大公女戦記   作:Hötzendorf

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いよいよ考察回です
よろしくお願いします


第三話 帝国前史、そして

 寝起きのフォン・デグレチャフ少佐の眼前に、まるで帝国の驃騎兵連隊のように突如として現れ、兵達と食事の時を共にした大公女マリア・アンナ・フォン・ハービヒツブルクは、再び戦技研究本部庁舎の二階に位置する、ターニャの執務室へと戻っていた。そこでターニャは副官のセレブリャコーフ中尉を呼び出し、途端に自らはコーヒーを要求、大公女には紅茶を提供するよう申し付ける。セレブリャコーフ中尉、また通称をヴィーシャと云う彼女は、特に嫌な顔ひとつ見せず役務をこなし、主役の欠けた饗応の席へと戻っていく。

 ここまでが、午後九時を告げる教会の鐘が鳴り始めるまでの出来事である。

 そして午後九時の鐘が鳴り終わるやいなや、ターニャは大公女に、「マリア様、夕方にお話されていたことですが、我が「帝国」の歴史も合わせて、小官にお話いただけないでしょうか?」と問うた。ターニャとしても、自らの考えに政治への介入をも含むようになった以上、この大公女を利用しないわけにはいかなかった。何やら大公女がしようとしていることと、ターニャ自身が目論んでいること。この二つの利害が、なんともなしに一致しているこの期に、どうにかして大公女から情報を引き出し、関係を築かねばならなかった。

 一方大公女も、「お安い御用よ」と言い、夕方に話しかけた帝室の話をターニャにするべく、ゆっくりと、また非常におもむろに、言葉を紡ぎ始めた。

 

 さ、じゃあ貴女には、帝室が今どうなっているかをこれから話すわけだけれど、初っ端から最大級の機密を教えることに驚かないで頂戴。まぁ、これがまず、私が貴女の元を訪れた目的の一つになるわ。何度も言うけど、驚かないでね?それと私は、貴女を信頼してこの機密を教える。口外無用よ。絶対に、これは他の人に話してはいけない。私は夫、あぁ、夫のことは後で言うわ。とにかくその夫と、それから夫のお父様に相談して、参謀本部の人たち数人には話しているのだけれど、その他には帝室の人たちしか知らない。分かったわね?じゃあ言うわ。

 

 …私たちの帝国の皇帝陛下は、もう先が長くないの。

 

 本当よ。悲しむべきことに、陛下は重い結核を患っておられるわ。医者は、持って半年と言っていた。つい10年前にひいおじい様、いえ、前皇帝陛下が崩御なされたというのに、この帝国はほんとうに近頃運が無いわ。

 ええ、全くその通りよ。果てしない大戦争に巻き込まれて、国が崩壊するかもしれないというのに、政府はまだ戦えると思い込んでいる。今までの拡張政策が裏目に出たの。そう、あの1867年の「名誉の統合」以来、帝国が指針としていた政策よ。貴女も士官学校と陸軍大学校で学んだのだから、それくらいは知っているでしょう?まぁ、そのことは後で話すとして、とりあえずは、「神聖帝国」から話しましょうか。

 …コホン。

 貴女も知っていると思うけど、私たちハービヒツブルク家は、元々は「神聖帝国」という帝国の帝位を、数百年間も独占していた名家。今はイルドアの王都になっている場所にいる「教皇」から任命されてその帝位に就いていたのだけれど、いくら私たちの祖先も、広大な神聖帝国を維持する軍事力、そして経済力をあの時代に持つことは不可能だった。それに加えて、教会やダキア貴族との対立、それに、南のスルタンの脅威にも備えなければならない。そんな状態が続いていた1618年、宗教改革に始まり、そこから30年続いて1648年に終結した戦争で、神聖帝国はいくつもの領邦国家に分かれて、神聖でもなければ帝国でもないと言われる、名ばかりの帝国になってしまった。

 しかしそこから150年もの間、私たちの祖先は神聖帝国を維持して、なんとか帝位を守り抜いてきたわ。でも、そこに降りかかってきたのが、あのフランソワ革命だった。自由主義と民族主義を掲げる彼らは、神聖帝国の領邦達に圧力をかけ「ライン同盟」なるものを結成して、神聖帝国は名実ともに崩壊した。

