幻想の世界。対峙するは《世界の意思》。
「我が深淵にて煌めく蒼の刻印よ」
ケビンの聖痕を模した紅い紋様は、今、見る見る間に実態を持つ。実体化した結晶のような文様を背に、緋と銀の体躯が現れた。化け物の、辛うじて生命体だと判るような、長い手と足先の無い両下肢。
アンヘルワイスマンとは違う。だがそれでも、世界を律し壊しかねない超常の存在だった。
「天に昇りて煉獄を照らす光の柱と化せ……!」
ケビンは詠唱を続ける。仲間たちは直径約数十アージュのわずかな足掛かりを頼りに、その至高の存在を見据える。
すべては、仲間たちと無事に再会するために。
だから今、ケビンはそれを解き放った。
「走れ! 《空の聖槍》──!!」
聖槍ウル。神々しいまでの白き神槍の数々が、一直線にアニマ=ムンディに向かう。そのすべてが余さず四肢に体幹に接触し、そして爆音を響かせた。
いや、それだけではない。アニマ=ムンディの巨体を覆うように、空間に白き聖痕の紋様が浮かび上がる。それは見る見る間に膨張し、巨大な熱と白い柱を生み出して、万華鏡の世界を照らした。
これが戦いの狼煙。仲間たちの
それと同時、アニマ=ムンディが咆哮をあげる。即座に響くのは、荒ぶる大地を想起させる揺れ。仲間たちは戸惑い、身を護る。足場を取り囲むように、七本の柱が出現した。
「これは……!?」
注意深く状況を見守るヨシュアを待たず、エステルは近くにあった柱の一つにかかる。
「ここまで来たあたしたちを……舐めんじゃないわよっ!」
渾身の桜花無双撃が放たれ、見る見る間に柱に傷がつくが、それだけだ。
ヨシュアが魔法で仲間たちの堅固さを上げる中、カイトは透き通るような蒼色の輝きを収束させた。この場においてカイトのみが発動できる十八番、グランシュトロームだ。
仲間たちに被害が及ばないよう配慮しつつ、カイトは最大限威力をあげて水刃を爆砕させた。
だが……アニマ=ムンディには全く効いた様子がなかった。それどころか、柱の内エステルが攻撃したものとは別の一本のみが崩壊するにとどまる。
「な!?」
柱それ自体は、大した耐久性はないようだ。だがアニマ=ムンディが意志を持って顕現させた七つの柱。なにが起こるか油断はできない。
そして。
「まずい、来るで!」
叫びと同時、柱六本とアニマ=ムンディから、足場の中央に向かって白い本流が収束する。雷撃のようだが、そうではない。超高圧の導力エネルギーだ。
その衝撃が、足場に立つしかない仲間たちを余さず吹き飛ばした。
それだけで死を予感させる。カイトは柱に激突した。ケビンは崖すれすれまで飛び、リースは法剣を突き刺して耐えた。
「エステル!」
「ヨシュア!」
義姉弟が互いを守り、体を抱えながら耐える。だが危機は乗り越えられず、二人して壁際に落ちた。
「エステルさん、ヨシュアさん!」
リースは叫ぶ。一瞬最悪を想定したが、見えない場所から声が聴こえた。
「大丈夫です! リースさん!」
ヨシュアの声だ。崖の際に手がないことを見るに、剣を突き立ててギリギリしがみついてるらしい。
「私も大丈夫! えへへ、『あの時』のこと思い出しちゃうな……」
背中の痛みをなんとか耐えたカイトは痛みではない理由で膝を折った。彼女の台詞から察するに、今の二人がどういう状況なのかも想像できたが。
「こんな時に乙女ぶってるんじゃねえよエステル!」
「うっさいわよカイト!」
「二人とも頼むから集中して……」
ヨシュアの嘆きが轟音にかき消された。
幸いにも、義姉弟は二人ともアニマ=ムンディと真反対の場所にいる。柱は直接攻撃をしてくるでもなし、すぐに虚空に放り出されることはなさそうだ。
というか、空気の読まないバカップルはいちゃいちゃしてろ。カイトはそう毒を吐いた。
「二人とも、柱の正体が分かったで」
特に三人の場違いな会話に入るでもなく、ケビンは冷静に状況を見ていた。
「柱はそれぞれ七属性に連動しとる」
「! ってことは……」
魔法に聡いカイトも気づいた。だからカイトがグランシュトロームを放った時、一つの柱だけが崩壊したのだ。見れば、赤や黄、緑などの宝玉のつく柱はあるが、青の宝玉の柱はない。
その時点で役割は決まった。
「カイト君は地・火・風の柱を。俺は時・空・幻の柱をやる。リースは二人の救助を任せたで」
「うん……!」
「なら二人とも、守りをかけますよ」
