心の軌跡Ⅱ~重なる標~   作:迷えるウリボー

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34話 少女が求めたもの④

 

 

 

「私はアリス・A・アレスレード。エレボニア帝国のイステットを統治するアレスレード伯爵家の嫡女になるわ」

 アリス・A・アレスレード。菫を思わせる明るい紫の長髪。瞳は意思の強そうな薄紫。

 クロスベル自治州、聖ウルスラ医科大学の屋上庭園。アリスと再会したカイトはカイトは彼女や家族のことを聞きたいと言い、そして少女はそれを受け入れた。

 帝国には貴族制度がある。帝国そのものを統べる皇帝家は別にして、上に立ち伝統的な特権を行使して平民を守る貴族たち。

 先ほど出会い、早々に嫌な印象を抱くことになった男、アスベル・A・アストレード。彼は貴族階級の中で公爵・侯爵に次ぐ伯爵家の称号を持つ家の当主だった。

 帝国には《四大名門》と呼ばれる家々がある。それは皇帝家に次いで帝国を四分するほどの財力と兵力を持つ上位四つの貴族家のことで、順にカイエン公爵家、アルバレア公爵家、ハイアームズ侯爵家、ログナー侯爵家と呼ばれる家が現代の筆頭だ。

 ちなみにカイエン公爵家は、財力という意味ではリベール王家を上回る財力を持つ。領地であるラマール州にしても、単純な面積であればリベール王国に勝る。西ゼムリア最強の軍事力・兵力を持つエレボニア帝国の性格がよく表れているといえるだろう。

 そしてアレスレード伯爵家は、四大名門に次ぐ侯爵家にこそ届かないが、同じ《伯爵家》の中では筆頭と目されるほどの権威を持った一族だ。

 アレスレード伯爵には二人の子がいた。それが姉であるアリスと、弟であるアルスだった。

「そっか、貴族か。どうりでオレがルーファスさんと会ったって言った時に驚いたわけだ」

「それは……そうだよ。私にとっては雲の上のような存在の人だから」

 帝国の旅の中、オーロックス砦で出会ったルーファス・アルバレアは公爵家の人間だ。リベール育ちのカイトは導力車に対する驚きしかなかったのだが、、ある意味平民よりも貴族社会を知るアリスだからこそ、その恐ろしさを実感できたのだろう。正直、未だカイトは大貴族というものに対して畏怖の念を抱けないでいる。それはルーファスとの対話であったり、そもそも彼らより権威のある皇帝家の一人に対し暴力を働いたこともあるからなのだが。

「ただ、だとするとアルスはなんでこんな遠く離れたクロスベルの病院に?」

 失礼なことを聞くけれどと前置きをしながらも、カイトは真相を求めずにはいられなかった。

 アルスが難しい状況にいるというのは想像できるが、それでも何も知らない自分では理解のしようがなかった。例えば、難しい病気であっても帝国内の別の施設で治療することはかなわなかったのか。

 カイトの隣に座る少女は、困ったように笑う。

「アルスの疾患の名前は、《導留節開口症》、そして《免疫性多発性導節脈炎》」

 それは初めて聞く名称だった。

 医学というものは人間の歴史の中で外して語ることはできない。七耀暦千年の中で脈々と疾患に対する対処を学んでいき、そして五十年前、導力革命が起こったことで先進技術はさらに昇華されていった。

 人間における心臓をはじめとする臓器やそれに付きまとう疾患も、完全にとは言わないものの解明されつつある。だが皮肉なことに、生活が豊かになるために生活習慣病が増えるように、時代の前進は新たな問題を生む。導力革命によって五十年前から顕在化したのが導力系疾患だった。

 導力系疾患は主として導力器によって生まれる導力エネルギーに対し、過剰反応を示す疾患群だ。元々世界中の七耀石から出るエネルギーは自然物や古代遺物(アーティファクト)から発生するものが多かったが、技術の進歩に伴い導力器が大陸中に拡散した。それは導力系疾患の素養を持つ人々のあぶり出しにつながったのである。

 そして、導力過敏を示す疾患は導力器に頼らない治療を行う必要があった。疾患の原因究明に導力器を用いればそれ自体が精神症状・諸臓器の異常をきたす原因となるからだ。だから導力系疾患は指定上位の難病に指定されており、根本治療にも難渋することが多い。

