心の軌跡Ⅱ~重なる標~   作:迷えるウリボー

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42話 長い一日③

 黒月(ヘイユエ)貿易公司。港湾区の一角、エルム湖を特に間近に見渡せるその場所に、カルバード共和国最大のシンジケートの隠れ蓑は存在していた。

 カイトが初めてその存在を聞いたのはジンからだった。彼はカイトに向けて、後々知る必要があるであろうその存在を説いていた。

 そうしてクロスベルで遊撃士稼業を始めることとなり、意識しつつも存在と接触することはなく、こうして今相対しようとしている。

 カイト自身、黒月に関して知っていることは少ない。大陸中央に存在する巨大国家カルバード、その裏社会を牛耳る犯罪組織。共和国南端、煌都ラングポートに居を構える。犯罪組織だが裏を返せば、カルバードの裏社会の秩序を担っている存在でもある。その程度しか知らない。

 そんな組織が西への勢力拡大の橋頭堡(きょうとうほ)として敷いた黒月貿易公司・クロスベル支社。少なくとも一会社を演じているだけ危険はないだろうが、それでも肌に感じる針のような感覚は拭えなかった。

「やあやあ、よくいらっしゃいましたねぇ!」

 賑やかに、飄々とした雰囲気で歓迎したのは赤紫の髪を流した眼鏡の青年だった。

 ロイドたち、そしてカイトはその支社のビル内部にいた。ルバーチェとは違って、やや間はあったものの、身分を明かすだけで社員は簡単に通してくれたのだ。ただ、カイトとランディは社員一人ひとりの実力を推し量って震えていたのだが。

「初めまして。クロスベル警察・特務支援課のロイド・バニングスといいます」

 招待されたビルの二階の支社長室で、ロイドは赤紫髪の青年に右手を差し出す。

 彼らの緊張はなんのそのと、青年は笑った。

「ふふ、こちらこそ初めまして。黒月貿易公司・クロスベル支社を任されています、ツァオ・リーと申します」

 それほど年を重ねているとも思えない、一見して好青年然としたツァオ。彼は眼鏡を整え、あくまで好意的な態度を崩さない。

「ロイドさん、エリィさん、ティオさん、ランディさん。それに……遊撃士のカイトさん、ですね?」

 そして先手を打たれる。まさか、こちらの名前を知っているとは。

「そう驚かないでください。タネを明かすと、私はクロスベルタイムズを愛読していまして。それで、貴方がた特務支援課のファンになりました。失礼ながら、色々と調べさせてもらったんです」

 ツァオは次にカイトに目を向けた。

「カイトさんは、遊撃士です。それも、あのリベールの異変解決に尽力した。そんな方が

訪ねてくださるとは光栄ですから」

「あ、あはは……なんか既視感を感じますよ」

 昔ブルブランなどからは、見向きもされなかったが、それなりに実力を上げるとこんな風に自分のことを知られるのかと思うと、少しだけ嫌な気分になってきた。

 未だ主導権を離さないツァオが、まるで全てを知っているように先に話を仕掛けてくる。

「それで、本日はどのようなご要件で? もしや当社の営業活動に何か問題でもあったのでしょうか?」

「いえ……実は俺たちは、現在アルカンシェルに関する事件を調べていまして」

「アルカンシェル……ああ、あの有名な劇団のことですね! 私もクロスベルに来たからには一度観たいと思っているのですが、なかなか時間がなくて。そういえば、近々新作が公演されるとか」

