SIREN in Bloodborne 作:猫屍人
東洋の古家、神代家の家宝とされていた異邦の武器
刀身には東洋の「生」の逆さ字が刻まれており、
星に由来する希少な隕鉄が用いられているため、しなやかながら頑丈
全体からは蒼い炎が吹き出しており、それは神の首をも焼き切った
この武器には小さな山村の守護獣が宿っており、それが炎を生み出している
故に守護獣の意思が担い手を認めなければ、それはただの丈夫な刀でしかない
異界を殺してはまたひとつ。異形を殺してはまたひとつ。
煉獄の炎が立ち上り、赤い涙を流す異形を焼き尽くす。鉄のように重たい火の雨が、飛び回る人の面影を残した異形を撃ち落とす。握りしめられた土偶が掲げられ、その世界に巣食う異形のすべてが掻き消える。
炎だけではない。振るっていたのは日本刀。不可思議な青い炎を僅かに纏った刀身には「生」の文字、いや、マナ十字架という信仰のシンボルが掘られている。
握っているのは少年だ。まだ人の姿を残しているとはいえ、怪物を殺せるなどと言っても到底信じられないような、少し夕方の街を探せばいるような少年でしかなかった。
「ここも、終わりかな」
少年、須田恭也はその体を薄れさせながら呟いた。
彼はとあるオカルト掲示板の書き込みから自転車を駆り、山間部にある羽生蛇村という村人たちの儀式に巻き込まれた経歴を持つ。その贄として殺されようとしていた少女を救い出し、一緒に行動し、そして犠牲になってしまった少女の願いに応え、異教の神と崇められていた化物の首を落とすという偉業を成し遂げた。
だからこそ、彼は神殺しに相応しい非日常へとその身を堕とされてしまっていた。
身体が透けているのは、その場所が異界ではなくなったから。そう、彼は普通の世界に存在することを許されず、異形が犇めく異界でしか生きることができなくなる輪廻に囚われているのである。
「美耶子、どこまで続くんだろうな」
彼の背後で、彼よりもずっと存在の透けた少女、美耶子が流す涙もなくなった身体で悲しみのあまりに顔を歪めた。だが、彼はそれを知覚することは出来ない。これもまた、彼の…いや、彼らに課せられた呪いであった。
かつて約束しあった二人は何よりも近い距離に居るにも関わらず、恭也は美耶子の特別なものが見える視界を借りるという能力でしか彼女がいることを知覚できない。また、少女は声を出そうとも決して彼に届かず、手で触れようにも決して触れない。
それでも、かつての約束で彼らは異界を巡り、異形を殺し続けている。それは何故か。もう、彼は約束の理由すら忘れてしまっているのに。
幾度となく繰り返され、時間という感覚すらも消え去った彼にできるのは、異形の存在を狩り尽くすこと。その先に何があるのかは分からないが、「もしかしたら」。それを想うだけで、また彼は立ち上がれた。
もう、時間だ。
恭也はその世界から消え去る直前に、ふと脳裏をよぎる約束の少女の姿を思い浮かべた。思い浮かべたはずだった。
どうしてだろうか。彼女の顔は、どんな顔だっただろうか。
彼女の声は。
獣狩の夜が始まった。
秘匿で空は覆い隠され、獣が蔓延る街には蕩けた瞳の民衆が、獣を狩らんと一念発起。されど彼らは気づかない。すでに獣とは無縁のモノを獣とみなす、自分たちこそが獣と成り果てていることに。
此度の夜はとても長い。狩人はまだか。狩りの成就はまだかと、家屋に閉じこもる民衆は焦る気持ちとともに狂い始める。または、狂う前に家屋の扉を巨大な獣に食い破られ、恐怖とともに臓腑をぶち撒けている。
そこは地獄か。いや、その街こそが医療と神秘に見えた現実の街「ヤーナム」であった。
街を歩くは獣ばかり。
街が照らすは血にまみれた獣ばかり。
振り上げられた爪は新たな獲物を切り裂いて、
路地をすり抜ける弾丸が獣の脳漿を撒き散らした。
ぼんやりとした景色が薄れていく。
