心の軌跡Ⅱ~重なる標~   作:迷えるウリボー

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82話 I swear…③

 

 

 Ⅶ組のライブは終わった。

 全三曲のステージは、拍手喝采の内に幕を閉じた。

 その頃には日も陰りつつあって、やがて大した時間もかからないうちにトワが学院祭終了の宣言を告げた。

 夕方、学院祭終了後。一般来場者は順々に帰っていく。興奮しきりの子供や、それを笑顔で見守る両親たちがいた。

 学院の飾りや出し物の設備は徐々に撤去されていく。

 Ⅶ組もその手伝いに駆り出されたが、もう精魂尽き果てていた。ライブですべてを出し切ってしまった。

 けれど、まだまだ今日は終わらない。後夜祭が始まるのだ。学院のグラウンドでキャンプファイヤーも焚かれる。学院生や教官陣はもちろん、常任理事などの学院関係者も参加する打ち上げだった。

 時間になって、Ⅶ組は十二人全員でグラウンドに向かう。夜の学院、かすかな炎だけが光源となる独特の雰囲気があった。

 ついたころには、既に参加者のほとんどが集まっていた。

 アリサはぼーっとした様子で呟いた。

「母様たち……」

 イリーナだけではなく、シャロンやグエンもいる。ガイウスの弟であるトーマの付き添いで来ていたのだ。

 それだけでなく、ルーファスやレーグニッツ知事も同じく。常任理事三人がそろっていて、ユーシスとマキアスも呆れていた。

 三々五々、それぞれ父兄の下へ散っていく。ミリアムにはクレア大尉がいるし、フィーには園芸部の先輩がいた。

 後列にいたのはカイト、リィン、エリオット、クロウの四人。

「エリオット、クロウ、カイト……ありがとう」

 リィンが言った。

「本当にお疲れ様だったな」

 三人が振り向いた。エリオットが笑う。

「あはは、ステージのこと?」

「ああ。今回のステージは三人の協力があってこそだったから。改めてお礼が言いたかったんだ」

 リィンはそんなことを言う。全体統括を担っていたリィンにこそお礼をしたいのがⅦ組の総意なのだが。クロウは頭をかいた。

「か~、むず痒いこと言いだすんじゃねーっての」

「オレも別に、特別なことをしたつもりはない。それに全員の頑張りがあったからこそ、成功したんだと思う」

 カイトの言葉は全員が思っている。

 演出担当のクロウ。音楽全般のエリオット。カイトはライブの方向性を決定づけたが、キーボードにバックダンサーと大忙し。

 けれど自分の殻を破ったのは、全員がそうだ。これまでしたことのない楽器や役割を、全力で果たして、楽しんだから。

「……お礼を言いたいのは僕の方だよ」

 エリオットが胸に手を当てる。

「皆のおかげで、音楽の大切さが改めて分かった。単に自分の演奏だけじゃなくて、みんなと一緒に音楽を成し遂げることの楽しさを」

 学院に入る前、エリオットは進路に悩んでいた。帝都でカイトと出会った時もそうだ。

 迷いと共に入学した場所で、一緒の時間を過ごしたかけがえのない仲間と、一緒に音楽をする。

 エリオットにとって、何よりかけがえのない財産だ。

「だから、ありがとう……! この学院に来て本当に良かった……!」

 エリオットは満面の笑みだった。恥ずかしい台詞を、どこまでも本心で伝える。

 カイトはからかうように笑った。

「エリオット、リィンのクサさが写ったんじゃない?」

「あはは、それを言うならカイトこそじゃない?」

「おお、エリオット! こっちだぞ~!」

 男性の野太い声が聞こえた。四人そろって振り返ると、エリオットと同じ赤毛の男性がにこやかに大手を振っていた。隣にはフィオナ・クレイグがいた。

 カイト以外のⅦ組は、ガレリア要塞で男性と面識があった。エリオットの父親、オーラフ・クレイグだ。

「ああ、もう、あんな大声で……」

「エリオットの父親って……あんな性格なの?」

「うう、カイトにまで知られて……ごめん、三人とも。先に行くね」

 エリオットが走っていく。

 残されたのは、オル・ガディアと戦った三人。

 リィンは言った。

