日の出前に目が覚めた。
「……ここは」
いつもより格段に早い起床。見開いた目の先にあるもの、鼻に感じる匂い、肌に感じる寝具の感触。その全てに違和感を感じて、急速に意識がはっきりとしてくる。
そうか、ここはノルド高原。自然とともに生きる遊牧民の地だったか。
(……街の宿とも、全然違うな)
ゆっくり身動ぎをしてから、仰向けになる。そうして上体を起こす。カイトは周囲を見渡した。
静かだ。前方にいるリィンも、仕切りの向こうにいるアリサとエマも寝ている。穏やかに寝息をたてていた。
(一番乗りか)
昨日はベッドに横になってからの記憶がない。普段よりもずっと早くに睡眠に入ったのだ。疲れ切っていたから当たり前だ。だが、今、気力は充分に溢れている。
外で動物の鳴き声が聞こえる。羊や鳥の、都市部ではまず聞くことのできない音楽だった。
カイトは自分の体に意識を向ける。だいぶ早く起きてしまったようだが、二度寝をする眠さでもない。
歩こう。カイトはそう思った。
そっとベッドから立ち上がって、畳んでいたⅦ組のブレザーを羽織った。高原の朝晩は寒い。これでも少し冷えるほどだ。
住居から外に出ると、既に幾人か動き出している人をみかけた。というより、他の住居からは話し声も聞こえている。
「暗いうちから起きてるのか……さすが遊牧民だ」
黎明は過ぎ去ったので周囲の判別はつく。けれど太陽がないし、普段であれば確実に覚醒していない時間だ。 すれ違う集落の人々に挨拶を交わして、親切にも水場の使い方を教えてもらったり、体の冷えの心配をされたりする。やはりこの格好は薄着らしい。
顔を洗うと、水の冷たさに途端に気が引き締まる。それから周囲を見渡して、
「おはよう、カイト」
ガイウスが近づいていたことに気づいた。
「ガイウス、おはよう」
「早いな。他のみんなは?」
「まだ寝てるよ」
水を拭き取り、よりはっきりとした視線をガイウスに向ける。そこで、彼が他の遊牧民と同じ青い装束を着ていることに気づいた。
「その格好は?」
「羊の放牧を手伝おうと思ってな」
「実家とはいえ、恐れ入るな……」
「よかったら見ていくか?」
「え、いいのか?」
「お前たちには珍しいことだろうからな」
ガイウスに連れられて羊の厩舎へ向かう。昨日見た馬の厩舎と同じく、移動式住居と同じような布で作られていた。
「うわっ……多い」
羊、羊、羊。どこを見渡しても中には羊がひしめいていて、しきりに鳴いている。彼らにとっても起床の時間か。
「俺にとっては当たり前の日常だが。ふふっ、その反応は新鮮なものだな」
「放牧って、どうするんだ?」
「食べる草だが、この辺りはまだ多い。今日は単に扉を開けて放す程度だ」
言った通り扉を開けてガイウスは羊たちを軽く押してやる。羊たちもそれが合図なのはわかっているのだろう、怯えることもなく従順に足を動かし始める。
羊とともに放牧地側の扉を出ると、当然だが広大な景色が広がっている。柵はあるが視界に住居は見えず、向こうに広がるのはひたすらに山々だけだ。それだけで清々しい。
ガイウスの後ろをついて、カイトは放牧の様子を見守る。
「ノルド高原。まだ一日も経ってないけど……いい場所だな」
「ああ、そうだろう?」
「オレとしては、ゼクス中将とガイウスが知り合いってのに仰天したよ」
「ふふ、それはお互い様だろう」
「でも、第三機甲師団って元々ドレックノール要塞の駐屯じゃなかったか? ほら、セントアーク市の近くの」
「ノルドに赴任したのは一年ほど前になるな。帝国軍の事情はわからないが、別の場所から異動したとは聞いている」
「それって……」
一年ほど前といえば、リベールの異変が終息してから半年が経つかどうかというところだ。異変当時、ゼクスほどの将官が蒸気戦車を率いてリベールにきたことからも、彼がドレックノール要塞に詰めていたであろうことは疑いようがない。
