言い表わせない答えに対しては、問いもまた言い表わすことができない。
 謎は存在しない。
 問いが立てられるのならば、答えを与えることもまた可能である。
 ───論理哲学論考、6.5より。


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水上由岐「幸福に生きよ!」


静かなる日々

 神に会ったのなら、ひとつ聞きたいと思っていることがある。

 何故空は青いのか。

 ───それって、海の色が反射してるんじゃなかったっけ? ほら、レイリー散乱ってやつ

 いや……なるほど。これだと語弊を生むのか。僕が本当に聞きたいことはそういうことではない。

 何故、空を青くしたのか。

 空が青い理由くらい僕も知っている。知りたいのは、青い理由ではなく青くした理由だ。

 ───つまり、海が青い理由を聞きたいってこと?

 それも気になるがそんなことよりも、「海」と「空」の間に因果関係を作った理由を聞きたい、ということだ。

 神には神なりの美徳があってそうしたのか、それともただの気紛れなのか、はたまた偶然か。

 ───そんなこと聞いて、なんになるのさ。

 (とい)が生まれたなら(こたえ)はある。僕はその答が聞きたいだけだ。問答の後に意義が残らなくても、答が与え得るなら、そも問う事こそが有意義だ。

 ───この世に謎はないってやつ? でもそれ、世界の中じゃないと成り立たないんじゃなかったっけ?

 語り得ない問とは世界の中に答のない問のことであり、すなわち世界の外に答のある問のことだ。世界の外に出たのなら、すなわち神に出会えたならば、そこに答は用意されうる。

 だからこそ僕は「終の空」を目指したのさ。

 ───神に会うために?

 僕は救世主だ。

 僕が人々から救うのは、世界の終わりからではない。

 答がない、謎があるという恐怖から救う。

 それが僕の役目だ。

 僕が目指した「終の空」とは、つまり神のいる世界のことではない。

 僕自身が、神となる世界。

 もう分かっているのだろう? 

 僕がいかにして人を救うのか。いかにして世界を救うのか。いかにして救世主となりえるのか。

 君はもう、知っているのだろう?

