CHARMGE   作:ぽけきょー


原作:オリジナル作品
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あああああああああああ

2022追記:久しぶりにちゃんと腰を据えて書いた作品だったかな。高尚なもん書いてるって思われたくてずいぶんませた話書いた気がする。エロ小説書きだったくせにね。

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CHARMGE

「いらっしゃいませ、ご主人様っ!」

 

 扉を開けると、いくつもの元気の良い声に迎えられる。

 

「店長、ハルカ居る?」

「もちろん。カード預かりまーす......ポイント、めちゃくちゃ貯まってるよ」

 

 激戦区・秋葉原......の片隅にある、小さなメイドカフェ「チェンジ」。

 俺は金の許す限り、ここに通っている。入り浸っている、と言っても過言じゃない。

 

 と言っても、高三の秋、ひとりぼっちの受験勉強に疲れて、癒しを求めてる訳じゃあない。

 彼女だって出来ない訳じゃないし。......ホントだよ?あえて作らないだけだよ?

 

「ほい、いらっしゃいませー」

 

 いつもの席に腰掛ける俺に、一人のメイドがやけに馴れ馴れしくメニューを手渡す。

 河合ハルカ。俺の唯一と言っていい友人であり、目下片想い中でもある。俺がなけなしの小遣いをはたいてここに通う理由だ。

 

「祐樹くんもこんなとこばっか来てないで、彼女の一人や二人作ったらどうなの?」

「うるせぇ。......相変わらず高えな、もはやぼったくりだろ」

 

 地味に傷つく発言を軽くスルーしながら、俺は悪態をつく。

 

「文句があるなら来なくていいんだぞ」

「ポイントこんなにあるんだから、オムライスの一つや二つただにしてくれたって良いじゃん」

 

 店長が頼んでもないのにコーヒーを持ってくる。

 華々しい空間に似合わないパンツルックに無愛想な表情、そして男勝りな性格。それでいて、数年前にオープンしたばかりの「チェンジ」を隠れた名店に押し上げた才覚の持ち主だ。

 何なら、彼女目当ての客もいるとかいないとか。

 

「当店のポイントは特別サービスにしか使えないの。ツーショット写真ならいくらでも撮ってやるぞ」

「ンなの、いつでも撮れるっつの」

 

 一通りからかって満足して、店長はレジに戻っていく。

 俺はあまり美味くない460円のコーヒーをすすった。

 

「どう?最近」

「どうもこうも。いつも通り、何にもないよ」

 

 そう、何にもない。クラス内のいざこざも試験勉強に追われるうちに消えていくこの時期は、本当に何にも起こらない。

 こんな日々が永遠に続けばいいと、俺なんかは思う。

 

 でも彼女は、この日々が終わるのを、今か今かと待っているのだ。

 

「それより聞いてよ。今日も親が『春輝、本当にスカートじゃなくていいのか』って言うの。スカートなんか履いたら周りからどんな目で見られるか、ちょっと考えればわかるのに」

 

 さも普通のことのように話すハルカに、俺は声をひそめて返す。

 

「おいおい、言ったろ?あんまり客の前でそういうこと言うなよ」

「どうせ誰も聞いてないって。だいじょーぶ」

 

 悪戯っぽくあたりを見回すハルカ。

 

 彼女は、いわゆるトランスジェンダーだ。

 

 つまり、心と身体の性別が乖離している状態。彼女は、生物学上は男だし、戸籍上は「河合晴輝」だ。

 彼女がそのことに気づいたのは数年前。両親は驚きはしたものの、息子が娘になることを受け入れた。

 

 でも、学校や塾はそうはいかない。

 子供の頃からずっと窮屈だった男子用の制服を、自分が何者か分かった後でも着続けなければならないストレス。彼女がそれに悩まされている頃、俺は彼女と出会い、打ち解けた。

 

 そして、彼女は塾がない日は毎日、学校終わりにこのメイドカフェで働いている。

 まるで鬱憤を晴らすように、フリフリで可愛らしい服を着て、甘えた声を出す。俺は後押ししただけで、決めたのは彼女自身だ。

 

 このことを知っているのは、俺と店長、それにこの店のメイドたちなど限られた人のみ。

 つまり客を騙している訳だが、店長は知らぬ顔をしている。

 

 幸いもともと中性的な顔立ちのおかげでバレることは無さそうだし、むちろ独特のハスキーボイスや高身長といった特徴がかえって人気を博し、今やこの店の一番人気である。

 だから今更引くに引けなくなっている、というのが店長の本音かも。

 

 でも、根が優しい彼女はそんな状態を良しとはしない。

 試験勉強が終われば、これまで貯めたバイト代を使ってタイに行き、手術を受けることになっている。大学に入学したら俺ともサヨナラだ。

 そこに一抹の寂しさを覚えている俺の気持ちを知ってか知らずか、彼女は今日も天使のように笑っている。

 

「......祐樹くん?」

「ん!?いや、何でもないよ。それより、勉強はどうだ?」

「ちゃんとやってるよ。こういう形で両親に心配かけてるから、安心させてあげないと......」

 

 仕事の合間に他愛のない話をしながら、彼女のバイトが終わるまで二時間強。その後、二人はそれぞれ家に帰る。

 当たり前になりつつあったこの生活も、もう終わりだ。

 

