのオズマが前線で士気高揚に貢献できない事はなるほど痛手ではあるが、ゼロが敢えてその役目を買って出るとほのめかしている。取り敢えず、不足は上手く補われていた。
もし、カミナの死に続きロックオンの右目失明という大事件に見舞われた現実を、各自が乗り越えてさえいれば。そう、そこにこそ潜在的問題が横たわっていると言っていい。
シモンが立ち直り、刹那とロックオンの確執も過去のものとなった。互いの絆はより深いものとなり、むしろ隊の士気が上がった部分もある。とはいえ、聞き慣れた威勢のよい声がもうどこからも聞こえてこない。その隙間は埋めようがなかった。
しかも、痛々しいロックオンの黒い眼帯姿が、同じソレスタルビーイングのティエリアを追いつめている。たとえ当のロックオンが以前と変わらぬ様子で明るく振る舞っていようとも、悲劇の経緯と覆しようのない事実が、日々のものとしてティエリアのみならず全員の上にのしかかってくる。
言葉の限界を知る仲間達はティエリアをそっと見守るだけに留め、結果として微妙な距離を両者の間に作ってしまう。残酷な日差しをものともせず、先程仲間の買い物に付き添い外出したロックオンの行為は、悲しい思いやりの形だった。
「出撃メンバーについては、私とミス・スメラギ、オズマ少佐、ケンジ、ロジャー氏、ワイルダー艦長で至急煮詰めよう」
ゼロの張り詰めた声が、カトルの耳に心地よい。締めどころ、締め方をよく心得たリーダーぶりが、不確かな素顔以上にカトルを安堵させる。
ウィナー家の長として一族を束ねる運命を背負ってきたカトルが、リーダーの資質について人を褒める事は少ない。そのカトルから見ても、ゼロは威厳と切れの両方に恵まれている極めて稀な逸材だった。鋭利な刃物を思わせる明晰な頭脳だけではなく、威厳からくる威圧感が指揮官の風格となって味方に安心感を与えるのだ。
「こいつは何かをするぞ」と敵味方双方に思わせる事ができる指揮官は、そもそもその存在自体に大きな意味がある。表情と目線を一切使わずにこれだけ様々な境遇を持つパイロット達を瞬時に束ねるのだから、この男が自身の持つ宝を全て使うと決めた時、一体何が起こるのだろうとの思いが沸く。
尤もそれは一応の期待であり、また微かな不安をも含んでいる。感じるのだ。かつてZEXISの全てを叩きつけても倒す事が叶わなかった破界の王ガイオウに、ゼロが何かを見出していると。
不意に、ドアを開け冷気を逃がす者が現れた。
すっかり表情に冴えの戻った長身の男が1人、全く別の話題を持ってカトル達の前に現れる。
「おい。済まないが誰か、この財布をルカ達に持って行ってくれないか?」
右手を伸ばすオズマが、半透明の小銭入れを一つ皆の前に差し出した。透けている分、中にそれなりの現金が入っているとわかる。
「出かける前に渡すつもりだったのに、あいつら、気を遣って俺のところに寄らずに外出しやがった。小っちゃいのまで連れてるんだろう。冷たいものくらい食べさせてやらないとな」
「それなら俺が…」とタケルが言いかけたところ、「私がいたしましょう」と名乗る者がオズマの後ろに立った。
竹尾ゼネラルカンパニーの柿小路専務だ。薄手のシャツを着た初老の老人は首にタオルを巻き、頭皮から流れ伝う汗をそのタオルに吸わせている。
カトルの記憶が、シミュレーター訓練を終えたばかりの筈だと呟いた。当然疲労感はあるのだろうに、果敢にもそのまま炎天下の外に出るという。
「あ! 俺もついていく! この辺で遊ぶ場所なんて限られてるからな。最近、新しい裏道も開拓したんだ」
これまで何処にいたのか、さっと手を上げるワッ太が柿小路の更に後ろから強気の主張で話に割り込んでくる。
「社長」呆れるというより嘆きの顔で、柿小路が過去を思い出す。「バトルキャンプの何処を捜してもいらっしゃらない時があると思ったら…」