 そのままアルカンシェルでも観続けて悪事なんて辞めればいいのに。カイトは思った。

「実はその公演に関して問題が発生しまして、それで私たちが調査をしているんです」

「なるほど……何か事情がありそうですね。わかりました、まずは貴方がたのお話を聞きましょう」

 そのまま応接机まで案内される。ルバーチェ商会とは違って東方の茶が出され、そしてツァオの対応も懇切丁寧だった。

 例によってロイドが代表となって説明した。一通りを聞き終えたツァオは驚くでもなく、わずかな沈黙の後に頷く。

「なるほど……イリア・プラティエへの脅迫状ですか。なんとも労しいことですねぇ」

「……」

「しかし失礼ながら、どうして私どもに調査を? 正直なところ、その理由が私には皆目検討もつかないのですが」

「それについては、オレから説明します」

 カイトが身を乗り出した。

「調査の過程で()()()()()()()にも話をしたのは理解してもらえましたね?」

「ええ」

「ルバーチェは表向き否定はしましたけど、関係はしているようでした。オレたちが知っているのは『脅迫状の差し出し人が無関係でありながら彼らが強く意識する存在である』ことと『最近ルバーチェが()()()()()のとある組織と対抗姿勢をとっている』ということです」

「……まるで私ども黒月がそのとある組織と繋がりがあるような言い方ですねぇ」

 ツァオはまったく驚いておらず、笑みを絶やさない態度だが。

「いえいえ。ただ、この会社は共和国ラングポートに拠点を構える巨大会社と聞いています。そういった()()()の情報にも詳しいんじゃないか、と思いまして」

 カイトもにこやかに笑った。空元気も多分に含まれているが。ティオやエリィなんかは胃を痛めているかもしれなかった。

「そうですね……」

 ツァオは、ロイドが机に広げた脅迫状を指差した。

「差出人については心当たりがあります。恐らく、貴方がたが知りえない情報と存じます」

 ツァオを除く五人の空気が張り詰める。

「差し出がましくはありますが、御高説させていただいても?」

 ロイドは厳かに口を開いた。

「……よろしくお願いします」

「では……」

 聞き入る。

「この()は『ギン』とは読みません。『イン』と読みます」

(イン)……」

「いわゆる、東方読みですね。貴方がた西側の国の方には珍しいでしょう」

 そこからツァオが話したのは、少なくとも一般人には珍しいものだった。

 カルバード共和国で謳われる伝説の刺客。仮面と黒衣に身を包んだ正体不明の存在。影のように現れては影のように消え、狙った獲物を必ず仕留める暗殺者。

 そして伝説と呼ばれる所以だが、不老不死という噂がある。百年前、カルバード共和国が王政だった革命の頃、革命の歴史文書にも《銀》の存在は示されているのだという。

 ティオが疑問を呈した。

「しかし、それはあくまで『伝説』ですよね? 今回の脅迫状と直接の関わりはなさそう──」

「実在しますよ」

 ツァオの肯定に特務支援課の面々が驚きを顕にした。カイトは浮游都市や四輪の塔の裏を知っているから、伝説の実在を荒唐無稽と疑うことはしなかった。

「実は、カルバード共和国の裏社会では、銀に関するこのような噂があるのです。『報酬さえ払えば確実に敵を葬ってくれる優秀な暗殺者』……どうやら、とある共和国最大の犯罪組織が随分重宝しているのだとか」

「なっ」

「あんた……」

「そういえば、噂ではその組織が銀を長期契約で雇ったのだとか。それを境に、ここ数ヶ月は共和国内で銀の話が聞かれなくなったようです。大方、どこかの自治州にでも場所を移したのですかねぇ?」

 油断ならないのはわかっていた。それでも、空々しい丁寧さが鼻をついていた。

 前言撤回だ。この男、丁寧さなんてものは欠片もない。ただの意地悪さだ。

「おや、ロイドさんがたも、カイトさんも。随分怖い顔をされますが、どうかされましたか?」

「……いえ、支える籠手の紋章があるのに、大したことができない自分にイラついただけです」

「そんな、自分を卑下しないでください。若手の遊撃士というものは希望に溢れている。みな期待しているのです」

 無性に腹が立った。何に腹が立ったのか、すぐにはわからなかったが。

 このツァオの態度は、支援課の四人にもわかるくらいあからさまなものだった。エリィすら、刺々しいものとなる。

「どうやら、貴方がたもルバーチェと同じようですね」

「たかが地方組織ごときと同じにしないでいただきたい……と言いたいところですが、彼らは彼らでこの特異な街(クロスベル)に適応しているだけはある。なかなかに手強く、私も楽しませてもらっています」