「はは、ここまで盛り上がったからには来年もやりたいな」

 カイトも同じ思いだ。エステルやクローゼが舞台を成し遂げた時の表情の理由が、ようやく自分にも分かった。嬉しかった。

「二年に上がったら、Ⅶ組はどうなるか聞いてないけど」

 リィンの言葉に、カイトははっとする。

「あ……そっか。あくまで名目はARCUSの試験運用だもんな」

 少人数クラスだし、特別実習も情勢に左右される。二年になったらⅠ~Ⅴクラスに編成される可能性もある。

 ミリアムだって、きっかけは鉄血宰相の差し金だ。

 何よりも。

「来年、クロウはいなくなってるんだよな」

 カイトはさみしく笑った。

「無事、卒業できたらな」

 クロウはあくまで足りない単位を補うために来た。冗談めかして言うが、Ⅶ組から元のクラスに戻るなら、それは卒業の条件を満たせたということだ。ここからの約半年で同じ失敗をするなら話は別だが。

 Ⅶ組への編入も予定通りなら今月まで。終わりの時間は近づいてきている。

「だったら、Ⅶ組で送別会をやりたいな」

「だね。オレたち、クロウにたくさんお世話になったし」

「ああ、いらんいらん。どうせ学院内でしょっちゅう顔を合わせんだろ」

「とはいっても、寮も引き上げるんでしょ? 共用スペースにも私物広げて……ユーシス、怒ってたよ」

「部屋はそうだが……シャロンさんのメシ目当てにたまにたかりに行くつもりだしな」

「……クロウ」

「なんだ、リィン」

「できれば、呼び方はこのままでいいか? 今さら先輩付けに戻すのもちょっと寂しいしさ……」

 それはⅦ組全員の問いかけでもあった。

「当たり前のことをわざわざ確認してんじゃねぇよ。っと、そうだ──」

 クロウは懐からそれを取り出して、指で弾いてリィンに投げた。

 リィンも武術家だ。反射神経はいい。暗闇、炎の光に煌めく小さな金属を掴むことなんてわけない。

「これは……すっかり忘れてたよ」

 五十ミラ硬貨。リィンとクロウが初めて出会った時に、二人を繋げたもの。

 あの瞬間はカイトも覚えていた。

「あれから、一緒にエリゼを助けて、ステージも手助けしてくれて……そんなのじゃ足りないほど色々してもらったんだけど」

「それでも、借りた以上はな。俺が借りたミラを返すのは相当珍しいんだぜ? 素直に受け取っておきな」

 クロウはそのまま行こうとする。他の面子の場所へ。

 一瞬、カイトとリィンはお互いの顔を見合わせた。

 遠ざかっていくクロウの背中が、どこか寂しそうな感じがした。

 リィンはクロウの背中に言葉を投げ返した。

「そういえば、貸して半年たったぞ。利子はどうなってるんだ?」

 クロウが立ち止まった。

「……やれやれ、守銭奴になったじゃねぇか」

「悪い先輩がいたからな。すっきり清算されるのも寂しいし……どうかな?」

「ったく、甘ったれめ」

 振り返ったクロウが、まずはカイトを見る。なんでお前までいるんだよ、というような困った笑顔。

 それに笑顔で返す。最初を目撃したんだから、最後も見てもいいでしょ、というニヤケ具合。

 クロウは諦めたように肩をすくめた。

「わーった、そのうちにな」

 

 

────

 

 

 キャンプファイヤーを中心に、学院生徒が叫び、笑い合う。

 オリビエとアルフィンが面白がって、先導して踊り始めた。男女ペアのダンスだ。

 続くように、学院関係者も踊っていく。シャロンとグエン。イリーナとレーグニッツ帝都知事。ヴィクターにサラ。むしろ、生徒より関係者の方が楽しんでいるくらいだ。

 生徒も、Ⅶ組もペアを見つけ始める。

 カイトは一人、グラウンドの階段でその様子を眺めていた。

 学園祭という一つの区切りを終えて、体に残るのは心地よい疲労感。クーデター後の女王生誕祭や、異変の後の祝賀会の夜にも感じたものだ。それぞれ、治療や復興という別の忙しさではあったが。

 学生たちはそれぞれ楽しんでいる。激動の時代に対する不安は見えない。それはオリビエをはじめとした帝国の要人たちがここにいるからだ。帝国臣民の不安を拭い去る、という狙いは成功している。

