心の軌跡Ⅱ~重なる標~   作:迷えるウリボー

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55話 鉄路を越えて~蒼穹の大地~④

 

 

 

ノルドでの特別実習二日目。既に夕刻となる時間帯。ラクリマ湖畔の小屋の中。

「グエン・ラインフォルト。そちらのアリサの祖父にあたる。よろしく頼むぞい」

 ご隠居──グエンはそう名乗った。

 グエンとⅦ組A班の六人で机を囲む。グエンに出された珈琲や紅茶を頂きつつ、簡単な自己紹介をされて、そしてこちらの名前を明かすことでようやく状況に頭が追いついてきた。

 彼は本当にアリサの祖父で、そしてラインフォルトグループの先代の会長なのだと。

 ルーレ駅で見たイリーナ・ラインフォルト現会長。キビキビとして一人娘にも淡々とした態度を貫いていた彼女の父親とは思えないほど、その言葉遣いと態度には軽妙なものがある。

「いや、しかし五年も経つと見違える程成長したのー。背はもちろんじゃが出てるところも立派に出て……うむうむ……! じじい冥利につきる……」

 孫娘に対してセクハラ発言全開である。オリビエよりもひどいかも知れない。

 趣味人。そんな言葉がカイトの脳裏に浮かんだ。

 ところがこの程度の発言は慣れっこなのか、若干引いているエマを尻目にアリサは驚き、怒っていた。

「お祖父様! 本当に今までどうしてたんですか!」

 紅茶をあおるように飲み干して、コップをどん、っと叩きつけて、アリサは身を乗り出す。

「すべてを放りだしてルーレからいなくなって……どれだけ私が心配したと思ってるんですか!?」

「一応、季節ごとに便りを出してたじゃろう? お前がシャロンちゃんに預けた手紙もちゃあんと読んでおるしな」

 生存報告はしていたらしい。けど、孫娘からすればそれでも心配するのも無理はない。

 アリサは沈黙の果てに声を絞り出す。事情を察することはできても知らないクラスメイトは、その様子を見守ることしかできなかった。

「……五年も前からここでずっと暮らしてたんですか?」

「うむ。もっとも一年の半分ほどじゃがな。残り半分は帝国に戻ったり各地の知り合いのところに遊びに行っておる」

「そう、だったんですか。でも私も……そうでなくても母様やシャロンだって……!」

「うむ? イリーナとは連絡を取り合っているぞ?」

 アリサの目が再び驚愕に飲まれた。手元を見ずにコップを探し、挙句隣のコップを奪って再びあおぐ。

「あ、オレの紅茶……」

「母様はお祖父様の所在を知っていたんですか!?」

「まあ、必要最低限じゃがな。わが娘ながら仕事が楽しくて仕方がないときている。やれやれ、どこでどう育ったらあんな仕事中毒(ワーカーホリック)になったんじゃか」

 少しだけため息をついて、そしてグエンは自分の持つコップを置いた。

「さて、それぞれ休憩もしたことじゃ。馬たちもそろそろ回復してるじゃろうて」

 グエンには、自分たちがここに来た事情を伝えた。ご隠居は、快く修理を引き受けてくれた。

「残念ながらワシの導力車もちと調子が悪くての。リィンといったか。悪いが乗せてもらえんかのう?」

 そうして、A班はグエンも連れて集落まで戻ってきた。夕暮れのノルド高原は昨日に続いて雄大で美しく、カイトはガイウスの後ろに乗る安心感も相まって景色を堪能しつつ帰った。

 リィンはグエンからいろいろとアリサのことについて聞かされ、アリサはそんな二人の様子に気が気でないようだったが。

 集落に戻り、グエンの修理の様子を見届ける。やはり手際はよく、導力車はあっという間に元の調子を取り戻した。

 その後、Ⅶ組やグエン、ノートンを歓迎する宴会が長老宅とその周囲で開かれることになった。

 歓迎される者たちに長老イヴンだけでなく、ウォーゼル家の面々や課題で話した遊牧民の人々までもがひっきりなしに訪れる。それぞれ陽気に語らい、歓迎され、絶品料理の数々でもてなされる。

