中間試験の対策に追われる日々は続く。ユーシスの強制的な勉強会の後も、カイトは精神を日々すり減らしていった。
この間ばかりは、カイトも過去の遊撃士の日々なんて忘れてひたすら試験勉強に勤しむ。相も変わらずエマに教わったり、ユーシスに教えを乞うたり、あるいはリィンやエリオットと問題を出し合ったり。フィーと勉強の苦しさを慰め合ったりもした。
カイトは気分転換も兼ねて、時々勉強の場所を変えている。教室から《キルシェ》、本校舎、第三学生寮ラウンジ……と節操がない。というより、気分を変えないと精神的に追い込まれるという無意識の逃避でもあった。
そんなカイトの感情を映すかのように、長雨は止むこともなく続いていた。六月十五日。中間試験を前日に控えた今日も、カイトは勉強場所を探している。
「リィンも場所をコロコロ変えてるんだ。オレが言うのもなんだけど、集中できるの?」
「いや、持ってる教科書は一通りまとめたからな。図書館とか廊下の新聞とか……情報がないかとあがいているところさ」
カイトはリィンと共に学院内を歩いている。リィンと問題を出し合い、たまに他のⅦ組メンバーや同級生と話しては、先輩から流れたテスト情報などはないかと伺う。学生には涙ぐましい努力のためである。
なんとなく二人で歩くことにしたカイトとリィンだが、最後はどこかで落ち着けて二人で問題に取り掛かろう、というのは決めていた。
カイトとしてはすでにユーシスと同じことをしているので《キルシェ》に寄るのは却下した。結果学生会館で夕食を取りつつ最後の追い込みに励もう、ということを決める。そのためにカイトとリィンは学生会館の扉を開けるのだが……。
「参ったな。さすがにここまで人がごった返しているとは思わなかった」
「先輩たちも、さすがに余裕がなくなってるな。高等学校の試験勉強は伊達じゃないってか」
学生会館一階、食堂。もう座る席を見つけるくらい難しい。今はまだ五時だが、勉強の合間の軽食だったり、あるいは早めの夕食だったりが頼まれていて、食堂スタッフも大忙しだ。この分ではカイトもリィンも集中して勉強が出来そうな調子ではない。
「お? リィン後輩とカイト後輩じゃねぇか」
そんな中、狭い一階の丸テーブルの合間を縫ってクロウがやってきた。いつもどおりの白いバンダナを巻いている。
クロウも二人がここに来た理由はわかっているのだろう。やれやれと慰めるような口調だった。
「さすがにもう
「そうですね。俺も油断していました」
「ところで先輩はどうしたんですか、そんな段ボールを抱えて。夜逃げですか?」
「おい、物騒な単語を出すんじゃねえよカイト後輩」
クロウはそれなりの大きさの段ボールを胸の前で抱えていた。歩くたびにガチャガチャと中の何かが揺れている。
律儀にリィンが傘を取り出した。
「先輩、送りますよ。その状態じゃ濡れますから」
「お、助かるぜリィン後輩。勉強道具が濡れたら困るからなあ」
「え、それ勉強道具なんです?」
「おうよ、俺にゼリカにトワ……三人分の物資だ。これでも俺は働き者なんだぜ?」
と、そこまで言って、クロウはカイトとリィンを見比べる。
「なるほど、お前らはトワの小間使いに保健室だし、確かに今の時期に勉強できる部室がないってのは辛いわけだ」
『はい』
声を揃えて同意した。どこまでもクロウの言うとおりである。カイトの頼りの保健室も、さすがにこの時期に入る必要はないとして学生が詰めるのは禁止となっていたのだ。
クロウは器用に一瞬だけ段ボールを自分があげた片膝に乗せて、そして空いた片方の親指でその場所を指す。
「よっしゃ、後輩どもに特別に教えてやろうじゃねぇか。俺たちの溜まり場をな」
疑問符とともに、一年二人はクロウについていく。その先は技術棟だった。
カイトとリィンはともにARCUSを使うⅦ組のメンバーだ。定期的にARCUSを調整するために技術棟は訪れている。そして、そこを実質的に管理している二年の先輩も面識は当然ある。
「お疲れ、クロウ。それにリィン君とカイト君じゃないか、お疲れだね」
技術棟の中には、変わらず黄色いツナギを来た青年がいた。ただし普段のように導力器相手に工具を手にしているわけではなく、机に座り教科書相手にペンを握っている。
彼は技術棟にはいった三人を目にすると、軽い様子で手を振った。