 想いを伝えなきゃ、と思いつつ、拒絶されるのが怖くて足がすくんでしまう。

 あと4ヶ月。俺は、ハルカに告白できるのだろうか。

 

 俺はため息をつくと、もう随分寒くなってきた夜道を歩いた。

 

 

 

 

 

 

 

「ストーカー?」

 

 俺は思わず聞き直す。思ってもみなかった言葉だ。

 俺は今日も気持ちを押し込めたまま、「チェンジ」にいた。別のメイドのホノカと三人で、一つのテーブルを囲んでいる。

 

「まだ、そうと決まったわけじゃないんだけど。尾けられてる気がしたりとか、視線を感じたりだとか」

「ホノカちゃんも、同じような被害を受けてると」

 

 ホノカは頷く。

 二週間ほど前から、帰り道で毎日、酷いときは家に入る直前まで誰かの気配がするらしい。一人だけならともかく、二人が同じことを言っているなら、気のせいとは考えにくい。

 

「店長には相談した?」

「した。心配してはくれたけど......ウチ人材難だから、帰り道の警護は難しいみたい」

 

 俺は店長を見やる。ここからだと、レジ前でぼうっとしているようでいて、実は店内をよく見回し、不備があればすぐに駆けつけて対応しているのがよく分かる。

 営業時間が終わっても、翌日の料理の仕込みや帳簿管理、掃除などで夜遅くまで残っているらしい。この店で一番働いているのは、意外なことに彼女なのだ。

 

「......うーむ。警察沙汰、にはしたくないよなぁ」

「そうだよね。ハルカちゃんのこともあるし」

 

 メイドカフェという職種上、こういうこともよくあるのかもしれない。

 下手に大事にしてハルカの秘密が露呈することを考えると、普通以上に慎重になるべきだ。

 

 

 

 

 

 

「......っていう訳なんだけど、どう思う?とりあえず今日は、二人を家まで送ったんだけど」

 

 その日の夜、俺は家に連絡してバー「ラビット」にいた。父親の知り合いのオカマがママをやっていて、俺も小さい頃からよく知っているので、ハルカについて色々相談に乗ってもらっている。

 

「それは心配ねぇ。今は六時手前でも真っ暗になるから、家まで送るのは続けた方がいいわ。ひとまずストーカーを怖がらせることもできるしね」

「了解です、サギさん」

 

 サギさんとはママのあだ名だ。本当はうさぎと呼んでもらいたいらしいのだが、下二文字を取ると「詐欺」にかかることから、皆からはサギさんと呼ばれている。

 

「......でも、ハルカがストーカーに狙われるなんて、全く思ってもみなかった。よく考えたら他の人はハルカのことを知らないから、その可能性も充分あるのに」

「それは仕方がないわ。あたしたちみたいな人を、完全な女として見るのは無理よ。......ユウちゃんはよく理解してると思う。ハルカちゃんも感謝してると思うわよ」

 

 サギさんはそこで、俺をじっと見た。

 

「いい?あんまり珍しいタイプの人は、『珍しい人』として見られることは避けられない。これは、人間の本能だからしょうがないのよ。......でも大切なのは、その人がどんなタイプの人であれ、それをプラスにもマイナスにも考えずに、本当の人となりを見てあげられるかどうか。忘れないでね」

 

 俺は大きく頷き、ジュースの入ったグラスを傾ける。

 

「......それはそうと、どうなの?ハルカちゃんへの恋の方は」

 

 ぶほっ、と飲み干しかけたジュースを吐き出した。そのまま咳き込む俺を、サギさんはケラケラ笑いながら見ている。

 

「今その話、する?」

「だって、そろそろお別れなんでしょ?きっかけがないと難しいなら、あたしが協力するけど」

「サギさんに頼むと目立つからなぁ」

 

 サギさん流の「協力」というのは、秋葉原中にいるオカマネットワークを使って、徹底的に相手のことを調べ上げた挙句ものすごく古臭い運命の瞬間を演出することを言う。

 確かに強力なのは間違いないが、あまりに恥ずかしい。

 

「......まぁ、しばらく様子を見るよ。ストーカーの件も、そっちも」

「そんなこと言って、手遅れにならなきゃいいけど」

 

 サギさんはそう言って笑った。

 

 

 

 

 

 

「心配性なんだよ、祐樹くんもサギさんも」

 

 次の日の帰り道。すっかり葉も落ちた並木通りを歩きながら、ハルカは言った。

 

「まぁまぁ。これでストーカーが居なくなってくれれば良いじゃないですか」

 

 ホノカが薄く笑う。

 俺はこの子のことをあまり知らない。ハルカとは仲がいいらしいが、ハルカもこの子の話をすることはあまりない。

 

 まぁ自分の話が嫌い、というのは俺も同じだ。

 これを機に彼女とも友達になれたらいいな。......下心抜きで。

 

「ハルカさんは、家ではどんな感じなんですか?」

「ん?......まぁ、前みたいにはいかないけど。でも、両親はだいぶ慣れてきたみたい。手術も両親はお金出してくれるって言ってるんだけど、こればっかりは自分のことだから」

 

 ハルカはえっへん、と言わんばかりに胸を張った。

 彼女は自分のせいで、両親が難しい立場になってしまうことを負い目に感じている。だから手術を決断し、こういう状況でも絶対に親には甘えない。

 