「おいおい……」

「ぶっちゃけましたね」

「あんた、ついに隠さなくなってきたな」

「あくまで、ビジネスの競合相手としてですよ。クロスベルは自由な競争が法によって保証されている。何か問題でも?」

 《銀》の説明以降ほとんど口を開かなかったロイドが問う。

「ひとつ聞かせてください。そのルバーチェとの競争に、アルカンシェルは入っていますか?」

 ツァオに脅迫状のことを説明した過程で、ルバーチェとアルカンシェルの揉め事は説明していた。

 だが、これに関してもツァオは明言する。真偽はともかく、否定の言葉を。

「確かにアルカンシェルほどの劇団であれば、共和国内誘致の動きもあるでしょうが……あいにく私どもの会社は芸能方面には関わっておりません。私としても不思議なのですよ。どうしてその脅迫状に、そのような名前が書かれていたのかがね」

 だから、とツァオは五人を見渡した。

「今回の一件、なかなかに興味深い。貴方がたの一ファンとして……遊撃士と警察と、どのように手を取り合い、どのように解決してくれるか。楽しみにさせていただきますよ……」

 こうして、黒月との対話は幕を閉じたのだ。

 特務支援課や、遊撃士カイトに対して余裕を崩さないでいたのは、ルバーチェだけでなく黒月も同様だった。《銀》そのものはともかく、黒月は脅迫状の件とは関わりはなさそうだった。得られた情報はあるにせよ、舐められていたのは変わりはない。

