七耀歴千二百四年、二月末。
カイトは協会支部の二階で世間話に興じていた。相手はアリオス、ミシェル両名である。
それぞれ報告書を仕上げたところだ。といっても、既にアリオスはそれを終えていて、緑茶をすすっているが。
「はい。二人共、今月もお疲れ様だったわね
正面に座るミシェルは二人に労いの言葉をかけた。
「なに、いつものことだ」
アリオスは柔らかく答える。カイトは少し疲れた様子だった。
「変わらず……それこそいつものこと、ですよね。最近は支援課が活動しているから、少しだけ余裕は出てきましたけど」
カイトが少なからず興味を示している特務支援課。クロスベル警察にある時設立され、遊撃士とほぼ同様の業務内容を主とする彼ら。
先日はカイトが途中まで動いていた依頼を、不良たちの助けを得ながらも達成してみせた。
言葉としては未だ「新人ちゃん」とか「未熟者」との辛口な評価が絶えない支援課への評価だが、きっと支援課たちが実績を積めば、それこそ今の自分のように対応も変わってくるだろうと考える。クロスベルの遊撃士たちは面倒見もいいが、とことん現場主義でもあった。
「ところで、アリオス。レマン総本部からまた連絡が来てたわよ」
『ところで』の部分が強調されたミシェルの声だった。彼は半ば強引に話題を変え、顔をずいっとアリオスに近づけた。彼にしては珍しい態度だ。
「いい加減、受けてくれる気はないのかって」
「またか。その件に関しては何度も断っているはずだが」
少ない会話だったが、カイトも気づいた。
「何度も来ますね。『S級遊撃士昇格への打診』って」
現在アリオスはA級の称号を持つ遊撃士で、クロスベル支部のリーダーでもある名実ともに守護神である。その実力はカシウス・ブライトにも劣らないという噂だ。
実績も負けていない。『S級』というのは非公式で用いられる称号だが、それぞれの界隈に情報は浸透していき、それはひとつの抑止力となる。
「まあ総本部としては、カシウス・ブライトの代わりを揃えておきたいんでしょうね。あなた、彼の弟弟子なんでしょ?」
「え、そうなんですか?」
弟弟子、という言葉にはカイトが反応せざるを得なかった。
カシウス・ブライト。現リベール王国軍准将にして王国軍将軍モルガンを実質的に超える地位を持つ。元S級遊撃士でもあり、カイトは公私ともに面識のある人物だ。
彼が元々剣術──八葉一刀流の流派に属していたことは知っていたが、意外な繋がりがあったものだと感じる。
等のアリオスは事実に関しては否定せず、けれど戒めるように答えた。
「彼と俺とでは役者が違いすぎる。遊撃士の実績も、彼のように国家的な問題を解決したわけじゃない」
身に余る話だと、どこまでも自分を卑下する物言いだった。S級ともなればかかる重圧も相当なものだろうが。
受付としての性分か。ミシェルもそう簡単には引かなかった。
「それならレミフェリア公国の件があるじゃない」
カイトは世間話で聞いた程度の話だが、北方のレミフェリア公国で起きた細菌テロ未遂事件の件だ。とある犯罪集団が、公国で流行しかけた感染症の病原体を生物兵器として利用した。
「大公閣下から勲章もいただいたんだし、実績としては十分すぎると思うけど」
「あれは本当の意味で解決できたわけじゃない。公国での芽は潰したとはいえ、一部の黒幕は取り逃がしたままだ。本来なら勲章は辞退したかったんだが」
「アリオスさんもストイックですね……」
「本当よ! せめて昇格でもすれば逆に少しは落ち着くんじゃない? 今月だけでも百件以上の依頼……尋常じゃないわよ、この仕事量は」
呆れるカイトにミシェルが珍しく賛同した。月百件。気が遠くなるほどだ。そもそもリベールにいた頃は月ごとの以来件数など数えていなかったが、六十件に達したかどうかも怪しい。
「無理はしていないさ。交通の便も増えて、カイトを始め助っ人もいる。今後は少しはゆったりできるだろうさ」
「まあ、ねぇ。支援課の坊やたちもちょっとずつ動き始めているみたいだけど……そういえば、カイト」
「はい?」
「
「ああ……」
会話の流れで気がついた。自分に任された雑務だ。といっても、手紙のやり取りを明かすだけの簡単なものだが。
「昼頃にはつくって言ってました。多分、もうそろそろじゃないかと……」
と、会話の途中で聞こえる少女の声。
「ごめんくださーい」
