SIREN in Bloodborne   作:猫屍人

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宇理炎

全てが謎に包まれた、古代文化の土人形
この宇理炎は盾を抱いた女性を表現している

神の武器、とも呼ばれるが
なんの神であるのかは明記されていない

ただひとつ、それは異形をも滅する炎を作り出す
しかし恐ろしいその炎は、使用者の命をも全て吸い尽くす


烏羽

 突如として現れた新たな人物に、恭也は戸惑うばかりであった。

 

「なにぼやっとしてんだい! あんたはさっさと逃げろって言ってんのさ!」

 

 とげのある物言いだが、それは恭也が狩人ではないからこそ、この問題には突っ込む必要がないという彼女なりの思いやりであった。血なまぐさい狩人同士のいざこざは、どちらもが優れた殺戮者であるがために、戦い1つで周囲へと破壊の余波を広げるものだ。

 

 そう、目の前の戦いのように。

 

「ガァッ、ガァァッ」

「なんだい、あんたのほうがよっぽど烏らしいだなんてねぇ」

 

 片や心までもが獣と成り果てて、しかし身体に染み付いた技量を本能のままに振るい、また人のリミッターを解き放った膂力が墓石などを粉々に破壊する。もはや墓地というよりは単なる広場になりつつあるその舞台で、一匹の烏が舞い続け、土を蹴り上げ壁を足場として敵を刻む。

 ひらり、ひらりと鋭く必殺となりうる一撃を全て避け、カウンター気味に一見短くも見える白銀の刃を滑らせれば、その一太刀は僅かな血の線を空に描くばかり。獣と化した狩人、ヘンリックの動きにも衰えは見られず、無駄な攻撃であると勘違いしてしまうかもしれない。だが、ソレは違う。時間が経つほどに、その効果は目に見えてはっきりとしてくるのだ。

 

 ヘンリックは距離を取ると、ノコギリ鉈を変形させて、そのリーチを伸ばしにかかる。そして牽制の意味合いを込めた何発かの発砲もはじめた。しかし、もうそこにはベテランの狩人が持つ、長期的な殺し合いを挑む際の心構えは見受けられない。今ここにソレがあるから、遠慮なく今、出し惜しみせずに武器も道具も使い続けている。戦局を見据える瞳を失い、本能のままに爪や牙の延長を振るう。ああ、紛れもなく其れは獣であった。

 

 そして攻撃を当てられない苛立たしさが続いたが故か。つんざくような獣の咆哮をあげ、がむしゃらに踏み込み、武器を振り続けるヘンリック。その手に握る謎の道具を用いた、超高速で間合いを詰めて振る一撃は恭也も味わったとおりの脅威であるというのは、烏羽の狩人にとっても変わらない。幾度目かに至る挑戦の末、必殺の一撃がはじめて烏羽の狩人へとまともな傷を与えようとしたのだが、そのような未来が訪れることはなかった。

 がくり、と。獲物を振り上げた体をヘンリック自身の足が支えられなくなったのだ。

 

「そら、老骨には効くだろう?」

 

 彼女はこの瞬間を待っていた。ざぁっと風をかき分けた足が、音もなく前方へと彼女の体を運び、膝をついたヘンリックを蹴飛ばした。彼の上体を虚空へと仰がせた烏羽の狩人は、流れるように両腕の刃を閃かせ、ヘンリックの首を掻き切った。彼女がすり抜けた後、一拍遅れて切り裂かれた頸動脈より血の噴水が辺り一面を赤く染め上げる。

 残心とともに二本に分けていた武器を再び一本の剣へと戻すと、烏羽の狩人は振り返る。あの坊やがちゃんと逃げてくれていればいいが、などという心配もあった。だが彼女の思いを塗り替え、警鐘へと切り替えるほどの光景がその瞳に焼き付くこととなる。

 

「グゥァァっァァァァァあぁあぁあああぁァァ!」

 

 ヘンリックは確かに狩人としては死んだのだろう。だが、獣として蘇った。ボコボコと盛り上がった肉体が傷口を覆いかぶせ、ケダモノの手からは彼の持っていた短銃とノコギリ鉈がこぼれ落ちた。そして人の声帯から無理やり捻り出した獣の咆哮が、血反吐混じりの唾液を飛ばしながら烏羽の狩装束を震わせる。