「うん。外に出てたんだ。仕事でよくここには来るだろう? 前から出入りは自由だったから、ちょっと遊びに。でも、打ち合わせに穴を開けた事はないぜ」
「それはそうですが…」
やや渋面を浮かべる専務へ「ま、それはそれ」と強引に話題を打ち切らせ、ワッ太少年がオズマの差し出した財布を取り上げる。
「ここは、静岡のこの辺にも明るい俺達に任せてよ。他のパイロットの人達は、冷房で涼んでて。日が西に傾いても、また暑いよ。この時期は」
「あ、ああ」
半分程しか納得できないオズマに、柿小路が言葉を足す。
「私達にお任せ下さい。確かルカさんは、フロンティア船団にいるご学友に地球土産を買いに行かれた筈。間違いはございませんね?」
「あ、ああ」
「この近辺の商圏は、近くに幾つもありません。ダリーちゃん、ギミー君が砂浜というものが見たいと話していたようなので、そちらの心当たりにも寄ってみましょう」
「ありがとう…。あの子達を頼みます」
「使った者勝ちですぞ。その場にいる仲間というものは」
満面の笑みを零す柿小路に、「でも、無理しないで」とカレンが未開封のペットボトルを2本渡す。
「じゃあ、行ってくるね!」
まず柿小路が、続いてワッ太が、踵を返し部屋を出る。
明朗なやりとりをする老人に居合わせた全員が呆然とする中、最初に自分を取り戻したのはルナマリアだった。
「なんて元気なの、あのお爺さん! やっぱり凄いわ、この国の人」
「負けちゃ、いられませんよね。そうでしょ? アスラン」
元々負けん気の強いシンまでが、先程までとうって変わり、詰め襟を整え座っていた椅子で背筋を伸ばす。
「確かにそうだな」
アスランも服装を直し、ルナマリアはけだるそうにだが己のプライドにかけ上体を起こす。
その彼等に、同じZEUTH出身のロジャーが話しかけた。
「柿小路専務とワッ太社長は、ZEXIS所属。そして今や我々も、同じZEXISの一員だ」
「はい」
激しい人の出入りで、部屋の冷気はすっかり失せていた。とはいえ、先程までの忍耐顔が嘘のようにロジャーの表情にも余裕が戻っている。
「勿論、君の言わんとする事は理解できる。ルナマリア。…頼もしいのだろう? この地球で出会った老人一人さえ」
「はい!」
「今は心地よく噛みしめていよう。これがZEXISなのだと」
* * *
静岡県にある国連軍の基地バトルキャンプ。海沿いの土地を贅沢に使いコスモクラッシャー隊の拠点として太平洋に睨みをきかせているこの基地は、今や国連平和維持理事会所属のZEXISという大所帯を預かっている。
秘密基地として機能していた龍牙島からこの静岡に移動して以来、ルカはずっと土産を購入する機会を探していた事をクロウは知っていた。
でたらめに日差しのきつい真昼に外出許可が下りたのには、理由がある。バトルキャンプから眺める海では物足らなくなったギミーとダリーが、波というものを見たがった事。そして子守をするのならという条件を飲み、ルカが初めての外出許可を申請したのが今朝である事。そして、意外にも「俺もついて行こうかな」とロックオンまでもが子守に志願した為だ。
最終的に外出したのは、ルカ、ロックオン、ギミー、ダリー、ロシウ、そしてクロウの6人だった。ギミーとダリーは小さいなりにもロシウとルカ、ロックオンの話をよく聞き分け、小さな商圏を勝手に歩き回ろうとはしない。その間にルカは、ああでもないこうでもないと独り言を唱えつつ、食べ物から小物と幅広く吟味して回った。
「これはなぁに?」
「なぁに?」
シンクロする子供2人がロシウを見上げると、「これはですね」と呟いたきり黙ってしまう彼に代わり、ルカが「これは、わさび漬けというんだよ。ご飯にのせて食べるもので、つんとした香りを楽しむ大人向けの食べ物なんだ」と説明する。
「わさびと言うと、以前甲児さんがお土産に持って来てくれたわさびアイスのあれ、ですか?」
