《紫苑の家》。ケビンとリースと、そしてリースの姉であるルフィナが育った福音施設。
第七星層も間近という頃、ケビンたちは五年前のこの地に訪れた。
とはいえ、ここは言ってしまえば再現された偽物にすぎない。紫苑の家を知らないカイト、エステル、クローゼの三人はもちろん、ケビンとリースもここが本物でないことは理解している。
けど、少なくとも今は、五人は安らぎと寂しさをこの孤児院に感じていた。
仲間たちは、まずはそれぞれ分かれて散策する。ここが影の国である以上は、何か現実では存在するはずのないものがあるはずだ。幸い、それほど広い敷地でもない。ケビンもしばらくは分かれても大丈夫だろうという判断だった。
畑の様子を確認するケビン、リース、エステルの三人を横目に、カイトとクローゼは井戸の方へ歩を進めている。
「孤児院か……なんだか、懐かしいね」
「そうだね。オレは五歳で、姉さんは六歳だった。あのころはみんな子供だったし、よく先生やジョセフさんに助けられてたよね」
カイトにとっては十年以上、クローゼにとっては百日戦役と少しの期間、それが孤児院の思い出だ。
「井戸か……ここは導力ポンプじゃないんだ」
「マーシア孤児院も、ダルモアの事件まではそうだったなぁ。クラムたちに水くみの仕方を教えてやったよ」
「カイトは、昔はずぅっと私か誰かの後ろに隠れてたよね」
「あー……なんかジョセフさんが水くみしてるのをじぃっと見てた記憶はあるかも」
クローゼがジェニス王立学園に入学して再会してからそういった昔ながらの話をする機会もあったが、こうして他の孤児院に、しかも二人そろってくることは初めてだった。昔話にも花が咲くものだ。
「……正直、ケビンさんやリースのことはほとんど知らなかったの。リースさんとは少し話したけど」
「オレはリースさんから聞いたよ、ケビンさんが孤児院出身だったって」
カイトは言った。大して自慢できるようなことでもないが。
カイトとクローゼにとって、孤児院が安らぎの場所であることに変わりはない。今までの会話から。ケビンとリースにとってもそれは同じだろう。
だからこそ一見して寂しくても穏やかなこの孤児院が、どんな謎が隠されているかが気になってしまう。
「……ま、ここはなさそうかな」
井戸の中を覗き込んでも、暗いくて丸い自分の顔らしき何かが見えるだけだ。さて、と顔をあげた時、後ろから軽く押された。
「えいっ」
「のわっ!?」
まったく予想していなかったから、冗談抜きで心臓が飛び跳ねる。もちろん、犯人は判っている。
「姉さん! な、なんだよ!?」
井戸に落ちない安全地帯まで下がってから、カイトはクローゼに向けてあらん限りの焦りと怒りを投げかける。が、当のクローゼは何食わぬ顔で笑っていた。
「うふふ、なんでもないっ」
どうすればいいのかわからなくて、カイトはため息をついた。なんだか、祝賀会の夜から随分冗談が増えたようにも感じる。
はぁ、と再三のため息をついてカイトは先を歩くクローゼについて行く。ケビンたちが宿舎の前で、こちらに手を振っているのが見えた。
と、その時。視界の端に何かが見えた。緑色の、ツンツン頭。
「え」
思わず仲間たちから視界を外して、そこを振り返る。
『おい、リース! はよこいや!』
『まってよ、ケビン……! 私たちは姉さまの代わりなんだから!』
『ヨシュア君か……みっともないところを見せてしまったみたいやな』
『……いろいろあるけど、ともかく来てくれたんやね。カイト君、それに剣帝』
『そんなものは、ない』
しかし、それはつい数分前までよく聞く彼らの声とは違った。そして、聞こえた方向には何もない。
「……」
虚空を見つめていると、クローゼが後ろから声をかけてくれる。
「カイト、どうしたの?」
「いや……何でもないよ」
言葉短く答えて、カイトはクローゼと共にケビン達の元へ近づく。
(気のせい……じゃない。確かにいたけど……)
心臓がはねた。冷や汗をかいた。そして……世界が
(なんだ? 今のは)
────
合流した五人は、改めてケビンとリースの先導で室内を歩いていく。
紫苑の家はマーシア孤児院よりも広いだけあって、居間も広かった。
