時刻は九時過ぎ。記念祭の喧騒も失せた夜である。場所は中央広場のカフェレストラン《ヴァンセット》。
「……」
「あの、アリス?」
「なんですか?」
「アリスさん、なんか怒ってます?」
目の前で珈琲をずずーっとすするアリスは、帝都と医科大学で出会った時よりも落ち着いて、そしてさらに静かなように見える。カイトも同じく紅茶を口に運ぶのだが、過去二回の邂逅と比べてカイトの方が緊張しきっている。
有り体に言えば、アリスはどことなく不機嫌に見えた。そのせいでカイトは少しだけ弱腰になって、敬語まで出てしまう。
アリスと再開したのは夕方になる前だった。その時から既にどことなく仏頂面だったが、それ以上に不機嫌になったのは恐らく遊撃士の依頼のせいでこの時間まで待たせてしまったためだろう。
「ごめん、アリス。こんな夜遅くまで待たせちゃって」
ひとまず、謝るしかないと思った。そうしないとダメな気がした。別にカイトに世間的な落ち度があったわけではないのだが。
「……別に、待たされたことは大して怒ってないわ。ごめんなさい、私も突然訪ねちゃって」
アリスはカイトを見た。ようやくまともな話ができそうだった。
「それで……三ヶ月ぶりくらいか。久しぶりだな」
「うん、久しぶり」
最後に会ったのは影の国に巻き込まれる少し前だ。実際はその後アルスも含めて話すようになり、文通するようになった。とはいえカイトも忙しく、アリスよりは送る頻度は少なかったのだが。
手紙では『記念祭に来れるかどうかわからない』とも言っていたので、カイトが驚いていたのはそのためでもある。
「そ、それで。さすがに今回はお父さんはこなかったのか」
「うん」
アスベル・A・アレスレード、アリスとアルスの父にして帝国西方イステットを治める伯爵家当主。典型的な貴族派主義の人間だ。
「えーっと、アルスとは面会したの?」
「……うん」
(あ、踏んだ)
理由はさっぱりわからないが、それだけは理解できた。理解しないほうがよかったのかもしれないが。
三十秒ほどの沈黙を経てアリスが口を開いた。
「……アルスから聞いた。カイトさんが帝国へ引っ越すって」
「あ、聞いたのか。そうなんだ、四月から帝国入りするんだけど」
カイトも直接話したわけではなくて、セシルを介して伝えただけだが。
「……どうして、教えてくれなかったのかって思って」
アリスはコーヒーカップを持つ手を動かさない。そのまま揺らぐ水面を見つめている。
カイトもカイトで戸惑いつつ、たどたどしい言葉を出すしかなかった。
「……本当、ごめん。帝国入りの話が出たのもアリスと病院で会った後だったし、そうと決めたのもついこの間なんだ。二人にちゃんと知らせる暇がなくて」
加えて記念祭のこの喧騒である。実際、決意してから帝国に拠点を移すための準備が始まった。遊撃士活動の手続きや旧市街アパートの退去手続きなど、とにかくやることが色々あってまともに市外に出る余裕もなかった。
カイトがこの時間になるまで依頼で拘束されたのも同じだ。
今度はアリスが少し消沈する。
「……その、ごめんなさい、きつく当たってしまって」
「いや、いいけどさ。そんな驚かれるとは思わなくて」
「私も色々あって、少しどうかしてたみたい」
はぁ、と目の前の少女が息を吐いた。カイトは自身の身長がそれほどないことを自覚しているが、アリスは今さらに小さく見える。
「アリスこそ、色々悩みがあるのか?」
そんな事を聞いてみたが、図星だったようで。
「……カイトさん、
実はすっかり忘れていたことだが、以前弟アルスが話題に出したことで思い出していた。アスベルと小さな争いをした時に結果としてカイトが拾うこととなったアスベルの私物だ。
「ああ、持ってるよ。今は部屋にあるけど……やっぱり返したほうが良かったんじゃないか?」
アリスがここまで気にしているからという理由でだ。カイトとしても帝国貴族の伯爵家の私物を、それが薄っぺら一枚の封筒とはいえ処分するのは気が引けた。
「あれ、なんなんだ?」
それが本題であることは間違いないだろう。カイトは聞いた。
それに対するアリスのこの返答は、カイトにとって予想外のものだった。
「……
「それは……」
聞いたことがあった。昨日の夕方、エステルやヨシュア、特務支援課といっしょにいた時だ。
白熱していたチェイスバトルが幕を閉じ、リベール三人組がロイドとランディを労った後。ヨシュアはロイドたちに訪ねた。黒の競売会を知っているか、と。