須田恭也が意識を取り戻す頃には、先程まで居た場所とは全く違う様相を呈していた。いつもと変わらぬ異世界の景色は、相も変わらず不定形に満ちあふれているはずであった。焔薙ではなく、背中の猟銃を取り出した彼は、数発の弾丸で毛むくじゃらの化物をようやく撃ち殺して、はたと気づいた。
「あれ? どこだここ」
これまで彼が巡ってきた異界は、コンクリートジャングルや日本の様式を各所に残した、平たく言えば国内にて発生した場所に限られている。ある程度の現代様式が見受けられたり、最近になって言えばタッチパネルの携帯電話という、自分がまだ高校生をしていた頃には信じられないような便利なものが出回っている位に時間も進んでいたはずだ。
しかしだ。彼が見渡すのは薄暗い路地、それもレンガが目立つ建造物。いまほど撃ち殺した化物が喰らっていた人間らしき残骸も、その顔を覗いてみれば深く彫りのある顔は日本人とは到底思えない顔立ちである。看板など目立ったものはないが、その遺体が持っていた所持品には明らかにアルファベットが並んでいた。
なにかがおかしい。いつもどおりに殺すだけでは到底終わらない予感がする。いくつもの異界で命のやり取りをしてきた彼は、もはや普通の高校生では持ちえない姿勢で探索を始めることにした。疑わしきには銃口を向け、この狭い路地だからこそ唐突な奇襲に対応できるよう右手に刀を、焔薙をしかと握る。先程撃ち殺した獣のような化物が一体だけとも限らない。なにより恭也はそういう場所を渡り歩いてきたのだ、ここで警戒を怠るなどという愚かな選択肢を取るつもりはなかった。
とはいえ、まずは現状の把握から入らなければこの異界を消し去ることもままならない。ずいぶんと入り組んだ街だなぁと、路地裏であろうその場所を歩き始めた恭也は、まだ何とも出会わないうちに思考を巡らせた。幸いにも彼が平静を取り戻すことと、これからどうしようかと悩む時間は、迷路のように進みづらく、表通りには出られない道が作ってくれている。
巡る思考の合間にちらりと覗いていた、家と家の間の向こう側の景色からは、谷にでもそのまま建てたのかと言わんばかりの高低差どころでは済まない立地の家すらも見える。そしてやはりと、この異界の膨大な広さに頭を悩ませた。ここまで広いともなれば、一筋縄ではいかないだろう。美耶子との約束で全てを消し去るまでの時間が長くなる。自分がどういう存在であったかがわからなくなる時間が伸びる。それは、苦痛であるのだから。
それでも進むしかないというのは自明の理。入り組んだ地形を進んだ彼は、ようやく隙間から自分の体が出られそうな場所をみつけ、その塀を乗り越えるため出っ張った場所へと手をかけた。高校生から大学生ほどの体つきになった彼は、すいすいと登っていき、
「ん、しょっ……っとぉ!」
すたん、と塀の上に上り詰めた彼は、おもむろに頭に手を当て呟いた。
「美耶子」
片目を閉じれば、恭也の頭に僅かな痛みが走った。
そして閉じたはずの視界には、彼では見ることができないはずの視点が広がっているではないか。
見えているのは、彼がいる位置よりもずっと高い位置から見渡す景色だ。一切知覚できないはずの美耶子がそこにいるという証明であり、かつては彼の目を使って盲目なはずの美耶子が行っていた視界の間借り。ここでわかりやすく言うならば「視界ジャック」というべきだろうか。そして、彼が唯一、美耶子が側にいるという実感を得られる方法でもあった。
開けた場所でこれを行った理由は簡単だ。常人の目では見渡したところで危険はないが、美耶子の普通では見えないものを見る視界を借りることで、他の危険を見つけられる。それだけのことであるが、何もかもが未知の法則によって成り立つ異界においては重要なことである。他にも、自分では見えない場所を肩越しで見わたすと新しい発見もある。今回はその後者の理由が適用されたようだ。視界ジャックを取りやめた恭也は、ほんのりと紫色に光るランプのようなものが見えた場所へと走り始めた。