「もっと親の脛かじってもいいと思うんだがなぁ。俺なんか毎月小遣いをせびってるぞ」

「祐樹くんは『チェンジ』に通いすぎなの」

「......ったく、誰のせいだと」

 

 悪態をつきながら、笑う。ハルカは親を頼らない代わりに、困った時は俺に助けを求めてくる。

 そんな存在になれたのが嬉しくて、この関係が壊れるのが怖くて。俺は今日も何も言えないまま、二人を家まで送る。

 

 それから、一ヶ月くらい俺は毎日二人を家に送り続けた。

 その間一度も、不審な視線や気配を感じることはなかった。

 

「気のせいだったかも」なんて二人が言い出した、そんなある日。

 いつものように「チェンジ」に現れた俺に、店長がちょいちょい、と手招きする。

 

「何ですか?」

「いや、ハルカちゃんから聞いてさ。祐樹、ハルカたちのボディーガードしてくれてたんだって?」

 

 店長も二人の話を、かなり気にはしていたらしい。

 どうにか仕事をやりくりして時間を捻出しようとしているのに気づいたハルカが、心配しなくていいと伝えたそうだ。

 

「そんな、ボディーガードなんて」

「いやいや。ウチみたいなのはメイドの安全管理が一番大事だからさ、正直助かったよ」

 

 本当にすまなそうな顔をする店長。そのまま、レジの上にある封筒を手に取る。

 

「で、そのお礼も兼ねてなんだけど、今溜まってるポイント、まとめて使っちゃわない?」

 

 怪訝に思いながら渡された封筒を開けると、中からは誰もが知っているテーマパークのペアチケットが出てきた。

 

「って、え!?」

「ハルカと行ってきなよ。遠慮しないでいいからさ」

 

 にこっと笑う店長が、一瞬聖母に見えた。

 

「......ありがたく頂戴します」

 

 拝むように頭を下げる俺を見て、店長が一瞬にして悪魔の顔に変わった。

 

「そこで思い切って、告っちゃいな。そんで撃沈してこい!」

「……」

 

 なんで店長にもバレてんだ。そして、なぜフラれる前提なんだ!

 釈然としないものの、とにかく俺は千載一遇のチャンスを得た。

 

 高校最後の冬。俺は、して良かったと思えるような告白をする。

 俺は心の中に、そう誓った。

 

 

 

 

 

 

「祐樹くん、次はあれ!」

 

 心配していた予定は合い、俺はテーマパークに来ていた。

 俺が当初に立てていたプランは、予想以上の人の入りと奔放なハルカに振り回されてもうぐちゃぐちゃ。それでも、俺は今死んでもいいと思えるくらい楽しかった。

 

「......あと何個くらいアトラクション乗るんだ?」

「うーんとね、この後は......あれでしょ、それでしょ、それからあれも乗りたい。パレードのぎりぎりまで、だいたいあと四つかな」

「マジかよ......」

 

 ただ、ハルカがこんなに絶叫系が好きだとは知らなかった。

 高所恐怖症の気がある俺からしたら正気の沙汰ではないような乗り物に、ハルカはどんどん並ぶ。そうなると俺も、嫌だとは言えない。

 

 その結果、俺は乗り物酔いですっかりやられてしまっていた。

 

「もう、情けないなぁ。男なんだから、もっとしっかりしてよね」

「おうよ......」

 

 一歩間違えればデリケートな話題になりかねないような冗談も、俺たちは気軽に言い合える。

 サギさんの言う通り、俺はハルカの中身を見ているからだ。

 

 でも、ハルカはどうなんだろうか。

 俺と同じように、俺の中身を見ていてくれているんだろうか。

 

 こんなに長く一緒にいても、お互いの心の内は全く分からない。

 ハルカのような人たちの問題がいつまで経っても解決しないのは、多分そのせいだ。

 

「......祐樹くん?」

 

 思索から現実に戻る。

 息がかかるほど顔を近づけて、ハルカが俺を見つめていた。うおっ、とちょっと慌てて距離をとる。

 

「大丈夫?気持ち悪いならちょっと休もうか」

「あぁ、だいじょぶだいじょぶ。ちょっと考え事」

 

 そう言って俺は笑ってみせる。

 でも、心の中ではまた不安になっていた。

 

 ハルカがこうも無防備なのは、少し前まで男として生活していたからか。それとも、元々そんな性格なのか。

 いや、俺は恋愛対象じゃないのか。悶々と考える。答えは出ない。出るはずもない。

 

 人の気持ちなんて、訊かなきゃわかんねぇ。

 

 パレードが始まった。

 

 今日は新月。空には一片の光もないが、ライトアップで眩しいくらいだ。

 普段の生活では決して見られない、圧倒的な幻想空間、非日常。決して安くはない年間パスポートを買って、毎週のようにここに通うファンがいるのも頷ける。

 

 俺もハルカも、何もかも忘れて見惚れていた。

 パレードが終わって人々が去り始めても、まだ何かに浸っているような心持ちで、その場を離れられない。

 おかしいな。家族と一緒になら、何回も観たはずなんだけど。

 

 何気なく横を見て、その理由に気づいた。

 先ほどまで見たパレードよりも何よりも、呆けたように笑うその横顔が美しかった。

 

「......ハルカ」

「うん?」

 