カイトが琥珀の波を纏うと同時、今度は柱から一斉に各属性の波が吹き荒れる。そしてアニマ=ムンディは大きく手を振りかぶる。
攻撃に入っても三人は動じない。カイトが次に何をするのかを知っているから。そして、その魔法はカイトだからこそ瞬時に発動するのを知っているから。
アースウォールが発動し、三人に防護壁が纏いつく。瞬時に三人は散開した。
「さあ、出番だぜ!」
カイトは双銃を仕舞い、そして魔導銃を取り出した。こういう時は駆動無しで四属性攻撃ができる魔導銃は重宝する。
(本当、ティータに感謝だな)
カイトはアニマ=ムンディの攻撃を身軽に避け、そして風の弾丸を柱にぶつけた。
一撃、二撃と弾丸を当てると柱は崩壊する。物理攻撃も効くようだが、弱点属性には殊更弱いようだ。
思ったより簡単に崩せることに不信感を抱きつつも、カイトは構わず続ける。
「さあ、次は火だ!」
自分たちは、ここで立ち止まるような人間ではない。少しでも早く、仲間たちに会うために。
リースは後方にいる二人を助けるためにかける。アニマ=ムンディの攻撃の風圧もカイトのアースウォールの防壁に護られた。
「二人とも、手を出してください!」
「リースさん、エステルを先に!」
エステルはヨシュアに抱き留められていた。リースの手をつかみ、太陽の少女は颯爽と戦場に復帰する。襲い掛かる巨木のごとき腕を、制するとは言わずとも棍で軌道を変えて見せた。 若干十七歳の少女がだ。剣聖カシウスとの全力の戦いが、彼女に今までにない経験を与えていた。その反動で銀色の宝玉が付いた柱が吹き飛ぶ。
「今更……化け物ぐらいで怖気づくエステルさんじゃないわ!!」
リースは今度はヨシュアを引き上げた。
「ありがとうございます、リースさん」
「どういたしまして。それにしても、本当に素敵な人ですね」
リースは笑った。ヨシュアは少しだけ口をまごつかせて肯定する。
「……はい」
と、その時。
「砕け──時の魔槍!!」
ケビンの詠唱が響く。なおも蒼い聖痕から放たれた漆黒の巨槍は、黒玉の柱とアニマ=ムンディに雨あられと降りかかる。
カイトはすでに四属性の柱を壊していた。ケビンも早々に幻の柱を壊していた。残る時属性の柱の崩壊とともに、アニマ=ムンディへの最初の攻撃が成功したのだ。
『グォォオオオオオ!!』
苦悶の咆哮と共に、両手を組んで、そして足場の中央に振り下ろす。それだけで、万物を押しつぶす巨大な槌と同義だった。直撃は免れても、ケビンとカイトは瓦礫をまともに食らってしまう。
間髪入れず、足場の四方から光が漏れ出る。何事かと見渡せば、星層で戦ったグリモアと似た銀色の軟体が現れていた。
「厄介ですね」
リースは呻く。彼女もまた聖杯の従騎士だが、仲間の中では経験も浅い。彼女以外は全員アンヘルワイスマンと戦ったこともあったが、それもない。異形の存在との戦いはようやく慣れてきたばかりだった。
「なら、僕に任せてください」
ヨシュアが言う。言い切った瞬間には、彼の姿は消えていた。
と同時、グリモアを切断する音が鼓膜に届く。剣聖譲りの《雷光撃》が、本来の《漆黒の牙》の威力を極限まで高めていた。
「リースさんとケビンさんは、《彼》にすべきことがあるはずです」
視認できたヨシュアはリースに伝える。これは《意思》との戦い。自分たち四肢は、本体までの道を切り開く。そこから先は、二人が成すべきことだから。
「遠慮はいりません。どうか、全力でかかってください」
かつて中枢塔の頂上で、盛大な兄弟喧嘩をしたヨシュアだからこそ、相手が偽物だとはいえリースが果たすべき役割を認識していた。だから、自分は露払いをするのだと。
リースは頷かず、詠唱を返答とする。
「天の眷属たる女神の僕よ」
自分は星杯の騎士だ。ケビンのような守護騎士ほどではないが、法術も使える。
「昏き大地を清めんがため、今こそ来たれ……!」
ケビンが正面切って過去を乗り越えるというのなら、私はそれを支えて見せる。
それがケビンの従騎士たる私の役目だから。
「其は光にして騎士、七耀の守護者なれば、今こそ我らに力を……!」
天に祈る。聖女のように。それは巨大な恩恵をもたらす。決して力を、間違ったことには使わない。
幻想的な甲冑に身を包んだ戦乙女が現れ、その剣の切っ先を天に掲げる。切っ先からあふれ出る光が収束し、不浄を滅する光球へと至った。