 そこで私たちの祖先は、新しくハービヒツブルク君主国を再編して、フランソワ革命戦争と、その後成立したあの「フランソワ第一帝政」との戦争を戦った。でも、近代的な魔導師戦術と、「会戦」で勝敗を決する機動的な戦術。あの圧倒的な軍事力を前に、ハービヒツブルクは敗北したわ。結局あの皇帝は、ツァーリの治める大地の大きさに敗れ去った。けれども、ハービヒツブルク君主国の帝都で開かれた講和会議で作られた体制は脆いもので、皮肉にもフランソワの革命思想、つまりは自由主義や民族主義の波に呑まれて崩れ去ってしまった。

 そこで台頭してきたのは、北の王国プロシャラント。めきめきと成長を遂げるプロシャに、旧態依然のハービヒツブルク。1848年のフランソワ革命が波及してからは、その対立がさらに深まったわ。

 そんな中、二度のフランソワの革命を経て、今の「帝国」を構成する民族を統一しようという動きが出てきたの。そこでもハービヒツブルクはプロシャラントと対立して、その統一運動は戦争へと発展する。こうして起こったのが、1866年戦争よ。技術力でプロシャに劣るハービヒツブルクの軍隊は、国境線の保持を諦めて、敵軍を国土の深くまでおびき寄せる作戦を採って、またその裏で、ゲリラ的に鉄道の破壊を行って敵の補給路を圧迫していくことで、ハービヒツブルクはプロシャラントの軍隊を少しずつ弱めながら、帝都の目前まで撤退した。そこで軍隊は、皇帝陛下御自らご出陣の、乾坤一擲の大会戦を仕掛けたわ。麗しの帝都は幾ばくか燃えてしまったけれど、ハービヒツブルクはプロシャラントを敗走させることに成功したの。その後、勢いに乗ったハービヒツブルク軍は、ケーニヒグレッツでプロシャ軍を包囲して、プロシャは講話に応じた。その結果、あの「名誉の統合」が実現したのよ。領邦同士の対立を弱め、諸民族を一つの帝冠の下に治めるためのシステムが。

 新しく発足した「帝国」は、私達ハービヒツブルク家の男系子女を皇帝として、その下に多くの大公が存在する国家として誕生したわ。そして伝統的に、政治官僚はハービヒツブルク君主国出身の家系が、また軍隊は、プロシャラント王国出身の家系が寡占することが決まった。慣習的な結果よ。誰かが明文化したわけではない。でも、自ずとそう決まっていったの。その結果が、今の政府人事に繋がっているというわけね。

 で、その後「帝国」が最初に直面したのは、「名誉の統合」に難色を示すフランソワ第二帝政の脅威と、否応なく「帝国」に編入された諸民族をどう対処するかという、全く性質の異なる二つの問題。この二つを見事解決した政策が、この後の帝国の政策の、主な行動パターンの一つになるわ。なんだと思う?

 

 ……ご名答。そう、戦争よ。

 内憂外患。その状況を一挙に打破するには、人々に外敵を共通の脅威と認識させ、民族意識を薄れさせ、「帝国万歳」「皇帝陛下万歳」を叫ばせ続け、国を維持する。帝国にはもとより、この方法しかなかったのよ。この政策が危ないといった人もいたけれど、人々はまともに耳を貸そうとしなかった。ナショナリズムは麻薬と同じ。一度戦争に勝ってしまったら、そこから抜け出せなくなるのは必定。そして、勝ってしまった。そして、作り上げてしまった。第二帝政を下し、世界に冠たる強大な「帝国」を。

 そこからの帝国は、一時は平和を享受することができたわ。それは偽りの平和だったけれども、「強い帝国」を内外にアピールして、武器である広大な土地と、先進的な技術と、それによって生み出される産業と、そしてなにより、プロシャラントの遺産である強力な軍隊を引き継いで。あの頃が、一番輝いていたんじゃないかしら?残念ながら私は、その時代のことをこれっぽちも知らないのだけれど…。