 その狙いを理解しているからこそ不安や戸惑いを隠している人もいる。カイトたちⅦ組がそうだ。他にも、トワやアンゼリカなどが当てはまる。

 カイトは後夜祭を楽しんでいるし、数日中に変化するだろう大陸情勢を考えてもいた。準遊撃士時代だったら間違いなく不安に囚われていただろう状況でも落ち着けている。不安や恐怖や葛藤をしまい込んで、目線は今と未来を見続ける。そんな芸当ができるのは正遊撃士になったからだろうし、たくさんの経験を積んだからでもある。

(……立ち止まらない。絶対に、前に進み続ける)

 そんな決意に握り拳を固めた時、俯いていた視線の外側から声をかけられた。

「踊らないの?」

 顔を上げる。近づいてきたのはアリスだった。自然、カイトは顔つきが柔和になる。

「そうだなー……少しは楽しもうかな。ステージ、さすがにきつかったけど」

「ふふ、お疲れ様。本当にすごかったよ」

「ありがとう。演奏とバックダンサー、どうだった?」

「カイトさんが多芸なんだって知らなかった」

「まあ、正確に言えばエリオットのスパルタのおかげなんだけどさ」

 カイトはアリスに隣を促した。人が通る階段。アリスは貴族令嬢ではあるけれど、こんな場所に座っても大丈夫だろう、という信頼があった。

 アリスが隣に座る。

「今日は来てくれてありがとう」

「アルフィン殿下やエリゼには誘われていたから。でも……カイトさんと知り合いじゃなかったらこうはならなかっただろうなぁ」

「そうかもしれないな」

 カイトは笑った。

「そもそも、準遊撃士時代のちょっとした出会いなのに、ここまで繋がるなんて思わなかった」

「そうだね。女神様に感謝しなきゃ」

「まあ、それもオレが帝国に来なかったら、なんだけど。っと、そうだ」

 カイトは持っていた手提げの紙袋をアリスに渡した。

「渡し損ねたプレゼント。遅くなったけど……誕生日おめでとう」

「ありがとう、カイトさん」

 八月三十一日。そこから二カ月近くもかかってしまった。その間言葉を交わすこともあった。それでも、晩餐会での約束を果たしたことは二人にとって意味があった。

「アルフィン殿下やエリゼや……女学院の友達からはもらったけど。それ以外は滅多にないから、嬉しい」

「まあ、クロスベル土産なんて、女学院のお嬢様からはまず出ない発想だよな」

 アリスはプレゼントの中身を見て微笑んだ。カイトが悩みに悩んで、アリサやエマの重圧を受けながら選んだものは正解だったらしい。

「滅多にないって……アルスからは?」

「手紙をもらったよ。シズクちゃんやセシルさんからも」

「……お父さんからは」

 菫色の髪が横になびく。確認するまでもなかった。

「オルディスの事件の後、数日はイステットに残っていたんだけど、お父様はもう、何も言わなかった。私が帝都に向かう時も」

「そうか。なんか、とことん無関心なんだな」

 アリスが対話を求めたり、アルスが来訪を喜んだり。そうした子供たちの態度が寂しく感じてしまう。

 ただ、カイトは少なからずアスベルのことを知った。たった二回の対話ではあったけれど、アレスレード伯爵家の事情に近づくことになった。

「……その、聞いてもいいかな。アリスのお母さんについて」

「うん」

 イステットで初めて聞いた、アリスの母親の話。

 ここまでの一年で、気の置けない存在になったアリスやアルス。部外者のカイトが親子関係に何か口を挟めるわけでもない。けれど、彼女たちを助けるためには、さらに深くまで知る必要があると思った。

 何よりも知りたいと思った。

 目をつぶるアリス。けれど口を紡ぐことはなかった。

「あの時言ったように……お母様は、イステット近郊の導力鉄道の脱線事故に巻き込まれたの」

 イステットは歓楽都市ラクウェルとノーザンブリア自治州、そしてジュライ特区を経由する中継点。鉄道網を広げるうえで重要な地点だった。オズボーン宰相の初期の鉄道網計画としても重要な位置だったのだ。

