【完結】鶴が恩返ししないんだが   作:エタリオウ

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仕事中に書きました。


11. 全て夜雀の手のひら

 逢魔が時。昼と夜の境界線が融け合うその時間帯は、古来より魔と出会う刻として忌み嫌われてきた。

 

 そして今、凰佳と別れて夕闇に沈みゆく住宅街を歩く僕の足取りは、鉛のように重い。

 

 だけどなんとか今日一日を乗り越えることができた。

 肉の壁こと松井の僧帽筋を最大限に活用した陽動作戦は見事に刺さり、筋金入りのストーカー・夜鳥さんの執拗なマークを躱すことに成功したのだ。

 荷物を教室に置き去りにするという、背水の陣を敷いてまで得た成果である。

 

 右手に握りしめた小さな紙袋には、先ほどの放課後デートで凰佳から手渡された真新しい筆箱と、お揃いのペンが収まっている。

 

 明日からはこれで、夜鳥さんにペンを借りるという負債を重ねずに済むはずだ。

 

 もっとも、もしこのペンを紛失したり、別のものを使っているところを凰佳に見られたりすれば、僕の眼球の安全は保証できない『悪魔の契約』がセットになっている、極めて取扱注意な代物ではあるのだが。

 

「やっと帰ってこれた……。ただいま、我が安息の地よ」

 

 自宅の門前に辿り着き、僕は小さく安堵の息を吐き出す。

 家の中では割烹着を着た鷺里さんが、日本刀を研いだり夕飯の支度をしたりしているはずだ。

 

 鳥妖怪の居候がいる以上、既に自宅を完全な安息の地とは呼べないかもしれない。

 

 しかし鷺里さんのスタンスは一貫して過保護な護衛。

 他のイカれたメンバーに比べて、害意や支配欲といったものを感じない。少なくとも、外の無法地帯よりは断然心休まる空間と言えた。

 

 僕が自宅の敷地内へと踏み入れようと門扉に手を伸ばした、その時だった。

 

「――おかえり、佐鳥くん。随分と遅い帰りだったね?」

 

 心臓が、文字通り一つ跳ねた。

 

 すっかり日の落ちた玄関ポーチ。

 薄暗い影の中から僕を見つめていたのは、見間違うはずもない、雀のような底知れぬ黒い瞳。

 隣の席のクラスメイト、夜鳥雀だった。

 

「や、夜鳥さん? どうしてここに……というか、普通に敷地内に入ってるし」

 

 引きつる頬の筋肉を取り繕いながら、僕は一歩後ずさった。

 

 正当な理由なくして他人の敷地に立ち入る行為……世界はそれを不法侵入と呼ぶんだぜ!

 なんて、小心者の僕が口にできるはずもない。

 

 しかし、抗議の言葉より先に、僕の視線は彼女の両腕へ吸い寄せられた。

 そこには、教室に置き去りにしてきたはずの、僕のスクールバッグと学ランが抱えられていた。

 

「やだなあ、忘れ物を届けに来ただけだよ。佐鳥くん、うっかり屋さんなんだから。教室にバッグと学ランを忘れるなんてさ」

「………っ!」

 

 まさか、と。血の気が引く音が、自分でも聞こえた。

 

 松井の肉体を盾にした完璧な陽動も、すべてを投げ打って逃走した僕の決死の覚悟も、最初からバレていたとでもいうのか。

 

 そんな僕の動揺を味わうように、夜鳥さんは学ランを鼻先に押し当てた。

 深く息を吸い込むと、ぞっとするほど甘く、昏い笑みを浮かべる。

 

「驚いた? 夜鳥さんを出し抜いてやったぜひゃっはー! とか、はしゃいじゃったかな?」

 

 その声に嘲りはなかった。夜鳥さんは、まるで愛おしい愛玩動物を観察するような、優しい声音で囁く。

 その響きは柔らかいのに、僕の逃げ道を一本ずつ数えて塞いでいくようだった。

 

「佐鳥くんのすることだもん、全部お見通しだよ。あの筋肉ダルマを盾にしたのも、荷物をデコイにして書店へ逃げ込んだのもね。あえて泳がせてあげたんだよ」

「泳がせた……? いったいどうして」

 

 常軌を逸した執着を見せる彼女のことだ。見つかれば買い物デートに持ち込まれるだろうとばかり考えていた。

 夜鳥さん、君の愛はそんなものだったのかい――などと、現実逃避気味に考えてしまうあたり、僕も相当追い詰められている。

 

「わんちゃんみたいに床に這いつくばってる佐鳥くんが本当に、言葉にできないくらい可愛かったっていうのは……もちろんあるけど」

「……見てたの?」

 

 返ってきたのは、否定ではなく、ひどく満足げな微笑みだった。

 