 とまぁ、こうして人々の中には、帝国は強大な国家だというイメージが築き上げられたわけね。でも、ここで帝国の、栄光ある強国たる帝国の歴史には、幾ばくかの陰りが見え始めるわ。1889年、老帝フェレンツ・ヨーゼフ1世の一人息子である皇太子ルードルフが、謎の死を遂げた。でもこのニュースは、その翌年、1890年から始まった、時のプロシャ大公ヴィルヘルート二世の主張による海外植民地獲得と海軍大拡張政策、通称「世界政策」の巨大なインパクトも相まって、有耶無耶にかき消されてしまったわ。

 

 ただおそらくそれ以上に、強烈に人々の印象に残っているのは、20世紀も末に近づいた1899年に、その年にルーシーで起こった、社会主義革命でしょうね。革命は、誰に意図されずとも歩き出し、ほかの家に強盗に入る、なんてことが言われていたそうだけれど、全くその通りね。1848年の時と同じように、革命は各地に波及した。帝国からの離反を求める南部の諸民族の間で、にわかに革命の兆しが高まって、そしてやっぱりダキアだった。発端はランシルヴァニア。革命後のルーシーでの内戦が社会主義者有利となった途端、蜂起が始まったわ。でも、社会主義を恐れたのは帝国だけじゃなかった。連合王国も、社会主義革命に脅威を覚えていたのよ。そこで、今は帝国領になっているオストラントで、反社会主義として組織された仮政府を利用して、帝国は連合王国と、ひと芝居打つことにした。社会主義政府にこの話を持ちかけて、連合王国が「仲介役」として割って入り、この騒動を鎮めようとしたの。結果は大成功。ちょうど内戦で、旧政府側が息を吹き返していたのが幸いしたそうよ。なにはともあれ、ランシルヴァニアをダキア大公国に割譲する代わりに、帝国はオストラント地域の西半分を、社会主義政府は東半分をそれぞれ手に入れて、不可侵条約を結んだわ。こうして、帝国は社会主義革命の脅威をなんとか凌ぎ切った。でもそれ以降、再び直面したのは、フランソワとの対立。それに加えて、協商連合やイルドアとの領土問題。

 でもそれからも、帝国は自らにナショナリズムという名の麻薬を投与し続けて、それはもう頑なに、「帝国万歳」「皇帝陛下万歳」を唱えながら、決して更生しようとはしなかった。更生すれば、別の持病のせいで、体は隅々まで蝕まれてしまうから…。そうして「強い帝国」は、内側にいくつもの問題を、弱点を抱えながらも、それこそ、己の余命をどこかで悟りながらも、避けることのできない戦争の道に突入して、今に至るのよ。

 

 大公女が話を終えると、時計の針は既に、日付を越えようとしていた。この時計の針があと何周回るまで、帝国はその息を止めずにいられるのだろうか。マリア・アンナ・ヴィクトーリアの話からは、そんな思いさえ想起させられた。昼間と同じく、フォン・デグレチャフ少佐は、彼女にしては珍しいことに、そしてまたあろうことか、ぬるまになったコーヒーを傍らに置いていた。

 

「お話しいただいて、ありがとうございます。これでまたひとつ、上に言うことが増えました。」

「そう?というか、私が貴女に言っておきたいことは、まだ言い切っていないのだけれど…。」

「は、これは失礼しました!」

 

 そういえば、という風に言った大公女に、ターニャははっとして向き直る。やはり体は幼女なのである。悔しいことこの上ないが、この時間帯になって判断力が低下してしまうのは、致し方ないのである。しかしここは頑として、高度に知性的な会話を保たねばなるまい。折角この大公女を利用して、帝国政府の弱点を炙りだそうとしているのだから。

 

「よろしくてよ。貴女も前線勤務が続いて疲れていることでしょうから。今日はこのまま寝ても構わないけれど…」

「いえ、小官は殿下、いえマリア様のお話を、最後までお聞きする所存であります!」

 少しでも強く掴んだら途端に折れてしまいそうな、そんな細々しい首の内側から精一杯の声を絞り上げて、ターニャは自らに眠気がないことをアピールし、また実際には今にも眠気で倒れそうな肉体をたたき起こすがため、叫び、そしてその片足を、木製の床に叩きつけた。そのドンッ!という音を聞いて、マリア・アンナ・ヴィクトーリアも目を覚まされたような気がしたのか、布張りの、いかにもチープなソファの上で姿勢を正した。

 

「分かった。じゃあ次はこちらから質問するわ。……この戦争、貴女は勝てると思う?」

 