「ここの院長、テレサ先生とは違ってえらい厳しいばあちゃんのシスターでな。毎食毎食、お祈りばっかさせて言いつけ破ると小言と折檻やったで」
「ケビンは自業自得。言いつけを破るばかりで、先生には苦労ばかりかけていた」
ケビンの言葉と、リースの突っ込み。けれどケビンの言葉には暖かみがある。表面上はともかく、紫苑の家の院長もきっと、テレサのように本質は優しいのだと、カイトとクローゼは思う。
厨房では、リースが食べ物をつまみ食いをよくしていたということをケビンが面白おかしく語った。隠者の庭園での休憩中のリースは、確かによく食事をしていた。
笑う一同に、リースは恥ずかしがっている。
そんな中、方々からの話題で上がっていたリースの姉ルフィナの話も出てきた。
「厨房はルフィナ姉さんの縄張りでもあったかな。俺とリース、他のチビどもにあったかい飯を作ってくれて。姉さんが騎士になってからは俺とリースが引き継いだんだったか」
「うん、懐かしいね。ケビンが勝手に出ていってからは私が一人で作ってたんだけど」
リースは次いで頬を膨らませた。
「思い出したら腹が立ってきた。ここで一品作ってほしいのだけれど」
「わかったわかった。機会があったら作ってやるわ」
「ケビンの約束ほど信用できないことはない。期待せずに待っておくことにする」
平和そのものの談笑だ。
その後も院長の寝室に、男子女子それぞれの寝室、そして年少組の寝室と様子を見ていく。
「……そういえば、最初に姉さまがチョコレートを食べさせた時なんて」
「ストップ! その先は禁則事項や!!」
そんな、ケビンが珍しく焦りに焦った会話もあった。何があったのかと詮索するカイトとエステルだが、その真実を知ることができなかった。
そして──
「一通り回ってみたけど……何もなかったですね」
宿舎も、屋外も、敷地内のほとんどの場所を調べてみた。だがカイトたちから見ても、本物の紫苑の家を知るケビンたちから見ても、変化点のようなものは見つからなかった。
ここは影の国だ。異変がないことなどありえない。それが敵だとしても、物だとしても、きっと試される者の心を揺さぶられる何かが起こすはず。
「何もなかったね。あるとしたら、やっぱり……」
エステルがぼんやりと顔を向けた。外で最初に分かれた五人だが、ケビンたちが最初に調べ、そして入れずに終わった場所があった。
「……礼拝堂?」
カイトが指さした。そう、礼拝堂だ。それも、七耀教会の星杯騎士であれば、自分たちとはまた特別な感情が生まれるであろう場所。
「ああ……なあ、リース」
ケビンが言った。努めて穏やかな声だった。
異変の時、ケビンは剽軽な不良神父、頼れる知識を持つ青年でいた。この影の国で、青年は彼の本質の片鱗を、少なからず仲間たちにさらけ出してきた。
ケビンの優しさは知っている。エステルはヨシュアが失踪した直後、ロレントに向かうケビンに付き添われた。カイトが祝賀会の夜にケビンと話したとき、彼は未熟な少年の言葉に真摯に向き合ってくれた。
今の彼は優しさとは少し違う。嵐の前の静けさのような、不自然な穏やかさを保っていた。
そんな中、『リース』と静かに呟かれた。
「あの日、礼拝堂の当番はお前やったそうやな? ……ルフィナ姉さんが死んだ五年前のあの日や」
リースは答えない。ただ、否定もしなかった。
リースの姉、ルフィナ・アルジェントの没日。五年前に殉職した、とカイトは聞いた。そう言えば、と思い出す。レーヴェも彼女の名前を出していた。中枢塔のあの決戦の後に。
「リース、ポケットを調べてみ。鍵が入っているはずやから」
驚きを隠せないリースたち。たった今修道服のポケットを確認したその場所に、古びた鍵があったから。
もう第七星層も手前。誰もが、想念が現実になる影の国の法則だと理解した。
ケビンと、そしてリース。試練の時にヨシュアやリシャールが必然の駒であったように、二人もまたこの場においては必然の存在たっだのだ。
「もう後戻りはできへんな、リース。俺も、お前も」
「それは……あの日起こったことを、本当のことを教えてくれるということ?」
