心の軌跡Ⅱ~重なる標~   作:迷えるウリボー

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58話 リィン・シュバルツァー①

 

 

 エリゼ・シュバルツァーの捜索のため、カイトは学院内を歩いていた。

 アリスとユーシスとの会話。それによって今までの学院生活で最大級の混乱を受けることになったカイトだが、そこはなんとか平静を取り戻した。あとでユーシスに聞かなければいけないことがいろいろとできてしまったが。

 そうして屋外の敷地を巡回し、旧校舎の前へとやってきた。

「まさか俺の時みたいに絡んで怖がらせたんじゃないだろうな!?」

 果たしてこの判断が正解だったのかはわからないが、結果としてカイトは当事者と顔を合わせることになる。

「リィン……!」

 そこには三人いた。全員が男子生徒。カイトの声に三人が反応した。

「レグメント、君か……」

 まずパトリック。

「よっ」

 そして軽い調子のクロウ。

「カイト……」

 と、いつになく焦燥感を顕にするリィン。先ほどの怒声は彼のものだ。兄妹の会話の詳細はわからないが、そこまで深刻なものだったのか。

「状況はユーシスから聞いてるよ。オレはグラウンドからギムナジウム前を通ってここに来たけど……どうして二人が?」

「ああ、Ⅶ組(お前ら)も妹ちゃんを探してんのかよ」

 クロウがのんきに言った。彼は正門前で図書館方向に走っていくエリゼを目撃していたらしい。それでリィンについてきたのだ。

 そしてパトリックもまた、エリゼを追いかけてきたくちだ。それを聞いてカイトも邪まな想像が働くが、パトリックは必死に否定する。

「だから違うと言ってるだろ!? 彼女が涙ぐんでいたから気になって……それでこっちに走っていったのを見ただけだ!」

 後で聞いた話、正確にはパトリックはエリゼに話しかけもした。だが気にかけるあまりの行動だっただけで、本当に悪気はないようだった。

 カイトと同じ勘違いでリィンの逆鱗に触れかけたらしいが、先月の実技テスト以降、彼も大人しいのでその辺りは信用できた。

「リィン、気持ちはわかるけど今は妹さんが先だ」

「あ、ああ……そうだな」

 クロウが旧校舎を見てぼやく。

「ま、こっちの方に来たのは間違いなさそうだな。俺とパトリック坊やの目撃情報のうえ、逆方向から来たカイト後輩は見ていないと来た」

 とすれば、残るは旧校舎だ。しかし鍵は学院とⅦ組で共同管理しているし、第四階層の調査の後に施錠したばかり。

 リィンとカイトが旧校舎を見上げる。

「……まさか」

「嫌な予感は当たってほしくないけど──」

 

 

 その時。

 

 

──第四拘束解除後ノ初期化ヲ完了──

 

 

 声が、聞こえた。

 驚くリィンとカイト。お互いの様子を見て、今同じ戸惑いを感じていると理解する。

「おい、どうした二人とも!?」

「んん……?」

 戸惑うパトリックと不思議がるクロウ。

 二人には聞こえていなかったのか。

 なんだ、今の()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は。

 

 

──起動者候補ノ波形ヲ50あーじゅ内ニ確認──

 

 

 再び声が聞こえた。リィンとカイトは互いを見る。

 場所は旧校舎の前。こんな場所で近くに不可思議な現象が起きる源なんて、ひとつしか考えられない。

 迷うことなんてなかった。カイトとリィンは旧校舎の中に入る。理由はわからない、しかしかけたはずの鍵はやはり開錠されていた。

「お、おい……!?」

「……とりあえず行くぜ、パトリック坊や」

 後ろからそんな会話も聞こえた。クロウとパトリックがついてきたのだ。

 

 

──コレヨリ『第一ノ試シ』ヲ展開スル──

 

 

 焦り始めるリィンに代わり、カイトが二人に告げた。

「オレとリィンは下層に降ります」

「行くのかよ?」

「はい。さっき攻略したばかりなんで、武器がまだあって良かったです」

 太刀と双銃をそれぞれ構える。

 その時。

 

 キャアアアァァッ──!!