共和国と争っているとはいえ、辺境の地にゼクスがいる意味もあるとはあまり思えない。ゼクス中将がオリビエの意志に従った──つまりは鉄血宰相の命に背いたことを考えると、辺境の地に左遷されたというのが真相なのかもしれない。
「ゼクス中将とはどういう経緯で知り合ったんだ?」
「彼が赴任したばかりの頃、高原で魔獣に襲われたことがあってな。そこに助太刀した縁だ」
「なるほど、当時からガイウスの槍術は抜群だったわけだ」
「……カイトは、ゼクス中将とは《異変》の時に対峙したと言っていたな」
「ああ……いろいろ気まずいんだけどね」
「よければ、その時のことを聞かせてくれないか?」
「えっと、国境線交渉の?」
「ああ」
「……」
特に断る理由はないが、ガイウスがそれを聞いてくることも気になった。
「まあ、いいや。オレとガイウスは留学生の同志だ」
導力停止現象下での日々と、その後の結社の王都襲撃も含めて話す。
「なるほど……考えてみれば、帝国とリベールは十二年前に争っている。今この時争うことも、決してあり得ないことではなかったのか」
「《百日戦役》だな。元々リベールは二大国の緩衝国としての意味も強い。単純な地理関係だけで言えば、ノルドやクロスベルと同じなんだ」
「カイトは……帝国を知るためにトールズに来たのだったか」
「ああ。遊撃士だってのは話しただろ? トールズっていう足場……それを持って帝国を知るためにね」
「オレもだ。実習報告の時に話したと思うが……」
ケルディック組はそれぞれ自分の志望理由を明かしている。ガイウスはそこで、『自分の故郷の外』を知るためにトールズに来たということを話していた。
「ノルドを守りたい。けれど、外国の干渉がある以上何も知らない今のままではいられない。一度故郷を離れて外で何が起こっているのかを知る必要があると思ったんだ」
「……視点は少し違うけど、やっぱりオレと一緒だな」
単にゼクス中将と知り合っただけでは帝国の士官学院に入学したいだなんて思わないだろう。自分がオリビエの誘いだけでは返事を出せず、帝国入りするに足る自分の決意が別にあったように、ガイウスもまたトールズに入る理由があった。
そして、やはり帝国の影響は途方もなく大きなものなのだと思い知る。リベールとノルド、それにクロスベル。どこにいても帝国の存在を意識せずにはいられない。自分たちが今学んでいる覇権国は、過去リベールに侵攻し、クロスベルを従属させ、ノルドに鋼鉄の足音を響かせつつある。
「……遊撃士としての生活を経て同じ知見を得たカイトとは違うが、俺にもきっかけはあった」
「前にみんなに話してくれた、巡回神父さんの教えなんだっけ?」
「ああ。その人から俺は導力技術や大陸の歴史……様々なことを学んだ」
ガイウスがその神父から教わっていた頃、帝国軍の施設がノルド高原に建てられたのもガイウスの不安を駆り立てたのだという。今の故郷が今のままではいられないという、導力革命による必然とも言える変化だ。
「それで、ガイウスはさ。まだ数ヶ月とはいえ故郷の外で学んで、そしてノルドへ戻ってきた。それでどう思った?」
「恥ずかしい話だが、自分の根幹を再確認した。『故郷を愛している』という想いだ」
「だよね。オレもたぶん、同じことを思うよ」
孤児院の家族、遊撃士の仲間たち、クローゼ。
リベールを旅立ってから一年以上が過ぎた。そうして思うのは、彼らが自分にとってどれだけ大切でかけがえのない存在だったのかということ。
帝国を少しずつ知ることができている。けれど、まだ足りない。自分たちは道半ばだ。
愛して、守りたいものを守るためには、まだ学ばなければ、知らなければいけないことがある。
放牧を終えて、ガイウスとカイトは厩舎を後にする。
「そろそろ俺の家も朝餉の準備が整う頃だな」
「そっか。さすがに早いな」