 さて、いつの日かこんなことが、ゼートゥーア閣下とターニャとの間でたしかにあった。だがあの時は、太陽がまだ空に輝いていた時間帯であったし、質問に対する回答も、とても広範囲に、そして自由にそれが出来うるものだった。

 が、今回の大公女からの質問はもっとストレートで、そして答えの選択肢はというと、とてもではないが、広範囲で自由などではない。端的に言えば、「はい」か「いいえ」を以てしてのみ、この質問に答えることができるのだ。

 しかしどうだろう。前者を選べば、大公女の前で嘘を付いたことになるし、後者を選べば、敢闘精神が欠落している敗北主義者と見られるやもしれない。ハシバミ色の瞳は、相も変わらず全てを見透かしているように、ターニャの碧眼を見つめてくる。

 激しく悩んだ末、ターニャは嘘をつくことを憚った。

 

「いえ、この戦争で、帝国は間違いなく敗北します。少なくとも、このままだと。」

「ほう?」

「マリア様が仰られた通り、帝国は異様なまでにナショナリズムに傾倒し、その意思決定機関たる帝国政府は、軍隊の強さに酔いしれています。我々を信頼してもらえるのは喜ばしいことですが、我々も全世界を相手にした戦争で勝つことはできません。ですので、この内側を打破しない限り、帝国に未来はないかと。」

「なるほど。つまりは政府が悪腫であり、癌である。貴女はそう言いたいのね?」

 

 そう、何もターニャは、嘘をつくことを憚ったまで。何をしても負けるなどということは、言うはずもない。またこれは、昼間にターニャ自身が感じていたことでもあった。直接、政治に関わりのある人物に、直接、自分の考えていることを物申す。この瞬間を、ものにせずしていつものにするのか。しかし、齟齬というのは必ず存在してくるもの。大公女の口には、ターニャが失敗したことを物語る文言が並べ立てられる。

 

「つまり…ハービヒツブルクの頃から仕える家系の者たちを退け、プロシャのユンカー主体の軍人に、政治を握らせろと?」

 

 そう、大公女は確かに言っていたのだ。その口から。伝統的に、そして慣習的に、誰かが明文化したとあらずとも、政治官僚はハービヒツブルク君主国出身の家系が、また軍隊は、プロシャラント王国出身の家系が寡占することが決まった、と。

 そう、大公女が敢えてターニャに質問し、また更に発言を促したのは、ここで言質を取るためだったのである。

 まずい。

 この三文字三音が、まずはターニャの頭に浮かんだ。

 非常にまずい。

 そしてこの五文字七音が、次にターニャの頭に弾けとんだ。

 

「いえ、小官はなにもそこまで言っているわけではなく、外交において、つまりは戦争の落としどころについて適切な判断が出来る程度の理性を帝国政府に……ハッ。」

「そう、つまり貴女は、今の政府を愚弄すると…。残念だわ。折角期待していたのに。」

 

 そこまで言って、言われて。ターニャまず、自らが自らの発言に適切な修正を加えなかったこと、またシカゴ学派にひどく傾倒していたことを悔いた。そして次に、今日何度目か知れず自らの肉体の小ささを恨んだ。集中力と判断力の低下が招いた結果がこれだ。畜生。セレブリャコーフ中尉を叩き起してでも、コーヒーを淹れ直しておくべきだった!

 しかし、ここで完全に折れてしまってはほんとうに終わりだ。窮地に追いやられてはいるし、崖っぷちではあるが、まだ立て直すことは可能だ。

 

「現政府を愚弄するわけではありません。この戦争、いずれも帝国が仕掛けたものではなく、相手側から仕掛けられたものです。帝国政府が戦火を拡大し、自ら自滅の道を突き進んでいるわけではありません。」

「そうね。それで?」

「もしも帝国軍が、連邦に対して大捷を収めることができた場合、中立国や友好国、具体的にはイルドアや、もしくはスルタンの帝国は、こちらの主張に同調してくれるはずです。そこから上手く、できるだけ我々有利に、講話を引き出すことが肝要かと。イルドアとの領土問題解決は必至ですが、現状、帝国とイルドアとは概ね友好関係にあります。また先の南方大陸での善戦は、南方再進出を狙い、着々と軍備を整えつつあるスルタンとその軍隊に、大きな刺激を与えたものと思われます。」