 緊張した。言葉がすぐにはうまく出てこない。

 それでも、恐れはなかった。

 

「俺、君のことが——」

 

 その瞬間、暗い視界に何かが飛び込んできた。

 光っている。でもそれはパレードのような、綺麗な光じゃない。

 

 無機質な金属の、底光りだ。

 

「危ない!」

 

 ハルカを押しのけ、両手を広げる。

 

 痛みは一瞬だった。

 その後は、痺れるような感覚だけ。俺は真っ先に後ろを振り向く。ハルカは何が起こったのかわからないような顔で、ただ目を見開いている。

 

 次に、前を向いた。フードを被ったそいつは、見るからに慌てた様子で、持っているものを放す。

 

「......てめぇ、誰だ」

 

 俺は手を伸ばす。小柄な身体のそいつは、女のように見えた。

 彼女は、服を掴もうとする俺をすり抜け、逃げるように走り去っていった。

 

「祐樹くん!?」

 

 振り返ろうとして、急に意識が薄れる。

 立っていられなくなって、ぺたりと倒れ込んだ。

 

 自分の腹を見れば、ぼやけた視界中に鮮紅が飛び込んで来る。

 

 ——畜生。

 

 心の中で何に対してか分からない悪態をついて、俺は目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「畜生、カッコ悪いなぁ」

 

 医務室で手当てを受けた俺は、今度は声に出して悪態をついた。

 死ぬかもしれない、といった俺の心配は無用で、傷口は極めて浅く、包帯を巻けば血もすぐに止まった。気を失ったのは強いショックを受けたからで、安静にしていれば入院も必要ないという。

 

「何言ってんの、本当に死んでたかもしれないんだからね!」

 

 ハルカが本気で怒る。こんな状況にも関わらず、俺は少し嬉しい。

 結局、ちゃんと病院に行くことを約束して俺たちは遊園地を出た。入場者はともかく退場者はろくにチェックしておらず、犯人の特定は難しいらしい。

 

 俺が髪をいじっていると、ハルカは少し声を落として、訊いてきた。

 

「......どうして、私のためにあんな危ない真似するの?」

 

 俺の足が止まる。

 散々胸につかえていた言葉が、今ならすっと出るような気がした。

 

「好きだから」

「えっ?」

 

 俺は深呼吸をして、もう一度言う。

 

「ハルカのことが、好きだから」

 

 言えた。

 言えたら、急に返事が怖くなった。どうでもいいと思っていたはずなのに、イエスと言って欲しい。

 

 自然と、ハルカの口元に目がゆく。

 酷く動揺して、細かく揺れる、薄い唇に。

 

 やがて、その唇が、ゆっくりと開いた。

 

「......保留、じゃ駄目?」

 

 ちゃんと考えたいから、と、早口で言いながら目を背ける。

 正直、余裕はない。だが、今はこんな状況でもある。

 

 葛藤はあるが、俺は頷くしかなかった。

 

 もちろん、俺を刺した犯人のことも考えていた。間違いかもしれないと思い始めていた、ストーカーの話が頭をよぎっていた。

 ここまでエスカレートしたら警察沙汰にするしかないが、今日は色々ありすぎて疲れた。警察に行くのは、明日でいい。

 

 二人でそう確認して、家に帰った。

 流石に今日はもう大丈夫だと、状況をどこか楽観的に考えていたんだ。

 

 

「......何だよ、これ」

 

「何、これ?」

 

 

 郵便受けに、何か書かれた大きな紙がねじ込まれていた。

 悪い予感を感じながら、広げる。

 

 

【死ね、ホモ野郎】

 

 

 シンプルな一文は、俺を十分すぎるほど動揺させる。

 

「......はは、幼稚だな」

 

 誤魔化すように破り捨てて笑いながら、全身が冷や汗でべちょべちょになる。

 

 

 そして、同じ時刻。

 ハルカの家にも、紙は届けられていた。

 

 

【男のくせに、キモいんだよ】

 

 

 必死に隠し通してきた、秘密。

 それを知っている、というアピールは、犯人の思惑通り、二人の心を大きく揺さぶった。

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 今日は二人とも、学校がある。バイト先の店長にはメールで事情を話して、店は休みにして警察に行くハルカに付き添ってもらう手筈になっていた。

 俺が付いていきたい気持ちもあるが、ハルカの性別とか、その辺りの事情を上手く説明できるとは思えない。

 

 だが校門の前で、俺は店長からのメールに眉をひそめた。

 

【ハルカが学校に来てない。連絡しても返事がない。何かに巻き込まれたかも】

 

 背筋を悪寒が走る。

 そのタイミングで、もう一通メールが来た。今度はやけに長ったらしい、知らないアドレスからだ。

 

 普段なら迷惑メールとして迷わず消去するが、この時ばかりは嫌な予感がして、メールを開く。

 そして飛び込んできた写真を見て、俺は目を見開いた。

 

 そこに写っていたのは、荒縄で縛られたハルカの姿だった。

 

「......っ!」

 

 慌てて文面を見る。

 

【賀来祐樹 

『誰にも言わずに』今すぐ指定した場所に来い

 さもなくば、河合晴輝は死ぬ】

 

 添付された地図は、事故が起きて使われなくなった廃工場を指していた。

 

 相手は、俺を刺そうとした奴に間違いない。ハッタリでも何でもなく、本当にハルカの命がかかっている。

 それに、相手は秘密を知っている。

 

「言う通りにするしかない......か」

 

 スマホをしまい、走り出す。

 奴は「誰にも言わず」の部分を強調してきた。つまり、捕まりたくないという気持ちはある。そこに隙があるかもしれない。

 

 こんな時だというのに冷静になれるのは、ハルカのためだからだ。

 むやみに焦って時間を無駄にして、それでハルカを守れなかったら、どうする?