昨日は日の出とともに起こすという話しをしたが、本当に今は日の出の時間かどうかという頃合だ。
「みんなを起こしに行こう」
「わかった」
「カイト」
「ん?」
「改めて、よろしく頼む」
「……ああ!」
どちらからともなく、掌を差し出した。
────
起床したⅦ組A班は、ガイウスに連れられてウォーゼル家の住居に顔を出す。そこで一同は朝食を取ることになった。
出されたミルク粥はまだ寝ている体に優しく溶け込んでいくような味だった。羊の乳と塩漬け肉を使ったということで、シーダとリリが用意してくれたらしい。
食後、ラカンがA班の面々を集める。彼は一枚の封筒を取り出した。これが今回の課題だ。
ノルド高原はとにかく広い。集落の南北に広がっているが、ラカンは「午前中の行動範囲は南西部のみにするように」との言葉が出た。実際課題もその範囲内に収められている。北東部の課題は午後に出すという。
課題は手配魔獣、薬草の調達。監視塔とゼンダー門への物資配達の課題が一件ずつあった。
ガイウスはともかく、ほかの四人はとにかく高原を知ることに努めなければならない。調達する薬草と配達物資をそれぞれの依頼者から聞きつつ、さっそく高原南西部に繰り出した。
再び位置関係を確認しつつ、A班は南西部の石柱群を見物し、そのまま監視塔へ向かう。
「馬の風土病に効くエポナ草か。オレは初めて聞いたし印象深かったよ」
「カイトにとってはそういうものか。ところでリィンは、妹への土産物は見つかったか?」
「ああ、さっきは見つけられなかった。でも、夜も戻って来れるしゆっくり選ぶよ」
「石柱群は千年以上前の巨石文明の遺構でしたね……」
「あら、やっぱりエマはああいったものに興味があるのね」
道中、適度に魔獣を蹴散らしながら馬に乗って移動する。各地を移動するだけでも一苦労だ。必然馬上での世間話も多くなった。
そうして初めて訪れた帝国軍の監視塔は、大陸最大の軍事大国としては最低限の設備しかない穏やかな場所だった。
名目としてはノルドの北東に建てられた共和国軍基地の監視のためのものだが、やはり辺境のためクロスベルと比べても緊張感はない。
A班は配達のために訪れたが、対応した守備兵の好意で監視塔の屋上からの景色を見せてもらった。その時ちょうど共和国軍側の飛空挺が飛んでいて反応した面々だったが、当の守備兵はのんきそうに「いつものことだ」と笑っていた。
監視塔からの帰りの馬上でカイトはそれを話題に挙げることになる。
「仮にも敵前線基地の兵士があれで良かったのかな?」
「まあ、高原の空気に馴染んだのであればおかしくはないことだと思いますけど」
「そこのところはどうなの、ガイウス? 顔見知りなんでしょ?」
「……ああ、確かに以前よりは張り詰めた空気が和らいでいる気はするな。それがいいことなのか悪いことなのか、俺にはわからないが」
リィンがカイトに聞いてきた。
「カイトとしてはどうなんだ? クロスベルの国境線も見てきたんだろう?」
「うん、確かにベルガード門から見るガレリア要塞と比べると監視塔は緩いよ。いっそ、リベールの
声をかけた二人の目線が虚空を向いていた事に気づく。
「ううん、なんでもないわ」
「同じく……」
あからさまな返答にはカイトもリィンもエマも気づいていたが、けれど二人同時にそうなられては切り出すこともできなかった。
そうしてゼンダー門にも立ち寄り、手配魔獣も討伐して昼にはノルドの集落に戻ってくる。このメンバーであれば戦術リンクは安定して行え、手配魔獣も危なげなく倒すことができた。
そのまま昼餉を頂く。カバブと平焼きのパンを美味しく頂き、再び活力を取り戻す。
食後、再びラカンから封筒が渡される。そこには三つの課題が記されていた。
・カメラマンの保護
・迷える羊の捜索
・子供たちへの特別授業
