「初めまして。お仕事お疲れ様です。私はシズク……シズク・マクレインといいます」
シズクと特務支援課の初対面は、とても穏やかなものだった。
クロスベル自治州各地の魔獣被害の調査でやってきたロイドと、その調査を結果的に共にすることになったカイト。セシルより聞いたひとつの情報提供者として、一同はシズクの病室を訪れていた。カイトがシズクの病室へ入り、特務支援課の四人を紹介した形だ。
「はは……ありがとう。君のお父さんには、前に危ないところを助けてもらってね」
代表してロイドが答える。カイトも同じ場所にいたが、やはり支援課の印象に強く残っているのはアリオスの後ろ姿だろう。
アリオスはクロスベルに根付く遊撃士であり、ロイドたちも同様に根付く警察だ。
「うちのお父さん、無愛想だからお気を悪くされませんでした?」
「そんな、とんでもない。こんな凄い人がいるんだなって身が引き締まったよ」
「厳しいけど思いやりがあって、頼りになりそうな方だったわ。ふふ、素敵なお父様ね」
「えへへ……ありがとうございます」
シズクは恥ずかしそうにはにかんだ。彼女の事情は遊撃士や病院関係者の知るところであるし、やはり自分が紹介された時のように特務支援課とも繋がれてよかった。カイトはそう思う。
「実際、アリオスさんってシズクちゃん想いだからなぁ。この間なんて、直接じゃないけどプレゼントも用意してたし」
「そうなんですか」
「あの凄腕のおっさんがプレゼントを選んだのか……」
「少し想像しにくいですね」
「こら、ランディ、ティオちゃん」
エリィにたしなめられ、二人が身を縮める。小さなことだが、こんなところでもこの四人はバランスが取れていると感じた。
シズクの事情は、簡単なところを伝えてある。物怖じしない四人は、それぞれの態度で優しさが垣間見えた。
「アリオスさんも忙しいから仕方ないけど、シズクちゃんもあまり甘えないし。今度会ったら思いっきり抱きついちゃえばいいんじゃない?」
「カ、カイトさんったらぁ……」
少しだけ会話を楽しんで、そして疑問符を投げかけたのはシズクだった。
「そういえば、カイトさん。どうしてロイドさんたち……警察の人と一緒にいるんですか?」
「はは、珍しいよな」
警察と遊撃士というのは犬猿の仲というのがクロスベルでの通説だ。子供で、しかも普段を病院で過ごすシズクはそこまで気にはしないだろうが、違和感は覚えるらしい。
「そうだね。今日はお見舞いもあったけどさ、用事があったんだ。セシルさんとアルスから聞いたんだけど、一週間前の魔獣の事件の時、気付いたことがあるんだって?」
カイトの説明を、ロイドが引き継ぐ。
「俺たちは警備隊からお願いされて、事件の調査をしているんだ。カイトには君の紹介をお願いしてね。よかったら、聞かせてもらえるかな?」
「わかりました。やっぱり
シズクは事件発生の頃、眠れなくて点字式の本を読んでいたらしい。その時、悲鳴のような叫び声が聞こえたのだという。
目の光を失い、代償的に鋭い聴覚を得たシズクだ。彼女の耳を疑う必要はないだろう。
「私、気になって窓を開けてみたんですけど、それ以上悲鳴は聞こえなくなって。代わりに……『ハッハッハッ』て、息遣いみたいな音がして」
聞こえた悲鳴、聞こえなくなった悲鳴、そして息遣い。リットンからの聴取や現場検証とも符合する。
シズク自身もそれが事件に関係するかもしれないと気づいたのはつい数日前だそうだ。警備隊には話してないらしい。
「そ、それと……私の空耳かも知れないですけど。さっき話した音が聞こえている時、一緒に『キーン』ってかすれた音も聞こえた気がしたんです……」
初めて聞く類の情報だ。もっとも耳のいいシズクが確信を持てない情報だから、大抵の人間が察知するのも難しいだろうが。
「特定の魔獣が出す音の可能性もあるが……」
その筋に詳しそうなランディがぶつぶつと思考しているが、特定までは至らない。
だが、思いもよらない情報源だ。
「シズクちゃん、貴重な証言をありがとう」
「はい。ロイドさんたちも……調査、頑張ってくださいね」
「うん、ありがとう」
「遊撃士の皆さんではないけど、また遊びに来るわね」
「それじゃあな、シズクちゃん。今度は、俺もプレゼントを用意するからさ」
「また色々話をしましょう、シズクさん」
五人は部屋を出た。シズクのこと、得られた情報のこと、話すことは沢山ある。
そして事前にシズクのことを話したのと同じく、アルスについても説明する。特別病棟で導力を排除した治療を受けていることもあって、ある意味シズク以上に特殊な事情を持っている。
「《免疫性多発性導節脈炎》……そんな病気があるのか」
「データべースにも記憶はなかったと思います。……胸甲も取らなければいけないのが厄介ですね」