 変貌を遂げた彼の姿は恐ろしき獣そのものであった。黄色く長い体毛がまばらに生え、衣服を押し上げるように発達した筋肉が服を内側から破き、黄衣はだらりと地面に衣先を擦り付ける。はぁっと吐き出された白い息は変じた獣が熱で浮かされた比喩のようでもある。

 

「クソっ、そこまで行っちまったのかい……」

 

 烏羽の狩人は、ペストマスクの奥でその顔立ちを苦く歪ませる。

 顔見知りが獣のように瞳を蕩けさせて襲ってくる。それまでは、彼女の()()の内だ。だが獣そのものへと変異して襲ってくる。これはダメだ。狩人の尊厳全てを喰らい尽くす冒涜的な行為だ。そして何より、二度も己の手で見知ったものを殺す慈悲を下さねばならない痛みを生じさせる。

 

 そしてヘンリックだった獣は、その月明かりでも黄色く透けた、汚らしく長い体毛を震わせながら、牙をむいて飛びかかった。発達した足の筋肉が生み出す爆発的な加速は、先程よりもずっと早い。そして一瞬の思考を巡らせてしまった、烏羽の狩人の虚をついた攻撃である。

 

 肉体が老いる以前ならば、彼女も対処のしようはあったであろう。だが、烏羽もまた、目の前のヘンリックと同じく古く年老いた狩人である。十全たる獣の肉体を得た彼と違い、生物としての限界が、極限状態を脱したばかりの体を自由には動かしてはくれなかった。

 認識を一手遅らせれば、反応は2手遅れる。故によもや彼女には、取れる手段など存在しない。そこで冷や汗をかくことしか出来ず、避けきれなかった獣の爪が己の肉を抉り取られる姿を幻視して、

 

 烏羽の目前に立ち上った、豪炎の柱の熱が彼女を現実に引き戻した。

 

「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」

 

 頭から炎に突っ込んだ黄色毛の獣は、まとわりつく炎に異常なまでの苦しみの声を上げて飛び退った。己を燃やし尽くさんとする炎を、必死に土へとこすりつけて消火しようとしている。だがその程度では完全に消し去ることは出来ず、炎は着実に黄色毛の獣の生命力を奪い去っている。着ていた衣服はいまのでほぼ焼け落ちた。丸裸となった獣は醜く焼け爛れた地肌を掻きむしり、憎悪にその瞳は溶かすばかり。

 

「俺も手伝うからな! ほら、今のうちだって!」

「あんた……いや、醜態さらしといて今更なにもいえないねぇ」

 

 烏羽の側に立ったのは、もちろん恭也に他ならない。先程ヘンリックが獣へと変ずる瞬間を目にし、再び蒙を啓いた恭也は、現状は()()()()()()()()を腰元へと仕舞い込んで焔薙の蒼炎を灯す。

 だがこの戦い、もはやそれで十分であった。

 

 どちらがと言うまでもなく、同時に駆け出した二者は、苦しみより立ち直った獣と対峙した。恭也は焔薙の炎をちらつかせ、先程の痛みの恐怖を揺り起こしながら獣の動きを制限する。獣にはもはや生存本能と破壊衝動しかないがために、その誘導はたやすいものであった。

 そして、時にはその腕や足に致命的となりうる裂傷を切り込みながら、傷口を焼き切り灼熱の炎を体毛へと燃え移らせた。轟々と燃え盛る蒼い炎は獣に恐怖の悲鳴を挙げさせる。そして必死に振り払いながら、苦しみを味わわせた恭也へと向かって必死に殴りつけるだけの白痴と成り果てた。

 こうなれば、烏羽の熟練の業の前ではおそるるに足らぬ的である。

 

 彼女は呼吸ひとつで獣を切りつけ、目を潰す。銀の剣閃が獣の視界を暗闇へと染めたがゆえに、獣は両手で顔を覆って痛がる素振りを見せた。無防備となった場所を烏羽が見逃すはずもなく、再び2つへと分離した刃が獣の分厚くなった喉元を切り裂いた。その下には、盛り上がった肉に覆われただけで、完治したとは程遠い切り傷の残った喉がある。傷口に再度切り込みを加えられ、広げられた獣は、コフュッと最期となる呼吸モドキを吐き出して、切られた勢いそのままに後ろへとよろめいた。

 直後、背後から突き立てられた刀が臓腑を引き裂き、その胸より血を纏って尽き上がる。その獣の命運はもはや言うまでもない。

 

「燃えつきろ!」

 