特に目を引くのが『カメラマンの保護』だった。ガイウスがそれを尋ねる。
「父さん、これは?」
「詳しい話はイヴン長老が知っているが、どうやら集落に滞在している帝国の記者殿のことに関するようでな。本来は北部への護衛を頼むつもりだったようだが、いつの間にか一人で行ってしまったようだ」
「それは……なるべく早めに保護したほうがいいかもしれないわね」
アリサの発言には同意しかない。
その後、前日にも挨拶をした長老イヴンに話を聞くと、同じ内容の旨が返ってきた。記者は帝国時報所属で、ノートンというらしい。また、北部の中でも特に《巨像》と呼ばれる場所に行ったということ。
また、他の課題の話も聞いておく。羊の捜索も北部が範囲なので問題なかった。ジェダという女性から頼まれた子供たちの特別授業は、保護や捜索が一段落してから行うことにした。
「それで……北部はどういう環境が広がってるんだ?」
馬に乗り、カイトがガイウスに尋ねる。数回も乗れば、ようやく乗ることの違和感も収まってくる。だんだん慣れた手つきになってきた。
「そうだな。話にも出た《巨像》と《石切り場》、それと《ラクリマ湖》が代表的なところだろう」
《巨像》はノルドの集落の北口から既に見えていた。高原の守護者とも言い伝えられる古の石像。百アージュは優に超えるほどの威光でもある。
《石切り場》は石柱群と同じく巨石文明時代の遺構だ。今ではほとんど誰も寄り付かない場所で、《悪しき精霊》が巨像の守護者によって封じられたという伝承が残っているのだとか。
《ラクリマ湖》は高原の最北近くにある風光明媚な場所だ。貴重な水辺でもあるし、集落の人間も時々訪れているのだという。
「それと湖畔に数年前に帝国から来た《ご隠居》が住まわれていてな。博識で導力技術にも強いから、俺たちもよく世話になっているんだ」
「ご隠居ねぇ……? まあ、綺麗な場所なら隠居したい気持ちはわからないでもないけど」
「えっと、ガイウスもよく世話になっているのか?」
「ああ、釣りなんかもトーマと一緒に教えてもらった。せっかく帰ってきたことだし、挨拶したい気はするが」
「それじゃあ、時間を見つけてそちらにも行きましょうか」
そんなことを話し、羊の捜索も行いつつ一同は北部を回る。
記者がいるという巨像は大きすぎる目印だったので迷うことはなかった。距離感を掴むのに手こずって時間の感覚は怪しくなったが。
巨像に近づいた頃には、太陽が遮られる程の大きさに畏怖しつつ、ただただ見上げることしかできなかった。
「南部にあった石柱群にも圧倒されたけど、正直段違いの迫力だわ……」
アリサが呆然とした様子で呟く。これほど巨大なものが、千二百年以上前から存在しているという事実が信じられないのだ。その気持ちはよくわかる。
カイトは辺りを見回した。
「それで記者さんは──おっ、いたいた」
高原の風と巨像の迫力のせいか、近づくⅦ組にも気づかない、白髪の生え始めた壮年の男性がいた。彼は導力カメラのシャッターをしきりに切っていた。
「貴方がノートンさんですか?」
代表してリィンが聞いた。
「いかにも僕がノートンだが、僕に用かな?」
事情を説明する。巨像の魅力が彼に早計な行動をさせてしまったようだが、特に自分勝手すぎる人でもないらしい。
「ふむ、集落の人たちには心配をかけてしまったな。わかった、早速戻ろう。あと二、三枚だけ撮らせてくれないかい?」
まあ、その程度なら……と一同は巨像を見上げる。これだけの存在を前に、何もしないでいるのは勿体ないのは確かだ。
「この巨像、本当に凄いですよね。ここまでの遺跡、他では見られないでしょうし」
リィンの何気なく出した話題はノートンが否定した。
「いや、ほかの場所にもあるにはあるんだよ。帝国西端のブリオニア島というところでね」
「あれ、それってB班が行ってる場所よね」