 アルスの部屋に入るにあたり戦術オーブメントを始めとした導力器預けたのも、それが原因だったのだ。特に使用者に常時影響を与える戦術オーブメントはアーツを発動しなくても近くにあるだけでアルスに影響を与えてしまう。

「トヴァルさんから聞いたな。人間の体には戦術オーブメントの基となった、けれど形骸化している器官があるって」

 カイトは難しい単語の応酬に目を回しかけるが、それでもなんとか理解はできた。やはり帝国での旅に意味はあり、そこでのトヴァルの言葉が血肉となっている。

 《導力器官》。魔法を発動できる魔獣に存在し、人間や犬などの動物では退化して名残だけが残っていると言われる体内器官。心臓に付随する《導心節》に、身体各部に点在する《導留節》、それらを繋ぐ《導脈》、全身の血管と導脈を結ぶ《導水路》など。

 導力系疾患は主として導力器官に異常をきたす疾患だ。

 アリスは先に伝えたアルスの持つ疾患について、説明してくれる。

 《導留節開口症》。アルスの場合は生まれながらにして持った疾患だった。導力波が体内で制御できなくなり異常な導力エネルギーに晒される。そしてアルスは幼い頃にこの症状を軽快させる手術を受け……そして不幸にも症状を悪化させた。

 《免疫性多発性導節脈炎》。多発する導力器官の炎症による導力過敏症状と全身性炎症症状をきたすものだ。症状を抑えるための導力に頼らない治療と、導力過敏を抑える環境設定が必須となる難病。

「《免疫性多発性導節脈炎》は《セイランド症候群》とも呼ばれている。それは、この病気の発見者がレミフェリア公国で有名なセイランドの医師だったから」

「そうか。この医科大学は医療技術の権威であるセイランド社も深く関わっている」

 ただ単に高度な医療技術を持つ病院というだけではなくて、アルスを持つ疾患を発見した一族にゆかりのある施設だ。それに、確かシズクの主治医の名は《セイランド》だった。長く治療をするには適切な場所の一つだったのだ。

 長く苦しい十三年だっただろう。世界が技術を進めれば進めるほど、アルスにとっては住めない場所が増えていくのだ。アルスの病室に異質な空気を感じたのも、それが導力器でなくて《電力》と呼ばれる別のエネルギーを用いた機械だったからだ。特別病棟だったのは、他の導力器からアルスを遠ざける必要があったから。だからこそ人の訪れも少なかったのだ。

 アルスが許可と付き添いを得たうえで屋上庭園までやってこれたのは、アルスのセイランド症候群の症状が寛解状態にあるからだった。まだ、例えばクロスベル市内や通常の病棟への長時間いることが許されていないのだという。

「……大変だな、アルスも。アリスも、遠い距離をお見舞いに行っているなんて、すごいことだよ」

「家族だから……当たり前のことだよ」

「家族か。一緒にいたいよな」

 一呼吸おいて、カイトは続けた。

「……でも、だとしたら領地で導力器を使わない施設を造って、そこで療養するとかはできなかったのか? 少なくとも、アルスは様態も落ち着いているんだろう?」

 アレスレード家は伯爵家。大きな財力を持つなら、アルス専用の療養施設を造ることも不可能ではないだろう、と思う。

 アスベルはあのような性格だが、少なくともアルスは父親の来訪を望んでいるようにも見えた。実の父親だ、おかしくはないと思う。

 クロスベルと帝国西部は遠い。簡単に移動できるような距離ではない。それが領地を統治する貴族なら、なおさらだ。実際にアスベルがウルスラ病院に来る頻度は、アリスよりも少ないらしい。

 ならなぜ、今このような状況となっているのか。

「……」

 アリスは少しだけ沈黙した。

 日が、少しだけ落ちてくる。未だ夕焼けにはなっていない。

 アリスは口を開いた。それはきっと、カイトが先のアスベルの様子を見ていたからだ、というのもあるだろう。

 聞こえた内容は、およそカイトにとっては信じたくないものだった。

「父は……アルスのことを疎ましく思ているの」

「……疎ましく」

「そして、私のことも」

 アリスは、今度はカイトを見る。

「父は、典型的な貴族派主義なの」

 カイトが帝国で出会った貴族はルーファス・アルバレアと、そしてヴィクター・S・アルゼイド、そしてその息女であるラウラ・S・アルゼイドの三人。ルーファスは優雅さと美貌を併せ持つ、典型的な貴公子といった人物。そしてアルゼイドの二人は武人としての矜持を合わせ持っていた。