 斜めにねじり、臓腑を完全に破壊した上で恭也は木ル伝の守護獣が放つ蒼い炎を刀身より吹き出させた。体の内側より突き抜けた熱が獣の身体の端より突き抜け、やがて単なる灰となって墓地へと降り注ぐ。

 最後の蒼い火の粉が消え去ったその時、ようやく墓地には再びの平穏が訪れた。

 

「ッハァ……ッ! ハァ……ッ」

 

 そして真っ先に膝をついたのは烏羽の狩人であった。もはや老いて、()も見れぬその体では、いくら技を磨こうとも体力は衰退するばかり。もはや一人狩るのにも全力を尽くして息を切らす彼女が、二戦目までもをくぐり抜けたともなれば、その消耗は計り知れない。

 それでも武器を落とさぬのは狩人の抱くプライドが故だろうか。再び武器を変形させ、8の字を連想させる一本の剣へと戻したソレを腰元へ吊るし、烏羽は心臓の動悸が収まるまでその場にうずくまった。

 

「あ、あの大丈夫…か?」

「血……」

「え?」

「あんたぁ、輸血液、持ってないかい……」

 

 残念ながら、恭也はこの街に来てからそうしたものは持っていない。この地に生きる狩人にとっては常識となり、また酒に混ぜるために多くの民衆が携帯する「輸血液」。異邦の民の血であったり、はたまたヤーナムの犠牲者のものであったりとありふれたものではあるが、それこそが狩人の怪我への特効薬であった。

 なにか無いかとあたりを見回した恭也が見つけたのは、先程ヘンリックが獣化した場所。そこには短銃とノコギリ鉈と、身につけていたポーチに入っていたであろう道具が散らばっていた。当然、その中には彼女が目的としている赤黒い液体がなみなみと揺れる注射器も。

 

「あった、これですか!?」

「あいつのかい。皮肉だねぇッ!? っつ……」

 

 ふとももの辺りに勢いよく差し込んだ彼女は、空っぽになったその容器をあらぬ方向へと投げ捨てた。カシャンというガラスの飛び散る音がする。

 ヤーナムの作り出す狩人は、特別な血によって、他人の血液を取り込むことで驚異的なまでの肉体の再生能力を得る。そうせずとも浅い傷ならば塞がるのだが、切られた直後に相手を切り返すことで浴びた血が傷口に入り、逆に回復させることもできるという、戦闘においては奇跡とも言える恐るべき業も存在するのだ。

 失った体力は取り戻せないが、烏羽も老骨に鞭打って体を動かしているに過ぎない。捻挫や、細かな内出血。そうした傍目では見えない重大な怪我を直し、彼女は脂汗に濡れた瞼を仮面の中でゆっくりと開いていった。

 

「ッハァ、ようやく一息ついたよ。騒がせちまったかい、若いの」

「い、いやお礼を言うのはこっちだって。あの時助けてもらわなければきっと怪我じゃすまなかっただろうし……」

「はっ、正直だねえ。このヤーナムじゃ見ない性格だ。あんた、何者だい? さっきの炎といい、一般人じゃあ言い訳にゃならないよ」

 

 すっと立ち上がった烏羽の狩人の視線は、射通すように恭也へと叩きつけられた。先程の戦闘で加勢してもらった立場とはいえ、この異常事態となったヤーナムにおいて優しい人物相手ですら警戒を怠ることはない烏羽の姿勢は、生き残ることにおいては正しいものであっただろう。

 だが残念ながら恭也にとっては、あまり好ましい返しではなかったらしい。むっと頬に力を入れた恭也が、その敵意を突っぱねるようにして言い放った。

 

「恭也だ。ここには異界の原因になるやつをぶっ潰しに来た。それからヤバそうなのも全部殺して消すつもりだけど、なんか文句あるのかよ」

 

 挑発的に言ってのける恭也の上では、美耶子がこらえきれないように腹を抱えて笑っている。子供っぽいこうした一面を見せると、彼女はこうしてすぐからかってくるのだから困ったものだ、と。今すぐにでも美耶子に文句を言いたい彼は、抑えきれなかった分を烏羽の狩人を睨むことで発散した。

 対して、烏羽は軽く受け流すばかりである。

 

「へぇ、キョーヤ。こんな僻地までずいぶんと血気盛んなこったね。まぁ実力や使ってる武器に関しては問題はなさそうだ」

 

