心の軌跡Ⅱ~重なる標~   作:迷えるウリボー

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55話 鉄路を越えて~蒼穹の大地~②

 

 

 トリスタから帝都まで三十分ほど。

 帝都からルーレ市までさらに四時間強。

 加えてルーレからダメ押しの四時間。

 それだけの時間を要し、ようやく列車の終点……鉄路の果てが見えてくる。

 寝入っていたアリサを起こし、一同は停車した列車から降りる。到着点は《ゼンダー門》という帝国軍の拠点であり、やはりホームの雰囲気はガレリア要塞内部に酷似していた。

 そうして降りた先、出迎えてくれたのは帝国正規軍、第三機甲師団の面々。

 彼らに案内され、カイトたちは施設の内部を進む。その折、兵士たちは特にカイトのことを注目している。 入るように言われたのは明らかに管理者が詰めていそうな門構えの部屋の中だ。

「失礼します、中将。ガイウス・ウォーゼルです」

『入りたまえ』

 厳かな声。ガイウスは特に緊張感もなく入る。逆にリィンやアリサ、エマは強い声に緊張感をにじませる。

 一方のカイトは聞き覚えのある声色に、一瞬鼓動が止まったような感じがした。

「え……?」

「……カイトさん、どうしたんですか?」

「いや、そんな、そういや……」

「? ……どうしたのよ」

 女子二人から不思議がられるカイト。少年の背中に一気に汗が走る。

 何やら、帝国に来て再会がかなり気まずい人物を前にしているような。

「みんな、入るぞ?」

 事情も知らないガイウスが既に扉を開けていた。もう入るしかなかった。

「やっと到着したか」

 部屋の中に入ると、中にいたのもやはり帝国軍人だ。壮年の男性、豊かな口髭を生やし、管理者にふさわしい威厳を備えている。

 そして一番に注目してしまうのは、片目を覆う眼帯だ。

「中将、ご無沙汰しています」

「うむ、数ヶ月ぶりか。士官学校の制服もなかなか新鮮ではあるな」

「ありがとうございます」

「トールズ士官学院。深紅の制服は初めて見るが」

「これが自分たちⅦ組の象徴である色だそうです」

 目の前の管理者は親しげな雰囲気だ。言葉遣いは責任者のそれだが、ガイウスと話す態度は柔軟な大人の姿でもある。

 中将と呼ばれた男性は、ガイウスの後ろに控えるリィンたちを見た。

「紹介します、閣下。俺の級友でⅦ組の仲間になります」

 ガイウスが振り返った。リィンが、アリサが、エマがそれぞれ名を明かす。

 が、カイトは二の句を継げない。不思議がるクラスメイト。

「……カイト?」

 男性は少年の沈黙も構わず笑った。

「帝国軍、第三機甲師団長。ゼクス・ヴァンダールだ。以後、よろしく頼む」

 リィンが驚いた。その名前は帝国軍内部ところか、帝国の武の世界においても有名なものだったのだ。

「《隻眼のゼクス》……! 皇族の守護職の!」

 そう、知る人は知っている皇族を守護する武門の一族。ゼクス本人は帝国正規軍でも五本の指に入る実力者。剣術の実力もさることながら、卓見を賞される人物。

 そう説明するリィン。アリサとエマが聞き入るなか、ゼクスは返した。

「そう持ち上げられるほどの人間ではないが。ところで、カイト君」

「うっ」

 ゼクスが改めてカイトを見た。

「そう縮こまらなくともよい。カイト・レグメント君」

 リィンたちの注目がカイト一人に集まる。

「中将……カイトと知り合いだったのですか?」

「実は彼とは、国境線交渉の時に対峙したことがあってな」

「うっ……」

 《リベールの異変》の当時、導力停止現象下のリベール王国に蒸気戦車を引き連れて、ゼクス中将は現れた。鉄血宰相の命によってリベール軍に進行しようとしたわけだが、そこから先はゼクスの言う通りである。