 

 反響する少女の悲鳴。

 誰のものか、クロウ以外の三人はわかった。エリゼは下層にいる。

「行くぞ……!」

 いてもたってもいられず、リィンが走る。同行する三人。

 カイトが昇降機のボタンを操作する。迷うことなく第四階層へ。

 先程は暇を持て余した降りの時間が、ここまでもどかしいとは思わなかった。

 やがて昇降機から第四階層の始点が見えてくる。

 緋色の扉は開かれていた。その扉の中から出てきた存在がいた。

 目測でもわかる。全長五アージュはあるであろう巨大な甲冑。それを纏う誰かがいるように感じる滑らかな動き、しかし唯一露出されている頭部には()()()()()、首なしの機械人形だ。手にはその巨大さに見合う迫力の斬魔刀がある。

 そしてその足元には。

「エリゼええええっ!!!!」

 リィンが叫んだ。甲冑の足元で気絶しているのか、横たわった少女は反応がない。

 甲冑──オル・ガディアの手元が動いた。その右手が振り上げられようとしている。数秒後に行われる悲惨な光景が幻視され──

「リィン! 動くぞ──」

 即座に叫び、カイトは救助に動こうとした。しかし隣から返事がない。

 普段のカイトなら、リィンに異常があっても迅速に動けるくらいの判断力があった。仮にも一人前の遊撃士だ。危機に瀕した民間人を助けるだけの技量はある。

 だが今、動けなかった。隣の少年から──穏やかなⅦ組のリーダーから、おぞましい殺気が放たれていたから。

「リィン……!?」

 封印区画でのリシャール、王立学園旧校舎のブルブラン、それらで感じた人が人へ向ける殺気ではない。

 浮遊都市で戦ったアンヘル・ワイスマンのような。正体不明の化け物が──

「リィン、なんだよ、それ……」

 スローモーション。

 オル・ガディアの斬魔刀が振り上げられる。

 リィンが手で抑える心臓から、《黒い波動》が蝕むように、脈打つように響く。

 斬魔刀が完全に頂点に達する。

 ()()()リィンの声が地から蔓延る鳴動のように聞こえる。

 斬魔刀がエリゼに向かって振り下ろされる。

 リィンが納刀されたままの太刀を構えた。

 エリゼの命が、今まさに切断されようと──

『ッシャアアアアッ!!!!』

 始めは耳元で、末尾は遥か向こうで聞こえた。同時に耳をつんざく轟音が肌を痺れさせる。カイトの隣で旋風が舞った。

 リィンは、既にオル・ガディアの至近距離にいた。エリゼに襲いかかった斬魔刀を、それと比べれば風に吹かれる髪の毛のような太刀で吹き飛ばして見せたのだ。

「今……跳躍したのか!?」

 甲冑ごと斬魔刀が緋い扉の奥へ吹き飛び、地響きに揺れ、土煙が舞う。背から壁に叩きつけられたその敵とエリゼの間に、抜刀姿勢を貫いたリィンがいた。

 カイトが目に捉えたのは確かにリィンのはずだ。背丈、得物、容姿、制服と、それは確かにリィン・シュバルツァーのそれだ。

 ただ、後ろ姿から見える髪色だけが、鈍く輝く()()だった。

「リィン、なのか?」

 カイトが呆然と呟く。

「……だろうな。それしかありえねえだろ」

 クロウが現実を見た。パトリックはそもそも声を出せていない。

 エリゼは、まだ意識を取り戻していない。

 リィンはゆっくりと歩を進めた。血を払うように太刀を振り、しかし納刀はせず、緋色の扉の奥に向かう。

 転んでいたオル・ガディアが軋轢を響かせて起き上がろうとしている。

 エリゼだけが、まだ動かない。

「いけない……!」

 危険だ。エリゼも、リィンも。

 停止しかけたカイトの思考が徐々に戻ってくる。

 オル・ガディアの存在も、リィンに起きた現象も、理解不能。けれど思考を止めるな。現実から逃げるな。確かに自分は今ここにいる。自分の命が、誰かの命が脅かされている場面にいるのだ。