「そうですよ」とルカが首肯も交える。「僕は辛いものが苦手ですからちょっと食べられませんけど。…凄いですよね、アイスにまで入れるなんて。そのアイディアと言おうか、勇気と言おうか」
「あの…」言い淀んだロシウが、ふと顔を上げた。「フロンティア船団のルカさんは、どうしてそんなに物知りなんですか?」
「ああ、これはですね。アルト先輩から教えてもらったんです。そうそう、先輩だけじゃなくフロンティア船団にもいるんですよ。この星の日本ではないけれど、日本の血と文化を受け継いだ人達が沢山」
「閉じられた空間で生活し、食べ物や水を分け合っていると聞きましたが」
「うーん。そういう言い方になるのかな。…管理されている船内だから、こんなに暑くはないんですけど…。うわっ」
立ち位置を変えた途端、ルカの首筋に容赦ない真夏の日差しが突き刺さった。テント下にある売り場は手狭で売り物がようやく陰に収まっているにすぎず、居場所を変える度、客はどうしても直射日光に晒されてしまう。
美星学園中等部の制服は半ズボンなので、ルカの腕ばかりか素足にも汗が噴き出ている。シャツには帽子代わりになるフードが一応付いていたが、「頭が蒸れるので」という理由から彼は被ろうとしなかった。
ギミーとダリーを見、クロウはそればかりが理由ではなかろうとの思いに立つ。また、いつもの白い服で腕と足を覆っているロシウは、服の中に熱気が籠もるので、ルカとは別の苦境に立たされている。
「本当にここは地上なのか?」
気候的な理屈はわかっていても、クロウ達にとってそれは何ら救いにはならなかった。幾ら呼吸をすれども、肺に入ってくるのは、空気ではなく水蒸気ではないか。それ自体が問題なのだ。
粘り気のある高温多湿の空気は温水プールを連想させ、自分達が日の差し込む水面下の商店街にいるような錯覚をクロウ達全員に与えていた。事実、ルカやロシウは肩で息をしている。日陰特有の快適さすら微塵もない。
「…流石に、これだけ蒸すと堪えますね…」
ロシウの呟きに、同じ黒髪のクロウもうんざりとした。
「ルカ。買い物が済んだら、浜辺に出る前に一旦休憩するぞ。これじゃあ折角地上にいるのに、ぬるま湯空気で溺れそうだ」
「了解です、クロウさん」
その場で頭数を数え、クロウは他ならぬ子守役の年長者であるロックオンがいなくなっている事に、この時気がついた。地図代わりの携帯端末でもクロウの記憶でも、今いる通り以外で目立った商圏は、この場所とバトルキャンプの間にはない。
真夏の眩しさが、クロウを不安にさせる。利き目を失ったロックオンに、照り返しの強い海沿いでの買い物は相当辛いに違いないのだ。
ルカとロシウに「おい、ロックオンを見なかったか?」と尋ねかけた時、3軒先の店から「ありがとう」という捜していた男の声がした。
ふと見ると、幾つもの子供向け麦わら帽子を抱えたロックオンがこちらに歩いて来る。
彼は、赤いリボンの付いたその帽子を、「そら」とダリー、ギミー、ロシウ、ルカの順に被せて回った。「本当は、もっと早くから被って欲しかったんだけどな」
「ありがとう、ロックオン」
「ありがとう」
「ありがとう、ロックオンさん」
「ありがとうございます」
4人の未成年者が礼を言うと、そのロックオンが今度はクロウに近づいた。
「但し」
「へ?」
「大人は自分で買いな。倹約と、必要な物を我慢するのは違うだろ」
合点したクロウは、小さく頷いた。
「確かに」
言われた足でクロウは、ロックオンの利用した店に行き、紺色のリボンが付いた大人用の麦わら帽子を二つ買う。そして、急ぎ取って返すと、その一つをいきなり仲間の頭に無理矢理被せた。
唯一彼が頼りとしている筈の左目が、帽子の幅広な鍔で陰の中に入る。
「倹約と我慢は違うんだろ? 無理すんなって。眩しい筈だ」
「クロウ…」
「この後、みんなで浜辺に出るんだぜ。照り返しは侮れないぞ」
子供の視線を意識しつつ、クロウはプロにわかるような一瞬だけの真顔を作ってみせた。