 クラスメイトが、帝国に名を轟かせる武将と面識どころか()()したことがある。そう言われてはさすがにアリサたちも白い目を浮かべすにはいられなかった。

「カイト、貴方……」

 アリサどころかⅦ組の良心であるリィンとガイウスにまで疑念の視線を向けられているではないか。心外すぎる。カイトは慌てふためいた。

「ち、違うぞ!? オレは先輩遊撃士や王太女殿下の補佐を務めただけで……!」

「はは、その割には皇子殿下の言葉を軽々翻して我々に辛酸を舐めさせた気がするがな?」

「ぐっ……」

 ぐうの音も出ないほどに真実である。

「これは……いろいろと聞き出さないといけませんね」

 エマの丸眼鏡がキラリと光った。まずい、自分の過去が委員長とクラスメイトに全て暴かれてしまう。

 カイトの思考はここ一ヶ月ほどで最も高速に回転し、その結果弁明を諦めた。

「……ご無沙汰しています、中将閣下。その節は……」

 ゼクスとは直接話していない。カイトはあくまでオリヴァルト皇子と交渉に臨んだだけだ。だがあの交渉の場にお互い居合わせて最前線に立ったのだから、半ば語り合ったといってもいいだろう。

 カイトは自分の行動を後悔していない。オリビエにも『ゼクスは本来自分の味方だ』と聞かされている。けれどあの時カイトがゼクスの目的を阻んだのは事実だから、なんと声をかければいいかわからなかったのだが。

 ゼクスは柔らかい笑みを浮かべた。

「あの時敵対したのは事実だが、今そのわだかまりはないだろう。そして()()にいるのであれば、君を歓迎しない選択はない」

「中将閣下」

「あとは、そうだな。我が甥、ミュラーが世話になっている。その礼を言わせてくれ」

 その言葉で、カイトはやっとこの部屋に入って一息つくことができた。

「……わかりました。よろしくお願いします、中将閣下」

「うむ。さて、お主たちの話も聞きたいが、時間も時間だ。集落に帰るならすぐに出発したほうがいいだろう」

 ゼクス中将は立ち上がる。

「外に馬を用意した。さっそくついてくるがいい」

 今度はゼクスと数名の兵士に連れられて、ゼンダー門を出た。

 夕刻。太陽は傾き、空は赤みの強いオレンジ色に染まっている。

 そして大地は、どこまでも続く碧色。遥か遠くの山以外、遮るものはなにもない。

 クロスベルにトリスタ、田舎といえる故郷よりも圧倒的な解放感だった。

 ふと、風が吹き抜けた。カイトたちからしてみれば向かい風のそれは心地良い涼しさをくれて、そのまま背後の要塞にぶつかったのか一同の顔を撫でるように上がっていく。

 思わず目を瞑ったカイトだった。数秒後に髪をかきあげて再び目を見開いても、雄大な自然は変わらずそこにあり続けた。

「気に入ってくれたようでなによりだ」

 初めてこの場所に来たⅦ組の四人は、それでもまだ言葉にできない。それどころか、この自然を前には人間ごときが考えた言葉なんておこがましく感じてしまう。

 遥かなる時を生き続けた、悠久の大地がそこにあった。

「ここが……ガイウスの故郷」

「ああ。ようこそ、ノルド高原へ」

 後方から馬のヒヅメの音がする。振り返ると兵士たちが三頭の馬を連れ立って歩いてきた。黒、白、茶。素人目のカイトにもわかる立派な毛並みとしなやかな体躯。穏やかそうな瞳。