道中は住宅街であったらしい。切り裂かれた、人間らしき死体や人間より遥かにガタイのいい人型の死体が転がっている。化物同士の仲間割れも彼にとっては経験済みとはいえ、多少の違和感もあった。死んでいる者同士の武器では到底ありえない、荒々しい傷跡は血と臓腑を必要以上に撒き散らしているのだ。道中には人の気配がある明かりの灯った家もあったので注意喚起をしようとしたが、ひたすら笑い続けている薄気味悪さと、オルゴールの鳴り響く家は細やかながらも頑丈な鉄柵の向こう側であったなど、人との接触を断念せざるを得ない、この異常事態を想定していたような頑強な造りの家々が接触を阻んでいた。
久方ぶりの人との接触も期待していた彼は、気持ちを切り替える。とにかく今は美耶子の視界を通して見た大橋の上へと急ぐべきだろうと。幸いというべきか、この異界は見たままの距離だったようで、住宅街を抜けた階段を登ればすぐに目的の場所へとたどり着くことが出来た。眼の前には逃走を頓挫したであろう、家財一式をまとめた馬車が中の物品を散乱させている。それだけならば良かったのだが、やたらと手足の長い獣二匹が家財をべきべきと踏み荒らしており、時折食料品らしきものに喰らいついている。御者の姿が見えないところを見るに獣の餌の仲間入りを果たしているのだろうか。
大橋はどこか町の外にでも繋がっていたのかもしれないが、恭也が目指すのは荷物で防がれたそこではなく、反対側。大きな門の見える向こう側へと通じる橋の真ん中である。そこに、美耶子の視界でひときわ異彩を放っていた紫のランプがあったはずだ、と。
「さっきのと同じヤツか」
そのためにも目の前の黒い獣は邪魔だった。先程殺せた相手と同じタイプとはいえ、4つ足の敵というのは背が低いので刀も振りづらく、厄介なものが多い。警戒は怠っては居なかったが、目の前の二匹は獣のくせに匂いに気づいていないのか、のんきに徘徊している。好機であるのは間違いない。二匹のうち、手前に居た方へと、恭也は臆することなく刀を構え、切りかかった。
彼が振るう焔薙には、冒頭で恭也が放っていた煉獄の炎が込められている。そして炎は獣が恐れるべきものであり、この異形の獣に対しての効き目は抜群であったらしい。僅かに炎を纏った刀身で一度切りつけられた獣は、その身を焼く刀傷と炎の痛みに怯んだ隙に返す刀で切り捨てられた。その残骸は傷口から蒸気を発して倒れ伏し、焔薙の炎を移されやがて火だるまになっていく。
だが問題は二匹目であった。片割れが攻撃されたという異変を察知しないはずもない。その片割れを殺したばかりの恭也に向かい、不揃いな長い爪を閃かせながら飛びかかった。キラリと月光に僅かな滑らかさを備えた爪が煌めいて、宵闇に3条の白い線を描き赤い飛沫を撒き散らした。
「うっ!?」
その速度は、尋常成らざるものであった。これまでよたよたとした元が人の異形ばかりを倒していた恭也に反応しきれるものではなく、手痛い先制攻撃を為す術なく受けてしまう。咄嗟に振り返っただけでは防ぎきれない爪は恭也の左腕を深く切りつけ、骨までもを傷つける。容易く肉を裂いた感触に味をしめ、獣は嗤うように後退して足の筋肉を膨張させた。只人ならばそのまま終わったであろう反応を期待して、今度は大口を開けて飛びかかった獣は、己が確かに嗤っていることを感じていた。それが、獣の最期の思考。獣が思い描いた理想とは程遠い、炎が脳を焼き尽くす痛みが獣の身体を糸の切れた人形のようにうなだれさせた。
恭也は息を切らしながら、突き出した焔薙の切っ先を突き刺さった獣の喉奥から引き抜いた。そう、獣は恭也の血肉を喰らったのではない。自分の飛びかかる勢いのまま突き出された刀のカウンターを喰らっていたのだ。そのまま頭蓋を貫かれ、纏う炎が脳を焼き尽くす。最期の意思すらも灰も残さず煉獄の炎が獣の遺骸を包んでいき、そこには怪物など居なかったと言わんばかりの静けさが帰ってきた。