ジョルジュ・ノーム。技術部部長で導力技術に精通しており、ルーレにある工科大学からもスカウトが来るほど。その道においては学生としては規格外とも言え、普段から世話になっているわけだ。
「どうしたんだい、二人共?」
「こいつらクラブに所属してないだろ? 場所もないし、俺が融通利かしてやろうと思ってな」
「ああ、そういうことか。歓迎するよ、二人共」
つまり、クロウはカイトとリィンを誘ってくれたわけだ。中間試験前日、最後の追い込みのために。
「ありがとうございます、先輩方」
「オレたちだけじゃ限界だったんですよ。先輩にも教えてもらえるのは助かります」
「おうおう、頼れ頼れ。そのうちトワにゼリカ、ウチの誇る秀才どもが来るからな」
「僕も導力学なら教えられるよ、遠慮はしなくていい」
四人はそれぞれテーブルに座り込み、いつものように教科書を広げる。技術棟はそれなりに広い。四人でも、この後二人増えるらしいが六人でも問題はなさそうだ。
試験前日、この静かな環境で集中できるのはありがたい。カイトとリィンはお互いに質問しあい、最後の追い込みを続けていく。
豪語した通り、ジョルジュは特に導力学に精通していた。なんなら担当教官のマカロフよりも懇切丁寧に教えてくれるぐらいだった。
クロウはほとんどの授業に関しては「忘れたわ」の一点張りだが、意外にも実践授業にはカイト以上に見識があった。さすがにトールズに二年に在学しているだけはある。
そのクロウが、ある時ふとリィンとカイトに話を振った。
「ところでよ、お前ら先月の実習じゃ大変だったみたいだなァ」
クロウはニヤニヤと二人を見る。先月のことを思い出し、リィンとカイトはそろってため息をついた。
「大変でしたよ、本当。ユーシスとマキアスなんて、殴り合い寸前まで行きましたし」
普段は物腰柔らかいリィンだが、気を許す二人の先輩の前だからだろう。年頃の少年が感情を見せるように、鬱屈とした表情を取る。
カイトはⅦ組の報告として聞いていた。リィンたちもバリアハートの実習で戦術リンクを試したのだが、案の定失敗。そこからユーシスとマキアスが突っかかり、おかげで瀕死の魔獣の攻撃を受けてリィンが負傷する羽目になったのだ。そこから二人の仲が改善したことを考えれば、リィンとしては怪我をした甲斐があったとも言っていたが。
加えてユーシスとマキアスの関係性に改善の兆しが見えた時、マキアスが領邦軍に囚われるアクシデントが生じた。リィンたちはユーシスも交えてなんとか領邦軍からマキアスを救出し逃げおおせた。そこに以前ユーシスと話したルーファスが関わっていたりもする。
A班は貴族派の汚職を見たといってもいい。
カイトもぼやいた。
「ラウラとフィーはギクシャクしてたし、こっちは導力停止現象まで起こされて苦労したんですから」
カイトたちB班も貴族派の中の侯爵家を貶めようとする陰謀の一端を見た。
Ⅶ組内の関係性は改善したが、帝国内に蔓延る火種は燻ったままだ。カイトもリィンも嘆息するしかない。
クロウはカイトを見る。
「ま、バリアハートは典型的な貴族様の陰謀だけどよ。セントアークの方はどうなんだよ? カイト後輩」
「うーん……」
走らせているペンを止め、カイトは天を仰いだ。
その様子にはリィンも、ジョルジュも注目する。クラスメイトとして、導力器に興味を持つ技術者として。
「……鍵は仮面野郎でしょう」
リィンがカイトに尋ねた。
「地下水路で出会ったって男か? カイトが二年前にも会ったっていう」
「ああ」
《C》のことだ。当然Ⅶ組メンバーには話している。
先輩二人も興味深げに聞き入る中、カイトは未だ自分の中で腑に落ちていないことを話す。
「あの野郎……オレと同じように成長してやがった」
別に自分の成長が特別だと驕る気はない。二年もたって、それぞれ修羅場を潜っていれば戦闘力も判断力も上がるのは必然だ。
けれど《C》が放ったあの一閃には、『苛烈な意志』だけでは説明しきれない何かがあったような気がする。
カイトはリィンに話す。
「《リベールの異変》の時、絶対的な剣の強さを持つ敵がいたんだ。その人はサラ教官でも一人じゃ手も足も出ないような強さで……今のⅦ組が束になったって敵わない人だ」
「そんな人が……」