 烏羽の顔が僅かに動き、恭也の持つ焔薙へと移る。だが、彼女はすぐにそれを視界から外して続けた。

 

「だがねぇ、逃げろっていった手前、それを無視して戦いに来るなんてあんた、どういう神経してるんだい。ああなった奴らを狩るのは私の仕事さね。今回は助かったが、次邪魔するならどうなっちまっても知らないよ」

「だったら次も邪魔するよ。だって、そうじゃないとアンタも倒れそうなくらい消耗してるじゃないか」

「……はぁ、ほんとこの街には似つかわしくないお人よしだこと。でもまぁ、神秘に見え、人の面を被った獣畜生にはなりそうにもないね」

「それよりさ、俺は名前言ったんだから、そっちも教えてくれよ。咄嗟の時なんて呼べばいいかわからないと困るだろ?」

 

 ごく自然に手を差し出し、立ち上がらせようとする恭也を見て、そのペストマスクの向こうで彼女はどう思ったのだろうか。だが、表層でも深層でも、烏羽の狩人が考えるのは唯一つ、「こいつはとんでもないバカ」だというイメージが凝り固まっていった。

 このご時世、他人に手を差し伸ばし、それを当然としつつも人の心を保ち続けるとはいかなる芯の通った性根の持ち主か。

 

「狩人狩りのアイリーンさ、好きに呼びな」

 

 そう言って、彼女はくるりと背を向けた。行き先は墓地の奥、オドン教会である。

 

「ほら、ついてきな。目的はあの子……ガスコインの娘っこなんだろ」

「あ、うん」

 

 烏羽……アイリーンに促されるままついていった恭也は再び、オドン教会へと足を踏み入れた。そうすると目にするのは入り口からすぐの場所で身を伏せている赤衣の男である。

スン、と鼻を動かした彼は、恭也が近づいてきたのを知ると嬉しそうに手を開いて歓迎した。

 

「あぁ、あんた、もどったんだね。よかった、ちょうどあんたが探しにいってくれた子がここに来たんだ。ただ、ずっと泣いてるみたいだから、は、話してあげてほしいんだ……俺なんかはほっといてさ、ヒヒッ、はやくいってあげなよ…」

「おまえも、あたしの声が聞こえてたらなぁ……」

 

 言いながらも、尽きかけた香の中身を入れ替え、新たに焚き出す赤衣の男。やはり献身的で、そして皆がためにと動く彼のあり方は好ましいものであった。彼とも少し話をしたいところではあるが、ひとまずは気になる事を言っていたので恭也は彼から離れた。

 

「泣いてた、って…? わかった、ありがとう。それから美耶子、もう少し待っててな」

 

 小声で美耶子へともう少しの我慢を言いつけて、恭也はそのまま少女がうずくまっている場所へと足を進めようとしたが、そこで待ったをかけたのがアイリーンであった。

 

「ちょっといいかい」

「今度はどうしたんだよ」

「私は外のベンチで待ってるから。あの子と話がついたら、少し顔貸しな」

 

 カツカツと石造りの教会の地面を鳴らしながら、墓地とは違う別の出入り口に歩くアイリーン。そして恭也とすれ違いざま、その耳元で呟いた。

 

「あんたの近くに居る声、説明しな」

「ッ!? 聞こえて――」

 

 恭也の反応など無かったかのように、アイリーンはそのまま入り口の向こうへと消えてしまった。美耶子の声が聞こえたのは、これで3人目。一体何が条件となっているのか。いや、もはや蒙を啓きかけた恭也にとっては真実の端に手をかけていたのだが、未だにそれには無意識の知識の数が足りず、霞を掴むようなものだ。

 

「ごめん、遅れた」

 

 とにもかくにも、と彼は気持ちを切り替えて、まず優先すべき事柄に集中する。

 ガスコインの娘がうずくまる近くへと歩み寄った所、彼女はなにやら手に大きな何かを掴んでいるようだった。それは赤く、そして宝石のようである。だが少し黒く淀んでいて、引き込まれるような美しさをしたブローチであった。

 

「それは……?」

「死んだお母さんが、つけていたの」

「えっ」

「あの墓地から逃げる時、お母さんが屋根に引っかかってたのを見つけたんだ。首元を食われてた。多分、お父さんに、殺されたんだ……と、思うっ」

 

 ガスコイン神父が獣へと成り果てようとしている以上、それは彼女の母親も認識していたのだろう。だが情に訴えかければ戻せるかもしれないという淡い希望を以て挑んだ母親の愛は、無残にもヤーナムの血によって食い散らかされた。