「馬を用意してくれたのね……!」

「リィンもアリサも乗れると聞いていたからな」

 これだけの広さだ。馬がなければ移動もままならないのだろう。

 今日の旅路の到着点はガイウスの実家、ノルドの集落だ。現時刻を考えても徒歩は考えられない。

「えっと、私は乗馬経験はないんですが」

「オレも同じく。導力バイクならこの間試し乗りしたけど」

「カイト、あれを乗馬経験に入れるのは無理があるんじゃないか……」

「バイク……? ともかく、二人は誰かの後ることになるな」

 カイトはリィンの、エマはアリサの後ろに乗ることになる。ガイウスは一人だが、馬の疲労を考えて一同の荷物を持ってくれる。とことん懐の深い男だ。

「実習中、用があれば課題にせよそうでないにせよ、遠慮なく尋ねるといい。できる限り配慮しよう」

 律儀に見送りに来てくれたゼクスが穏やかに言う。カイトとしては、国境線交渉の時の会話の記憶があるだけに微妙な気持ちだったが、笑顔を取り繕った。

「ありがとうございます、中将閣下」

 リィンも続いた。

「丁寧な案内、ありがとうございました」

「それでは実りある実習となるよう祈っている」

「ええ、中将も、風と女神の加護を」

 そう返して、ガイウスは手綱を慣れた手つきで引いた。

「ハイヤッ」

 馬が勇ましく鳴き、前脚を掲げてから走り出した。その様子に一瞬だけ惚けてからリィンとアリサも自分の乗る馬を撫でた。

 緩やかに、しかしすぐにガイウスの乗る馬を追いかけ始める。みるみる間に風が当たり始め、一分もすればゼンダー門が小さくなっていく。

 三頭の馬がノルドの高原を駆けていく。標高の高さもあって風が涼しい。

「すごいな……! とんでもない解放感だ!」

 カイトがしがみつくリィンが、年頃の少年らしく快活に叫ぶ。そこにアリサが答えた。

「ええ! まるで、風になったみたい……!」

 単純な物言いだがそれはどこまでも真実で、他の全員も同じように感じている。自分たちだけがトールズの中でこの経験をしているのが申し訳ないくらいだ。

 魔獣がいるので多少警戒はするが、それでも高原自体が広すぎて襲われる程の距離にはならない。景色は変わりなく楽しむことができている。

「──やっほーっ!」

 と、アリサが叫んだ。それはやまびことなって反響する。

「ふふっ、アリサさん、子供みたい!」

「あはは、ちょっとハイになってるみたい!」

 先頭を走るガイウスの顔は見えないが、きっと穏やかに笑っているだろう。女性陣の楽しげな様子を見れて、こちらとしても楽しくなってくる。

「あはは、よかったな。アリサも少しは気が紛れたんじゃないか?」

 カイトはリィンに聞いた。それはリィンも同じだった気持ちだったようで、

「ああ、そうだな……!」

 と快活に叫ぶ。

 というより、アリサの言う通りガイウス以外の全員の気持ちが昂ぶっている。

 ガイウスが指揮を執る。

「俺の故郷は北東に向かった先にある。日没までになんとか辿り着くとしよう!」

 五人はノルド高原を進む。ゼンダー門で受け取った地図を手に、ガイウスの手ほどきを受けながら高原の地理関係を理解していく。

 目印となる三角岩、人工的なゼンダー門と監視塔、高台の石柱群。ノルド高原は人の手が滅多に入らない分過去の文明の遺構も多く、技術と自然と遺産が絡み合う土地でもあった。

 そしてゼンダー門を出発してからさらに一時間弱で、日が完全に落ちきる前にノルドの集落に到着することができた。辛うじて人の顔がわかるくらいだ。

 遊牧民であるノルドの民は定住をしない。美しいけれど厳しい自然と生きるために、季節や家畜に合わせて高原を移動している。

 厚手の布でできた移動式住居はゼムリア西部では滅多に見られないもので、それはノルドに住まない四人に目新しさと不可思議な郷愁を抱かせる。

 集落としての境目に動物を避けるための柵があり、街ほどではないが魔獣よけの導力灯もある。しかし十数ほどある移動式住居に備えられているのは昔ながらの松明やランプなどで、それもまた古いはずなのに新鮮だった。

 ガイウスは集落と外の境にある、馬を繋ぐ簡易な厩舎(きゅうしゃ)の区画までリィンたちを誘導した。馬房の中には既に一人の少年がいた。

「あんちゃん……ガイウスあんちゃんじゃないか!」

 遊牧民の寒暖ともに対応できる青い装束。カイトたちよりも一回り小さい十代半ば頃の少年。髪色も肌の色もガイウスと同じで、カイトたちは一つの可能性に思い至る。

 手綱を木の柵に巻きつけ、馬を一撫でした。そしてガイウスは少年に向き合った。

「トーマ。ただいまだ」

「お帰り、あんちゃん! 父さんから帰ってくるのは聞いてたけど……!」

「ああ。級友とともに、実習でな。元気そうでなによりだ」

「えへへ、うん!」

 ガイウスが頭を撫でる少年は、他の馬から降りて続々と近づいてくるカイトたちに、遅まきながら気づいた。

「もしかして、この人たちが……?」

「ああ。父さんたちに紹介したい。今、みんなは家か?」

「ううん、あんちゃんがもうすぐ来るからリリたちと一緒にこっちに来るって──」

 その時、幼子の感極まった大きな声。

「あんちゃあああんっ!!」

 声の主を見たエマとアリサが即座に反応した。

「わぁ……!」

「可愛い……!」

 五歳くらいの年齢だろうか、やはりガイウスと同じ髪色肌色で、幼子故の肉付きで愛くるしい少女だった。

 そのまま走ってきて、屈むガイウスに正面から抱きついた。

「あんちゃんだ! あんちゃんがいるー!」

「リリ……!」

 一目見て兄妹関係だとわかる。兄弟姉妹がいるカイトやリィンにとっては昔の情景を思い出させて、一人っ子のアリサとエマには若干の目の毒となるような、そんな幸せな光景だった。