「オレと仲間たちは、その人をなんとか乗り越えた。単純な強さだけじゃない、オレの親友がその人を説得できるだけの可能性を示したから、その人は改めてオレたちに協力してくれた。死をものともしないで、次代に繋げようとする銀色の意志だった」
それは、過酷な闇を体験した人間が光を見出した故の強さ。ヨシュアやレーヴェにケビン──エステルたちとはどこか違う。彼女のような朝焼けに昇る太陽ではなく『闇夜を切り裂く閃光』のような強さだ。
とても抽象的な、具体性に欠けた印象だ。だけど。
「あの仮面野郎にも、そんな強さが見えた……気がする」
そうとしか言いようがなかった。感じたカイト自身、信じたくないことではあるのだ。
どうしてあの仮面男に、そんなものを感じてしまったのか。
クロウが言った。
「なんだそりゃ。街を混乱に陥れるような犯罪者なのにか?」
「仕方ないでしょ。感じたもんは感じたんですから」
なんだったんだろう。本当に。
ふと数秒たって、レスポンスがないことを訝しむ。見ればリィンもクロウもそれぞれ腕を組んで瞑目している。
「え、え? ちょっと、二人共どうしたの?」
リィンは苦笑した。
「ああ……《C》もそうだけど、カイトにそこまで言わせる剣士のことがさ」
「そっか、さすがに気になるか」
話せば長くなる。カイトはまた話すとリィンに告げる。
「それで、クロウ先輩は……」
「あ、わりぃ。この問題解いてたわ」
完全に試験勉強に向き合っていたようだ。
「むっかー! アンタが実習の話題を持ってきたくせに!」
「はは、すまねぇな」
怒鳴るカイトをからかうクロウ。リィンはそんな先輩後輩から目を背けて試験勉強を再開する。
一人怒れるカイトをなだめるためか、ジョルジュが口を開いた。
「そういえばカイト君、例の導力停止現象を引き起こす導力器にも触れたんだね」
「ああ、
ジョルジュとしては気になるところだろう。カイトとジョルジュは勉強そっちのけで話す。導力停止現象のあらましについて話すあまり、カイトにとっては無意識に導力学の試験範囲を復習することになり、幸いだったが。
「それで、
「ああ、この前『実習で導力銃が壊れた』と言っていたね」
「はい。正確にはZCFの試作魔導銃なんですけど」
カイトはその残骸を今も保管している。状況的にしたことを後悔はしていないが、ティータやラッセル博士にどう説明しようか悩んでいる。トリスタから直接ツァイスに連絡するのも手間と時間がかかる。試験勉強の忙しさもあって、未だ何も出来ていなかった。
「ZCF製か。試作武器はさすがにいじれないけど、やっぱり興味はあるね」
「……一度預けてもいいですか? 試験が終わったら連絡はするんですけど、直るなら越したことはないですし」
「わかった、また声をかけてくれ」
と、そこで技術棟の扉が開く音。
「クロウ、私たちの書類は濡らさずに運んでくれたかい?」
「あ、リィン君とカイト君! お疲れ様ー!」
傘をしまいながら、トワ・ハーシェル生徒会長とアンゼリカ・ログナーが現れる。
「お疲れ様です、トワ会長」
リィンは朗らかに笑った。
「アンゼリカ先輩も、どうも!」
カイトはジョルジュとの導力器談議で調子を取り戻し、快活に答える。
女子二人はクロウが運んでいた段ボールからそれぞれの教科書類を取り出した。先に生徒会室で業務もしていたらしい。こんな日でも奉仕活動に熱心なのは本当に頭の下がる思いだ。
「はは、先輩たちも相変わらず仲がいいですね」
リィンは笑った。
ジョルジュから聞いた話なのだが、彼とクロウ、アンゼリカ、トワの四人は去年度にⅦ組のテストクラスとして、サラの指導のもと特別実習と似たようなカリキュラムを受けていた時期があったのだとか。
その縁で四人はよく集まるし、ARCUSも所持しているし、先のクロウのようにⅦ組の特別実習についてもよく知っているわけである。
Ⅶ組にとっては直接の先輩とも言えるのだ。
トワが手際よく書類を広げながらカイトとリィンに話しかけた。
「リィン君、調子はどうかな? Ⅶ組は特に忙しいカリキュラムだけど」
「生徒会の仕事も含めて充実していますよ」
「はは、リィンは色々教官殿に苦労させられてるみたいだけど」
「言うなよ、カイト……」
「はははっ」
「カイト君はどう? リベールとは文化も違うだろうから、大変でしょう?」
「けど、久しぶりの帝国だから毎日が充実してます。勉強は苦しいですけどね……」
