ずっと、姉さんを守れなかったと思っていた。
少なくとも、最初に望んだ形ではなかった。
リベールの異変を通して、嫉妬や絶望が許容できるようになったのは確かだ。姉さんが家族として大事だと、そう思えたのは確かだ。
だからあの祝賀会の夜、自分は家族として姉さんに精一杯笑えた。感謝を伝えられた。
でも、まったく恋情がなくなったわけじゃない。心のどこかに蓋をした。
そんな時にアリスが現れて、何の因果か自分を慕ってくれるようになって。
ウルスラ病院での一幕。
それでも、都合よくクローゼの代わりとしてアリスを求めているような気がして、それが嫌だから感情を殺していたのか。
でも、自分が自分なりの方法で姉を守れたのなら。
ユリアが、アリシア女王が、何よりもクローゼが。彼女たちが言ってくれた『弟としての自分』の果たしたそれが、一人の《人》としてクローゼにできたことなら。
義弟として以上に、自分が自分だから成し遂げられたと、自信を持って思えるのなら。
クローゼを重ねたアリスではなくて、今、アリス自身を守りたいと思うことは、償いや嫉妬や諦めなんかじゃない。
本当に……その感情なのかはわからないけれど。
「リベールのみんなとも、Ⅶ組のみんなとも違う……でも、大事な人だ」
それが今言葉にすることができる、精一杯の想いだった。
大事な人。たったそれだけの言葉なのに、喉がカラカラになった。背中が汗ばんだ気がして、けれど不快かどうかも気にならない程に、感情がぐるぐる回っている。
カイトの目の前で、しっかりと少年の目を見据えて聞き届けたアリサは、ただただ頷いた。
「……そう、そうなのね」
さっきまで、お互いリィンやらアリスやらの話で怒鳴り合いもあった二人だが、今は微笑むだけだ。アリサは柔らかく、カイトは力なく。
「なんだか私、ようやく貴方に勝てそうな部分を見つけたかも」
アリサは二杯目のレモンジュースに口をつけた。
「いや、でもアリサだって苦労してるでしょ」
「まぁ……そう言われると私も反論しづらいのだけど」
「あいつなぁ。朴念仁だしなぁ。シスコンだしなぁ」
「そう、そうなのよ」
「差し当たってはさ。問題はエリゼちゃんじゃないの?」
「そ〜……っなのよねぇ。はぁ」
六月までエリゼに会ったことがなかったので、自分もアリサもⅦ組もリィンの義妹想いな言動を単なる性格として理解していたが、それは間違いだった。
彼は超がつく真正のドシスコンだ。下手にエリゼを誑かそうとしたら太刀の錆にされる。
「ねぇ、試しにちょっとⅦ組男子の発案って体でエリゼちゃんとアリスさんを誘ってみない? もう一度」
「オレは友人を前科持ちにさせたくはないぞ」
リィンは誰を殺めてしまうのだろうか。
「まあ、いいわ。こうして力強い盟友ができたことだし。気を抜かずに、でも気楽にいくわよ」
「こんな盟友でよければどうぞ。Ⅶ組の大事な仲間なんだから」
「ふふ、そうね。さあ、いい加減に話を戻しましょう」
アリサは手を合わせた。一番最初のカイトの悩み事だ。
「現実問題、通商会議にガレリア要塞で、誕生日当日は帝都に戻れないのよね」
「その通り。だから、せめてプレゼントを用意したいんだけど……」
「ねぇ、三殿下との晩餐会の時にその話がでたのよね? 別にアリスさんにじゃなくても、誰かにそれは伝えたの?」
「……伝えてないです、ハイ」
乙女の拳がカイトの脳天に直撃した。
「正遊撃士が聞いて呆れるわっ!」
まったく反論できなかった、というより反論する気力がなかった。
特別実習の日付と通商会議の件を聞いたのもここ数日の話だというのに。
アリサはため息を吐いた。それはもう、手のうちがないと諦めるように。
「あれね。とりあえずカイト、明日帝都に行ってきなさい。それで直接謝罪してきなさい」
「はい……」
「お嬢様の園からそのまま連れ出して先に祝うなんて無理でしょうから、絶対に自分で謝罪して事情を説明すること」
「ハイ……」
「もしエリゼちゃんにでも会えたら、そのままアリスさんの好みを聞いてきなさい。それで後日、渡す」