特務支援課もカイトも知らなかったそれは、ヨシュア曰く「クロスベルのどこかで記念祭中に開かれる、黒い盗品を扱うオークション」なのだという。
エステルとヨシュアが気にかけている時点で噂という可能性を排除したカイトだった。聞いた話ではやはり遊撃士が動ける領分ではなさそうだったが。どうしても自分では情報収集に限界がある、だから気にかけておこうと思ったばかりだったのだが、まさかその次の日にこうして縁ある少女から聞くとは思わなかった。
「人伝に聞いた。そういう裏の社交界みたいなものがあるって」
噂だろうが真実だろうが、何故その話をアリスが知っているのか。そういう目線を少女に投げかけた。アリスは続けた。
「実際に開かれているの。記念祭の最終日。私の父も時々参加してた」
「それって……」
「黒い封筒の中身、あれ、今年のオークションの招待状だったの」
なんてものを拾う事となったんだ。
「中身を確かめさせてもらってもいい?」
アリスの表情は真剣だった。断ることはできなかった。
少女を自室へ案内する。その道中、カイトは黒の競売会についてアリスが知り予想することを再度聞き直した。
アリスはその存在をアスベルを通して知っていた。次男に対して興味を持たない父親が記念祭の最終日だけはクロスベルに訪れる。そういったところから把握していたとのことだ。
黒の競売会。あくまで商会としてのルバーチェが主催となり、自治州政府議会長ハルトマンが自身の邸宅を会場として貸していることで開かれている。アスベルを始めとした各国の貴族や資産家などの有力者が出席する、裏の社交界としての場も併せ持つ。クロスベルの特性を考えれば西だけでなく東からもだ。
そして、オークションであれば当然出品物がある。これは裏のルート、つまり脱税に賄賂に横流しなど表には出せないミラ・ロンダリングで出回った美術品や絵画、宝飾品が多い。
「ハルトマン議長は一般的にも帝国派議員として知られているから、お父様との繋がりがあるのも不思議じゃない」
「ルバーチェが主催だっていうのは?」
「これから見せてもらう《招待状》に、それが書かれているの」
「盗品だっていう根拠は?」
「お父様が以前記念祭帰りに持ち帰ったものを見て」
「……なんか君の父さん、隠さないんだな」
「そういう人だから」
カイトは呆れた。クロスベルにおけるルバーチェ商会の歴史は古い。また交易都市のマフィアとして物流を把握を強みにしているのだから、確証はないが盗品オークションというのは妥当だ。それとハルトマン議長の存在も相まって、アスベルを始めとした各国有力者が参加するのも頷ける。
全ては予想に過ぎないが、この程度の予想ならばあっても不思議でないのがクロスベルの魔都たる所以。カイトもほんの少しながらマフィアの所業は知っている。十分に有り得ると思った。
ちなみにアスベル自身はそこまで競売会を重要視していないらしく、あの時カイトが食ってかかったことにイラついて招待状のことなどどうでもよくなったのではないか、と娘は語る。実際封筒の話題はおろかクロスベルに行くかどうかも話題にしていないらしい。アリスの今日のクロスベル訪問についても同様で、つくづく無関心なものだ。
「ついたよ」
「ここがカイトさんの?」
「ガキんちょ遊撃士の住処だから、そりゃちっちゃいところだけどさ」
カイトとアリスはアパルトメントにたどり着いた。部屋へ入るなりカイトは取っておいた黒い封筒を取り出した。
「確認してみてくれ」
「うん」
アリスは受け取り、それを出す。中には薄い鉄製のケース。それを開けると、中には金の薔薇が刺繍されたカードが。高級感のあるあつらえ、刺繍は本物の金箔でできている。
『
表面にはそう書かれていた。
「……やっぱり、本物だわ。去年みたものと、刺繍の柄以外は変わらない」
アリスは緊張した面持ちでそれを見ていた。カイトとしても、偶然の結果とはいえ自分の手元にやってきたことに感慨を覚える。
カイトは気になっていたことを聞いてみる。
「アリスは前からオークションのことは知ってたんだろう? それが突然訪ねて、どうしたんだ?」
可能性としてはカイトが暴走しないようにだとかアスベルの参加が露呈しないようにだとか色々と考えられたが、アリスの答えはそのどれとも違っていた。
「……私、このオークションに参加してみたいの」
「えっ」
愕然とした。夜であることも忘れて、思わず大声を出してしまう。
「何を考えてるんだ!? そんな無茶な……」
マフィアが取り仕切る裏の社交界。相当に危険な場所だ。十六歳やそこらの少女が一人で言って、何が起こるかもわからない。
