七耀歴千二百四年三月三十一日。カイトは近郊都市トリスタに到着した。
「ここが近郊都市トリスタ……! って、来たことあるんだけどね」
トリスタ駅前。前方近くに人が誰もいないのをいいことに、カイトはそう感動して、そして自分に突っ込んだ。トリスタ来訪は三度目だった。
それでも、この春の時期にトリスタ駅を降り立ったのは初めてで、それはまた別の趣がある。前日ミュラーから聞いた、白色の花が舞い散っている。
「ライノの花、って言ってたな。綺麗だなぁ」
孤児院の周りに咲く花を思い出した。マノリア村にも、種類は違うが白い花が咲いていた。
目一杯に肺を膨らませる。甘い匂いがする。快晴、爽やかな陽射しだ。
「……うん、行こう」
カイトは歩き出した。
近郊都市トリスタは帝都ヘイムダルの東に存在する皇帝直轄領だ。皇族に縁のあるトールズ士官学院もあり、翡翠の公都バリアハートで感じたような帝国ならではの貴族街の空気とも、帝都の雑踏ともまた違った。
トリスタの町並みも学生都市に近い様相を呈しているようで、中央広場の公園を中心に喫茶店や書店、ブティックを始め多種多様な店が軒を連ねている。
そしてやはり学生が多い。同級生か、それとも上級生かはわからないが。ただ、不思議なのは学生服の色だった。
(なんか……色が違わないか)
カイトが思考に耽るほどに、緑と白の制服が多いのである。デザインは自分の着ているそれと変わらないので、同じトールズの学生で間違いないだろうが。
カイトはブティックの前に立ち、マネキンの服を見るように、ガラスの向こうに映る自分を見た。カイトは今、紅い制服を着ている。ブレザータイプで、正面は白色。肩口には士官学院の紋章である《有角の獅子》が描かれている。
中の白シャツには、襟の縁に水色のラインが。ネクタイは同じく水色。入学案内書にはある程度は柄を変えてもいいという校則も書かれていた。士官学院としては意外にもと言うべきか、オリビエの関与を考えるとおかしくないと思うべきか。
ミュラーから渡された中にはベストタイプの制服もあった。どちらを着用してもいいらしい。色々工夫する生徒もいるだろうが、カイトはひとまずどうこうしようとは考えなかった。別に校則を気にしているのではなく、単にカイトの服の趣味が学院の平均的なそれを好んでいただけだったが。
それはともかくとして、やはり制服の色の違いは気になる。というより、カイトのような紅色の制服を着ている生徒が少ない。列車内で一人見かけた程度だ。
記憶を掘り起こしてみる。オリビエとの会話だ。
『貴族生徒と平民生徒が制服の色で分けられていて、様々な分野で火花を散らしている』
思い出した。雰囲気を見るに、貴族生徒が白で平民生徒が緑か。割合を見てもあっていそうだ。そして未だほとんど会わない同じ制服の色の生徒がⅦ組なのだろう。恐ろしく目立つ。オリビエの発案だとは言え、学院全体の肝入りであるというのは本当のようだ。
実際、学院に近づくにつれて注目されているのを感じるようになる。
(初日から波乱含みだな)
その感想は、さらに実感を持つものになる。
学院へたどり着いた。以前カイトがトリスタに来た時に感じたものより、その学び舎は大きなものだった。
「ここが……ここがトールズ士官学院か!」
正門前に立つ。緑も白も紅も関係なく、学生たちの多くはこの場に少しの間立ち尽くしてしまう。カイトも例にはもれなかった。
帝国に存在する高等学校の中でも、名門と称されるのがトールズ士官学院だ。その設備も充実したものだとは思っていたが、カイトの想像を超えていた。
正面には本校舎。左手には講堂と、その奥にグラウンド。右手には図書館だろうか、他にもいくつか建物が見える。
カイトが知る国立高等学校といえば、リベールのジェニス王立学園がそうだ。クローゼが在籍していたこともあり、カイトにとっても馴染みが深かった。だがリベール王国とエレボニア帝国の国力の違いが現れているのだろうか、よく知っている王立学園よりもこの学院は大きく、勇ましく感じる。