 

 怖くても不安でも、叫びだしたくなっても、堪えろ。

 そして、考えるんだ。犯人の目的は、何か。

 どうすれば、彼女は助かる?

 

 不意に、携帯が鳴った。

 見ると、サギさんからだ。一瞬、逡巡する。

 

 犯人に監視されている可能性は否めない。だが、サギさんにも俺が刺された件は話である。このまま出なければ、サギさんなら必ず心配する。

 サギさんは厄介な人だ。少しでも俺に不審な点があれば、派手に動いてきっと地の底まで探しに行くだろう。今はそれでは、困る。

 

 俺は立ち止まり、電話に出ることにした。

 

「もしもし、サギさん」

「あらぁ、ユウちゃん。元気?」

「元気......だけど、今ちょっと急いでるんだ。悪いね」

「あら、そう?じゃあハルカちゃんとの恋バナは、また今度ね」

 

 思わず、ずっこけそうになる。そりゃあサギさんは今がどんな状況かなんて知らないけど、それでもこの緊迫した空気の中で、間違いなく場違いだ。

 俺はつられて、少しだけ笑みを浮かべた。

 

「ごめん。じゃあ、ハットリさんにもよろしく」

 

 俺は電話を切ると、再び走り出した。

 

 

 

 

 

 

「......おい、来たぞ!」

 

 俺は叫んだ。指定された廃工場にやって来たが、奥まで日が当たらず、何も見えない。

 

「約束通り、一人で来た?」

 

 暗闇から、声が聞こえる。女の声だ。

 と言うより、俺もよく知っている女の、声。

 

「......やっぱり、あんたか」

 

 薄々は感づいていた。

 ハルカは華奢だが、体つきは男だ。素人が、そう簡単に拉致なんてできない。

 つまり犯人は、俺が刺されたことで警戒している状況でも、ハルカが絶対的に信頼している人間。

 

 ハルカを縛り付けた車椅子を、カラカラと音を立てながら押し、女は現れた。

 

「ホノカちゃん。ハルカを離せ」

 

「チェンジ」のメイド。ハルカの友達。あるいは、ストーカーの被害者。

 そのどれでもない顔で、ホノカは現れた。

 

「......あなた、間違ってるわよ」

 

 ホノカはゆっくりと口を開くと、視線の定まらない目でこちらを見て、言った。

 

「ここに、ハルカなんて女はどこにもいない。いるのは、河合春輝という男だけ」

「どっちでもいい。今ならまだ、間に合う」

 

 彼女は明らかに、正気ではない。

 何をしでかすかわからない、という恐怖が、心臓をどくどくと鳴らす。

 

「......どっちでもいい?良いわけがない。性別は、大きなテーマよ」

「何?」

「男が恋をするのはなぜ?それは、自分の子孫を残したいから。女が恋をするのはなぜ?それは、優秀な子種が欲しいから。悠久の昔から二十一世紀まで、私たちはそうやって生きてきた」

 

 ホノカは車椅子を押したまま、歌うように話し出した。

 

「じゃあ、ここで問題。男たちがメイドカフェに通うのは、なぜ?......祐樹くん。その答えは、恋がしたいからよ。何だかんだと言っても、彼らは『あわよくば』を期待して、『チェンジ』に来てる。でもね、そこに男が混じっていたら、どう?男とは子孫が残せない。つまり、彼らの恋は、本当に無駄なことになってしまう。可哀想に」

 

 さっきから、話が読めない。

 

「......あんたは、騙された客のためにこんな事してるっていうのか?」

「ふふふふふ。私はそんな素晴らしい人じゃないわ。これは私のため。......『チェンジ』にメスの振りしたオスが混ざったせいで、悲しい気持ちになるのは客だけじゃないのよ」

 

 狂気を孕んだ笑い声、それから苦虫を噛み潰したような声。まるで舞台女優のように、ホノカの声色は目まぐるしく変化する。

 

「背が高い。声が低い。雰囲気が独特。『違う』は、大きな武器になる。それを分かってるから、私だってこんなに頑張ってきた。本心押し殺して、必死に現実感ゼロの奥手な女子演じてきたんだよ。それを、ロクに努力もしてないホモ野郎が全部台無しにした。『違う』のなんて、当たり前。だって、そいつは本当は、男なんだから!」

 

 彼女は吼えるように、絶叫した。

 これが、彼女の本性。きっと、そうではないのだろう。

 彼女は演じ続けることで、自分で自分の正体を、歪めてしまったのだ。

 

「ハルカは、手術しようとしてた。受験が終わったら、彼女は正真正銘、女に」

「なるわけないじゃない!」

 

 ホノカが、嘲るように笑う。

 

「そんなの、誤魔化してるだけよ。どんな手術をしたって、子供が産めなきゃ女じゃない。私は認めない」

「......あんたと哲学ごっこをする気は無い」

 