 ただ、本格的に《銀》そのものを追わなければいけない段階に来ていた。ツァオから聞いたことが事実ならば、例え黒月を吐かせるにしても《銀》の素性は知らなそうだ。

 そんなことを考えながら黒月のビルを後にし、社員の見送りを受けたあとトボトボと歩く。

 そこで、カイトにとっては会いたくない人物との邂となる。

「フン……子犬どもの分際で黒月にノコノコ乗り込むとは。焚き付けたのはどっちだ?」

 いかにも堅物そうな声色。長身に鍛え上げられた体躯。青のスーツ、緑の短髪、眼鏡に威圧感ある瞳。総じて仏頂面だ。

 げげ、とカイトは何度目かの悪態の表情。そして特務支援課は驚く。

「あ、貴方は……」

「たしか、捜査一課の……」 

 ロイドとエリィの発言に「おや面識がなかったのか」とカイトが現実逃避気味な思考を働かせる最中、アレックス・ダドリーは変わらない表情だった。

「一課のダドリーだ。言うべきことは山ほどあるが、一先ずついてこい」

 言われるままについて行く。港湾区の反対側。そこには導力車が一台あり、ダドリーのものだと気付いた。

「お前たちは阿呆か。遊撃士と警察組織が弁えずに無秩序に乗り込んで……」

「す、すみません」

「オレは警察官じゃないから謝らないっすよ、ダドリー捜査官」

「遊撃士はお呼びではない。私は今、特務支援課に話しかけている。余所者は黙っていろ」

「……あいあい」

「カイトさん、この人と面識があったんですか?」

「三回ほど、嫌なことにね」

 ダドリーのこめかみがひくついた気がしたが、カイトとティオは無視した。

「で? 貴様たちがどうして黒月を訪ねたのか、洗いざらい話してもらおうか」

「オイオイ、いきなり何言ってんだ図々しい」

「図々しいのはどちらだ、オルランド。我々一課は二ヶ月以上前から黒月をマークしていた。いきなりなんの断りもなく割って入ったのはお前たちだぞ」

「……その、捜査一課でも《銀》のことを調べていたんですか?」

「その名前を知っていたか。そこの遊撃士の差金か?」

「いや? オレじゃないけど」

「とにかく、知っていることを包み隠さず話してもらおう」

 相手は捜査一課のダドリーだ。もともと、依頼も支援課が受けたものでもある。カイトはロイドに一任することにした。

 そして、ロイドは少し迷ったものの明かすことにした。リーシャの依頼から脅迫状、ルバーチェと黒月との会話に至るまでを。

「ふむ、なるほどな。ようやく尻尾が出てきたか」

 どうやらカイトに対してだけではなくで、ロイドたち同じ組織の新人にも手厳しい態度のようだ。

「ですが……どうして黒月だけ監視を? ルバーチェの方は放置しているようですが」

 特務支援課の四人にとって不思議だったのはそこだった。ルバーチェと小競り合いを果たしたこの数ヶ月間、捜査一課の介入はただの一度もなかった。遊撃士の介入は未遂も含めて何度もあったのにだ。それが黒月に限ってダドリーの登場。ティオのように疑問を呈するは当たり前だったが。

 当のダドリーはどこ吹く風だ。

「何を言っている。ルバーチェについても大体の動きは把握しているぞ。旧市街の一件、軍用犬の使用、お前たちが関わった一連の事件も含めてだ」

「……」

 カイトとしてはダドリー相手に珍しく沈黙を保っている。だったらどうして、実際に動かないのか。民間人に被害が及び、場合によってはもっと最悪の結末も考えられたのに。

 ダドリーの答えは、カイトの予想と少し違っていた。

「あの程度で動いていてはキリがないというだけだ。殺人が起こったわけでもなし、ただのいざこざに過ぎん。なんなら、そこの遊撃士殿に頼めばいいだろう。実際に動いていたわけだしな。違うか? レグメント」

「……違わないけど」

「ならば、どうしてほかの重要案件を後回しにして限りある人員を割かなくてはならんのだ」

 特務支援課が黙りこくってしまう。カイトにとってはダドリーはいけ好かないが実力ある捜査官だが。支援課にとっては痛いところを突く上司のようなものか。

「この正義が守りきれない街で一定以上の秩序を保ち続けること……殺人などの重犯罪を抑止し、犯罪組織や外国の諜報機関から可能な限り人と社会を守ること……その苦労がお前たちにわかるのか?」

 その問題は文字通り闇の深奥にあって、それを考えようとする人間でないと気づかない。クロスベルの平和と繁栄は、薄皮一枚の上に成り立っている。

 カイト自身、遊撃士もまた同様にこの街に来てぶち当たった壁だ。

 ルバーチェはクロスベル自治州政府の帝国派議員と、黒月は共和国派議員と結びついている。向こうがヘマを起こさない限り──そのヘマは支える籠手にとっても許容できないことだが──汚職議員やマフィア、犯罪組織を捕らえるなんて警察でも遊撃士でも不可能なのだ。

 もはや末期状態なのだ。リベール王国とは創立から歴史が違う。帝国と共和国に挟まれ、搾取するために育てられた熟れた果実。

 だが、とダドリーは真摯な目を光らせる。それは、まるでクロスベルに来て初日にカイトに向けたそれとは違っていた。

「そんな絶望的状況でも我々はやれることをやるだけだ。例え問題が根本的にできなくても抑止できるよう働きかける……《銀》の問題もその一環に過ぎん」

 そして、特務支援課にとってとどめとも言える一言を放った。

「アルカンシェルの件については一課が引き継ぐ。情報提供に感謝する。お前たちは通常業務に戻るがいい」

「……ぶんどりやがりましたね」

「何を言うか、プラトー。黒月の動向に気を配りつつ、姿なき暗殺者の手からアルカンシェルを守りきる。そんな真似がお前たちに出来るのか?」

「……難しいです、俺たちだけじゃ」

「そういうことだ。依頼者への連絡だけはお前たちに任せてやる。対策が捜査一課に引き継がれたこと……きちんと説明しておけよ」

 それ以上言うことはないとばかりに、ダドリーは導力車の扉を開けて中に入る。挨拶などすることもなく、彼は早々に離れていった。

「言うだけ言って逃げやがったな、あの眼鏡」

「しかも専用車でというところが余計にムカつきます」

「それで……どうするの? ロイド、みんなも」

 悪態をつきたいのはランディやティオと同じくだったが、カイトはロイドに問うた。ダドリーの提案に対してどう動くのかを。

 カイト自身、アリオスや先輩たちを頼る手は考えていた。といっても、まだまだ諦めるつもりはなかったが。この事件、まだ単なる脅迫事件と捉えるには危うさがあるとも考え得る。