 自分は何者だ。カイト・レグメントだ。

 仲間を助けて、仲間の家族を救うために、ここにいるのだ。

「──パトリックはエリゼちゃんの介抱を! オレは()()()を助ける!」

 双銃を改めて構える。ARCUSのクオーツも十分セットされている。影の国の時に比べればまだ最大威力ではないが、それでも戦えるようになってきたのだ。

「クロウ先輩は──」

 状況を上に伝えて、と言おうとして遮られた。

「俺だけ仲間はずれかよ? カイト後輩」

 チャキ、と金属音。クロウが取り出したそれは、カイトと同じ双銃。

「へへっ、たまたま射撃場での練習帰りで助かったぜ」

「先輩……!」

「リィン後輩の様子はわからんが……正気じゃねえのは確かだろ。俺たちも気張るぞ!」

「はいっ! パトリック、頼んだからな!」

 そう言って、カイトとクロウは左右に分かれて走り出した。

「ああもう、わかったよ!」

 背後で、パトリックの存外に頼もしい声が聞こえた。

 カイトは紅蓮の波を纏う。まずは位置を取らなければ。

 そうする間に、ついにオル・ガディアが起き上がった。

 リィンが、銀の髪を揺らして再び構える。脇を締めつつも肘を上げ、半身で刀身を眼前に。

 構えそのものは練り上げられた美しさがあった。しかし纏う雰囲気は。

「……滅ビヨ」

 その刀身を煉獄の焔があぶり出す。刹那、圧倒的な気迫とともにリィンが駆けた。

 先の瞬間移動とも見紛う速さではなかったが、それでも例えばヨシュアに迫る高速だった。灼熱の太刀が振り払われ、リィンの奥義がオル・ガディアの甲冑を溶かしていく。

「……援護の必要あるのか?」

 カイトは駆動を保ったまま冷や汗をかいた。リィンの今の戦闘力は破滅的だった。自我が保たれているのかはわからないが、幸いにもエリゼや彼女を保護しに動いたパトリックに危害を加える様子はない。

 ダメ押しとばかりに、カイトは魔法を放った。セラフィムゲイトの時と同じように、火球爆撃(イグナプロジオン)がリィンの生み出した灼熱をさらに燃え上がらせる。

 その炎の塊から斬魔刀が出て、ここにない天に捧げられ──稲妻がリィンとオル・ガディア自身を叩きのめす。

「くっ……!」

 あまりにも強い帯電が、直撃しなかったカイトとクロウにも強かな痙攣を強要してくる。

 その衝撃によってオル・ガディアに纏われていた劫火は振り払われた。鉄の溶けた臭みが周囲に漂うが、それだけだ。首なし甲冑は未だ変わらずに動き続ける。

 リィンも、ちょっとした防御姿勢をとるだけだった。まるで意に介さず、再び歩き出す。

 衝撃が大地を揺らした。オル・ガディアが跳躍し、リィンに向かったのだ。人の大きさならば一アージュ跳躍した程度のそれだが、近い距離にいたカイトは浮遊都市陥落前の地響きを思い出した。

 その圧倒的な一撃を、やはりリィンは当たり前のように鍔迫り合いで止める。

「……物理法則はどうなってんだ!?」

 目の前で生じた現象は、日常生活では絶対に見られることのないもの。子供が大男を軽々と持ち上げるような、そんなことをリィンはしている。

 けれどオル・ガディアも負けはしない。リィンはいかなる理由か身体能力が跳ね上がっているが、あくまで互角になっただけだ。鍔迫り合いから身を翻し、リィンの隙をついて一撃を食らわせる。

 それはかつてカイトもパテル=マテルに貰いそうになった、巨大人形の殴打。それをリィンはまともに受け吹っ飛んだ。

 壁に激突──はしない。その直前に体を反転させ、衝撃を膝の屈伸で吸収して、五アージュほどの距離を壁を蹴って突進した。それでむしろオル・ガディアに反撃しようとしている。

 様子を観察し動けないカイトに、リンクの光軸が伸びる。

「カイト後輩! リンクを繋げ!」

 リィンの援護に向かった二人の得物はともに双銃。オル・ガディアを相手に有効打を放つには、相当に精密な射撃が必要だった。

 クロウの叫びに一瞬意味を図りかねてしまうが、すぐに察する。去年この先輩は、自分たちⅦ組と同じことをしていたのだ。

「了解!」

 カイトの側からも光軸が伸びる。それは了承の合図。初めて行われたⅦ組メンバー以外との連携だった。

『ARCUS駆動!』

 お互いの意思が感覚となって伝わる。

 

 とにかくアーツをぶっ放せ。

 なら、精密射撃を頼みますよ。

 