 帝国における《貴族派》として認知されているのは、上の三人のような人物像ではない、とアリスは言う。

「自分たちの権益を徹底的に守ろうとする伝統的な保守勢力。それが、革新派からみた侮蔑的な貴族派の説明なの。でもそれは間違いじゃない、真実」

 貴族の義務。本来平民の上に立つ貴族は、領地の平民から税を受ける代わりに兵力をはじめとした力で彼らを守る義務がある。だが、保身に走るあまり見境なく平民を侮蔑するのが、全てではないが現在の帝国でよくみられる貴族の姿だ。

 カイトの脳裏に、モーリス・ダルモアの姿がよぎった。彼は元貴族であったが、自分の邸宅や資産を守ろうとするあまり孤児院の放火に至る経緯は、アリスの言う貴族派主義に似通っているようにも感じる。

 アルスを介したたった一度の面識しかない。それでもカイトは、アスベルのあの言動が貴族派によるものであると納得せざるをえなかった。というより、カイトでなくとも納得するだろう。

 そんな貴族派であれば、血統主義に走る。そして時に、守るはずの子供たちは権力を高めるための道具となり得る。

「私のことも弟のことも、父は家の名を上げるための道具としか見ていないんです」

「……」

 テレサとジョセフの記憶を持つ自分にとっては、それは到底信じられない考えだ。自分が道具として使われる感覚。そんなものは判るわけがない。

 旅を共にした仲間も、きっと同じものが多いだろう。エステル、ヨシュア、クローゼ、オリビエ、シェラザード、ティータ。片親や真意が判らない保護者などはいた。それでも、彼らの親兄弟保護者は彼らのことを変わらずに気にかけていたのだ。

 だから、今のカイトはすぐに言葉をかけられなかった。

 アスベルは子供をそういった目で見ている。だが関係を複雑にしているのは、子供たちの境遇。男尊女卑が和らぎつつある現代とは言え、基本的に長子が女では家を広げにくいという考えも多い。そして次に生まれた男児は、生まれながらに重い病気を抱えていた。

 つまり、権力争いの道具としては使えないということ。

「だから、アルスは親にとって厄介者ってことか?」

 アリスは静かに頷いた。家で育てるには負担がかかる、かといってすぐに『排除する』のも周囲の人間への信用に関わる。だから体よく『子を先端医療の場に預ける』というようにして、アルスを帝国の外へ追いやった。ついでに言えば、一度預けてしまえば帝国とクロスベルを繋げるのは導力機構により動く列車や飛行船。並大抵のことでは帝国に戻ることはかなわない。アルスは鳥籠の中で羽をもがれた鳥ということになる。

 それが、アレスレード伯爵家の実態だ。

「ごめん、嫌なことを話させたかもしれない」

「ううん、大丈夫」

 帝国の社交界の人間や、あるいは病院関係者であればある程度は知っている話かもしれない。だがいっそ他人ともいえるカイトに話すというのは、アリスの心労につながる可能性も、逆の可能性も考えられる。果たしてアリスはどちらに転んだのだろうか。

「それにルーファス様に対しても物怖じしない、平等な人だなって思ったから。だから話しても大丈夫かなって」

 そう言ってくれるなら、自分も少しは遊撃士として博がついたものだと思えるが。

 違う、今考えるべきはそれじゃない。

 今考えるべきは、アリスの思いつめた表情の真意。

 カイトは沈黙を貫いた。これ以上会話を寄り道をさせず、少女の真意を聞きたい。

「本当は……どうすればいいか判らないんだ」

 それほど時間も経たず、アリスはそれを吐き出した。

「どうすればいいのかが?」

「病院の人たちはとても優しい。アルスにも、私にも、すごく真摯でいてくれる」

 セシルやシズクをはじめ、アルスに関わる人たちはたとえ血が繋がっていなくても、親愛の情を持ってくれている。だからアルスも、苦しい状況でも本当の意味で心根の優しい少年に育ったのだろう。寂しくて、いっそ父親の態度が冷徹だとしても、彼の来訪を喜べるほどに。