その意味するところを全て悟り、隻眼の狙撃手は神妙な眼差しを返して寄越す。
「お前に気を回させるとはな」
「別に大した事ぁないって」
ここでロックオンが、クロウの手に残っている大人用の麦わら帽子を取り上げクロウの頭に乗せた。その姿を上から下へと視線で舐め、突然プッと吹き出す。
「似合ってないぞ。何しろ、組み合わせが最低だ」
「いいさ。ここは安全第一、子供達とお揃いを楽しむって事で」
クロウがいつものワイシャツと紐タイに組み合わせているのは、オズマが貸してくれた紺地の夏用ズボンだ。ルカと子供達の護衛をクロウが申し出た時、「これを履いていけ」と押しつけられた。
下半身に筋肉がしっかりとついた男のおしゃれ着というものを、オズマはよく心得ている。護衛という立場柄、靴はいつもの軍用ブーツをそのまま履いて出ただけに、麦わら帽子が、折角のコーディネイトにどういったとどめを刺しているかを想像するのは面白くない。
それは、意趣返しのつもりだった。
「いいよな。似合ってるぜ、ロックオン。いつもの服装にベストマッチだ」
「いいだろう? 俺は、何を被ってもさまになるのさ」
右手の人差し指を立て、旧世紀のガンマンよろしく麦わら帽子の鍔を軽く突き上げる。覗かせた表情は、確かに海のある町を歩くに相応しい二枚目の好青年だった。そう、右目の眼帯が落とす暗い陰にさえそっと目を瞑ってやれば。
「…本当にキマってるのが悔しいような。モテるぜ、女の子に」
それでも、クロウが選んだ言葉は紛れもない本心だった。
「女の子か。さっきから、結構かわいい子も歩いてるよな」
ロックオンが視線で指し示した先には、ソフトクリームを舐めながら歩いている2人連れの女性がいる。クロウ基準の見立てでも、ミシェルや桂が放っておかないタイプの美人だろう。
「いいなぁ、つかの間でも平和ってのは」
ぽつりと漏れた、これも本心ではある。
勿論、女性に心奪われたのではない。鍔を上げたロックオンの眼帯に気づいたであろう彼女達が、それでも楽しそうに彼を見守っていたからだ。
「守ってやりたくなるぜ」
「彼女達の夏をか?」
ふと優しい気持ちになったクロウへ、無情にも背筋に電気が走るギャグをロックオンが投げつける。
「よしてくれ。そういう事をしたがる奴はいるとしても、俺はノーサンキューだ」
今は、夏の行楽シーズンの真っ最中。彼女達のナイトを気取る輩が幾らでも出てくる事は、想像に難くない。
クロウとしては一般論に触れお寒いギャグを突き放すだけのつもりだったが、その時ルカの被っている帽子の鍔がぴくりと振るえて驚いた。どうやら、「そういう事をしたがる奴」を極身近にいる人物の事と思い込んでしまったようだ。
「ミシェルの事じゃないぞ、ルカ」と、ロックオンがフォローに入ってくれる。
「あ、はい。今は夏だから、という話ですね」
誤解と悟り照れ笑いをするルカが、ロックオンを、そしてクロウを仰ぎ、土産物の選びに戻った。ちょうど右手に和紙製のスケッチブック、視線の先には何種類もの千代紙を束ねた包みが置かれており、ルカの視線は二つの商品の間を盛んに行き来している。
「なるほどな」と、ロックオンが腕組みをし頷いた。「贈る相手は、女の子か」
「しかも、絵を描くのが好きな子。或いは、美術部でがんばってる子ってセンも有りだな」
クロウが付け加えると、俯いた帽子の隙間から水蒸気が昇る。
「か…、からかわないで下さい。お二人とも」
「悪い、ルカ。じゃあ、引率者は外で待ってるからな。急がなくていい。迷って考えて、気に入った物を買えよ」
「はい」
「俺達は、向かいの氷屋にいるぞ」
「はい。後から行きます」
ロックオンが指し示した店を確認し、ルカは土産の選択に戻った。
先に入った店で涼み、ルカの合流と休憩を待ってから、全員で浜辺へと向かう。
「波ってどれ?」
「どれ?」
寄せては返す波を目前にしても、2人の子供は海を指さし波というものを自分達なりに探し続けている。