 カイトは琥珀の波を纏う。リィンとは別の方向に走り、前線に躍り出る。

 今はオリビエ秘蔵の狩猟の弾丸(ハウリングバレット)を持っていない。ならば陽動を。

「ほらよ首なし! こっちへこいよ!」

 オル・ガディアの体がわずかにカイトへ向いた。それはまだ単なる構えか、カイトも敵と認識したのかはわからない。

 それよりも、今の位置で初めて、リィンを正面から観察することができた。

 鮮やかな緋色の瞳。それが、殺意と怒りによってどす黒く濁っている。

 リィンに突進しようと身を屈めるオル・ガディア。させはしない。カイトは琥珀の輝きを収束させる。

 オル・ガディアの足元から大樹の根がいくつも蠢き突き出る。それらはカイトの意のままに動き、一斉にオル・ガディアを串刺しにせんとする。

 甲冑は硬く、弾かれる。それでも運良く関節部に向かった根が肘に突き刺さり拘束に成功する。

「ナイスだぜ後輩!」

 止まったままのクロウが、真剣な様子で銃の引き金を引く。双銃故に大威力ではない、けれど膝に直撃しオル・ガディアを震わせる。

 魔法ユグドラシエルの攻撃は、何もクロウへの布石だけではない。聞こえているかはわからないけれど。

「行けぇ、リィン!」

「オオオォォ──」

 その咆哮は先ほどよりも、ほんの少しだけ殺気が失せていた。それでもその破壊力は落ちない。前傾して太刀を引き絞り、突進。

 (はや)い。一撃、角度を変えての再度の一撃、を繰り返す。それはカイトには覚えがあった。八葉の二の型《疾風》だ。

 カイトによってオル・ガディアが拘束されていたことが功を奏した。リィンの連撃が正面から甲冑を捉え、切り裂くには至らなくても押し込む。バランスが崩れ、オル・ガディアは後ろに尻もちをつく。

 それだけで旧校舎が再び激震した。鋼同士に石や鉄、とにかく硬い物質同士が衝突する大音響。

 耳を抑えながらも、カイトは戦闘から目を背けはしない。まだ、決死の時間は去ってはいない。

 だが。

「リィン!?」

 再び、少年が胸を抑える。髪は銀髪。その双眸は強く閉じられ、苦しみに喘いでいる。

 オル・ガディアが巨体なのが助かった。まだ復帰に時間がかかる。

 だからカイトとクロウはリィンの様子を注視することができた。

 胸から這い出る、黒い脈動。それがリィンの手の動きに合わさって、少しずつ……少しずつ、収まってきている。

「力を……抑えようとしてんのか」

 クロウの表現は、的を射ていると思った。最初の疾駆、次の焔の太刀、たった今の疾風。技が放たれる度、リィンの破滅的な殺気が少しずつ収まっていた。

 カイトの表情が苦虫を噛み潰したようなものとなる。

「ふざけるなよ、リィン。お前だって、こんな得体のしれない何かに負ける奴じゃないだろうっ!」

 自分を弱虫だといいながら、太陽の少女に絆されて、完全に呪いを断ち切った奴を知っている。

 お前にだって、オレたちがいる。Ⅶ組がいる。

 リィンの今の価値観を形成する根源がわかった。こんなものがあるから、ずっと自戒的だったのか。

「だったら教えてやるよ。自分を貶めることが、オレたちを貶めることと同じことだって」

 だから。カイトはあらん限り喉を広げて叫ぶ。

「リィン! 戻ってこい!!」

 

 

────

 

 

 暗い場所にいた。

 そこには、俺がいるのかすらもわからなかった。

 ただ、()()であった時の感情だけがある。

 記録のように無機質で灰色で、黒く蠢く記憶。

 あの冬の日、獣道を歩いた。

 妹と一緒に、ちょっとした冒険のつもりだった。

 熊の魔獣に襲われた。小さな自分たちには大きかった。

 為す術もなく嬲られ、頭からは血が滴る。

 華奢な少女の震える手と、脈打つ心臓だけが鮮明で。

 恐怖と怒りに駆られた自分は、おぞましい何かとなった。

 木を切るための鉈で、魔獣を何度も切り刻んだ。

 黒く脈打ち滴り蠢き囁く、声に突き動かされて。

 そして、()と同じように大事な何かを壊してしまった。

 

 ──今とは、いつだ?

 ──妹とは、なんだ?

 ──仲間とは、誰だ?