そんなしばらくの拠点に圧倒されていると、正面から二人。明らかにカイトにアタリをつけた二人の人物がやってきた。
「ご入学、おめでとーございます!!」
言葉を発したのは少女だった。緑の制服で、カイトよりも少し年下に見えるような、茶髪の愛くるしい少女。一瞬本当に生徒なのかと疑ったが、悲しいかなカイトも同様の疑問を持たれやすい性なのですぐに理解した。
もう一人は少女の後ろにいる。彼は一目見て年上だとわかった。技術屋のような黄色のツナギを着ている恰幅のいい青年だ。
「お祝いの言葉、ありがとうございます。もしかして先輩方ですか?」
「うん。少し、君に用事があるんだ。お名前を聞いてもいいかな?」
この学院は二回生までなので、在学中の先輩といえば必然的に二回生になる。
少女に促されカイトは名前を明かした。
「カイト・レグメント君。うんっ、間違いないね。それにしても……」
「どうしたんだい、トワ?」
ツナギの青年が言った。想像通りの穏やかな声だ。少女の名はトワと言うらしい。
「カイト君って呼んでいいかな? どこか見覚えがある気がするんだけど……」
「うーん……そうですか?」
別に目の前の少女から誘われてるわけでもないだろうし、カイトは純粋に記憶を掘り起こそうとする。だが、思い出せなかった。
「すみません、オレもちょっとわからないですね」
「ううん、ごめんね、急に」
「それにしても、名前を知っているのはそのせい、じゃないですよね」
「うん、少し事情があってね。後々わかるから、今は気にしないで」
ツナギの青年が答えた。
「それと、申請した武具を預からせてもらうよ。いいかな?」
「はい」
これは事前に知っていた。入学案内にも書かれていたことだ。士官学院だけあって武術教練もあるわけだが、事前に使用武器を申請することができる。カイトの場合はミュラーにより『二丁拳銃』として登録されていたが、それを入学式前に一度預ける旨が記載されていた。
カイトは二丁拳銃と、魔導銃、弾薬が入ったケースを青年に渡した。遊撃士となってからはほとんど常に共にしていた存在だから、少し違和感を感じる。
「確かに。ちゃんと返されるはずだから、心配しないでくれ」
「ちょっと含みのある言い方ですね……それと、他の生徒たちは普通に入学式会場に入っているのが気になりますけど」
彼らは武具やそれらしきものの入ったケースなどは持っていない。学生鞄だけだ。そうえば、と思う。目撃した深紅の制服の少年少女で、列車内で見かけた薄紫の髪の少女は杖のようなものを、七耀教会で祈りを捧げていた褐色の青年はそれ以上の長物の包みを持っていた。
他の生徒たちは事情を予想できるかどうかもわからないので、自分以上に怪訝な表情を浮かべているかもしれない。
「……わかりました。そうそう、オレのほうからも」
「なんだい?」
「お二人のお名前を、聞かせてもらえませんか? まだ、トワ先輩しかわかりませんし」
「ああ」
「ふふ、そうだね」
二人して笑った。他の学生には、まだ聞かれていなかったのだろうか。
「僕はジョルジュ・ノーム。技術部の部長を勤めている。そちら方面で用があれば、是非訪ねてくれ。
「私は、トワ・ハーシェル。今期生徒会の会長です。困ったことがあれば、いつでも相談してきてね!」
二人の先輩──トワとジョルジュは、頼もしげに胸と腹を叩くのだった。
────
カイトはトワとジョルジュに講堂の場所を案内された。カイトはどちらかといえば遅れて来た部類らしく、講堂に入ると既にそれなりの学生がそろっていた。指定された席に座り、ほどなくして来賓客も訪れる。カイトは名前も知らなかったが、帝国正規軍の将校や各界の重鎮もいるらしい。そちらの雰囲気は厳かとなる。
対照的なのは教官陣の方で、いかにも軍人然とした青年に眼鏡の知識人、不真面目そうな白衣の人間など、その方向性にはばらつきがあることを否めない。それでも曲者ぞろいだというのはカイトにも理解できた。