 

 どうだと言わんばかりに、ターニャは持論を大公女にぶつけた。実際、大捷出来る保証はどこにもないが、今の状況下では言わないよりはマシだ。だがこれでようやく振り出しといったところ。失態を取り戻すのはこれからだ。

 しかしそんなターニャに対し、ターニャが話し始めてからずっと、少し不気味な具合に口角を上げていた大公女は、その固まった表情を保つのがもう無理だと言わんばかりに、またまるで水圧に耐えかねた堤が崩れるかのように、その頬をピクピクとさせ、「ふ、ふふふ…」と笑い声を漏らす。その笑いは次第に大きくなり、やがて大公女は、大公女という身分に似つかわしくない程の節度のない、まるでビアでビールを飲みながら談笑している男のような大笑いが部屋に響くようになった。

 

「ご、ごめんなさい、ふふふ…でも、やっぱり貴女は軍人ね。フォン・デグレチャフ少佐。」

「お言葉ですがマリア様、小官には言葉の意味が分かりません。」

「まぁ、そうね。結論から言うと、私もこのままでは敗けると思っているわ。」

 

 意外に次ぐ意外。ここまで色々と手のひら返しされてしまえば、自分が言ったことが間違っていなかったこともそっちのけで、さすがに呆然とするしかないだろう。だが、畏くも大公女殿下はご容赦という言葉を知らない。

 

「それで、帝室の中にもあるのよ。主戦派と穏健派、それとあとは、文官派と武官派みたいな、そんな派閥がね。そこで皇帝陛下がご病気になられたものだから、派閥争いは以前に増して熾烈なものになっているの。」

「…では、さきほど言っていらしたことを鑑みるに、マリア様は文官派、ということでしょうか?」

「まさか!私の夫は現プロシャ大公の嫡流の孫よ?武官派に決まってるじゃない。まぁ、私はハービヒツブルクの嫡流でもあるのだけれど。」

 

 これは驚いたものだ。まさかこの大公女は、初めからフォン・デグレチャフ少佐の、少なくとも敵ではなかったのである!ついている。揺るぎない確信が、フォン・デグレチャフ少佐の心を揺らした。

 

「それでは先程の発言はさしずめ、小官を騙そうとした意地悪、という認識でよろしいですか?」

「ええ。まぁそんなところね。」

 

 言いながら、脚を組み直す。絹のドレスが擦れる音が、無に支配された深夜の部屋に敗北感のような残響を漂わせた。しかし、大公女は余裕を喪失したわけではない。彼女は大公女という身分の他に、大公妃という身分をターニャに晒している。言うなれば、トランプで決め手となるカードが一枚増えたようなものだ。マリア・アンナ・ヴィクトーリアの発言に少しでも反を示したならば、フォン・デグレチャフ少佐は帝室のみならず、軍隊でもその地位が揺らぎかねないのだ。中央集権的な君主国というものは、その点では厄介ではある。

 

「ただし、私が貴女を貶めるために来たわけじゃないことは、先に言った通りよ。私は立場上、この帝国でどんな地位にも就けるし、どんな地位からも転げ落ちてしまう。貴女のような一佐官でも、おおっぴらに敵に回すことはできない。」

「つまりそれは……マリア様はご自身が自ら皇帝になりうる存在であり、同時に、その帝位を譲位するあるいはせざるをえなくなるかもしれない、とお思いなのですね。」

 

 ターニャは怖じけることなく、抽象的な大公女の言葉を具体化した。正に直訳という言葉がふさわしいものだ。しかし大公女は気にする素振りすら見せない。事実を事実として直視できない者が、窮地に立たされた大国の舵を、大胆にも確実な方法で切っていけるはずもないということを、彼女自身がよく自覚しているからだ。

 

「察しがよくて助かるわ、少佐。その通り。私の祖父は、あの老帝の嫡流のたった一人の皇太子だった。でもさっき言ったように その皇太子は謎の死を遂げ、嫡流はかたや消滅したかのように扱われてきたの。」

 