 帰郷している身であるガイウスはもちろん、グエンの孫娘であるアリサも、才女のエマも、帝国貴族のリィンも、リベールから来たカイトもいろいろな人々と様々な話に花を咲かせることになった。

 そんな中でも、カイトはグエンとアリサの関係を考えずにはいられなかった。明らかにアリサは無理をしている。疲労も溜まっているようだ。

 そしてそれは、グエンと再会したときから加速しているように感じる。リィンも、エマも、ガイウスも同様に気づいている。

 グエンの動向が気になる、というのは別の者も同じなようで。

「いやぁ、驚いたね。あのグエン・ラインフォルトがこんな場所で暮らしていたなんて」

 たまたまリィン・カイトと同じ席にやってきた記者ノートンが、顔を赤らめてそんなことを言っていた。すっかり出来上がっているらしい。

「やっぱり、その筋では有名なんですね?」

「そりゃあ、導力革命を受けてラインフォルトをあそこまで大きくした人だからね。娘さんが会長職を継いでからはさらに大きくなったけど」

「ラインフォルトか……オレは帝国人じゃないから『帝国最大の導力メーカー』って印象が深いですけど」

「君はリベール人だったかい? 確かに、そうかもしれないね。けど昔ながらの帝国人なら、やっぱり印象は『火薬を使った銃や大砲を手がける武器工房』だよ」

 それが導力革命によってカイトが言った外国人からのイメージに置き換わった。ラインフォルトは大陸諸国でも手広く販路を拡大しているし、帝国では珍しい国際人でもあるのだ。