それとなく辺りを見回す。自分たちと同じ入学生は、緑の制服の生徒が最も多く、次いで白の制服、赤の制服はざっと見て二桁いるかどうか、といったところだった。
やがて入学式が始まる。いかにも小言を言いそうな細身の男性、ちょび髭が印象的なハインリッヒ教頭の司会のもとに進む。
祝辞、答辞など、数々の立場の者がそれを壇上で答える。カイトとしても、日曜学校を出た後はすぐ遊撃士になるために修行を行い、そこから軍事クーデターに巻き込まれた。こんな格式ある式に、しかも招かれる側とはいえ正式な参加者の立場でいることは初めてだった。
「──最後に、君たちにひとつの言葉を送らせてもらおう」
その白髪の老人は最後の登壇者で、その言葉は長い挨拶の最後のものだったが、一際強い張りをもって発せられた。
老人としては余りにも筋骨隆々で、生命力の衰えなど微塵も感じさせない背筋の張りと、それによってなされる百九十リジュにも届く高身長。スーツの上に飾られたいくつかの
さすがのカイトも彼が学院長にして、エレボニア帝国軍の名誉元帥であるヴァンダイクである、ということは知っていた。無論、驚きも禁じえない。この士官学院はどこまで規格外なのだろうか、と。
ヴァンダイク学院長の話は続いている。
「本学院が設立されたのはおよそ二百二十年前のことである。創設者はかの、ドライケルス大帝。獅子戦役を終結させたエレボニア帝国中興の祖である」
(獅子戦役……帝国の中世で起こった内乱か。帝国史と王国史は別物だし、勉強も大変そうだなぁ)
さすがに帝国の歴史など知らないし、なんなら風土も文化も無知のまま。これは少し考えなければ。カイトは唸る。
だが、カイトの悩みはヴァンダイク学院長の言葉によって、少なくともこの場では吹き飛んだ。
「即位から三十年あまり。晩年の大帝は、帝都からほど近いこの地に兵学や砲術を教える士官学校を開いた」
帝国中興の祖ドライケルス・ライゼ・アルノール。その血はカイトとも関わる、オリヴァルト・ライゼ・アルノールにも受け継がれている。
「近年、軍の機甲化とともに本学院の役割も大きく変わってきている、正規軍への道、領邦軍への道。またそれ以外の道に進む生徒も多くなった。それでも大帝が残した『ある言葉』は、今でも学院の理念として息づいておる」
ヴァンダイクは両手を壇上の机に置いた。それは勇壮な所作であり同時に入学式の空気を壊さない繊細なものだった。少し目線の下がった名誉元帥は、しかし好々爺としての目尻を僅かに和らげて、満を辞して言うのだ。
「──『若者よ。世の礎たれ』と」
風が吹いたように錯覚したのはカイトだけではないだろう。ヴァンダイクの言葉は確かに入学生のみならず、教官陣や来賓客も、その言葉の意味の深いところを考えてしまう。
「《世》という言葉を
ヴァンダイクは柔らかい笑みを浮かべ、そして厳かに壇上を後にした。
先の言葉は印象的だった。周囲から、生徒同士の会話が聞こえてしまうほどには。
(そっか……これだったんですね、オリビエさん)
そんな中、カイトは一人納得する。リベールの異変の最中、オリビエがミュラーを説得するために口にした言葉が、まさにそれだったのだ。
『若者よ、世の礎たれ』
『《世》という言葉をどう捉えるのか。何を持って《礎》たる資格を持つのか』
『エステル君を助けること。そのために仲間たちと共に戦うこと。それはすなわち、《世の礎》たることに繋がる……そう、僕は信じている』
あの時から、いやそのずっと前から、オリビエにはこの学院の理念が生きていたのか。そういえば、時々世間話で聞かされた『昔学院で高等教育や兵法の勉強をしていた』などはまさにこのトールズのことを指していたのか。
高揚が収まらない。深紅の制服を見た時から、トリスタへ到着し、士官学院の全貌を見て、そしてこうして学院長の挨拶を聞いたとしても。
クロスベルの時もそうだった。自分を変える何かがあると思った。確信ではなく予感めいたものだが、ここにも同じものを感じる。