「あの時のお父さんの態度だと……やっぱり、鉄血宰相に無理矢理敷設されたってことか?」

「どうだろう。元々アレスレード伯爵家と帝国政府は良好な関係にあったけど……」

 平民勢力は以前から拡大し始めていたが、決定的な対立を生んだのはギリアス・オズボーンの台頭だ。アレスレード伯爵家のように、この十年で平民に対する態度を変えた家もあるのかもしれない。

 アリスも父親の態度に疑問を持つようになってから、領邦軍、平民、貴族と自分にできる方法でアレスレード伯爵家の歴史を探ってきた。少なくとも、アスベルが貴族派に傾倒するようになったのは事故により母が亡くなってからだというのは明らかだ。

「そして、その原因を作ったのは、私なの」

 鉄道網拡充のための開発、導力鉄道の試運転。処女運行でイステットからジュライ方面へ進んだ鉄道は、不運にも脱線し多くの死傷者を出した。

 アスベルは領主としてその現場に立ち会っていたが、関係者の対応に終始していた。幼いアリスを連れていたのは、当時アルスをお腹に抱えていたアリスの母親だった。

「お母様は私と一緒に鉄道を近くで見ていたの。脱線に巻き込まれはしなかったけど……私をかばって、瓦礫(がれき)に巻き込まれて──」

 その外傷こそ、致命傷というほどではなかった。だが問題は、脱線し全壊した導力鉄道の、その先頭車両だった。列車を駆動するための巨大な導力器、それが不慮の事故で多大な導力エネルギーを拡散させた。

 そのエネルギーを被爆し、アリスの母親は快復を待つことなく衰弱していき……アルスの出産と同時にこの世を旅立った。

「……そうか、それでアルスは、あの病気を」

 アルスが持っていた導力波に対する不耐性の病。母体に生じた問題。関連は深かったのだろう。

「私は、お父様たちが作った鉄道が、どんなものかを知りたくて、お母様に我が儘を言って鉄道に近づいた。だから、お母様も、アルスの健康も……お父様から奪ったのは、私」

「そんなことは……」

 ない、とカイトは続けられなかった。アリスが原因だとは思わない。けれど、それをカイトが否定しても何かを変えられるとは思わなかったから。

 アリスが、母親の死に囚われているとは思わない。きっと自分の中で折り合いをつけている。

 逆に、アスベルは折り合いをつけているようには思えなかった。革新派を恨む理由。それに、愛した人の忘れ形見を遠ざける理由。

 想像はできてしまう。

「これが、私とアルスとお父様……アレスレード伯爵家の事情だよ」

「そうして……アリスは、お父さんのことを理解したくて、こうして頑張ってきた」

「……ずっと、疑問だったの。お父様の目線と、アルスを見てくれる家族じゃない人たちの目線の違いに」

 自然を埋め尽くすほどの鉄が織りなす、人の営みと繁栄と闇(鉄道脱線事故)

 湖の畔で揺蕩う安らぎと、新緑の息吹が織りなす慈愛の園(聖ウルスラ医科大学)

 アルスの見舞いのために、イステットとクロスベルを何度も往復してきた。

 いつからか、クロスベルでの日常はイステットよりもかけがえのないものになった。

 アスベル(隣を歩く大切な家族)は私やアルス(私の大切な弟)を見てくれない。それが当たり前だった。

 そんな自分たちの家族の在り方と、街の友人たちの家族の在り方。それらが決定的に異なっていると理解をするのは早かった。

 けれど、気づけば気づくほど、アリスは鳥籠の中に魅力を見出していた。アルスを支えてくれる人たちは、真実この上ない愛情を自分たちに与えてくれるのだから。

 でも、だからこそ欺瞞は感じてしまった。贋作と本物の二つの愛。その違いは何なのか、アスベルの、父親としての心はどこに行ったのか。それを探し、考え、願い続けていた。

「アリス……」

 彼女の話を、独り言のような呟きを、カイトはほとんど遮らずに聞いていた。

 魅力的に見えたり、あるいは逆に庇護欲を誘ったり。カイトの中のアリスは、そんな不思議な存在だった。それでいて奇妙な縁で繋がった自分たちは、病院で出会ったり、マフィア主催の競売会に潜入したり、帝都の晩餐会に出席したりした。

 クローゼを重ねて自分の想いをごまかしたこともあった。けれどその楔も今ははずれた。

 カイトはほっとしている。純粋にアリスの過去や想いを、頑張る理由を知れたから。

「……ありがとう、教えてくれて」

「私は……正直、お父様にどこまで対抗できるかわからない。そもそも……この間我を通せたことが収穫で、次にお父様が何かをするとして、それにどう立ち向かえばいいのかなんてわからない」