リースの意のままに戦乙女はアニマ=ムンディと相対する。振り払わた光球がぶつかり、戦場は神々しい光に包まれた。
「でかしたで、リース!」
ケビンの快哉に、リースは笑顔で答える。
もう、怖気づくことなどない。ケビンとルフィナ、二人の領域に足を踏み入れることに。
その光がおさまると同時、ヨシュアがグリモアを倒し切る。さらにカイトがあらかじめ駆動させていた魔法を解き放ち、アトラスハンマーがアニマ=ムンディの頭部から直撃した。エステルが覇気と共に、捻糸棍を放って気をぶち当てる。
ケビンアーツを収束させる。時属性最高峰魔法、カラミティブラスト。地獄の雷が余すことなくアニマ=ムンディに絡みついた。
『グオオオオオオ!!!!』
先ほどよりもなお大きい、苦悶の咆哮。アニマ=ムンディはほとんど攻撃を成功できず、五人の連携を崩せないでいる。
「貴様の言った通り、欠片でもルフィナ姉さんの影響が残ってるのなら、俺は貴様に勝つことは叶わなかった」
そう、相手は強大な敵のはずだった。この影の国の理にして核である、《世界の意思》。
なのに、仲間たちは希望に溢れていた。笑顔さえ、漏れ出ていた。誰も自分たちの勝利を疑わなかった、欠片ほども。
死の危険を感じても、死の恐怖は感じなかった。
その理由はもう判っている。
「けど、俺の聖痕は俺のもんや。聖痕は俺の生きてきた証。貴様は、影の国に来る前、ずっとずっと罪から逃げて向き合わなかった俺そのものや」
影の国は、人の想念が反映される。中でもケビンの魂ともいえる聖痕の想念は凄まじかった。罰してほしい。だから敵は強く、先は見えず、苦しく辛かった。
でも今、本物はそんな恐怖を感じない。だから、偽物の想念など意に介さない。
「俺はもう、姉さんの呪縛から解放された。俺の心に巣食う姉さんはいない。心を介して俺を殺そうとする母ちゃんもいない」
もう、ここは聖痕のコピーが支配する影の国ではない。ケビンの意思が、恐れと共に一歩を踏み出す喜びが、仲間たちの力を何倍にも
「あるのは、暖かい手を繋いでくれる母ちゃんと、俺の背を押してくれる姉さんだけや!」
感じるのは勝利だけだ。仲間たちは、苦悶に震えるアニマ=ムンディの末路を見届けようとしていた。
『フザケルナァァァァ!!』
こんなはずじゃない、と駄々をこねる子供のように見える。殴打、衝撃波、魔法。その威力は
『たとえ幻影であろうと、オリジナルに勝てない道理などない!!』
かつてケビンは、影の王のことをこう言っていた。『正義ぶっているから相当にたちが悪い、ズル賢くて傲慢で、人を人と思わない。平然と処刑できるような冷血漢』だと。
その時からケビンは、敵の本質が見えていた。今となってはこの説明も大いに納得ができる。あれはケビンから見たケビン自身のことだ。
『その拙き慢心を喰らいつくし、我が本物となるのだぁ!!』
アニマ=ムンディが足場から離れる。もはや物理攻撃は届かない距離だ。そして《彼》は紅く脈打つ鳴動を轟かせその背に携える偽物の聖痕を、巨大な体躯の前面に押し出した。
万華鏡の世界の色合いが、七色は変わらずに紅の度合いと密度が増していく。
エステルとカイトが、少しだけ冷や汗を垂らしながら言う。
「もしかして」
「大技か……?」
その予感は当たっていた。聖痕の二重の円の中心に、導力とも雷とも似つかわしくない、しかし超高度のエネルギーが充満していくからだ。
「エステルちゃん、ヨシュア君、カイト君、リース」
ケビンが言った。
「防ぐで」
なんの感慨も緊張もなく、当たり前のことのように。
その一言で、仲間たちの焦りは消え去った。
溢れでるエネルギーが抑えきれず、アニマ=ムンディの偽物の聖痕はひび割れを起こす。
「確かに俺はお前が嫌いや。大嫌いで、消し去ってしまいたい」
カイトは黄金の輝きを自身に纏わせた。リースは再び、天に祈る。エステルとヨシュアは、二人して琥珀の輝きを纏う。
「でもな……そんな過去の俺も俺なんや。だからな……」
義姉弟のアースウォールが絶えず仲間たちにかかる。
そんな中、ケビンはボウガンの照準をアニマ=ムンディに向けた。そして聖痕の力を解放させるが、今までの魔槍と聖槍のように背面ではない。
紅でも蒼でもない。純白の聖痕が、ボウガンの矢じりの先に顕現した。
「お前も一緒に、もらってく!」
『オオオオアアアアッ!!!!』