ケビンとリースが長い間疎遠だったのは、二人の話で大方のことは聞いている。
カイトにとっては予想でしかないが……疎遠になった前後でルフィナの話が上がること、そして信頼しつつも本心を明かすことを望まないケビンのこと……そう言ったことを考えると、二人の間の微妙な空気を生んでいる根本は、見えていることと、知っていることの違いからくる誤解だ。
「ああ、順々に話したる。お前に、真実を知る覚悟があるのなら」
「望むところ。あの後、姉様ともケビンとも話すことはできなかった。あの時間はもう、帰ってこない。覚悟なんて関係ない、あの日を知らないと、私はリース・アルジェントでいられない」
「そうか……なら、中に入ろうか」
もはや、二人の会話に、二人の過去に、踏み入ることは出来そうになかった。
「ケビンさん、オレたちは外で待っていましょうか?」
カイトの申し出をケビンは断った。
「いや、できれば一緒に来てくれ。ある意味君たちにも関りのある話やからな」
五年前の話。まだ誰も、ケビンにもリースにも出会ったことがないころの話。それでいて、自分たちに関係のある話。
鍵を使い、礼拝堂の中に入る。
やはり先頭に立つケビンは、ゆるゆると、どこからともなく語り掛けるように、当時の出来事を話し出した。
「……五年前、とある人物に雇われた猟兵団がこの紫苑の家を占拠した。それが始まりやった」
星杯騎士団にはケビンやリースのような手練れがいるとはいえ、一介のシスターや孤児院の子供たちに何か諍える力がある訳でもない。突然猟兵たちが押し寄せ、当時まだ騎士でも何でもなかったリースをはじめとした子供たちを拘束したのだそうだ。幸か不幸か、リースは気絶していたらしくその時の記憶がほとんどないのだという。
「私はその後病院で……ケビンと姉様が助けに来たこと、そして姉様が猟兵に討たれて殉職したことを聞かされました」
リースは仲間たちに語った。
ケビンは、リースが真実を知ることに覚悟を求めた。それは、気が付いたときには家族を失っていた絶望を上回るほど深いものなのか。
残された家族として真実を知りたい、というのは当然のことだろう。リースは関係者や、星杯の従騎士になった後も自身の教官に事の実際を聞いたらしいが、その答えを得ることはできなかったのだという。
「ま、総長の立場なら簡単には話せへんやろ。まさか……」
ケビンは、一拍置いて衝撃の発言をした。
それは、リースのみならず全員にとって、本当に雷が打たれるような事実だった。
「まさか、この施設が封印指定された古代遺物の目くらましに使われてたなんてな」
「え……」
リースだけではない。
封印指定された古代遺物。《輝く環》を基にした異変に巻き込まれたリベールの仲間たちにとって、感傷や思索をせずに受け止められるものではないのだ。
ケビンは歩き出した。礼拝堂の奥へ進み、講壇の手前でに左に曲がって、そのまま壁へ。
壁をまさぐり、不意に
「ここや」
一秒も待たず、石の壁が重い音を響かせて動く。横に重苦しく滑り、そうしてその奥に暗い空間を見せてきた。隠し扉だ。
ケビンはそのまま進む。彼の頭が下がっていく。地下へ続く階段だ。
「ま、待ってケビン! 封印指定された古代遺物……まさかこの下には!?」
「その通りや」
振り返ったケビンの瞳は、瞳孔が光を失ったかのように暗かった。
「この下にはグランセル大聖堂の地下にあったのと同じ場所、古代遺物の封印に使われる《始まりの地》がある」
その事件が起こった日、ケビンとルフィナは久々に紫苑の家に帰省する予定だった。二人は近郊の街で合流し、一緒に紫苑の家に帰るつもりだった。
運命のいたずらなのか、偶然ルフィナが乗っていた列車が車両整備で遅れてしまう。そんな中、ルフィナを待つケビンにその知らせは飛び込んできた。猟兵たちが紫苑の家を占拠したという知らせだ。
「お前とチビたちが危ない……そう思った俺は、単独行動で占拠していた猟兵の掃討を決行した」