 残されたのは、彼女ただ一人。

 

「ヘンリックさん……お爺ちゃん、も獣に、なって、ひとりぼっちに、なっちゃった」

 

 また、声に嗚咽が交じる。

 

「ねぇ、どうしたら、いいの?」

 

 問いかけられた恭也には、もう何も言えなかった。二度までも、親を失う絶望を味わい、そしてお爺ちゃんと呼び慕う相手もまた、目の前で理性なき獣へと変じた瞬間を目にしてしまった。

 恭也は、一体なんと声をかければいいのか、美耶子もまた彼女を見て、歯噛みする。どこにでも転がっている、異界ゆえの常識を外れた絶望。過剰なまでの不幸を叩きつけられた彼女を前に、恭也はその頭に片手を置くことしか出来なかった。

 人の手を通して伝わる温もりは、じんわりと彼女の心に思い出を流していく。

 

 彼女は、泣き喚いた。もう涙が出ないように。この夜を泣かずに過ごすために。未来を歩む自分に顔向けできるように。涙と嗚咽に入り交じる、後悔と決意の言葉の羅列に、恭也もまた顔を歪ませていく。一人の少女の感情全てが発露したその瞬間に、我慢できるほど感情が死んだわけではないのだ。

 

「なん、で、お兄さんも」

「ばっか、すごいよ君は。強くて、本当に」

 

 かける言葉なんて見つからない。だから、こうして見せた彼女の強さを、彼は褒めた。寂しさを我慢しきれなくなった少女が、恭也へ全身を使って抱きついた。もう涙も嗚咽も見えなかったが、必死に心を落ち着けようとする姿はなおさらに恭也をくしゃくしゃの泣き顔に歪めていった。

 

「ありがとう」

 

 やがて数分が経ち、ようやく彼女は恭也を開放した。

 泣きはらした目元は赤いが、もう彼女は笑顔を携えていた。抱えていたものは重いままだろう。それでも、彼女はこの夜を過ごす覚悟を決めた。あらゆる理不尽に怒り、悲しみを押さえつけた。

 だから彼女は、第一歩を踏み出した。

 

「ねぇ、お兄さん。お名前は何ていうの?」

「俺は、恭也」

「私はアヴァ。キョーヤ、さん。お願い、この夜を、お父さんとお母さんを殺した元凶を殺して。私は、何も、出来ないけど、キョーヤさんに託させてほしいの」

 

 彼女の頼みを、断れるはずもなかった。

 彼はもちろんと答え、立ち上がる。

 

「俺はもともと、そうした異界を壊すのが仕事みたいなもんだからさ。だから、安心して待っててくれよ。全部焼き払ってくる」

「うん…お願い」

 

 ガスコインの娘、アヴァの願いを聞き届けた彼は深くうなずき焔薙を握る。

 

「もてもてだな、恭也」

 

 上から美耶子がからかってくるが、恭也の表情もまた、もう笑顔になっていた。この悪夢のような夜を生き抜くには、そうして降りかかる理不尽を笑顔で潰してやるのがいい意趣返しになるだろう。そして元凶とやらには、最大の笑顔を向けて葬ってやるとも。

 

 そして彼が離れていくのを見届けたアヴァは、迷いのない足取りで赤衣の男の元へと向かった。

 

「獣避けの香の交換、お手伝いさせて」

「あ、あんた…いいのかい?」

「私がやりたいの。それに、あなただと、その、遠くの香は難しいよね?」

「……ほんとに、ほんとに俺は、俺は……あぁ、ごめんよ。ありがとう、やってくれたら、本当に助かるよ」

 

 きっと、優しい彼は何度もこのオドン教会に足を運ぶことになるだろう。そして彼以外にも、この異常な夜を解決するための狩人が通るはず。そう考えたアヴァは、このオドン教会の守りを揺るぎないものにしようと、香を決して絶やさない手伝いを申し出た。

 この小さな一歩が、どうなるのか。

 それはまだ、わからない。

 

「はんっ、余所者と乳繰り合って何が楽しいのか……」

 

 そして彼らの行動を、虫唾が走るような目つきで見る老婆も居る。しかしそれすらも、もはや彼女は意に介さない。覚悟の一振りは、僅かな炎を燃え上がらせたのだ。

 

 

 

 

 

「あの子と話はついたのかい?」

 