ロイドはため息をついた。また情報通らしいティオも知らない難病だった。そんな難病を抱える少年アルス。直接話はしなかったが、その出自はさらに複雑なものだ。
「
「へぇ。シズクちゃんの知り合いとはいえ、不思議な縁もあるもんだな。もともと、お前さんとは赤の他人なんだろう?」
「あはは、そう、ですね」
ランディの疑問ももっともだった。アリスという関係者がいても、シズクというきっかけがあっても、アルスはカイトにとっては他人だった。そう考えると不思議な気分だ。
「失礼するよ、アルス」
「カイトさん。もう、一日に何度も尋ねてくれるのも驚かなくなってきましたよ」
我が物顔で来室するカイトを、アルスは笑って歓迎した。
そしてカイトがシズクたちに連れられてやってきた時と同じように、今度はカイトが人を連れ立っていることに反応する。
「紹介するよ、アルス。クロスベル警察、特務支援課の四人だ」
一日を病室で過ごすことが多いアルスにとって、例えカイトのようなしつこさがあったり、いきなり知らない人が訪ねてきたりしても、それは嬉しいもののようだった。例によってアルスは朗らかに対応する。
またシズク以上に外界の情報は敏感なようで。
「特務支援課の皆さんですか! クロスベルタイムズで見ましたよ」
「はは……けっこう見てる人がいるんだね」
遊撃士である自分が来た時よりも多少興奮しているようなアルスに若干思う所があるカイト。一方で特務支援課の四人は苦笑いを隠せずにいた。どうも、グレイスはクロスベルタイムズで特務支援課のことを盛大に報道したらしい。人に会う度会う度報告されれば、例え好印象であっても戸惑うのも無理はない。
もう何度目になるか、ロイドたちは新たに出会った少年に対して自分の名を明かすのだが。
「……あの、ティオさん」
「はい、何か?」
「僕たち、前に会ったことがありませんか?」
「え?」
その言葉に、残る四人はそれぞれ呆けた反応をとってしまう。
「いえ、小さい頃……ティオさんのような女の子に会った気がして」
そういえば、とカイトは思い出す。アルスは十三歳、ティオは十四歳。同年代だ。それゆえの親睦の深め方と言えば微笑ましいのだが。
その言葉が勘違いでなかった場合に意図される事実にカイトたちが気づくより早く、ティオが返した。
「……人違いではないですか? 私はレマン自治州から出向として支援課に配属されましたし。他人の空似ではないかと」
「そっか、そうですよね。すみません。困らせてしまったようで」
「いえ」
アルスも思うことがあったのか、熟考していた割には早々にこの話題を打ち切る。
ティオの様子も、表面上はそれほど変わらないように見えた。そんなものだから、ロイドたちも、まだティオにとっては知り合いの域を出ないカイトも本題に移らざるを得なかった。
「アルス。なんとなく察してると思うんだけど、オレは仲介役だ。ロイドたちが魔獣被害の件について聞きたいんだってさ」
「判りました。といってもシズクちゃん以上に具体性のないものでしょうけど」
アルスもアルスで病院側の状況は理解していた。シズクとも連絡を取り、また彼女の証言も理解している。
「あの時、僕も起きていました。加えてこの病室は屋上から近いですから、リットンさんの声もはっきりと聞こえたんです」
その証言はシズクとは違い、警備隊の耳にも届いていた。だがシズクが聞いた魔獣の息遣いのようなそれはアルスには聞こえず、結局は警備隊もそれを有益な情報までは昇華できなかった。
アルスが警備隊には話せなかった抽象的な証言。それは、本当に感覚的なものだった。
「違和感を、感じたんです」
『違和感?』
カイトとロイドが反復した。
「聞いたわけでも見たわけじゃない。けど、こう……肌がざわつく、何かがあったような、誰かがいたような、そんな気配を感じました」
ここへ来て、彼自身が危惧したとおりの抽象的な証言。一見してシズクよりも捉えどころがない。
「確かに、証言としては薄いとは思うけど……」
「アルス坊……それ、はっきりと感じたんだな?」
「は、はい」
アルスの戸惑いはランディの確認か、それとも一応は貴族である自分に《坊》と付けたことに対してか。エリィを《お嬢》と呼んだり、ティオは《ティオすけ》だったり、ランディはそういう癖があるらしい。
事件現場にリットンの証言、そしてシズクの裏付け。そういったものを考えるに、『肌がざわつく感じ』というのは不思議なものだ。
ロイドにとっては貴重な視点を得られたようで。
「ありがとう、アルス君。今回の事件はまだ不可解な点も多い。大事な証言になる」
「お役に立てたのなら嬉しい限りです。ここだと。あまり他の人に恩返しをすることができないですから」