猟兵の練度は、正直《猟兵》という称号が与えられるのか疑問な程度にはお粗末なものだったという。当時、今のリースと同じ従騎士だったケビン単独でも猟兵を無力化できたほどだ。その時点で、院長と幼年の子供たちの安全を確保することには成功した。だがそこにリースの姿はなく、最後の猟兵に気絶させられたまま運ばれていたのだ。
その場所が、今なおカイトたちがケビンに連れられて降りる螺旋階段の遥か下にある、《始まりの地》。
「あの……ケビンさん。《始まりの地》というのは?」
「くく、さすがにカイト君。後々の情報には聡いなぁ」
ケビンは笑った。
「正直、その内容までは明かせんのやけどな。グランセルの教会の地下にもあるし、他の国の教会にもある。古代遺物を管理すること
やがて、螺旋階段は終わりを迎えた。一本道を歩くと、一分もたたずに行き止まりになる。ケビン曰く、星杯騎士が法術を使えばその壁は扉となるらしいが。
普段であれば、しつこいというくらい、再三の沈黙だった。ケビンは仲間たちに背を向けて、そして、なおもリースに語り掛ける。
「なあ、リース、初めて会ったとき……俺がどんなだったか覚えてるか?」
「うん……私はまだ小さかったけど、不思議とあの時のことは覚えてる。あの時のケビンは……すべてに絶望した眼をしてて……ちょっとだけ怖かった。この子はいったい何を見てきたんだろうって……」
カイトは、そのリースの回答に息をのんだ。冗談を言うような性格ではないだろう。そんな彼女が、剽軽でお調子者で、そして優しいケビンの子供時代……ある種の本質を、怖かったと言う。
ケビンは
「はは……何を見てきたか、か………………」
「あの、ケビン。でも」
「あの時な、俺自分の母親を殺してるねん」
一瞬、時が止まったようだった。カイトもクローゼも、エステルも、彼が言った意味を受け止めきれなかった。その言葉が理解できないほど死と無縁の世界にいたつもりはない。ただ、それは理解したくない言葉だったのだろう
ケビンは続けた。相槌を打てずに聞くに徹するしかできない仲間たち。そのせいもあって、ケビンの言葉は呪文のように響いてしまう。
「ああ、殺したってのはちょいと大げさすぎたかなぁ、見殺しにしたってのが正解かもしれへん。元々うちは、母一人子一人の家庭で親父もたまにかおを見せたけどどうやら、他にちゃんと、家族のいるどこぞの金持ちやったみたいでな。でもそんなんは関係なしに俺はかあちゃんのことがすきだった……この言葉遣いを近所のガキ共にからかわれたこともあったけど、大抵ぼこぼこにしてやったしな。料理ずきであったかくて自慢の母親ったんや、でもなな歳のころ……かあちゃんは親父にすてられた。もともと心のよわい人でな、みるみる元気がなくなってからだの調子もわるくして……おれ、いろいろ頑張ったんやけどぜんぜん元気づけられへんかったわ。そして……あるふゆの日やった。かあちゃんが……ねてるおれのくびをしめてきたんは」
ケビンはどこも見ていなかった。ただ、自分の掌に重なった、母親の手だけを見ている。
「ごめんな、ケビン。でもお母さんもう……疲れてしもうたんや。だからなケビン、このままお母さんと一緒に。そう言って、ねてるおれのくびをしめてきたんや」
振り返った青年は、怖いくらいにいつも通りの飄々とし笑みを浮かべている。
声色もいつも通りだった。
「ま、苦労させるくらいなら一緒に楽になろって話やろ。でも俺は……それには付き合えなかった。夢中で母ちゃんを突き飛ばして……雪が降る中、街に裸足で飛び出した。母ちゃんのしたことの意味も分からなくて、ただただ混乱して、小一時間さ迷った。そうして腹も減って……母ちゃんのことが気になって……恐る恐る家に帰ってみたら……」
そこから先は言わなくても判る。四人の誰も経験したこともないけれど、判りたくもなかったけれど。
リースは、言葉を出せず……そして口を両手で隠すのみ。
ケビンは
「はは、すまんな。しょうもない話を聞かせて。せやけど……多分、その時なんやと思う。俺の中に《聖痕》が刻み込まれたんは」
ケビンは手をかざし、そして何事か文言を唱えた。行き止まりの壁が一面に光り、そして仰々しい扉が顕れる。
扉の中は、静寂に満ちていた。青白く光る、ドーム状の空間。《始まりの地》と呼ばれる、教会の秘蹟が眠る場所。