「帰ってきたか、ガイウス」

 今度は穏やかな男性の声だった。小さな少女が走ってきた方向、厩舎の外からだ。

 振り向くと、三人いた。ガイウスよりなお背の高い男性と、お淑やかで整った顔立ちの美女に、十歳ほどの少女。

 ガイウスは抱きついた少女を抱えたまま立ち上がった。

「父さん、母さん、シーダ」

「『父さん』と」とリィン。

「『母さん』……!?」とカイト。

 え、ちょっとまて。父さんはわかるし、シーダというのも妹のことだろう。

 けど母さん? え、本当のにガイウスの母親か? 姉といっても通用するのではないか。

 アリサとエマも驚愕するのは同じのようで、二の句が継げないでいる。

 そんな異邦人をよそにノルドの民たちは、再会を喜んでいた。

「ただいま戻りました」

 ガイウスは告げる。子供たちは口々にガイウスの名前を呼び、両親二人は穏やかに笑っていた。

 男性は言う。

「再会の喜びもある。だが、お前は学院の学びのためにここに来ている。私もその立場としての勤めを果たそう」

「わかった。それじゃあ父さん、級友を紹介するよ」

「うむ」

 男性は、ガイウスに応じてカイトたち四人の前に立った。

「ガイウスの父、ラカン・ウォーゼルという。よろしく頼む、士官学院の諸君」

 

 

────

 

 

 ガイウスたちに連れられて、カイトたちは用意された客用の住居に荷物を置いた。今までの都市と違い、人口五十人にも満たないガイウスの集落。今まで以上に歓迎されるカイトたちだが、まずはガイウスの家族の住居で夕食を頂くことになった。

 そこで、カイトたちは改めて自分の名を名乗る。同時にガイウスの家族についても、知ることとなる。

 ガイウスの父であるラカン、母であるファトマ。

 十四歳の次男トーマ、十歳の長女シーダ、五歳の次女リリ。

 そこに長男ガイウスを加えた六人がウォーゼル家だ。

 リリは好奇心旺盛で、シーダは引っ込み思案だがしっかりと妹の面倒を見る。トーマは次男ながら妹たちの面倒をみて、そして家を離れているガイウスに代わり厩舎での掃除などの仕事を手伝っているという。

 そんな子供たちに歓迎され、興味の目線を向けられながら、カイトたちはウォーゼル家で夕餉に舌鼓を打った。

 香草で包み焼きにしたキジ肉や、羊肉の串焼き、採れたての野菜を煮込んだスープなど。香辛料は帝国やリベールで滅多に出回らないもので独特の味がしたが、それでも美味しくて満腹になるほど食べた。アリサなどはシーダからしきりに料理のレシピを聞いている。帰ったらシャロンに作ってもらうつもりらしい。

「えへへ、おかーさんのゴハン、だいにんきだねー!」

 まだ少し舌足らずな様子で、リリがはにかんだ。

「長旅で疲れているだろう。ノルドの料理は滋養の高いものも多い。明日以降も遠慮なく食べるといい」

 ラカンが言う。料理はファトマが大部分を用意したらしいが、豪華そうに見える夕餉はいつもとそれほど変わらない品目のようだ。あくまで自然体のまま歓迎してくれている。そういったところにも、ガイウスが育ってきた空気を感じた。