対して、残された恭也は解けた緊張から大きく息を吐き出し、怪我口を反対の手で抑えながら橋の柵へともたれかかった。確かに常人ならばもう後の人生に影響を受けるであろう怪我だったが、恭也には美耶子の祝福とも取れる不死の恩恵がある。だからこそ、どんな攻撃を受けようとも、どんな怪我を負おうとも、彼はその怪我をすらものともせずに異形を殺しつづけてきた。
じわじわと傷が塞がる不快な感覚に慣れることはないが、それもすぐのことだ。神代美耶子という少女の血の意思が、彼の身体をあるべき姿へと戻していく。やがて完全に傷口がふさがった左腕を開いてはもどし、確かめるように握りしめる。どうやら、今回も後遺症などが残るなどと言った心配はなかったらしい。
立ち上がった彼は、焔薙を握る反対の手に煉獄の炎を生み出す神の道具「宇理炎」を握った。盾の文様が腹に掘られた土偶にしか見えないそれは、人間の命を使って異形を焼き尽くす炎を呼び出す、かつての異形の神とはまた違った神が生み出したであろう神器だ。
恭也がこれを取り出した理由は単純だ。
―――オオオォォォォォォン………
橋の向こう側から聞こえてくる遠吠えが、空気を震わせ恭也の鼓膜を嫌という程揺るがした。
先程殺した獣の比ではない。体全体を震わせる声は、間近で巨大な太鼓の音色を聞いたときのように全身を浸透していった。巨大で、恐ろしい獣が恭也の危険意識を喚起させている。だから、最大の武器を取り出したのは何も間違いではないのだ。
「さっきまでのやつはただ斬れば死んだみたいだけど、これはヤバいかも」
これまで恭也が異界で相手をしていた異形の者たちは、この宇理炎の生み出す煉獄の炎でなければ、世界が降らせる赤い雨や、死体に取り付く薄暗い幽体によって何度も蘇るような、弱いがしぶとい存在ばかりであった。しかし、それらの元となる巨大な異形、彼にしてみればボスとも言える存在は、いずれも宇理炎の力を使わなければ滅しきれない手強い輩ばかりだ。
不死身とはいえ、吹き飛ばされて気絶すればその戦いは恭也の負けとも言える。それに獣だ。気絶したあと、いくら不死とはいえ身体を貪り食われるなんてたまったものではない。そんなイメージが、彼の闘争心にいっそうの火をつけた。
それに、希望もあった。
これまで巡った世界とは何もかもが違って感じられる異界だ。非常識であるこの事態に備えたような造りの建築物。そして、家の扉の向こうには生きている人間もいるようだし、何かしらの話を聞けるかもしれない。
もしかしたら、ここの大本を何とかする頃には美耶子とも。
淡い期待ではあったが、人間の原動力とはそんなものだ。裏切られる可能性が大きくとも、縋れるものにはつい手を伸ばしてしまう。
そうして橋の中頃にまで辿り着いた恭也は、邪魔をしてきたやけに大きなカラスを切り捨て、薄い霧がかかった不思議な入り口を見た。遠くから見たときはなんともなかったが、近づいてみると人の侵入を阻むように白い霧が入り口だけを覆うように発生したのだ。
手を突っ込んで見れば、その霧は実態がある綿のように掻き分けられる。僅かなその間をくぐった恭也は、再び美耶子に合図を送り、視界ジャックを試みる。普通の視界では見えなかったが、向こう側の巨大な門とちょうど真ん中ほどに、例の不可思議な紫の灯りがあった。
「これか……」
先程の巨大な獣の遠吠えもあり、恭也は片目を美耶子の視界にし、片目を普通の視界のままにしてゆっくりと歩みはじめた。宇理炎と焔薙を握る手に力が入る。獣だらけのこの街で、もしかしたら先程の遠吠えの主がこの異界の親玉かもしれないからだ。
そして一歩、また一歩と近づいて、ついに灯りに手が伸ばせる位置に辿り着いた。
その瞬間、月明かりに雲がかかる。
いや、違う。
美耶子の視界が急に上を向く。恭也もまた視界ジャックを切り、己の目で上を見た。
―――ギャアアアアァァァァァァアアアァァァァアァァアアァァァァァァ!!!!