 物悲しげな表情。視線を据える窓の外。際限のない暗闇。そこで初めて、大公女は弱みをちらつかせた。帝室という特殊な事情、そしてその中で起きた不幸。そこに自らが、そして自らの肉親が巻き込まれたことによる悲しみや苦しみ、また遣る瀬無さ。もう慣れてきたものであり、こういった感情が疼くことも少なくなってきたがしかし、心が成熟するにともなって押し寄せてくるそれらの感情は、毎度毎度、度を重ねるごとに大きくなっていく。

 紅茶から漂うクランベリーの香りを鼻腔にくすぐらせ、マリア・アンナ・ヴィクトーリアは負の気持ちを強制的にシャットアウトさせる。こんなところで、一佐官に弱みを見せ続けるわけにもいかない。

 

「でもね、私のお父様は諦めなかったわ。嫡流の権威を再び取り戻す、って。そこでお父様は、ハービヒツブルクの者ならば誰もが憚る方法…。正に、肉を切って骨を断つ方法を選んだ。」

「プロシャ大公家への接近、でありますか?」

「その通り。でも、生まれたのは不幸にも私一人だったの。男の子が生まれなかったから、ほどなくしてお父様は、失意のうちに鬼籍に入られた。」

 

 風が、窓を揺らす。亡霊のように弱々しい風。けれども何かを伝えたくて、確実に本部庁舎の窓に音を立てたような語り草だ。対して大公女は、自らの存在そのものを、ひどく後悔しているようだった。自らがもう少し違っていれば、もしも自分の性別が逆だったら…。それは彼女が物心ついてからずっと抱いてきた、自分という存在、つまり自我との大きな確執であり、どうにもならない問題の一つだった。

 それでも、前に進まねばならないことは変わらない。

 

「ただし、私はお父様のご尽力を無駄にするつもりはない。今は戦時中で、自ずと軍部の発言力は高くなる。言いたいことは、わかるわよね?」

「それはもちろん。」

「ありがとう。…そしてそこで、私と参謀本部の利害が一致した。合理性ある政府を求めるゼートゥーアと、権威の復活と、帝国の生き残りを望む私の利害がね。」

 

 それはまさに、仕組まれたシナリオが実現しようとしている最中であることを示していた。フォン・デグレチャフ少佐とて分かる。これが、最善の道であると。参謀本部という、合理主義のエリート集団。その後ろ盾は、才覚に溢れる若き皇帝。それでも確実に勝てる保証はないが、賭けてみる価値は大いにある。

 前世の歴史でも、似たようなものがあったとターニャは記憶している。確かにそれは負けこそしたが、既にその歴史よりも上回った勝利を、帝国は積み重ねている。スタート地点は、こちらの方が幾分か上。もうひと押し、というところでそうすることは、大いに試してみる価値があった。

 

「して、なぜ私にそのような話を?」

 

 さて話も一段落したところで、フォン・デグレチャフ少佐は素朴な疑問をぶつけた。そう、なぜこの大公女は、自分のような一佐官に、このような話題を持ってきたのか。

 

「あぁ、それはね。ゼートゥーアが言っていたからよ。「私の戦略観に多大な影響を与えたのは、間違いなくあのデグレチャフ少佐だ」ってね。それに、連邦軍相手に大捷を収める…。その為には、貴女の力が不可欠だもの。もちろん、そのお陰で戦争を終結させることができれば、戦後貴女をどんな地位にでも就かせてあげるわ。」

 

 いとも簡単に、フォン・デグレチャフ少佐の前線送りが確定事項となった。そう、いくらプロシャ大公家が軍高官の地位を総なめにしていて、人事決定権が陸軍省にあるといっても、最終的な統帥権はハービヒツブルクの皇帝にあるのだ。つまり、この大公女が皇帝となったからには、ターニャは確実に前線で、帝国の興廃をかけて、連邦軍相手に一層奮励努力せねばならないということである。だが、その後についてくる報酬は、後方勤務を確実とするお約束。

 さぁ、どちらを選ぼうか。幸いにも今のターニャには、優秀な肉壁が何枚も存在する。ならば大公女殿下の誘いに身を委ねるのも悪くないだろうか。いやしかし、これが皇帝となれば、それはつまり神の使徒たる存在になるということだ。そうなれば自分も、あの存在Xの手下ということになりかねない。あれならば、そういった手段もとってくるやもしれない。

 実利をとるか、プライドをとるか。短い時間にあっても考えあげた結果、選ばれたのは前者であった。

 