「あのあの、こちらのお茶も召し上がってください。ノルドハーブを使った消化にいいお茶でっ」

 盆に全員分のコップを持ってきたのはシーダだ。彼女は恥ずかしげにA班の面々に渡し、アリサたちから微笑まれて一層身を縮こませている。

「ふふ、ありがとう」

「ほっとするような、優しい味ですね」

 食後のこの時間も、気ままに話したり体を休めたりと、思い思いに過ごしている。この空気感はとても心地よくて、カイトは昔を思い出した。

 トーマ、シーダ、リリ。カイトは彼らを見て、ふっと笑顔が溢れる。

 トーマが不思議がった。

「えっと、カイトさん?」

「ああ、ごめんよ。ちょうど君くらいの弟や妹がいてさ。懐かしくなったんだ」

 カイトは現在のマーシア孤児院の中では古株だ。クラムたちが、それこそリリくらいのあどけない頃から、シーダのような引っ込み思案になった時期なども見ている。

 ガイウスが言った。

「確かカイトの家族は……孤児院の子供たちだったか」

「うん。血は繋がってないけど、大事な繋がりだよ」

 ラカンが目を細めた。

「ノルドもある意味似たようなものだ。集落の人数は五十に満たない。それは帝国から来た君たちからすれば異質なものだろう」

 遊牧民は数十人程度のコミュニティ──集落が複数高原に点在している。時には諍いもあるようだが、基本的には良好な交流関係を築いている。地理的情報や物資の交換などでだ。

「だがその分、民同士の繋がりは深い。それこそ私たちのような血の繋がりと遜色ないほどに」

 集落全体が家族のようなもので、全員で子を育て、家畜や野菜を育て、移動する。遊牧民ならではの感覚で分かりづらいが、カイトにはほんの少しだけ理解することができた。

「ノルドの地は、ある意味とても自由な場所だ。君たちには新鮮であり、不便でもあろう。だが、そんな場所であっても君たちと関係がないわけではない」

 ラカンの説明は行きの列車の中で確認したことでもある。五人全員、思い出すのは容易かった。

「ドライケルス帝が《獅子戦役》においてこの地で挙兵したことは、ノルドの民の間でも伝承として語り継がれている。そして戦役が終わったあと、ノルドの民は彼の継いだ帝国と長きにわたる友情を誓い合った」

 事前に理解しているように帝国とノルドは従属関係にない。友好関係を築いているのだ。

「しかし昨今、カルバードという東の大国が高原の南東に進出してきた。東に住む一族などは交流を深めているようだが、どうやらそれが少しばかり緊張をもたらしているようだな」

 言うまでもなく、大陸中西部に君臨するカルバード共和国のことだ。ノルド高原は南西を帝国に、南東を共和国に、北をレミフェリア公国に囲まれている。二大国の間に位置するという意味ではリベール王国やクロスベル自治州の位置関係と似ている。といっても、三国の情勢はそれぞれまるで違う。

 リベールとクロスベルをよく知り、こうしてノルドの大地に足を踏み入れたカイト。ガイウスの住むこの集落は帝国の影響が大きいので共和国の気配は感じられない。緩やかなものだが、それでもラカンの言うように緊張が増加しているのであれば心配にはなるだろう。