「しかし、その彼がどうして会長を辞めたのかは謎なんだよな。一節には病気と言われていたけど……」

 カイトが唸る。

「……病気? あれで?」

 グエンは今、長老と豪快に笑い合っていた。そして酒をあおっている。

 とても病気には見えない。

「こりゃあ、あの噂のほうが正しかったのかもしれないな」

「あの噂?」

 リィンが返す。

「おっと、なんでもない。ゴシップみたいなものだ。僕はブン屋じゃないからね、不確かな噂は控えておくよ」

 ゴシップネタ。だとすればそれは家族関係とか、グエン本人の失態とか、何かしら人の不幸を楽しむようなものだろう。確かに聞いて気持ちのいいものではない。

 話が一段落して、カイトとリィンはアリサをなんとなく眺めていた。彼女の隣りにいるエマも、アリサの変化に首を傾げる。

 少しの受け答えの後、アリサは両手を小さく振ってエマの心配を遮ったようだ。そのままアリサは長老宅を出ていく。

 歓迎会の賑やかな空気の中、Ⅶ組の四人だけはアリサの様子をじっと見てしまう。

 カイトはリィンに話しかけた。

「リィン」

「ああ」

「何も言わずに外に出るんだ」

「は?」

「さあ、何も言わずに」

「いや、今の『ああ』はそういう意味じゃないんだが……というか、なんで俺!?」

「その口ぶりからしてオレの言葉の意図はわかってるよな」

 つまり、外に出ていったアリサを介抱する役目である。

 リィンは慌てふためいて手を横に振る。彼にしては珍しい挙動だ。

「それなら俺じゃなくて委員長が適任だろうっ」

「リィン、委員長を見てみろ」

「見たぞ」

「こっちに近づいてきてるだろう?」

「それが?」

「あれはアリサをリィンに任せようという動き……つまりオレと一緒さ」

「数の暴力……!」

 リーダーへの容赦ない信頼だった。同時、エマだけでなくガイウスもこちらに近づいてきた。

「アリサさん、ちょっと風に当たりたいって。リィンさん、できれば付いてあげれくれませんか?」

「アリサも、リィンがそばにいれば少しは安らぐだろう」

 リィンはうなだれた。エマだけでなくガイウスまで同じことを言うものだから、とうとう何も言えなくなったか。

「……わかった。行ってくるよ」

 のろのろと立ち上がって、しかし姿勢を正して、リィンは意を決したように出ていった。

 その様子を見届けるカイト、エマ、ガイウス。

「二人の間に風が吹けばいいのだが」

「そうだね……ってガイウス、その表現って正しいの?」

「それにしてもリィンさん、どうしたんでしょう?」

「恥ずかしいんじゃない? アリサと二人っきりになるのが。さすがにアリサの態度になら気づいてるだろうし」

「でも、その……リィンさん、ちょっと朴念仁の気がありますし」

 容赦ない委員長の評価だった。

「でもこのノルドで、夜で、疲れてため息ついてる美人の女の子がいるんだぞ? さすがに男なら動くでしょ」

「カイトさんは動くんですか?」

「……これでも一応デートに誘ったことはある」

 クローゼに対して、エルベ離宮での一幕だ。あれを『誘った』として数えていいのかはわからないが。そもそもその恋は実っていないのだが。

「どなたを?」

「委員長、ちょっとオレの秘密を暴こうとするのやめてくれない?」

「ふふっ。でもお二人共……いろいろとお話ができるといいですね」

「そうだな……」

 アリサはイリーナやグエンとの邂逅で空元気になっている。リィンもそもそも入学した時から自戒的な性格で、リィン自身の姿をさらけ出せていないように感じる。

 二人っきりの時間、けれど話すことは多いだろう。いろいろと吐き出して欲しいと思う。特別オリエンテーリングで体をぶつけ合った仲でもあるわけだし。

「さて」

 カイトは立ち上がった。

「カイトさん?」

「二人共、青春の時間だ」

 エマはカイトの意図に気づいて少し顔を赤らめた。

「そんな、いけませんよ……!」

「まあ待つんだエマ・ミルスティン」

「こんな時だけフルネームで呼ばないでください……」

「オレたちだって、二人の仲間だ。だろう?」

「……」

「俺は異存はない」

「ガイウスさんまで!?」

「このかけがえのない時間を共有したい。それは俺も一緒だ」

「あはは、そういうこと。どうする、委員長?」

「……うう」

 実際、大事な話を盗み聞きするのは少しまずい気もしなくはない。けれど、カイトにはそれが盗み聞きにはならないだろうという確信があった。

 カイトはパルムで、ラウラとフィーはセントアークで自分をさらけ出した。ユーシスもバリアハートでその一歩を踏み出して、マキアスとの関係も改善している。個々人の関係だけではない。確実に自分たちは、Ⅶ組としての関係性を進めている。その喜びは、ガイウスが言ったようにみんなと分かち合いたい。

 リィンとアリサがその関係性を進めるなら、二人きりにしてやりたい。けど今、アリサが悩む葛藤も、リィンが抱える何かも、クラス全体で抱えたいものだ。例え二人が恥ずかしがったとしても。

 といっても個人的な興味がほとんどを占めていたが。

 結局、エマも乙女としての好奇心に抗えず、おずおずとついて行く。

「一から十まで全部は聞かないよ。でも、様子は見守ろう」

 三人は外に出た。昨日よりは明るいが、ガイウスの夜眼を頼りにしてアリサとリィンを追う。

 リィンには気配で気づかれるかもしれないが、できるだけ遠くの位置を取ろうとする。

 そうして集落の中でも住居がなく、開けているちょっとした坂の上にいた。

「お、みつけた」

 とカイトが言った瞬間、アリサがふらついてそれをリィンが支えた。二人の顔が近づく。

 エマが口を抑えて口を閉じつつ静かに叫ぶ。

「ア、アリサさんが……! リィンさんがっ……!」

「落ち着けって、オレよりはしゃいでるじゃん」

「ふふ、いい風が吹いたようだ」

 ガイウスもなんだかんだで楽しんでいるらしい。いい意味で若者らしく、Ⅶ組に染まっている。

『かなり体力を消耗したんだろう』

『そっか、そうよね。そんなことも──』

 辛うじて二人の声が聞こえる。けれどリィンたちがいる場所が坂の頂点になっていて、あちらからこちら側は発見しづらいだろう。カイトたちはそこで止まって聞き耳を立てることにした。