「はははっ」
リィンに笑われた。ちょっと仕返しが露骨すぎないか。
「えらいねぇ、リィン君は生徒会を手伝ってくれるし。カイト君もベアトリクス教官の手伝いをしているんでしょう?」
「はい」
「でも、それを言うならトワ会長こそでしょう。俺が受け持つ依頼も選別しているみたいですし」
「うん、あれくらいはね」
一応は勉強に精を出すが、やはりたまに集中力が切れるカイトは頬杖をついてトワを見た。
「なーんかオレ、トワ会長が軍に進む姿が想像できないなぁ」
同輩後輩問わず世話を焼き、教官や街の人にさえ信頼の厚いトワだ。加えてその一部の人間の情熱を誘う容姿から、トールズ界隈では『天使』と呼び声も高い。
トールズは必ずしも全員が軍人の道を進むわけではないが、その選択肢を考えない生徒はいないだろう。ましてやトワだ。考えないはずがない。
トワは困ったように笑った。
「あはは、そうだね。教官たちからは色々教わってるし、情報局に憲兵隊……色々勧められてはいるよ」
「……トワ会長って、どうしてトールズに入ったんですか?」
貴族令嬢アンゼリカ、武術にも秀でたクロウ、技術屋ジョルジュよりも、一見して一番士官学校が似合わないトワだ。
「うん。トールズは奨学金制度もあるし、帝国では『軍事』からは避けて通れないからね」
その目は真剣そのもので、カイトとリィンとしても興味深くはある。
「たぶん、『帝国を知ろう』っていうカイト君とは似たようなものかな」
「それは」
「帝国は西の覇権国でもある。帝国の中にいても外にいても、この国の象徴する軍事からは目を背けられないからね」
少しばかり親近感が湧いてくるカイト。リィンもまた、興味深くカイトを見る。
ところが真面目な空気となりかけたところで先のクロウのように邪魔をする人間が一人。
アンゼリカだ。彼女は隣りに座るトワに抱きつき頬ずりをする。
「うーん、さすが私のトワ。このまま食べたいくらいだ」
「もーう、ちょっとアンちゃん、くすぐったいってばぁ、あははっ」
眼前で戯れる女子二人。クロウとジョルジュは見慣れているのだろう、平然とした様子で呆れている。
ところが慣れてない後輩が二人。
「うーん……これは」
「艶かしいなぁ。アネラスさんの非じゃないぞこれ」
可愛いもの好きの別の先輩も思い出したが、愛でるというより欲情している分だけ冗談には見えなかった。
「おうおう、相変わらずだなぁゼリカ。たまには男にも目を向けてみたらどうだ?」
クロウはわざわざ立ち上がり、カイトとリィンの頭を掴んでアンゼリカに向かせる。若干痛がって二人は顔をしかめた。
アンゼリカはリィンとカイトを見た。「ふぅん」と値踏みする様子だ。
「残念ながら男に興味はないがね。……しかし、カイト君」
「はい?」
「是非一度、エリオット君と一緒に私の部屋へ招待させてくれないか」
「へ? 別にいいですけど──ちょっと待って、ジョルジュ先輩もクロウ先輩もなんて顔してるんですか」
二人共顔に手を当ててしかめっ面となっている。まるでどうしようもない奇行を諦めるような。
カイトは訝しんで、もう一度アンゼリカを見た。その目は陶酔しきっていて、すでに女神の下へ旅立っているように見える。貴族令嬢とは思えない、下町の親父のように鼻の下が伸びている。
「……へへっ、君たちにあんな服やこんな服を着せれば──うへへへぇ……」
「……ぞわわっ」
思い出す。二年前、クーデター下のリベール王都のグランセル城。ヨシュアとともに涙を飲んだこと。思い出したくない黒歴史。
「オレ、アンゼリカ先輩が嫌いになったかもしれません」
きっぱりと吐き捨てるカイト。それに構わず笑うアンゼリカ。
リィンはぼやいた。
「あの……勉強は?」
────
結局、カイトたちは勉強に精を出すものの時折忍び寄るアンゼリカやクロウの不真面目さにも手こずることになった。試験前日の追い込み自体は優秀なトワもいるだけに身になったのだが、精神の疲労は凄まじかったと言える。そんなものだからカイトとリィンは少なからずクロウたちに呆れたような視線を向けることとなる。
といっても、不真面目二人はのんきに笑っていただけなのだが。アンゼリカは「ならばお詫びを近いうちさせてもらおうかな」と意味深なことを言っていたが。