ケビンの聖痕の先に、導力とも雷とも似つかわしくない、超高度のエネルギーが充満していく。溢れでるエネルギーを抑えきれず、それは神なる雷のように辺りの足場をでたらめに壊していく。
『死ね、ケビン・グラハム!!』
「俺は、俺の人生を生きる!!」
アニマ=ムンディのそれが放たれた。巨大な空砲のような音が鼓膜を打ち震わし、死を呼ぶ一撃が仲間たちに迫った。
カイトが黄金の輝きを収束させる。原始の爆発、テンペストフォールがアニマ=ムンディに向かい、砲撃を鈍らせる。
リースが祈りを解き放った。ヘヴンストライク、戦乙女の剣閃が砲撃のエネルギーを拡散させた。
そして、ケビンが全てを受け入れた。
「聖痕砲……メギデルス!!」
ボウガンを解き放つ。拙い矢じりは強大な一撃へと変貌する。この影の国だからこそ放てる、全てを賭けた聖痕の全解放による荒業だった。
《偽物》の聖痕砲と《偽物の聖痕砲》が正面から衝突し……世界は五感の全てを真白へと塗り替えた。
全ての衝撃が無に帰したころ、アニマ=ムンディは目の前の光景を受け入れられないでいた。
『ナゼダ……ナゼダァァ!!』
ケビンたちは生きていた。聖痕砲により足場は崩れ、衣服は焦げ付き、もはや戦える場所などない、無の空間。
それでも、仲間たちは五体満足で立っていた。その身に希望をたぎらせて。
アニマ=ムンディが受け入れることのできない状況だ。
『何故だ!? 己を罰し、死を求める貴様などに、そんな力が出せるはずがないっ! 矮小な人間が、何故我を超える力を持つ!?』
喚く化け物を前に、リースが三度天に祈る。カイトが紺碧の波を纏う。ヨシュアが瞳に銀色の意志を宿す。エステルが少ない足場で目一杯覇気を纏った。
そして、ケビンは蒼色の聖痕を輝かせる。
『自らを許すだとでも!? 傷を舐め合うとでも!? そんな
「それは違います。姉様の意志は、傷をなめ合うより、力を求めるより、もっと強い。欲望と本能のまま進む貴方に、私たちが勝てない道理はない」
「死んで許されるなんて甘い覚悟じゃない。他を
リースが、カイトが、断言した。ヘヴンスフィアの光球が巨体を貫き、グランシュトロームの水刃が何度も何度も四肢を切り裂く。
ケビンは、ずっと諦めなかった。確かに外法狩りに逃げたかもしれない、罪に溺れたかもしれない。けど、自らを殺すことも、護れる誰かを犠牲にすることもしなかった。そんな最後の一線だけは、絶対に超えることはなかった。
「私たちは支える籠手。だから仲間を支えることが何よりも大きい力になる。ただ、それだけよ」
エステルがそう胸を張れば、ヨシュアも本心から同調する。
「人は、人の間にいる限り無力なだけの存在じゃない。僕たちは全員が《人》だから、貴方に勝つことができるんだ」
ヨシュアが剣を地に突き刺した。兄を思わせる銀の意志と共に、たとえ不完全でもカイトの水刃を助けとして、燃え盛る偽物の業火を氷に閉じ込める。それは不完全だが、確かに《冥王剣》だった。
その宙に出現した氷の大地を踏みしめ、エステルは疾駆した。飛び、螺旋の渦を描いて鳳凰を顕現させる。氷を打ち砕く、《鳳凰烈波》。
人は、変われる。強い存在だからじゃない。弱い存在だから強くなれる。
『安寧を享受できた時代とは違うのだ! 《我》を生み出した卑しく愚かな心、それが人間の本質だ!!』
数々の攻撃に震えるアニマ=ムンディの前に、幾千もの巨大な槍が出現した。禍々しい黒の槍、神々しい白の槍。時の魔槍と空の聖槍が同時に、ケビン・グラハムの名の下に、自らを律するために撃ち放たれた。
『グォォオオゥゥアアア……!』
かなぎり声だった。その無機質な声が響き渡り、偽物の聖痕と巨体が崩れていく。
「判るやろう? 世界で最も俺を理解している、貴様なら」
ケビンの落ち着いた声は、何故だと慄くアニマ=ムンディへの答えだった。
崩れ行く最中、アニマ=ムンディもまた、落ち着いた一息を吐いた。しかしそれは、戦いに勝利したケビンを
『それでも、我は死なぬ。我は貴様。我は《影の王》……! 貴様が不様に生き続ける限り、我もまた生き長らえるのだから……』
「上等や」
末期の咆哮の中、ケビンは笑って見せた。清々しく、恐れと共に、いつも仲間たちに向けるように。
「クソみたいな俺がいて、苦しくて苦しくて、でも暖かい。それが俺の、いつか辿り着く場所や」