レクルスの方石があった場所も、きっと同じような構造と、青白い光が灯る神聖な空気だったのだろう。ただ、今はそんなことを聞くことはできない。
ケビンは中心の台座に向かって、呆然としたように歩いた。
「ちょうどここで、俺はお前と猟兵に追いついた。邪魔が入るとは思ってなかったんか、焦ったそいつはこの台座へと駆け寄った」
早すぎた女神の贈り物が安置される、その台座。
「台座にあったのは、《ロアの魔槍》。封印指定された古代遺物や。手にするものの肉体を化け物に変えてしまう槍……正直、女神の秘跡の元に造られたとは思えん代物や。そんな悪夢を作る存在が女神なあるかってな」
仮にも教会の神父が、随分な皮肉を言う。ただ、実際のところ女神を恨まずにはいられないのかもしれない。
母を亡くし、絶望し、孤児院に拾われた。そして孤児院すら、猟兵などという理不尽極まりない存在に蹂躙された状況。恨むことしかできないのかもしれない。文字通り、神をも恐れぬその背信を。
「猟兵はその魔槍を手にした……手にしてしまったんや」
《ロアの魔槍》という言葉から、その片鱗はなんとなく思考することができた。ケビンが聖痕を解放した時に唱えていた言葉は何だったか。
そう、《時の魔槍》だ。
「圧倒的やった。カイト君とエステルちゃんは記憶に新しいかもしれんな。結社の《白面》が《輝く環》と融合した……まさにあんな感じや。肉体の構造ごと変化して、異形の化け物となった猟兵に、俺は全く歯が立たなかった」
アンヘルワイスマン。《輝く環》を取り込み、自らを《超常の存在》と称し、実際にレーヴェの魔剣でなければ打ち破れない理の境界線を生み出した化け物。レーヴェ、エステル、カイト、ヨシュア、そしてケビンの五人が死を覚悟するほどの戦いの果て、実際に一人の英雄を犠牲とすることで成し遂げられた。それを当時従騎士という立場だったケビンには、到底制することは不可能だっただろう。
「そんで……猟兵だった化け物がリースに魔槍を奮おうとした
その結果が……ケビンのあの超常的な異能なのだ。影の国の悪魔ですら蹂躙できるそれに、魔槍の抜け殻となったただの猟兵などどう抵抗できるのだろう。もはや戦いではなく、一方的な虐殺だ。きっと、肉片まみれになって塵さえ残らない。
そして、ここに、ずっと二人の軌跡に残り香を感じていただけの、仲間たちの誰も会った
ことのない一人の女性が現れる。
「初めて聖痕が現れた俺は、湧き上がる力に翻弄されて完全に我を失ってしまった。遅れて駆けつけた姉さんはすぐにこの状況を理解したらしい。ボウガンと宝剣で牽制しながら俺をリースから引き離して、そして……」
ルフィナ・アルジェントは教会の正騎士であったという。聖職者としての知識、騎士としての戦闘力、隠密部隊員としての問題解決能力、どれをとっても一流だったらしい。そのあたり、レーヴェが彼女のことを覚えていたのも納得といえた。
そんな彼女がとって選択は……。
「我に返った時……俺は姉さんの腕の中にいた。体を無数に穿たれながら、姉さんは俺をしっかり抱きしめて……そのまま……事切れてた」
始まりの地の、青白い灯が、今はこれ以上ないくらい寒々しかった。
ふらつき、後ろへ下がるリース。転びそうな彼女を支えたのはケビンではなく、カイトだった。
いったい、誰が進んで母親を見殺しにしたことを明かしたいと思うのか。いったい、自分の命の恩人を殺してしまったことを、その妹に話したいと思うのか。
ここは神の御前ではない。いるのは気の置けない仲間たちで、懺悔を聞いてくれる他人でもない。
共に戦って、信頼して、そうしなければならなかった者たちだ。姉の妹で、守らなければならない存在だ。
死ねばよかったのだろうか。だが、彼は母の魔の手の前に生きることを選択し、ルフィナによって生かされた人間だ。死ぬことなどできなかった。
では、どう生きればよかったのだろうか? この痛みを乗り越えて、後悔を糧にして、真っすぐにルフィナの遺志を継いで、正しい行いをすればいいのか? どんな過程であれ、母と姉を殺した犯罪者が? そんな生き方を、自分が許せるのか?