 だがロイドたちが捜査一課に任せるというのであれば、それを特に止めようとも思わなかった。実際ダドリーたちは優秀だ。特務支援課や遊撃士と畑は違っても、この手の捜査が一級品なのは確かだから。

「実際、俺たち(特務支援課)で処理できる範疇を超えている気がする……リーシャたちには事情を説明して謝るしかないな」

 ロイド自身、悔しさはあるだろう。自分も含めて、この手の調査で中途半端に梯子を下ろされるのは嫌に決まっている。彼の言葉にはそんな感情が見え隠れしていた。あくまで正論だった。

 だが、リーダーの言葉に一同が賛成しかけたその時、ただ一人が取り乱す。

「ちょ、ちょっと待って!」

「なんだ、どうしたお嬢?」

「ロイド……貴方がそんな事を言うの!? 《壁》を乗り越える……みんなでなら乗り越えられるって言ってくれたのは貴方じゃない!?」

 年長者の配慮を無下にして、エリイはロイドに詰問した。

 カイトが関わってきた少女の中で、エリィはクローゼと同じくらいの才女であると感じている。そんな彼女が理由もわからず取り乱すから、カイトは驚いて何も言えなくなってしまう。

「……えっと、その、俺もなんとかしたいと思うよ」

「ただよ、俺でさえ捜査一課に任すのが筋だって考えちまったんだ。参謀役のお嬢もそう考えるんじゃねえのか?」

「それは……確かにそうだけど」

 強く叫んだが、しかしすぐに弱気になる。同じく困ったようなロイドが。

「もし、エリィがそう言うならなんとか別の手を考えて……」

「うん、いいの。ごめんなさい、少し疲れてるみたい」

 そんな、消え入りそうな声を出すものだから、彼女の仲間でさえ何も言えなくなる。

 それでも特異な連中とばかり話し込んで精神的に消耗したのは全員同じだった。アルカンシェルへの報告をしたら、今日はもう業務を終えようということで決まる。

 歓楽街に戻る頃には、夕方になっていた。

 アルカンシェル、ルバーチェ商会、黒月にダドリー捜査官。善悪を問わず濃い面子だったが、今日はまだ彼らを開放してくれないらしい。五番目、六番目の人物が、アルカンシェル前に現れたからである。