そもそも遊撃士や警察でもないのに、はるばるまたクロスベルに一人できて、独力でカイトを訪ね、クロスベルの闇に入り込もうとしている理由はなんだ。
ウルスラ病院の時と同じように、カイトはアリスの返答を待った。
「確かめたいんです……父が見てきたものを。クロスベルにまで蔓延る、貴族というものを」
「……それは」
「私もアルスも、まともに跡を継げないからっていう理由で父から疎ましく思われてる。そう思われる理由には、父が貴族派主義であることと無関係じゃないはず」
帝国には貴族制度が残っている。その中で伝統的な保守勢力として自らの権益しか顧みない貴族というのは確かに存在していた。カイトが覚えているのはヴィクター・S・アルゼイドとルーファス・アルバレアの二人だが、方々の知人からの知識で彼らのような人間だけではないことを理解している。
アリスは言っていた。自分が何をしたいのか、何をすべきなのかがわからないと。家族からの愛情を得られない状況で、弟や自分のために、何ができるのかわからない。
カイトはようやく理解した。少女にとってこれは、自分に連なる父を理解するための行動なのだ。
「私はこれでも父の娘。だから名代として出場できると思うの。正当な立場で」
「それは確かにそうだろうけど……」
正当な立場で臨むなら、確かに危険は少ないとは言える。その代わり、少年と同じ側に居るであろう少女の目の前で、とても許すことのできない光景が広がることにはなるが。
「それに……私にこう思うきっかけをくれたのは、カイトさんだもの」
「え?」
「何をしたいのか、何をすべきなのか、それが判るまで私とアルスの気持ちを支えるって言ってくれたこと……今でも覚えてる」
一語一句ではないが、そのことはカイトも覚えている。カイトが自分の目標を掲げて走り出して、クロスベルの現実を前に途方にくれて、それでも今目の前で困っていた少女のために、少しでも力になりたいと思ってひねり出した言葉。
それを覚えていたのか。
アリスはその上で、行動をしようとしたのか。たった一人で。
焚きつけた言葉。それを放ったのが、目の前の少女を前向きにしたのが自分なのだと理解できて、カイトは少し嬉しく思う。
沈黙の後、アリスが不安になりそうに瞳を揺らした頃に、ようやくカイトは口を開いた。
「ったく、そんな風に言われちゃ、止められないじゃないか」
「え?」
「遊撃士は政治には介入しない。だから立場のある一個人がオークションに出ることを止められもしない。もともと招待状はアリスの家の私物だ。オレのものじゃないよ」
「……じゃあ」
「ただし、条件がある。それって、招待状一枚につき一人しか入場できないのか?」
「えっと……よほどの大人数じゃない限り問題はないみたいだけど。……もしかして、カイトさん?」
アリスは眼を大きく開いた。その先にいる少年は、面白いものを見つけたような子供の笑みを浮かべている。
「オレも一緒に行くよ。貴族だけが参加資格じゃないみたいだし、招待状さえあれば大丈夫だろう?」
「ほ、本当ですか!?」
「万が一何かあった時のために、オレがいても損はないと思う。オレ自身、クロスベルの闇の深淵には興味があるんだ」
遊撃士として何かをできるとは思わない。人に危害が及ぶ現場ではないからだ。それでも、確かめずにはいられない。この都市の闇を払おうとした人間として。
「オレにオークションのことを教えてくれた知り合いがいる。その人たちにも相談するけど……」
エステルとヨシュアのことだ。二人も黒の競売会を調べている以上、彼らにも事情は説明する必要はある。多少詰問はされるだろうけれど、けれどあの二人はきっと許してくれる。ヨシュアは真意を問いつつカイトとアリスの目的のために諭し、エステルは変わらない笑みと言葉でカイトとアリスを励ましてくれる。
ちなみにミシェルには、今回は悪いが黙っていよう。さすがに何を言われるかわからない。アリオスも同様だが、彼については最終日にレミフェリア公国への出張が決まっていて助かった。
「二人をなんとか説得して、助言をもらって、その上で行こう。黒の競売会へ」
その全てを聞き届けて、アリスは少し瞳を潤わせた。
「ありがとう……っ!」
「ああっ。また少しの間、よろしくな!」
帝都での探し物の捜索に続く、二回目の彼女の始まりだった。
「さて、と。それじゃあ今日のところは……あ」
「カイトさん?」
「アリス、今日はどこに泊まるんだ?」
「えっと、ウルスラ病院で家族用の宿泊室を──あ」