「殿下からそのように仰っていただけるとは、正に無上の喜びであります。私とて、このまま帝国がズルズルと負けていく姿を見ていくのは、見るも無残で耐えられません。」

「よかった。それじゃあ具体的な計画は、また今度帝都で話しましょう。近いうちにあなたたちを帝都に召還するわ。」

 

 大公女は笑顔に戻り、言い切ると安心したように伸びをする。重力で捲られたドレスの袖から、白くか細い腕が垣間見える。ほんとうにこの人は大きなものを背負っている。そう思わせる一瞬。

 

「今夜は話せて良かったわ。時間も時間だし、私も眠たくなってきた…。」

 

 そう言ったきり、大公女は大きく、大きくあくびをすると、ターニャが部下に用意させた来客用の寝室へ向かうべく、シルクでできたドレスを整えて、と一言残し、木製の扉を静かに開けて、そして静かに閉めた。

 静寂に包まれた部屋。そこに響くのは、古びた焦げ茶色の柱時計が眠たげに奏でる、子守唄のような針の音色。フォン・デグレチャフ少佐も、思えば限界が近かった。

 その規則的な子守唄と、マリア・アンナ・ヴィクトーリアが残していったクランベリーの紅茶、また彼女が纏う香水のその甘い香り。それらの条件は、齢十数のターニャを眠りに誘い、その深淵に降ろすには、とても十分な分量であった。

 

 

 戦後、この時期の帝国の公文書ならびに私文書の数々が公開された時、各国の歴史家はこぞって、この時期の帝国陸軍の戦略家にして戦術家、また魔導少佐の一人に注目した。その名をターニャ・フォン・デグレチャフ。彼女の書いたこの時期の文献。特に私文書の数々から、この時期を「歴史の転換点」と主張する学派も少なくはない。少なくとも確実である事実は、この後の帝国の外交戦略に大きく影響を与えることになる大公女、マリア・アンナ・ヴィクトーリア・フォン・ハービヒツブルクとフォン・デグレチャフ少佐が、この時期に初めて出会ったということだ。その根拠として示されるのが、以下の文章である。

 

 

 発、ターニャ・フォン・デグレチャフ

 宛、ハンス・フォン・ゼートゥーア閣下

 

 初夏の候、閣下におかれましては、戦争指導においてますますご活躍のことお慶び申し上げます。

 さて、厄介な敵というものはとことん厄介なものではありますが、それは何も対外的な敵に限った話のみではございません。強国である我が帝国が、現に今、世界という荒潮に飲み込まれ、世界大戦という大嵐に吹かれている船だとすれば、万が一敗戦という暗礁に、少しでもその船体を擦らせでもすれば、この船は瞬く間に浸水し、大海原に姿を消すこと間違いございません。しかしそれが、もし何らかの整備不良で隔壁が降りなかった、あるいは、応急修理用の建材をどの船倉に置いたのかわからなかったから、といった原因だとすれば、それはその船の船員たちにとっては、末代までの恥となるに違いありません。

 小官はなにも、東部で気を病んで、帝国に愛想を尽かせてこのようなことを申し上げているのではございません。

 我々は、変革する必要があるのです。船の作りを頑丈なものにし、大嵐をくぐり抜けねばならないのです。不幸にも我らが皇帝陛下は、ご病気を患ってお先は長くないと存じます。なれば、その時が帝国最後の好機でございます。その時に何もしなければ、今の政治屋連中ときたら、おそらくとんでもないことを言い出すに相違ありません。それでは、本日はこの辺りで失礼致します。

 

 追伸 先日折もよく、大公女殿下に御目通りが叶いました。大公女殿下は我々と考えを同じくしていたただけるそうです。この情報が、閣下の有益となりますよう、よろしくお願い申し上げます。

 

 1926年×月××日

 

 

 

 帝立王立公文書館 「ターニャ・デグレチャフの書簡」より第000046号

 ※日付解読不能。時候の挨拶から、同年6月頃に書かれたものと推測される。




さて、それでは今回はこれまでとなります。もしもあなた様が本「大公女戦記」を気に入ってくださったのであれば、評価や感想等お待ちしております。
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それでは、またいつか。

作者:( https://twitter.com/hellmuth_1900 )
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