 俺の目的は、ただひとつ。

 ハルカを無事に連れて帰る、それだけだ。

 

「いいえ。まだまだ、哲学ごっこに付き合ってもらうわよ」

 

 しかし、ホノカは不気味に口角を上げた。

 ストレスで変色してしまった歯が、見える。彼女があまり感情を表に出さなかったのは、これを見せたくなかったからか。

 

 

「......うーん?」

 

 

 身体が、震える。

 ハルカが目を覚ました。目を瞬かせながら伸びをしようとして、縛られていることに気づく。

 

「え、え、どういうこと?」

 

 落ち着け、と言おうとしたその時、ハルカの頬に、強い平手が飛んできた。

 

「おい、てめぇ!」

 

 俺は思わず声を荒らげる。が、ホノカは俺を左手で軽く制止してみせた。

 もう一方の手には、ナイフが握られている。それをゆっくりとハルカの首筋に持って行き、当てる。

 

「目を覚ましたかしら?河合春輝」

「ホノカちゃん......?」

「今から、貴方の大事な大事なボーイフレンドが選択をする。しっかりと見届けなさい」

 

 からからと声を立てて、彼女は笑った。

 その姿は、実年齢よりずっと老けて見える。俺は西洋の昔話に出てくる、魔女を想起した。

 

「選択、だと?」

「そ。古典的だけど、二つのコードを選ぶの。赤か、青か」

 

 そう言って彼女はハルカを連れて奥へと下がっていき、大きめの紙袋を持って戻って来る。

 彼女はそれを投げてよこす。中には、映画でよく見るような、コードが複雑に絡み合った機械があった。

 

「それは、爆弾。......と言いたいところだけど、流石にそんなの作れなかった。でも、貴方たちにとっては、ある意味爆弾かもね」

「どういう意味だ?」

 

 ふふん、と声を漏らすホノカの仕草は、いちいちオーバーだ。

 演じることに慣れすぎてしまって、もう素の自分を出すことすらできなくなっているのか。

 

「赤のコードを切るとね、貴方の可愛いハルカちゃんの秘密が、全世界に公開されちゃう。明日から、学校に行けなくなるわね」

 

 ひっ、と、嗚咽が聞こえた。

 やっと状況を理解し始めたハルカのものだ。

 

 彼女にとってそれがどれほどの事態なのか、一緒に過ごしてきた俺は痛いほどわかる。

 彼女は自分が嫌いだった。人に迷惑をかけてしまう自分を、変えたいと望んでいた。

 それなのに今そんなことをされたら、河合春輝としての自分は、一生インターネットに残り続ける。

 

 彼女の努力も、苦痛も、希望も。

 全部、台無しだ。

 

「......青いコードを、切ったら?」

 

 俺は恐る恐る、ホノカを見た。

 黄色い歯を見せつけるように、彼女は笑う。

 

 

「暴露されるのは、あなたの秘密よ」

 

 

 今度嗚咽を漏らすのは、俺の番だった。

 

 

 

 

 

 

 

「ゆ......祐樹くんの、秘密?」

 

 ハルカが呟く。

 俺の秘密。心当たりは、いくつかある。働いてるハルカの顔が可愛かったから、思わず写真を撮ったこととか。

 

 いっそ本当にそうであってくれたなら、どれだけ良かっただろう。

 だがホノカの嫌らしい顔つきが、その期待を消し去る。

 

 ずっと、考えないようにしてきた。

 そういう意味では、俺もホノカと、一緒だ。

 

「俺の、秘密。何だよそれ」

 

 俺は精一杯、とぼけてみせる。

 これまで積み上げてきたものが、崩れ落ちる恐怖に怯えながら。何かの間違いであってくれと、願いながら。

 

「あら、わかってるくせに。手紙にも書いたわよね?」

「......やめろ」

「いいえ、やめない。彼には、聞いてもらわないと」

「やめろ。やめてくれ」

 

 ハルカにだけは、知られたくない。

 ようやく告白できたのに。想いを全部伝えて、身軽になれたと思ったのに。

 

 だが、ホノカは顔をくしゃくしゃに歪めて、大きく息を吸う。

 そして、吐き出した。

 

 

「『死ね、ホモ野郎』。そう、貴方は、ゲイなのよね?」

「やめろおおおおおおおっっっっ!」

 

 

 俺は絶叫した。本当の自分を、叫びという絵の具で塗り潰すかのように。

 

「怪しいとは思ってたのよね。こんな変態の友達なんて、ろくな奴じゃないと思って。それで、貴方の小学校のクラスメイトにあたってみたわけ」

 

 心底楽しそうに、魔女は鼻歌混じりに話し出す。

 

「そしたら、出るわ出るわ。小学校三年生のある時まで、男に異常な感情を抱いていたとか。ラブレターを贈るのはもちろん、抱きついたり、キスしたり。とても深刻そうな顔で告白された時は、どうしたらいいか困ったらしいわよ」

 

 全身が火照りだす。

 心拍数が急激に上昇する。意識がどこか遠くに離れていって、代わりに俺は、昔を思い出していた。

 

 

 

 