『アリサ。空を見上げてみなよ』

 つられて三人も空を見上げた。

 晴れている。雲ひとつない(くろ)い空。けれど星が満天に煌めいて輝いて、文字通りの星屑のようだった。黒、白、青、銀……それらの色がコントラストとグラデーションを描く自然のキャンバスは、自然と涙が出るほど美しかった。

 再びリィンの声が聞こえる。

『風に当たるんなら、俯いているより見上げたほうがいいんじゃないか?』

 カイトはエマと視線を交差させる。

「委員長……今の台詞どう思う?」

「いけませんね。女子からしたら犯罪級です」

「二人は何を言っているんだ?」

 カイトとエマの邪まな感情が理解できないガイウスだった。

 

 

────

 

 

 俯いているより空を見上げたほうがいい。そんなアリサに向けられたリィンの言葉は、けれど聞き耳を立てていた三人にも同じ行動を取らせた。

 まずカイトが寝転び仰向けになる。それを見たガイウスが颯爽と続き、エマも根負けして同じ姿勢となる。

 広がるのは、先ほどの感動をくれた、何千年も前からずっとここにある大天幕。

 特科クラスⅦ組A班は、今全員が同じ姿勢をとっていた。

『──年前だったわ──父が亡くなったのは』

 アリサの声が途切れ途切れに聞こえる。彼女にとっては聞かせる対象がリィンだけなのだから、仕方ないといえば仕方ない。

 カイトもエマもガイウスも聞き入る。自然こちらの声も小さくなる。

『確かに、随分やり手というか、凄腕といった女性だったけど』

『実際は──強烈でしょうね。──代わりに一緒にいてくれたのがお祖父様とシャロンだった──』

 アリサの実家の話だ。イリーナと、グエンと、シャロン。それぞれ癖が強く、アリサのような等身大に生真面目な少女がその中に混じるというのは、負担がかかっていたに違いない。

 けど、そんな少女は今リィンの柔らかさに絆されてゆるゆると自分のことを語っている。

「なあ、委員長。やっぱりリィンとアリサってお似合いだよな」

「ふふっ、そうですね。アリサさんからすれば、やきもきしてしまうでしょうけど」

「そういうもんか?」

「リィンさんの言動って、ちょっと紛らわしい部分がありますし……」

「もしかして委員長?」

「ノーコメントで」

 魔導杖があったらぶっ叩かれそうな雰囲気だった。

『シャロンさんとの付き合いも結構長いんだよな?』

『──七年くらいにはなるわ。家が家だから──』

「シャロンさんとはそこまでの仲か。なるほど、姉妹に見えるわけだ」

「オレやこの集落の人たちと変わらないな」

『貴族の子からは疎まれ、平民の子からは特別扱いされ──』

 カイトは思索を巡らせる。アリサの言葉やリィンとパトリックの一幕、ユーシスとマキアス。それだけで、この国を取巻く対立と、それによる悲運がわかる。

 対立する二つの間に挟まれた者が、どんな苦しみに喘ぐのか。

『──母は、会長である祖父の意向を無視して際限なくグループを拡大していった』

『もともと大きな技術工房ではあったんだろう?』

 ラインフォルト社の歴史は方方との関わりによって理解しているつもりだ。アリサが話しているのはおそらく、彼女が生きている現代の歩み。

『──ここ数年、うちが作ってきたもの──行き過ぎているとしか思えない』

 今の言葉は、遠くくぐもった状態でも彼女の惑いと怒りをはっきりと感じた。

 昼間の様子、イリーナとの会話。それらの記憶を合わせ、カイトはその答えにたどり着いた。

「──《列車砲》か。アリサが懸念していたのは」

 ガイウスとエマが返す。

「列車砲……? 授業で聞いたことがある気がするな」

「帝国東部、ガレリア要塞に設置されている、世界最大の長距離導力砲のことですね。まさかカイトさん……」

「格納されている状態だけど、見たことはあるよ。クロスベルの側からね」

 ガレリア要塞とは、クロスベル自治州と帝国東部の国境線、ガレリア峡谷にあることから付けられた名だ。

 帝国側から見れば峡谷を型作る山々をそのまま使用しているので、要塞は巨大で堅牢で強固なものだ。だがクロスベル側から見れば、クロスベルを監視するための監視場がある程度にはこじんまりとしている。文字通り峡谷の岩肌が続いているだけ。