階下から聞こえたのは、カイトがよく知る人物のそれだった。といっても、クロスベルの知り合いではない。もっと懐かしく、頼もしい同僚であり、それでいて気のおけない友人だ。
「失礼します」
ついで、やはり聞き覚えのある少年──青年の声。
ミシェルの了解をきっかけに二人は二階へと上がってきた。忘れもしない、棒術具を持ったツインテールの少女と、腰に二振りの剣を装備した黒髪の青年。どちらも簡単な旅の鞄を持っている。
リベールの異変をともに駆け抜けた英雄。エステル・ブライトとヨシュア・ブライトだ。「エステル! ヨシュア!」
「カイト! 久しぶりじゃない!」
「三ヶ月ぶりだね。背、少し伸びたかな?」
忘れられない旅を共にした仲間だ。こうやって会えるだっけで、込み上げてくるものがあった。
ハイタッチを交わすエステルとカイトがいる一方、ヨシュアは丁寧に残る二人へ向かう。
「初めまして。ミシェルさん、アリオスさん」
「ええ。初めまして。二人のことはカイトからも。方方からも聞いているわよ」
「よく来てくれたな。長旅だ、疲れもあるだろう」
「えへへ、それでもクロスベルは交通の便もいいし、それほど面倒くさくはなかったわ」
喜びをかみしめ、エステルとヨシュアは佇まいを直した。そして、同時に告げる。
「正遊撃士エステル・ブライト」
「並びにヨシュア・ブライト」
『本日より、クロスベル支部へ着任させていただきます!』
────
カイトと同じくリベールを旅立った二人。彼らは、目的がありカイトと同じくクロスベルへ赴くこととなった。
今やリベールを飛び出して大陸をまたにかけることとなった正遊撃士同士だ。別れもあれば、再会もあった。
カイトにとっては少し悔しいことに、エステルとヨシュアの着任はミシェルに大きく歓迎された。実際、カイトよりは遊撃士としての経験がある二人。しかも期待の大型新人だ。役に立つ、という意味でミシェルは全く正直だった。
二人はまだ荷物を下宿先に置いてきたばかりなのだという。カイトは再会が嬉しいのもあって、休み時間を利用して整理の手伝いをすることになる。
「いやー、それにしても三ヶ月ぶりかぁ。カイトも、影の国のころよりまた成長したんじゃない?」
「当たり前だろ? オレだってもう正遊撃士だからな。もう二人には負けないよ」
「そうだね。影の国の時も思ったけど、すごく頼もしくなった。クロスベルでの日々が理由かな?」
カイトがリベールでの動乱に巻き込まれるきっかけとなったマーシア孤児院の放火事件。その時からの縁である三人。友人であり仲間であり戦友であるわけで、もう付き合いも長い。
最後にあったのは三ヶ月前の影の国だ。あの時は状況が状況だっただけに、事件が終えたらそのまま別れることになったが。
定期的に手紙でやりとりはしていたし、影の国の直後は流石に心配して関係者それぞれに連絡をとったりもした。
そんな中で、カイトにエステルたちから連絡があったのだ。近々、クロスベル支部に着任することになると。
「そういえば、二人は今まで帝国の方にいたんだよな?」
「うん。そうそう、トヴァルさんにも会ったわよ! カイトの話したら会いたがってたわ」
「そっか。トヴァルさんとは依頼で?」
「うん。また話すけど、ちょっと厄介な古代遺物の事件があって……」
さすがエステルたちと言うべきか、リベールを飛び出しても厄介な出来事に遭遇しているのは太陽の娘の所以だな、とカイトは考える。影の国に巻き込まれたという意味では、自分も同様の体質だとは気づかないカイトであるが。
トヴァルとも帝国に訪れた時以来だ。あの時の数日の邂逅だが、絆は確かに感じている。
「そうだ。帝国といえば、マルクスさんとレイラさんとは会わなかった?」
カイトが遊撃士関係者と出会った中で印象深かったのはトヴァルだけではない。最初に降り立った翡翠の公都。バリアハートで出会った受付マルクスと遊撃士レイラもそうだが。
返答を少し楽しみにしていたカイトだが、
「うーん……特には会わなかったわよ?」
「え、そうなの?」
「うん。マルクスさんは他の仕事についたって聞いたよ。レイラさんは帝国支部の一斉閉鎖の後、他国に行ってから戻ってないって聞いたけど」
「そ、そっかぁ……」
思いもよらない返答に、少し落ち込んだカイトだった。
そんな少年を励ますように、ヨシュアは話題を戻した。
「それはともかく。この一年、色々顔を出したけどね。共和国にレミフェリア、それに帝国。たくさん先輩や後輩もできたよ」