 俺が他の奴らと「違う」ことに気づいた時に味わった絶望は、いつでも鮮明に思い出せる。

 これまでは子供のよくある勘違いだと笑っていた両親の顔が、日に日に強張っていくことに気づいた瞬間。一人で散々悩んだ後にたまらず先生に相談した時の、彼女の不快感と困惑が入り混じったあの表情。

 

 このままじゃ、いけないんだ。

 俺は幼いながらに、そう理解した。

 

 そしてある日、ベッドの中で両親の口喧嘩を聞きながら、決心する。

 

 明日になったら、俺はみんなと同じになる。

 

 みるみるうちに、両親の緊張が解けていくのを感じた。あれから十年が経っても、二人は仲がいいままだ。

 俺の選択は、正しかった。今でもそう思っている。

 中学校の時に女子に告白して振られた時も、高校の修学旅行で風呂を覗こうとしたのがバレた時も、両親はニコニコ笑っていた。やはり息子は普通だったと、確信していることだろう。

 

 このことはサギさんにも、他の誰にも話していない。

 誰かに話し出したら止まらなくなって、もう本心を封じ込めておけなくなるんじゃないかってそう思ったら、怖くて口を開けない。

 それなら、本心なんてものは初めからなかったことにした方がいい。

 

 それで俺はこれまで、ちょっと陰気でちょっと硬派で、ちょっとスケべな男を演じてきた。

 本当の自分なんて、もう忘れていたんだ。

 

 

 でもあの日、ハルカに出逢ったあの日、封印はするすると緩んでしまった。

 

 俺は、「ハルカ」に恋をしていたんじゃない。

 

 俺が、好きになってしまったのは。

 

 彼女が心から消し去りたいと願っている、「春輝」だった。

 

 

 

 

 

「......祐樹くんが、ゲイって......?」

 

 ハルカの困惑した声を聞きながら、俺はひとつ、大きく息を吸う。

 

「そうよ。こいつは、男のことを好きになるの。大方あんたのことも、『男』として見てたに違いないわ」

 

 俺の狼狽する様を見て、ホノカは快楽の絶頂に達したような表情を浮かべている。

 ハルカの顔は、わからない。顔を見ることが、できない。

 

「そんな、ことって......」

 

 それでも、声は聞こえてくる。それだけで胸が痛み、立っていられなくなる。

 俺の中で、何かが今にも崩れようとしていた。

 

 その時、目の端でキラリと何かが光った。

 見なくても分かる。太陽が沈み始めて日の光が工場に射し込み、ホノカが持つナイフに反射したのだ。

 

 そうだ。状況は、最悪だ。

 ハルカの秘密と、俺の秘密。俺は、守りたいものを選ばなきゃいけない。

 そしてどちらを選ぶべきかは、もはや明白だった。

 

 俺は無言で「爆弾」を拾い上げる。

 そして、コードに手をかけた。

 

「......祐樹くん!?」

 

 こちらに気づいたハルカの悲鳴が聞こえる。

 俺の目には、もはやただ一つの色しか映っていなかった。

 

「やめて、祐樹くん!......そんなことしたら、祐樹くんが!」

 

 俺が手をかけたのは、青いコードだった。

 両手で強く握り締め、左右に引っ張る。しっかり力を込めているはずなのに、なかなか千切れない。

 

「......俺は、ハルカの邪魔をするつもりなんてなかった」

 

 口から、言葉が溢れ出てくる。

 

「ただ、抑えきれなくて。自分が自分でなくなってしまう前に、清算しなきゃと思ったんだ」

 

 強く、引っ張る。

 俺の目からは、大粒の涙が溢れ出ていた。

 

 コードが固くて千切れないんじゃない。

 俺の手が、俺の思うように動いてくれないんだ。

 

「やめて、祐樹くん!私には帰る場所がある。でも、祐樹くんは!」

 

 ハルカのその言葉で、俺は両親を思い描いた。

 このコードが切れたら、両親はまた喧嘩ばかりするようになってしまうんだろうか。学校はもちろん無理だし、「チェンジ」にはもう行けない。サギさんにだって、合わせる顔がない。

 

 全部、自業自得だ。

 俺が、誰も信じられなかったから。

 

「......怖い。怖いよ。これを切ったら、たぶん俺の人生が終わる」

 

 俺はそこで、ようやくハルカの方を見た。

 こんな展開は想定外だったのか、唖然とするホノカも視界に捉える。

 

「でも。それでも、俺はハルカも、『春樹』も、大好きだから。守らなきゃならない」

 

 俺はハルカを心配させないように、ニヤリと笑った。

 俺の腕を押さえつけていたものが、一瞬ふっと緩む。

 

「うおおおおおおっっ......!!」

 

 俺は、咆哮した。

 ありったけの力で、コードを引っ張る。

 

 ぷちん、という音が、聞こえた。

 

 

「ユウちゃん!」

 

 

 入り口から、聞き馴染みのある声がして、我に帰る。

 慌ててコードを見る。コードは、千切れてはいなかった。

 

「......サギ、さん」

 

 俺はへなへなと、その場に倒れ混む。

 銃を持った大勢の警官を背後に、サギさんは優しく笑った。

 

「メッセージ、届いたんだね」

「当たり前よ。これでもね、東大出てんのよ?」

 

 ホノカが捕らえられた後、ハルカの紐をほどきながらサギさんは自慢げに言った。

 