「はぃ……」
「聞いているのかしら!?」
「はぃっ!」
カイトは思わず立ち上がって敬礼した。
イリーナ・ラインフォルトがいるのかと思った。
「それで、今度はちゃんと予定をすり合わせて、通商会議から帰ってきたら食事にでも誘って」
「……ちょっとハードルが高くない? オレたち一応学生だぞ」
「アリスさんは何歳?」
「えと……十六歳」
「十六歳っていったら貴族社会じゃもう社交界デビューしてるわよ。もう貴族の嫡男やらに粉かけられまくるのよ」
「現在進行系でユーシスがいるんだけど」
「あんな仏頂面の御曹司は吠え面でもかかせておきなさい」
「わーお」
今日のアリサは押しが強い。たぶん、ユーシスに毒でも吐かれたなこれは。いつかは知らないが。
「勝負は明日よ、明日。私の言ったことを達成しないと二度とトリスタの土地を踏ませないから」
「指名手配犯レベルじゃんか……」
「通商会議? ガレリア要塞? そんなのたかが帝国やら周辺諸国の寸劇じゃない。こっちは乙女の人生賭けてるのよ」
「列車砲に心を痛めてたアリサはどこにいったの?」
「私も帝都に行くわよ。エマも連れてくわよ」
「怖い……」
「もういっそのこと女子全員でいくわよ?」
「あの、機密情報……」
フィーとミリアムに知られたら確実に男子にも波及する。そうしたら自動的にユーシスに知られる。
そうなったら確実に煉獄行きだ。
「さよなら現世……こんにちわ女神様……」
「ああ、もう。女子全員っていうのは冗談だから……」
────
八月二十六日。夕刻。
結局、帝都へはアリサとエマが着いてきた。彼女たちに
その時点でアリサとエマとは別行動になる。応援してくれているのは確かだが。同時に彼女たちも若干カイトの青春を面白がっている節がある。カイトは信頼関係を築けて楽しく思える一方、精神的にも追い詰められた。通商会議の直前である。
導力トラムの中でも、エマが「カイトに私服を着させたほうが良かったのでは」と言えばアリサが「リィンの私服が壊滅的だったので却下よ」となり、「でもワンポイントなどはどうか」とエマが問えばアリサが「カイト、眼鏡かけたことある?」と出し抜けにエマの丸眼鏡をカイトにかけたりもした。
結局盛大におもちゃにされ、カイトは一人サンクト地区へ放り出された。ちなみにアリサとエマの二人はそのまま遊びに出かけた。特別実習の直前である。
(結局あいつら遊び通しに来たのかよ……応援してくれているのはわかるけど)
通商会議への参加を決めたのが五日前。それを仲間に話し、アリサと盛大な相談をしたのが昨日。
さすがにカイトの精神も落ち着いてきた。通商会議への意気込みはある。けどアリスへの感情を言葉にしたことで、どこかやりにくさを感じているのがある。
(ま、姉さんにぶっちゃけられた直後と比べたら楽……だと思いたいんだけど)
夕暮れのサンクト地区。特別実習の二日目にここに来た時と、完全に情景が重なった。
自分と入れ違いに女学院生が導力トラムに入り、総大聖堂の鐘がなり、人々が静かに賑わう。あの時と違うのは、Ⅶ組がいなくて自分が一人だけであることだ。
「……はぁーあ。行こう」
もうここまで来てしまったのだ。今更何もせずに変えることはできない。
ない勇気を振り絞って、聖アストライア女学院前の坂道までやって来た。
(今日は招待されてない。下手にうろつけば即不審者。すぐに用事を済ませる。用事を済ませる……)
そんな感じで五分ほど彷徨いていたら声をかけられた。
「あ、あの……もしかしてカイトさんでしょうか?」
あ、まずいと思って振り返った。そして、そこにいたのは女学生だった。
あ、やべえと思って少女の顔を見た。エリゼ・シュバルツァーだった。
「
「は、はいっ……!?」
「なんて……あはは。ごめんごめん。ちょっと疲れててさ、アハハ」
突然少年に虚言がみえたら、驚かない人間はいない。ましてや女学生なら憲兵に連絡するのが絶対的に正しい。 前科持ちとなるところだった。親友の義妹によって。