答えてやったのは、ロックオンだった。
「龍牙島で見たのは、岸壁に向かってくる白い山と打ちつける海水だったろう? こういう平らなところでは、波は優しく浜辺を撫でていくだけなんだ」
「そうなんだ」
「そういえば龍牙島にも浜辺はありましたけど、垂直に切り立った崖の先でしたから、あの周辺は立ち入り禁止だと言われました」
思い出したように話すロシウへ、「僕も、初めて聞いた地球の波の音は、あの崖に打ちつける大きな音でした」とルカも同意する。「楽しい、のとは違いますよね」
「あれは、地球での思い出作りには向かないな」
「風当たりが強いと、大波が打ちつける孤島か。…全く洒落にならないぜ」
クロウの指摘を、肯定的にロックオンが受ける。
それぞれの姿勢で浜辺に影を落としながら、クロウ達は心地よい波の音に耳を傾けた。
今いる浜辺は清潔で、人の手が加わっている痕跡があちこちに見受けられる。それなりに人気も高いのだろう、やや離れた所には家族連れや友人の集まりらしい集団がそれぞれ塊を作り写真撮影やビーチボール遊びに興じている。
照り返しが眩しいと感じられる浜辺の先に、クロウが履いている借り物のズボンと同色に染まった海と、その青より更に薄いが鮮やかな快晴の空があった。
麦わら帽子の下から仰ぐ空の先には、あのエリア11がある。そして大洋を隔てた先には、故郷であるブリタニア・ユニオンとスコート・ラボが。これまで独立国側の日本との間を一体何往復しただろうかと考えかけて、クロウはやめた。
初めて波の静かな海を見た4人の子供達とかけかけ離れた思考を持ち込むには、海も空も眩しすぎるのだ。
ロックオンが左目を閉じ、クロウもまた両方の目を細める。互いに何を話すでもなく、波の音と子供達の話にそれとなく耳を傾けているうち、ゆるりと時間が過ぎてゆく。
時刻の所為だろう、風が少しだけ変わってきた。西に傾いてゆく太陽が相変わらず過酷な日差しの矢を降り注いでも、砂の熱さは既にピークが過ぎた事を告げている。
「さぁて、そろそろ帰るぞ」立ったままのロックオンが、大きく真上に伸び上がった。「途中で水分補給をしながらな」
ダリーとギミーが不意を突かれた格好で、「もう終わり?」と2人の引率者に確認をとる。
クロウも傾斜のついた砂浜を見、正に潮時だと思った。風もないのに、波の勢いが増している。
「ああ。じきに潮が満ちてくるぞ」
「潮ってなぁに?」
「なぁに?」
素朴な疑問と不服から質問を返してくる穴蔵育ちの小さな子供に、クロウは浜辺の上、つまり元来た道を右手の親指で指した。
「遊んだ後の満ち潮は、もう帰れってサインなのさ。海の中に放り出されない為のな」
「そっか…」
「ですから、もう帰りましょう」
同郷のロシウが2人を引き寄せ、服に付いた砂をそっとはたいてやる。そして右手にダリー、左手にギミーの手を握ると、清々しい顔でクロウとロックオンを見上げた。
その顔には、先程まで交わしていたルカとの会話で何かが少しだけ軽くなったと書いてある。
「ロシウもルカも、もういいのか?」
「はい。十分に堪能しました」
異口同音に答えるルカとロシウは、シンクロした事に驚き、その後顔を見合わせ笑っていた。
「仲良きことは美しきかな。それじやあ、アイスでも食べながら帰るか」
「アイスはダメだろう。冷やす事も肝心だが、水分補給の方が急ぎだ。特に小っちゃいの、にはな」
「ご尤も」
ロックオンの指摘に、クロウは「訂正訂正。じゃあ、スポーツドリンクでもぐっと飲みながら…」と言いかけて、矢庭に硬直した。
クロウに起きた異変の正体など、彼をよく知る仲間ならば当然すぐに察しがつく。小さな手提げを抱えながら、ルカが計算を始める。
「ええと。ロックオンさんの買い物は、4人分の麦わら帽子と途中の氷代6人分。それからクロウさんの支払いは、麦わら帽子2人分。…お二人とも、今日は結構使っていませんか?」