「ふむ、ノルド以外にもこのようなものがあるのか」
カイトが補足した。
「あとは、カルバード共和国でも像が出土したらしいよ。まあ、リィンの言う通りでこっちは十アージュくらいなんだけど」
「お、詳しいじゃないか。まあどれも詳しい謂れはわかっていないそうだが。僕はまさにそういう遺跡の写真をスクラップしていてね。ノルドに来たのもここの取材のためなのさ」
「詳しい謂れか……委員長ならわかるんじゃない?」
カイトとしても興味は尽きない。リベールの王都にだって封印区画が存在したくらいだ。この巨像にも何かしらの過去があるのは間違いないように思う。
そう思ってなんとなしにエマに聞いたカイトなのだが、当のエマは珍しく驚き口も変にどもっていた。
「カ、カイトさんっ!? どど、どうして私に……!?」
カイトのみならず他のメンバーも、Ⅶ組委員長の変わりようにぎょっとしてしまう。
「え……委員長は博識だし、本も読むから知っててもおかしくないって……なに、オレ変なこと聞いた?」
「あ、そういうことですか……すみません、私にも分かりません」
「なんか、アリサがシャロンさんに会った時の反応みたいだな」
「カ、イ、トォ?」
「だからグーはやめろって」
そんな漫才を始める男女一組をおいて、ガイウスが我関せずを決め込み説明する。
「古の時代、ノルドの祖先たちが東からやってきた時には既にここに在ったらしい。そしてその許しを得てこの地に根付いたという伝説がある」
アリサの拳を捌きつつ、カイトは一つの記憶を巡らせた。
『《輝く環》はリベール王家の言い伝えですけど、帝国にもそういったものはあるんですか』
『ふむ。そういったものは聞かないね。戦乱を平定した《巨いなる騎士》、《魔女》や《吸血鬼》なんていった伝承はあるが』
オリビエとの会話だ。
「《巨いなる騎士》の伝承は? ほら、《魔女》とか《吸血鬼》とかと一緒にある帝国の伝承の」
「まっ……」
またもエマが驚いている。
「……今日の委員長はどことなく落ち着かないな」
「ガイウスさん……あはは、私もノルドに来て気分が高まっているのかもしれません」
「巨いなる騎士か……どこかで聞いた気がするな」
リィンのぼやきにアリサが答えた。
「暗黒時代から帝国各地に伝わる伝承のことね。戦火の中に甲冑を纏った巨大な騎士が現れて、戦を平定する、なんていう──」
そんなアリサの滑らかな口上が解かれる。
「──リィン?」
彼女はリィンに注目していた。それでカイトもガイウスもエマもリィンを見ると、彼はわずかに下を向いて胸を抑えている。
「えっと、どうしたの?」
「胸が痛むのか?」
アリサとカイトの心配をよそに、瞑目していたリィンがすぐに復帰する。
「……いや、何でもないよ」
どうやらリィン自身にも心当たりはないらしい。心配しようにも病気の類ではなさそうで、何かがあるわけでもない。でも心配は心配で、若干どうすればいいのかわからなくなる。
「お待たせ! それじゃあ、行こうか!」
ノートンの朗らかな笑みで、A班の間に流れた微妙な空気はそのまま消え入ることになった。
────
ノートンをリィンの後ろに乗せ、カイトはガイウスの後ろに移動する。ついでに北部に迷い込んだ全ての羊を連れて、A班は集落に戻ってきた。
ノートンと別れ、リィンたちは残る子供たちへの特別授業の課題も達成する。
ウォーゼル家の妹弟たちも含めた子供たちと別れた時点で、午後四時に近づいている。
そこでトラブルは発生した。
集落の出入り口でそれなりの大きさの衝突音が響き渡ったのだ。都市部であれば珍しくもない程度の大きさだったが、静かな場所で起こったことと音の性質の緊急性から、何かしらの事故であることは明白だった。
「さすがに特別実習だ。忙しいなぁ」
「ですが、そうも言っていられません」
「ああ、行くとしよう……!」