「そ、その……ようこそいらっしゃいました?」
「はぁ……それはともかく、こんにちは、エリゼちゃん。元気そうだね」
「……はい。その節は本当にありがとうございました」
夏至祭のテロの時の話だ。ようやく二人してまともに話せるようになってきた。
「ところで、エリゼちゃんはどうしてここに? まぁ、女学院前だから当たり前なんだけど」
「あ、あの……『正門前に怪しい人がいる』と後輩に言われまして」
「ご、ごめん……」
完全に不審者のそれだった。
とはいえカイトとエリゼである。お互い既知。特別仲がいいわけでもないが、話はすんなりとできる。
「もしかして、アリス先輩に御用が?」
「そ、そうなんだけど……」
一発で見抜かれた。今回はリィンに帝都訪問は伝えてないし、特にエリゼに伝言などもない。
「エリゼちゃん。ちょっとだけ相談に付き合ってもらえないかな?」
「? はい。私のような若輩者でも構わないのでしたら」
「むしろ心強いよ」
エリゼはアルフィンと違って変にからかうことも、面白がって噂を広めたりもしないだろう。朴念仁でないリィンだと思えば信頼できることこのうえない。
端的に、事のあらましを伝えた。
「なんとなく、先輩のことだとは思っていました」
「だよね……オレ、他はエリゼちゃんとアルフィン殿下くらいしか接点ないし」
「その節は姫様が本当にご迷惑を……」
「いや。昔のオリヴァルト殿下を見てるみたいで、楽しかったよ」
自分が標的にされなければだが。
「それで……どうかな? ほんのちょっとでも、あいつの事を教えてもらえると嬉しいんだけど」
「そうですね。あの、カイトさん」
「うん」
「アリス先輩とは、どういった間柄なのでしょうか?」
「……放っておけない感じ、かな」
アリサが言わせようとしていた言葉。あるいは、カイト自身が言った『大事な人』という表現。それらを大っぴらに言うのはまだ恥ずかしい。
ただ、苦し紛れのその言葉はエリゼの琴線に触れたようで、リィンの妹は少し固くなっていた相貌から力が抜けたようだ。七月にアリスと共にトリスタを訪れた時よりは、Ⅶ組に対しての警戒が薄れているように見える。
「ふふっ……先輩がどうして気を許しているのか、わかった気がします」
「そうならいいんだけどね……」
「私も先輩と知り合ったのは女学院に入ってからですが、それでもよければ」
「四回くらいしか会ってないオレよりは確実だよ」
エリゼは淑やかに笑んだ。十五歳となるとフィーと同い年だが、アルフィンとも含めて全員雰囲気が異なっている。
「アレスレード伯爵のこともあって公然とは話しませんが……先輩はカイトさんのことを嬉しそうに話していました」
「そ、そっか……」
「先輩の趣味は、そうですね……意外と今めかしいものが好きみたいで」
「っていうと?」
「ご存知のとおり私たちは箱入りの娘です。貴族の者も多いのでそういった文化に親しいのです」
「まあ、それはそうだよね。オレリベール出身だから申し訳ないけど……帝国の貴族の人はやっぱり言葉使いも感じ方も色々古めかしい感じはする」
「ええ、そうなんです」
クスリと、エリゼは口元を隠した。
「私たち年頃の娘は、それでも外国の文化を受け入れつつありますが……特に先輩はそれが顕著で」
カイトは思い至った。
「そっか。あいつ
「みっしぃ……ああ、クロスベルのマスコットキャラですね。私も好きです」
意外とエリゼも今めかしい。言動はアリスよりアルフィンより完全に貴族の娘、深窓の令嬢といった様子だが。
というかみっしぃ、ちょいちょい帝国市場で見かけている。帝国──と共和国──に搾取されているクロスベルとは言うが。あのゆるキャラに限ってはむしろ宗主国を飲み込んでいる気がする。
「マスコットとか、キーホルダーとか……そういった物を集めているようですよ」
「うーん……でもそれだと誕生日って感じもしないなぁ」
例えばテレサ院長に対しては、マリィを筆頭に子供たちを引き立てつつケーキを作ったことがある。クローゼに対しても孤児院絡みで祝っていた時は同様。三ヶ月前、リィンに対してはⅦ組内で相談しつつ刀袋を送った。