 あの僕の涙ぐましい泥臭い努力――客観的に見れば不審者極まりない奇行を、彼女は生暖かい笑みを浮かべながら観察していたのだ。

 お、恐ろしすぎる……。

 

 けれど、夜鳥さんの笑みはそこでふっと温度を失った。

 夕闇の中で、その輪郭がゆっくりと滲んでいく。

 

「本当の理由は、少し違うかな」

 

 夜鳥さんは僕の学ランを大事そうに抱き抱えたまま、ゆっくりと一歩、玄関ポーチから歩み寄ってきた。

 彼女の背後で、夜の闇が大きく羽を広げたような錯覚を覚える。

 

「今日、黒羽美烏って子が君に接触したでしょ?」

 

 その名前が出た瞬間、胸ポケットの空白が、また重くなった気がした。

 

「本来なら、あの神様が動くことはなかったんだよね。佐鳥くんがご両親を殺めた罪悪感から、今の孤立的な状況を『自らへの罰』として受け入れている間は、ただ見ているつもりだったみたいだから。薄情だよね……まあ、佐鳥くんを地獄から救い出してくれたことには感謝してるけどさ」

 

 夜鳥さんはふっと視線を落とし、美烏へ最低限の恩義を認めるように呟いた。

 しかし、すぐにその漆黒の瞳に爛々とした狂気が戻る。

 

「だけど、それじゃあいつまで経っても君は救われないでしょ? だから、私が伝えたの。『佐鳥くんが罪悪感に耐えきれず、助けを求めてる』ってね。すぐ動いてくれて助かっちゃったな」

「……やってることが、ただのストーカーの領域を超えてるんだけど」

 

 引きつった声で僕が漏らした戦慄を、夜鳥さんは楽しそうにくすくすと受け流す。ガチのストーカーは、こうまで裏で糸を引いているものなのだろうか。

 

「そして、もう一羽」

 

 夜鳥さんは親しみやすい声音のまま、すぐそこ――僕の家の隣の隣に位置する小鳥遊家の方へと顔を向けた。

 

「隠しててもよかったんだけどね。でも、佐鳥くんには知っておいてほしかったの。誰が君を傷つけて、誰が君を助けようとしているのか」

 

 その漆黒の瞳に、底冷えするような嫌悪と蔑みの色が宿る。

 

「小鳥遊凰佳……。あの女は本当に浅ましくて、反吐が出るよ。自分で佐鳥くんを孤立無援に追い込んで、甘い言葉で君を縛り付けようとする。『鳳凰』だからって、あんな女が佐鳥くんの隣にいる資格なんてないよ」

「――え?」

 

 ふいに夜鳥さんの口から滑り落ちた、あまりにも不穏で、聞き捨てならない言葉の数々に、僕の思考は完全にフリーズした。

 

 凰佳が、僕を孤立無援に追い込んだ……?

 

 そんな馬鹿な。

 彼女はいつだって、学校で浮いている僕に優しく声をかけてくれる、唯一の理解者だった。

 

 それに今、夜鳥さんは彼女のことを何と言った? 『鳳凰』……?

 

 あの心優しい幼馴染が、人間の女の子ではなく怪異で、それも伝説の鳳凰。

 まさか、鷺里さんの話していた別格の鳥とでもいうのか?

 

 違う。そんなはずはない。

 

 だというのに。

 否定するには、あまりに記憶の中に心当たりがありすぎた。

 

 ぐにゃりと世界が歪むような眩暈が襲う。

 胃の奥が嫌なふうに捻じれ、喉元まで酸っぱいものがせり上がってきた。

 信じていた日常が、足元から音を立てて崩壊していく恐怖に、背筋を冷たい汗が伝った。

 

 頭の中は、パニックを通り越し、真っ白に染まっていく。

 思考を放棄しかける僕の前に、夜鳥さんはさらに一歩、じり、とにじり寄ってきた。

 

「だからね、あの二羽を対立させて、お互いに潰し合ってもらうの。最後に残った灰を掃除するのは……私」

 

 言っている意味を、すぐには理解できなかった。理解したくなかった。

 

 美烏と凰佳。

 神様と、鳳凰。

 そんなものを盤面に並べて、潰し合わせる。

 

 夜鳥雀という少女は、ただのストーカーではなかった。

 この異常な生態系の片隅で震える小鳥ではなく、闇の中でずっと、獲物同士が食い合う瞬間を待っていたのだ。

 

「引いちゃったかな? でもね、私はあの日から決めてるんだよ。君の両親に捕まって、危うく焼き鳥にして食べられそうになっていた私を……君が、ひどい目に遭うって分かってるのに、その温かい手で逃がしてくれたあの日から」

 

 夜鳥さんは愛おしそうに僕の手を掴み、その漆黒の瞳に深い情念を湛えた。

 