 列車砲はその岩肌から、存在感を植え付けるように二門設置されている。

 クロスベル自治州の西端、ベルガード門は関所の役割も兼ねており、当然ながら列車砲の威容を眺めることができた。

「それで感じたのは……恐怖だけだ。足が竦む思いだったよ」

「それは……」

 拳銃で人を撃てば、体のどこかが穿たれる。大砲を撃てば戦車を破壊できる。当然ながら砲の口径が上がれば銃砲の威力は上がる。掌大の武器一つで人間を殺めることができるなら、小さな要塞と同程度の砲撃があればどれだけの被害がでる?

 カイトがクロスベルに来た時は既にリベール主導の《不戦条約》が結ばれていたから、列車砲が()()格納庫外に出ている状態ではなかったが、それでも写真で見たその光景と目の前に広がった景色は幻想を持つに余りある迫力だった。

 実際のところ、あれが放たれればクロスベルが終わるのは疑いようがないことだった。クロスベルは蹂躙される。それは領有権を争う共和国への()()だった。『クロスベルを取れば報復するぞ』という。

 ガイウスもエマも、カイトの説明には黙ることしかできなかった。

『とんでもないな。どう考えても戦争というより、虐殺にしか結びつかないと思うんだが』

『ええ、私もそう思う』

 同時、アリサが身内に関して感じたことも理解できる。列車砲という兵器を自分の身内が造ったこと、そうしてイリーナが会った時のようにそっけなく、グエンがいつの間にか消えていたこと──家族の形が崩れ落ちたことに関する怒りにも似た感情。

『──祖父も私と同じだった。なんという罰当たりな兵器を造ったんだろうって』

 グエンは列車砲に悩んだ側だったのか、とカイトは驚く。しかし今日の振る舞いを見れば納得できる気はする。

 となれば受注したのはイリーナだ。けれどその頃、どちらが会長だったんだ?

『帝国軍に二門の列車砲を引き渡すか迷って──母の裏切りにあった』

 リィンの張り詰めた一言が、嫌にはっきりと聞こえた。

『え……』

『グループの大株主全員を味方に──お祖父様は退陣を余儀なくされ──』

 カイトは、なんとなくエマとガイウスに聞いてみた。

「……二人共、家族に『裏切られた』って思ったことはある?」

 まずガイウスが。

「もちろん小さな喧嘩などはあったが……アリサのようなことはなかった」

「オレもだ。みんな優しかった」

 強いて言えば、クローゼにヨシュアへの想いを吐露された時にそれに近い感情を感じたか。けれど、もうそんな感情は抱いていないけれど。

「委員長は?」

 エマは沈黙した。沈黙が長すぎてアリサの声が再び聴こえようとした頃、ポツリと口を開いた。

「あります。私や他の家族を置いて出ていった……」

「……そっか」

 それが肉親であれば、情を感じる《家族》であればなお裏切りの亀裂は大きく入る。

 アリサはそんな壁を感じていたのか。家族に、それを取り巻く帝国と世界に。

『アリサは、納得がいかなかったんだな。お母さんのしたことというより、家族が壊れてしまったことが』

『ええ、そうね……実の父を陥れた母様も、それをただ受け入れたお祖父様も私は納得できなかった』

「アリサさん……」

 エマが同性だからか、それとも同じ経験をしたからか、何もカイトやガイウスへ言葉を繋げずにいた。

『あれたけ優しかったシャロンが何も言ってくれなかったことも。ラインフォルトグループの存在が私が思っていたよりも遥かに巨大で……その重みの前には家族の絆なんて意味がないなんて絶対に認めたくなかった……!』

 アリサの声が震える。ガイウスがほっとしたように言った。

「やっと……吐き出してくれたな」

 自立したかったというアリサ。けど、その本心はこうしてリィンに弱音を吐いた通りだった。

 自立したいのではない、確かめたかった。アリサもまた、ある意味ガイウスと同じだった。家族の外側に行き、家族と関わる軍属に入ることで、自分の家族の絆の在り処を確かめたくなった。