肥大化した左腕を振り上げた、3人分ほどの背丈の獣が降ってきていた。
先程ので痛い目を見た恭也は構えていたこともあってか、不格好ながらもその場を飛び退くことで難を逃れた。だが巨大な白い獣の打ち下ろした左腕は大橋を揺るがし、足場に大きな打撃痕を残し瓦礫を飛散させる。その石の欠片が恭也の背中に突き刺さり、彼を痛みに呻かせた。
「こんなの…ありかよ!!」
歯を食いしばりながらも立ち上がった彼は、悠然とこちらを見下ろす獣の蕩けた瞳と視線を合わせた。表情など読み取れないはずのその獣から、ぞわりとした何かが流れ込むのを感じる。どうしようもない破壊衝動と狂った怨嗟の遠吠えが恭也の意思すら食い千切らんと身をすくませる。だが、恭也とて神殺しにして異形殺し。悪態こそつきはしたが、ひるむことなく冷静に距離を詰めて焔薙を一閃させた。
その白く、左腕だけが肥大化した巨大な獣は一見恐ろしくもあるが、よくよく見れば四肢は毛に覆われているだけで細いものだ。また無理に二本足で立った姿勢にこそ付け入る隙があると判断した恭也は焔薙で切りつけた後、宇理炎を掲げて煉獄の炎を下から立ち上らせる。己を傷つけた獲物へと獣が反撃しようとした瞬間、目の前に立ち上った火柱には生存本能が警鐘を鳴らしたのか、白い獣は凄まじい速度で橋の像を破壊しつつも飛び退いた。
ただの獣ではない。判断ができるやつだとわかり、恭也は内心で舌を打つ。だが彼が新たな悪態をつく暇はない。炎が消える瞬間に機を見計らった獣が再び豪腕を振るって攻撃してきていたのだ。一撃でももらえば、先程恭也が想像したとおりの事態になるだろう。
ここまで自分の側が不利な戦いも久しいものだ。咄嗟の判断で獣の拳を避けた恭也は、今まで獣が使っていなかった右手の側に潜り込んだ。そして宇理炎ごと両手で焔薙を握りしめ、バットの殴打のようにして敵の足へと斬りかかる。
―――ウギァァァァァァッ
それは先程切りつけた場所だった。二度目は渾身の力で切りつけたためか、獣は右足から膨大な血を迸らせながら人間のような悲鳴とともに片膝をつく。この時点で恭也は何かを察していたが、このような異形を殺すのはもう初めてではない。こんな化物に成り果ててしまったであろう者へ謝罪を告げながら、恭也は容赦なく左手に握る宇理炎から再び炎の柱を呼び出し、それを獣へと浴びせようとした。
「なんでだ!? 出ない!?」
だが、煉獄の炎は出なかった。これまで使えていたのにいきなり何故、と混乱する恭也とは裏腹に、己を傷つけられたことで怒り狂った獣が握っていた拳をほどき、その巨体に見合った手を大きく開いて彼へ伸ばした。完全に隙だらけになってしまった恭也にその攻撃を避けることはできず、胴体をまるで玩具の人形のように握られてしまう。
玩具の人形と違うのは、恭也には握りしめられた痛みが走っているところだろう。その握力は恭也の内蔵をいくつか潰し、肋骨すらへし折ってみせる。もちろんそれで終わることはなく、獣が凄まじい唸り声をあげたかとおもえば、恭也はボールのように橋の壁へと叩きつけられた。