「おじいさま、アーネストさん!」

 ただでさえ疲労困憊なのだろうが、こればかりはエリィが声をかけることとなる。なんせエリィの身内なのだから。

 白髪と皺の目立つ顔つきながら、カイト以上の身長で腰を折ることなく、若々しさを貫いている。白いスーツとステッキを持った老紳士。エリィは『おじいさま』と呼んだ。

 そうなるともう一人がアーネストのようだ。色は違うが同じくスーツを来ている。ランディよりも幾分年上だろうか。優しげな面立ちの好青年だ。彼は老紳士の後ろに下がった。

「ふふ、なかなか会えないが元気でやっているようだね。仕事の方は頑張っているのかな?」

「は、はい。マクダエル家の名に恥じぬよう、精一杯頑張らせてもらっています」

「前にも言ったが、家のことは気にしなくてもいい。そちらの諸君は同僚の方々かな?」

「え、ええ」

 約一名は違うが、それをここで言う必要もなかった。各々自己紹介をする。

 カイトも例に漏れず身分を明かしてから、老紳士は返した。

「ふむ……私の名はヘンリー・マクダエルという。孫娘が色々と世話になっているようだね」

「いえ、そんな。世話になっているのは、むしろこちらの、ほう、で……」

「ん? ロイド?」

 ロイドの言葉尻が小さくなったことにカイトが声をかけるが、彼はそれに気づいていない。

「ま、確かにお嬢には書類の整理とかで助けられてるしな」

「それについては。ランディさんも手伝うべきでは?」

「ははは。充実した職場で何よりだ」

 老紳士ヘンリーは朗らかに笑った。

「少し疲れているようだが……お前が選んだ道だ、納得のいくまでやってみなさい。公私混同はできないが、できる限り協力させてもらうよ」

「……はい、ありがとうございます」

「それでは行こうか、アーネスト君」

「承知致しました。……エリィ君、また」

「はい、アーネストさんも」

 その場はお開きとなり、ヘンリーとアーネストは歩き出す。なんとなしにそれを見届けると、二人は導力車に乗り込んだ。ダドリーに続きだが、彼の警察から支給されたものとは違い、それよりもずっと高級な車だ。カイトとしては、帝国でルーファス・アルバレアに乗せてもらった導力車を思い出すものだった。

 一拍遅れてロイドが復活した。周囲の観光客までがこちらを向くような大声だったが。

「ああああ!?」

「うえ!? びっくりしたー……ロイド、さっきからどうした──」

「ヘンリー・マクダエル! このクロスベル市の市長さんの名前じゃないか!!」

 ロイドが、ティオが、ランディが、そしてカイトが。首から音が鳴るんじゃないかと思うほどに激しくエリィに顔を向ける。

 逆にエリィは困ったように笑った。

「今まで気づかれなかったのが不思議なくらいだと思うけど」

「いや、顔合わせで苗字を聞いたときに引っかかってたんだけど、いろいろあってすっかり流してたというか」

「あー……そういえばオレもだ。どこかで聞いたことがあった気がしたけど」

「ふふ、別に気にすることはないわ。祖父が何者であろうと、私には関係のないことだから」

 追い込みのような疲労具合だった。別に老紳士──マクダエル市長が悪い人物ではなかったので、どちらかといえばロイドが大声を挙げたことによるのが大きいが。

 改めて、今度こそ改めてカイトたちはアルカンシェルに入った。支配人に声をかけ、最初と同じように舞台会場へ。今度はイリアとリーシャの二人での練習をしており、それにまた見惚れもして、少しだけ体力を回復できたような気がした。

 報告はやはり、残念なものになってしまった。今日の捜査で判明したことはともかく、特務支援課が脅迫事件の捜査から外れてしまうこと。それはやはりロイドたちだけでなく依頼したイリアたちにとっても同じで、特にリーシャは目を見開き何度も確認していたくらいだ。

 捜査一課がアルカンシェルを警護することも含めて、ロイドが念のため公演の中止を提案してみたが、イリアもリーシャも劇団長も、誰も首を縦には降らなかった。表面上の差はあれ、公演に対する狂気とも言える熱意は全員が持ち合わせていたようだ。

 またエリィがマクダエル市長が来たことをそれとなく聞いてみたが、今回の公演が近々開催されるクロスベル創立記念祭で開演となる関係で赴いていたらしい。

 全ての話を終え、リーシャたちとも別れる。

 夕暮れに霞むアルカンシェルを、五人はぼんやりと見る。

 ロイドが「……今日はもう帰るか」と笑った。

 ティオが「なんだか気が抜けてしまいました」と魂が抜けるように呟く。

 「そうね……」とエリィが、「だな」とランディが言う。

「今日は外で食べようかな……」

 最近外食が増えつつあるカイトだった。

「おお、そうだカイト、今日は俺たちと一緒に食べないか?」

「お、いいですね、ランディさん」

「いい提案です。中央広場の《ヴァンセット》はどうでしょう?」

「はは、流石にティオも乗り気だな。……まあ、まずは一度課長に報告しよう」

 五人は、支援課へと歩を進める。

 まだ、長い一日は終わらない。

 

 

 






原作ですと、現在でも色々な背景が明らかとなっている黒月。
色々東に関わってきそうですよねぇ……
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