A班が駆けつけると、人だかりが出来ていた。その中心には午前の課題で話した男性──薬師アムルがいて、彼の隣には珍しく導力車が鎮座していた。ただし、フロント部分から煙を吐き出している状態で。
「アムルさん、大丈夫かっ?」
真っ先にガイウスが駆け寄った。一応、アムルは意識もあればわずかに疲れた顔をしている程度だ。
「ガイウス、それに君たちか。心配をかけたようだね」
導力車は集落に一台だけある運搬車だった。彼が資材運びに戻ってきた折、本当に導力車を止める最後のところで運転を誤り、集落の柵に衝突してしまったらしい。
「怪我人は僕一人くらいさ。それに、ちょっと体を打った程度だ。誰も巻き込まなくて本当に良かったよ」
カイトが尋ねる。
「アムルさん、原因はなんなんですか?」
「たぶん、導力車の異常だとは思うんだけどね。けど僕じゃそこまで詳しいことはわからないし……」
彼の弁では、集落についたところで急にハンドルが重くなったのだという。それで曲がり角を曲がりきれずに衝突下とのことだ。ブレーキも聞いたし徐行に近い速度だったらしいので、大した負傷者がいないのは幸いだった。
「ふむ、なるほどね」
「ちょっと見てみるか。アリサ」
「まったく、わかってるわよ」
声をかけ、カイトとアリサが未だ煙をあげている導力車のフロント部分に近づいた。
「うわっ、煙くさ」
「こほっこほっ、それは当たり前でしょ。えーっと……」
その様子は慣れたもので、迷いをまったく感じさせない。手元の導力器に触れていく。
「二人共、わかるのか?」
「ま、オレはこういう事への対処もしてきたし。といっても無資格でも出来る範囲だけどね」
「私の場合は……誰だと思ってるのって話よ」
アリサはRFグループの関係者だ。もともと導力学や兵器群、導力器への理解が深かった。設備不良の導力器を調べるなど造作もないということだ。
「まあ、関係者といっても実際はそうでもないんだけどね。簡単な整備もできないのに専門技術者を名乗る社員も増えてるみたいだし」
ぼやくようにアリサが言った。それでも目線は手元から外れていない。「そうなのか?」とリィンが尋ねる。
「リベールのZCFと比べるとウチは巨大すぎるのよ。各部門が細分化されてそれぞれが巨大な縦割りになってるから」
ノルド行きの列車で話した独立採算性の件だ。
「カイトなら、多少はわかるんじゃない? ZCFの人とも親しいみたいだし」
「……そうだな。確かに、ZCFと比べるとちょっと組織として大きすぎる気はする」
カイトの返答は数秒の沈黙を作った。やがてカイトとアリサは顔を見合わせる。
「……なるほどね、どうやらエンジン周りの結晶回路の接触不良が原因みたい。ハンドルが重くなったのもその辺りが原因でしょうね」
「直りそうか?」
ガイウスが聞いた。集落に関わることだ、下手をすればアルム以上に真剣にアリサとカイトの返答を待っている。
「うーん、私は技術者じゃないしそこまではちょっと……。カイト、貴方は?」
カイトは両手を上げた。降参の意だ。
「修理用の道具がないと厳しい。それに道具が用意出来るなら、一緒に専門の技術者が見たほうがちゃんと直せるよ」
カイトの技術は応急処置的な意味を多分に含んでいる。直せなくはないが、今後のことを考えると自分でない方がいいレベルの損傷具合だった。
「ふふ、なるほど。見事な手際だ」
騒ぎを聞きつけたのだろう、ラカンとイヴン長老がやってきた。
「すまない、少しばかり遅れてしまった。まずはノートン殿の件について、礼を言わせてもらおう」
そして、イヴンは若者相手でも恭しく頭を下げたあと、導力車を見た。
「さて、諸君のおかげて事故の原因はわかったようだね?」
「はい、ほとんどはカイトとアリサのおかげです」
もう一度、先ほどの説明を二人にした。そうすると、イヴンもラカンも困ったように目尻を下げる。