少し自嘲気味な言葉だった。ともすればため息でも吐くような。
そこにどんな感情が込められているかまでは分からなかった。
「アルス君……病気が良くなるよう。祈っているわね」
「ありがとう、エリィさん。僕も皆さんの調査がうまくいくよう、空の女神に祈りますから」
「そうだと、嬉しいです。今後もよろしくお願いします」
ここでの調査はここまでのようだ。ロイドたちはアルスにそれぞれ言葉を交わし、病室を後にする。
「カイトさん、少しいいですか?」
「わかった。みんな、先に準備をしててくれ」
アルスからそう引き止められるのも珍しい。四人を先に促してから、二人となった病室でカイトとアルスは向かい合った。
「姉から伝言があったのを忘れまして。『黒い封筒は捨ててないか』、だそうです。姉さんが『聞けば分かる』と言っていたんですけど」
「黒い封筒? ああ……」
少し記憶を巡らせてから思い出した。アリスとアルス、二人の父アスベルが落とした封筒のことだ。いくらあのアスベルが傲慢だからといって、豪奢そうな封筒を捨てるのはばかられた。たしか下宿先の自室に放ってあるはずだ。
「『もし捨ててないなら、預かりたいからそのまま持っていて』とのことでした。そのうちまたクロスベルに来るから、と」
「……アレスレード家にとって大事なものなの? あれ」
「いえ、そういったものではないと思いますけど……父もぞんざいに扱っていましたし」
「……まあ、判った。そうそう、オレからも聞きたいことがあった」
確かめたいことがあるのはカイトだけではなかった。アルスから引き止めてくれたのは、支援課に無用な詮索を産まなくて助かる。
「ティオのこと……会ったことあるの?」
ロイドもエリィもランディも、鈍感な人間ではない。アルスの言葉を否定した時の違和感に気づいてはいるだろう。それでも出会ってそれほど経ってもないのにチームとしてうまくはまっている四人だ。一人の突かれたくない何かをほじくるような真似はしないだろう。
ある意味、他人であるカイトだからこそ、無遠慮に気になってしまったことではあった。
アルスは微妙な面持ちでカイトに返した。
「もちろん、ティオさんの言うとおり他人の空似かも知れない。でもあの瞳と髪の色……なかなか彼女と間違えるとは思えなくて」
「そっか……」
アルスが言う《彼女》がティオなのかは定かではないが、少なくともアルスの幼少期に、同年代の水色髪の少女がいたのは確かなようで。
だが、その場合気になることがある。アルスは生まれてからほとんどの時間をこの病院で過ごしている。少女を目撃したとすればその少女は誰かのお見舞いに来たか、ともすれば入院していたということになるのだが。
「……アルス、今度こそまたな」
それ以上は自分が言うべきではないと思って、カイトはそれだけアルスに告げることにした。
「はい、また」
アルスも同様だった。開けてはいけない、触ってはいけない場所に手を伸ばした気がした。
────
関係者からの聴取を終える頃には、空は赤くなっていた。ロイドたちはセシルに調査結果を報告することになり、結果として魔獣の侵入ルートには柵が設置されることになった。
「──神狼伝説?」
カイトと支援課の五人はクロスベル市への道中、帰路を共にする。そのバス車内でカイトは聞きなれない言葉を反復したのだった。
ロイドたちは既に午前中、自治州北東のアルモリカ村まで足を運び、調査をしていたのだという。遊撃士でもないのに脚を使って調査に赴くという姿勢に感嘆したが、それでエリィとティオが疲労困憊の様子だったのかと察した。
午前中アルモリカ村の村長から、事件の心当たりを尋ねた時に出たのが、神狼伝説なのだという。古くからクロスベルの地を見守り続けてきたという白い毛並みの狼の伝説だ。
「もちろん、それだけで何かを断定できるわけじゃないけど……」
そうロイドは言ったが、カイトは頭ごなしに否定はしなかった。
「あながち、それ無関係じゃないかもよ」
カイトとしては古代竜レグナートの存在を知っている。それに浮游都市をこの目で見てきた。それだけに、人々に広まる伝説というものが意外と本当のことであるというのを否定できない。
「どっちにせよ、その神狼さんはリットンさんを襲った犯人……犯狼? じゃなさそうだね」
「だな。毛並みの色も違うらしいし。あのシズクちゃんや研修医の話を聞く限り、病院に出た魔獣はどっちかというと犬じゃねえか?」
仮に神狼がいたとして、アルモリカ村村長の言うとおり神狼からの人間への警告だとしても、なぜ今この時期にというのは説明がつかない。
「……ロイド、よければ明日のマインツへの調査、動向しようか?」