跳ねることはなく、そのままズルリと地面に落ちた彼は血塗れで、満身創痍であった。それでも武器を握り、血を吐き拭って、身体の痛みを気にすることなく白い獣へ躍りかかる。
「おおおおおおおおおおおっ!!」
――ギャアアアアアアアアアアアアッ
どちらが獣か、わかったものではない。恭也のほうが明らかな重症ではあるが、その闘志は負けることはない。むしろ、その動きは先程二匹の獣を相手していた時よりもずっと良く見える。
刀を握り、振るう仕草は洗練されていく。素人剣術はより効率よく肉を切り裂く手段へと上り詰め、宇理炎も最初の勢いこそないが、大技ばかりではなく僅かな発火によって巨大な白い獣の動きを牽制し始めている。先程まで大ぶりの動きしかできなかった恭也が、一体なぜこのように戦えているのか。
彼が獣の蕩けた瞳と視線をあわせたとき、彼の背筋を震わせた何かが入り込んだようにも見えたのはわかっていただけただろうか。このヤーナムにおいては、暴力はもちろんだが、他にも真実と知識がなによりも謎と強大な敵を紐解くための手段となりうる。
決して知り得るはずのないその知識は死体や、巨大な敵と見えた時、ふとその人間に降りてくる。それをこの世界では言い表すのならば、「啓蒙」。無知なる者を上位者へと正しく導く、細い光の糸。
その糸を手繰り寄せるように、恭也は無心に刀を振るい、やがて炎を今はもう出せないと判断して宇理炎を仕舞い込み、正しく両手で刀を握った。
気づけば、白い獣も恭也と同じように満身創痍の身となっている。ぜひゅっ、と肺から不揃いに飛び出す呼吸は獣の判断を鈍らせており、逆に啓蒙を得た恭也は無意識に、この巨大な獣との戦いに必要な呼吸と姿勢で挑んでいる。
もはや決着は見えていた。それでも命を諦めきれない獣は、よだれと血を撒き散らしながら一心不乱に恭也の元へと飛びかかった。飛び立つ体勢も崩れた、捨て身の自分の体重による体当たりだ。しかしそれが悪あがきでしかないと何よりもわかっていた恭也は、飛びかかる獣の顔面を、縦に割るように刃を振り下ろした。
焔薙は毛を切り裂き、肉を切り裂き、やがてはその獣の臓腑を焼き殺していく。
すり抜けるように刀を振るった恭也は、血まみれになりながらも背後で地面へ倒れ伏した獣へと向き直った。
もう、起きる気配はない。
そして恭也もまた限界であった。茶色の髪をべっとりとした血にひたしながら、全身を蝕む激痛とともに意識が白濁していく。なによりも支えとなった己の武器を取り落とすことこそ最後までなかったが、その左腕を投げ出して恭也は身体を地面に投げ出し、指一本も動かせぬままゆっくりと白んだ視界を閉じていく。
完全に暗転する直前、視界の端に仄かに光る紫色の灯りが僅かに見える中、彼は薄れつつある意識のなかで決して忘れられぬ声を聞いた。
「恭也!」
忘れそうになっていた、愛しい愛しい、あの子の声を。
頑張ったら続き書きます。
4/17追記 サブタイトル変更しました