運搬車は集落に一台限りのものだ。故障したままでは生活に支障をきたす。当たり前の反応だった。
そして、こういう状況になればⅦ組がどういう反応を返すかももはや当たり前になってきたわけで。
「だったら、俺たちに何か出来ることはありますか?」
本人はあまり認めようとしないが、リーダーとしてリィンが聞いた。
だがやはり全員の総意だ。ガイウスはもちろんのこと、カイトもアリサもエマも、この一日で集落の人々には世話になった。食事も寝床も、暖かな歓迎も。
恩を返さない理由はない。
ラカンは笑った。
「ふふ、それではお言葉に甘えさせてもらおうか。諸君らには、導力車を修理できる人間を呼んでもらいたい」
そうして、夕刻。Ⅶ組A班は集落を出て目的の場所に向かう。
ところが一同がたどり着いたのは南のゼンダー門ではなく、北のラクリマ湖だった。
「……綺麗」
「幻想的な景色ですね」
女子二人が感嘆の吐息をもらした。夕暮れで赤くなりつつある太陽の光が、湖の澄んだ水面によって乱反射している。その様子はこの世のものとは思えないくらいに美しく、どれだけ見ていても飽きないほどだ。
感動と寂しさと美しさ。そういったものが胸の奥底に去来する。やっぱり、ノルドはいい場所だった。
湖畔まで近づく。魚も生息しているらしい。
「うーん、釣りがしたくなるな」
「リィンってそんなに釣りが好きだったっけ?」
「ああ、昔はよくやったものさ。今もケネスに誘われて時々やってるしな」
「……なんか、釣り好きの知り合いに似てる気がするよ」
「誰のことだ?」
エステルのことだ。そういえば以前、ロイドも釣りを始めたと聞いたような気が。
止まる四人をガイウスが促した。
「さあ、みんな。ご隠居はこちらの小屋に住んでいる」
当然ながら観光で来たわけではない。集落の運搬車の修理のために、専門の技術者を求めてきたのだ。
その依頼のためにゼンダー門へと行こうとしたカイトたちを止めたのはラカンだった。導力器周りの修理については軍に連絡するよりも頼りになる人物が居るといったのだ。
ガイウスもそれは知っているようで、その案に賛成した。そうしてラクリマ湖畔にやってきたわけである。
「……帝国軍の工兵よりも適任の導力技術者か」
北部を回る時にガイウスからも聞いた話だ。帝国からやってきたご隠居……まさにその人物が、ラカンが指していた適任者なのだという。
その小屋は、湖畔を一望出来る場所に建てられていた。石造りの一階部分に、木造の二階部分。それぞれシンプルな造りだが、外階段からコテージに上がれるようになっている。都市部の住居では難しい、センスも感じる洒落たデザインだ。
例によってリィンが扉をノックして声をかける。
「すみません、いらっしゃいますか!」
陽気で年季の入った男性の声が返ってくる。
『おお、開いとるぞ。遠慮なく入ってくるがいい』
アリサがその声に目と口を大きく開ける。
それでも、一同は止まることなく小屋の中に入るしかなかった。
佇んでいるのは一人の老人だった。白髪で、いくつかは抜け始めてもいる。けれど目つきは若々しく、キセルを扱う姿は様になっている。
「ご隠居。ご無沙汰しています」
「おお、ガイウス。半年ぶりくらいかの」
当たり前だが知り合いであるガイウスとの最初の会話を挟む。ところが老人は、一旦ガイウスとの会話を止めてアリサに向き合った。
「それとアリサ、直接会うのは五年ぶりになるかな?」
老人以外の全員が驚いている。アリサも驚いている。
呆気にとられる一同だが、ここで気づいた。
アリサを知り、彼女に気さくに話しかけ、それでいて導力技術に精通しているという《ご隠居》。
それはつまり。
「お、お、お、……お祖父様!! どうしてこんなところにいらっしゃるんですかっ!?」
雷鳴のような絶叫が響き渡った。
来週の土曜日が今年の最終投稿になります。1年は早いですね……