それと比べて、少し誕生日という特別感がない気もするが……。
「……助言となっているかはわかりませんが、たぶん、カイトさんがちゃんとした席で送れば、どんなものでも喜ぶと思いますよ」
「うーん……若干の不安が」
文通はそれなりにしているが、言ったように大して出会いを重ねていない。こういうので、物ではなく気持ちが大事だ、という考えは承知しているけれど。
「カイトさん」
「ん?」
「その……差し出がましいことなのですが、兄様……リィンは変わり無いでしょうか」
「リィン? ああ、変わりないよ。むしろ変わらずに朴──」
いけない、家族相手にだいぶ失礼な発言をしてしまうところだった。
「──うん、変わりないよ。元気元気」
「あの、いえ、兄が朴念仁なのは周知の事実ですので」
「あ、うん……」
普通にバレた。
「その、学院の旧校舎から私を助けてくださった時、カイトさんがいましたから」
「そういうことか。武術教練の様子を見ても、体そのものは問題ないと思うよ。《あの姿》のことは、まだオレとクロウ先輩しか見てないはず」
「そうですか……」
「エリゼちゃんは見たことがあるんだね? リィンの《あの姿》を」
「……はい」
「心配だよな。そりゃ」
リィンがエリゼのことに関してあの姿になったのは、それだけエリゼの存在が彼の中で大きいことを意味する。Ⅶ組より大切だとか、そんな単純な意味合いではない。幼少の頃に、記憶喪失のリィンにできた大事な妹。より根源的な彼の精神性に関わることだ。ある意味シスコンになったのも頷ける。自分だって戦火のなかで出会った義姉と色々あったわけだし。
同時、兄の中の異形を知っているエリゼの胸中はどんなものなのか。そして、それでもリィンを信じて慕い続けている彼女の強さは。
そんな仲間の妹に、自分は何ができるのだろう。
「……そう簡単に『助けてやる』とは言えないけどさ。リィンがこの四ヶ月で得たものを、信じてくれたら嬉しいよ」
「はい。Ⅶ組の皆さんは……兄も信頼しているご様子。私も嬉しく思います」
エリゼは淑やかに、いや真摯に頭を下げた。
「どうか……兄のことをよろしくお願いします」
「うん、わかったよ。一人の仲間としてね」
この場にいない他のⅦ組メンバーも同じように答える。そこに疑いはなかった。だから、カイトはⅦ組としての答えを代表するつもりで言った。
「あの、それと」
「うん」
「その……色々とご教授頂ければと思って。カイトさんが義理のお姉様とお話されたこととか」
「……うん?」
あれ。真面目な話をしていたと思うのだが。
アンゼリカの『その手の話はこの上なく真面目な話だ』という言葉がリフレインしてしまった。
「えっと、ご不快に思われたのでしたら申し訳ないのですが……」
「い、いや、別にそれは構わないけど」
なんだ、クローゼの件に関してアリスは若干怖いし、アルフィンはからかってくるし。エリゼだけは人畜無害だと思っていたのに。
「どうか……御力添えをしていただけますか?」
「あ、うん──え? それってどういう?」
つい最近アリサから似たような問答を受けた気がするのだが。
これに全面的に肯定したら、今度は自分が将来後ろから刺されてしまう気がするのだが。
「はぁ、よかったです。義理の姉兄を持つ方が身近にいなかったもので。カイトさんは……すごく頼もしいです」
「あ、うん……そうだね……」
義理の兄に想いを寄せる少女に安堵の顔をされては何も言えなかった。
憑き物がとれたのか、エリゼは幾分明るい表情になってそもそもの話に戻ってきた。
「カイトさん、今から先輩を呼んできます。ですので是非直接お話してください。私も応援していますから」
「あ、うん……ありがとうね……」
去っていく可憐な少女の後ろ姿を見送る。
「……なんか取り返しのつかないことを言ってしまった気がする」
当初の予定に対する緊張と、前日のアリサとの会話で暴走した感情と、そしてエリゼからの予想外の問答。数日後にはクロスベルで史上最大の国際会議だというのに。