「『ハットリ』は忍者ハットリくん。忍者みたいにこっそり動けって意味でしょ?」

「何だよそれ。俺としては、本家の服部半蔵のつもりだったんだけど」

「どっちでもいいでしょーが、全く」

 

 サギさんの仲間に、ハットリなんて名前のオカマはいない。

 東大卒を事あるごとに自慢する隠れインテリのサギさんに向けた、あの時できる最大限のメッセージだった。

 

「まぁ、よく無事だったわね。ハナイフを持った相手からハルカちゃんをちゃんと守って、かっこいいじゃない」

 

 サギさんは俺の肩を強めに叩く。

 大きな背中がやけに格好よくて、俺は一瞬、惚れそうになった。

 

 

 

 ......いや、比喩だけど。

 

 

 

 

 

 

 

 あれから、三ヶ月が過ぎた。

 入試も終わり、俺は春から第一志望の関西の大学に通う。......ハルカは、都内の私立に合格したと、メールで店長が教えてくれた。

 

 あと一ヶ月もしないうちに、俺たちは離れ離れになる。

 きっともう、二度と会うことはないだろう。高校時代の友人関係なんて、そんなものだ。

 

 それなのに、別れの言葉も言えない自分がもどかしい。部屋でそう悶々としていたら、あの時ぶりにハルカからメールが届いた。

 

【チェンジに、来ませんか?】

 

 それで俺は今、「チェンジ」のドアの前で立ち尽くしている。

 会ったとして、何を言えばいい?全部なかったことにして笑いあえばいいのか?

 

 俺俺は眼を閉じて、息を吐いた。

 ドアノブに手をかける。青いコードを切ろうとしたあの時と同じ感覚がして、身震いがした。

 腕が、鉛のように重い。

 

 でも、このまま別れるのは、嫌だ。

 今ハルカから逃げたら、俺は一生俺じゃない誰かを演じ続けなきゃならない。

 

 あの日の苦しみは、何かを変えるきっかけになるような、そんな気がするんだ。

 

「いらっしゃいませ、ご主人様っ!」

 

 意を決してドアを開けると、毎日のように聞いていた掛け声のハーモニーが響いた。

 でもいつもより、声が二つ、足りない。

 

「いらっしゃい。ポイントカード預かるよ」

「......いや、今日はいいです」

 

 そっか、と店長は素直に手を引っ込める。

 そして、ある方向を指差した。

 

「祐樹くん」

 

 ハルカが、微笑んだ。

 いつもと変わらない笑顔、じゃない。あの瞬間が頭から離れないのは、彼女も同じだ。

 

 それでも、彼女は微笑んだ。

 それにつられて、俺は無意識に彼女の方に近づいていく。

 

「......ハルカ、その」

「ごめんなさいっ!」

 

 俺が口を開こうとしたその時、彼女はそれを遮るように、深く頭を下げた。

 

「えっ?」

 

 俺は意味がわからず、一瞬頭が真っ白になる。

 

「......だからその、告白の返事。いっぱい考えたけど、やっぱり祐樹くんは私にとって、友達以上じゃない」

「ハルカ......?」

 

 振られるなんて、全く考えていなかった。

 ハルカを騙していた俺には、振られる資格なんてないと思ってた。友達のままでいられる資格なんて、ないと思ってた。

 

 気づいたら、泣いていた。

 バケツをひっくり返したみたいに、俺は人目も憚らず子供みたいに泣きじゃくった。

 

 そんな俺の頭を、ハルカは何も言わず、ただ撫でた。

 よく頑張ったね。もう頑張らなくていいよ。

 

「......それと。助けてくれて、ありがとう」

 

 その言葉に、また涙が溢れてくる。

 

 店長が、外でやれよ、とぼやいた。

 

 

 

 

 

 

 あれから、ハルカのことを何度も思い出す。

 年賀状の写真からも、手術が成功し、胸のつかえが取れたのがわかった。心から、よかったと思う。

 

 俺は大阪で勉強漬けの日々だ。高校の時とは違い、友達も何人かできた。

 それでも、俺はまだ自分を演じ続けている。一歩踏み出すのは、俺が思っていたよりはるかに難しかった。

 

 それでも、以前ほどの辛さは感じない。

 一度、全て吐き出せたのがよかった。最初に打ち明けるのが親や、友達じゃなくたっていいんだ。

 

 例えば、今でも週一で電話をかけてくるサギさんだっていい。

 インターネットだけで繋がる、名前も知らない他人だっていい。

 

 片思いのまま終わったトランスジェンダーでも、きっと、いい。

 

 俺も誰かにとって、そんな存在でありたいから。

 俺は今、変わろうとする人たちを助ける職業に就こうとしている。

 

「......もう、こんな時間か」

 

 時計を見ると、もう三時だった。いつの間にか徹夜してしまったらしい。

 尋常じゃなく分厚い本を閉じる。表紙には、無機質な文字で「カウンセリング入門」と書いてある。

 

 流石に直前で志望学部を変えるのは無理だったので、入学後に学部変更の試験を受けた。高倍率な試験を突破しても、取らなくてはならない単位やかかる重圧は、他の学生とは段違いだ。

 

「お互い、負けんなよ」

 

 少しでも仮眠を取ろうと横になりながら、電球の向こうに話しかけた。

 

 

 あの屈託無い笑い声が、聞こえたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 fin.

 

 

 

 

 

 

 


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