「ま、そういうことや。オレはルフィナ姉さんを助けられなかったんやない。この俺が、お前の目の前にいるこのろくでもない疫病神が、お前の姉さんを殺したんや」
「で、でも……でもケビンは……!」
「殺すつもりがなかった、そんなのはただの言い訳や。あの時の俺は聖痕の力に翻弄されて血と暴力に酔いしれていた。オレの心が弱くなかったら……こんなことにはならんかったやろ」
仲間たちは何も言えない。『心が強ければ自分を律することができたのか』と、そう問いただしたい。けれど、言えない。そんなことをして、仲間たちの誰かが言って、いったいケビンの何を理解できるというのだろうか。
ケビンはなおも告白する。告発する。
「それに、それにな…俺はな、あの時姉さんが自分の母親のように見えてたんや。そして裏切られた腹いせを込めて魔槍を叩きこんでやった……どっちも大好きで……オレの手で守りたかったのに……母ちゃんとルフィナ姉さんをまとめて殺したも同然や」
どうして。カイトはそう思った。きっとエステルも、クローゼもそう思っている。
「どうして?」
リースもそうだった。
「え……?」
ケビンの躊躇いに構わず、リースは一歩近づいた。
「どうしてだまってたの!? この五年間、あたしに一言も話さないで!」
仲間たちは、ケビンの仲間たちに過ぎない。
リースはケビンの家族だった。
「ああ、本当に悪いと思ってる。でも話したからには俺にも覚悟はできてるわ。お前にやったら、敵を討たれても本望やし」
「……バカ!!」
いつになく大人しい不良神父の、その胸ぐらをつかむ。
「ふざけないで、ケビン・グラハム! 私が怒っているのはそんなことじゃない……! どうして、なんでそんな重いものを抱えて、一人ぼっちで生きてきたの!? 貴方の家族のこの私に! 一言も相談しないで! 一緒に抱えさせもしないで……!」
ケビンにとって、仲間たちや、大切な家族に自分の心のうちを明かせないのは事実かもしれない。
そして、リースにとって、大切な家族が何一つ明かさなかったことに怒りを表すのも、また事実だった。
意識がなく、制御できなかったケビンをリースは怒りなどしない。どうして、こんなにもすれ違ってしまうのか。
リースは言い放つ。仲間には決して突き付けることのできない、ケビンの心の内。
「やっとわかった。ケビンがどうして《外法狩り》をしているのか」
ケビンは少なくとも自分が母を殺し、姉を殺したと認識している。《外法を狩る》とはすなわち、ワイスマンのような醜悪で手に負えない者たちを、そうなってしまった者たちを葬り去ること。
「姉様を死なせてしまった償いのためじゃなかったんだ」
償いで、そんな心を殺すようなことができるわけがない。正義感なら、そんな矛盾する行いをして苦しまないはずがない。
だって、苦しむことそのものが、自分を責めることそのものが自分を傷つけることそのものが……自殺をのものが、ケビンの望むことだから。
「償いのためなんかじゃない。罪悪感を消すためでもない。ケビンは……ケビンは……!!」
リースのそれは慟哭のようだった。必至で漏れ出る嗚咽をこらえるような、告げたくはない真実を告げるような。それを言ってしまうことは、止まっていた時計の針を動かす、絶対な暴虐だった。
そして、それはリースが言わなければならなかった。
だから、ケビンとリースの時計を壊したい者が、無様にも、無神経にも割って入ったのだ。
『その通り……《罰》を受けたがっているのさ』
今年最後の投稿かはわかりませんが……いろいろあった2020年でしたね。
楽しいことも辛いこともあった1年だと思いますが、どんなことにせよ『追及することを諦めない』ことが大事なのでは、と感じました。
影の国も佳境。ケビンは自分のことを、カイトは仲間のことを、理解しようともがく瞬間。正しく理解することが必要な時です。