疲れた。
「まあいいや。なんかあったら全部リィンのせいにすれば」
個人的には関係性に共感してエリゼを応援したいと思ったカイトであった。自分は将来アリサに後ろから刺されるのだろう。そうなったらRF社の株は大暴落か。イリーナ会長は辞任を余儀なくされ、ラインフォルト社なのにラインフォルト家とは違う人物が会長となり──
「カイトさん?」
急激に現実に引き戻された。アリスの声がした。
「ア、アリスっ」
思わず振り返った。当たり前だがアリスがいた。
「エリゼから聞いて来たのだけど……わざわざ訪ねてきてくれたんだ」
「あ、ああ。ちょっと手紙じゃ書けないというか……すぐに知らせなきゃいけなくて」
「ううん。来てくれて嬉しい」
「……」
これから話すことを考えるととてつもなく気が重いのだが。
「それで、どうしたの?」
「夏至祭の前、アルフィン殿下が開いた晩餐会があっただろう?」
「うん」
「あの時、八月三十一日のこと、話しただろう?」
「うん」
「……その、実は」
「通商会議に行く事になったんでしょう?」
「そう、通商──え?」
いや待て、どうして知ってる。
「えっと、もしかしてオリヴァルト殿下から?」
「そう。姫様経由で」
「あの二人は……!」
相変わらず口の軽い皇族たちであった。ならばフォローしてくれよ、と自分の中でいじけた感情が生まれる。いや、フォローしてくれたからこそアリスが事情を知っているのか。
ともあれ、カイトはアリスに向き直り、数秒の沈黙を経て頭を下げた。
「ご、ごめん」
「私、怒ってないよ。カイトさんなら通商会議に行くだろうなって思っていたから」
「ご、ごめん……」
「それよりも……誕生日のこと、忘れられたのかと思って。連絡もなかったから」
「そ、その……本当、ごめん」
アリスは柔らかく笑んだ。
「冗談。カイトさんに怒るわけがない」
カイトからしてみれば帝国入りすることを伝えなくてクロスベルまで押しかけられた──それは
「……通商会議に行く。だから……アルフィン殿下やエリゼちゃんとは、一緒に祝えない」
「仕方ないよ。カイトさん、応援してるから」
「いや、それはいいんだ。通商会議が終わった九月……時間、ないか?」
「え?」
「ちゃんと、祝いたいんだ」
「……カイトさん」
「その……せっかく約束したのにさ。不意にしちゃうのは正遊撃士としてナシだし」
「ふふっ、ありがとう」
アリスがクスリと微笑んだ。朗らかな、優しい顔だ。
「それで、色々考えたんだけど……だめだ、やっぱり見栄を張るのはやめよ」
カイトは頭をかいた。アリサに怒られてしまいそうだが仕方がない。
「アリス。欲しいものはない? プレゼントを贈りたいんだ」
直前にエリゼと話したことも頭にあった。エステルやロイド、リィンと自分は違う。変に人をたらし込めやしない。
「……お土産」
数秒の沈黙の後、ポツリ。
「クロスベルのお土産が欲しい」
「え、聞いといてなんだけど、それでいいの?」
「うん、最近クロスベルには行けていないもの」
「あー、そうか」
「みっしぃもいいけど、最近は《カゲマル》も人気なんだって」
「へ、へぇ……」
本当にエリゼの仰るとおりだった。
「それと何よりも。カイトさんが、ちゃんと渡して」
「……それでいいのか?」
「それがいいの」
「わかった。クロスベルのお土産を買って、ちゃんと渡す。約束」
そうして、次に会う日付も決める。カイトがクロスベルから戻った後の、最初の自由行動日。
その時までに、もう少しは落ち着いて話ができるようになるだろうか。
「アルスをお願いね。通商会議……頑張ってね」
応援と、それだけではないようなアリスの言葉が、印象的だった。
────
二十七日、夜。第三学生寮
もうロビーに出るクラスメイトもいない時間帯。カイトも自室から出ることもなく、荷物の整理をしていた。
「もう半日後にはクロスベルに向けて出発してるのか。早いな……」