「それは、オレもだよ」

 カイトは立ち上がって体を大きく伸ばした。

「オレの願いは、『全ての国の全ての人々を守りたい』ってことだ。こんなの不可能に近いけど……絶対に曲げたくないって思ってる」

「それがカイトさんの原動力なんだね」

「ああ。どうすればいいのかわからない……理不尽な壁はたくさんあるけど、何もしないわけにはいかない。それはアリスも同じでしょ?」

「もちろんだよ」

「だからさ」

 カイトはアリスに手を差し伸べた。アリスは立ち上がった。手を繋いだけれど、自分の脚で。

「わからないまま……怖いって気持ちと一緒に、それでも足を前に出そう。それだけでいいんだ」

「カイトさん」

「オレもそうする。リィンたち、オレ以外のⅦ組も……オリヴァルト殿下だってそうなんだ。出身も大事なものも違うけど、同じ気持ちの人はこんなにもたくさんいる。だから、アリスは一人じゃない」

 やがて来る激動の時代を前に、どうするのか。

 カシウスやオズボーン宰相に意識させられた。Gやアスベルに、どう立ち向かうかを問われた。

 まだ、立ち向かって生き残れるのかはわからない。それでも、方法は一つしかないと思える。

 隣に立つ人と一緒に、自分の力を発揮すること。

「ありがとう、カイトさん。これからも……一緒にいてくれる?」

「もちろん、誓うよ。差し当たっては……そうだな」

 カイトは不意に片膝をついた。アリスはちょっとだけ驚いたけれど、カイトがウィンクをしたことで冗談の意図が伝わった。

「えっと、カイトさん、経験あるの?」

「これでも、ちょっとはね。本当にちょっとだけだけど」

「それって、クローディア殿下とでしょ」

 アリスは頬を膨らませた。カイトとしては、そうなる理由もないはずなのに気まずくなってしまう。

「うっ……そ、そうだけど。まあいいや」

 恭しく、自らの右手を少女に向けて捧げた。

「アリス。オレと踊ってくれる?」

「うん、喜んで」

 手を取り合った。既に踊っている学生たちに混じっていく。ほんの少しのステップと共に、落ち着いて二人は舞う。

 例えばリィンだったり、Ⅶ組の父兄だったり、アンゼリカとジョルジュだったり。そういった面々ともすれ違いに言葉を交わしながら、秋の夜の穏やかな時間が過ぎていく。

 後夜祭。その場には、帝国中から来た様々な者がいた。不思議と、誰の顔にも不安の色はなかった。誰もが明日への鼓動を胸に、それぞれ縁ある人々と語らっている。

 不安がないのは、それを抱えていける強さを持っているから。不安を一緒に分かち合って、前に進む誰かといるから。

 それは、茶髪の少年も同じだった。いつか嫌っていた帝国で、カイトは大事な仲間と、大切な人と、護るべき人々をみつけた。だから、生まれ故郷か外国かなんて関係なく、自分の信念に従って進んでいく。

 どんな困難があっても、前へ進んでいく。

 

「来場者の皆様、それに学院生諸君」

 

 ヴァンダイク学院長の声がした。この後夜祭の雰囲気に似合わない厳かな声だった。

 その違和感を、誰も疑問には思わなかった。学院関係者の一部は後夜祭の終了を待たずにグラウンドを後にした。その誰もが、隠しようのない緊張を顔に張り付けていたから。

「本日はご来場いただき、誠にありがとうございました。この後夜祭をもって、第127回、トールズ士官学院祭を終了します」

 カイトがアリスをアルフィンたちの下へ向かわせた後、リィンたちも集まって、Ⅶ組は全員でヴァンダイク学院長の言葉を聞いた。

「それと、先ほど帝国政府より正式な通達がありました」

 その言葉が、激動の時代の産声となる。

 

「本日夕刻、東部国境にあるガレリア要塞が壊滅……いや、原因不明の異変により《消滅》してしまったそうです」

 

 終わりの始まりを告げる、鐘の音となる。

「そちらの方面からこられた方々は、どうか落ち着いて行動されるよう──」

 

 

 

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