 そうして三ヶ月。シャロンが学生寮にやって来て出鼻をくじかれ、イリーナと再会してたたき出され、煮えていたところをグエンの飄々とした態度に放り投げられて。

 同じ裏切られたグエンでさえ、アリサと違って飄々と第二の人生を謳歌している。拘っているのは、空回りしているのは自分だけ。

 けれど。

『──星空を見上げたら、どうでもよくなったわ』

 再び、アリサの声がか細くなる。けれど、はっきりとわかった。今の一言は、これまでの弱気な叫び声とはまるで違った。

 リィンの声も自然、明るくなる。

『アリサは強いな。こうして俺に色々と話してくれたってことは、たぶん、前に進めるきっかけが掴めたってことだろう?』

『だとしたら、それはきっと士官学院に入ったから──』

 カイトも、エマも、ガイウスも。安心して星空を見上げた。変わらず美しいそれは、仲間とともに見ていると思うと、一層愛しく思えてくる。

 カイトは思った。大切な人と見上げるから、きっとこの空は美しいのだ。

『──本気で向き合える仲間と出会えたから』

 アリサがそう言った。そこにリィンだけでなくて、自分たちも入っていてくれれば、こんなに嬉しいことはない。

『だから、ありがとう。心配してくれて、空を見上げろと言ってくれて』

 エマの丸眼鏡が輝く。

「カイトさん……! アリサさんがついに言いましたよ!」

「委員長、はしゃいでるなぁ」

「やはり二人の言っていることがわからない……」

 ガイウスがそれをわかる日はいつになったら訪れるのだろうか。ことこの手の話題に関してはむしろリィンよりは朴念仁ではないはずだけれど。

 そしてⅦ組随一の朴念仁が何かのたまった。

『白状すると、追ってきたのはみんなに促されたからでさ。そのあたりは、申し訳ない』

「リィンあの野郎、そんな余計なことは言わなくていいんだよっ!」

「だめです、カイトさん! 今身を乗り出したら……!」

 完全に野次馬根性丸出しの二人であった。

『みんなって……まあいいわ、それは今後の課題ということで』

 アリサは笑う。そうして少しの沈黙となった。

 次に聞こえた彼女の声は、先ほどまでより幾分はっきり聞こえた。上体を起こしたのだろうか。

『貴方だって色々と頑張ってるんじゃない? 実習ではリーダーとしてみんなを引っ張ってくれているし』

『はは、自由行動日に似たようなことをしてるからな。本当はカイトがリーダーに適任だと思っているんだけど……』

 予想外にリィンから話題を出されて、カイトは呻いた。

「うぐっ」

 そんな風に思われていたのか。成り行きで集まった自分たちの中で、豊富な経験をしている自覚はある。けれどそれはたまたま自分がリベールの異変に関わっていたからで、そんな差もきっとすぐに縮まってしまう。

 同じような人間が集まる会社や組織ではなく、様々な立場と価値観を持つ例外だらけのⅦ組の中で、リーダーに求められるのはサラが言ったような重心としての安定性の役割だ。引っ張る力だけで言えば、ラウラやユーシスにだってあるだろう。