始発ではないが、明日はそれなりに早い時間にトリスタを出発するつもりだ。Ⅶ組のA班は帝国南東レグラム、B班は北西ジュライ特区。どちらも始発で出るつもりらしい。仲間たちを見送ってから自分も出発する予定だ。
通商会議。帝国の一団としての参加だが、オリビエの厚意に甘えることにして、単身でのクロスベル入りとなる。
二十八日早朝に出発、三十一日の夜にトリスタへ帰還。三泊四日。今までより密度の高い旅になりそうだ。
泊数としてはノルドに向かった時と変わらないが、遊撃士の頃から愛用していた鞄に詰めるものは異なる。なにせ、高原ではなく近代都市に行くのだから。
そんなわけで、荷物その他備品の準備をしている。
「……銃弾は最小限にして、必要があれば向こうで買えるか。ARCUSのクオーツは流通してないだろうから明日ジョルジュ先輩に相談するとして……はっ、ENIGMAも用意しないと」
他にも最新の帝国時報を念のため。無論通商会議についての記事があるものだ。クロスベルタイムズは市内で買えるから問題ないだろう。
残念ながらクロスベル市旧市街のアパートは退去しているし、遊撃士協会などに泊まるつもり。アメニティ関係も必要そう。
一通りを終え、カイトは伸びをした。
「ああ、終わった終わった」
鞄を部屋の中央に無造作に置いて、カイトは寝間着にならず大の字にベッドに飛び込んだ。
仰向けになって天井を見る。
『おいカイト、いるか?』
自室の扉の向こうからクロウの声が聞こえた。
「はーい、どうぞ」
ほぼノータイムで扉が開かれた。
「おーおー、やってんなぁ」
「先輩こそ。準備は終わった?」
クロウは自由行動日に荷物を移動はさせたものの、結局完全に寝所として使い始めたのはここ二日前からだった。
服装は今までと同様の緑の平民制服。紅い制服も発注しているが、今回の実習には間に合わなかったようだ。
「おう、俺も終わったぞ。残るは旅のお供の
「アリサに没収されて捨てられないようにね」
クロウは部屋の壁に寄りかかった。
「くく、お嬢様如きに隠し場所がわかるかよ」
「さぁ。ここ最近のアリサのレーダー、なんか怖いし」
主に自分のせいで。
カイトは体を起こした。
「先輩こそ珍しい。後輩の部屋に急に乗り込むような先輩でもないじゃん」
カイトは、呼び方こそ『先輩』だがその態度は完全に同輩に対するものに変わっていた。
クロウは肩をすくめた。そして、カイトにそれを投げつけた。
「お前はホットショットじゃなびかねぇからな。ほらよっ」
「わっ、とと……」
危うく外しかけ落としかけ、辛うじてそれを掴んだ。最近キルシェで売るようになった缶タイプのジュースだ。
「餞別だよ。孤独にクロスベルに向かう仲間にってな」
「いや物騒な。なんか最近の先輩おかしくない?」
「馬鹿言えよ。散々玩具として弄ってやった後輩が、いつの間にか通商会議なんて場所にいっちまうからな。ほら、飲め飲め」
「まったく」
笑い、カイトはそれを開けた。クロウも自分用のものを買っていたらしく、口に運んだ。
「先輩こそ、久しぶりの長距離にバテないでくれよ? ハードな実習なんだから」
「ククッ、オレを誰だと思ってやがる」
「先輩はジュライかぁ。遠いなぁ」
今回の実習先は、A班はレグラム。B班はジュライ特区。
レグラムは言わずもがな、カイトも訪れたことのあるラウラの故郷だ。当時は遊撃士への襲撃が激しかった頃だから、休息の場を提供してくれたアルゼイド子爵には感謝の念がたえない。久々に挨拶もしたかった、という意味ではレグラムに行けないのは少し寂しい。
ジュライ特区は正直なところほとんど知らない場所だ。過去に帝国が併合した周辺国の一つ。その意味では、リベールやクロスベルの《もしも》の姿と言ってもいい。やはり興味はある。
「ま、去年はトワたちと一緒に色々回った。後輩のお守りくらいはしてやるかね」
「リィンじゃないけど、頼むよ。約束」
「へいへい。だからお前はトワを守れよ」
「いつもの先輩にしては殊勝な態度だったしね、あの時は」
煽るように飲み干す。