 

 俺は、いったい何者だ。

 

『グーテンターク。我が愛しの教え子よ』

 軽い言葉と真摯な考えで、可能性を与えてくれたサラがいた。

『僕は……今は、間違っていなかったって言えると思うんだ』

 進路に悩みと憂いを抱えても、Ⅶ組に来てそう話してくれたエリオットがいた。

『そなた……剣の道は好きか?』

 まっすぐ心を伝え、それでいいと言ってくれるラウラがいた。

『リィンは俺たちにとってかけがえのない仲間だ。どうか自分を貶めないでくれ』

 どこまでも雄大として、自分の価値を説いてくれたガイウスがいた。

『想いを伝えれば、ちゃんと解ってくれますから』

 確執が残る人との仲を、導いてくれたエマがいた。

『リィン、君とのわだかまりだってまだなくなったわけじゃないぞ!?』

 そう、まるで怒ってもない口調で叫ぶマキアスがいた。

『私……ラウラと仲良くしたい』

 迷いながらも、自分の感情を吐露してくれるフィーがいた。

『未熟なのはお互い様というわけか』

 穏やかな夜更けに、自分のことを語り合ったユーシスがいた。

『だから、ありがとう。心配してくれて、空を見上げろと言ってくれて』

 星空の下、心を通わせたアリサがいた。

 

『オレたちは出自不明の同士だしな』

 自分たちは何も変わらないと、そう言ってくれたカイトがいた。

 

「グッ……オオオオッッ……!」

 俺は、リィン・シュバルツァーだ。

 シュバルツァー男爵家の長男だ。エリゼの兄だ。トールズ士官学院の生徒だ。

 特科クラスⅦ組の、重心だ。

「リィン! 戻ってこい!!」

 カイトの叫び声が聞こえる。こんな姿を晒しても、君はそう言ってくれるのか。

 心臓を抑える。それでも太刀は離さない。

 「戻ってこい」と言われた。そうだ。自分はあの冥府にはいたくなんかない。

 これ以上、呑み込まれてたまるか。

「くっ……はあ、はあ……」

 急激な脱力感が襲ってきた。水の中を動くような重さ。力を奮い立たせてなんとか膝が折れるのを防ぐ。

 赤黒い視界が、普段の色彩に戻っていく。見えてきたのは、旧校舎地下の石造りの部屋。未だ動きを止めようとしない首なし甲冑。

 鏡はない。けれど目の色と、髪の色が元に戻ったのは理解できた。

「リィン……! 大丈夫か!?」

「カイト……すまない、迷惑をかけた」

「謝るのも説教も、諸々後だ! 動けるか!?」

「な、なんとか……」

 カイトが近づいてきて、魔法を駆動させた。それは回復魔法(ティアラ)で、自分に向けられたものだ。焼け石に水だが、ほんの少しの清流が心地いい。

 だがそのカイトに狙いを定めるオル・ガディア。首なし甲冑は立ち上がり、再び破壊を撒き散らそうとする。遊撃士として経験を積んでいるはずのカイトが、気づかないはずがないのに。

 リィンは声を振り絞る。

「あ、危な──」

 だが、カイトは見向きもしない。焦りもしない。

 気づいた。カイトに、俺のものではないARCUSの光軸が結ばれている。

 オル・ガディアの周囲に発射された銃弾がばらまかれた。それは曲線を描き、雨あられのようにオル・ガディアの振り上げた側の肘に炸裂。一発一発は弱くとも、精密かつ抜け目ない一撃は一度斬魔刀を遠くへ弾くことに成功する。

「クロス・レイヴン──単体バージョン、てな」

 カイトではない。これは、その後ろからの援護射撃だ。

 カイトが近づいてきた。クロウも近づいてきた。

 辛くも立ち上がる自分の左右を守るように、双銃を持つ二人が颯爽と前線へ躍り出る。

「手配魔獣どころか化物教官クラスか、こんな修羅場は半年前に卒業してるっつーのになぁ」

 笑うクロウ。

「目標、首なし甲冑! あくまでリィンの太刀が頼りだ……頑張れるか!?」

 カイトが、目の前の驚異を前に油断なく構える。リベールの異変を駆け抜けたという少年は、こんなにも頼もしい。

 リィンは太刀を握り締める。

「……やれるさ。いつかこんな日が来た時のために、俺は太刀を手にとったんだ」

 まだ、恐怖を克服できてはいない。けど、仲間のために、妹のために、今だけはこの状況を切り抜いて見せる。

 あの冬の日を、自分自身を取り戻すためにも。

「先輩、カイト……頼みます!」

「おうよ! 攻撃もアーツも戦術リンクも、全部つかえ!」

「了解! オレたち三人なら、いけるはずだ!」

 斬魔刀を持ち直したオル・ガディアが、三人へと増えた敵性対象を捉え、甲冑の鉄の響く音を咆吼のように響かせる。

 再び、《第一ノ試シ》が執行される──。

 

 

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