ヨシュアは言った。エステルはカシウスに追いつくため。そしてヨシュアはレーヴェに追いつき、各地で執行者自体の贖罪を果たすため。加えて二人共、結社の動向に目を光らせるためでもあった。
だからカイトよりも短い期間で沢山の場所を回っているのもある。だが、カイトは手紙や連絡の中で特にクロスベルに訪れた真意を聞いていた。
「本当にレンが来ているのか? このクロスベルに」
結社《身喰らう蛇》の執行者である、《殲滅天使》レン。リベールの異変で幾度もなく敵対した、けれどエステルやティータと親交を深め、そうして太陽の娘の影響を受けた彼女は、運命の悪戯か影の国では肩を並べて戦うこととなった。
着実に絆を深めた。カイトとも、エステルとも。そしてエステルとヨシュアは決意したのだ。レンと家族になると。
直接会話を聞いたわけではない。けれど連絡などを通して、エステルとヨシュアの旅路には《レンを探す》という目的が増えたことも知っていた。影の国からのこの三ヶ月は、二人は迷い猫との追いかけっこを続けていた。それこそリベールにも戻ったし、共和国にも赴いただろう。
そして、帝国での事件にてとある伝手から、『殲滅天使がクロスベルにいる』ということを聞いたのだという。エステルたちがこの場に来たのはそういった経緯があったのだ。
「うん、そうなのよ。トヴァルさんの知り合いの、アインさんってシスターから聞いたんだけど」
「彼女は、しばらく各地を放浪してたみたいなんだ。そんな跡が、例えば共和国にもあった。クロスベルは盲点だったよ」
「そっか。オレは依頼以外は基本的にクロスベル市内にいることが多かったけど」
カイトもヨシュアからレンの話を聞いた時は本当に仰天したものだ。それはレンがクロスベルにいるということもそうだし、市内という近場で隠者の庭園で話したあの少女がすれ違ったかもしれないこともそうだし、なにより執行者という存在がなに食わぬ顔で市内にいる意味でもあった。
レンの人となりは少しは知っているカイトだが、執行者をリベールの異変で初めて知ったカイトにとっては執行者という称号は災厄の意に近い。
思い返せば、身喰らう蛇は別に七耀歴千二百二年に突如として発生したわけではない。以前から大陸のどこかにいたのだから、それは当たり前ではある。
少し、身喰らう蛇の別の一面を見たカイトだった。
ともかく、カイトはこのクロスベルでレンを確認したことはなかった。
「……オレは、あくまでレンのことを
偽物とはいえ、星屑の空の下で語り合った仲だ。カイトにとってもレンのことは他人事ではなかった。
エステルは満面の笑みで答える。ヨシュアも結社時代の妹分だからなのか、心なしか嬉しそうだった。
「うん! ありがとう、カイト!」
「君のことは、少なからず心を許していたようだしね。よろしく頼むよ」
ブライト姉弟とカイトは決意を新たにする。迷い猫捜索戦線の結成である。
「ねえねぇカイト、クロスベルでなんかいい観光名所とかないの!? もしくは面白い話題とか!」
「そうだなー、行ってないけどミシュラムとか、あとはクロスベル大聖堂とか。あ、面白いって言えば特務支援課っていう──」
親友たちとの話題はいつまで経っても尽きることがなかった。
談笑とともに荷物整理を終え、各々遊撃士としての活動に動くこととなる。
数日後、カイトは聖ウルスラ医科大学に訪れていた。例によって依頼とアルス、シズクなどとに会うことの両方の意味合いを含んでいる。
その医療知識と技術から頻繁に来るエオリアを除けば、シズクの親であるアリオスを通り越して、カイトはいつの間にか頻繁に病院に向かうようになっていた。必然顔なじみも増えるし、病院関係者からの突発的な依頼も増えるようになってきた。
今日も今日とて、まずはアルスの下へ向かった。世間話もそうだ。兄弟のように話が合うのもそうだし、アルスの人柄に好感を持っているのもある。姉であるアリスの動向が気になるというのもあったが、何よりもアルス自身がカイトにとっては放って置けなく感じていた。
アリスから弟の身の上を聞いていたし、カイトが出会った年下の人物の中では珍しい部類だったからか。今は判然としなかったが、とにかく『気になっていた』のは事実だった。
そんな少年から、今日は予想もしなかったことを聞くことになったのだ。
「カイトさんも、例の魔獣の被害調査に来たんですか?」