 だから、Ⅶ組のリーダーはリィンだと誰もが当たり前に思っている。

 もちろん、アリサも。

『うーん……それは半分正解で、全くの間違いだと思うわよ?』

『え?』

『カイトは実習の動きにも慣れてるみたいだし、エマとか、他の女子からもよくやってくれたって言っていたわ』

 カイトがエマをしたり顔で見た。エマは少しだけ恥ずかしそうに目を閉じていた。

『ラウラとフィーの間をとったことも。まあ、授業態度はあれだけど』

 途端カイトの顔が険しくなる。

「あれってなんだよあれって!」

「まあまあ、カイトさん」

「ふふ、カイトは頑張っていると思うぞ」

 つくづくアリサからの信用が薄い気がする。

『でも俺にはカイトみたいな実践で得た知識と度胸はない。世界を見てきたバランス感覚もない……』

『でも貴方は、カイトにはない、いいところをたくさん持ってるじゃない!』

 アリサの力強い声が、こちらまで届く。

『貴方とカイトの引っ張りかたは違う。カイトもそれを理解して貴方を立てているし、気づいていないのは貴方だけよ……!』

 アリサが断言した。リィンの言葉が少しだけ小さくなって、そして諦めたように吐かれた。

『いずれにしても、まだまださ。自分から逃げてるようじゃ』

『え?』

『……前に自分を見つけるなんてことを言ったけど、本当はただ逃げてるだけじゃないかって不安に駆られる時がある。家族からも、自分自身からも』

『……その、ご家族とあまりうまくいってないの?』

 カイトが、エマが、ガイウスが、お互いを見る。

「リィンさんのご家族って……」

「義理の両親と、それと妹がいるっていってたよな」

「ああ。歓迎会の前など、妹への土産物を熱心に見ていたぞ」

 パトリックに罵られた時などで自分を卑下することはあっても、家族のことを蔑ろにする発言なんて一度もなかった。カイトが孤児院やクローゼから手紙が来た時、リィンは「俺も妹と手紙を送り合っている」と楽しそうに笑っていた。

 そんなリィンが家族を蔑むなんて考えられない。あのリィンを育てた両親と、共に育った妹が、リィンを嫌うはずがない。

『──全部、俺自身の問題なんだ……』

 なのに、どうしてリィンはそんな悲しそうな声をしているんだ。

 ラウラとフィーがお互いに感じていたわだかまりよりも、アリサが抱えていた怒りよりも、ユーシスとマキアスが持っていた確執よりも。そのどれよりも、静かで、悲しく、諦めたような声をしているんだ。