そして訪れる中間試験。十六日から十九日までの四日。カイトは、Ⅶ組メンバーは、そして全校生徒は机にかじりついて試験問題に向き合った。
生徒たちの努力を少しは女神も見てくれたのだろうか。長雨は止み、試験終了時には快晴。まさに試験が終わり生徒たちが帰路についたその時に、太陽が雲間から輝いたのだ。
カイトたちⅦ組メンバーは、「今日くらいはみんなで帰ろう」という誰かの発言が有言実行され、十人全員で帰ることになる。
エリオットが歩きながらため息を吐いた。
「は~、何ていうか開放感に満ちてるよね。結果発表を考えるとちょっと憂鬱だけどさ」
「気が合うなぁエリオット。オレもだ……来週の水曜日が怖くて仕方ないんだ」
「まったく君たちは……僕は自信があるぞ。エマ君の方はどうだ?」
「そうですね……悪くはないと思います」
「むむっ」
「止めておけ、見苦しい。同じ眼鏡でも随分と違うな」
「ユーシスさん?」
「……詮無いことを言った」
雨上がりの町並みは少し湿気た匂いがして、けれど温かみもある。靴を運ぶたびに跳ねる水に、子供じみた感覚を思い出す。
「そういえば、サラ教官のあれってどう思う?」
アリサがリィンに尋ねた。中間試験終了後のHRで「今日は寮に戻らない」と言っていたのだ。
「ああ、これから誰かと会うって話か。フィー、知らないか?」
「さあね。間違っても恋人とかはない」
「フィ、フィーちゃん……」
「同感だな。アレに恋人などいないだろう」
「珍しく君と意見があったな。美人なのは認めるがあの生活態度は……」
「フン、お前が俺の意見の真似をしたのだろう。永遠の二番手め」
「な、何を……!」
「まったく、そなたらも少しは自重しないか。なあ、フィー?」
「ん。ユーシスもマキアスもそっくり」
『違うっ!』
相変わらず男子二人が騒がしい。その二人を放っておいて、ガイウスが尋ねた。
「どうした? カイト。俺の顔に何かがついているか?」
「いや、ガイウス、今日学院長室に呼ばれてたよな」
「あ、そうだよね。何かあったの?」
「ふふ、少しな。隠すつもりはないが、学院長からは止められている」
「詮索はしないけど、何かあれば頼ってくれ。はは、Ⅶ組から依頼が来るのも珍しいしな」
「リィン、貴方も少し自重すべきよ……」
「そうだね、リィン。アリサが過労で倒れないか心配してるし」
「ちょ、ちょっとカイト……! 何を言ってるのよっ!?」
「ひゅーひゅー」
「フィーもっ!」
「アリサが怒った」
「ありがとう、アリサ。俺は大丈夫さ」
「リ、リィン……」
「……なんだこの漫才は」
「言ってくれるなよ、ユーシス」
「カイト、そう言う君こそ何て顔をしているんだ」
「ふふ、いい風が吹いているな」
思い思いに喋る若者十人。なんだかんだでここ数週間の張り詰めた空気から解放されているだけあって、少し頭のネジが抜けている。
その後はまた特別実習などもあるが、束の間の休息を味わえる。
全員がそう思い、笑いながら第三学生寮へ。さあ、今日はみんなで料理でも作るか。そんなことを喋っていると、彼らの中の一人へかける声。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
アリサとカイトが、特に反応した。カイトにとっては、どこか聞いたことがあるような声だった。
Ⅶ組たちが第三学生寮の玄関を見る。そこに一人の女性が控えていた。
褪せた紫色の髪をショートボブにした、翠の瞳の妖艶な美女だ。気になるのは髪に添えられた白のカチューシャ、そしてフリルが目立つ大人しめなメイド服だった。背丈はカイトと同程度。
どこで会ったか。少し考えて思い出す。
「あ、ルーレの……」
カイトより早く、アリサが叫ぶ。
「シャ、シャ、シャ……シャロン!?」
「はい、お久しぶりでございます、お嬢様」
彼女に近寄るアリサ。女性はしとやかな笑顔でアリサに答える。彼女の知り合いなのは反応が物語っているが、状況がわからないクラスメイトたち。
カイトは思い出した。というより入学式の日からアリサの家名は予想していたので、その答えを確定付けるだけだったけれど。
女性が告げる。それは、特化クラスⅦ組に更なる波乱をもたらすことになる。
「初めまして、シャロン・クルーガーと申します。アリサお嬢様の御実家、ラインフォルト家の使用人として仕えさせていただいております」
次回、54話「黎明」