「しかも、クロウさんが買い物をするところは、僕も初めて見ました」
ロシウの念押しで、クロウは次第に全身が冷却装置にかけられてゆく気分を味わった。
仲間の帽子代はともかく、自分の分など今にして思えば無駄金以外の何物でもない。スナイパーが気兼ねする事を想定し自分の分などを敢えて用意したのだが、彼は素直に被ってくれた。最初から必要なかったのだ、自分の分の帽子など。
「…やっぱり買う気はなかったんですね、自分の帽子は」
「暑かったからな、今日は」
そっと真相を見抜くルカの後ろで、ロックオンがぼそりと呟く。
4人の子供と隻眼の男を護衛していたつもりなのに、暑気にあてられ一番思考が乱れたのが他ならぬ自分だったとは。月並みな表現と知りながらも、クロウには頭上の麦わら帽子に支払った代金の数字が張り付いて見えた。
「俺…、今日は夕食が喉を通らないかもしれねぇ」
ひどく打ちのめされるクロウに、仲間達は一応優しい。
「夏バテか? お前らしくもない」と言うのは、ロックオン。
「食べておいた方がいいですよ。折角タダの食事なんですし、食べておかないと体の方が参ってしまいますよ」は、ルカの台詞だ。
「参っちゃうよ」の輪唱で、ダリーとギミーも食事を摂る事を勧めてくれる。
そして、「僕が、クロウさんのその帽子を買い取りましょうか?」とロシウから提案された時、クロウの背筋が伸びた。
ロシウは続ける。
「以前と違って、今は身の周りの物を買い揃える事ができるようにと少しだけ現金をいただいているんです」
「いや、いい! それは、俺の主義に反する」
「でも今日は僕達、色々していただいたから…」
「いいか、ロシウ。その金は、自分の為に使え。お前は、この物が溢れた世界で金の使い方を覚える必要がある人間だ。まず、そこから始めるんだ。勝手に無駄金を使った男に情けをかける前に、自分のすべき事をしろ。いいな」
「はい!」
かっこつけとわかっていながら、正論も付け加えておく。頭のいいロシウならばそれを悟るかもしれないが、これといって問題はない。
ゼロやカトルと同じで、ロシウはいずれ多くの人の上に立つべき人間だ。くだらない男の見栄一つにしても、知っておく必要はあるだろう。
「言うねぇ、借金持ち」
見抜いているロックオンが、すかさず冷やかしに入った。
「こういうのも、年長者の義務ってやつだろ」
気分と財布の中身が軽くなったクロウは、それで自分を納得させた。
元来た道を、店の外観を眺めながら6人で歩く。
すると、通りの向こうから長身の男と子供が両手を振っている姿に、まずギミーが気づいた。
「わーい!」
「あれは…」帽子を被り直し、ルカもそれが既知の顔だと視認する。「柿小路専務とワッ太君です」
「ワッ太だ」
「ワッ太」
歳の近い子供に向かって駆け出す2人の背中を見守りながら、ロックオンがふぅと息をついた。麦わら帽子の下から眺めているのは、わざわざ膝を折ってやりギミーとダリーに話しかけている柿小路と、2人と入れ替わりにこちらへと走り出すワッ太だ。
「ようやく子守もお終いになりそうだな」
口では開放感を強調しているようにも聞こえるが、決してそうではない事がロックオンの口調に現れている。
「ま、たまになら、こういう日があってもいいと思うぜ。俺も」思いは同じである事を仲間に伝え、クロウは何用かとワッ太に尋ねた。「どうした? わざわざ出迎えなんて」
「これだよ。この財布を届けに来たんだ。オズマ少佐から、冷たい物を飲むのにでも使えって」
突然目を輝かせるクロウの横で、ワッ太から財布を受け取るロックオンが一体どのような表情を浮かべたのか。それを見たのは、ワッ太とルカ、ロシウの3人だけだった。
財布の金で8人分のドリンクを買い、その場で全員が喉を潤す。
飲み干した直後、クロウは迸る思いを声に出さずにはいられなかった。
「もっと、こういう日があってもいいと思うぜ。俺は」
- 了 -