「お父様の態度には困ってしまうけれど……それを仕方ないと思ってしまう自分もいるの」

 アリスは貴族の令嬢、しかもまだ子供だ。帝都で現れた時のように一人でいるならともかく、色々なしがらみがあるなら自分の信念を押し通すことも難しいだろう。一歳違いでも正遊撃士となって行動の制限が緩くなったカイトとはわけが違う。

 アリスは、迷ったように言った。

「自分が何をしたいのか……何をすべきなのか……判らない」

 しがらみの中で、少しでもできる行動が、きっと彼女にとって少しでもアルスに会いに行くことだったのだろう。それでもアルスの状況に少しも影響を及ぼせていないと感じるなら、それは迷いを生んでしまう。

「そっか……」

 アリスの想いを、少年は聞き届けた。

「でも……ありがとう。聴いてくれて」

 アリスは変わらず、気丈に振舞う。

「アルスも、きっと喜んでくれている」

 少年は少女の想いを聞き届けた。それは彼女の迷いや戸惑いや悲しみ、心が感じ取れるものだった。

 少年は考える。その心を前にして、自分は何ができる?

 あのグランセルの空中庭園で、姉に誓った。全ての国の、全ての人を守りたいと。そう誓った自分は、今ここで何をしたい?

 そんな少し突拍子のない、無関係なことが頭に浮かんだのを不思議に思いながらも、少年は言葉を紡いだ。

「アリスは、これからどうするんだ?」

「久しぶりにクロスベルに来たけれど、今日はお父様も一緒だから自由には動けない。だからもうすぐ帰るわ」

 それはあのアスベルが息子とともにいるのも、アリスが弟と触れ合えるのも、残り少しの時間ということ。

 長くアルスを支えたいと思っているアリスがここにいれる時間がないということ。

 なら、自分がやるべきでやりたいことは、一つだ。といっても、すでにアルスに対して約束したことではあったけれど。

「アリスの分も、オレがアルスのお見舞いに行くよ」

「でも、カイトさん」

「心配しないで。すくなくともクロスベルにいる間は、シズクちゃんのお見舞いに定期的に病院に来ることになるから」

「でも……」

 アリスは素直に喜べないでいる。

 カイトはアリスがしてくれたように、自分の胸の内を語ることにした。

「遊撃士は支える籠手……市民の平和を守り抜く。でもそれは、きっと身の安全だけじゃ守れないよ」

 何度も思い出したジンの言葉。遊撃士は人を守るが、その『人』は自分であってもいいはずだ。

 そして、そこからカイトはさらに考える。クロスベルに来て一か月、カイトは魔都特有の闇のせいで遊撃士がその闇を払えない現状を知った。遊撃士は神格化されるが、それでも根本的な解決には至らないと。

 遊撃士の力を過小評価するつもりはない。ワイスマンをリベールから退けた人としての可能性は、素晴らしいものだ。

 それでも、今の遊撃士の力だけでは救えないものがある。それはクロスベルの闇でもあり、現状遊撃士が動けない帝国の歪みでもある。

 全ての人を救うために、アリスの想いを救うために、自分は今までと違う手を模索しなくてはならない。 

「アリスが何をしたいのか、何をすべきなのか。それが判るまで、オレにアルスとアリスの気持ちを、支えさせてよ」

「カイトさん」

 どうしてだろうか、と思う。今までの旅路の中で、誰か一人にこんな風に約束をしたことはなかった。

 リベールでの旅路は仲間も先輩が多く、対峙する敵は圧倒的な存在が多かった。だからオリビエやクローゼを除き、それほど他者の心まで入り込めなかったということもあるが。

 判らないけれど、それでも。

「遊撃士として……いや、アリスとアルスの友達として、世話を焼かせてくれよ」

「ありがとう……本当に」

 アリスは、笑った。帝都で一緒に歩いた時のように、優し気な笑顔だった。

「少し時間はかかるかもしれない。でも、よろしくお願いします」

「ああ、任されたよ」

 カイトも朗らかに笑った。

 まだまだ二人は出会ったばかりで、アリスもまた自分の問題に迷っている。だから今日がスタートだ。アリス自身が向き合うための。

 そしてカイトは一つ、続けた。

「だから、今日はオレたちにとっての一泡を吹かせてやろうぜ。二人のお父さんにさ」

 

 










ちょっと説明が多いですが、ご容赦を。
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