「実際のところ、どうなんだ? お前の持ってきた
「まあね。オレがいたずっと前からその圧力で政治は腐敗してたし。《教団事件》のあたりからそれも良くなってるらしいけど……そこに来ての通商会議。きな臭すぎる」
事前に質屋ミヒュトから簡単な情報は仕入れていた。クロスベル市に着いたらすぐ遊撃士協会に寄るつもりなので詳細な情報には困らないだろうが、ある程度の覚悟はしておきたかった。
彼の情報によれば、ルバーチェ商会が倒れたにも関わらずクロスベルの裏社会は怪しい。以前からいた黒月の活動が活発化してきただけではない。西ゼムリアで双璧をなすと言われる猟兵団《赤い星座》──特務支援課ランディ・オルランドの古巣だというその戦闘集団が、クロスベル入りしているらしいのだ。
「なるほど。帝国解放戦線にも負けねぇネームバリューだな」
「テロリストはインパクトが大きいけど。猟兵団の恐ろしさもそれなりに知ってるつもりだ」
中規模猟兵団の一兵卒なら昔のカイトでも辛うじて戦えた。だがランディの殺気、フィーの抜け目なさ、ガルシアの狩人の覇気、赤獅子の怒り。一流の猟兵たちの凄みは、結社の執行者にも引けを取らない……と思う。
「うへぇ、ひたすら怖いじゃねーか。カイト、命は大事にしろよ? 旧校舎の時みたいに変に暴走されたらトワじゃ抑えきれねえ」
「ま、まあ善処するよ。さすがに通商会議だし、大抵の一流集団ならたぶん妙なことはしないと思うけど。結社じゃないんだし」
「クロスベル自治州か。因果な場所だねぇ」
「……」
「ん、どうした?」
クロウが訝しげな目線でこちらを見てくる。自分の考えが少なからず顔に出ていたらしい。
「いや……先輩はクロスベル
「あん? そりゃそうだろ。あそこは二大国に挟まれた自治州だぞ」
「いや……前に委員長が《クロスベル州》って言ったのが気になっててさ」
密な学院生活を送っていたから忘れていたが、ふと思い出した。四月、エマと世間話でクロスベルのことについて話した時の違和感だ。
クロウには、逆にそれがなかった。
「ああ、そういうことか。確かに帝国民の中にはクロスベルを属州だと思ってるか、そうでなくても癖で『クロスベル州』って言っちまうのはあるだろうな。委員長ちゃんは後者じゃねえか?」
「委員長も博識だから、確かにそっちなのかな。先輩は?」
「おい、数秒前の俺の発言を忘れんなよ」
「不良にしては珍しい。国際感覚があるなぁ」
「ったく。激励をしに来てやったのに、いまいち締まらねえ」
「あはは。ありがとね」
「クロスベルに行く前にお前の『先輩』呼びを直せるかと思ったんだが」
「ま、来月あたりにするよ。先輩もまだ緑の制服だし」
「言ってろ」
いい加減に飽きたのか、クロウは缶の中身を仰いでそしてひらひらを手を振った。
「それじゃあな、カイト」
「うん。先輩もね」
再び一人になる。
「……なんか変だったな」
初対面のリィンから五十ミラをくすねたり、あるいはアネラスを口説こうとしたり、色々とだらしのない先輩だが、今日はどこかしおらしいように感じた。それが少々気持ち悪さもあったわけだが。
多少はクロウの性格をわかっているつもりなのだが、トワのことを大事に思ってあの言動が出るあたり、まだまだ自分は彼について知らないことも多いらしい。
「ま、今はいいか。クロスベルに帰ってきたら思いっきりタメ口呼び捨てで馬鹿にしてやろう」
そんな冗談を思って、クロスベル入りの準備を終える。
激動の時代。その震源地への再訪は、すぐそこだ。
通商会議編は、お試しも兼ねて少々特殊なサブタイトルの出し方をする予定です。
次回65話
「8/28:その日のクロスベル」
好きな軌跡シリーズの冒険タイプは? ※黎は閃13と同項目です!
-
空FCSC:章で拠点が変わる放浪旅タイプ
-
零碧:都市を拠点に1作丸々マラソンタイプ
-
閃13:学院を拠点に各地へ実習タイプ
-
閃24:戦時、身を隠しつつ拠点移動タイプ
-
創:3つの軌跡が絡まるクロスストーリー
-
空3rd・創:異世界を旅したい!