やがてハインリッヒ教頭が第百十五回目の入学式の終了を告げた。そして「以降は入学案内書に従い、指定されたクラスへ移動すること」と伝える。学院におけるカリキュラムや規則の説明はその場で行うのだと。
入学生たちが一様に講堂の出口を目指す。緑と白の制服の彼らに続こうとして、ふと立ち止まった。
「指定されたクラスって……送られてきた入学案内書にそんなの書いてあったっけ?」
前方から声がしたのは、カイトが立ち止まったのと同時だった。やはり赤の制服のため目立つ。橙色の髪の、どこかで聞いたような高い声の男子。
「なかったはずだ。てっきりこの場で発表されると思ったんだが」
それに返したのは黒髪の男子だった。方向性は違うが穏やかそうな二人組。
彼らの言葉とカイトの胸中は同じだった。入学案内書には、Ⅶ組なんて単語は欠片も記されていなかった。自分はともかく、他の面々は困惑するしかないだろう。なにせ現時点でクラス分けなど知らないから。
さらに、場を困惑させるように手を叩く音が聞こえる。
「はいはーい、赤い制服の子たちは注目ー!」
全員が振り返った。もはや緑と白の生徒はいない。
「どうやらクラスがわからなくて困ってるみたいね。それもそのはず……君たちには、これからそれが発表されるの。全員私について来てちょうだいね」
語尾に音符でもつきそうな、楽しげな表情のワインレッドの髪の女性。遊撃士が好むような動きやすい服装をしている。彼女は教官陣の中の一人だ。
急にそんなことを言われたものだから、全員が驚いている。とはいえそれっきり、教官らしき女性はなにも言わず講堂を立ち去ろうとするものだから、戸惑う少年少女を問わず、ついて行くしか選択肢はない。
「ふむ、とにかく行ってみるか」
そう言って、いの一番に歩を進めたのは長い青髪を後ろで束ねた女子だった。
(って、彼女はアルゼイド子爵の……)
見覚えがあった。数日だが世話になった湖畔の町レグラムの令嬢。再会の嬉しさや驚きよりも、迷うことなく歩き出す態度に感心してしまった。剣の道を志す勇ましさか、その集中力のせいかカイトのことも気づいていないようだ。
それに続き、戸惑うだけの駅で見た眼鏡の女子も、憮然とした様子の金髪の男子も、他の生徒たちも歩き出す。
赤い制服の生徒は、カイトを入れて十名。
最後尾のカイトは、これからクラスメイトとなるであろう彼らに注目せずにはいられなかった。
赤い制服の生徒たちは、女性教官に連れられて進む。講堂まで進んだ道程を逆行し、喧騒が起きつつある本校舎を横目に、図書館を通り過ぎ、学院敷地のさらに奥へ。
緑が生い茂る密度が増す。けれど人工的な道は続いていた。やがてそれすら消えると、見えてきたのは古めかしい建物。カイトは例によってジェニス王立学園の旧校舎を思い浮かべたが、その認識が間違っていなかったことを後に知る事になる。
やはり楽しげな、若干見た目にそぐわない子供じみた挙動をする女性教官はその建物──旧校舎の鍵を開けた。もともと持っていたので、気まぐれでやってきたわけでないのは確かだ。進むにつれて疑問ばかりが募る生徒たち。
旧校舎の中はやや暗いものだった。天窓から射す光も林の中では心もとない。隣に立つ人の人相を確かめるには問題ないが、もう少し導力灯なり
扉の奥には先の行動と同じような広い部屋があった。カイトは旧校舎内部の地面、特に自分たちがいる足元に違和感を覚える。
「……ん?」
だがそれが何かを理解する前に、生徒たちの見上げる先、壇上に立った女性教官はおもむろに口を開いた。
「トールズ士官学院、《特科クラスⅦ組》へようこそ、ボーイズ&ガールズ。君たちの担任を務めることとなった、武術教練教官サラ・バレスタインよ。よろしくお願いするわね」
カイトの旅路はリベールから始まったワケですが、ここまで来るといよいよ大河ドラマめいてきましたねぇ……
次回、47話「《Ⅶ》の創まり」