カイトはものの試しに言ってみた。エステルとヨシュアがクロスベルに来たこともあって、カイトも忙しさから若干解放されている。最近はミシェルも実力を認めてくれつつあるし、依頼ではないが自発的な調査として許可を得られる可能性もあった。
民間人が被害を受けている、というのもある。遊撃士が依頼を受けたわけではないが、当事者たちも埒があかなければ依頼をするつもりだったとも言っている。遊撃士の肩書きを前面に出さなければ、調査の手伝い自体はできそうだと思った。
だが、ロイドは首を縦には振らなかった。
「──ありがとうカイト。でも、大丈夫だよ」
まだお互いに壁はある。それでも、ロイドたちは負の感情を抱いているわけじゃない。
「今日はカイトを含めて三人も、遊撃士に助けられた。これ以上、警察としてみっともない姿は見られないさ」
「三人も……?」
「そうなの。病院に行く途中、魔獣と戦っている時に助けられてね」
「あの二人、相当な修羅場を潜ってたよな」
「ええ、息もピッタリでした」
二人組、ピッタリな組み合わせ、そして修羅場を潜っている実力者。思い当たる二人を想像して、カイトは嬉しくなる。
ロイドは続ける。
「今後、遊撃士と警察の垣根を越えて協力すべき時はあると思う。それがどんな状況なのかはまだわからないけど……」
警察と遊撃士に共同で依頼を受けた時か、あるいはマフィア絡みなどで民間人に危機が迫る時か。いずれにせよ、その時は近いかもしれない。
「……なら、オレはオレで鍛えておくよ。遊撃士として、あるいは誰かの同志として活躍できるようにね」
バスを降りる。場所はクロスベル空港前。近日中の協力を約束して、カイトはロイドたちと中央広場で別れた。カイトは旧市街、そしてロイドたちは支援課分室ビルだ。
「……何かあったわけでもないけど、疲れたな」
リベールの異変の時のような激動ではない。それなのに、どうにも疲れてしまった。今までの仲間とも違う。ある意味商売敵と一緒に動いたからだろうか。
魔獣事件。それを知りながら自由に動けないクロスベルのジレンマ。リベール以上に神経をすり減らす公的組織との軋轢。
支援課メンバーの一人であるティオに関する何か。そして、アルスの挙動。
「……誰も彼も、何かしらを抱えてるんだろうな」
リベールの時でさえ、ヨシュアが、ケビンが、オリビエが、仲間たち全員が、色々な過去を秘めていた。旅の中で明かされたものではないが、自分だってそうだ。帝国への感情と姉への恋情が、旅路の中で自分に刃を向けてきた。
捜査官としてクロスベルに戻ってきたロイドは、他に見ない熱がある。ランディは飄々としているが、少し行動を共にしてわかった。鈍ってはいるが、かつては相当の実力者だったのだろう。
エリィの本名はエリィ・マクダエル。その名前に、カイトはどこか違和感を覚えていた。そして、ティオ。弱冠十四歳にしてエプスタイン財団に属し、いかなる理由か特務支援課に来た少女。
誰もが何かを抱えているように思える。クロスベル特有の、粘っこくてしつこい闇を。
「それはアルスも、か」
帝国出身でありながらクロスベルへやってきた病床の少年。別に出自に何かがあるわけではないだろうが、今日の会話で少し見えてきた。
姉弟そろって自信がないようだ。そして少年は殊更に自己否定が強く見える。それを隠すように、優しさが垣間見えた。
そういえば、レンという迷い猫も来ている。彼女を探すためにエステルやヨシュアも来ている。西の大国エレボニアと大陸の交差点たるカルバード、両者の繋がるクロスベル。とんだ宿縁の地だ。
「……でも、見えてきたものはある。クロスベルの闇を払う可能性は、まだあるはずだ」
だから、それを確かめよう。そのために、今は黒子に徹しよう。
数日後。カイトは、魔獣事件が特務支援課の手によって解決されたことを知ることとなった。どうやらマフィア《ルバーチェ商会》が共和国系シンジケート《黒月》に対抗するために魔獣を各地で試験運用していた、というのが真相だったらしい。
またもマフィアだった。聞けば特務支援課が捜査依頼を出されたのも、汚職にまみれた警備隊上層部がルバーチェの犯行をもみ消すために調査を打ち切り、それに不信感を抱いた関係者によるものだった。
もし魔獣による人的被害がなく、依頼も出されなければ、遊撃士は手出しができなかった。いや、仮に捜査できてルバーチェ構成員を捉えたところで、良くて今回のロイドたちと同じところまでだろう。やはり根本的な解決はできない。
遊撃士としての自分に、今更迷いはない。子供の頃から志したこの道は、忘れられない旅路を経て誇りに変わっている。
それでも。
自分の考えはあたっているかもしれない。そうカイトは思う。
特務支援課なら、遊撃士には払えないクロスベルの闇を払えるかもしれない、と。