「そうだろう? 水上由岐」

 振り向くと、そこには彼女がいた。

 ここはC棟の屋上。見渡す限りに青空の広がる晴天の下で、彼女はタバコを咥えてこちらを見ていた。

「ありゃ? バレてた?」

 つくづく適当そうな女だ。その適当さが、その黒いヒラヒラ服とタバコが良く似合うさまに良く出ている。

「いやぁ、気付かれずに忍び寄れたつもりなんだけどなぁ。バレバレだったとは恥ずかしい」

 言葉とは裏腹に、すかした顔をしてライターを取り出した。

「あんたもどう? Never knows bestしかないけど」

「必要ない。僕はタバコは吸わないんだ」

「あっそ」

 タバコに火を付けて、一呼吸。

 タバコを片手に白い煙を吐く彼女の姿は、人間だった僕が理想とするくらいには、中々さまになっていた。

「君がここにいるということは、悠木皆守……いや、"間宮"皆守も消えてはいないのだろう? 彼は元気か?」

「元気なんじゃない? 今頃羽咲ちゃんに泣きつかれて盛り上がってると思う」

「……ああ、そうか」

 興味はなかった。いや、なくなった。

 今さらやつが何をしていようと……いや、外で何が起こっていようと、僕の運命は変わらない。

 僕は彼女から目を離して、屋上から世界を見渡した。

 そう、もはや僕の運命は決している。

 ここに水上由岐が存在している時点で。そして。

 ───この世界に、誰もいない。

 その時点で、僕の未来は定まっている。

「水上由岐……君はどこまで知ってるんだ?」

「さあね……ただ、間宮卓司はもう死んでるはずだというのは知っているし、あんたの計画を、私が阻止できたっていうのも知ってる」

 ふん、だろうな。

 僕も過去の……真の間宮卓司の記憶を思い出している。そして僕の計画をあの段階で阻止するには、この世界の住人である必要がある。

 だから僕は無意識にお前を、お前たちを遠ざけ、潰し、封じ込めようとしていたんだ。

 そんな事は、僕も知っている。

「今日は何月何日か、知ってるか」

「分からん……でも、7月20日を過ぎてるってのは知ってる」

 意地悪いやつだ。質問そのものははぐらかしているくせに、質問の意図のみを的確に読み取り返している。

「静かだな……人もいなければ風もない。本当に何もない」

「あんたが目覚めるまでは賑やかだったよ。鏡の小言はうるさかったし、司の声は優しかったし、高島さんも───ついこの間までここにいた」

 どうやら、とことん嫌われてしまったたらしい。

 それもそうだろう。そもそも、彼女の目的は僕を消すことなんだから。

 いや、消すというよりも、戻すと言うべきか。

 語り得なかった物語を、語り得る姿に戻す。彼女の目的はそれであり、僕を消すのはそれを果たすための過程にすぎない。

 生者が生き、死者が死ぬ。そんな当たり前の世界に戻すことが……くだらない常識を取り戻すことが、彼女の目的だ。

 しかしまあ……なるほど。

 若槻鏡の小言はうるさかったが、なくなると確かに寂しいものがある。

「"問"は、それで終わり?」

「ああ、そうだな。これで───」

 水上由岐の問に、僕は振り返らず世界を見続けた。

 人で賑わっていたはずの世界。僕が作り上げたはずの世界。そして、もう僕のものではない世界。

 僕はもう、この世界そのものではなくなっている。

 目の前に広がるのは、正しく"静かなる世界"。

 仮に世界が終わったとするのなら、これほどに相応しい静寂は存在しないだろう。

 そう、もうこの「僕だったはずの世界」は、終わっている───。

 ───そうか。終わり、か。

「───いや、最後にひとつだけある」

「ん。何?」

 再び彼女に向き直り、その瞳を合わせる。

 彼女はまだタバコを吸っていて、そして僕の目を見つめ返し、僕の問を待っている。

「水上由岐……君は"終の空"があるとしたら、それはどんな空だと思う?」

 その顔が、呆気に取られる様を見るのは、中々に愉快だった。

 口からタバコを離した姿勢でしばらく呆けた後に、彼女はゆっくりと、空を見上げた。

「知るか、そんなもん。そもそもあるかどうなも分かんないもんが『どんな空か?』なんて、ナンセンスな質問にもほどがある」

 ふぅ、と、空に吐き出すように、白い煙が彼女の口から上がっていく。

「でも」

 と続いた彼女の言葉に、僕は───。

「もしもそんなもんがあるんなら、"雲がひとつとして存在しない"って、私は思う」

 ───不覚にも、魅了されてしまった。

 彼女は語る。

 曰く、空は世界の鏡。空は海を写してるが故に、その像として青くなる。

 曰く、終の空とは終焉の比喩。終焉を表すのにわざわざ空を使っているのなら、その空には、終焉が像として写っているはずである。

 曰く、空が鏡として機能するためには、綺麗である必要がある。障害物がないことに越したことはないのだ。

「つまり、世界を写すのに邪魔な雲はないほうが良い。……いやそもそも、雲があって世界を写しづらくなってるなら、世界の終わりの比喩に、わざわざ空なんて使わない」

 曰く、空を比喩に使っている時点で、それは───。

「───雲なんて、あるはずない」

 僕は、その答にため息が出そうだった。

 それはまた、僕の問の答にはなっていない。そしてまた、僕の望む言葉があった。

 そして僕は、それに魅了された。

 まったく、だから僕は───。

「君が嫌いだよ。水上由岐」

「奇遇だね、私もあんたの事は好きじゃない」

 彼女僕に向き直ると、そのままその手のタバコを捨てた。

 もう、待ってはくれないらしい。

「そんじゃ、行こうか。間宮卓司」

 だが。

「いや───」

 ここまで僕を嫌ったんだ。

「───それには及ばない」

 水上由岐、君に……。

「なっ!」

 ……最高のプレゼントを送ってやろう。

 

 僕は、そこから一歩踏み出した。

 

「と、飛び降り!?」

 水上由岐は、慌てて僕の手を掴もうとする。

 だがその手は、僕の手をすり抜けた。

「うそっ……!?」

 その驚愕の表情を凝視する。

 そして、僕は言葉を紡ぐ。

「僕は救世主だ!」

 言葉で出来たこの世界で、僕の言葉は、一瞬で彼女に伝わった。

「僕は! 誰も救わずに消える訳にはいかない!」

「何を……」

「そして僕は君が嫌いだ! そしてそれは君も同じ!」

 しかし。いや、故に!

「僕は、君を救う!」

「っ……!」

「僕は消え、君は残る! "水上由岐は、間宮卓司に救われて生き残る"!」

 彼女の表情が、驚愕のそれから次第に変わっていく。

「ふざ……!」

 それだ。

「僕からの最高の呪い(プレゼント)だ!」

 その表情が見たかった。

「せいぜい愛する者とともに、幸福に生きるがいい!」

「間宮卓司───!」

 そして僕は、仰向けに落下を始めた。

 地面はすぐそこ。当たれば即死。

 そんな中、特に走馬灯が走る訳でもなかった。

 別に、思い出すものは何もない。しばらくすれば、希実香たちにもきっと会えるだろうし、特別に今思い返す事など何もない。

 だが、最後の最後に、水上由岐の言葉を思い出した。

 ───"雲がひとつとして存在しない"って、私は思う。

「なるほど……確かに……」

 有らん限りに瞼を見開いて見上げた空は、眩しく輝く太陽を中心に───雲ひとつ、存在しなかった

「……いい天気だ」

 ────────────ドサ。




 今日はとても雲ってましたね。

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