 外へ出ると、横合いから心配を含んだ問いかけが飛んできた。

 恭也は左を見ると、ベンチの横の柵にもたれかかるアイリーンの姿を見つける。そして彼は、先程から浮かべた笑顔でもちろんだと返した。

 

「あの子、本当に強いんだな」

「そりゃあのガスコインの娘で、ヘンリックのやつが気にかけてたんだ。気丈に育たなきゃ嘘ってやつだろうさ。ま、そんな事は今はいいんだ。私が気になるのは何度か聞こえた、姿なき声だ」

「なぁ、ほんとに聞こえてるのか?」

 

 美耶子の台詞に対して、声の発された方向へ顔を動かすアイリーン。その無機質なペストマスクに見つめられ、美耶子はびくりと体を震わせる。

 

「……あぁ、やっぱりあんたが連れてたのかい。なんなんだい、そいつは?」

「この子は美耶子だ。神様とかいうやつの犠牲になって今はこんなだけど、俺と一緒にいろんな異界を滅ぼしてきたパートナーだよ。そいつとか、あんまり好きじゃないから名前で呼んでくれよ」

 

 今まで近くにいるのに触れられなかった分、美耶子に対して過剰な防衛意識でもあるのだろうか。恭也は笑顔を崩すと、やはり少しばかり棘のある言い方でアイリーンを攻め立てた。

 それに対し、アイリーンはまるで姫を守る騎士のようではないかと、くつくつと喉の奥を鳴らす。

 

「なんだよ」

「異界を滅ぼすだの、ずいぶんと物騒な騎士様だと思ってね。まぁ、人に仇なす存在じゃあ無いなら構わないさ。私もそういう輩にはちょいと縁があってねぇ、見つけ次第殺すことにしてるのさね」

「……それが、この夜の元凶ってやつなのか?」

「当たらずとも遠からず。普段は誰かが変じたどでかい獣やらのはずなんだ。だけど、今夜は長すぎる。いつまで経っても夜が明けない」

 

 だから自分でも詳しいことは分からないと、アイリーンは告げた。

 

「さて、聞きたいことは聞けたし、ひとつ忠告だ。私ら狩人は、夢を見る。そして全てを夢として片付けちまうこともできる。だけどね、あんたは狩人じゃぁない。あんたも元凶を片付けようとしてるってんなら、止めやしないさ。それでも気をつけな、ヤーナムは秘密を暴こうとするやつに容赦をしない。……喰われるんじゃないよ」

「ああ。当たり前だろ」

「あいつらに恭也を食わせたりなんかさせない」

 

 美耶子と恭也、二人の強い意思を受けて、彼女は仮面の下でふっと笑った。

 

「はんっ、話しすぎちまったね。私はそろそろ次の獲物を狩りにいく。それじゃあね」

 

 狩装束の烏羽を揺らし、アイリーンは闇夜に溶けていく。あの様子では色々と他にも知っていることは多そうだが、この街を巡ることでそれらの謎を紐解くことができる、と言いたげな台詞だった。

 

 謎、それこそが解明するべきものであり、また恭也たちが探し求めているものでもあるのだろうか。いまだ夜の帳は降りたまま、アイリーンの言う秘密を何一つひけらかしては居ない。それでも到達することができるのであれば。恭也は聖堂街を見据え、焔薙を固く握った。

 

 二歩目の横合いから、振り下ろされる袋に気づかずに。






不意打ちには弱い須田くん定期。
今回はほぼ話は進みませんでした 以下は本文の一部解説です

ヤーナムの少女→命名 アヴァ
 名前をつけるかは迷いましたが、今後なんども登場予定なので、この小説における彼女というキャラクター性を決定するためにつけました。ありきたりですが、「命」という意味を持つ名前だそうです

狩人の体の衰え
 どうみても全盛期な動きしてるのに散々アイリーンさんやゲールマンは衰えたとか言ってます。となると何を以て衰えとするかというと、戦闘は一度に長引かせられない・戦闘後には老いたが故に通常通りの狩人の動きをするとフィードバックが来る(エンカウント戦闘でいうとこの戦闘終了後ターン数に応じてダメージ)という感じの表現に。
 アイリーンさんすこ。



それから今更ですが、この小説、結構好きにやらかさせていただきます。
そうはならんやろ!! って思っても、なっとる!やろがい!!(投稿は覆せない)という気持ちで読んで頂ければ。


4/17追記 サブタイトル変更しました
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