「私は佐鳥くんの幸せのためなら、なんだってするよ。……あ、でも、君に嫌われるようなことは極力しないから、安心してね? 君に嫌われたら、意味ないもんね」

 

 底知れない執着だった。

 けれど同時に、僕のためならすべてを投げ打つという、彼女なりの愛の誓いでもあるのだろう。

 

 理解はできる。

 受け止められるかどうかは、別として。

 

 命の恩……。そうか、あの時の、弱った雀。

 

 しかし重い。重すぎる。

 あまりの情報量に、僕の脳の処理能力はとっくに限界を迎えていた。

 

「さて、佐鳥くん」

 

 夜鳥さんの視線が、すっと下へと落ちた。

 彼女が捉えたのは、僕が右手に握りしめている小さな紙袋だった。

 

「大事そうに抱えてるその紙袋だけど……あの女、それを無くしたり、別のを使ったりしたら『君の目をついばむ』なんて脅してきたでしょ? 本当、陰湿で嫌になっちゃう」

 

 少し違う。他の男のことばかり考えたら三段突きをかますって言ったのが僕で、凰佳は僕が他の女のことを考えたら「その子の目をつついちゃうかも」と言っていたのだ。

 

 しかし、脳を立て続けに殴られたような状態の僕は、上手く舌を回せなかった。

 

「今すぐへし折ってやりたいところだけど……それをして君の綺麗な目に傷がついたら、悲しいもんね」

 

 夜鳥さんはそう言うと、自身の制服のポケットからプラスチックのケースを取り出した。

 薄明かりに照らされたその中身を見た瞬間、目を見開く。

 

 夜鳥さんが掲げたのは、今日凰佳と一緒に選んだペンだった。

 色も、形も、ブランドも――何から何まで『まったく同じ』ペンだったのだ。

 

「だからね、まったく同じものを用意しておいたよ。そっちの呪われたペンは私が処分してあげるから、こっちの綺麗なペンとすり替えちゃお? これなら、あの女にも絶対バレないから安心だよ」

 

 なんの悪びれもなく、むしろ最高の妙案を思いついたとでも言わんばかりに、夜鳥さんは僕の手から紙袋をするりと奪った。

 

 止めなければ、と思った。

 けれどその動きはあまりにも自然で、僕の指先は抵抗の仕方を思い出すより先に、紙袋の重みを手放していた。

 

 夜鳥さんはそのまま紙袋の口を開き、驚くほど器用な指先で凰佳のペンを抜き取った。

 代わりに自分が持ってきた『偽物』を滑り込ませ、中身のすり替わった紙袋を僕のスクールバッグにしまう。

 

 気づけば、学ランと一緒にそれを胸元へ押しつけられていた。

 

「はい、おしまい。これで安心だね」

 

 夜鳥さんは満足そうに微笑むと、僕の胸元に押しつけた学ランの襟を、そっと整えた。

 

「そんな顔しないで。私は佐鳥くんを困らせたいわけじゃないんだよ。君がこれ以上、あの女に傷つけられるのを見たくないだけ」

 

 子供をあやすかのような優しい声だった。

 だからこそ、その優しさの底が見えなくて、僕は何も言えなかった。

 

「それじゃあ、用事も済んだことだし、バイバイ佐鳥くん。また明日、学校でね」

 

 夜鳥さんは小さく手を振ると、夜の闇に溶けるかのように静かに去っていった。

 

 ぽつんと取り残された僕の腕の中には、戻ってきた学ランとスクールバッグだけがある。

 けれど頭の中には、置き去りにしたくてもできない言葉ばかりが残っていた。

 

 凰佳が僕を孤立させた?

 正体が鳳凰……?

 

 黒羽美烏は神様で、凰佳は鳳凰。

 夜鳥さんは、その二羽をぶつけようとしている。

 

 身の回りにいる女子たちが、単なるヤンデレやストーカーの領域を遙か置き去りにして、神話クラスの化け物として正体を現しつつある事実に、本格的な目眩がしてくる。

 僕が必死にしがみついていた平穏な高校生活なんて、初めから彼女たちの手のひらの上でしかなかったのだ。

 

 隣の隣にある小鳥遊家の窓明かりが、やけに明るく見えた。

 

 あの光の向こうにいるのが、僕の知っている幼馴染なのか、それとも夜鳥さんの言う鳳凰なのか。

 僕にはもう、分からなかった。




いきなりヒロインレースから引きずり下ろされた幼馴染さん。
可哀想すぎる、幼馴染が何したって言うんだよ!!

第2回:一番好きなヒロインは?

  • 大鳥鷺里
  • 夜鳥雀
  • 小鳥遊凰佳
  • 黒羽美烏
  • 松井ぽっぽ
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