アリスも気づいたようだった。言ったようにウルスラ病院で宿泊する予定だったが、アルスが長年入院しているのもあって病院側もアリスに対するそのあたりの手配は抜かりないらしい。
だが、現在時刻は十時を過ぎていた。ウルスラ病院行きのバスはもう明日までこない。緊急搬送はともかく、見舞い相手にそこまでの手配はできないだろう。さすがにカイトはアリスをこの時間まで待たせてしまったことに罪悪感を覚えた。
不安げなアリスを見るに、金銭的な問題もありそうだ。
数秒思案したカイトは両手を合わせた。
「よし、アリス」
「は、はい!」
「これは覚悟を決めるしかない」
「え、え、ええ……」
カイトの突然の、それも迷いのない言葉にアリスは驚いた。僅かに顔が熱くなる。
というのもアリスからしてみれば、カイトがこの場で思いつくアリスの宿泊地確保というのは限られていた。遊撃士協会を確保するか、あるいはカイトがこの部屋に泊めるという選択肢もあった。
だがカイトが幼少期から孤児として同世代の少年少女との雑魚寝が当たり前だったのでその選択肢が軽いのに比べ、アリスは違った。
アリスは恥ずかしがっていた。せめて協会支部に泊める方を選択してくれと思った。
「一緒に寝るしかないけど」
ダメだった。アリスは恥ずかしさが頂点を突き抜け、そしてカイトの言葉に二の句が継げなくなる。
「アリス、ついてきて」
「え、ええ……」
そして、カイトはアリスを連れて部屋を出た。混乱しながらついて行くアリス。カイトはアパルトメント内の
階段を上がり、別の部屋の扉を叩いた。
「リーシャ、こんばんは」
「あら、カイトさん。こんばんは」
「夜遅くにごめん、実は──」
中からはリーシャ・マオが出てきた。時間帯もあってラフな格好だ。脅迫事件の縁もあってカイトとはすっかり顔見知りになっていた。
アリスが訳が分からず混乱していると、カイトはあれよあれよと話をしていく。
「──というわけで、この子を一晩だけ泊めてやってくれないかな?」
「なるほど、わかりました。カイトさんの頼みですから、一泊くらいならいいですよ」
「助かるよ、公演も忙しいのに。今度、絶対観に行くから」
「はい、楽しみにしてます」
リーシャは笑顔で答えた。カイトはわけがわからないままのアリスの後ろから回って、彼女の背を押す。
「それじゃ、アリス。彼女はリーシャ、ご覧の通りご近所さん」
「え? え、え?」
「オレ明日も忙しいけど、遊撃士協会に来てくれれば時間は作れるからさ。あ、病院には連絡しておくから。それじゃあ、また明日!」
「ええ……?」
そう言ってカイトは足早に自分の部屋へ戻っていった。少年は明日の朝も早かった。
理解の追いつかないアリスはカイトを見つめることしかできなかった。
泊まる? カイトの部屋ではなかった? 知り合い? ウルスラ病院は……?
「アリスちゃん」
「ひゃっ! は、はい!?」
後ろから声をかけられて飛び上がった。ようやく現実に戻ってきた。
「改めて、カイトさんの知り合いのリーシャ・マオっていうの。初めまして」
リーシャはにっこりと笑っていた。
「え、えと……初めまして──って、リーシャ・マオ!? あの《月の姫》の!?」
「あはは。まだまだ駆け出しだけど」
数秒遅れてアリスは混乱状態から回復した。ついでに今夜泊まる場所がどこかも理解する。
「す、すみません、突然……ご迷惑をかけてしまって」
「ううん。カイトさんにはお世話になっているから。近い年の子とお話できるのも嬉しいし、このくらいは迷惑なんて思わないで」
目線は同じ高さだった。髪の色の近さもあって、お互いに親近感を覚える。
「今日はよろしくお願いします」
「うん、よろしくね」
そうしてリーシャはアリスを自室へ招待した。ようやく落ち着ける場所について、アリスはほっと息を吐くとともに、思考が回りだす。
「あの、リーシャ、さん」
「なに?」
「カイトさんとは、前からお知り合いだったんですか?」
リーシャは脅迫事件のことについて説明した。
「イリアさんとも。警察の人と一緒に、とても良くしてもらったの」
笑顔で言うリーシャを見届けて、アリスはポツリと。
「……カイトさんって」
「え?」
「色々な方とお知り合いなんですね」
その言葉がどうして、どんな意図で出たのかは、その場の誰にもわからなかった。
黒の競売会。魑魅魍魎の裏社会へ。
ところで、最近はじめてイースに手を出しまして、イース8・9をクリアしました。
アクションは得意ではないのでゴリ押しプレイでしたが、面白かったです。
ダーナ……