 自分たちはリィンのことをまだそう多くは知らない。四人家族で、養子で、地方貴族で。剣術を納めていて、釣りが趣味で、人の機微によく気づいて。

 でも、リィンが今のリィンとなった根源を知らない。ユーシスやフィーやアリサの過去や、ラウラやガイウスがそう在る芯のような核を知らない。

 だから、リィンになんて声をかければいいかがわからないけれど。

  アリサが笑った。

『でもそんな風に言えるってことは、たぶん、前に進めるきっかけが掴めたってことでしょう?』

 ここ一番のクサい台詞が、リィンだけではなくてカイトにもエマにも突き刺さった。

『ふふ、もらった言葉をそっくりそのままお返しするわ。いつも、どれだけ恥ずかしい言葉を臆面もなく言ってるか、少しは自覚するといいんじゃない?』

『はは、参った。一本取られたよ』

 リィンはきっと、頭をかいているのだろう。こちらは胸をかきむしりたくなってくるのだけれど。

「なあ、委員長。あれであの二人……ただのクラスメイトなんだよ?」

「ええ、まあ、そうなんですけど」

「ふふ、リィンもアリサも元の調子に戻ったようで何よりだ」

 安定のガイウスであった。カイトは、ガイウスはずっとぞのままでいてくれと思った。

『そうだな、俺も少しずつ前に進んでるんだよな。こんなふうに、みんなと同じ時間を共に過ごすことで』

『ええ、きっとそうよ。この特別実習だって、きっと私たちの糧になるわ』

 少し、アリサの声が浮ついている。

 もしかして、アリサ。

「まさか、この場で……」

「言うんですか……!?」

 野次馬二人の鼓動が彼方(かなた)へと飛んで行く。

『だから──』

 十秒ほどの沈黙になった。そして鼓動が此方(こなた)へと戻ってきた。

『こんなふうに、()()()()──?』

 アリサの言葉が止まった。まだ自分たちが見えないところにいるのは気づいていないようだけど。

「あ。アリサにバレた」

「え、でもリィンさんは驚いてないようなんですけど」

 そういえば、アリサの声が途切れ途切れなのにリィンの声がやけにはっきり聞こえたのはもしかして……。

「も、も、も……もしかして──カイトォォッ!」

 アリサが絶叫した。心外な。まあこの三人であれば自分が疑われるのは仕方ないか。

 観念して、カイトは起き上がり身を乗り出す。エマとガイウスも続いてリィンたちに近づいた。

「よっ!」

 三人の姿を発見してアリサの口があんぐりと開き、夜でもわかるくらい赤面となる。

「ちょ……エマ!? ガイウスまで!!」

「あ、あはは……心配でしたので様子を見に来てたんですけど……」

「……」

 無言で腕を組み、穏やかに優しげに生暖かく笑うガイウス。やや朴念仁らしい挙動だった。

「あ、あなたたち……いいいいつからいたのっ!?」

 もはや恥ずかしさが頂点に達したお嬢様は、声がどもり裏返りで、なんとも可愛らしいご様子だ。

 さて、いつから自分たちは聞いていたのか。カイトはのんきに考える。

 リィンが空を見上げろと言った時か。アリサの感情を当てた時か。前に進めるきっかけの話かか。それともアリサが言い返した時か。

「えーっと……リィンが小っ恥ずかしい台詞を言った時くらいから?」

「それ──いつのことよぉぉ!!」

 とどめの一撃を焚べてやるカイト。

「『でもそんな風に言えるってことは、たぶん、前に進めるきっかけが掴めたってことでしょう?』」

「やめなさいよぉーっ! あれはリィンの恥ずかしい台詞をそのまま返しただけで!」

「うん、知ってた」

「お二人共素敵な時間を過ごせたみたいで……」

「悪いとは思ったが、いい場面に立ち会わせてもらった」

 満面の笑みのオーディエンス三人組であった。ちなみにリィンは三人とは違う種類だが柔かい笑みを浮かべているのは同じだ。

 とうとうアリサが悪乗りしだす。

「ああもう、なんで私が一番恥ずかしい思いをしてるのよ!」

 エマを羽交い締めにして、カイトにも鋭い目線を流して叫ぶ。

「ええい、こうなったらあなたたちも加わりなさいよね! 恥ずかしい青春トークを一緒にぶちまけてもらうわよ!」

「ええ!?」

「いや、オレ五月にアリサと委員長に色々吐かされたじゃんか!」

 そのまま可愛らしく取っ組み合う女子二人を、カイトは呆れた様子で見やる。

 視界の端ではガイウスがリィンに近づいていたので、アリサの隙をついてそちらに逃げた。

「お疲れ様だったな」

「いや、こちらのほうが力づけてもらったくらいさ」

「リィンもオレたちに気づいてて喋ってたなんて……ほんと罪作りな男だよ」

「意味がわからん……俺が適任って言っただけで、三人だってアリサの心配をしてただろう?」

「いやまあ、そうなんだけど」

 敢えて自分たちに声を聞かせていたのか。完全な善意で。いよいよアリサが可哀想になってきた。

「なあ、ガイウス」

「なんだ?」

 リィンがガイウスに語りかけてから、空を見上げた。

「本当に、いいところだな」

 ガイウスも同じようにして答えた。

「ああ、そうだろう?」

 そんな様子の二人と、いつの間にか笑い合っている女子二人をカイトは見た。

 先月も思ったことだ。このクラスは最高だ。

 確執を乗り越えて、まだまだ全員のすべてを知らなくたって、一緒に過ごしてきた時間がそう確信させる。

 カイトも今、空を見上げて、大切なことな人たちを守りたいと思う。

 Ⅶ組のクラスメイトだって──帝国で出会った人だって。

 今、全員が浮かべている屈託ない笑顔。こんな風景を見続けるために、生きていきたい。

 本当に、ここはいい場所だった。

 







展開的にも、キリがいい年末年始の投稿です。
青春ですなぁ(盗み聞き)


次回、急転直下の56話「高原の火種」
来年はいつもの軌跡イヤーとは違って、9月に何かというわけでもなく1月からアニメも放送されるスタートダッシュ。楽しみに待ちたいと思います。

この投稿の数分遅れくらいに活動報告もあげようと思うので、お読みいただければありがたい……!

それでは皆様、良いお年を……!
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