 帝国と共和国の水面下の争いは激化している。ここ十数年は直接的な衝突はないが、それでも政治的・経済的対立は深まってきている。

 クロスベルにいたカイトとしては、その争いがこの場で起こるという可能性は胸が痛い話だ。

「とはいえ、ノルドは双方にとっても辺境の地。監視塔なども建っているが、さほど心配する必要はないだろう。あまり気にせず実習に集中するといい」

「わかりました」

 リィンが返した。

「実習の課題は明日渡そう。今日はもう遅い。ゆっくり休むといい」

 ラカンの言葉を合図にファトマが立ち上がった。

「離れの方に寝具を敷いているわ。ガイウス、案内してあげて」

「リリも案内するー!」

「こらリリ、ガイウスあんちゃんたちは疲れてるんだから。お話するのはまた明日だぞ!」

 ガイウスに連れられて、カイトたちはウォーゼル家の住居から外に出る。

 集落は既に暗かった。曇り空のせいもあり、松明とランプだけが光源だ。住居から離れると途端に暗くなり、隣のクラスメイトの顔の判別も難しくなる。

 視界に急に住居が入り込んで驚くこともあるのに、ガイウスは文字通り我が家のように飄々とそれを避けていく。

「オレはぶつかりそうだ……さすがにこの程度の暗闇はお手のものなんだな」

「ノルドで生まれ、ノルドで育ったからな。実は初めて帝都やトリスタに来た時は、外の景色が明るく感じてよく寝れなかった」

「へぇ、そうなのか」

「確かに、ここと比べたらルーレなんて昼間もいいとこね」

 カイトたちが泊まる住居に案内される。なかに入り、やはりガイウスが手際よくランプをつけた。

「すまないな。男女別で用意できればよかったんだが」

 ケルディックとパルムの時のように、今回は男女同室だった。あの時のサラの思惑はなく実習地の問題でもあるし、厚手の布を仕切りにしてあるので大きな問題はなかったが。

 アリサとエマは和やかに笑っていた。

「ううん、気にしないで」

 カイトは見たことはなかったが、ケルディックではアリサが最も男女同室に抵抗を示していたらしい。エマは拒否こそしていなかったが相当に動揺していたし、そういう意味では似た反応の二人がこの数ヶ月で変わったものだった。

 ちなみにラウラはむしろアリサを諭したらしいので、そちらはフィーと同じ反応だ。意外なところでやはり気の合う二人である。

「お二人なら紳士なのは間違いありませんし」

(委員長、それって誰だったら問題なんだ……?)

 Ⅶ組にこの状況で鼻の下を伸ばすような男子はいない。マキアスは性格上動揺を隠せないかもしれないが

「ありがたく使わせてもらうよ。ガイウスは当然、実家の方で寝るんだろう?」

「ああ、妹たちにもせがまれてしまったからな。朝、日の出に合わせて起こしに来るが大丈夫か?」

 ガイウスの質問に疑問を呈する者はいなかった。八時間以上の列車の旅だ。疲れもあるし今日はすぐにでも寝れそうだった。

「それでは、いい夢を」

 ガイウスが離れを後にする。

 残るカイト、リィン、アリサ、エマがそれを見届け、四人は何も言わずにお互いを見つめ合った。

 沈黙。

「……カイトさん、どうしたんですか?」

「委員長こそ」

「何よ、リィン」

「いや、なんというか……」

 四人とも、考えていることは同じようだった。リィンがゆるゆると息を吐く。

「ガイウスのあの器の大きさ、その源がわかった気分だな」

「ええ、そうね。素敵なご両親に可愛らしい兄弟か……」

「それに高原の自然とともに生きる日々。そういった環境が今のガイウスさんを育んだのかもしれませんね」

「なぁ、カイトも孤児院に弟や妹がいるんだろう?」

「え? ああ、そうだよ。兄姉はオレが日曜学校の頃に里親に出たり自立したりで、今は弟二人に妹二人だ」

「なのに授業態度といい、ガイウスとのこの違いはなんなんでしょうね?」

「アリサ。この実習中にアリサのオレに対する評価を挽回してやるからな?」

「俺はいい意味でカイトの兄弟のことを話題にしたんだけど……」

 実習中であることも忘れて、無邪気に笑いあった。

「さて、俺たちも休むか」

「オレとリィンは外出てるから、二人とも先に着替えてくれな」

「では、お言葉に甘えて」

「ありがとう、紳士さん」

 カイトとリィンが外に出る。住居の壁を背にして、女子二人の声を背景音楽にしながら、少年二人もどちらからともなく話し始めた。

「カイトとは初めて同じ班になったな」

「だな。オレはアリサとも初めてだ」

「ノルドでの実習……一体どんな課題になるんだろうな」

「わからない。けど、楽しみなのは確かだ。オレたちにとっちゃ、前二回の困り事はないわけだし」

「はは、そうだな」

 エリオットをスケープゴートにする後ろめたさはあるが、あの四人には少し反省してほしいと思う二人であった。といってもラウラとフィーの仲は昇り調子だし、マキアスとユーシスもなんだかんだで『喧嘩するほど仲がいい』間柄に見える。エリオットも胆力があるし問題ないだろう。

「ノルド高原……まさか帝国の外に行く事になるとは思わなかったけど」

「カイトにとっては、パルムもセントアークも初めての場所だったんだろう? 充実してるんじゃないか?」

「充実してるよ。今回の課題もできる限り体験してみたい」

「俺もだ。大帝縁の地……興味は尽きない」

 方向性は違うが、それぞれの形でクラスを引っ張ってきた二人。

「頑張ろう、カイト。それと、楽しもう」

「……ああ!」

 カイトとリィンが拳を突き合わせた時、住居の中から二人を呼ぶ声がした。

 明かりも乏しく鉄道や導力車も走らず、虫と動物の鳴き声だけが聞こえる異郷の地。

 ノルド高原の夜は静かにふけていく。

 

 

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